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冷麦はどこに行った

近くにある西友で夏向けに売り場が変わって「乾麺コーナー」ができた。PBの乾麺を中心になかなかのボリューム陳列だ。だが、そこにメインキャストの一人が欠けている。「冷麦」はいない。陳列面積で言えば、そうめん推しだ。埼玉はうどん県なので、うどんが目立つのもわかる。しかし、夏の風物詩といえば、やはりそうめんより冷麦ではないか。
西友がトライアルの傘下に入り売り場がじゅじょに変化しているのはわかっている。品揃えも微妙に変わってきた。種類は減り、西友とライアルのPBが増えている。まあ、それは良い。経営の問題だ。

しかし、なぜ冷麦が消える? 麺に関して食文化の違いは西と東で目立つことはわかっているが、九州拠点のトライアルが西友をグループ化したとしても、九州仕様の文化を押し付けることはないだろうと思っていた。特徴的なのは醤油で、吸収の甘い醤油はいまだに谷に並んでいない。これはちょっと残念だ。
九州では冷麦を食わないのだろうか、などと勘繰ってしまった。

ところが、冷麦消滅現象は西友だけではないみたいなのだ。他のスーパーに行っても昔のように何種類も冷麦が並んでいる売り場はなくなってしまったようなのだ。

いなげやでは、冷麦は立った一種だけだった。
近場のヤオコー・ヨークマート・生協など継続調査してみよう

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新潟の旅 万代橋で

新潟は日本海沿岸で唯一の政令指定都市だ。新潟駅を降りればオフィス街があり、駅前はちょっとした飲み屋が集まった繁華街になっている。そこから徒歩10分程度のところに万代橋周辺の繁華街、ショッピングエリアがある。市内を走り回るバスセンターがあることから、市内の交通中心になっているから栄えた場所だろう。大きな駐車場ビルも多いのは、地方都市繁華街の特徴だ。
その万代エリアに昔ダイエーがあり、今はイオンになっているのだが、そこの乾麺売り場を確かめてみようと思っていた。
新潟は東日本的な文化、特に食べ物の嗜好は東寄りだろうと思う。ただ、古くから日本海航路による物流拠点であり、当時の首都京都文化の影響を直接受ける地域でもある。新潟を越えれ山形県・秋田県でも京文化の影響が強い。
さて、麺類の嗜好はどうなっているのだろうということと、冷麦衰退疑惑を確かめるためでもあった。

結論から言うと、乾麺は素麺が中心で蕎麦とうどんが少々、冷麦は最小限の最弱勢力だった。これは現在確認中の、首都圏面売り場と同じ状況だ。
やはり、全国的に冷麦は衰退?しているのではないか。冷麦は製法的には素麺とは異なる、うどんの変種的なものだが、どうも冷麦業界がなんらかの時報で縮小しているのではという疑惑は、新潟でも成立しそうだ。冷麦は滅亡の危機?にあるらしい。

そのあとは、もう一つの新潟繁華街「古町エリア」にむかくことにした。気温はすでに30度近くになっていたので、躊躇わずバスで移動することにした。バス移動はほぼ5分、古町の中心部で下車した。目の前には大きなビルが目立つが、どうも商業ビルという感じはしない。オフィスビルが繁華街の中心部にあるというのはちょっと違和感がある。
極端に言えば、新宿歌舞伎町の真ん中に登頂ビルがあるようなものだ。まあ、実際に歌舞伎町東側には新宿区役所ビルがどんと構えている。それと似たようなものか。あれこれ考えながら、これまでのびのびにしていた「古町探索」をしてみた。

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新潟に行ってきた

2年ぶりに新潟に行ってきた。目的はいくつかあるが、長年工事中だった新潟駅の工事が完了したので駅ナカを探検してみることが一つ目の目的だが、それは帰り際に見ることにして、まずは駅から徒歩数分のところにある蕎麦屋を目指した。

テレビの浄業番組にも良く取り上げられるらしい。店内に入ると壁一面に色紙が飾られている。だいたい芸人・テレビ演者などのサインは読んでもわからないので、誰か来ていることやらとは思うが。
平日の昼であるが満席で席待ちの客もいる。人気店なのだな。

酒は新潟で広く飲まれている吉乃川辛口 お気に入りだ

へぎそばを注文した。昔は一人前という量は存在しなかったような気がする。大きな四角いざるを1枚・・2枚と注文する仕組みだったように思う。1枚が2-三人前ではなかったか。ひとりでたべるにはおおすぎる量だった。
それが今では一人前の注文ができるのだかrあ、ありがたいことだ。そばが来るまでの間に冷たい日本酒をちびちびと飲んでいた。自動車で移動するとこれができない。鉄道利用の旅は、そんな気遣いは不要なのでのんびりとしたものだ。

へぎそば一人前を5分で平らげる。天ぷら付きのセットもあるが、単純に蕎麦だけにしたのが正解だった。へぎそば特有のつるりとした蕎麦を楽しみながら、そばつゆの違いに気がついた。お江戸的な鰹節の強い香りが感じられない、優しい出汁が柔らかく感じられる。全国各地にそばの有名な地域はあるが、蕎麦の差よりも蕎麦つゆと出汁の違いが特徴だと思う。
新潟のそば梅雨は優しくて儚げな味がした。うましだ。

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温泉でキャンプするはずが

が月としては季節外れの気温30度だった

秩父にはキャンプ場がたくさんあるのだが、前回いた武甲温泉キャンプ場がなかなか気に入ってしまったので、また行ってみた。日帰り温泉として人気があるらしく中佐城はいっぱいにだった。キャンプ場の利用申し込みは温泉入口カウンターなので、キャンプをする前に温泉に来た客に混じってあれこれ手続きをする。
キャンプをする前に風呂に入るのもどうかと思うので、いまだに温泉には入浴していないが、冬場にキャンプをすればキャンプ帰りに立ち寄ることもありかなとは思う。
ただ、入場は午前10時からなので、朝風呂を楽しむことはできないらしい。

温泉の土産物売り場を見ていたら面白いものを発見した。おそらくこの遊戯代を知っているものはすげに高齢者しかいないだろう。テレビの温泉番組で、どこかの鄙びた温泉町でいまだに現役なスマートボールホールがあるのを見たことがあるが、町場からはすっかり消えてしまった。
スマートボールは右側の棒で玉を打ち出し、盤面にある穴の中に入れる。その穴に入ったボールの並び具合で役があり、役に応じて玉がもらえるというものだ。この版が20-30台、ずらっと並んでいて、盤の後ろに役を確かめて玉を放出する番人がいた。確か玉は100円で15個だったような記憶がある。その玉を全てうち終わった時にヤックができていたら、手を挙げて番人を呼び配当の玉をもらう。その繰り返しで、球が貯まったら景品と交換してもらうという遊びだ。パチンコ屋と比べてのんびりとした遊び場だった。だから無くなってしまったのかなあと懐かしくなる。

これを面白がってやるのはどんなおっさんかなと、しばらく見ていたが誰もやろうとしない。夕方になり、風呂に入った後酒を飲んで酔っ払った「じいさん」がいれば、面白がってやるかもしれないなあ、などと思った。このスマートボール台の反対側は、なんとスタンディングバーだったから、昭和中期と平成後期が入り乱れた面白い空間だ。ちなみにバーでは各種ウィスキーも並んでいたが、やはりおすすめはイチローズモルトだろうな。キャンプではなく温泉に入りに来てみたくなった。

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ブラックなラーメン

どうやら幸楽苑ではお買い得メニューとして「郡山ブラック」を使い回すように見える。スタンダードな幸楽苑のラーメンはなんだと言われても困るほど、今ではあれこれ変わったラーメンを販売しているので、この郡山ブラックも使い捨てのキャンペーンメニューだと思っていた。
ところが、最近では2ヶ月に一回程度で三日間限定のお買い得品として、何度も使われてきてほぼ準定番といいたいほどだ。
見た目はブラックだが、味は思ったほど濃い味ではない。なんとも表現し難いが、それでも富山ブラックのような強烈さがあるわけではない。

見た目のシンプルさが逆に目立つ点かもしれない。多めのチャーシューだポイントだろうか。めんまや海苔などの夾雑物はない。潔いラーメンだ。この手のタイプはスープ命という、スープによる独自性を打ち出すのだが、それがないのでなる意味普通な、ある意味では凡庸な味になっている。やはり見た目のギャップを楽しむものだろうか。

ちょいと冒険心を起こしてネギと追加してみた。幸楽苑のネギはなかなかに盛りが良い。町中華で出てくるネギラーメンは、ネギが少なすぎると文句を言いたくなることが多いが、ことネギに関して幸楽苑は優等生だ。

ネギを乗せてみた。ビジュアル的には、これは失敗だろう。なんだ河江kのわからないラーメンに返信してしまった。「ブラック」な見栄えがかき消され、もはやネギラーメンとしか言えない。食べれば美味いのだけれどね。

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武甲山を見るにはどこが良い?

秩父に行けば、ほぼどこからでもみることができる武甲山だが、個人的にはこのアングルが一番良いと思っている。

秩父神社から南方を見ると武甲山が見えるが、この場合は手前にある民家が近くてどうも全体的な山姿が見ずらい。
やはりヤオコー東側駐車駐車場・道の駅ちちぶの裏側あたりでみるのが良い。手前が駐車場のため山全体が見える。

西武秩父線横瀬駅からは東側の山姿が見えるが、こちらはちょっと山の削れ具合が目立つので押す進めしない。

秩父は周りがぐるちと山に囲まれた盆地なので、東西南北全てに山並みが見えるのだが、この盆地の大きさがちょうど良い具合だ。松本育ちの友人が、松本は四方が山に囲まれているので安心するといていた。関東平野は山が見えないので、どうにも落ち着かないとのことだった。おそらく秩父育ちの方も似たような感じを持っているのだろうか。もともと秩父は武蔵国とは独立した國だったから、秩父神社は独立した國人の祭祀の場だっただろうし、明治以降も産業的には埼玉から独立した豊かな場所だったようだ。
そのコンパクトな盆地のシンボルが、この武公さんだが、よそ者である自分にもなぜか懐かしさを感じさせる山容は、日本人のDNAに刻まれた「山は神」という感覚がもたらすものなのだろうか。

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秩父でそばを食う

秩父には蕎麦屋が多い。個人的には秩父神社から長瀞方面に進み、車で10品ほど行ったところにある一戸建ての小ぶりな蕎麦屋が気に入っている。そこで、普通の蕎麦つゆに追加でくるみつゆをを頼み、もりそばをがっつりと食すのが楽しみだ。
ただ、お気軽に食べるのであれば、道の駅にある立ち食い蕎麦屋も良い。蕎麦についてはそれぞれ好みがあると思うが、この店のそばは食べるうちにボツボツとちぎれていく、つなぎがない蕎麦でだと思う。
この日の気温が30度を超えると言われていたが、普段食べるもりそばではなく「熱いどんぶり」のそばを食べてみることにした。

秩父名物のしゃくし菜漬けが乗った「しゃくしなそば」800円なりだ。立ち食い蕎麦屋で食べる側としては、破格の高額だとは思うが、蕎麦の質を考えるとこの電産も仕方がないか。

蕎麦つゆは丹精というかさっぱりとしたもので、お江戸の蕎麦屋特有の鰹節が強く主張する濃い味のものではない。人によってはちょっと物足りないと思うかもしれない、薄味だ。たっぷり乗ったネギと蕎麦がよくあっているから、梅雨は控えめな役回りで良いということかもしれない。

秩父鉄道花畑駅にある駅そばでもしゃくしな蕎麦を食べたが、あちらはもう少しワイルド系な蕎麦と濃い味のそばうつだったので、薄味が秩父では一般的ということではないだろう。

蕎麦の後でデザート代わりに買おうと思っていた「秩父餅」は休日のため品切れだったのが残念。4年ほど前までは、アニメの聖地巡礼で一色だった道の駅ちちぶだったが、すっかり片隅に追いやられていたののちょっと残念な気がする。ただ、数年前には極端な品薄になっていた「イチローズモルト」が普通に買えるようになっていたのは嬉しいが、値段が随分と値上げりしていたような気もする。
道の駅の地各区にはビジネスホテルもできていたから、秩父は観光地として盛り上げっているのだろうな、という秩父雑感でありました。

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満洲の行き先は、高齢者のフード・アウトソースサービス

ぎょうざの満洲という企業は非常に面白い対応をする。基本的にはメニューの絞り込みと高齢者対応だ。町中華のチェーン店なのだが、その絞り込んだメニューはファストフードに近い。いや、現在の牛丼チェーン店のメニューが混乱しまくっているのと比べて、満洲の方が和風ファストフードではないかと思う。
玄米のチャーハンであるとか、こだわりの素材(豚・豆などなど)を使っていることもあるが、ラーメンの麺量が半分という「高齢者の胃袋容量」に留意している点が、目立たないがよく考えられているところだ。
その延長線にあるのが、トッピングなしのスラーメン。つまりスープと麺だけ、かけ蕎麦や素うどんみたいなものだ。これがラーメン屋でありそうでなかったメニューだろう。
その延長線にあるのが「スヒヤシ」だ。ただ普通の冷やし中華と違うのは、麺に梅雨がかかっているのではなく、つけ麺スタイルになってい流ことだ。
実食してみると。これは実によろしい。大変好みな食べ物だ。冷やし中華を通年販売してほしいと思っている、冷やし中華フリークとしては、これであれば年中販売する定番にしてもだ以上ではないかと思うのだ。冷やし中華特有の季節的なトッピングの巡撫はいらない。つけつゆだけ用意しておけば通年販売は可能だし、日本側のようにアツ盛りも可能だろう。カラシと紅生姜がついているのもポイントが高い。

満洲らしく、餃子とのセットがあるが、これは他のセットメニューと比べてもお腹の負担が少ない。まさに、これ礼者の胃袋鷲掴みという感じがする。休日の昼に行けば、客の8割が高齢者ということもある「埼玉発の高齢者向けファストフード」として、ますます進化が続きそうだな。

月毎のメニューは、ほぼ毎年同じでカレンダー化しているのも、頻繁に訪れる高齢者にはありがたい。ただ、ここ数年春先だけの季節定番だった唐揚げが、どうやら長期化している気配がある。やはり、ヘルシーすぎるメニューだと脂たっぷりなギルティーメニューが欲しくなるのも高齢者だ。
などと考えていたら、隣の席に座った推定80歳の男性が、水餃子ハーフ、焼き餃子ハーブ、カジキマグロステーキ、ハーフ醤油ラーメン、紹興酒をグラスで二杯という不思議な注文をしていた。なるほど、常連高齢者はこういう使い方をするのだな。

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懐かしの写真

2018年に北広島駅で撮ったもの。当時は考えられなかったほどの乗客数で、今やゲーム開催日にはガードマンが出るほどだ。おまけに、駅前にできたビルの一階から出発するシャトルバスの行列は200m近くになる。北の郊外都市と言えば聞こえが良いが、農業が産業の中心の田舎町が全国区の知名度を持つようになり、施設誘致のお手本のような成功を収めた。

氏が税金を投入するという反対運動もあったそうだが、観客動員数を考えると何もなかった玄弥がある日突然に集客客施設になり膨大な商売を引き起こしたのだから、元は十分とっただろうという気がする。

ただ、ボールパークという名称はもはや聞くこともなく、エスコンフィールドという商業名称が定着して、現在進行形でホテルやマンションが周辺にたちはじめて、ようやく「パーク」的な広がりになってきた。ただ、その隣が北海道立高校なので文教地区とは程遠い歓楽街になると、またあれこれ文句を言い始める「自称市民」が増えるだろうなあ。