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高級な焼き鳥屋という存在

秋田市の著名な焼き鳥屋で

秋田には何度か仕事で行ったが、新幹線が通り足回りが良くなったせいで秋田に泊まることはほとんどなかった。秋田の仕事を終えると青森や盛岡に移動するせいだった。
だから秋田の繁華街はほとんど行ったことがない。県庁近くの飲み屋街は有名だったが一度も行ったことがなかった。

仙台にしばらく通っていた時に、秋田が本店の焼き鳥屋にたまたま行ったことがあり、機会があれば本店にも行ってみたいものだと思っていたのが秋田に泊まるきっかけになった。

初めて行った秋田一番の繁華街は、相当に寂れていた。昔はずらっと飲み屋が並んでいたのだろうが、今ではすっかり歯抜け状態で夕方になっても灯りが灯る店は少ない。
そんな中、その焼き鳥屋はひっそりと営業していた。店内に入るとかなり高級感のある民藝風な内装で、これは接待用の店だったのだなと一目で分かった。秋田名物比内地鶏を食べさせる店として人気があったのだろう。官官接待問題の先駆けとなってしまった秋田では、いわゆる官庁需要が激減した。接待する方もされる方も逃げてしまう。経費ではなく割り勘で飲むとすれば安い店位になる。

大都市であれば官需が減っても民間で景気の良い業態の経営者が、その後を引き受けるのだろうが、地方都市となるとその数も限られる。
自分以外にはあまり客がいないのだが、今の日本では平日に混み合う店は少ない。安いから客が集まるというものでもない。その街にある一定の若者層がいなければ、飲食店のバリエーションは増えない。酒を飲まないものが増えていることを考え合わせる、昔の「必要一定量」の二倍くらいはいなければ、その街で飲食店群は生き残れない。

全国の中小規模の県と湯所在地で起きている「繁華街崩壊」は同じ原因だ。人口が30万人程度の都市では繁華街を維持できない。例外的に生き残っているのは金沢や長崎くらいだと経験的に思うが、それは観光客に底の需要を支えられているからだ。
岡山や浜松など軽量級の政令都市でも危ない。

そういう意味では秋田で生き残っている高級焼き鳥屋はすごいのだが、もはや価格が若年層の需要に応えられない高さになっていたから、この先はどうするのだろうかとちょっと心配してしまった。良い店なのだ。長く続けて欲しい店なのだが。

博多にある「戦国焼き鳥」をは正反対の路線をいくこの店にはぜひ頑張ってもらいたいものだ。

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カレーの経済学

新潟市バスターミナルの蕎麦コーナーで有名な「カレー」

カレーという食べ物を外食産業化するのは難しいと言われていた。いや、今でもその可能性は高い。自分の好きなカレーと聞かれると、子供の頃に食べていた「我が家のカレー」に刷り込みがつよすぢて、「よそのカレー」に対する許容度が低すぎるからだ。
大人になり一人暮らしを始めると、仕方なしにレトルトカレーに手を出したりもするが、それは「うちのカレー」とは違うと、ほぼ全員が答えるだろう。便宜的に使っている「カレーもどき」という認識が強いのだ。
「うちのカレー」はジャワカレー(ハウス製)で決まりという思い込みを変える、人生たった一度の(大袈裟な0チャンスは、結婚した時らしい。この時に、「うちのカレー」対「うちのカレー」の激突が起こる。どちらかが相手のうちのカレーに屈服することで決着がつく。

そんな食べ物だから、「お店のカレー」は一定数うの客には嗜好品にはなるけれど、それ以外のものにとっては食べる価値のないものになる。まさに外食最大の敵は「うちのカレー」なのだ。


カレーのロールモデルは帝国海軍の艦内食だったことはよく知られている。明治期に新しく成立した「海軍」という技術色の強い軍事組織で、最初に求められたのは兵の健康だった。江戸期の日本人は米を大量に食うだけでタンパク質や脂質の摂取が足りない、栄養バランス欠陥食で生きていた。だから長期間会場勤務をするような組織では、体力不足、栄養失調を防ぐため可惜な食事体系が考えられた。その中の一つがカレーであり、肉じゃが出会ったそうだ。
肉じゃがもカレーも素材を見ればほぼ同じであり、味付けが甘辛醤油味になるか、スパイス風味になるかの差とも考えられる。
兎にも角にも、米とよくある肉と野菜の入った料理という点で、当時としては画期的だっただろう。そのカレーと肉じゃがは、海軍勤務を終えて民間人に戻った元兵士たちにより日本中の家庭に普及した。当然、海軍軍人の糧ににも浸透した。ところが、海軍レシピーを性格に伝えたわけではないので、言ってみれば退役軍人の数だけレシピーーが氾濫した上に、各家庭の中で様々なバリエーションが発生する。
カレーでは地方特有の野菜を使うのはまだまともな方だ。肉の代わりに魚を入れてみたり、カレールーの上にあれこれ載せてみたりと百花繚乱だる世界が生まれた。
肉じゃがの変形したものはは従来の家庭日本料理を完全に独自なものへと変化させてしまった。いわゆる西洋風の煮込み領地が爆発的に和風アレンジを加えられ、家庭料理となって行ったが、その原型は肉じゃがだろう。現代においてスーパーに並ぶ和風惣菜のほとんどはそうしてうまれたものだし、江戸期の調理品など伝統的な料理はとうの昔に絶滅している。

で、新潟バスセンターのカレーだが、このカレーは昭和中期まで家庭で作られていたカレーの原型をとどめている。だから、ある一定の年齢の客には、今や食べられなくなった「うちのカレー」に近いものとして支持されている。

昭和後期から平成にかけて、カレールーメーカーはレトルトカレーに対抗するべくベースの新規投入をっ繰り返したが、結局は定番が生き残る。その熾烈なルー開発の中で、「うちのカレー」、つまりカレー粉と小麦粉を炒めて作る昔ながらのカレーは衰退した。
その絶滅危惧種的な昔風のカレーに飛びついたのが、昭和レトロ付きの現代世代で、今や新潟の名物の一角に食い込んでいる。
おそらく地方都市の駅前にある食堂では、これと似たようなカレーが生き残っていたはずだが、その駅前食堂が壊滅したことで、昔風のカレーを食べるのは難しい。

「昔のカレー」を食べる人口も減っているが、それを提供する店の方がもっと減っている。結果的に、需要が供給を完全に上回っているので、この店には開店前から行列ができる。それも、新潟県外から訪れるものが多い。

外食産業における生存者利益の典型なのだが、この手の議論を見た記憶はない。外食経営者がアカデミックな道筋を求めていないせいだろうか。

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居酒屋のお通しに見る経営学の基礎

料理の演出は、知的財産として保護されても良いと思うが

新潟にある人気の居酒屋でまず最初に聞かれるのがお通しの焼き物を何にするかで、しばらくすると土鍋で燻製炙り仕立てにしたものが運ばれてくる。初見であれば、大概の客はこの演出にイチコロだ。なので、新潟出張に来たもてなしの店として、サラリーマングループで占拠されている。個人であるいは少人数の客はあまりいない。

お江戸では見かけないタイプの店だ。高級割烹などにいくとこのような手の込んだ演出をする店はあるが、大衆価格店舗ではみられない。チェーン店となれば、この手のやり方がマニュアルが難しいので、最初から放棄している。

全国あちこちに仕事で歩き回るうちに、色々な店を紹介してもらったが、おそらくここが一番だろう。
こと、居酒屋という業態に関しては大阪と名古屋が全国の中でずば抜けて素晴らしい。お江戸の居酒屋はある意味で二流ばかりで、老舗と言われる店は残念ながら価格も客層もすっかりダメになっている。

仙台や新潟、博多あたりでは個性派の店が多いし、居酒屋を梯子しても良いと思わせる良い街だが、札幌や広島は今ひとつという感がある。
人口が30万人程度の県庁所在地では、一つくらいは飛び抜けた店があるが、それを除くと全国チェーン居酒屋に席巻されてしまってる。個性派の店は次々と廃業しているせいだろう。

酒を飲まない客が増えていることも、個人営業の店には大きな影響がある。飲食店で酒を飲まない客は、減価率が高くて儲からない。ある意味で、酒を高価で売りつけることで成立するのが外食業の根本だからだ。
酒抜きで儲かるような仕組みを作ったのがファミリーレストランとファストフードなのだが、どちらの業態もコスパ優先でショックの楽しみの重要な要素である雰囲気作りを放棄している。
合理的なビジネスモデルだが、外食の楽しみが切り捨てられている。

そろそろ日本でも外食産業についてアカデミックな研究がなされて、いわゆる外食業の専用経営学が教えられるようになる時代ではないかなあ。

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寿司食べ放題の日

4年前の9月の写真に鮨が大量に載っている一枚があった。一人でこんなに注文するはずがないとよくよく確かめてみると、どうやら食べ放題の鮨屋に連れて行かれた時のものだった。ネタを見ていたら自分が注文したのはイカゲソと鯖、あわびくらいだと思う。
残りは同行者が頼んだものだろうが、自分の容量をかんがえるとなぜ食べ放題鮨に行ったのか不思議になる。絶低素が取れないはずなのだが。

こういうふうに食べたものの写真を撮っておくと、誰と言ったかとかどこに行ったのかとか、かなり精密に思い出すことができる。その時に話した内容などは全く覚えていないのだが。
写真が自分の外部メモリーとなっていることを実感する瞬間だ。

久しぶりにこの時の友人と会ってみようかという気になってくるから、時々は写真の見直しをするのにも意味がある。

もうすっかり忘れてしまった、どこかのラーメンをまた食べに行こうといく気になったりもする。今更行ったこともない場所を見物に行くほどの気力はなかなか出てこないが(はずれた時の徒労感がたまらないので)、もう一度あの素晴らしい景色をみたいとは思う。こちらはハズレがないこと証明済だからだ。

でも、鮨食べ放題はもういかないだろうなあ。

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鉄旅のおわりは飲み鉄

上越本線 新潟の最南端あたりで一杯

弘前をでて秋田、新潟を経由して上越本線で関東を目指す。所要時間は6時間程度だが、乗り継ぎが悪いと2-3時間ほど待ち時間が追加される。時刻表を丹念にみて確認する必要がある。谷川岳を挟んで新潟と群馬の間を抜けるのが難所となっている。
新幹線が開通するたびに在来線が消滅し三セクに変わり、運行本数が減り乗客数の減少に歯止めがかからなくなる。在来線沿線はもともと人口が少なく利用者数も多いはずがない。今では地方都市ですら一人一台のじだいだから、在来線沿線地域では公共交通機関を使うのは免許を持たない高校生くらいだ。経営的に成り立つはずがない。では線路を全廃して仕舞えば良いのかというと、そうでもない。人は乗らないが貨物の移動には十分需要がある。特に長距離移動になると貨物を廃止するとあれこれ影響が大きい。
例えば青函トンネルで北海道と本州を結んで最大のメリットは農産物の貨物移動が可能になったことだ。新幹線は函館まで延伸したものの、函館札幌間が開業しないと経営的にはメリットが薄い。
ところが、青函トンネルで最大の課題は新幹線ではなく過密になった貨物の運行問題らしい。九州や四国も貨物移動に関しては同様であり、簡単にローカル線を廃線にするわけにはいかないはずだ。

運送トラックが完全自動運転化された後でも、貨物列車との連動が不要になるわけではない。この辺りは全国的なモビリティー問題として検討すべき課題だと思うのだが。
同も日本人は新しいものをたっぷり資金を投入して導入したがるくせに、古くからあるものとの連動や活用が苦手のようだ。

のんびりと普通列車を使った鉄旅をすると、そんな不便さの中での楽しみ方や、不便と思うことにも深い意味を見出すことができる。鉄旅は人を哲学者に変える役があるらしい。

車窓越しに田舎の風景を楽しみながら地酒のカップ酒を飲むと、そんなことが見えてくる。リュックを背負って一人旅をするのは、なかなかに体力を使うので、もう何度もできることではないようにも思うが、足腰が立つうちはできるだけ鉄旅をしてみたいものだなあ。

まだ、宗谷本線の旭川以北や山陰本線の浜田以西、鹿児島本線の熊本以南が残っているのだけれど。日豊本線は丸々残っているなあ。どれもこれも遠いのだよね

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一筆書きの旅 弘前で

恐山から青森経由で弘前に向かった。青森には津軽三味線のライブを見にいく店があるが、このと時は日程の都合でパスした。
弘前は津軽のチ中心地だったが、今では交通の要衝である青森市に県庁がある。全国的には城下町以外に県庁があるのは珍しい。ここと山口の萩くらいではないか。戊辰戦争で滅ぼされた会津も例外的と言えるか。明治政府は当発足当初から地方行政経験しかない素人の寄り合い所帯だったせいで、統治能力が低かったのと反革命を恐れていたから、行政区分の再編が無茶苦茶だった。まあ、そのメチャクチャなまま150年も立てば、昔からの当たり前見たくなっているので、現在の地方区分いついて文句をつける奴もいなくなっただろう。

青森県はもともと津軽藩’(西側)と南部藩(東側)が強制合体したので、言葉も違えば風習も違う。元々は戦国時代末期に南部藩家臣だった津軽氏が独立した地域ということもあり、一つの剣としてのまとまりは視線発生的には生まれるはずがないのだが。
その津軽藩の城下町弘前はなかなか文化の高い地域であり、現在は喫茶店の多い街として知られている。個人的には喫茶店が存続している地域は好みであり、文化レベルが高いと尊敬している。
そのせいで弘前には足繁く訪れているのだが、なんといっても弘前の食は北海道の食にとって最大ルーツであり、個人的には自分との相性が抜群に良いからだ。

津軽料理の最高峰としてあげたいのが「いがメンチ」だ。いかではなくイガ と濁音になる。正確には『ガ』でなく鼻に抜ける鼻音のGu-Aだと思うが。これがうまい。店によって味付けも違うが、どれもうまい。一番うまいと思っているのは、弘前バスセンター側にあるショッピングセンターの惣菜やのものだ。
弘前の居酒屋に行けばどこの店でも食べられる。(はずだ)一度自分で作ってみたいとも思うのだが、いまだに果たせていない。

弘前に行って、イガメンチを肴に弘前の銘酒豊盃でいっぱいやるのが無常の楽しみで、この時も恐山の風景を思い出しながら堪能した。

弘前で胃がメンチを食べてしまえば、あとはもう帰るだけ。ここから東北日本海側を新潟まで抜けてサクッと帰るつもりだったのだが、なんと大雨の影響で一部路線が普通となり、青森秋田間の途中で代行バスに乗り換えるというハプニングもあり、盛りだくさんな帰り道になった。

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東北一筆書きの旅 目的地へ

青森県北東部にあるむつ市からバスで小一時間かかる山奥に霊山「恐山」がある。高校生の頃から一度は行きたいと思い続けていた場所だった。青森県は仕事で何度も行き来していたが、八戸市や青も森市など都市部での仕事ばかりで、そこから移動時間4時間ほおかかるお山の中には行く機会がなかった。
むつ市に行くのもそれなりに大変な時間がかかるのだが、そこから恐山までがまた遠い。恐山行きのバスの本数が少なく、おまけに一度行くと帰りのバスまで待ち時間が3時間もある。たっぷりと時間を使って恐山を堪能せよ、というバス会社の心遣いらしい。
バスを使った感想として言わせてもらうと、むつ市でレンタカーを借りた方が良いのではないかなあ。

この光景を見るまでに40年近くかかったことになるが、我が人生でどうしても言っておきたい場所の最後であり、もう心残りもない。わざわざくる意味があったと思う。

ちなみに、恐山以外でどうしても行きたかったところは、出雲大社と高野山と対馬だったが、これも無事に終了している。出雲大社は4回行った。高野山は半日かけて歩き回ったし、対馬はレンタカーを借りて島の神社巡りをした。北海道の片隅で生まれ育った身としては、全国をよく巡ったものだ。旅に関しては思い残すこともない。風光明媚なところではなく、妙に宗教的な場所に偏りがあるが、決して信心深いわけでもない。


唯一未達成の地であるのがインドにあるタージマハールだが、これはあくまで夢のまた夢としてとっておいて良いかなあ。

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東北一筆書き 岩手から青森

盛岡はコンパクトで良い街だ。JR駅前はビジネスホテルがひしめくちょっとした繁華街だが、なぜか全国チェーン店の集合場所になっているので、旅先の風情を嗜むところではない。ただ、地元民にとってはそこそこ使い勝手の良いチェーン店街だろう。
冬の盛岡はそれなりに雪が多いので歩きにくいが、夏であれば駅から城下町界隈に向けて、歩くにはちょうど良い距離で散策が楽しい。

盛岡に行ったら必ず買ってしまうものが、福田パンのコッペパンだ。駅から離れたところにある本店まで行けば、その場で中身を指定して注文できる。いちごジャムとあんこなどのように半々で注文も可能だし、調理パン的なものとデザートパン的なものなど、ラインナップは実に豊富だ。問題は駅から遠い、かなり遠いこと。


最近では旅行者向けに新幹線の改札口を出たところで売っているので、初心者は(?)ここでお試しパンを買うと良い。中身の半々にしたものが欲しければ本店に行くしかないが、感じを確かめるにはこれでも十分だろう。
福田パンは普通にパンを製造販売しているので、スーパーに行けば各種パンが並んでいる、岩手県では定番パンメーカーだ。時間に余裕があればそれを探してみるのもおもしろい。

盛岡駅で福田パンを調達したあとは、JRからあおい森鉄道に乗り換える。新幹線開業とともに旧東北本線が青森盛岡間に限り第三セクターに移管された。三セク鉄道でありながら、青森県と岩手県を繋いでいる珍しい路線だ。普通は、県境で経営が分断される。新潟、富山、石川をまたぐ旧北陸本線がそうだった。九州も肥薩線が二鳥な形で鹿児島県内の一部が分離された。こうした三セク鉄道は青春18きっぷが使えな行くなっていう流ので、普通列車の一筆書きタジをする時は難所になる。

JR東日本のフリー切符は、この青い森鉄道も利用できる。青春18きっぷでは利用できない路線なので、盛岡から青森に行くためには盛岡から田沢湖線を使い、奥羽本線に乗り換えという面倒くさいことをしなければならない。
それが嫌であれば福島から奥羽本線に乗り換えるべきだろう。仙台から山形に抜けて奥羽本線というルートもあり、こちらの方が便利かもしれない。
ただし、奥羽本線の普通列車はとてつもなく本数が少ない。まあ、その不便さを楽しむのも青春18きっぷの隠し味かもしれないのだが。

あおいい森鉄道で八戸駅に着くと、そこからまたJRに乗り換えて本八戸に移動すした。八戸市中心部の最寄駅であり、繁華街までは徒歩圏にある。八戸には屋台村があるので夜歩きは楽しいのだ。
翌日は、この度の目的地を目指すことになる。

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東北一筆書きの旅 岩手県へ

一筆書き二日目の旅は、仙台から一関に向かい、ちょっと待ち時間があるが乗り継いで花巻へ。その後、盛岡でJRから青い森鉄道に乗り換え。ゴールは八戸だ。距離的には長いが、花巻で立ち寄りたいところがあるので一日の日程としてはほぼ一杯となる。
一関は有名な世界遺産である金堂の近くであり、北東北の入り口にあたる。新幹線の駅は在来線の駅と繋がっている。平泉観光する場合はちょっと在来線を使えば最寄駅にいけるが、ちょっと面倒くさいので、ここでレンタカーを借りると便利だ。

この年は、なぜかピカチュウがお出迎えしてくれたが、どうやらJR東日本全体でのタイアップ案件だった模様。詳しい理由はわからないが、金持ち企業であるJRは意外なコラボ企画を度々実施している。夏休みに子供にせがまれて親がスタンプラリーであちこちに行くという需要喚起キャンペーンだ。当然ながら、新幹線駅は対象外で在来線をフルに活用することになる。
商魂逞しいというか、あざといというか。まあ、青春18きっぷも似たようなもので、対象が子供ではなくジジイという違いだ。ジジイに向けたタイアップ企画を考えるとすれば、キャンディーズとかピンクレディーなどのアイドル系だろうか。3人娘の企画はあれこれ難度が高そうだ。

その一関で乗り継いで向かったのは、一関と盛岡の中間にある花巻市だ。一般的に有名なのは、あの宮沢賢治ゆかりの地、それに尽きるのだが自分の場合は食堂だ。
花巻の中心部にあった百貨店が閉店して、その大食堂だけが復活した。ありし日の大食堂をそのまま残しているので、市民だけではなく観光客が押し寄せる繁盛店になった。
ジジイキラーなコンテンツというべきだろう。ファミリーレストランが冷えてしまい、その影響で消滅したデパートの大食堂だが、寿司・ラーメン・洋食・カツ丼………何dでもあるメニューはやはり魅力的だ。おまけに昭和の大定番デザートである、プリンアラモードが生き残っている。ジジイが食いつくわけだが、自分もその一人であり年に一度は行きたくなる。

最大の魅力的なメニューは、箸で食べるソフトクリームで高さは通常のソフトクリームの二倍くらい。旨い不味いを超越した「悪魔的魅力」がある。

不思議なことにこの大食堂のヒットを見ても、外食企業の誰もがコピーを作ろうとしないことだ。現代のファミレスは厨房の調理能力が著しく低下しているので、これだけの多種多様なメニューは展開できないということかもしれない。ただ、どこかに突破口はあると思うのだがなあ。配膳ロボが行き交う体育館みたいな店を想像しているとワクワクしてくるのだが。

花巻でソフトクリームを堪能したあとは、盛岡までほぼ1時間の移動。盛岡の夜も仙台にも増して楽しいのだが、この時は日程の都合上でスルーとなった。盛岡といえば冷麺と民藝居酒屋で決まりなのだがなあ。残念。一気に八戸まで北上する。

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東北一筆書きの旅  仙台で何をする

東北の旅初日は仙台に泊まる。頑張れば盛岡まで行けるが、そうすると到着時間は夜遅くになる。それではただ寝るだけで楽しみもない。東北の街は仙台を除くと夜が早い。10時を過ぎると大半の店が閉まってしまう。深夜営業の店も見つからないので、ヘタをするとコンビニ弁当で晩飯という情けないことになる。やはり、早めに到着してゆっくりと地場の旨いものを堪能したいものだ。まあ、仙台は大都市なので例外的に朝まで賑やだが。

仙台名物といえば牛タンと笹かまぼこだが、牛タンの人気店ば予約なしで入るのは難しい。チェーン店であれば店にもよるがふらりと入れることもある。旅先のちょっとしたあるあるだ。あとは意外と知られていないが、マグロがうまい。気仙沼上がりのマグロが安く食べられる。
マグロを食べるとなればこの店が外せない。仙台で一番お気に入りのお居酒屋だ。何店か支店もあるので、行きやすい場所の店を選べば良いのだが、コロナのあとは閉店してしまったところもある。よく行っていた店は閉まっていた。


この店でマグロとカツカレーライス抜きを注文するのがマイ定番だ。創作料理系の居酒屋なので行くmたびに面白いものが置いてある。仙台に行くなら外せない。
時間があれば、北京飯店という仙台市民には有名な低価格中華店にも行くのだが、仙台の街中には街中華が何店も生き残っているので、そちらに行くのも良い。

また、昭和から生き残っている飲屋街というか横丁もあちこちにあるので、その中の一軒も忘れてはいけないのだが、いつも混み合っている。席が空いていることは少ないので、ふらりと入入れたらラッキーだ。いろは横丁は良い店揃いなので、もし満員の時は近くの店を探せば良い。

仙台は仕事でずいぶん通ったので観光はなし。食べるものも名物には手を出さない。地元の有名名鮨屋(大衆価格店)に行ってホヤを食べるくらいだろうか。

仙台は気候が過ごしやすい。夏はお江戸ほど暑くなく、冬は多少寒いがあまり雪も降らない。実に過ごしやすい場所なのだ。もし、日本のどこかに引っ越しをするとしたら、間違いなく一番候補は仙台だ。適度に大都会で、適度に公共交通網があり、適度に田舎に近い。二番目の候補は博多だったが、最近は外国人観光客が溢れていてちょっと息苦しい街になった感じがする。だが、食事は旨い街だから捨てがたい。

ちなみに仙台ー東京は新幹線で最短1時間40分。ギリギリ通勤可能な場所であり、日帰り旅行も可能だけれど、やはり日程には余裕を持ってのんびりするのが良いと思います。近くに有名な秋保温泉もあるし。