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居酒屋のおにぎり

居酒屋に行って、締めのおにぎりなどほとんど頼んだことがないのだが、3年ほど前にある本の影響を受けて、炭水化物で酒を飲むということに凝っていた。
酒のつまみとして、チャーハン、焼きそばを頼むというもので、これは腹が膨れて酒が飲めないではないかと、酒飲みの思い込みでバカにしていたのだが……………

やってみると意外といける。流石に白飯で酒を飲むのは難しい気もするが、焼肉屋でビールを飲む時は白飯が必ずテーブルに乗っているのを思い出した。牛丼でビールを飲むのはしんどいが、カツカレーであればいけそうな気がする。勝つとルーを楽しんだ後、残ったカレールーと白飯で占める感じが良さげに思える。

そんなことを思っていた時期、古い友人と居酒屋に行ったら、まだ締めの時間には到底届いてないタイミングで、いきなりおにぎりを人数分注文したので、おやまあ、と呆れていた。彼は酒を飲む時にあまり物を食べないタイプだったので、余計に驚いた。
おにぎりの研究でも始めたのかと思って尋ねたら、普通に食べたくなっただけだという答えが返ってきた。

結局、付き合っておにぎりを食べ、そのあとものみつづけたが、なぜか翌日の体調が良い。どうやら酒を飲む途中で炭水化物を適度に摂るのが良いみたいなのだ。カロリー接収を考えると決してお勧めできない手法だが、それであれば最初から酒など飲まない方が良い。何事にも次善の策というものはある物だ。

このおにぎりを焼きそばや炒飯に置き換えて実践してみたのだが、確かにうまい。ただし、翌日の体調は良いのだが体重は確実に増える。困った飲み方なのだ。

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Street smart 実践編 in Hawaii

Teacher and students learning Hawaiian English beside a beachside whiteboard
Students practice Hawaiian English phrases during a lively outdoor lesson by the sea.

お盆も終わり、夏もピークを過ぎたかなと残念に思う時期になって、少しばかり昔のことを思い出していた。常夏の南国暮らしをしていた頃のことだ。


25歳の時、語学研修ということでハワイに1年間行った。働きながら実践的に英語を覚えるという趣旨だったはずなのだが、週5日は店舗勤務、2日休みという日本にいるよりも良い労働観だった。結果的に随分と怠惰な南国暮らしをしていたのだ。だが、憧れのハワイと言って浮かれていたのは1ヶ月だけ。すぐに飽きた。

オアフ島は東京23区くらいの島なので、2-3回休日に出かけるともう見るところもない。サーフィンでも趣味にしていれば別なのだろうけれど、ハワイで楽しめるような趣味は持ち合わせていなかった。2ヶ月もしないうちに日本語の活字恋しさが募り、ハワイ発行の日本語新聞を購読するようになった。今であればネットで同時的に日本の情報も手に入るし、ネット版で本も読める。当時を思うと夢のような話だ。
日本語の活字に飢えてあれこれ探していたら、ワイキキの観光案内所とJAL支店に併設されている観光案内コーナーで1日遅れの新聞や雑誌が読めることがわかった。
また、古本屋に行くと英語のペーパーバックと一緒に日本の文庫本もあった。どうやら日系人の放出品らしい。それでも足りずに英語のSFペーパーバックにも手を出した。
そんなこんなでハワイ暮らしになれたのは滞在3ヶ月後あたりで、すでに観光名所など全部征服しているので、休日には地元のフィッシュマーケットに行くとか、地元の博物館に行くとか、ロコ的な楽しみ方に変わっていた。食生活もすっかりアメリカ風に染まり体重は10Kg増え、日本から持って来た服は着られなくなり全て買い直した。

肝心の語学だが、これは働きながら従業員と話をするのが一番良いと思っていた。それなりに話す語彙も増えたのは良いのだが、基本的に店舗で勤務しているのは大多数が高校・大学生のアルバイトであり、いわゆる若者言葉しか話さない。英語の教科書には出現しない言葉やフレーズのオンパレードだった。日本で言えば、「チョーすげぇー」「マジ??」「やばくね」みたいなものだろうか。Fではじまる4文字言葉は最頻出現語だった。

おまけに、サモア語が多数混在している。Aloha こんにちは や Mahalo ありがとうは当たり前に使われるので英語の単語に追加してサモア語も覚えなければいけない。おまけにハワイ独特のイントネーションやアクセント、語尾にはyeahをつけるなどなど、これも英語なのかと驚いてしまう。そして、ハワイは移民文化なので、インド訛りとかフィリピン訛りが多い。まあ、おかげで自分の日本訛りも受け入れられたのだろう。結局、日本の学校教育で習ったことはほとんど役に立っていない。
一年もそんな暮らしをしていると、完全にハワイ訛りの英語を喋るようになっていた。日本でも山形弁を話すアメリカ人がテレビに出演していたが、おそらくあんな感じだったのだろう。

その後、アメリカ本土にいるアメリカ人の友人に指摘された。まあまあ、英語はしゃべっているが、訛りがあるねえ……………それに、随分と乱暴な言葉遣いだなと。

どうやらハワイ訛りの不良学生的な英語を覚えてしまったらしい。ハワイでガールフレンドはできなかったが、何店舗か勤務先が変わり、そこでは若い女性従業員たちちが日本人を面白がられてよく話しかけられていた。何人もが熱心に英語を教えてくれた。彼女たちには感謝しかない。思い返せば、まさにストリート・スマートな英語学習法だったのだと。

ハワイ訛りが取れるのには5年ほどかかった。乱暴な言葉遣いは、注意しているのだが、いまだに治っていないらしい。日本語を理解するアメリカ人によく揶揄われる。日本語で喋る時はすごく丁寧に話すのに、英語で話すときは随分と乱暴だねと。うーん、ストリートスマートの限界だろうな。ビジネス英語はやはりアカデミックに学ばないといけないらしい。

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生きた英語を学ぶ時 Street smart

Lavender-haired anime student with spiral eyes, sweating and looking dizzy
A lavender-haired anime student appears overwhelmed, surrounded by swirling stars and colorful motion effects.

まだ大覚醒の頃の話だが、当時付き合っていたガールフレンドのいとこがアメリカからやって来た。女の子二人で、どちらも小学生だったと思う。二人ともアメリカ生まれアメリカ育ちで日本語は話せない。
なぜか、その二人の面倒を半日ほど見ることになった。母親が用事があり出かけてしまうのだが、その間に面倒を見る英語が話せる人間がいないということだった。
こちらが英語を話せると勝手に思い込まれてしまったらしい。英会話の講義はとって入るが、それで英語が話せるので、世の中に英語で苦労するものはいないだろう。おまけに昼飯代を渡されると、二人を連れてどこかへ行けと追い出された。

まあ、子供好きなのでなんとかなるだろうと鷹を括っていたが、相手はアメリア歌人の女の子で、おそらく人生で一番話好きな年頃だろう。日本の世界が面白いのだろうか、ノンストップでアレは何、これはなにの連続だった。念のために持っていた辞書など役にたつはずがない。

結局、身振り手振り、鳴き声、モノマネなど語感に訴えるジェスチャーが最強兵器だと理解した。ただ、これが通じるのは単語まで。例えば、腹が減ったとか歩き疲れたとかトイレに行きたいとか、まとまった表現になるとあまり通用しない。例えば、お腹を抑えても腹が減ったのか腹が痛いのかがわからない。

そんな半日の間で覚えた言葉くを一つだけ鮮明に記憶している。目が回る → I am dizzy というのだ。二人の前で立ったまま数回転してフラフラと歩く姿を見せて教えてもらった。そのと時におそらく自分はこの言葉は一生忘れないと思ったが、その通りで、今でも覚えている。

後に、英語を覚えるには英語を喋るガールフレンドを作るのが一番だと教わったのだが、やはりそれは正解だろう。この時の小学生二人は、まさに熱心にこちらがわかるようにお話しするガールフレンドだった。学校の授業などより数十倍効率の良い勉強法だ。

ちなみに学校ではなく、体験で、つまり街頭で育った頭の良いやつをStreet smartというのだが、確かに人生に役立つという意味では、そいつには敵わないなと思う。

この時の経験が生かされるのは、それから5年くらい後のことだ。

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日本橋三越

ずいぶん昔になるが、オーストラリアから客人が来た時に、東京都内の案内役をすることになった。お江戸界隈に住んで数年経った頃で、ようやく路線図があれば都内のあちこちに行けるようになった頃だ。当然だが、銀座などほとんど行ったことがない。もちろん日本橋も浅草も未体験であり、せいぜい渋谷と新宿が地図なしで歩ける程度の土地勘しかない。原宿は竹下通りに一回だけ行ったくらいで表参道など歩いたこともない。そんなウブというか無知な頃だ。
観光案内などできるはずもないが、仕方なしにお江戸のガイドブックを数冊買って来て、受験勉強並みに集中読破した。名所とその場所を大まかに地図で確認して。
当時は、当然ながらネットなど存在もせず、すべての情報は紙と口コミがすべて、なんとおおらかな時代だったことか。

そのオーストラリアからの客人が、なんと盆栽が見たいという。調べてみると大宮の盆栽村が有名らしいが、そもそも大宮にも行ったことがない。幸いに会社の方で運転手付きの車を用意してくれることになり(自分が都内の運転はできないと直訴した)、盆栽は日本橋三越の屋上に立派なうりばがると言割れた。
また、日本情緒あふれる土産を買いたいという要望もあり、それは原宿表参道にある「外人向け土産物店」を教えてもらった。その日のコースは原宿経由日本橋と決まった。

現地案内人兼通訳みたいな役割だったのだが、情けないことにほとんど役に立てなかった。原宿では日本史の知識がないと、並んでいる土産物の説明が難しい。特に陶磁器や書画については、歴史的知識が必須だ。反省した。日本人でありながらあまりに歴史を知らない。高校時代に日本史の時間は寝てばかりいたことを深く深く後悔した。

盆栽に関しても同様だが、こちらは売り場の担当者が専門的な知識を持っていたので、なんとかこなせたと思う。専門用語は全部そのまま翻訳せず(出来ずに)説明したが、それで結構満足してもらえたようだ。盆栽の英語での発音は「ボン・サーィ」という感じなのだと初めて知った・

さて、そのボンサーィこーないに行く前に、かの有名な天女を初めて見た。おお、これが日本橋三越のシンボルか、と感動したのだが、これまた説明できなかった。天女を説明するにはかなり深い仏教知識が必要だ。最低でも真言宗に代表される曼荼羅世界と天界・極楽のヒエラルキー制度を理解していなければ無理だ。苦し紛れに仏教における天使のようなものという、全く珍説を披露してしまった。

以降、猛烈に反省し、お江戸の名所・宮跡に関しては相当お勉強をして嘘をつかない程度の知識は手に入れたが、受験勉強以降であんなに勉強した記憶はない。若気の至りなどと忘れることはできない苦い思い出だ。

来週は久しぶりに日本橋にでも遊びに行くとしよう。

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九州旅を思い出す

個人的には、南九州の銘菓といえば、これと熊本のリキュールマロン

数年前に川内に行くため鹿児島空港から空港連絡バスを使うったことがある。川内に行くには福岡から新幹線を使った方が便利だとは思ったが、空港直結で乗り換えなしという方が魅力的に思えた。羽田から始発の鹿児島便に乗り、空港での待ち時間は1時間ほど。食事をするほどの時間でもないが、鹿児島土産をあれこれ物色するには十分だ。

鹿児島名物といえばかるかん一択だと思っていたが、しばらく鹿児島に来ていないうちに色々と新作も出ていて、1時間ほどはあっという間だった。

鹿児島名産は波岡にあったのではないかと思い過去写真をひっくり返してみたら、これが出て来た。確か日本橋三越の地下食品売り場にある、全国銘菓コーナーで見つけたものだ。この時は京都の阿闍梨餅を買うつもりで行ったのだが、そのついでに試し街したはずだ。
どら焼きの中にあんこ以外いろいろなものを入れてご当地銘菓とするのは菓子業界の王道路線だが、それがうまいと思うことは稀で、いわゆる際物である方が大半だろう。
このラムドラはいかにも際物っぽいが、実は本当にうまいのだよと人に勧めたくなる逸品だった。お盆の時期は都心はガラガラだったのは昔のことで、今やインバウンド観光客が日本橋界隈ですらゾロゾロ歩いているから、タイミングを見計らっている。

お江戸にいながら薩摩や京都の美味いものが出に入るというのだから、わざわざ混雑している夏休み中にあちこち出かけるのは得策ではないのだよね。

ちなみに日本橋周辺には三重、富山、長崎などのアンテナショップもあるので、お手軽に美味いもの探しの日帰り旅ができるのです。

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お気楽焼肉について

北海道にある実家に帰っていた頃、ふと思いついて焼肉を食べようと思った。庭先にあるコンクリートの縁台のような場所でよくジンギスカンをしていた。田舎町なので近所の家との空間はたっぷりある。多少は肉の焼ける匂いがするくらいで苦情が来ることもない。そもそも北海道人で羊肉の焼ける匂いを嫌うものは少ない。これを埼玉の自宅でやろうとすると、間違いなく警察に通報されてしまうだろうが、北海道の田舎町では、うちも今日はジンギスカンにするか・・・程度の反応だろう。

ただ、ジンギスカンをジンギス汗鍋で正式にやるとすると、実は終わった後の鍋の後始末が大変なのだ。焦げ付いて炭のようになった肉やみど刺し屑を洗い流すのには最低でも30分ほど格闘することになる。アルミ製の簡易鍋も売ってはいるが、これは薄いせいでひどく肉が焦げ付く。
ふと思いついて、100円ショップで売っている使い捨ての焼き肉コンロを買って来た。
これはマッチ一本で火がつくお手軽な便利グッズで、火力は概ね40分ほど持つ。多人数で焼肉をやるには燃焼時間が足りないが。一人焼肉であれば十分な時間だ。

タレ付きのジンギスカン2種類を買い込み、追加で牛肉サガリを買って来た。サガリとは北海道では一般的だどんくあ、他の地域ではほとんど見かけたことがない特殊部位で横隔膜のあたりらしい。特有のかみごたえがあり、北海道焼肉屋では定番だ。

アウトドア用の椅子を持ち出し、缶ビールをちびちび飲みながら一人焼肉をした。食べ終わったら2時間ほど放置すると完全に炭の日は消える。それをゴミ袋に入れ、燃やせないゴミの日に出すだけ。後始末の時間はゼロ。

流石に室内でやるのはどうかと思うが、春先から秋にかけてであれば焼肉コンロとして便利極まりない。お値段は300円とリーズナブル。さて、来週はこの手抜き焼肉にしよう。

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踊る大捜査線 映画の話

映画版 9月公開の最新作リンクはこちら https://odoru.com

今回はあれこれ考えて画像なしにしようと思ったが、AI生成画像ならあれこれの問題はないかもと思い作成してみたら、こんなものができた。画像生成に使った文章は「映画 踊る大捜査線新作のイメージ」というものだが、いかにもそれらしい。恐るべし、AI画像の実力。微妙に著作権に触れないようにあれこれ小技が光る。『新・踊る……………』となっているあたり芸が細かい。刑事役も似ているようで似ていない。ただ、雰囲気は近い。

去年よりも格段にAIの能力は上がっている。そのうち、実際に映画を撮影しなくても本編が出来上がるのではないか。そうなると俳優業はあがったりだろうなあ。

Three detectives on a city street at night with police cars and skyscrapers in the background
Three detectives stand in a nighttime city street with police cars and flashing lights behind them.

昔懐かしい映画の最新作が始まる。断捨離中に発見した、旧作4作の録画をいっきにみなおして、平成の時代感みたいなものに溢れているのにちょっと感動した。本編の内容よりも背景の方が気になるという不思議な体験をしてしまった。

新作の話題が、別の意味でネット上を賑わせている。まあ、お騒がせテレビ局らしいドタバタ劇が逆に絶好の予告編になっているなとも思うのだが、まさかそこまで計算してのこの騒動だとも思えない。そんな諸葛孔明並みの軍師がいたら、あのテレビ局はもっと違っていただろうに。局の体質自体が平成の遺物となっていたから起こった事件でもあったとみている。

新作ではかつての主要登場人物が何人か出演していない。ストーリー上で死亡してしまったのは仕方がないとして、実際にお亡くなりになった方たちもいる。テレビでの初演が30年近く前なのだから、当時は全盛期だった役者たちがすでに引退したりなくなっていたりする。
当時小学生であった視聴者ですら、今では40代になっているわけで、この映画を見に行くファンとは、まさに中高年だろう。

映画版、「あの人は今……………」的なお話になるとは思わないが、映画の中のあちこちでエピソードが語られるのだろうなあ。それがちょっと切ない気もする。

さて、久しぶりに映画館にいくとするか。

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新潟県新発田市のとある駅前

新潟市の隣、新発田市は城下町であり地方都市としては規模が大きい。駅前にはそれなりの商業集積もある。が、日本全国で起きているのと同じ党に、郊外にイオンのモールができて、街の中心地は衰退気味だ。
イオンの目の前にJRの駅があるが、その駅前に広がるのは地平線まで田んぼだ。確かにイオンモールは郊外の畑の真ん中、インターチェンジのすぐそばに作れれることが多い。とはいえ、ここまで周りが田んぼというのも珍しい。

イオンに行くには市内循環バスを使うか、このJRを使うか、どちらにしても公共交通機関で訪れるのはいささか面倒なのだ。

ちなみに柴田市中心部、駅前繁華街からここにくるためにはダクシーも使えるはずだが、実は駅前にタクシーがいない。今の地方都市は、JR駅前でもタクシーを捕まえることが難しい。日中は高齢者の病院通いや買い物利用で予約がいっぱいであり、いわゆるタクシーアプリも全く役に立たない。

少なくとも大都市であまり考えることのない、交通機関利用時の課題は想像以上に大きい。必然的に地方都市に行く時はレンタカーの利用が前提となるのだが、実は地方都市に行けばレンタカーも予約で売り切れになっている。

住民の大多数が一人一台で自動車を利用しているのが当たり前の場所で、自分の車を持たないことはハンディキャップとなる。ところが、この不便さに出合うのは地元民ではなくよそ者だけだから、自治体の対応はなされることがない。地方の人間が大都市に行って感じる戸惑いとは別の意味で、大都市住民は地方都市で現代日本の不都合を目の当たりにする。

ちなみにこの駅ではスイカが使えるのだから、時代の流れに取り残されている田舎町であるわけでもない。なんともアンバランスなのが、今の地方都市の交通事情だ。

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帯広空港で思ったこと

北海道でたまに聞くことがある「十勝モンロー主義」。十勝には自主独立の気風があるという意味合いらしいが、十勝の中で各地方自治体ごとに独自性があるらしい。北海道における富裕層は十勝に多いようだ。いわゆる豪農が多い。農業法人となり企業経営としての農業も一般的だ。

明治期における北海道開拓の歴史を辿れば、十勝地方の開拓は厳しいものだったことがわかる。函館や札幌のように交通インフラが先行した地域は発展しやすかったが、十勝は内陸部であり鉄道の敷設も遅れていた。

北海道の中でも独自な気風が生まれたのは、そんな開拓時代の苦労があったせいだろうか。映画「銀の匙」の舞台になったのは、そんな場所だ。

学生時代のことだが、学生の半数は北海道外から、1/4は道内の札幌圏外から来ていたが、不思議と十勝出身者に会ったことがない。札幌の大学に行くくらいなら、東京に大学に行くという志向が強いのだと聞いたことがある。なるほどなあ、と妙に納得した。

帯広空港はローカル空港としてはちょっと珍しい広さがあり、空港内は農業ムードが満載だ。生産の中心的存在の牛ではなく、開拓時に活躍した馬が展示されているのに、十勝人のプライドを見たような気がした。

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若鳥半身 焼き in 帯広

若鶏の半身をあげるのは小樽名物だが、そのコピーがやたらと流行ったことがある。鳥をあげるのが簡単そうだと思った業界人が多かったということだろう。たが、同じように鳥唐揚げが流行ったコロナの時期に、鳥飯見上げも広がるかと思っていたが、なぜか「半身」は広がらなかった。
鳥唐揚げの原料をブラジル産の輸入ものにしたせいで、半身は調達しにくかった体と思う。そのブラジル産チキンもコロナにおける世界的なインフレと同時進行した円安のたね、全く湯にゅめりっとが出なくなり、結果的に鳥唐揚げ店も消滅した。
しかし、半身唐揚げ専門店は生き残った。老舗の信頼度、つまりブランドの力ということで間違いない。某フライトチキンチェーンのようなぼったくりとも言える値上げはしていないのも寄与しているだろう。

ところが、この鳥飯み唐揚げが全く帯広周辺では機能していない。若鶏半身「焼き」の専門店があるからだ。焼き鳥屋の看板メニューがこの半身焼きで、旭川の老舗居酒屋の半身焼きとは異なる味付けだ。食べればわかるが、確かに美味い。ただ、一人で食べるとこれだけで腹が膨れてしまうので、居酒屋向きのメニューかというといささか疑問もある。

おまけに、なぜかこの半身「焼き」は札幌周辺ではほとんど見当たらない。どうやら日高山脈が分岐戦になっている感じだ。上げと焼きの嗜好性に東西差があるようには思えないが、おそらく調理時間の違いだろう。焼きの方があげるより時間がかかる。店内の作業性よりも、客が待っていられるかという時間感覚の差であるように思う。

夏になると帯広まるせいの半身焼きが食べたくなるなあ。