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鉄旅のおわりは飲み鉄

上越本線 新潟の最南端あたりで一杯

弘前をでて秋田、新潟を経由して上越本線で関東を目指す。所要時間は6時間程度だが、乗り継ぎが悪いと2-3時間ほど待ち時間が追加される。時刻表を丹念にみて確認する必要がある。谷川岳を挟んで新潟と群馬の間を抜けるのが難所となっている。
新幹線が開通するたびに在来線が消滅し三セクに変わり、運行本数が減り乗客数の減少に歯止めがかからなくなる。在来線沿線はもともと人口が少なく利用者数も多いはずがない。今では地方都市ですら一人一台のじだいだから、在来線沿線地域では公共交通機関を使うのは免許を持たない高校生くらいだ。経営的に成り立つはずがない。では線路を全廃して仕舞えば良いのかというと、そうでもない。人は乗らないが貨物の移動には十分需要がある。特に長距離移動になると貨物を廃止するとあれこれ影響が大きい。
例えば青函トンネルで北海道と本州を結んで最大のメリットは農産物の貨物移動が可能になったことだ。新幹線は函館まで延伸したものの、函館札幌間が開業しないと経営的にはメリットが薄い。
ところが、青函トンネルで最大の課題は新幹線ではなく過密になった貨物の運行問題らしい。九州や四国も貨物移動に関しては同様であり、簡単にローカル線を廃線にするわけにはいかないはずだ。

運送トラックが完全自動運転化された後でも、貨物列車との連動が不要になるわけではない。この辺りは全国的なモビリティー問題として検討すべき課題だと思うのだが。
同も日本人は新しいものをたっぷり資金を投入して導入したがるくせに、古くからあるものとの連動や活用が苦手のようだ。

のんびりと普通列車を使った鉄旅をすると、そんな不便さの中での楽しみ方や、不便と思うことにも深い意味を見出すことができる。鉄旅は人を哲学者に変える役があるらしい。

車窓越しに田舎の風景を楽しみながら地酒のカップ酒を飲むと、そんなことが見えてくる。リュックを背負って一人旅をするのは、なかなかに体力を使うので、もう何度もできることではないようにも思うが、足腰が立つうちはできるだけ鉄旅をしてみたいものだなあ。

まだ、宗谷本線の旭川以北や山陰本線の浜田以西、鹿児島本線の熊本以南が残っているのだけれど。日豊本線は丸々残っているなあ。どれもこれも遠いのだよね

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一筆書きの旅 弘前で

恐山から青森経由で弘前に向かった。青森には津軽三味線のライブを見にいく店があるが、このと時は日程の都合でパスした。
弘前は津軽のチ中心地だったが、今では交通の要衝である青森市に県庁がある。全国的には城下町以外に県庁があるのは珍しい。ここと山口の萩くらいではないか。戊辰戦争で滅ぼされた会津も例外的と言えるか。明治政府は当発足当初から地方行政経験しかない素人の寄り合い所帯だったせいで、統治能力が低かったのと反革命を恐れていたから、行政区分の再編が無茶苦茶だった。まあ、そのメチャクチャなまま150年も立てば、昔からの当たり前見たくなっているので、現在の地方区分いついて文句をつける奴もいなくなっただろう。

青森県はもともと津軽藩’(西側)と南部藩(東側)が強制合体したので、言葉も違えば風習も違う。元々は戦国時代末期に南部藩家臣だった津軽氏が独立した地域ということもあり、一つの剣としてのまとまりは視線発生的には生まれるはずがないのだが。
その津軽藩の城下町弘前はなかなか文化の高い地域であり、現在は喫茶店の多い街として知られている。個人的には喫茶店が存続している地域は好みであり、文化レベルが高いと尊敬している。
そのせいで弘前には足繁く訪れているのだが、なんといっても弘前の食は北海道の食にとって最大ルーツであり、個人的には自分との相性が抜群に良いからだ。

津軽料理の最高峰としてあげたいのが「いがメンチ」だ。いかではなくイガ と濁音になる。正確には『ガ』でなく鼻に抜ける鼻音のGu-Aだと思うが。これがうまい。店によって味付けも違うが、どれもうまい。一番うまいと思っているのは、弘前バスセンター側にあるショッピングセンターの惣菜やのものだ。
弘前の居酒屋に行けばどこの店でも食べられる。(はずだ)一度自分で作ってみたいとも思うのだが、いまだに果たせていない。

弘前に行って、イガメンチを肴に弘前の銘酒豊盃でいっぱいやるのが無常の楽しみで、この時も恐山の風景を思い出しながら堪能した。

弘前で胃がメンチを食べてしまえば、あとはもう帰るだけ。ここから東北日本海側を新潟まで抜けてサクッと帰るつもりだったのだが、なんと大雨の影響で一部路線が普通となり、青森秋田間の途中で代行バスに乗り換えるというハプニングもあり、盛りだくさんな帰り道になった。

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東北一筆書きの旅 目的地へ

青森県北東部にあるむつ市からバスで小一時間かかる山奥に霊山「恐山」がある。高校生の頃から一度は行きたいと思い続けていた場所だった。青森県は仕事で何度も行き来していたが、八戸市や青も森市など都市部での仕事ばかりで、そこから移動時間4時間ほおかかるお山の中には行く機会がなかった。
むつ市に行くのもそれなりに大変な時間がかかるのだが、そこから恐山までがまた遠い。恐山行きのバスの本数が少なく、おまけに一度行くと帰りのバスまで待ち時間が3時間もある。たっぷりと時間を使って恐山を堪能せよ、というバス会社の心遣いらしい。
バスを使った感想として言わせてもらうと、むつ市でレンタカーを借りた方が良いのではないかなあ。

この光景を見るまでに40年近くかかったことになるが、我が人生でどうしても言っておきたい場所の最後であり、もう心残りもない。わざわざくる意味があったと思う。

ちなみに、恐山以外でどうしても行きたかったところは、出雲大社と高野山と対馬だったが、これも無事に終了している。出雲大社は4回行った。高野山は半日かけて歩き回ったし、対馬はレンタカーを借りて島の神社巡りをした。北海道の片隅で生まれ育った身としては、全国をよく巡ったものだ。旅に関しては思い残すこともない。風光明媚なところではなく、妙に宗教的な場所に偏りがあるが、決して信心深いわけでもない。


唯一未達成の地であるのがインドにあるタージマハールだが、これはあくまで夢のまた夢としてとっておいて良いかなあ。

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東北一筆書き 岩手から青森

盛岡はコンパクトで良い街だ。JR駅前はビジネスホテルがひしめくちょっとした繁華街だが、なぜか全国チェーン店の集合場所になっているので、旅先の風情を嗜むところではない。ただ、地元民にとってはそこそこ使い勝手の良いチェーン店街だろう。
冬の盛岡はそれなりに雪が多いので歩きにくいが、夏であれば駅から城下町界隈に向けて、歩くにはちょうど良い距離で散策が楽しい。

盛岡に行ったら必ず買ってしまうものが、福田パンのコッペパンだ。駅から離れたところにある本店まで行けば、その場で中身を指定して注文できる。いちごジャムとあんこなどのように半々で注文も可能だし、調理パン的なものとデザートパン的なものなど、ラインナップは実に豊富だ。問題は駅から遠い、かなり遠いこと。


最近では旅行者向けに新幹線の改札口を出たところで売っているので、初心者は(?)ここでお試しパンを買うと良い。中身の半々にしたものが欲しければ本店に行くしかないが、感じを確かめるにはこれでも十分だろう。
福田パンは普通にパンを製造販売しているので、スーパーに行けば各種パンが並んでいる、岩手県では定番パンメーカーだ。時間に余裕があればそれを探してみるのもおもしろい。

盛岡駅で福田パンを調達したあとは、JRからあおい森鉄道に乗り換える。新幹線開業とともに旧東北本線が青森盛岡間に限り第三セクターに移管された。三セク鉄道でありながら、青森県と岩手県を繋いでいる珍しい路線だ。普通は、県境で経営が分断される。新潟、富山、石川をまたぐ旧北陸本線がそうだった。九州も肥薩線が二鳥な形で鹿児島県内の一部が分離された。こうした三セク鉄道は青春18きっぷが使えな行くなっていう流ので、普通列車の一筆書きタジをする時は難所になる。

JR東日本のフリー切符は、この青い森鉄道も利用できる。青春18きっぷでは利用できない路線なので、盛岡から青森に行くためには盛岡から田沢湖線を使い、奥羽本線に乗り換えという面倒くさいことをしなければならない。
それが嫌であれば福島から奥羽本線に乗り換えるべきだろう。仙台から山形に抜けて奥羽本線というルートもあり、こちらの方が便利かもしれない。
ただし、奥羽本線の普通列車はとてつもなく本数が少ない。まあ、その不便さを楽しむのも青春18きっぷの隠し味かもしれないのだが。

あおいい森鉄道で八戸駅に着くと、そこからまたJRに乗り換えて本八戸に移動すした。八戸市中心部の最寄駅であり、繁華街までは徒歩圏にある。八戸には屋台村があるので夜歩きは楽しいのだ。
翌日は、この度の目的地を目指すことになる。

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東北一筆書きの旅 岩手県へ

一筆書き二日目の旅は、仙台から一関に向かい、ちょっと待ち時間があるが乗り継いで花巻へ。その後、盛岡でJRから青い森鉄道に乗り換え。ゴールは八戸だ。距離的には長いが、花巻で立ち寄りたいところがあるので一日の日程としてはほぼ一杯となる。
一関は有名な世界遺産である金堂の近くであり、北東北の入り口にあたる。新幹線の駅は在来線の駅と繋がっている。平泉観光する場合はちょっと在来線を使えば最寄駅にいけるが、ちょっと面倒くさいので、ここでレンタカーを借りると便利だ。

この年は、なぜかピカチュウがお出迎えしてくれたが、どうやらJR東日本全体でのタイアップ案件だった模様。詳しい理由はわからないが、金持ち企業であるJRは意外なコラボ企画を度々実施している。夏休みに子供にせがまれて親がスタンプラリーであちこちに行くという需要喚起キャンペーンだ。当然ながら、新幹線駅は対象外で在来線をフルに活用することになる。
商魂逞しいというか、あざといというか。まあ、青春18きっぷも似たようなもので、対象が子供ではなくジジイという違いだ。ジジイに向けたタイアップ企画を考えるとすれば、キャンディーズとかピンクレディーなどのアイドル系だろうか。3人娘の企画はあれこれ難度が高そうだ。

その一関で乗り継いで向かったのは、一関と盛岡の中間にある花巻市だ。一般的に有名なのは、あの宮沢賢治ゆかりの地、それに尽きるのだが自分の場合は食堂だ。
花巻の中心部にあった百貨店が閉店して、その大食堂だけが復活した。ありし日の大食堂をそのまま残しているので、市民だけではなく観光客が押し寄せる繁盛店になった。
ジジイキラーなコンテンツというべきだろう。ファミリーレストランが冷えてしまい、その影響で消滅したデパートの大食堂だが、寿司・ラーメン・洋食・カツ丼………何dでもあるメニューはやはり魅力的だ。おまけに昭和の大定番デザートである、プリンアラモードが生き残っている。ジジイが食いつくわけだが、自分もその一人であり年に一度は行きたくなる。

最大の魅力的なメニューは、箸で食べるソフトクリームで高さは通常のソフトクリームの二倍くらい。旨い不味いを超越した「悪魔的魅力」がある。

不思議なことにこの大食堂のヒットを見ても、外食企業の誰もがコピーを作ろうとしないことだ。現代のファミレスは厨房の調理能力が著しく低下しているので、これだけの多種多様なメニューは展開できないということかもしれない。ただ、どこかに突破口はあると思うのだがなあ。配膳ロボが行き交う体育館みたいな店を想像しているとワクワクしてくるのだが。

花巻でソフトクリームを堪能したあとは、盛岡までほぼ1時間の移動。盛岡の夜も仙台にも増して楽しいのだが、この時は日程の都合上でスルーとなった。盛岡といえば冷麺と民藝居酒屋で決まりなのだがなあ。残念。一気に八戸まで北上する。

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東北一筆書きの旅  仙台で何をする

東北の旅初日は仙台に泊まる。頑張れば盛岡まで行けるが、そうすると到着時間は夜遅くになる。それではただ寝るだけで楽しみもない。東北の街は仙台を除くと夜が早い。10時を過ぎると大半の店が閉まってしまう。深夜営業の店も見つからないので、ヘタをするとコンビニ弁当で晩飯という情けないことになる。やはり、早めに到着してゆっくりと地場の旨いものを堪能したいものだ。まあ、仙台は大都市なので例外的に朝まで賑やだが。

仙台名物といえば牛タンと笹かまぼこだが、牛タンの人気店ば予約なしで入るのは難しい。チェーン店であれば店にもよるがふらりと入れることもある。旅先のちょっとしたあるあるだ。あとは意外と知られていないが、マグロがうまい。気仙沼上がりのマグロが安く食べられる。
マグロを食べるとなればこの店が外せない。仙台で一番お気に入りのお居酒屋だ。何店か支店もあるので、行きやすい場所の店を選べば良いのだが、コロナのあとは閉店してしまったところもある。よく行っていた店は閉まっていた。


この店でマグロとカツカレーライス抜きを注文するのがマイ定番だ。創作料理系の居酒屋なので行くmたびに面白いものが置いてある。仙台に行くなら外せない。
時間があれば、北京飯店という仙台市民には有名な低価格中華店にも行くのだが、仙台の街中には街中華が何店も生き残っているので、そちらに行くのも良い。

また、昭和から生き残っている飲屋街というか横丁もあちこちにあるので、その中の一軒も忘れてはいけないのだが、いつも混み合っている。席が空いていることは少ないので、ふらりと入入れたらラッキーだ。いろは横丁は良い店揃いなので、もし満員の時は近くの店を探せば良い。

仙台は仕事でずいぶん通ったので観光はなし。食べるものも名物には手を出さない。地元の有名名鮨屋(大衆価格店)に行ってホヤを食べるくらいだろうか。

仙台は気候が過ごしやすい。夏はお江戸ほど暑くなく、冬は多少寒いがあまり雪も降らない。実に過ごしやすい場所なのだ。もし、日本のどこかに引っ越しをするとしたら、間違いなく一番候補は仙台だ。適度に大都会で、適度に公共交通網があり、適度に田舎に近い。二番目の候補は博多だったが、最近は外国人観光客が溢れていてちょっと息苦しい街になった感じがする。だが、食事は旨い街だから捨てがたい。

ちなみに仙台ー東京は新幹線で最短1時間40分。ギリギリ通勤可能な場所であり、日帰り旅行も可能だけれど、やはり日程には余裕を持ってのんびりするのが良いと思います。近くに有名な秋保温泉もあるし。

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東北一筆がきの旅 続き

JR普通列車を使い東北旅をする時にお江戸方面から北上するルートはいくつかある。一番わかりやすいのが上野ー宇都宮ー福島ー仙台と移動する新幹線並行ルートで便数一番多い。乗り継ぎの待ち時間がほとんどない。
それと比べるとちょっと難度が高いのが、上野ー水戸ーいわきー仙台という海側ルートだ。これは特急ひたちのルートなのだが、普通列車は直通しない。何ヶ所かで乗り継ぐのだが、待ち時間もの長い。いわきと仙台の中間駅が「はらのまち」だった。


乗り継ぎ時間が1時間以上あるので、一筆書きの旅では最初の難所だと言える。その待ち合わせ時間を利用して駅前を歩いてみた。
有名な相馬野馬追の街だった。こんな待合時間でもなければ、おそらく訪れることがないところだろう。駅前には図書館を含む文化施設があり、そこを覗いたりしているうちに待ち時間はすぐになくなってしまった。
旅先で巡り合う予想もしない出会いが、実はソロ旅らしい楽しみだ。

野馬追は古代大和の時代まで遡る由緒のあるお祭り?らしいのだが、当時の小さい馬ではなく現代の大型馬で催しは行われているようだが、まあ、そこまで史実を再現する必要もないとは思う。

福島県太平洋沿いの地域は、東日本大震災の後始末を含めて旅先に選ばれることは少なくなったようだが、普段とはちょっと違うルートで旅をすると、色々と楽しみが増えるのではないかなあ。ちなみに、こちらのルートはやはり青春18きっぷユーザーは少なかった。

乗り継ぎの待ち時間が少ない短縮するルートは、同じような人たちが大勢乗っている。東海道本線などは、10人単位で乗車している感じがする。同じ列車に朝から晩まで同乗しているので自然と気がついてしまう。その同類的な感じはいささか気恥ずかしいものがある。と言って、話しかける気にもならないのだが、たまに話しかけられるといささか面倒になる。終点まで逃げ場がないからだ。
ソロ旅をしたいと思っている人は、ちょっとルート選定を考えた方が良いみたいだ。

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グルッと東北 一筆巡りの旅 

日立駅の待合室はとても快適でありました

2022年の今頃、コロナにも慣れてしまい第⚪︎波などと言われても、大半の人があまりビクビクしなくなっていた頃、JR東日本を普通列車で一回りした。JR東日本は七日連続普通列車乗り放題というお得な切符がある。あの青春18きっぷよりちょっとお得なので、東日本を回る時はお買い得なキプだ。
上野ー水戸ー日立ー仙台ー盛岡ー八戸ー青森ー弘前ー秋田ー酒田 ー新潟という一筆書きのルートだった。
昼飯は乗り継ぎ時間を使って駅弁を食べようと思っていたので、初日は水戸で買った駅弁をいわき駅構内の待合室で食べた。

なんとも素朴なルックスの駅弁だが、実は駅弁はこうしたシンプルなものがうまい。我が駅弁ベスト3は、横川駅 峠の釜飯、山形 牛肉ど真ん中、大館 とり弁なのだが、どれも見かけはシンプルなものだ。
しらすに梅干しという組み合わせは、日本の弁当の原点みたいな感じがした。旅先の駅弁はなぜあんなにうまいのだろうか。コンビニ弁当もこういう物を教材にして組み立てれば良いのになあ。

東日本の有名駅弁の大半は東京駅構内の駅弁屋で手に入る。たまに駅弁を食べたくなると、東京駅経由での移動を考える。ただ、あまり新規弁当に手を出すことはなく、我が定番的なものばかりになるのは仕方がない。新規に手を差し失敗するのを嫌がる後ろ向きな思考が強くなっているせいだ。

駅弁といえば福島県郡山で手にはいる海苔のり弁当も好物だが、終売になってしまった会津街道蔵出し弁当がっ秀逸だった。なぜか好物の弁当は東日本に集中していて、名古屋以西の駅弁にはあまり惹かれていないのが不思議だが。

青春18きっぷは利用方法が改定され使い勝手が悪くなったと不評だが、連続移動を前提とすればJR東日本の限定きっぷはなかなか重宝する。できれば年中使用できるようにしてもらえないものだろうか。首都圏以外では、朝夕のピークを除けば普通列車が混雑することはない。空席を活用しての鉄オタ向け切符はもう少し充実しても問題はなかろうと思うのだがなあ。
駅弁スタンプラリーと合わせての企画切符なども面白いと思うけど。

ちなみに時刻表を駆使して、一筆ガキの旅を計画する時が、実は一番楽しい。旅の楽しみは計画を立てることなのではないか。実際に旅をするよりもあれこれ計画するのがもっとも面白いと思っております。

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コロナの前に行った場所

2019年撮影のオムライス

岩手県花巻市に元百貨店だったビルがある。その中に「大食堂」が生き残って営業しているのだが、名物はオムライスとソフトクリームで、わざわざそれを食べにくる観光客が多い。自分もその一人で三度ほどこの大食堂に行ったことがある。
エレベーターを降りたろ頃にガラスのサンプルケースがあり、そこで選んだメニューを食券売り場で買い求める。
席に着くとウエイトレス(もはや死語だなあ)が食券を撮りにきて、版権をテーブルに残していく。誠に由緒正しい、デパートの大食堂システムだ。

個人的にはこの大食堂システムを復活させたいと思っていたので研究を合わせて何度か訪れたのだが、さすがに花巻は遠い。おまけにこの元百貨店ビルは駅から遠い。バスも利用できるが、基本的にはタクシーかバスになる。
某「孤独……………」の一人飯番組でもこのレストランが登場したが、確かに中高年のおっさん、一人旅風な客が多いので、お江戸界隈でこのコンセプトはいけると思うのだがなあ。

そんなことを考えているうちに、あのコロナが襲来してきて日本外食業界は3年の冬眠に入る。3年も経てば人の意識も随分と変わってしまい、「昭和・平成」の食文化が壊滅状態になった。
「令和」の時代にこの大食堂コンセプトが成立するか、ずうっと考えているのだが、どうやら時代の波は様変わりしたようで、これは難しいかもしれないなと思うようになった。

要因はいくつかあるが、最大は対象人口の急減、そして外食産業における多国籍従業員化にある。次の時代の主力コンセプトは現在進行形で変化しつつあるはずだが、どうやら先が見えてきた。
すでにデパートの大食堂は絶滅危惧種であり(デパート自体が消滅しているのだから)、その最後の牙城である、この「大食堂」だけはナンとか生き延びてほしいものだが。

MLBの大スターがこの街出身なので、彼がなんとかしてくれないものだろうか、などと他人任せなことを思っている次第。

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濁り酒でアウトドア

濁り酒が結構好きで、キンキンに冷やしたやつが良い。濁り酒は甘さが強いので、淡白な味付けのもの、刺身や塩焼きの魚などにはあまり向かない。ガッチリと甘辛に味付けした豚肉を焼いたものとか、ハンバーグなどが相方として向いているのではないかと思う。
濁り酒は元々の日本酒、つまり清酒が誕生する前の日本酒に近い。米を麹で一次発酵させたものが日本酒の原型らしいのだが、あまり秘術のいらない素朴な酒なのだろう。江戸期になるまで濁酒は貧乏人が、清酒は金持ちが呑むものであったらしい。
現代では濁酒も清酒も工程の違いはあれ、金額的には大差がない。濁酒は安酒ではなく嗜好品として売られているし飲まれている。

濁酒の歴史は明治期に一度殺されかかった。当時の政府が酒税をかけ始めたときに、いわゆる脱税密造酒として田舎街では盛んに作られたらしい。その密造所に大蔵省の官憲が踏み込んで大立ち回りをすると言う事件が全国で相次いだそうだ。今の時代で言うと各区製剤などの薬物取り締まりに近い、強行捜査も行われた。麻薬GメンならぬどぶろくGメンだ。

大袈裟に言えば、官憲の弾圧に抵抗する大衆反乱みたいなものだろう。その弾圧があまりに強く、どぶろく作りをするものは激減した。田舎の親父が納屋でこっそり自分が飲む分を作っていたとしても逮捕されたそうだ。官憲は横暴が許された時代で、どぶろく作りはすっかり地に潜った。そのどぶろくが公に製造を認められたのは、小泉内閣時代の特区制度だったと記憶している。
弾圧を受けずにどぶろく作りができる(書類申請は面倒くさいが)ようになったにも関わらず、どぶろく作りに挑戦するものは少なかった。日本酒の人気が凋落していた時期に当たる。甘の弾圧は文化を破壊する典型である、と一人で憤慨していたのを覚えている。

どぶろく、濁り酒は発酵を止めていないものがうまいのだが、それだと流通段階で発酵が進み飲めなくなる。(すっぱくなるのだよ)
そのため、冷蔵物流で温度管理をしっかりとして、かつ短い期間で飲み切る必要がある。それが、当時のどぶろく、濁酒には高いハードルになったようだ。
今では、酒造りも技術が進み夏冬関係なく製造される。当然、どぶろくも年中作れるはずなのだが、どうも温度管理問題のせいか、冬場になると出回ることが多い。夏には見かけなくなる。
だから、ちょっと奮発してお江戸の百貨店に出張って「夏の濁り酒」を調達したりもするのだが、あまり銘柄は多くない。やはりお江戸までの流通はあれこれ課題が多いのだろう。

どこかに旅をしたときには酒屋を除いて、地元の酒蔵の酒、とくに濁り酒を探すのが楽しみなのだが、そうしたコレクションの一つがこの時のもの。(だったはず…………)

そろそろ秋のキャンプシーズンなので、濁り酒を探しに行くとしますか。