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断捨離日記7 海街diaryは美女映画だった

綾瀬はるかという女優は演技をしている時は素晴らしく饒舌なのだが、インタビューなどでは驚くほど言葉が少ない。意識してそういう話し方をしているのか、それとも「役」がつくとなりきって別人格になるのではと思うほどだ。だから、彼女はどんな役でもこなせる。シリアスなミステリーでもコメディーでも、教師役でも泥棒役でも全部お任せという、監督にとってはありがたく頼もしい相方になる。
彼女がナレーターを務めるCMなども、まさに別人格な風情がある。

桃井かおりという女優はその逆で、映画の中の話し方も、日で普段の話し方もまるっきり同じだった。この場合は、役の方が本人に擦り寄ってきている。あるいは、監督が期待している「役」の喋り方が彼女のありのままだっただから、彼女を役者として選んだ。そんなふうに思う。

芸達者な綾瀬はるか主演(で良いと思うのだが)の鎌倉を舞台にした美人4人姉妹のお話が「海街diaru」だ。ストーリーはあまりない。4姉妹にそれぞれ絡んでくる男役はいるが、色恋沙汰はあくまでサイドのおまけで、姉妹の暮らし、一年分を四季に応じて淡々と描いている。要するに美人はいつ見ても綺麗だ……………という映画らしい。だから飽きるかというと、そこはやはりプロの映画なので、起承転結を踏まえて緩くお話は進んでいく。

平成の後期に時代の選んだ美人4パーターンが勢揃いという、ファッションショー的な映画だった。まあ、それで良いのだ。映画というのは面白さ抜群の冒険活劇もあれば、腹を抱えるコメディーもあり、そして綺麗なものを見るだけで良いよいとい「美術館」みたいなものもある。

山田洋次監督の撮るファミリー人情ものとはちょっと違うテイストだが、小津安二郎から続く日本映画の王道ファミリー映画だ。(ファミリー向け映画ではない、ファミリー女姿を描く私小説的映画だ)
個人的には鈴役の広瀬すずが初々しくて、この役の後で彼女がどう成長したかを思い出し、ちょっと嬉しくなった。ただ、少女役を演じられるのは本当にちょっとの間だけなのだなあ。

ちなみに、なぜか「海街diary」の録画ディスクは3枚あった。一度録画したものが見つからずに再録したのが2回もあったということのようだ。自分のためっぷりを思い知らされた。断捨離とはこういう自分の愚かさを再認識する行為でもあり、実に悲しい。

断捨離せずに保管しておきたい時には、ディスクを買えば良いのだが。

アマゾンDVD販売の引用です これは配信ではなくディスクで買った方がよいかなと……………
もちろんアマプラでも鑑賞可能です
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断捨離日記6  木こりの映画と恐怖体験

断捨離進行中で、梅谷翔太主演の作品を二つまとめて見た。その一つが「ウッドジョブ」だ。矢口史靖監督作品はちょっと元気になりたい時に見ると良い。ハイティーンを主人公にした「スウィングガールズ」「ウォターボーイズ」は青春映画としてリアルな高校生を描いているナイスなコメディーだし、「ウッドジョブ」は大学生になり損ねたドロップアウト青年の精神的再生の物語だった。
人生は色々と面倒なことはあるけど、基本的には明るいよというエールでもある。

矢口作品は日常の暮らしにちょっと疲れた時、元気をもらえる映画と言って良い。三谷幸喜のコメディーは計算されつくした精度の高さが魅力だが、彼の映画は疲れた時に見るのはちょと辛い。姿勢を正してとまでは言わないが、画面を注視していないとさりげなく貼られた伏線を見逃してしまう。矢口作品にはその緊張感はいらない。
ウッドジョブ主演の梅谷翔太は、よい演技をしているが、作品中で1年間を経過して、歩き方まで変わっているという、若者の成長をよく描いているし、よく演じている。

彼の演技は携帯電話会社のCMで三太郎トリオを演じているのが一番うまいと思っている。そろそろ青年から中年大人の役に移る時期だろうが、童顔なのでもう少し若者役を続けるのだろうか。

さて、ウッドジョブの舞台となる三重県の山奥には一度行ったことがある。車を運転していてあれほど怖い思いをした道はない。ガードレールのない一車線だけの道が延々と続くのだ。松坂市から30Kmほど山奥にある城跡を見に行って(ここまでは二級国道で問題なし)、そこからナビの言う通りに山越えをして伊賀に抜ける道だった。
3桁国道なので狭いことは覚悟していたが、山間のくねくね道が1時間続く。おまけに地元民には抜け道になっているらしく、後ろから大型トラックがピッタリとくっついて追走してくる始末。今であれば煽り運転で捕まる程度の車間距離で執拗に迫ってくる。あれほど怖い思いをしたことはない。

以来、カーナビで山越え道が出てきたら、道幅優先で再検索することにしている。
ウッドジョブの舞台は、まさにそんな山間にある林業地帯だったのだと、自分の経験に照らし合わせて、妙な感銘を受けた。山奥へトラックの荷台に乗って作業員がいとすシーンはまさにあの恐怖な道と同じだった。

高知県の山奥にも似たような道があったが、ガードレールだけはあった。長野県と新潟県が繋がる峠越え道では新潟県側が道幅も広くてよく整備されている道なのだが、県境を越え長野県側に入るといきなりで舗装が荒れガードレールがなくなると言う経験をしたこともある。

大都会で住んでいるとまずお目にかかれない、田舎あるあるなのかもしれない。そんな細い山道を軽トラックがものすごいスピードで走っているのを見て肝を潰す。地元民はすっかり馴染んでいるのだ。
まあ、都会のおしゃれなトレンディー暮らしより、そう言う田舎暮らしの方が良いのかもしれないなあと最近はしみじみ思うようになったのだが、あの細い道の運転が付きまとうので、田舎暮らしは無理だろうとも思うのであります。

ウッドジョブを見て一番印象に残ったのが山道暴走ドライブシーンだったというお話です。

アマゾンプライムから引用しました  アマプラで見られるとは……………録画した意味がないなあ
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断捨離日記5 吉永小百合主演作品

映像断捨離進行中でありますが、内容もわからず撮り溜めていた吉永小百合主演の映画二篇を一気に見た。
「おとうと」 2010年公開
紹介サイトはこちら   https://eiga.com/movie/54336/

「北のカナリアたち」2012年公開
紹介サイトはこちら https://eiga.com/movie/57124/

おとうとは、市川崑作品のリメイク版で、いわゆる文芸映画というものらしい。物語に大きな波風は立たず、庶民の日常生活を切り取った感じで淡々と流れて行く。山田洋次監督らしいとも言える。大袈裟に言えば人の死に伴う周りの人間との関係再構築、そして再生みたいな話だが、自分の親戚にウチでも起こりそうな、そんなありふれた物語でもある。

北のカナリアたちは、ミステリーもの、それも倒叙ミステリー仕立てという凝った作品で、ストーリは澱みなく流れるのだが、一点だけ謎が残ってしまった感がある。かなり重要な設定だが何故?という疑問が解けない。自分が見逃している何かがあるのかもしれないがモヤモヤ感が残る。原作には描かれている部分の説明を端折ったのではないか。ただ、お話自体は美しい島の風景と厳しい離島村の冬景色が交互に描かれる抒情的なものだ。

昭和を代表する俳優といえば高倉健と吉永小百合だろうと思っているのだが、いわゆる青春映画や任侠映画時代の二人を見ていたわけではない。どちらかというと二人とも50代になってからの映画がしっくりときている。役者としての円熟期だった気がする。お二人とも70代になっても良い映画に出ているけれど。

吉永小百合という女優が、蓮っ葉な喋り方をしたりするのが想像できない。正しい日本語を丁寧に話す方だと思うし、そういう役柄が多い。名女優はたくさんいるが、言葉使いの綺麗さでは彼女が一番上品だと思う。。何より声が良い。
最近の流行りであるらしい「かん高い声」「幼女ボイス」にはいささか辟易しているので、彼女の低めの声と落ち着いた話ぶりが心地よい。

内容を知らないまま吉永小百合作品というだけで録画していたのだが、拾い物をした気分だ。何だか疲れている時には、ワクワ大興奮する大活劇ではなく、ぼーっとみるものが良いと思うのだが、まさにそんな作品。佳作という言葉が似合っている。

そんな気分なのでワードプレスの生成AIに注文して
『吉永小百合と高倉健が主演した北海道の夏を舞台にした映画ポスター』を作成してみたら、何だか本当にありそうなものが出てきた。AI、すごいな、

Japanese poster text: 北の愛の詩、主演 吉永小百合 高倉健、北海道の夏、不滅の恋がここから始まる。7月15日(土)公開!
A vintage-style Japanese film poster presents a couple amid Hokkaido’s colorful summer flower fields.


まさかとは思うが、吉永小百合さんを知らない方のために、グーグル先生おすすめ近影はこちらです ↓

https://variety.com/wp-content/uploads/2025/10/YOSHINAGA-Sayuri.jpg?w=1000&h=667&crop=1

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断捨離日記4 アメトーク6年分

普段はあまりテレビを見ない。見たい番組は録画してCMスキップしてみる。ただ、録画したものがたっぷりと溜まってしまうのが問題なのだ。その中でも一番の大量在庫しているのが「アメトーク」というお笑いエンタメ番組なのだが。

画像はテレビ朝日ホームページからの引用です

アメトークを2011年から2017年までほほ全て録画していた。最初はDVD、その後BDに変わったが、総数では100枚近くになる。BDは一枚に3-4回分録画ができる。それが6年分となると、96枚入るケースに収まらなくなった。
いつか見ようと思ったまま10年が過ぎて、昨年から順番にみて順番に断捨離している。残るは2年分になった。出演している芸人は当時の若手から中堅どころだと思うが、今ではすっかりベテランとなり、こいつら面白いなあと思っていた芸人は自身がMCとなって仕切っている番組も多い。はたまた芸能界から引退したものもいる。

2012年のある回はまさに神回と言える面白さ?だったが、そこに登場した5人が全て現在はテレビに出ていない。あれこれ問題を起こして出演自粛、ほぼ引退という格好だ。(今日たまたまみた番組でその中の一人が復活していたが) MCの一人もいなくなったのだから、消失率 85%という大惨事回だ。芸人の世界は新陳代謝が早い。

今ではアーカイブ映像が「アメトーククラブ」として有料配信さている。テレビ朝日は個人的に色々と問題が多いテレビ局だなと思っているが、それでもフジや日本テレビのような危ない事故は起こしていない。出演者や番組での不祥事は起こさない仕組みができているのかもしれない。
まあ、その代わりに従業員があれこれ不祥事は起こしているので、無傷とは言えないが。それでも管轄官庁である総務省から睨まれるようなことにはなっていない。とりあえずセーフなのだ。


ニュース系番組は関係会社の朝日新聞に論調が拠っているので、政府には批判的であるが、TBS(毎日新聞系)とともに政府に対してアンチな視点を持っているのは良いことだ。政府の支援をするメディアなど、民主主義社会にとっては害悪でしかない。あのアメリカ合衆国ですら、政府がメディアを弾圧する時代なのだ。まだ、日本は多少とも健全さを残している、

ただ、その報道論調とは似つかわしくない?、かなりぶっ飛んだバラエティー・お笑い系番組も併存しているのが、テレビ朝日という放送局の面白いところで、変わった体質だと思う。例の政府が嫌う「ニュースステーション」も、アメトークばりにエンタメ的にニュースを放送したら、違う死傷者層を獲得できるのになあと思うのだが。今のニュースステーション・ファンはほとんどジジイ、それも後期高齢者中心ではないかと疑っている。

テレ朝系バラエティの中で長寿番組であるアメトークは、この後30年くらいやて欲しいものだど思いながら昔の録画を見ているが、最近のアメトークをみると出演者がほとんど変わっているので(雛壇に並ぶ顔ぶれ)、この撮り溜めした録画は断捨離しないで撮っておくほうが良いのでは、などと思う今日この頃だが、公式アーカイブがあるなら問題ないだな。アーカイブのアドレスはこちら ↓↓↓

https://ametalk-club.tv-asahi.co.jp

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断捨離日記3  バリ島の映画

画像はAmazonのDVDサイトから 比較的お安く買えるので驚いたです

映画館で予告編を見るのが好きだ。本編以上に予告編に期待していたりもする。おかしいとは思うが予告編だけ1時間くらい上映してもらえないものかとずっと思っていた。
予告編を見て来月はこの映画を見ようとか決めるので、リピート客獲得には最適な手段だろう。そんな予告編ファンなのだが、予告編でみよ王と決めた映画を何らかの都合で見逃してしまった映画も多い。「神様はバリ島にいる」もその一つで、たまたまBS放送で流れていたのも録画して、そのまま放置して10年経ってしまった。断捨離作業の一つとして撮り溜めていた映画をしっかりと一度見て処分するという上信を決め、しゅくしゅくと進行しているのだが、何でこんな駄作を録画したかと我が意識を疑うようなものもあれば、ああ、これは映画館で見たかったなあと思う秀作も多い。この映画は確かに映画館の大画面で見たかった。バリ島の絵の美しさもあるが、何より主人公「兄貴」のせりふ(強烈な関西弁?南大阪弁?)を大音量で聴きたかったなあ。

このお話には実在のモデルがいて、Youtubeなどで見ることもできる。本当に面白い人らしい。各種動画サイトでも、この映画は有料配信されているので日本映画としては珍しい「優秀作」として常時配信作品として扱われているのだが、これも日本映画としては珍しい第一級のコメディーに仕上がっているおかげだろう。
監督の過去作品を調べてみたら、随分とみたことのある映画があった。この監督のテイストが意識しないまま好みになっていたらしい。

紹介・予告編はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=ku230uuCIxM

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断捨離日記2  ホイチョイ作品

Amazonからの引用です 
連載されていたもののベスト版が出ているのは知らなかった

バブル期絶頂の頃、よく読んでいたコミック作品が「気まぐれコンセプト」だった。当時の若手社会人の日常行動をユニークな切り口で面白おかしく描いていた。同時代人としてなるほどねえ、と感心することも多かった。そのホイチョイプロがこれまたトレンディー(当時の流行語だ)なテーマで映画を撮り、これがヒットしていた。

そのホイチョイ三部作が20年ぶりくらいに放送された時に録画していた。昔懐かしいという理由だったと思う。見直してみると映画の筋よりも登場する風景や物に惹かれてしまった。当時はまだ携帯電話機がハンドバッグのような大きさで、反社会的集団の方くらいしかお持ちではなかった時代だ。
頻繁に公衆電話から電話をかけるシーンが出てくる。ネットが一般的になるのwindows95の発売以降だから、この時期にはまだ出現すらしていない。企業オフィスシーンでは懐かしのフロッピーディスク付きワープロがあったり、プレゼンではスライドフィルムが使われている。ああ、懐かしい。
この後はプレゼンにOHPの投影機が使われ、そしてプロジェクターへと変化していった。パワーポイントが新入社員の必須スキルになって行く10年前のお話だ。

三部作のラインナップは
「私をスキーに連れてって」 主演 原田知世 三上博史
メインテーマはスキー(スノボではない)
「彼女が水着に着替えたら」 主演 原田知世・織田裕二
メインテーマはダイビング
「波の数だけ抱きしめて」 主演 主演:中山美穂 織田裕二 
メインテーマはサーフィン(だが、サーフシーンはほとんど登場しない)

今ではベテラン役者になっている俳優ばかりだが、当時はバリバリのトレンディー俳優で、時代を代表する「タレント」だった。この三部作で一番トレンディーな(笑)テーマは、金持ちの若者たちが遊んでいる何でしょうというものだ。それが第1作のスキーだった。
金曜夜には長野や群馬のスキー場に出かけて行くのがブームになった。そんな時代だったのだが、貧乏人は深夜バスで、金持ちは自分の車でスキー高を目指す。その差は決定的だったし、貧乏人はスキーヤーズベッドといいう仮眠設備に泊まり、金持ちは別荘や豪華ペンションを使う。遊びにもこの辺りの差別感覚が存在した。そんな時代だった。その時代を反映して金持ちサイドを描いているからこそのヒットだったのだろう。
お話もラストシーンのアクションはちょっとやりすぎだが、全体的な時代感がよく出てそんないる。田中邦衛さんもまだまだお元気だったなあ。


2作目はルパン三世のオマージュ的な冒険宝探しドタバタコメディーで、マリンスポーツという金ら遊びをテーマにしていた。1作目のヒットより監督に遊ぶ余裕ができたのだろうか、金持ちの若者の遊びから富豪の道楽宝探しへと進化??した。主演の原田知世の性格もちょっと強めになっている。
3作目はトレンディー俳優を配置したが、設定は大学生の夏休みであり、ほろ苦い悲恋物という、2作目のエンタメ路線から微妙に離れていった。テレビのトレンディードラマに擦り寄った感が強い。おまけに遊びのテーマはサーフィンという、一段とお手軽なもの、つまり日常的なものに近づけている。
作品的にはどれもヒットしたし、スキー・スキューバダイビング・サーフィンをトレンドとして巻き起こした遊び・スポーツを広めた意義は高い。その後のスケボ、スノボ、ウィンドサーフィンなどへ広がっていっきっかけともなった。
ただ、映画としての完結度でいうと2作目が一番良かったように思う。

映画館でみていたはずだが全く記憶に残っていないので、みていなかったのかもしれない。ほぼ30年ぶりにみた映画だから、お話よりもなつかしさが先にたってしまったが、平成初期の時代背景や文化を学ぶためには良い教科書的作品でありますね。あと20年もしたら某国営放送の朝ドラでこのバブル時代が設定で使われそうな気がする。その時は、俳優にダイヤル式電話の掛け方を誰かが教えてあげないとね。駅前の電話ボックスも再現しないと。

今でも現役らしい、ホイチョイプロのリンクはこちら  ↓
https://www.hoichoi.jp/news.html

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断捨離日記 映像編1

コミック版一巻の凝視画像 アマゾンからのリンクです

現在進行形で断捨離をしているが、最大時は千冊以上持っていた本も残りは五十冊程度になった。年内にはほとんど処分が終わると思う。300枚近く持っていたCDも残りは30枚程度。どちらも一度デジタル化した後で躊躇うことなく処分できた。

問題は撮り溜めてみてもいないまま放置していたDVDなどの映画、ドラマなどだ。これもみないで捨てるのはどうにもやりきれず、一度見たら捨てると決めて、順番に処分している。残っているのは2017年まで録画したものが大半で、それ以降は光学ディスクに保存するのはやめたので在庫はそこで止まっている。
2018年以降はハードディスクで録画していたので、いつでも見ることができるとたかをくくっていたらディスククラッシュが起きて全滅した。まさかの強制断捨離だった。ただ、見損なったとか惜しいとかいう気持ちも起きないので、それで良いのだろう。何のために録画していたのか、そもそもが疑問なのだ。

残った光学ディスク録画ライブラリーを見ると、なぜこんな物を録画がしたのだろうと思う迷作もそこそこある。例えばジャッキー・チェン主演作品はほとんど録画していたが、見直してみるとあまり面白くない。自分の嗜好が変わったとしか思えない。これはまとめて断捨離対象となった。
だが、好みの書籍やコミックが実写化された物やアニメ化されたものが多い。映画館での上映を見逃した作品がほとんどだ。映画は概ね封切りから3-4週間で打ち切られる。それだけの期間があるにも関わらず、封切りタイミングで見損なうほど、当時は忙しかったのだろうかと我ながら不思議でもあり呆れてしまう。

コミックである原作「僕だけがいない街」を初めて読んだ後、しばらくして映画化された。あの長い話をどう映画にするのだろうと思った記憶がある。コミックがアニメ化される場合、概ね3-4巻で1クール分、12話ー13話になることが多い。アニメ作品一話は大体22分程度。オープニングとクルーズ分を除くと中身は18分程度だろう。1クール分を前編とのつなぎ部分も取り除いて、全編をまとめると3時間程度の分量になる。
この原作コミックは全8巻なので、ストーリーを忠実にアニメ化すると最低でも6時間が必要になる。実写映画版は2時間だから内容は1/3に圧縮される。それでは、流石にお話として成立させるのは無理だろう。せめて第一部、第二部くらいにする必要があるボリュームだ。

というようなことを考えていて、映画館では見逃して物をわざわざ録画したのだろうと思う。それを10年経ってみたのだが、意外と面白かった。原作コミックを読んだ記憶が薄れていたからだ。曖昧に犯人は覚えていたが、それも定かな物でもなく、映画の筋を追うのに無理はなかった。

主演の二人もなかなか良い演技だったと思うが、有村架純は同時期に主演していたビリギャルの方がうまかったように思う。藤原竜也はどうしてもバトルロワイヤルのイメージが強す流ので、こうしたミステリー物は気分的に落ち着かない。だが、面白い映画だった。

原作コミックはすでにに処分してしまったので、もう一度読み返すにはレンタル本でも借りてくるか、デジタル版を手に入れるしかないのだが(もはや在庫は増やしたくない)、どちらにしても目に優しい読み物ではない。

高齢者向けにA4縦型の軽量なコミック・書籍専用リーダを販売してくれない物だろうか。現在販売されている大きい画面のiPadよりもひとまわり大きい物だ。おまけに重量はKindleより軽いものにして欲しい。

本好きの高齢者向けには売れそうな気がするのだけどなあ。それがあれば、もっと断捨離が進むのだが。

コミック版を読んでから映画を観るのをお勧めします。

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日本の馬のあれこれ

Photo by Zain Abba on Pexels.com
写真を見ればわかるが、明らかに馬が大きい サラブレッド系だろう
日本在来種より速く走れるはずだが、鎌倉時代どころか戦国時代ですら存在していない馬種だ

前回は会津で馬刺しを食べた時の話だったが、それで馬について思い出したことがある。そもそも日本の馬は大陸から半島経由で西日本に持ち込まれたはずなのだが、馬の放牧に適した場所は阿蘇や南九州各地にあったらしい。当然、馬の繁殖を得意とする種族は裕福になった可能性がある。
ただ、古代ヤマトにおいて騎馬戦という戦闘形式がなかったようで、おそらく高位軍人の移動手段くらいだったのではないか。古代ヤマトが唐帝国と新羅に半島戦で完敗した以降に騎馬戦力の充実が始まったらしい。その頃の馬の主産地は現在の群馬県から福島県あたりに移っていたようだ。古代ヤマトにとって東国は有力馬産地として厚遇した。

その古代日本の馬産地の名残が、今の馬刺し産地になっているのだと個人的には納得している。ただ、現代の日本にいる馬は明治以降に軍馬として輸入されてきた大型馬が主流で、アラブ系の大型種だ。一般的に見かける馬は競馬馬とその放出された馬がほとんどだろう。
北海道で細々と飼われている農耕馬はもっと大型で足も太い。競馬馬のように早く走るために改良された馬とは異なり、ヨーロッパで農耕と軍役に使われたものだ。ただ、映画などで騎乗シーンが出てくる時は、洋画邦画のどちらも見た目の良さのためかいつでもサラブレッド系の早く走る馬がほとんどだ。リアルではないのだ。

さて、馬刺しの産地(笑)で生産されていた馬は、ヨーロッパ系の農工場でもなく、アラブ系の軍馬でもなく、東アジアの伝統的な馬、つまり小型種だった。現在では飛騨や与那国で飼われている小型の馬だ。大型馬の肩高は人の背丈に近いものだが、日本在来の小型馬1m程度、つまりポニーと呼ばれる馬程度の大きさだ。成人男子の平均身長が150cm代であった古代日本では小型馬の方が使い勝手は良かったのかもしれない。

ただ、映画で見るような大型馬が一斉に爆走するような迫力はない。かの有名な武田騎馬軍団も現代的な視点で見ればちょっと情けないかもしれない。

鎌倉で行われる流鏑馬(騎乗からの弓射)や京都の葵祭で行われる馬の競争も、現在は大型馬が使われているから、あれは史実とはちょっと異なるイベントだろう

ただ、モンゴル民族による世界征服は、この小さな馬にまたがって行われていたので、小さいから能力に欠けるということはないだろう。現在的な大型場に見慣れていると、小さな馬に人がちんまりと乗っている微妙な違和感はあるが。
ちなみに、この史実を忠実に習い蒙古馬を使ってモンゴル民族帝国の勃興機を描いた映画がある。「蒼き狼」(角川映画だったはずだが)を見ると、小さい馬の騎馬戦が見られるので興味がある方はご覧ください。

馬刺しから連想する古代ヤマトとモンゴル帝国、実に雄大で歴史的なテーマでありますよ

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会津で御膳

料理の中身より、様式美をいうものに気をつけている …………… そんな気がした

馬肉といえば熊本と思い込んでいたが、よくよく考えると馬産地は東北こそ本場であったはずだ。会津には蕎麦を食べに行ったことがあるが、馬肉料理はすっかり失念していたので、思い切って会津の名物を食べに行った。3年前の夏だった。
何年か前の春先に会津に行った時、会津の居酒屋は不埒と入れる場所ではないと勉強した。観光地であることも理由なのだろうが、ちょっとなのしれた店は予約なしでは入れない。週末だけではなく平日もほとんど不可という状態らしい。ふらりと入れるのは全国チェーンの店と回転寿司くらいしかない。
馬刺しが名物の店は一ヶ月前から予約して、開店早々にタクシーで乗りつけた。それでも15分後には満席なっていたから、やはり人気店は予約が絶対必要だ。

その馬刺しの店で、まず最初に出てきたのが、お通しというにはあまりに立派なお膳だった。これだけで十分に酒が飲める。これが会津的なもてなしなのかはわからないが、岩手の居酒屋に行った時も似たようなお膳が出てきたことを思い出した。

うまく言えないのだが、これが東日本的なもてなしの原型なのではないか。あるいは昔の風習が今でも残っていると考えるべきか。
大阪以西のあちこちでいろいろな物を試してきたが、この手のお膳でご飯みたいなスタイルはお目にかかったことがない。長崎でであった、卓の上にご馳走が並ぶしっぽく料理みたいな物はある。あるいはこつの皿鉢料理のような、全てをてんこ盛りにした大皿料理もある。順番に料理が出てくる懐石料理も当然ある。


ただ、この会津スタイルのお膳は見たことがない。どこからのこの東西食文化??の違いが生まれているのかはわからないが、おそらく西国の方が明治以降、合理的な生活様式を先進的に取り入れ、旧来型の食文化みたいなものは変容、進化させたのではないか。東日本、特に東北は、そうした変容から取り残された疑いがある。
東北、北海道には西日本ではありえない冷害が頻繁に起きていた。西日本の災害といえば大雨かひでりになるが、 日照りに不作なしというように例外のような酷い事態は起こりにくかったようだ。そうした農業の違いが経済格差となり文化的な違いを生み出す。

さっぽろ味噌ラーメンと博多とんこつラーメンの差を考えるとわかる。ラーメンという渡来文化でさえ、これだけの南北地域差を生み出すのだから、お膳の有無くらいの差はあって当たり前なのかもしれない。などと、馬刺しを食べながら歴史的考察に耽っておりました。

会津の馬刺しはうまいぞ。。

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七夕は旧暦で>

3年前の夏、7月の渋谷で七夕イベントが

学生時代に知ったことだが、旧暦での行事は中国大陸の指揮に合わせて設定されているということだ。旧暦の正月、新年が現在の暦で言うと2月上旬になる。つまり全ての月で1ヶ月ほど遅い。一年で一番寒い時期を正月に設定していることになる。立春や立秋という季節の変わり目が感覚的にちょっと違うなと感じるのも、そのせいなのだろう。七夕は旧暦7月なので、秋の始まりのイベントのはずだが、現在の日本の気候で考えれば猛暑の時期にあたり、夏のピークにも感じられる。

七夕を暦通りに7月に行う地域(例えば東京周辺)と旧暦で行う地域(東北や北海道)の違いはなんだろうと考えたことがある。明治新政府の方針で新暦が始まった時、おそらく政府のある東京では全ての旧暦イベントが1ヶ月変更されてしまったのだろう。政府の強権発動というやつだ。(自分の勝手な推測です)
そしてアンチ明治政府であった東日本(戊辰戦争の敗戦地域)は、それに従おうとしなかった……………みたいな歴史があるのではないかと思う。一度、戦勝地域である西日本の七夕がいつ行われているか調べてみるのも面白いか。

ただ、お盆時期が旧暦通りに8月中旬になっているのは全国的な風習で、日本民族大移動の時期でもあったが、今では等なのだろうか。帰るべき田舎はすでに高齢化と過疎化の波に飲み込まれ、昭和初期の山里風景など消滅寸前だろう。
ふと気がつけば、今年のお盆時期にテレビCMでは、田舎に家族が集まってのイベントみたいな話は全くみなかった。すでにお盆の持っていた記号性、親戚が集まり先祖を偲ぶイベントというアイコンは消滅してしまったらしい。

まあ、大陸中国、それも中原の気候に合わせた暦など、現在進行形で気候変動を起こしている日本には、全く意味がないのも間違いない。長くて暑い夏とどこかに行ってしまった春と秋、そして梅雨の時期にはゲリラ雷雨の襲撃という、怪獣映画に出てきそうな激烈な気候だ。

七夕に夜空を見上げて天の川に思いを馳せるなどというイベントは、もはや歴史書の中にしか存在しない。