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器で食べる 器を愛でる

新潟旅の最終で、駅中にあるへぎそば屋に行った。昼飯時だったこともありかなりの席待ちだったが、独り身なのであまり待たずに入れた。そばを待つ間に一杯やろうと地元の酒を注文して出てきた片口と猪口を見て思わず唸った。この組み合わせの紋様はなんだ。そして、さりげなく置かれたと思っていたが、どうやらかなり計算して並べた気配がある。猪口の内側と片口外側に描かれた曲さんが片口とシンクロしているのだ。

思わずアングルを変えてみてみた。なんだこれは、と驚くばかりだった。食における器の威力をまざまざと見せつけられた思いがする。この器の作り手もすごいが、実はもっとすごいのが蕎麦屋の従業員の気配りだろうと気がつく。置き方をちょっとでも間違えば、この感動は生まれない。気が付かないはずだ。もし気がつく人がいたとしたら、それはパズルを解く名人だけだろう。

そんなことを考えるうちに注文したへぎそばが出てきた。そして、また驚かされた。そば猪口とつゆの入った徳利が、また模様のシンクロを起こしている。感服いたしました。なんだかそばを食べる前にして、お腹がいっぱいになってしまった気分だ。
食事を食べると言う物理的な行動に、目で器を愛でるという一段上のテクニックを教えられたのだから、腹が膨れるのも仕方がない。
まあ、そうは言いながら美味しくへぎそばは完食しましたけどね。

昼ピークは12時30分頃までで、13時になれば空席もできていたから、ちょっと時間をずらして来店するのが良さそうだ。おそらく13時台の新幹線で帰る客が押し寄せてくるのだろう。
良いお店だった。

東京駅は16時半に到着、オフィスに戻ればちょうど退社時間  と言う人が多いのだろうな

そばをたべ、そのあとは新潟駅ナカの探検をして、今回の新潟旅は終了した。2時台の新幹線は満席の混雑ぶりで、半分はスーツ姿のビジネスマン・ビジネスウーマンだった。東京新潟は2時間程度で日帰り出張も可能なところなのだが、駅前にはそれなりにビジネスホテルも多い。

やはり日帰りするにはちょっと惜しいと思わせる魅力があるのだろうなあ。

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フェリーの旅で発見したことは

新潟ツアーは実は佐渡島に行く途中のアクティビティーというやつで、今回の旅の本命は「佐渡島」だった。佐渡に行くのは二度目だが前回はもう20年以上前のことで、なぜか夏休みに訪れた。日本海の島なのにやたら暑いという記憶だけが残っている。その時は車で島を一周したが、どこまでも海と山という景色を堪能したというより明らかに飽きてしまった。
調べてみると、佐渡島の人口は5万人弱らしい。最盛期の半分以下に減ったそうだ。フェリー港のある両津は賑やかな街だったと思っていたが、今回見るとほぼほぼシャッター街になっていた。日本の地方都市の縮図みたいなものだろう。

トキは人工孵化により生息数が増え、現在は100羽以上いるらしく、冬になれば街の近場で田んぼや畑にも出現するらしい。あと10年くらい頑張って貰えば、空をトキの大群?が飛ぶ姿も見られるのかもしれないが、その頃には人の数が減りすぎてしまい「朱鷺」に島を占領されてしまうかもしれない。まあ、それも良いかなと思う。

佐渡には圧倒的に宿泊施設が少なく、例の世界遺産認定の成果だろうが、どこも満室であり値段も高止まりしている。端的に言って、現在の佐渡は京都と同じくらい観光には向かないところになっている。それでも週末には高速連絡艇 ジェットフォイルが満席なるのだから、明らかに需要と供給のバランスが崩れている。
料理はうまいと思うが、もう少し低価格帯の宿泊施設を増強しなければ、そのうち飽きられてしまうと思うのだがなあ。ただ、これは佐渡だけに限らず地方の中小都市が観光立国を目指すと必ず突き当たる問題で、どこも同じように「飽きられて見捨てられる。人気が出ると宿泊施設が高止まりして、宿泊の余裕がなくなる。その結果、ボリュームゾーンの客層が他へ流出してしまう。結果的に、客数減→価格低下の過当競争→品質低下→宿の減少 という負の螺旋にハマる。全国各地にある衰退した温泉街の例を学ぼうとしないのだから、自業自得というものだとは思うが。
その典型が清里高原だろう。鬼怒川温泉もほぼ同様だが。今の清里はほぼ観光廃墟だ。近いうちに旧軽も似たような姿になる気がする。

帰りのフェリーに乗る前に売店で佐渡土産を探していたら、地元のパン屋のパンを見つけた。どこかで見たことのあるような名前とルックスだが、お江戸の小洒落たブーランジェリーなどでは見つからない「レアもの」だったので買ってみた。
ちなみに、右側の丸いカレーパンのようなものは、「あんかつ」という。何じゃそれは、と思ったが、文字通りの食べ物。つまり、あんこをパン生地で包んであげたもの、「餡」の「カツ」だった。あんドーナツとは何かが違うのだろうなあ。

佐渡名物は金山と朱鷺だけではないのだよね。

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おまけの旅が大変だった

久しぶりにダム巡りをした。ダムといえば山奥の谷間にあるものというのが常識だが、実は離島にもダムのあるところは多い。佐渡島にも国土交通省公認(笑)の公式ダムカード配布ダムが三箇所もある。島の中にダムを作るほどの川があるのかとも思うが、佐渡島のダムはどれも立派なものだった。
他の離島では小ぶりの治水ダム、つまり洪水対策向けのものが多いのだが、こちらはAクラスの大型ダムだ。

ダム湖はいわゆる静水面なので、大型ダムでは水上スキーができるところもあるが、さすがに佐渡島ではそこまでのレジャー施設化したものはない。

最近公式ダムでは写真を撮るためのフレームを設置するところが増えたようで、佐渡島は三箇所ともフレーム付きだダムだった。まあ、それだけ観光地として認知されているのだと思うと、なかなか感慨深い。

こちらのダムは二つとも管理人不在の無人だった。こういう無人ダムでは近くの有人管理所があるダムにカードをもらいにいく。ズルをしたりできないように、ダムに行った証拠写真を求められる。まあ、その確認はそれほど厳重ではない感じもするが。

ダムカードをもらうにはダム脇にある管理事務所に行き「ダムカード、くださいな」とお願いする。テロ対策のため管理事務所はドアロックしているのでインターホン越しに会話をする。その時に、どこから来たかを尋ねられたり、ノートに記入したりする。
どこのダムでも、その来訪者記録を見ると、だいたい1日に一人来るか来ないかという感じだ。佐渡島ともなればわざわざフェりーに乗ってくるしかないので、訪れるダムマニアは週に一人くらいではないかと思っていたが、なんとここしばらくは毎日誰かが来ているらしい。
恐るべし、ダムカードマニアと自分のことを棚に上げて驚いてしまった。まあ、長野県鬼無里のようなところでもダムカードマニアは来ていたしな。マニアの執念はすごいぞ。「推しダム」話をしたら止まらないんだろうな。

もしそんなファン活動があるのなら、佐渡島、対馬、隠岐島とレアな三離島のガムカードを持っているので、ちょっと自慢してみても良いでしょうか。

ダムの住所は大雑把な表記なので、カーナビにはヒットしないことが多く、ヒットしたとして目的地がダムの真下の空き地になっていたりするから、油断できない。ダム付近に来たら目視で道を探すことになるのもしばしば。
ただし、建設時ダンプカーが通れる道を作るので、ダムに続く道は意外と整備されているから、ナビ通り走っていて獣道っぽくなってきたらナビが間違っている要可能性が高。その点は注意が必要だ。今回も二度ほど、カーナビを信じていたらUターンも難しいとんでもないところに連れて行かれた。ダムに行く時はご注意ください。

佐渡島、おまけの旅はダム巡りでした。

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最終目的地

佐渡国一宮 度津神社(わたつじんじゃ)

古い話なのだが、律令政治が行われた頃、古代日本で制定されていた分国には、国家認定の神社が配置され、その格付けが決められていた。分国で位の高いお社が一宮で、地域によっては二宮、三宮も認定されていた。
大和政権による統一支配前には、それぞれの地域が独立国であり、その国の神を奉じていた。それが大和政権による征服、併合の過程で国津神とされた。大和政権の神が天津神、地方政権の神が国津神と二階層に分類され、上下関係が持ち込まれた。
ただ、国津神が大和「神」系に組み込まれたこともあり、日本神話体系は実にごった煮状態の矛盾だらけ現象が混在している。その混乱は一宮の祭神によく現れる。
大和神族の頂点、天照とその弟、素戔嗚の関係が典型的だろう。荒ぶる神スサノオと超越神アマテラスは、古代で最大勢力が激突した結果として両方の最高神が姉弟関係と定められ(上下関係の確立と合わせて)調和されたと思っている。
その統合が完了したのちに、日本海沿岸の先進文明国家であった「出雲」が飲み込まれた時に、大国主が国を失ったのではなく譲ったのだという体裁をとった。ソフトランディングを狙った占領政策だろう。戦争に負けての従属ではなく、善意による政権譲渡という形を記録に残したものだ。当然ながら、当時の世界帝国である漢以降の中華思想にある「禅定」を真似て作られたと推測する。正史を他国語で記載するしかない時代のことだ。文字も思想も丸呑みするしかない。

などなど、一宮のお参りの時には、古代日本の神様たちの親族関係などをよく読み込みながらお参りするのが楽しみだ。そもそも大和政権の神々は、統合戦争の折々で勝利した偉大なご先祖様を神に昇格させたものだろうから、神様というより爺様、ひい爺様、ヒイヒイ爺様を尊敬するみたいな感覚だったのではないかと思う。


この大和神族形成の物語には、他にも日本武尊とか吉備津の神様など、政権側の征服者・戦争指揮者などが、どこでどう神様になっていくかという見所もあり、実に興味深い。
征服王朝が他方の神々を飲み込んでいく過程が窺われ、大事にされ親族になる国津神もいれば、配下として従属させられる国津神もいる。


八幡様を崇める一族や出雲系の神社は、政権と対立を解いた後も、したたかに勢力を保っていた気配がある。だから、大和神族とは一線を画した存在で、また別の神族であったころの痕跡を残している。

その混乱したまま受け入れらた神道を一本にまとめ上げようとしたのが、明治政府期の国家神道なのだが、そもそも神の体系を合理的に整理しようなどという発想に無理がある。例えて言えば浄土宗も日蓮宗も華厳宗も臨済宗も、みんな仏教だから仲良くしようみたいなもので、そもそも仲良くできないから宗派が割れたことを忘れてしいる、典型的な歴史のお馬鹿さんみたいなものだ。

そんな古代日本の歴史に思いを馳せながら、全国にある一宮を訪ねて歩いた。最後に残ったのが、佐渡国一宮で、そこをようやく完了した。御朱印集めはスタンプラリーではない、と神社・寺院の関係者はよくいうようだが、そもそも信仰と観光は密接な関係がある。ありすぎるほどだ。
古くは西国、東国の札所詣があり、これは平安・鎌倉時代から続く。札所参りは典型的な観光と信仰の融合形態だ。四国八十八ケ所はもう少し宗教的色彩が強いが、現代ではこれまた典型的な信仰と観光の融合形態だろう。
江戸期に大流行したお伊勢参りは、信仰色がだいぶ薄れ観光的側面が強まったもので、その流れは現代に続く。
そのおかげで門前町が栄え、寺や神社も栄え、ひいては信仰者も増えるのだから、神社仏閣の関係者が文句を言うと神罰・仏罰が当たるというものだ。

一宮参りは神道界全体をあげてのイベントではないようだ。一宮のなかにも、今ではその地域の一番著名な神社ではなくなっているところもある。新興の勢力に負けてしまっていたり、そもそも地域で神社を守る体制が消滅しかかっていたりするからだ。
もちろん一宮の中でスーパースター級の存在も多い。例えば武蔵国氷川神社、尾張国熱田神宮、摂津国住吉大社などなど神社界ではトップクラスなラインナップになる。有名どころでは意外なことに出雲大社は一宮ではない。被征服国家の神だからだろう。
また、仏教主導で建てられた神社もある。仏様を守護する神様という意味合いらしいが、比叡山と日吉神社は密接な関係がある。ただ、近江国一宮は別なところにある。
お江戸で一番の大きな神社は神田明神か日枝神社だと思うが、(明治神宮は一番新しい新人だから)どちらも由緒正しい歴史のある神社だが一宮ではない

最後の一宮にお参りしたらおしまいになると思っていたが、東国・西国札所巡り、つまり観音様のお参りをしたら善光寺・北向観音に報告に行くのだそうだ。これをお礼参りという。
一宮参りの発祥は埼玉県氷川女体神社なので(お参りした時にそのように聞かされた)、そちらへお礼参りに行くべきかなと思っている。

最初の一宮参拝は、平成29年11月、鹿島神宮だった。コロナを間に挟んで9年かかった。人生最後で最大の長旅だったなあ。


ご興味がある方は、下記サイトに詳しく説明がありますのでご参考まで

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民泊的な民宿? なのかな

佐渡にはいわゆるビジホがないらしい。ネットの予約サイトで見ても立地や値段を見ると、観光ホテル的なものばかりだし素泊まりでも10000円では難しい。何より島に渡るメインというかオンリーな交通手段である、フェリー港界隈にホテルが見当たらず、離れたところにある宿が車で移動する前提で島のあちこちに散財している。
今回は平日ということもあり比較的安価で港近くの宿を見つけたと思ったら、なんと空家の民泊的な宿だった。場所が場所だけに食事付きにしたのだが、食事の場所は宿泊施設から車で10分ほどかかる食堂だった。
オートロックの開け方や食事の方法など、予約サイトではわからない。宿からはメールで色々と案内が送られてきて、それを「しっかり読む」と対応可能な仕組みなのだが、メールを斜め読みしただけでは、部屋に入ることもできない。途方に暮れて連絡先に電話したら、担当者が救助に来てくれた。申し訳ないと思いつつ、あれこれ尋ねてみた。やはり、たまに鍵の開け方がわからない「おろかもの」は出現するらしい、住みませんでした。

おまけに、宿から食事時場所まで送迎してもらえたのだから、親切な人たちなのだ。

二度目に留まるのであれば、この手の課題は全て理解しているので、準備万端の上、コスパの良い宿として活用できる。が、初回はあれこれハードルが高いなあ、というのが利用しての感想だった。ホテル→民宿→ゲストハウス→民泊という、宿泊ヒエラルキーを理解した上で宿の予約をしなければなあ。安い宿は訳があって安い。それを身思って体験してしまった。

晩飯で連れて行かれた食堂は宿と経営が同じとのことで、気安く入れる大衆食堂というイメージだった。多少は心配していたが、その不安を打ち消す美味くてボリュームたっぷりなものだった。
佐渡近海の魚を堪能した。正直言って多すぎると思うほどの大盛だ。ご飯も普通盛りにしてもらったが、出てきたものはほとんど丼飯で、この定食で満腹・感動・もう動けんという有様だった。お江戸であれば高級な白身魚がこれでもかと乗っている。

どうやら両流の街では人気店らしく観光客も含めて大繁盛だったが、昼飯も自慢らしく、もう1日あったらランチも食べにいってみたかった。

途方に暮れる民泊のような宿と、満足感120%な食堂と、極めてアンバランスな体験をしてしまった。相当旅慣れてるとは自負しているが、この歳になってこんな旅をすることになるとはねえ。思い出深い佐渡の一夜でありました。

熟練者向けです。

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佐渡名物? 回転寿司がおすすめ?

タッチパネルもない、今でも回転レーンで寿司が回る本格派

佐渡に行ったら何をする、と言われると答えは「魚を食う」だろう。金山跡を見にいくのはなかなか面白い。酒好きであれば日本酒の蔵巡りというのもある。ただ、佐渡のあちこちにあるホテル・宿は周りに歓楽街があるようなところにはない。ブラちと外に出かけて晩飯を食うようなことが難しいみたいだ。基本的に宿で飯を食う以外の選択肢がほぼない。


そもそも観光客が多い場所だとして、繁華街を成立させるほど地域の人口が多くない。温泉町のように宿泊施設が固まっているわけでももない。そして、現代日本の縮図である地方都市・佐渡では交通機関が絶望的にない。自分で車移動しなければ、どこにも行けない、何も食べられないのだ。
ちなみに、あちこちにコンビニエンスストアはある。島なのに物流は大丈夫かと思うが、新潟市内のコンビニと比べても品揃えに問題はない。原住民にとってはかっくだんに住みにくいということはないはずだ。

だから、車で移動している限りコンビニと郊外型飲食店を探せば良いのだが、徒歩旅行者には厳しい地になるのは間違いない。これは佐渡に限ったことではなく、日本中に点在する離島の当たり前な現象になる。ただし、他の島々と決定的に異なるのは、まず道がよく整備されている・ありがちな道幅の狭い運転しずらいという場所ではない。新潟県政治家の実力発揮たるところだろう。長野県から山道を抜けてにいいが他県に入ると、その道路事情の差がよくわかる。長野県側にはガードレールもない細い道が、新潟県に入った瞬間から対向車とすれ違える立派な道になるのを経験すると、地方政治のあり方が 如実にわかる。おまけに、フェリー港には大量のレンタカーが配備されている。だから、観光客ドライバーはよほど集落の中にでも迷い込まない限り、運転に困ることはない。ナビさえあれば優しい道路だ。

そんなあれこれから、昼飯はレンタカーで回転寿司に行った。ネットで調べたところ相当な人気店らしく待ち合列を覚悟して行ったのだが、結果的に15分ほど待って席にありついた。

ネタはほとんどが佐渡の地元産で、壁には「本日の佐渡ネタ」と一覧で分かるように書かれていた。マグロとぶりがオススメらしい。どちらも佐渡で上がったもので、おまけに値段が一番安いネタになっているのが驚きだ。
いつものように好きなものをすきなだけ頼んで大満足の回転寿司ランチになったが、好物の鯖がなかったのがちょっとだけ残念。それと、腹がいっぱいになって諦めたが、サザエの握りがあった。これは珍しい。

もう一回行ってみたい良い店だったが、もう二度と行くことはないだろうなあ。旅先の名店は、まさに一期一会なのだ。そもそももう一度佐渡に行く機会があるとも思えないし。


ちなみに新潟市内には佐渡産の魚を使った、佐渡の回転寿司屋の支店があるので、そちらであればもう一度くらい行けそうな気もする。

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佐渡に行ってきた

フェリー乗船口で改札ゲートがある

新潟から佐渡島に渡るには飛行機かフェリーになる。高速のジェットフォイルというやつもあるが、あれは旅情に欠ける。時間を惜しむビジネス仕様の移動手段なので、やはり3時間弱の船旅がよろしいと思う。
フェリー乗り場は最新式の改札になっていて、乗船券にあるQRコードをピッとして手続きする。乗船待ちの行列が実にスムーズに進んでいく。良いことだ。

船に乗ってデッキに出たら面白い標識があった。なんとこのフェリーは国道上を走っているらしい。というか、この船が国道らしいのだ。移動する国道というのは、なんとも凄まじい。

新潟港から出発して1時間ほど、周りには海しか見えなくなったあたりまで、カモメが船についてきていた。どうやら乗客がカモメに餌を投げるので、それに釣られて飛んでいるのだ。空を飛ぶからいいようなものの、カモメも呑気というか執着心が強いというのか。フェリーもそれなりの高速で移動しているはずだが、それについてくるのでほとんど空中で静止しているように見える。


空で止まっているカモメとは、ちょっとみたことがない光景だった。しばらくカモメの飛ぶ姿を見ていたが、時おり何かが落ちてくる。鴎は飛びながらドロップするのか、器用なものだな。
人間であれば歩きがら〇〇〇をドロップするとあれこれ面倒くさいことになりそうだが、カモメは空中ドロップが自由自在だった。

自由なカモメと思ったら、頭の中に浮かんで啓太フレーズが「かもめのジョナサン」、往年のベストセラーだが、ドロップの自由についての記載はなかったような気がする。

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古町から万代橋まで歩いてみた

本町から古町を見ると……………それなりにビルも多く賑わいがあるように思えるが

古町探索を終えてホテルに戻ることにしたのだが、ちょっと気になるのが本町にあるアーケードだった。ほんの2ブロック程度先なので歩いて見ることにした。が、すでに歩行距離は1万五千歩をを超えているので7-8Kmになっているはずだ。足が重い。
めっきりと歩行速度が落ち、よろよろと歩いてしまった。その途中で越後名物笹団子の店を見つけたリ、なんでこんなところに吉野家があるのだと不思議に思ったりした。
本町アーケードにロピアを発見した時は本当に驚いた。博多のロピアも不思議な立地だったが、新潟でこの場所がロピア向けとは思えないのだが。まだ街を歩き足りていないので結論は持ち越しだな。

その本町アーケードで見つけたなんとも愉快なのぼり。国道7号・8号・17号は大幹線なので、それが三つも交わるとは確かにすごい。東京でいえば日本橋みたいなものか。それ以外の3桁国道はどこに繋がっているのかも分からないが。

古町方向から万代エリアを見ると、いかにも今の繁華街という雰囲気がする

さて本町からホテルのある万代エリアはバスでいくと停留所一つ分しか離れていない。せっかくなので、足は痛いが万代橋を渡ってみようかと思い直し、徒歩行軍開始した・

橋を渡りながらふと気がついた。橋の上に車が一台もいない。どうやら橋の前後の信号が同タイミングで赤になるらしい。この長い橋で両方向からの通行車両がないとは、なんだか奇妙な光景だと思う。橋を歩いて渡るような酔狂な真似をしなければ経験できないことだ。

信濃川の川幅はとても広い

信濃川河口まですぐそばと言うこともあり、万代橋の川幅は広い。さすがに日本一の川だな。ただ、清流という感じはしない。どんよりと濁った水は山から土砂を運んでくるせいだろうか。

万代橋中央部分から河口側を眺めると一際目立つ高層ビルがある。あれが朱鷺メッセというコンベンションセンターらしい。その向いには佐渡島に渡るフェリー乗り場がある。新潟は港近くを埋め立てて作られた人工都市であり、日本海航路の要衝であったことが、この辺りからもわかる。

あれこれ考えながら足を引きずり橋を渡り切った。気温は30度近くあったのだが、軽装であること、気持ち良い風が吹き渡る季節だったことが幸いして、意外と苦労なしで新潟散歩を終えた。足は痛かったが、満足感はある。夜寝る前に歩数計を見たら2万4千歩だった。この歳でよく頑張ったと言える。やはり街を見るには歩き回るのが一番良い。


案の定、翌日は手ひどい筋肉痛で殆ど歩く気力がなくなっていたが、まあ、それは仕方がない。

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アンダーグラウンドのシャッター街 新潟の衝撃

新潟古町の交差点近く、銀座で言えば三越のあるような場所は大型オフィスビルとイベントスペースになっていた。平日であったが、キッチンカーが営業していたから、そこそこの人出はあるのだと思う。
沖縄那覇で県庁前のビルでも似たような光景を見かけた。キッチンカーは人の多いところにしか出現しないから、やはりここが古町の中心部であるのは間違いないと思った。
そのイベントスペースから地下に降りるエスカレータがあり、不思議に思い潜ってみた。なんの予備知識もなかったので、地下駐車場にでも通じているのかと思ったのだが。

そこは地下街の跡、シャッター街になった地下商業施設だった。流石に照明はついているが営業している店はない。空気はかなりカビ臭い。人影はほとんどない。

写真で見る限りそこそこ明るいが、実際にはどんよりとした空気で実に薄暗い。あちこちに装飾がそのまま残されているのが、街としての無惨さを際立たせている。「廃墟」という言葉が脳裏に浮かぶ光景だった。
なんとなく。ゾンビ映画に出てきそうな光景だ。誰も歩いておらず、あかりだけが寒々しい。全国あちこちで地下街を見てきた、歩いてきたが、これほどの結末を迎えたところは見たことがない。地下街で一番の古めかしさを感じるのは銀座線浅草駅に続く、日本最古の地下街だろうが、あそこはまだ古びていても生きている街だ。ここは、明るくてカビ臭くて死んでいる。すぐに地上に戻りたくなる現代の遺跡だった。

エスカレーターで地上に戻れば、こんな立派なビルがあるのに。この写真を撮った場所も元・百貨店のメイン入り口だったはずだ。新潟屈指の目抜きの交差点のはずなのだがなあ。アメリカの地方都市で、市役所や商店街だったところが廃墟と化している光景とよく似ている。

新潟アンダーグラウンド・ブルース……………そんな言葉が思い浮かんだ。

気になってGoogleマップで新潟市周辺のショッピングモールを調べてみた。結果は、新潟駅を中心に東西と南に大型モールが出店している。新潟駅も大改造して巨大な都市型モールに変身している。
新潟駅と日本海に挟まれた旧市街エリアが、競合店で完全に包囲された格好だ。自動車によるアクセスの不足さ、駐車場整備の遅れなどで旧市街が衰亡したのは間違いない。政令都市規模でもこの手の「縮退」が起きるのだから、今の日本で人口問題は根が深い。政府の機能を東京からどこかの地方都市に移転して、官僚が我が身で不便さを味わいでもしなければ、政策は変わらないだろう。中央の官僚は東京都地方都市を順ぐりで転勤するのが宿命だが、それでもせいぜい県庁所在地にしか出張はしない。おまけにあてがわれる官舎は市内の交通至便な場所ばかりだ。国会議員の大半も都市生活者だから、一度北アルプスの山間僻地や中国・四国地方の限界集落にでも強制移住させて、リモート勤務を押し付けテッ見れば良い。多分、三日で根を上げると思うぞ。

自分の見てきた限り、仙台がある宮城を除いた東北5県、新幹線による浮揚効果がない山陰の鳥取・島根と九州宮崎、四国4県、そして北関東3県が似た様な感じだ。が、さすがに地下街の廃墟は見たことがない。

新しい都市モデル、つまり旧市街の活性化ではなく再利用について、国家レベルで対策を考えるべきなのだがなあ。今の復活した保守系政権では地方切り捨てが本音で、そんなことの代わりに借金しても国際パワーゲームに再登場したいのが見え見えだから、このシャッター地下街が復活する目はなさそうだ。

地下街ソンビ発生は、避けられないだろうか。

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おそらく新潟一番の知名度ではないかな

テレビの旅番組ではほとんどマストアイテム化している新潟の名所、万代バスセンターにある立ち食い蕎麦屋は、いつきても驚くほど人がいる気がする。おまけに、ほとんどの人がそばではなくカレーライスを食べている。
おそらくそばを食べているのは地元民で、カレーライス、それも小盛を頼んでいるのほとんどが観光客であろうと踏んている。ちなみに、この店の外国人客比率はセロとみた。カレーライスに挑戦する外国人はいるかもしれないが、立ち食いそばは流石のリピーターインバウンドにも敷居が高いのだろう。)銀座では欧州系外国人が立ち食い蕎麦屋で食べているのを見たことがあるが)

街を歩いていても外国人観光客の姿は少ない。感覚的には高知市内よりも少ないくらいだ。新潟駅付近でもほとんど見かけない。ましてや生活路線であるバスターミナルに、外国人が出現するとしたら高速バス乗り場くらいだろうか。

翌日に分かったことだが、佐渡島に渡る船は流石に外国人客もいたが、彼らは市内のどこかに逼塞していたのだろう。ほとんどが大陸系チャイニーズだったが。

の日は腹の減り具合を考え蕎麦だけにした。前回は蕎麦とカレー、どちらも普通盛りにしたので完食するのに苦労した。もう少し腹が減っていれば小盛りのカレーを注文できたかもしれないが、最近は量的な無理は避けるようにしているので、そばオンリーだ。

結果的には、この一杯のそばにも手こずってしまった。なんとも蕎麦の盛りが良いせいだ。
立ち食いそばとしては普通の出来だと思うが、やはり蕎麦つゆがあっさり系だった。お江戸的なこれでもかと鰹節などの魚介出汁を効かせた濃いつゆに慣れていると、この手の薄味がちょっと物足りない。ただ、冷静に考えてみると蕎麦やうどんのつゆはこれくらいの方が体によさそうだ。そろそろ身体に合わせて舌の感覚を変えなければいけない。

翌朝、バス待ちの時間がちょうど開店時間と重なり合っていた。午前8時、開店時の行列はこんな感じで、ひょっとしてこの店の一番混み合う時間は開店直後なのではないかと思うほどだ。が、15分後には行列が解消して、立ち食いカウンターが満席になっていた。

とりあえず新潟で一番混んでいたのはここで、二番目に混んでいたのは回転寿司の「弁慶」でした。

立ち食い蕎麦屋が観光名所になるというのは素晴らしいことだ。だが、新潟観光に来た人たちは、この蕎麦屋以外にどこに行っているのか、新潟で観光体験がない自分としてはそれが知りたい。