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鰹を煮てみた

高知県にある猟師町の友人からカツオをもらった。刺身用の方は直ぐに食べたのだが、加工用の鰹(高知県人の舌は厳しく、鰹を刺身用と加工用に峻別する)を調理してみた。

自分で漬け込んだニンニクの醤油漬けを使い、蜂蜜を加えニンニク醤油煮にしたのだが、これは思いのほかうまくいった。熱いうちに食べるとビールのつまみにちょうど良い。冷蔵庫で一晩置いてみたら、殺お特有の魚くささが強くなったが、レンジアップするとそれも和らぐ。

鰹節にすればこの鰹特有の匂いが上手に化けるのだが、生のカツオを料理するのは難しい。カツオ特有の匂いをどうやってマスキングするのかがポイントになる。個人的にはトマトで煮込むと良いのではないかと思うのだが、そうなるとツナ缶と似たようになるのでカツオを使う意味もなくなるのだなあ。

イワシの梅ぼし煮を真似て、これも自家製梅干しと梅干しのつけ汁でにてみた。こちらは白く煮上がったので見た目は良さげだが、やはりカツオ特区夕の匂いが梅の匂いを上回る。難しいものだ。ほんのりと聞いた梅酢的なものを期待していたのだが、何か臭い消しが必要になるほどで、生姜なりネギなりを使わなければなあ、という仕上がりだった。ふと思いついてかたまりを潰してマヨネーズ出会えてみた。つまりツナマヨだ。

これが、予想外に上手い。多めにいれたマヨネーズで鰹の匂いが隠される。梅干しの塩味がよいあくせんとになっていて、これを使ってホットサンドでも作ればよさそうだ。

ご飯のお供にどうにかならないかとやってみたのだが、サンドイッチの具材ということになってしまった。惣菜よりも具材ということになる。

まあ、料理とは試行錯誤の連続なので、もう一息あれこれとアレンジしてみることにしよう。

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スマホのカメラの自動露出

最近のスマホで思うことだが、カメラの性能はひょっとすると一眼レフを超えるのではないか。自分の持っている旧式の一眼レフ機数台は、極端な光量差があるものの撮影は極めて不得手であり下手くそで、マニュアルによってあれこれ修正しないと写真が撮れない。自動で撮ろうとすると、まっ黒になるか(極端な露出過小状態)、白く飛ぶか(露出過剰)になるか、そもそもシャッターが落ちないことの方が多い。ちなみにC社はメモリーへの書き込み速度が早いのでそれなりに対応可能だが、O社は書き込みが遅くシャッターが落ちないことも頻繁にあり、使用状況によりカメラを2台持ち、3台持ちとなることもある。やれやれだ。なんでも取れるスマホに敵わないというのが実感だ。おまけに銀塩フィルム時代と違い、デジタル画像は自分でもそれなりに修正可能だし、AIの支援を受けれしまえばセミプロ級の仕上がりになる。

そんな自動露出の難関写真の一つが夜の焚き火シーンなのだが、iPhone17であればこのように問題なく取れる。自分で撮ったくせに画像を見て驚いてしまった。プロ仕様かと思わせる画面精度の高さだ。すごいなあと素直に思ったが、これでは一眼れレフカメラを持っている意味が……………

まさしく、半月なのですが

同じ日に月が綺麗だったので、天中にかかる半月を撮ってみたら、これがまたなんとも不思議な自動補正効果が働き、まるで昼の写真のように見える。月の光は基本的に太陽光の反射光なので、光線の質的には光量が少ない「昼」なのだそうだ。だから、カメラの自動露出機能が露出をオーバー気味に調整すると(夜なので)、確かに薄暗い日中のようになるとは考えられる。しかし、この夜空に色はなんとも言えない。

また、関東近郊は大都市部における照明の照り返しで夜空は明るい。だから、夜の写真もうっすらと白味がかってしまうのは仕方がない。ただ、これほどまでに明るく撮れるものだろうか。薄曇りな日中の空と言われても頷きそうだ。

そろそろ最新式の一眼レフカメラが欲しいなあ、などと薄ぼんやりと思っていたが、どうやら考え直した方が良さそうだ。大きなレンズが必要なのはスポーツシーンなど動きのある場面のアップか、バードウオッチングのような超望遠レンズを使用する場面でしかなさそうだ。自分の撮りたい状況ではスマホで十分ということか。

思えば最後に長尺のレンズを使った子供の運動会と学芸会くらいだったような気がする。もう随分昔のことだし、二度とそんな機会が訪れることもない。なんだか、スマホカメラの性能向上がうらめしくもあるなあ。

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歴史的残念なパッケージ

厳密には違う商品d菜が、右側のパッケージも昔のデザインに戻るだろう

今年前半に起きた原油不足騒動で、一番恥ずかしい対応をしたのはこのポテトチップの袋ではないだろうか。ナフサの供給不足による印刷インクの品薄の影響で、インクの種類を減らすという説明があったが、それをきいたときからおバカな対応だと思っていた。

ポテトチップの原価に占めるパッケージの比率がどれほどのものかは知らないが、「食品」を売るという薔薇をしていながら、パッケージによるブランドの維持効果や、買い手が無意識下に行う商品選択の嗜好性などを全く無視しているとしか思えなかった。あるのはコスト構造の変化を安易な方法で解決しようとする、無様な対応だけだと思う。

まあ、半年もしないうちにナフサの供給不足など全くの嘘っぱちだったと明らかになり、パッケージの色は元に戻ったが、おそらくすでに製造してしまった「ダメパッケージ」の在庫を消化するため、いまでも銀色パッケージを使い続けるという、これまた悪癖としか言いようのない行動をとっているのだ。

いったい、この会社はどうしてしまったのだろうか。銀色パッケージのポテトチップを、の父の血の教材として、おバカなマーケティング事案の記念に取っておこうと思ったが、それもまた愚行であるとおもい、中身は完食後捨てることにした。

お同じようにPB商品を銀色パッケージにした某流通企業は、その理由を得意げインタビューで語っていたが、あの担当者は今頃どうなっているのだろうか。

石油製品の品不足で知人たちも大騒ぎしていたので、騒ぎは夏前に終わると宥めていたのだが、予想通り梅雨明け前には品不足は解消されていた。ただし価格は高止まりしたが。

米の価格高騰もいつの間にか解消されているし、「神の見えざる手」は正しく発動されている。意外と無策のように見えた現内閣も、ひょっとすると冷静に状況を見定めていたのかもしれない。相変わらず野党は、的外れな大騒ぎをしていた、という印象を残しただけだったなあ。もし国会議員に頭の良い誰かいるのであれば、ポテトチップを例に取って、中学生にでもわかる「経済」の話をしてくれないものか。まあ、頭の良い議員など見つける方が難しいか。

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秋の日には運動会

8月の長雨の後、久しぶりに晴天が続いた10月、そして晴天の確率が高い特殊日である10日に開かれた運動会を見に行った。

友人の小学校教員に聞いた話だが、小学生の場合は5月に運動会をやる方が学習校が高いので運動会は春開催が増えているそうだ。特に新入学生の効果が高いのだそうだ。日本社会における集団行動と規律の刷り込みを最初に体験する機会なのかと、密かに思ったものだが、現場の意見としては貴重なものだろう。要するに言葉を話す猛獣をかいならす最初な調教ステップに運動会は最適なのだそうだ。

だが、やはり運動会は秋の方が良いように思う。ピーカンに晴れ渡った青空の下で運動するのが気持ち良いだろう。

随分と久しぶりに見る運動会だが、演目は昔とあまり変わっていないようだ。使われる楽曲は流石に現代ものになっているが、鋭意炎不滅と言っても良い楽曲も多い。某国営放送局の子供向け歌番組では、アレンジこそ多少21世紀的になっているものの、自分が子供だった頃の歌がいまだに歌われている。バナナの歌とかお猿の歌とかその他諸々の動物の歌だ。突然に昔懐かしの楽曲がかかると、ちょっとどぎまぎするし、おまけに記憶に刷り込まれているのか歌詞がすらすらと浮かんでくる。幼少期の原体験として完全に脳内のどこかに刷り込まれているらしい。

小さい子供たちの甲高い歓声やら元気に走り回る姿を見ていると、不意に涙が出てきた。理由はよくわからないのだが、何やら脳内のどこかに埋もれている何かが反応したらしい。かけっこで独走して一位になる子もいれば、転んでしまい半周遅れになってしまったビリの子もいる。そのビリの子に反応してしまったようだ。人生まだまだ長いのだから、ゆっくりと頑張れよ、というような応援気分になったせいだろう。

運動会の帰り道で、住宅地のど真ん中でキウィー畑を見つけた。随分と小ぶりな実がなっていたが、これは収穫した後にどこで売られるのだろうか気になった。ひょっとしたら畑の脇で無人販売されているのではないかとも思うのだが。キウィーが秋になるものだと知らなかったので、これまた別の感動があった。太平洋の南の果てから来るキウィーも美味しいが、自宅から徒歩5分で採れるものも食べてみたい。

よく晴れた秋の日の散歩は、なかなか実りが多いものでありました。

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チャイナで野外飯

カセットコンロに合わせたサイズのグリルパンを手に入れてから、あれこれ野外飯を試している。この浅めの中華鍋のような形状が、炒め物や焼き物をするときに熱効率がよいので短時間で仕上げることができるからだ。昔ながらの平たい鉄板で役より随分と時短になる感じがする。本格的な深めの中華鍋では逆に火力が足りないだろうから、腸と良い加減の湾曲ということらしい。

今回はエビチリを作ってみた。

ごま油を使うともっと良かったかなと思うが、オリーブオイルでにんにくをいためネギを投入し、そこに殻付きのエビを並べる。しばらく放置して順番にひっくり返す。両面焼けたら通販で手に入れた業務用エビチリソースで会えるだけ。ソロキャンプで食べる量としては多すぎるが、主食としてえびMaxで食べることにした。辛いが上手い。ビールがグングンと飲める。これは生のエビを使ったが、冷凍エビでも十分だろう。

ソースさえ用意できれば野外飯でのチャイナはありだなあと思う。いや、こちらの方が便利かもしれない。ちなみに、今回のエビチリソースはヨド○シカメラで調達したが、オンラインでのチョ魅了ラインナップはAmazonを超えるかもという充実ぶりなので、メキシカンやアジアエスニック系スパイス・ソースも対応可能という心強い味方なのでありますよ。 

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昔のブドウを流通理論で解析してみたら

個人的にはキャンベルが好きであります

9月の終わりに北海道で手に入れた昔の葡萄だが、なんと2品種がセットになって売られている。何軒かスーパーを回ってみたが、大抵は単品2個での販売だった。昔ながらの八百屋では二回りほど大きいものが売られていたが、値段は倍ほどになっていた。

面白いことに地元のスーパーでは取り扱いが少ないのに、全国チェーンのスーパーではかなり大きく扱っていたし、箱売りもやっていた。この2個セットはコープで見つけたもので、ある意味で一番魅力的な売り方をしているのがコープというのは、札幌特有の現象かもしれない。コープ札幌はマーチャンダイジングが上手いのだ。逆に地元のスーパーが一番売り方が下手くそであると思えるのは、バイヤーの質の問題か。店舗の売り場れ担当者の問題なのか。全国でローカル・スーパーが次々と潰れて統廃合を繰り返していうが、結局は品揃えと売り方、マーチャンダイジングとマーケティングの力不足が原因だろう。

すでに全国チェーンの価値g味はイオン一強でダイエー、ユニー、サティは消滅し、ヨーカドー、西友は身売りされて敗戦処理組だ。ローカルでも生存し拡大を続けているのは、東日本でラルス、ヨークベニマル、ヤオコー、ライフ、西日本ではバローズ、いずみくらいか。九州と四国はすでに全湖国チェーンに飲み込まれてしまった感がある。

結果的に、勝ち組のイオンが全国チェーンでありながらローカルスーパーより優れた商品戦略をとって胃ということがわかるし、自分の全国スーパー観察経験からいっても当たっているように思う。ただし、これもイオンの特徴だが、新しく店が開いても1ー2年は売り場がダメダメなのだ。教科書通りというか、新しい販売理論の実験台にさせられるからだろう。開店後3年くらいしたあたりから急速に地元密着型売り場に変容し始める。最初からこうすれば良いのにといつも思うのだが、現場で理論修正を図るタイプの企業らしい。だから勝ち組になったのかもしれない。

そして、その流通ジャイアントに対抗するのがローカル生協という構図で、おまけに価格帯効力もある。この戦闘力が昔の武道にも現れているのだと思うと、ちょっと楽しくなる。今や種ありの葡萄など好んで食べるのはジジババくらいしかいないだろうが、王者シャインマスカットの負けない売り方をしている。顧客層を高齢者に絞り込んだ戦略商品であり、ノスタルジーマーケティングの実践例などと穿った見方をしてしまうのだが……………

昔はこういつ知識は業界専門誌でよく特集を組んでいた。今ではスーパーどころか、その専門誌自体が消滅しているご時世で、若き企業人たちはどうやって勉強しているのだろうか。ネットマガジンの情報なのだろうなあ。いや、AIか。

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満洲の新メニュー観測

不味くはないが、もう一度は頼まないかも 

「ぎょうざの満洲」」の季節メニューは、おおむね一年間のローテーションが決まっている。ただ、今年の秋は新作?が登場してきた。(記憶の限りではあるが)通常メニューにはソース焼きそばがあるが、今回はあんかけ焼きそばだ。。

あんかけ焼きそばで一番有名なのは長崎の皿うどんだろう。カリカリ細麺にちゃんぽんの具が餡掛けになって乗っているイメージだ。中華料理店では、カリカリ麺ではなく蒸し麺を軽く焼いたものに餡掛けが載っている場合が多い。

今回の満洲焼きそばは、カタ麺なので皿うどん風の仕上がりになっている。味付けはあっさりとした塩味で、最近の満洲の特徴である健康志向的な仕上がりだ。野菜もたっぷりで食べ終わった後はバランスの良い完食感がある。

ただ、見た目が地味だ。実に地味だ。これもここ数年の満洲独自スタイルというか、ともかく色気が足りない。できれば赤と緑が欲しいところだ。ピーマンの細切りとか糸唐辛子とか、あまり原価をかけない工夫ができそうなのだがなあ。

ある意味素朴で飾らない、別の意味では無駄なコストはかけたくない、ということなのだろうと推測はしている。夏にやっていた茄子の味噌炒めも地味な見かけだった。評価を星5点満点ですれば、★★くらいかなあ。次回に期待しよう。おそらく、もう少し気温が下がった時の方がありがたみが増すと思う。餡掛けメニューはちょっと早すぎたかなと思わせる、今年の10月の気温だった、し。

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おやまあ、びっくり価格だな

10年ほど前、確か定価は7-8000円くらいだったような記憶があるが

あれこれと、ものの値段が上がり続けているが、それとはあまり関係ない暮らしをしていられると思っていた。だが、なんと酒税が上がるというわけのわからない事態に困惑してしまい、ちょっと調べ物をしてみた。

酒税の裏道を使い低税率の「ビールのようなのみもの」「雑酒」を次々と投入してきた酒メーカーに国税庁がブリギレして酒税をあげた、としか思えない今回の増税だ。その狼狽ぶりは過去20年ほど酒税が減少し続けたことによる。酒税の稼ぎかしらであったビールが極端に減少し発泡酒などのビールのようなものに移行したことが悪いのだと、「ビールのようなもの」も「ビール」のように飲まれているのだから、税率が低いのは不公平だという牽強付会としか言いようのない屁理屈をつけての増税だ。以前にも焼酎の税率を上げるときには、輸入用酒も焼酎も製法は同じ蒸留酒ではないかという屁理屈をつけ、酒製造の持つ文化的側面やものづくりのプライドをへし曲げるよう屁理屈をつけ、税率を合わせた。国産焼酎の実質的増税で、洋酒輸入元国家からの貿易不均衡に対する強烈なクレームを誤魔化そうとしたものだ。まあ、財務省、国税庁の官吏は悪の権化みたいなものだろう。世界征服を目指す悪の結社と論理構造は同じだ。俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの、という暴虐極まりない。世界史を見てどの時代、どの地域でも官吏が暴虐になると革命が起きる。フランス市民革命における革命派の王権政府官吏粛清は革命の伝統だが、王権交代が起こると概ね管理は根絶やしにされる傾向が強い。この国もサラリーマン一揆が怒らないと思い込んでいうr、おバカな霞ヶ関官吏とそれに輪をかけた阿呆な政治屋は、そのうちに思い知ることになるだろう。酒税の引き上げが最後の一滴となりコップの水が溢れるのかもしれない。

酒税はかつて6兆円円近くあったが現在は2兆円ほどに減った。悪特区管理としては顔が青ざめる減収だが、その原因は安い「ビールのようなもの」だけではない。酒は嗜好品であり、「ようなもの」はあくまで代替物であり「ようなもの」でしかない。大衆の収入が増えれば、普通は「本物」に戻るはずなのだ。しかし、ビールには戻らなかった。なぜか。答えは品物にあるのではなく、アルコールというカテゴリーが拒否される「酒を飲まない若い世代」が主流となったせいだ。お酒は二十歳になったら、というのみものであり、適当な比率の人口が飲酒を始めてくれなければ、年が経つごとに双飲酒量は減るという現実を財務省は受け入れられない。本当にバカなのだ。

現代において、20代の飲酒率は大幅に減少している。この先30年もすれば、社会通念上として飲酒は悪癖としかされない時代になるだろう。かつての喫煙と同じだ。ほんの30年前まで成人男性の喫煙率は70%を超えていたはずだが、今では半減している。タバコ税のげんん商を増税で補おうとしたら、値上がりをきっかけに禁煙するものが増え、ついには非喫煙者から見ると社会通念上、喫煙は「悪」であり「迷惑行為」として定義されるようになった。「酒税」の未来も同じことだろう。

しかし、酒がらみの話はもう一つある。ジャパニーズウィスキーの世界的流行により、日本を代表する高級ウィスキー「山崎」が手に入りにくくなっている。インバウンド観光客がプレミアムをつけて買い込んでいるせいもあるらしい。おかけで山崎の店頭価格は、過去の二倍から三倍になっている。品薄なのでバーなどの酒場、特に老舗と言われる店でも従来と同じ価格では仕入れられないのだそうだ。ただし、これはメーカーのだし根が上がったわけでもないので、中抜きをしている業者が鞘を稼いでいるだけで、酒税には影響しない。ザマアミロというやつだ。

食料品の消費税を減税すると大騒ぎしているが、来年の今頃には酒類の消費税を上げるというおバカな財務省官吏が出現するのは間違いない。それも外圧に負けるので、国産アルコールに限定するとか言い出しそうだ。そうなると、国外生産した山崎とか、東南アジアで生産したビールとかいう抜け道が生まれそうだ。

革命の狼煙は紅茶ではなくビールから起こる……………のかもしれないなあ。

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町内会の魔祭が中止になってわかったこと

自分の住む所沢市は、各地域にある町内会を市の下請け団体として便利使いしているのだな、と持ち回りで任命される町内会役員をしているときに思った。概ね7ー8年に一度、役員の当番が回ってk流のだが、町内会会長を含めた執行部の顔ぶれは高齢者によって占められている。それが悪いというつもりはない。ほとんど無休で働く強制ボランティアのような組織をよく運営しているものだと、逆に感心するくらいだ。

我が町内は構成人数が1万人を超える巨大なもので、人口が1万人となれば、あちこちにある田舎の地方自治体の規模を超える。友人の住む北海道や高知の町は、一万人にも満たない。市の下請けとはいえそれだけの規模の集団を管理していこうとするのだから、本来は専従のプロが必要だろう。年間の予算規模も数千万になり、下手な中小企業を超える規模なのだ。

長年頑張ってきた町内会の役員も高齢化が進み(町内自体が独居高齢者世帯が増えている)、あれこれと活動を行うのが人的に難しくなってきたらしく、町内会主催の夏祭りがついに中止となった。まあ、日当も払わない町内の住民による自主運営だから成り立つ仕組みだったし、営業者、いわゆるテキヤを排除するという方針を長年守ってきたのだから立派んものだ。中止も仕方がないと思っっていた。

盆踊りの伴奏が騒音であるとクレームになる時代のせいもあるだろう。子供達が公園で遊ぶ声を耐え難い騒音だとして公園の廃止を求めた某長野県自治体の例も、悪しき規範となり懸念材料となったのかもしれない。役員の中には実施派と中止派がいたようだが、それも理解できる。個人的には数年に一回の登板は面倒だったが、夏休みの手伝いはそれなりに頑張っていた。小遣いを握りしめてやってくる子供たちの姿が好ましかった体。

さて中止が決まると、それでは寂しいという声が上がったらしく、有志による開催が決定された。その経緯は詳しくはわからないが、町内会は関わらない。有志グループが会場となる公園の使用許可を取ることになったらしい。営業者が屋台やブースを出店したので、従来より出店数も増えた。金のかかる太鼓櫓の設置はなし、それに伴い盆踊りもなしとなった。それでは人が集まらないか、というと全くそんなことはない。おそらく例年の倍くらいの人出があった。出店者は儲かって喜んだことだろう。

会場は17時から20時までの限定なので、夜の騒音対策も特に必要なかったらしい。要するに官制おまつりから民営化されたら、結果的にもっと上手く行った。そういうことになる。かなりこうがくであった町内会の祭り運営費用も必要無くなるので、来年の予算案はこれまでとは一新されるだろう。

どうもも日本の行政と官僚は、上は政府、下は町内会にいたるまで過剰な保護体質というか、余計なおせっかいがすぎるのだろう。失敗があった時の責任回避とも言えるが、金も出さなければ口も出さないと決めれば、そもそもの責任論も成立しない。金がなければ辞めればいいのだ。やめたくせに口だけ開くからバカと言われるし、嫌われる。

予算が足りないので借金するといいう日本政府や地方自治体も、俺たちは基本的に何もしないんですよ、というセロベースから最低限必要なものを積み上げて、それ以上は何もしないという見直しをした方が良いのだろうねえ。ヒト様の金(税金)だから、いくらでも使おうとするのは官僚の悪弊だが、予算増額は自分たちの人件費のカットで補填すると決めれば、予算議論すら出なくなるだろうになあ。消費税減税の財源論も、まずは国会議員の歳費を全額あてると決めたら面白い議論が起こるだろうに……………

町内会の夏祭りはその格好の実験場だったような気がする。

ちなみに、この出店の中には「モルトウイスキー」だけ飲ませるバー」などという、お祭りではみたことのないようなものもあった。民営化とは知恵を絞ることと挑戦の場でもあるのだとわかる。ただ、一番行列ができていたのは、綿飴屋とフライドポテト屋でありました。やはりお祭りといえば日本の伝統である。お面屋と綿飴だよね。

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日高屋に思うこと

日高屋では季節限定メニューの投入がすっかり減った感じがする。定番商品の値上げを頻繁に繰り返すようになると、新製品の開発が遅れるのは当然のことだろう。開発しているうちに想定原価がどんどん上がるようでは、値段見合った商品設計が難しくなる。当初六百円で売ろううとしてみたのに、試作品を作っているうちにそれでは利益が出なくなる。そんなことが何度もあったのではないか。それ以上に、定番商品の値上げ対策で原価を抑えるため原材料調達を変えたり、新規メーカーを探したりすると、既存商品の確認の方が忙しくなる。当然、皺寄せは新製品開発の中止、延期ということになり、全体の帳尻を合わせるしかなくなる。

そんな背景事情があるのかどうかはわからないが、久しぶり?にでてきた豚骨スープのつけ麺はどうにもバランスが悪い。これはもう少し研究の余地があったのではないかなと思うし、普通の醤油味のつけ麺で麺量マシマシでもした方が需要はあるのではないだろうか。なんとも中途半端な気がするものを投入したものだ。そして、ここ数年夏の定番だった冷麺が今年は登場しなかった。そちらの方が残念だ。食べたかったぞ、冷麺2026。。

ちょいと食い足りないのではと思い追加で注文した砂肝は、予想外に美味い。酒のつまみとして量も適当だし値段もこなれている。なぜかこう言ったちょい飲みのつまみ系は開発が上手なのだ。この辺りが町中華チェーンの雄である日高屋のつよみだろう。うちにはとてつもなく美味いものはないが、普通にうまい味を目指している、みたいなことを日高屋の社長が言っていた記憶がある。記憶に残る味の商品がなくても、記憶に残る楽しいちょい飲み経験ができる。それが日高屋の正しさなのだから、つけ麺がよっとバランスが悪くても笑って済ませるレベルだから個人的に問題はない。そろそろ味噌ラーメンの季節になるから、次回の日高屋では普通にうまい味噌ラーメンを注文することにしよう。