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街を歩く

贈答用野菜という 知らない世界

新宿の百貨店地下の食料品売り場は、ちょっと変わった調味料を手に入れるため、時々立ち寄る。スーパーなどでは見かけることのないローカル調味料が揃っているのがありがたい。今ではすっかり珍しい「江戸の甘味噌」も売っている。徳川家康が江戸入府した時に、いろいろな職人を三河から連れてきた。その時に、岡崎の八丁味噌職人もいたようで、江戸では八丁味噌のような甘味噌が主流だったそうだ。
何年か前に読んだ料理本の受け売りなので、正確ではないかもしれない。ただ、今でも東京に一軒だけ江戸甘味噌を製造する味噌蔵が残っていて、そこの味噌が「味噌コーナー」の中で、信州味噌や仙台味噌に混ざって売られている。
この日も、その江戸甘味噌を買いに行った。ちなみに、その味噌の色目は八丁味噌よりも濃い、「黒」と形容したい濃さだ。野菜をたっぷり入れた味噌汁にすると、なかなか良い具合の色調になる。
その味噌買い出しの時に気がついたのが極太アスパラで、贈答品のような立派なパッケージに入っていた。お値段も、家庭使いにはなりそうもない。一本あたり400円程度になるので、これはアスパラが主役の料理にするしかない。添え物・副菜としてはありえない高価格品だ。ちなみに、この野菜売り場の隣が鮮魚店なのだが、そこでは冷凍の魚が一匹4-500円で売られていた。冷凍カツオたたきでもワンパック500円くらいだった。
名前通り「王様」級のアスパラだった。メロンや高級フルーツトマトが贈答品に使われるのは当たり前だが、アスパラがギフトになる時代なのかと、改めて感心した。昔、実家の庭にはアスパラが何本か植えてあり、朝方に庭に出てその日の朝食にするアスパラを何本か抜いてきた(切ってきた)ような記憶がある。アスパラとは庭に生えている?雑草の親玉くらいの感覚しかなかったから、それがギフトになるというのは違和感があるといえば「ある」のだ。
昭和は遠くになりにけりで、住宅地でアスパラを植えような習慣もすっかりなくなっているとは思うが、自宅の猫の額ほどの庭でまたアスパラを育ててみようかという気になった。
ちなみに、子供が小さい頃には教育的見地で、アスパラを2〜3年育てていた。関東でも自宅用であればアスパラ栽培は可能だし、太さや長さにこだわらなければとれたてのアスパラを美味しく食べられるのだよね。

街を歩く

西武秩父駅 夢の跡?

この冬は、秩父行きのお安い切符のおかげで何度か秩父に行った。お目当ては洋食屋だったり、漬物を買うためだったり、街をぶらぶら歩くだったりだが、夏に汗だくで歩くより冬の寒さに耐える方が余程マシだということもある。
夏に札所巡りをした時は、本当に死にそうに暑いと思ったものだ。秩父は盆地なので、夏の暑さと湿気には相当なダメージを受ける。秩父を有名にしたアニメは、夏の日の出来事がテーマだったから夏に遊びに行ってみたが、やはり街歩きの時期はもう少し涼しい時の方がおすすめだ。蝉の声に青空に入道雲的な夏光景は、画面の中で見るだけで良いと思ってしまう。

西武秩父駅の中にあった立ち飲みコーナーが改装されていて、おしゃれな角打ちになっていた。ここで酒を飲むのはどんな人たちなのだろう。西武秩父鉄道を通勤駅とするオヤジがどれくらいいるのか興味があるのだが、オヤジ達の飲み屋タイムに合わせて観察に行くのも面倒くさいというか、秩父で酒を飲んで自宅まで帰るのはちょっと遠い。おまけにヘタをすると電車の中で寝過ごしてしまい、自宅近くで降りないまま池袋まで行ってしまいそうだ。
都内で最近営業再開した立ち飲み屋もオシャレな感じになっていたが、サクッと立ち飲みというスタイルは、親父のものではなくなり、もう少し若い世代の客が増えたのかもしれない。

西武秩父駅は行き止まりの終点駅だが、この先200mも延長すれば秩父鉄道と直接つながる。その先は、荒川を渡ることで長野県南部までの延伸は可能だ。昔々は、軽井沢までつなげる計画があったというが、その路線を想像してみる。秩父の北西部に続くところは山間の隘路で、山を越えて群馬県下仁田から軽井沢に抜けるコースは相当な難工事だったのだろう。だから、このホームの先の行き止まりは、見果てぬ夢の跡という感じが漂う。終点駅というのは、どこに行っても、この残念な感覚、もう少し先まで伸びていきたかったんだぞ的な鉄道マン達の無念さみたいのがあると思うのだ。ローカル線の旅は、終点駅の旅でもあるのだね。

街を歩く

カツカレー行脚@池袋

池袋の南側、ジュンク堂の隣にある洋食店は、時々無性に行きたくなる。昔は東京東側に密集していたジロー系の洋食に似ていると思っているが、ジローはほぼ揚げ物専業店のようなところがあり、メニューバリエーションで言えば、こちらの方が数段優れているような気がする。
お気に入りの洋食屋の条件はシンプルに一つで、オムライスがうまいことだ。特に、オムライスの上に真っ赤なケチャップがかかっているのが必要条件だ。ケチャップの代わりにデミグラスソースがかかっていると残念というか、自分的には圏外扱いになる。
この店は、オムライス以外にもあれこれお気に入りの食べたいメニューが多いので、実にありがたい。大衆食堂的な洋食キッチンとしてイチオシだ。

日替わりメニューもなかなかボリュームがある構成だが、この店で日替わりを注文したことはない。定番メニューに食べたいものが多すぎて、日替わりまで注文が回っていかない。それもちょっと悲しい。オフィスがこの近くにあるサラリーマンが羨ましい。
この店の定番はオリエンタルライスという、野菜肉炒めが乗っかったライス(カレーライス的なオン・ザ・ライスなかけごはん)だが、これを頼むのも10回に一回ぐらいだろう。オムライスとカレーのヘビー・ローテーションで精一杯だ。空腹度が高い時には、追加で単品注文をすることもある。メンチカツは注文することが比較的多い。

どいつもこいつも絶対美味いに違いない 腹ペコキラーだ

カレーに限っていうと、選択肢は多くなり悩ましい。基本的にとんかつ、チキンカツ、メンチが定番のトッピングだ。たまにチキンカツ・カレーを頼むこともあるが、今日はトンカツ(ロースカツ)カレー一択だ。揚げたてのカツが、超絶的にカレールーと合う。
まずカレールーの黒さに嬉しさが込み上げる。蕎麦屋でよく出てくる黄色いカレーも、あれはあれでありだと思うが、やはりカレーは黒っぽくてドロドロしているものが美味いという気がする。ただ、これは、中学生の頃に刷り込まれた「外で食べるカレーは黒い」という呪縛から逃れられていないだけだ。
多分、黒いカレーは一人で外食した最初の経験だったはずだ。まだファストフードがおしゃれでファッションだった時代だったから、中学生にとってファストフード店は一人で入るには敷居が高く、カウンターだけのカレー屋に入ったのだと思う。もう少し時代が後であれば、ハンバーガーが一生かけて食べ続ける大好物になっていた可能性はあるが………
それ以来、ドロドロカレーは「類まれなるご馳走」として我が人生の中に記憶されているのだ。そのご馳走が、カツカレーという贅沢なものに進化するのは、その後数年が必要だったが。

この黒カレーにカツという組み合わせを改めて見てみると、何やら金沢カレーを思い出す。食器がステンレスの銀の皿に変われば、全く同じようなものではないか。金沢カレーも機会があればせっせと食べているが、このことには初めて気がついた。やはりこれは食の世界で起きた平行進化というものだろう。
似たようなものに「豆パン」とか「羊羹パン」の例がある。地理的に離れた場所で同時に生まれ進化したものらしい。それとは異なり、元祖があり、そこで修行したり、強い影響を受けて独自に開発されたメニューに「ソースカツ丼」がある。ソースカツ丼も全国各地で名物料理として名を馳せているが、どうもルーツは一箇所に同定されるようだ。
大阪でもご当地限定カレーチェーンはあり、そこもドロドロ系カレーを出すが、色味はあまり黒くない。これは、帝国海軍にルーツを持つジャパニーズ・カレーの系譜の中で、異形に進化した「なにわバージョン」らしい。カレーにソースをかけて食べるという食文化と相まって、同じ名前で違う食べ物的な楽しさがある。

この店の最大の「推しポイント」は、カレーを頼んでも豚汁がセットになっていることだ。洋食屋のはずだが、なぜか豚汁がうまいのも不思議と言えば不思議だが、これぞ大衆食堂としての洋食キッチンのプライドだと思う。一度、豚汁を大盛りにしてもらってライスだけで食べる、豚汁定食みたいな注文をしてみたいが、きっとその時はカレールー別添えにしてしまうのに違いないから、無駄な抵抗だな。

ソロキャンあれこれ

市街地キャンプ場の楽しみ方

Amazonのテントは、お手軽遊び向けでコスパ良し

NHK-BSの番組に、テントを背負って………という番組がある。大きめのリュックサックを背負って、山や海に出かける。歩いて、泊まって、翌日はまた歩く。テントの横で、簡易調理をした夕食を食べる。それだけのシンプルな構成だ。野遊び好きな人には、過不足ない満足を与えるだろう。ただ、こちらは野遊びというか、野山を歩き回りはしないノン・トレッキング派なので「いやいや、この寒い時に雪の野原を歩くとは……」とか、「低い山とは言え3時間もかけて登るのか………」などと、お気楽な感想を抱くだけな自堕落ぶりだ。
その番組内で気になっているのは登場するアウトドアギアで、NHK番組だけありブランド名がはっきりとは露出しない。そのブランド名のチラリズムを楽しんでいる。だから、わざわざ録画して何度も再生し、テントのブランド名やガスストーブのメーカー名を見つけ出しては喜んでいる。
何が言いたいかというと、アウトドアギアではブランド名が命だ(大袈裟だが)と思っているからだ。ただ、それは冬山登山のような命に関わる環境でサバイバルする時に必要な機能で、いつも遊びに行っている都市近郊のお手軽キャンプ場では全くオーバースペックというしかない。100円ショップで売っているアウトドア用具は、その点でなんちゃってキャンプにはちょうど良い仕様だと考えている。

ダイソーフライパンは、お手軽ャンプ向けにとてもおすすめ品

ダイソーで売っていた300円のアウトドア用フライパンは、まさにその典型というべき代物で、フライパンというより縁に高さがついた円形鉄板といったものだが、一人で焼肉をするには重宝する。カセットコンロに乗せるとちょっと小さいので滑りやすいが、下敷きに網を置けば全く問題はない。
何より、焚き火の上に乗せて乱暴に扱うには、お値段の安さもあり抜群にコスパが良い道具だ。付属の持ち手では短すぎて、焚き火調理には不向きだが、そこは火挟みやバーベキュー用トングを使えば難なくクリアできる。
昔々ダイソーで買った鉄のフライパンと合わせて使えば、お高いチタン製調理道具など目ではない。何度か使えば、全体にしっかり焼きが入って黒くなることを期待しているのだが、その前にサビが出てくるかもしれないなあ。

夜になると気温が下がる春先キャンプなので、焚き火で湯を沸かし熱燗にしようと持ってきたのが、ワンカップの日本酒だ。全国ブランドのワンカップはスーパーなどで簡単に手に入るが、ローカルメーカーのワンカップは銀座周辺のアンテナショップに行ったついでに調達してくる。飲んだことのない酒蔵の酒をお試しするにはちょうど良い。この時期であれば、まだ濁り酒も売っているので、飲み比べをしながら焚き火を続ける。
ソロキャンプは、当たり前だが誰とも話すことがないので、自分の周りは環境の音しかない。この時も、陽があるうちは鶯が鳴いていた。夕暮れになればカラスがやってきて大声で鳴いていた。知らない鳥の声も聞こえたが、それ以上に周辺を走るトラックの音が響いてくる。周りが音を遮るものが少ない平地なので、かなり遠くの幹線道路からの音が伝わってくる。
そして陽が沈むころには、鳥がネグラに帰るように、入間基地と横田基地に帰ってくる?輸送機の爆音が連続して20-30分ほど聞こえていた。あと何回かこのキャンプ場にくると、輸送機のエンジン音を覚えて機種が推定できるくらいになれそうだ。
戦前昭和の軍事オタク少年は、陸軍海軍の戦闘機、攻撃機などの機種のエンジン音が聞き分けられたそうだが、それに近い軍オタレベルに到達できそうだ。爆音で空を見上げると、頭の上に機体がはっきり見える低空飛行している。主翼とエンジンの取り付け位置すら確認できる。
だからと言って、それがキャンプに来て覚える楽しみではなさそうだが。

キャンプ場といえば、周りに人家もなく夜は真っ暗闇みたいなイメージがあるが、ここは意外と明るい。首都圏の郊外市街地キャンプ場では、都市の灯りが空一面に広がっているので、暗闇というより白夜的な明るさがある。その都市光を背景に浮かび上がる雑木林というのも、なかなか趣はあるものだが。これもキャンプ場の楽しみとはちょっと違う気も……………

街を歩く

唐揚げや改め蕎麦屋へ業態転換?

自宅近くのスーパーに買い物に行く途中で気がついたノボリに、なんだかあれこれ考えさせられた。この店は今や風前の灯的な、業態全体が衰亡してきている「唐揚げ専門店」だ。コロナのお手軽テイクアウト、宅配需要を受けて急成長した唐揚げ屋が、これまた急速に閉店しているのは、やはり「専門性」に欠けるありふれた味だったことと、鶏肉の値上がりを価格転嫁できないことに尽きるのだと思う。
甘とろから揚げ丼という商品は、なんとなく理解できる。唐揚げ定食の簡易版として「唐揚げ丼」がメニューにあり、そのソースバリエーションであれば「甘とろ」はアリだと思う。ただ、豚カツとカツ丼の関係が、鶏唐揚げと唐揚げ丼で成立するかと言えば、それは無理線だろう。
物性的には、トンカツが平面的な比較的薄い食べ物であるのに対し、唐揚げは球状に近い厚みのある食べ物だ。カツ丼はタレや卵とカツが絡みやすいから、白飯とのバランスが良い。簡単に言うと米とカツが同時に口の中に入る。
唐揚げを丼にすると、肉の厚みのせいで、このコメと唐揚げの一体感が作りずらい。唐揚げをひとかじりし、続いてコメを別途投入するという2段階工程になる。それをカツ丼のように、一工程で対応するとして「薄い唐揚げ」にする手はあるが、ビジュアル的にはボリューム感がなくなり厳しい。そもそも、薄い唐揚げとチキンカツの違いが微妙で、唐揚げ丼ではなくチキンカツ丼になるのではないか。唐揚げがらみであれこれ考えてしまった。
それ以上にびっくりしたのが、つけ汁蕎麦のノボリだった。唐揚げ屋から蕎麦屋に業態転換したのかと思ったほどだ。

あまりに気になって店舗の入り口まで確かめに行ったが、まだ唐揚げ屋だった。ただ、入り口脇のバナーは蕎麦になっていて、どこかで聞いたような「野菜マシマシ」なつけ蕎麦らしい。おまけに唐揚げがついているとは言え、つけ蕎麦で1000円越え(税込)とは、これまた腰が抜けるほどびっくりした。唐揚げ定食の値段を考えると、ちょっとぼったくり価格的にも見えてしまう。
蕎麦を提供するには専用の機器や什器を入れなければコストダウンは厳しい。既存の厨房を使い回し、無理やり冷凍麺を導入してなんとかメニューを広げようとしても、オペレーション的には想像以上の膨大な負荷がかかるはずだ。
以前に客席から覗き見たこの唐揚げ店の厨房(オープンキッチンなのでかなり良く中まで見える)は、よくできたコンパクトなものだった。あの中のどこに麺のラインを入れたのだろう。おそらく、冷凍麺のコストをオペレーションで吸収しきれなかったから、この値付けになってしまったのだと思うが、やはり無理があるような気がする。
そんな無理をしなければならないほど、「からあげ業態」が悪化しているのか。だとすると、このチェーンでは主力のファミレス業態を唐揚げとのWブランド化しているのも、もはや得策ではないだろう。コロナの後遺症は中小規模の飲食店より大チェーンの方が厳しいようで、このままでは年末に向けて大規模合併が起きそうだな、などとまるで他人事のような感想を持っております。いや、たしかに他人事なんですけどね。

ソロキャンあれこれ

グッズ試用で早春キャンプ

良くも悪くもAmazon品質 コスパは良いが、登山などには向かないような………

春めいてきて気温が上がった日に、のこのことキャンプに出掛けてきた。家から車で20分ほどの近場キャンプ場だが、平日は空いている。週末は予約が取れないほどの混雑ぶりらしいが、平日であれば翌日の天気を見て予約をすることもできる。当然雨の日は避けるので、タープなどの大道具は必要ない。
冬場に手に入れていたいくつかの道具のお試しも兼ねてのお気楽キャンプだったが、花粉飛散はピークを迎えているので、アウトドアには全く向いていない季節だという自覚はある。薬を用意して野外に行くというのも何だか変な話なのだが。
さて、Amazonのタイムセールで手に入れた1-2人用テントは、お値段がワークマン並みでお手軽なものだが、作りは普通で廉価版製品にありがちなチープさはない。(厳密にいえば細部のこだわりはないのだが)ただ、山登りのような厳しい環境で使用することは個人的に全くあり得ないので、これで十分だろう。今回は初めて組み立てたのでちょっと手間取ったが、テントとしては基本的な構成なので、次回以降は15分もあれば設営完了だろう。
翌日になってバラす時に気がついたが、前室あたりの結露が強い。通常であればフライ天井部分が結露の多い箇所だが、ベンチレーションの穴が空いているせいで、天井の結露はほぼない。これは、撤収時の乾燥工程が早いのでありがたい。
風も吹いていないのでペグだけ打って、ロープは張らずじまいだった。形が歪んで見えるのはそのためだ。二人寝るスペースはあるが、それを一人で使えば荷物を置くのにも困らず、天井部分が高いので閉塞感もない。携帯時のサイズもそれなりの大きさだが、車移動であれば気にならない。

キャンプ用のテーブルは組み立て式でコンパクトになっているものも多いが、値段がずいぶんなのだ。山登り用のヘビーデューティーな性能は必要ないので、ホームセンターなどでお手軽価格なものを探すと、これがまた結構簡単に壊れてしまったりする。そんなこともあり、ガーデニング用の木製折りたたみテーブルを使っていたが、ワークマンの製品が年式落ちで処分セールになっていたのでハイ・ローテーブルを一つずつ買ってみた。
大きさ、強度は十分だし、天板が金属製なので鍋などの熱いものも置ける便利さだ。組み立ては、慣れればどちらも5分はかからないだろう。ただ、個人的な感想を言えば、ローテーブルはニトリのキッチン棚(大)のステンレスフレームの方が、組み立ても簡単だし軽いので使い勝手は良いような気がする。今年のワークマン新作はなかなか良さげだが、今更テーブル入らないし。これで10年は十分に使えそうだ。良い買い物をした。

焚き火をすると予想を遥かに超える便利さだった。 魚も焼けそうだ。

某BSのキャンプ番組で毎回お馴染みの焚き火台、海外ブランドのピコ〇〇〇のインスパイア製品(コピー品は大陸製でたくさんあるが、バリ取りなどの仕上げの問題があり手を出したくない)を手に入れた。これもAmazonでは人気の商品で、タイムセールで一割引だった。Amazonのタイムセールで一割引というのは、相当強気の売り方だが、日本メーカーなのでとりあえず信頼して買ってみた。
インスアイア元の製品より重量が重いが、それ以外は見た目も似ている。焚き火台は何度か使っていると金属板が熱変性したりするので、耐久性を確認するには時間がかかる。が、値段が元製品の半分以下ということもあり、ダメになったら買い替えるくらいの気持ちで良いだろう。収納袋に収めると、A3サイズより若干小さくて、厚めのダンボール程度の幅になる。コンパクトで大変便利だ。
薪を燃やしてみても、とてよく燃える。板に開いている穴が通気口として活躍しているようだった。焚き火台の上に乗せているのはシーズニング作業中の鉄板だが、フレームに鉄板2枚乗せても強度的に全く問題ない。これは良いお買い物だった。今使っている、大型の風呂敷みたいな焚き火台はしばらく物置の中にしまっておくことになりそうだ。

かなり大型サイズでファミリー向けという感じ。 かっこいいなあ。

そんな道具のお試し実験をやっていると、隣に立派なテントが設営されていた。テントから煙突が出ているので、中ではストーブが使われているのだろう。テントから出てきたおとなりさんは半袖のTシャツ姿だったから、中は南国気分なのかもしれない。いやはや、贅沢なキャンプだ。設営はちょっと時間がかかっているようだったが、翌朝の撤収は予想外の速さでびっくりした。
ワンポールテントで、ストーブがあれば冬キャンプも問題ない。ちょっと羨ましくなったが、この手の物欲に負けると、またあれこれ大変なことになるので、見なかったことにしておこう。 と言いながら、家に帰ってきて一人用ワンポールテントをAmazonで検索していました。

食べ物レポート

ご当地グルメ?醤油焼きそばパン

ネットで配信されるニュースにご当地情報があり、月初に発見した「ご当地焼きそば」とのコラボ製品を二週間ほど探していた。地元のスーパーではどこにも置いておらず、そもそも売っているのかと疑い始めたのだが、隣町のスーパーで発見した。
仮にも市の名称が駅名になっている土地で、その地名とのコラボ製品が売っていないとは、スーパーのパン担当バイヤーの怠慢ではないかとも思うのだが、製パン会社営業の力不足という感じもする。パン屋のサイトで情報を見ると、販売地域は関東一円+新潟、静岡県らしい。となると、市内で買えないのは人気がありすぎて売り切れかとも思いたくなるが、どこのスーパーでも売り切れていたとしたら、棚は空っぽで商品名のタグだけは残るという販売方、仕組みが普通だから、空の棚で売り切れはわかる。そして、そんな棚はない。やはり仕入れていないと考えるべきだろう。
自宅周辺には、日本の二大スーパーチェーンの店とco-op、それに楽天系グループの大規模スーパーが揃っているのだが、それに合わせてコンビニ大手が半径500m以内に10軒以上ある商業密集地だ。そのどこに行っても見つからないのだから(我ながらよく探し回ったものだ)、やはりパンメーカー営業担当の力不足か、企画部門が新製品を大量に投下しすぎて流通側の担当バイヤーに無視されているのか。マーケティング費用の無駄遣いと言われても仕方がないぞ、と元同業者としては言いたくなる。

ようやく隣町で手に入れたこのパンのお味だが、これまたちょっと微妙な感じがある。ひょっとしてバイヤーが手を出さなかったのは、この味のせいだろうか。まずいとは言わない。焼きそば系調理パンとしては合格点以上のレベルだ。某大手パンメーカーの焼きそば入りパンと比較しても遜色はない。お値段もこなれている。(ちなみに、今年の新製品は調理パン系で二百円近くに値上げされていた)
ただ、もともと醤油焼きそば自体が、ソース焼きそばと比べて味がおとなしいというか薄いので、マヨの大量投入で味の強化を図ったのだろう。それが裏目に出たという感じがする。焼きそばというよりマヨそばといいたくなるほどの、マヨマヨ感が強い仕上がりになっている。
しかし、この手の商品の対象顧客層を考えると、マヨネーズ拒否者は考えられないから(マヨラーが大半だろう)、この商品を嫌うものは少ないのも間違いない。タイトルが醤油焼きそばコラボでなければ、普通に美味い調理パンだ。
表にご当地キャラも載せているし、味付けは別におけば、これはこれで良いのだろう。ただ、醤油焼きそばを普及させようとしている地元有志の方たちには、ちょっと残念な仕上がりかもしれない。
ちなみに、自分は時々この醤油焼きそば提唱者の製麺メーカーに行って、醤油焼きそば用麺(醤油タレ付き)を買ってきて自作するくらいにはファンなので、ぜひ改良版でもう一度チャレンジしてほしい。
醤油焼きそばパート2はこのスナック形式のサンドではなく、コッペパンをつかった正統焼きそばパン(紅生姜乗せ)にしてもらいたいのだ。ぜひ、市長にパンメーカーと直接交渉して実現してもらいたい。せめて市役所の食堂だけでも販売してくれないものだろうか。(市長にメールを送って、請願してみようか)
これぞ、地方自治の極みと言える正しい政治活動だな。

小売外食業の理論

昼夜 1・5毛作居酒屋

昭和レトロのレストラン、居酒屋についての考察の続き、二番目のお話になる。この「大ホール」という看板から分かる通り、新業態は「大衆食堂」と言う決め事、コンセプトで始めたようなのだ。では、大衆食堂という言葉のイメージはなんだろう。最近ではよく使われる「町中華」という言葉にも同じようなニュアンスがあると思う。
自分なりの考察だが、一つ目は昼夜通しで開いているのが原則、長い営業時間であることだ。夜に一本勝負をかける居酒屋とはそこが違う。二つ目は定食主体の食事メニューで、白飯と味噌汁がセットになっているのがメニューの基本構成だ。変化球として、飯と白飯が一体化した丼もある。丼の変形として、カレーライスなどのかけご飯系も準定番としてある。要するに主役は「白飯」にあり、つけ合わせとして軽めに一品追加できる小皿も豊富なことが多い。冷奴やきんぴらごぼうといった、簡便な副菜が中心となる。
大衆食堂では、その白飯のおかずや追加の一品を頼み、酒を飲むことも可能になっている。飯屋が簡易居酒屋に変わるという感じだろう。昔は駅前には必ずそういう店が一軒はあったものだ。多用途に対応した街の便利な食堂という点で、専門チェーンが全国に展開する前は繁盛している商売だった。
これに対応する形で、町の中華料理屋が意識的に居酒屋方向にメニューを広げて行ったのは昭和中期以降のことだったと記憶している。

結果的に、町中華と大衆食堂のメニューは重なり合ってしまう。チャーハンとラーメンとカレーライスが、どちらの店にも標準装備品となる。カツ丼や餃子も共通品になる。日本人の食生活が広がったと考えるべきだろうし、大衆価格で提供する商品は専門店化・高級店化しない「一般大衆のもの」的として広がっていく。大衆食堂と町中華は、同じ方向に収斂して行ったはずだ。
この「てんぐ大ホール」は、その昭和の飲食業で起きた収斂進化を、令和の時代にアレンジしようとしているように見える。つまり、昭和レトロ感は「町中華と大衆食堂」が併せ持った、なんでもありな、それでいて普段食べたことがあるものばかりに、メニューを収束させるのが狙いだろう。
世の中に溢れる様々な専門店、鮨や蕎麦のような和食系、ステーキや焼き肉のような肉主体レストラン、あるいはエスニック系などのとんがったコンセプトとは一線を画す。なんでもありで、どれもこれも安心感がある、食に冒険を求めない平成生まれのスタンダードを狙っているのだと思う。決して昭和オヤジのノスタルジー向けのコンセプトや商品ではない。 
結果的に、昼夜ともに定食があり、酒も飲める二毛作ならぬ1.5毛作(定食+軽飲み需要)に仕上がっている。

今の若い世代の好物やサーモンとネギトロだと思っている。どちらも脂分の多い魚料理だが、骨がないのが最大の特徴だろう。そして食感はねっとりとしている。この食感が重要なポイントで、脂分の補給はマヨネーズが重要な役割を果たす。宮崎のローカル料理だったチキン南蛮が全国国なる最大要因は、あのタルタルソースにあると確信しているが、魚料理にもマヨネーズは必須アイテムだ。おにぎりのツナマヨにそだてられて平成生まれ世代は、醤油と味噌で生きているわけではない。体の中身はマヨネーズとチーズでできていると断言する(個人的な見解で何の物性データもありません 笑)
だから、一目見て品質の見極めがつくマグロの切り身なので主力商品として推す訳がない。みんな大好きマグロの増強品を小皿に盛り上げて提供する。それを海苔で巻いて食べてくれ、ということなのだが、海苔は2枚だ。ということは、このネギトロを二口で食べるということになる。
こんなメニューが昭和の時代にあったかと言われるとかなり微妙で、確かにどこかの居酒屋でネギトロなどを海苔で巻いて食べるスタイルはあった。うにであればあちこちで見かけたこともある。しかし、このネギトロは味が調整された「マグロ製品」だ。やはり、平成の新種メニューと考えるべきだろう。

定食屋の絶対定番メニューの一つである生姜焼きも面白い変化をしていた。個人的なイメージだが、豚肉の生姜焼きとは甘辛い醤油味で生姜がたっぷりと効いているというものだ。ところが、この生姜焼きは塩味(いわゆる塩だれを使っているもの)で、おまけに生姜は後乗せだった。横にキャベツの千切りがついているのは、つけ合わせとしてスタンダードかもしれないが、マヨが横に置いてあるのはキャベツ用なのか肉用なのか微妙な感じだが、おそらく肉用だと思う。
このような平成時代に起きたアレンジが、昭和レトロのカバーの中でしっかり形作られている。思いつきで作られたコンセプトとは思えない。強かな計算があるような気がする。冷静に考えれば「ノスタルジーマーケティング」の対象者は、少なくともしっかりとした市場規模、マーケットサイズが必要だから、完全引退した団塊世代はもとより、現在進行形で引退しつつある昭和世代は対象外にすべきだろう。
このてんぐ大ホールのメニューの大半は、既存のコンセプトである居酒屋天狗からの流用品だが、ネーミングや提供サイズを変え、値段を組み替えることで新しい価値を生み出している。旧居酒屋を換骨奪胎して、客層としては昭和世代を放棄し、酒を飲まなくなった平成世代を惹きつけるコンセプト・リメイクとして考えると理解しやすいと思う。
自分の勝手読みなのかもしれないが、急速な店舗数拡大を見ると間違ってもいないような気がする。平成の勝ち組負け組の延長線上で、令和の勝ち組負け組は決まらない。外食大手各社の動向を見ると、マネージメントでも世代交代が急速に進んでいる気がする。
この店のメニューを深読みするのは、なかなか楽しいぞ。

街を歩く

秩父で酒蔵

秩父の街中、あちらこちらで見かけていたポテくまくんをついに発見した。秩父駅の改札近くに鎮座していたのを全く気づいていなかっただけだった。観察力が足りない。というか、人の視覚というものは見たいものしか見ないという特性があるのだと改めて気がつかされた。
ポテくまくん、よくよく見ればなかなか可愛らしいではないか。もっと人気が出ても良さそうだが。でも、食べられちゃう運命だからなあ。

その秩父駅から徒歩5分ほどの道沿いに造り酒屋というか酒蔵というか、シックな酒屋がある。恐る恐る引き戸を開けると薄暗い店内に日本酒がずらっと並ぶ。蔵元で酒販売をしていると、市中では見当たらない様々な種類の日本酒が並んでいるのが嬉しい。棚を一つ一つ見て回るのはなかなか楽しい体験だ。

店頭にぶら下がっている杉玉を見ると、お酒の出来具合がわかるらしい。これもまた、酒蔵に行く時の楽しみだ。昔、信州の酒蔵を訪ねた時に、屋外冷蔵庫に保管してある吟醸酒を振る舞ってもらったことがある。品評会に出品した特製酒だそうで、販売するほどの量もないということで、5年10年と冷蔵庫に置きっぱなしにしているそうだ。それを、たまに振る舞うことがある。新酒と比較して楽しんでもらうためとのことだった。
あちこちの酒蔵に行った時に、その話を思い出しては、蔵の周りに屋外冷蔵庫はないかと探してしまう。変な習性が身についたもので、この時も店の裏側に回って確かめたくなった。こっそり裏側に行ってみたら、そこは客向けの駐車場だった。

店頭にある木彫りの看板は、酒蔵のプライドが込めれれていると思う。電照式の明るい看板は酒蔵には似合わない。などというのは、勝手な言い分だとはわかってはいるが、木造の古い商家でひっそりと酒を売っている雰囲気が好ましい。
この日も秩父観光に来たと思しき夫婦(多分)が土産として何種類か買い求めていた。店主らしき方が、日本酒の特性を含め丁寧に説明していた。次の客も会計を待ちながらその話を聞いていた。こちらも片手に一本瓶をぶら下げながら、待ち続けていたが、待たされるのが気にならない。良い話が聞けたとさえ思った。コンビニでレジ前に2-3人並ぶとなんだかとても待たされた気分になるのと、全然異なる空間で違う時間だったのが不思議だ。
秩父の山奥にあるウイスキーの工場も一度見に行きたいとは思っているのだが、確か工場では販売していなかったような気がする。それがちょっと残念だ。見学もコロナの煽りで中止しているところは多いので、それも確かめてみなければいけない。ぶらっといって工場を見せてくれた山梨県白州や北海道余市のようなところが、また復活してくれると良いのになと、秩父の街を歩きながら思っていました。

街を歩く

居酒屋の定食屋シフトを考察する(長いです)

昭和レトロブームと平成生まれの関係について何度かに分けて考えてみたい。その第一回目として、居酒屋チェーンの新業態「居酒屋+大食堂」を素材にしてみようと思う。
この業態は首都圏でそれなりの規模と知名度を誇る「天狗チェーン」が久しぶりに送り出した新業態だ。一時期は郊外型ファミレス的出店をしていたが、それは失敗だったようでダイニングコンセプトは縮小していた。その後、小型化した簡易メニューの飲み屋天狗酒場を投入したが、最近では神田屋という新業態に鞍替えしているようだ。
その神田屋の展開と合わせて、食堂をイメージした大型店も店舗数を増やしている。「大ホール」という名称から想像してしまうのが、昭和のデパート大食堂やビアホールといった大型店舗だ。食券を買い勝手に空いている席に座り、ウェイトレスのお姉さんに食券を渡す。メニューは和洋中なんでもありで、アルコールとパフェが共存する老若男女が入り乱れる懐かしの飲食パラダイスだ。テーブルの上にはお決まりのように大きな急須に入った茶と湯呑み茶碗が置かれていて、お茶と水はセルフサービスだった。そんな昭和中期の記憶が残る世代はすでに50代を超えている。昭和後期にはデパート自体が消滅したので「大食堂」コンセプトは、平成生まれ世代には生まれる前の幻でしかない。

昔の居酒屋にはテーブルメニューなどなかった。壁に貼られた札と黒板が全てだった。

極端に言えば、江戸時代を模した和食屋であれ、昭和中期の大食堂であれ、どちらも想像の中にしか存在しないファンタジー空間だ。だから、現在の昭和レトロブームに対する評価は、昭和生まれの人間に聞いても役に立たない。昭和生まれの人間は懐かしさ、ノスタルジーに浸るだけであり、そこに登場するメニューにも当時の(記憶の中に残る当時の)忠実な再現性を求める。そして、違いを発見してはあれこれあげつらうという楽しみ方しかできない。昭和生まれにとって昭和レトロというコンセプトは過去に経験した、時間軸に連続性があるリアルな過去体験だから、そんな楽しみ方になる。平たく言えば、文句をつけることに楽しみを見出す、「痛いエンタメ」だ。(周りから見ても、その言動はかなり痛いたしい)
しかし、平成生まれにとって昭和レトロとは、たまに過去映像の中で見かける存在程度であり、共有する体験や空間ではない。これも極端に言えば、浦安にあるネズミの国の「なんちゃらワールド」とほぼ同義な、想像の中にしかない異空間だ。怪獣映画や戦隊モノに登場する世界となんら差異はないのだろう。
もっと言えば、外国人が見た日本世界みたいなもので、ブレードランナーに登場する未来の西海岸都市(たぶんLAの異形態)やブラックレインに登場する東京市のようなものだ。
だから、当然ながら、平成生まれの世代にとって、楽しい異空間、日本語は通じるが見たことのないデザイン、内装の店で、食べたことのないメニューを楽しむ。そうであれば、ディテールの再現性など気にしない。アメリカ人の寿司屋が、日本ではこんな寿司を売っているのだろうと想像して作った、西海岸発の新発想寿司みたいなものだ。エンターテイメントとしての食事空間とし、昭和らしさが感じられればコンセプトとして成立する。時代考証の正しさなど必要ない。
過去に実在した食べ物の再現性、正確性など誰も求めていない。ところが、昭和中期の過去体験がある昭和生まれが、その仮想空間に乗り込んでワーワーとリアリティーを前面に押し出し非難する。やれ、これは昔と違う。味付けがおかしい、食器が違う、内装が、ウェイトレスの制服が、云々云々。
コンセプトの理解ができないまま我が物顔に論評する。
この店はあなたのノスタルジーを満足させるために作られてはいないのですよ。そもそもあなたはお客の対象外ですよ。嫌なら他のどこかに行ってください、とはっきり言われないと理解できないのだろう。
まさに、昭和レトロを模した店とは、歴史テーマを掲げた「コンセプトレストラン」であり、手近なエンタメテーマレストランなのだ。形を変えたメイド喫茶みたいなものだと理解するべきだろう。
自分の同世代(昭和のリアル体験がある世代)から昭和レトロ空間に対する「再現性の低さ」や「時代考証の誤り」のような批判を聞くたびに、何かモヤモヤした感じがあった。そのモヤモヤ感を探るため、あれこれ突き詰めて考えていた。

マーガリンで炒めたナポリタン 銀のステンレス食器が昭和な雰囲気をだす

街から食事を出す喫茶店が消滅するとともに、人の記憶の中にしか無くなったメニューの典型が「ナポリタン」というトマト味の洋風焼きそばだろう。今では昭和レトロメニューの典型のように言われるが、平成生まれはこの食べ物をたまたま食べる機会がなかった。彼らが普通に手に入れられたのは、サイゼリヤで提供されるペペロンチーノやカルボナーラのパスタで、トマト味の洋風焼きそば。スパゲッティではなかった。「ナポリタン」はイタリアンレストランではほとんど提供されない、日本生まれの洋食だ。おまけにファミレスでも登場しなかった「絶滅種」だからなおさらだ。古くから続く洋食店では細々と提供されているが、洋食店も喫茶店に続く絶滅危惧種であり、当然ながら価格もファミレスをはるかに超える高級料理化している。老舗の洋食店で食事をすると、ちょっとしたホテルのレストランで食べるのと同じ金額がかかる。もはや洋食店は大衆がお気軽に使えれ場所ではない。

昭和の時代には、駅前にある大衆食堂の壁全面にメニューというか品書きがびっしりと貼ってあった。ファミレスとファストフードの時代になり、手書きの文字が敬遠され、メニューは手元で見る写真入りの冊子に変わった。

日本全国どこに行っても存在するシメサバは昔からの大衆メニュー

そんな平成生まれをターゲットにした昭和レトロを気取る食堂は、意外と昭和のメニューが少ない。典型的な居酒屋商品も並んでいるが、昭和の何度かにわたる居酒屋ブームに登場した時代の名物料理も全く存在していないようだ。
そもそも、冷静にメニューを見てみると、これは既存の居酒屋天狗からの流用品がほとんどで、その提供方法や価格が調整されているだけだ。贖罪の大冒険をしているわけではないから、店内のムードを買え、ちょっと加えた新メニューで目を二機つけると言う、極めてオーソドックスなリニューアルと見た方が正しいようだ。

昭和の高級品 生ハム

昭和世代にとっては、「超」がつくほど高級品イメージのあった生ハムも、今ではコンビニに並んでいる平凡な通常品だ。ただ、それがさらに盛り付けて出されると、何やら心躍るのは昭和世代の残滓みたいなものだろう。平成生まれにとっては、これよりもタコさんウインナー(赤いやつ)の方がよほどビジュアル的には喜ばれそうだ。

フグヒレは入っていない……………

サワーやハイボールなどの炭酸系アルコール飲料が主体のご時世に、日本酒の熱燗を注文すると銚子ではなく、フグのひれ酒を出す時の湯呑み茶碗で出てきた。これにはは、すっかり感心してしまった。おそらく銚子という低利用頻度の専用備品を用意するのが嫌になった(合理的な判断ではあるとも思うが)のだろう。オカンをするのもレンジアップの時代だから、通常の銚子では安全上の懸念もある。レンジアップした場合、銚子の上部、首にあたる部分がとてつもなく熱くなる。昔ながらのお湯でオカンをつけると、胴体の部分は熱く、首の部分は比較的低温であるのとは正反対だから、昭和世代のオヤジは銚子を保つときに首部分を持って「アチチ」と叫ぶハメになる。
湯呑みで缶をつければほぼ全体が暑くなる。
そんなことを考えて、昭和レトロな店の作り方やあり方をあれこれと想像していた。確かに「天狗」と言うチェーンは昭和の時代にも、ちょっとアッパーなイメージを抱かせる明るく小綺麗な店だった。それを、平成生まれにあわせて「令和モデル」にアップリフトする、アフターコロナに合わせてチューニングした店を作ろうとしているのだ。本業を捨てて唐揚げ屋や焼肉屋に逃げ出した他チェーンとは違うアプローチだが、個人的にはこちらのやり方がスマートで好感が持てる。