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東北一筆書きの旅 岩手県へ

一筆書き二日目の旅は、仙台から一関に向かい、ちょっと待ち時間があるが乗り継いで花巻へ。その後、盛岡でJRから青い森鉄道に乗り換え。ゴールは八戸だ。距離的には長いが、花巻で立ち寄りたいところがあるので一日の日程としてはほぼ一杯となる。
一関は有名な世界遺産である金堂の近くであり、北東北の入り口にあたる。新幹線の駅は在来線の駅と繋がっている。平泉観光する場合はちょっと在来線を使えば最寄駅にいけるが、ちょっと面倒くさいので、ここでレンタカーを借りると便利だ。

この年は、なぜかピカチュウがお出迎えしてくれたが、どうやらJR東日本全体でのタイアップ案件だった模様。詳しい理由はわからないが、金持ち企業であるJRは意外なコラボ企画を度々実施している。夏休みに子供にせがまれて親がスタンプラリーであちこちに行くという需要喚起キャンペーンだ。当然ながら、新幹線駅は対象外で在来線をフルに活用することになる。
商魂逞しいというか、あざといというか。まあ、青春18きっぷも似たようなもので、対象が子供ではなくジジイという違いだ。ジジイに向けたタイアップ企画を考えるとすれば、キャンディーズとかピンクレディーなどのアイドル系だろうか。3人娘の企画はあれこれ難度が高そうだ。

その一関で乗り継いで向かったのは、一関と盛岡の中間にある花巻市だ。一般的に有名なのは、あの宮沢賢治ゆかりの地、それに尽きるのだが自分の場合は食堂だ。
花巻の中心部にあった百貨店が閉店して、その大食堂だけが復活した。ありし日の大食堂をそのまま残しているので、市民だけではなく観光客が押し寄せる繁盛店になった。
ジジイキラーなコンテンツというべきだろう。ファミリーレストランが冷えてしまい、その影響で消滅したデパートの大食堂だが、寿司・ラーメン・洋食・カツ丼………何dでもあるメニューはやはり魅力的だ。おまけに昭和の大定番デザートである、プリンアラモードが生き残っている。ジジイが食いつくわけだが、自分もその一人であり年に一度は行きたくなる。

最大の魅力的なメニューは、箸で食べるソフトクリームで高さは通常のソフトクリームの二倍くらい。旨い不味いを超越した「悪魔的魅力」がある。

不思議なことにこの大食堂のヒットを見ても、外食企業の誰もがコピーを作ろうとしないことだ。現代のファミレスは厨房の調理能力が著しく低下しているので、これだけの多種多様なメニューは展開できないということかもしれない。ただ、どこかに突破口はあると思うのだがなあ。配膳ロボが行き交う体育館みたいな店を想像しているとワクワクしてくるのだが。

花巻でソフトクリームを堪能したあとは、盛岡までほぼ1時間の移動。盛岡の夜も仙台にも増して楽しいのだが、この時は日程の都合上でスルーとなった。盛岡といえば冷麺と民藝居酒屋で決まりなのだがなあ。残念。一気に八戸まで北上する。

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東北一筆書きの旅  仙台で何をする

東北の旅初日は仙台に泊まる。頑張れば盛岡まで行けるが、そうすると到着時間は夜遅くになる。それではただ寝るだけで楽しみもない。東北の街は仙台を除くと夜が早い。10時を過ぎると大半の店が閉まってしまう。深夜営業の店も見つからないので、ヘタをするとコンビニ弁当で晩飯という情けないことになる。やはり、早めに到着してゆっくりと地場の旨いものを堪能したいものだ。まあ、仙台は大都市なので例外的に朝まで賑やだが。

仙台名物といえば牛タンと笹かまぼこだが、牛タンの人気店ば予約なしで入るのは難しい。チェーン店であれば店にもよるがふらりと入れることもある。旅先のちょっとしたあるあるだ。あとは意外と知られていないが、マグロがうまい。気仙沼上がりのマグロが安く食べられる。
マグロを食べるとなればこの店が外せない。仙台で一番お気に入りのお居酒屋だ。何店か支店もあるので、行きやすい場所の店を選べば良いのだが、コロナのあとは閉店してしまったところもある。よく行っていた店は閉まっていた。


この店でマグロとカツカレーライス抜きを注文するのがマイ定番だ。創作料理系の居酒屋なので行くmたびに面白いものが置いてある。仙台に行くなら外せない。
時間があれば、北京飯店という仙台市民には有名な低価格中華店にも行くのだが、仙台の街中には街中華が何店も生き残っているので、そちらに行くのも良い。

また、昭和から生き残っている飲屋街というか横丁もあちこちにあるので、その中の一軒も忘れてはいけないのだが、いつも混み合っている。席が空いていることは少ないので、ふらりと入入れたらラッキーだ。いろは横丁は良い店揃いなので、もし満員の時は近くの店を探せば良い。

仙台は仕事でずいぶん通ったので観光はなし。食べるものも名物には手を出さない。地元の有名名鮨屋(大衆価格店)に行ってホヤを食べるくらいだろうか。

仙台は気候が過ごしやすい。夏はお江戸ほど暑くなく、冬は多少寒いがあまり雪も降らない。実に過ごしやすい場所なのだ。もし、日本のどこかに引っ越しをするとしたら、間違いなく一番候補は仙台だ。適度に大都会で、適度に公共交通網があり、適度に田舎に近い。二番目の候補は博多だったが、最近は外国人観光客が溢れていてちょっと息苦しい街になった感じがする。だが、食事は旨い街だから捨てがたい。

ちなみに仙台ー東京は新幹線で最短1時間40分。ギリギリ通勤可能な場所であり、日帰り旅行も可能だけれど、やはり日程には余裕を持ってのんびりするのが良いと思います。近くに有名な秋保温泉もあるし。

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東北一筆がきの旅 続き

JR普通列車を使い東北旅をする時にお江戸方面から北上するルートはいくつかある。一番わかりやすいのが上野ー宇都宮ー福島ー仙台と移動する新幹線並行ルートで便数一番多い。乗り継ぎの待ち時間がほとんどない。
それと比べるとちょっと難度が高いのが、上野ー水戸ーいわきー仙台という海側ルートだ。これは特急ひたちのルートなのだが、普通列車は直通しない。何ヶ所かで乗り継ぐのだが、待ち時間もの長い。いわきと仙台の中間駅が「はらのまち」だった。


乗り継ぎ時間が1時間以上あるので、一筆書きの旅では最初の難所だと言える。その待ち合わせ時間を利用して駅前を歩いてみた。
有名な相馬野馬追の街だった。こんな待合時間でもなければ、おそらく訪れることがないところだろう。駅前には図書館を含む文化施設があり、そこを覗いたりしているうちに待ち時間はすぐになくなってしまった。
旅先で巡り合う予想もしない出会いが、実はソロ旅らしい楽しみだ。

野馬追は古代大和の時代まで遡る由緒のあるお祭り?らしいのだが、当時の小さい馬ではなく現代の大型馬で催しは行われているようだが、まあ、そこまで史実を再現する必要もないとは思う。

福島県太平洋沿いの地域は、東日本大震災の後始末を含めて旅先に選ばれることは少なくなったようだが、普段とはちょっと違うルートで旅をすると、色々と楽しみが増えるのではないかなあ。ちなみに、こちらのルートはやはり青春18きっぷユーザーは少なかった。

乗り継ぎの待ち時間が少ない短縮するルートは、同じような人たちが大勢乗っている。東海道本線などは、10人単位で乗車している感じがする。同じ列車に朝から晩まで同乗しているので自然と気がついてしまう。その同類的な感じはいささか気恥ずかしいものがある。と言って、話しかける気にもならないのだが、たまに話しかけられるといささか面倒になる。終点まで逃げ場がないからだ。
ソロ旅をしたいと思っている人は、ちょっとルート選定を考えた方が良いみたいだ。

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グルッと東北 一筆巡りの旅 

日立駅の待合室はとても快適でありました

2022年の今頃、コロナにも慣れてしまい第⚪︎波などと言われても、大半の人があまりビクビクしなくなっていた頃、JR東日本を普通列車で一回りした。JR東日本は七日連続普通列車乗り放題というお得な切符がある。あの青春18きっぷよりちょっとお得なので、東日本を回る時はお買い得なキプだ。
上野ー水戸ー日立ー仙台ー盛岡ー八戸ー青森ー弘前ー秋田ー酒田 ー新潟という一筆書きのルートだった。
昼飯は乗り継ぎ時間を使って駅弁を食べようと思っていたので、初日は水戸で買った駅弁をいわき駅構内の待合室で食べた。

なんとも素朴なルックスの駅弁だが、実は駅弁はこうしたシンプルなものがうまい。我が駅弁ベスト3は、横川駅 峠の釜飯、山形 牛肉ど真ん中、大館 とり弁なのだが、どれも見かけはシンプルなものだ。
しらすに梅干しという組み合わせは、日本の弁当の原点みたいな感じがした。旅先の駅弁はなぜあんなにうまいのだろうか。コンビニ弁当もこういう物を教材にして組み立てれば良いのになあ。

東日本の有名駅弁の大半は東京駅構内の駅弁屋で手に入る。たまに駅弁を食べたくなると、東京駅経由での移動を考える。ただ、あまり新規弁当に手を出すことはなく、我が定番的なものばかりになるのは仕方がない。新規に手を差し失敗するのを嫌がる後ろ向きな思考が強くなっているせいだ。

駅弁といえば福島県郡山で手にはいる海苔のり弁当も好物だが、終売になってしまった会津街道蔵出し弁当がっ秀逸だった。なぜか好物の弁当は東日本に集中していて、名古屋以西の駅弁にはあまり惹かれていないのが不思議だが。

青春18きっぷは利用方法が改定され使い勝手が悪くなったと不評だが、連続移動を前提とすればJR東日本の限定きっぷはなかなか重宝する。できれば年中使用できるようにしてもらえないものだろうか。首都圏以外では、朝夕のピークを除けば普通列車が混雑することはない。空席を活用しての鉄オタ向け切符はもう少し充実しても問題はなかろうと思うのだがなあ。
駅弁スタンプラリーと合わせての企画切符なども面白いと思うけど。

ちなみに時刻表を駆使して、一筆ガキの旅を計画する時が、実は一番楽しい。旅の楽しみは計画を立てることなのではないか。実際に旅をするよりもあれこれ計画するのがもっとも面白いと思っております。

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コロナの前に行った場所

2019年撮影のオムライス

岩手県花巻市に元百貨店だったビルがある。その中に「大食堂」が生き残って営業しているのだが、名物はオムライスとソフトクリームで、わざわざそれを食べにくる観光客が多い。自分もその一人で三度ほどこの大食堂に行ったことがある。
エレベーターを降りたろ頃にガラスのサンプルケースがあり、そこで選んだメニューを食券売り場で買い求める。
席に着くとウエイトレス(もはや死語だなあ)が食券を撮りにきて、版権をテーブルに残していく。誠に由緒正しい、デパートの大食堂システムだ。

個人的にはこの大食堂システムを復活させたいと思っていたので研究を合わせて何度か訪れたのだが、さすがに花巻は遠い。おまけにこの元百貨店ビルは駅から遠い。バスも利用できるが、基本的にはタクシーかバスになる。
某「孤独……………」の一人飯番組でもこのレストランが登場したが、確かに中高年のおっさん、一人旅風な客が多いので、お江戸界隈でこのコンセプトはいけると思うのだがなあ。

そんなことを考えているうちに、あのコロナが襲来してきて日本外食業界は3年の冬眠に入る。3年も経てば人の意識も随分と変わってしまい、「昭和・平成」の食文化が壊滅状態になった。
「令和」の時代にこの大食堂コンセプトが成立するか、ずうっと考えているのだが、どうやら時代の波は様変わりしたようで、これは難しいかもしれないなと思うようになった。

要因はいくつかあるが、最大は対象人口の急減、そして外食産業における多国籍従業員化にある。次の時代の主力コンセプトは現在進行形で変化しつつあるはずだが、どうやら先が見えてきた。
すでにデパートの大食堂は絶滅危惧種であり(デパート自体が消滅しているのだから)、その最後の牙城である、この「大食堂」だけはナンとか生き延びてほしいものだが。

MLBの大スターがこの街出身なので、彼がなんとかしてくれないものだろうか、などと他人任せなことを思っている次第。

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濁り酒でアウトドア

濁り酒が結構好きで、キンキンに冷やしたやつが良い。濁り酒は甘さが強いので、淡白な味付けのもの、刺身や塩焼きの魚などにはあまり向かない。ガッチリと甘辛に味付けした豚肉を焼いたものとか、ハンバーグなどが相方として向いているのではないかと思う。
濁り酒は元々の日本酒、つまり清酒が誕生する前の日本酒に近い。米を麹で一次発酵させたものが日本酒の原型らしいのだが、あまり秘術のいらない素朴な酒なのだろう。江戸期になるまで濁酒は貧乏人が、清酒は金持ちが呑むものであったらしい。
現代では濁酒も清酒も工程の違いはあれ、金額的には大差がない。濁酒は安酒ではなく嗜好品として売られているし飲まれている。

濁酒の歴史は明治期に一度殺されかかった。当時の政府が酒税をかけ始めたときに、いわゆる脱税密造酒として田舎街では盛んに作られたらしい。その密造所に大蔵省の官憲が踏み込んで大立ち回りをすると言う事件が全国で相次いだそうだ。今の時代で言うと各区製剤などの薬物取り締まりに近い、強行捜査も行われた。麻薬GメンならぬどぶろくGメンだ。

大袈裟に言えば、官憲の弾圧に抵抗する大衆反乱みたいなものだろう。その弾圧があまりに強く、どぶろく作りをするものは激減した。田舎の親父が納屋でこっそり自分が飲む分を作っていたとしても逮捕されたそうだ。官憲は横暴が許された時代で、どぶろく作りはすっかり地に潜った。そのどぶろくが公に製造を認められたのは、小泉内閣時代の特区制度だったと記憶している。
弾圧を受けずにどぶろく作りができる(書類申請は面倒くさいが)ようになったにも関わらず、どぶろく作りに挑戦するものは少なかった。日本酒の人気が凋落していた時期に当たる。甘の弾圧は文化を破壊する典型である、と一人で憤慨していたのを覚えている。

どぶろく、濁り酒は発酵を止めていないものがうまいのだが、それだと流通段階で発酵が進み飲めなくなる。(すっぱくなるのだよ)
そのため、冷蔵物流で温度管理をしっかりとして、かつ短い期間で飲み切る必要がある。それが、当時のどぶろく、濁酒には高いハードルになったようだ。
今では、酒造りも技術が進み夏冬関係なく製造される。当然、どぶろくも年中作れるはずなのだが、どうも温度管理問題のせいか、冬場になると出回ることが多い。夏には見かけなくなる。
だから、ちょっと奮発してお江戸の百貨店に出張って「夏の濁り酒」を調達したりもするのだが、あまり銘柄は多くない。やはりお江戸までの流通はあれこれ課題が多いのだろう。

どこかに旅をしたときには酒屋を除いて、地元の酒蔵の酒、とくに濁り酒を探すのが楽しみなのだが、そうしたコレクションの一つがこの時のもの。(だったはず…………)

そろそろ秋のキャンプシーズンなので、濁り酒を探しに行くとしますか。

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夏の武蔵野うどんはカレー味がよい

夏の盛りが過ぎてくると、そろそろそうめんからうどんを食べる季節に変わったなと思う。武蔵野うどんの知名度は上がっているような気がするが、讃岐うどんほどには知られていないのが残念だ。基本的には冷たいうどんを熱いつゆで食べるもので、つゆはしっかりと出汁の効いた濃い甘辛味。豚肉がたっぷり入っている「肉汁うどん」が基本形だが、肉の代わりにキノコをいれてキノコ汁にしたり、鶏肉であっさり目に仕上げたりもする。追加トッピングは野菜の天ぷらだが、お店によってはちくわ天やイカ天もある。


どの店にもあるわけではないが、あれば必ず注文したくなるのがカレー汁だ。和風出汁の効いたカレーは白飯によく合う。日本蕎麦屋のカレー南蛮は、ある意味で日本料理のB級頂点にあると思っているが、それを超えているのが「彼^汁」うどんではないか。スープカレーを楽しむときには白飯で食べるか、はたまたナンにするかとい言うチョイスがあるが、うどんも選択肢の一つに加えてくれないものかと思う。
まあ、スープカレーの原点は味噌ラーメンにあるらしいので(味噌ラーメンをカレー味に仕立てたら美味かったと言うことらしいのだが)、カレー味のスープはうどんと相性が良いのは間違いない。

お江戸の一部や名古屋などで有名なカレーうどん屋を試したことがあるが、あれはちょっと好みとは違う。カレー風味の別物に仕上がった感じがするからだ。日本蕎麦屋のカレー南蛮と武蔵野うどんのカレー汁は、ほぼ双子の姉妹的な相似形だが、武蔵野うどんの方がちょっと荒っぽい。少々野卑な感じもある。そこが良い。

料理の味は野卑から洗練に向かいがちだが、野卑に野卑の良さがある。ネギと豚肉の油を感じつつ、豪快にうどんを飲み込には味の強さが必須だ。うどんを食べ終わった後に白飯を追加して、残った汁の中に放り込んで食べたくなる。(実際にそれをやると、満腹で動けなくなる可能性が高い)

肉汁とカレー汁のダブルセットも一般的になってきたが、これだとうどんの量がもの足りなくなるのが問題だ。

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私はh誰でしょう

所沢市立の音楽ホールにいた所沢市のマスコットキャラらしい。とりあえず市内の小学生は知っているようなので、知名度はあるはず……………

ちなみに所沢市市役所、NTT支社、ところざわ 郵便局、警察署、埼玉県出先機関、法務局などが固まっている、所沢市の行政機関が集まるところにに図書館と音楽ホールがある。博物館もあるなかなかの文化拠点なのだが、旧帝国陸軍が初めて飛行場を設置した場所の跡地だ。その跡地の大部分が、公園になり、その一部に行政施設が置かれた。所沢、入間、立川、福生といった武蔵野の田舎町にほぼ10Km間隔で飛行場が配置されていた。日本航空界の草分けの地なのだが、敗戦後に米軍基地となっていた。今でも旧飛行場の北側部分に米軍通信施設が残されている。

あまり知られていないが、所沢は軍都なのだ。軍都といえば広島や佐世保や舞鶴を思い出す。陸軍の街であれば、北海道旭川と熊本だろうか。しかし、それと並ぶくらいに所沢は軍依存の街だったはずなのだ。誰もそんなことを思ってはいないみたいだが……………

首都圏の航空管制を行う施設も公園内にある。ここが止まると羽田空港の運用ができないそうだ。厳重な対テロ対策が取られているらしい。(昔は機動隊の車が常時警戒していた)

まあ、そんなところにスタッフとして入り口で見張りをしているのが、ゆるーいキャラなのだから、この街は安全なんだと思うのだよねえ。

ちなみに所沢で有名なものは

狭山茶に西武ライオンズ球場くらいだろうか・あとはダイオキシン汚染で一時期騒がれた。措定外には……………思いつかないか。最近であれば角川書店のミュージアム。だれも日本航空発祥の地、軍の街などとはいいませんねえ。

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夢の跡

山中城跡 入り口からすぐのあたり

こんな風景を見たら公園の土手?と思うかもしれない。が、これは立派な城跡だ。戦国時代の東国では、築城技術が遅れていたこともあり石垣のある城がつくられるようになったのは随分遅い。戦国時代末期ではないか。
関東では一大勢力だった北条氏の箱根防衛戦となった山城は、基本的に土の壁、土塁が中心だった。ただし、その規模は巨大で箱根の峠に向かう山の中腹をほぼ占拠していた。ただ、その土塁をめぐる攻防戦はたった一日で終わる。
築城技術の差もあるのだろうが、おそらく戦争技術が遅れていたのだろう。畿内を巡る幾多の戦闘経験を積んできた織田軍とその後継者たちは、戦時技術の急速な進歩を体験している。弓と槍主体の歩兵近接戦から鉄砲を主力とした長距離戦への移行が最大の変化だが、土木技術の発達に伴いより堅固な築城を行えるようなった頃でもある。堅固になった白を落とすのは単純な力攻めでは難しくなった。その結果、大兵力に物を言わせて白を城を包囲した持久戦、兵糧戦に持ち込むまでになった。
東国、特に関東では鎌倉以来の築城と野戦で勝負していたのだから、聖地に仕上がった西国の先進戦争技術に敵うはずもない。

その技術進歩に取り残されていた東国武士が関ヶ原以降で日本の覇権を握ったのは、徳川家康が関東に移封され戦争技術が一気に進んだことにあると思う。関ヶ原は野戦であり戦争技術に差が出ない。おまけに築城技術対城攻略技術のぶつかり合いもない。数がものを言う勝負だった。

その後の大阪城攻めでは、出丸からの攻勢防護という新技術が生まれ(真田丸の話だ)、それに対抗して大砲による遠距離射撃での城砦破砕という新技術が登場した。これは技術進歩のぶつかり合いで、そして、戦国期を終わりにさせる最終決戦だった。
大阪城の攻防を最後に日本では攻城戦が終了する。 
当然ながら、滅亡した北条氏の時代遅れな城など保持されるはずもなく、山の中の公園跡地程度にしか見えない。まさに強者どもの夢のあとだ。

個人的には江戸城(千代宇田城)を見にいくよりは、この箱根峠西側のある北条氏の城跡を見る方が、歴史浪漫に浸れると思いますけどね。ただし、見た目は大きな駐車場とさびれた公園緑地でしかないので、ありし日の姿を想像できる歴史力が必要ですけど。

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小型SLを作ろうとしたら

たしか 熱海駅前だった……………

日本全国の駅前や博物館にはかなりの数の蒸気機関車が展示されている。今では走ることがかの王なものは少なく、ほとんどが動かない。すでに製造されて100年以上経っているものが大半なので、そもそも部品すら存在しないから、稼働させようとするとネジの一般から際限が必要だ。

石炭を燃やして走るので、現在の環境基準で行くと化石燃料を効率悪く使用するダメな乗り物だけに、再現すること自体が環境に負荷を与える、などというものが出てきそうだ。

ただ、幾千もの部品を使うような大型蒸気機関車ではなく、小型軽量のものであれば町の鉄工所レベルで再現可能な気もする。

クラウドファンディングで資金を集め、どこかのイベントで活躍させると面白いなあと思うのだ。そのようにして何台かレストアすれば、機関車トーマスの世界が作れそうなのだが、誰かやてくれないだろうか。

小学生の頃に浜田蒸気機関車が現役で、煙を吐きながら走る列車に乗った記憶がある。窓を開けると煙の匂いがしたものだ。当然だが、客車には冷房などついておらず、夏場は窓を開放していた。だから、煙の匂いを嗅いだことがある。

真な菊の中にある原風景が鉄オタへの入り口だった気もするが、時代は蒸気機関車から新幹線に移り変わっていく頃だったから、現役時代に乗車した経験を持つものもほとんどが鬼籍に入る頃合いだし、蒸気機関車再現プロジェクトを始動するには良き頃合いではないかなあ。