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ソロキャン飯

キャンプ用の道具はあれこれ売られているが、実は意外と使い勝手が悪い。あれこれ手を出してみた結果として、いちばん多用しているのが20年以上前にダイソー製、100円で買ったフライパンだ。武人の蛮用二耐えるの戦争兵器の特徴なので、米軍放出品などもキャンプギアには向いているのだが、昔の100円ショップ製品はそれに似ている。
七輪のゴトクも20年以上前に九州の雑貨屋(昔は荒物屋と言われていた)で手に入れたものを使っている。昭和の道具は安くて長持ちするものが多い。

ソロキャン飯は自分の好きなものを好きなように食べるので、フライパンでニンニクの目とコンビーフを炒めるだけ、おまけは目玉焼き。こんな組み合わせで十分だ。味付けは塩胡椒程度、たまにガーリックチップを振り返る程度。

肉を焼くのも良いが、フランクフルトソーセージを焼いただけでも楽しめる。ただし、ソーセージはちょっとお高めの物にする。自宅マワエイではサイボクという自家製肉製品を売る養豚場があるので、そこのソーセージをよく使う。値段はスーパーで売っているものの三倍くらいはするが、これはまさにご馳走ソーセージだ。マスタードとケチャップ、胡椒をたっぷりかけて食べる。
生きている喜びを感じる。

最近になってよく思うのだが、キャンプとは昼間に野外で美味いものを食べて、それで帰ってくるので良いのではないか、何もテントで寝る必要はないのではないか、などと考えてしまう。特に、夜の焚き火がちょっとしんどい夏など、夜の楽しみが減っているから尚更デイキャンプでも良い気がするのだ。

まあ、そろそろ秋なので夜遊びがしやすくなってきたし。

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キャンプナイト

まだ家族でキャンプに行っていた頃、子供が小さかったこともあり、サイト周りにたっぷりと照明を配置して明るくしていた。テーブルの上で本が読めるほど明るかった。

今は、ソロキャンプなのでオイルランタンとサブのガスランタンだけ。本は読めない。が、それで良いと思うようになった。ちなみに、充電式の小型LEDライトをポケットに入れておくので、トイレに行くときなどはそれを使う。当時の懐中電灯はかなり明かりが弱かったが、今のライトは小型でも実に強力で、おまけにお値段も安い。キャンプギアも時代に応じて進化し続けているが、いちばんの進化はやはり照明周りではないかと思う。

暗いサイトで何をしているかというと、星を見る、小さな音量で好きな楽曲を聴く。のんびりと焚き火をする。それだけだ。バリバリと忙しくは働いていた時代であれば、リラックスタイムとか癒しの時間などと言われる類の過ごし方だが、今ではそんなものも特に必要としてはいない。ただただ、ぼーっとする時間が心地よく感じるようになっただけだ。まあ、これが歳をとるということであり、感性がどうやら劣化してきているらしい。

肉を焼いて食う、焚き火を眺める、夜になればさっと寝る。いつの時代の生活スタイルだと思うが、案外都会的なものだ。もちろん朝は日の出と共に目を覚ます。先祖帰りの暮らしも悪くない。

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パンの話

子供の頃、メロンパンが好物だった。まだ菓子パンのありえーションが今のようにたくさんあるわけでもなく、ジャムパン・あんぱん・クリームパンくらいしかなかった時代だ。大人になってからメロンパンのレシピーを知り、メロンとは全く無縁の食べ物だと知った時は、愕然としたものだ。メロンパンは基本的に2種の生地と砂糖でできている。どう見ても貧乏人の食べ物でフェイクではないかと今なら思う。ただ、当時は実に高級なパンだと信じていた。まあ、昭和中期の食べ物はみんなそんな具合だった。
オムライスも家では再現されて出てきたことがない、外食するべきご馳走だった。これも大人になりレシピーを知ってからは、自分で作ることが可能な普通の食べ物になった。今では冷凍食品で売られている。技術の進歩によりご馳走が簡便食に転落したようなものだ。

さて、昔のご馳走、今やフェイクフード(笑)であるメロンパンも時代とと主に進化して、どうやらご馳走の地位を取り戻したらしい。フランスパン生地でセミハードな食感を出し、ビスケット生地で作っていたサクサック食感をやめてしまい、代わりに粉糖とクリームで仕上げ流というものだ。おまけにメロン果汁を練り込んでいるという。申請メロンパンだ。これは確かに美味い。そもそもメロンパンとも名乗っていない。お値段なりに高級感がある。

子供の頃であれば誕生日くらいでしか食べられなかったような「ハレの日」の食べ物だろう。本当に今の子供達が羨ましくなる。

ちなみに当時の学校給食のパンは、とてつもなく不味くて毎日食べ残して家に持ち帰っていた。あまりにパンを持って帰ってくるので、親が不審に思い詰問されたことがある。「まずいからだ」というと怒られたが、そのあとで親が実食してみてぼそっと「確かにまずいな」と言った。以来、我が家の食卓ではパンが登場しなくなった。おそらく給食パンのことをあれこれ言えなくなったせいで、全面的にパン食をやめたらしい。
結局、大人になって自分でパンを買うようになるまで、ほとんどパンを食べないでいた。まあ、そんな時代だったのだね。

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断捨離日記10 残ったもの 平成ガメラ

画像はAmazonで販売されているものの引用です
三部作だが一作目が一番面白いと思う

スターウォーズ SWに代表されるSF映画は大好物で、初公開された時には日本の怪獣映画(当時は特撮映画と呼ばれていた)とは格段に質が違うと仰天したものだ。SW以前と以降ではSF映画の質が根底から変わったと思う。それをもたらしたものは特撮技術ではなくディテールへのこだわりだった。

例えば、巨大な宇宙船を下から撮ることでスケール感を出す撮影アングルの変更や、宇宙船内や兵士の戦闘服が微妙に汚れていることでリアル感をもたらしたことなど、これまでに描かれなかった手法を持ち込んだことにある。決して、宇宙戦闘シーンだけではない、生活感のある宇宙航行時代を描いたからだ。
スタートレックでは船室内も制服もいつも新品のように綺麗だ。なのでセット感が否めない。リアルな戦争映画(例えば、スピルバーグ作品)で兵士の顔は泥と煤で汚れている。怪獣映画に登場する自衛官には制服の皺すらない。


このリアル感演出はその後様々な作品に多大な影響を与えていった。おそらくファーストガンダムのモビルスーツ戦闘シーンは、SWのまんまでありパクリだろう。SW以前は宇宙戦艦ヤマトの艦隊決戦シーンやコスモタイガーの宇宙戦闘シーンが日本SFアニメの到達点であったが、ガンダムではそれをいきなり飛び越した感がある。
あれは帝国と反乱軍の戦闘シーン、特にシュノーケルカメラを使ったデススター表面でのスピード感あふれる戦闘を見た後に、ガンダム制作チームがムラムラとパクりたくなったとしか思えない。

その後、日本SFアニメの宇宙戦闘シーンは宇宙世紀マクロスで完成をみる。するとその手法が、世界に拡散して新しい宇宙戦闘のスタンダードになっていくのだが、それはまた別のお話だ。時代最新映像プラットフォームは映画からゲームになり、優秀なアニメーターがゲームクリエイターの中に取り込まれてしまい、ゲーム内で発展したCG技術がついには実写映画に取り込まれるという螺旋を描くことになる。


SWのリアル感路線はその後の日本怪獣映画にも甚大な影響を及ぼしている。特に、東映Gシリーズは、リアル感を増すためにだろうか、一時期やたらと物理っぽくなった。
そもそもGシリーズは反戦映画であり、そして敗戦国となった日本が戦う相手にはどこかの国が侵略してきたという設定は使えなくなった。戦う相手は他国ではなく人類以外のもの、それも宇宙人などの人類もどきは使えない(他国人を連想させる)ので、自然災害の一種として大怪獣を出現させた。祟る神であり、人の思惑など通じない。要するに八岐大蛇を敵役にするしかないという、日本映画的お家の事情が生んだものだ。


それを、「自らは戦えない軍」である自衛隊が、国防のため全面的に頑張るという、かなり屈折したテーマ構造になっている。その屈折した反戦映画が。いつの間にか屈折しないで済む単純なエンタメとなり、Gは正義の味方に変身していったから、その世界にリアル感など必要なかった。
巨大怪獣が都内を二足歩行しても、地下鉄を陥没させることはない。東京湾から品川に女王陸しても、湾岸地域は埋立地内もかかわらず怪獣をしっかりと支え穴すら開かない。一般道はたった20tのトラックが走るだけでダメージを上蹴る仕様なのにだ。


ところが、なぜか異世界ファンタジーであるGの世界にリアルを持ち込もうとしたので、作品の仕上がりとしてはどうみても中途半端。奥歯にものが挟まってるような違和感が残りモヤモヤとした感じになっている。

そのモヤモヤとした微妙さをすっきりさせてくれたのが平成ガメラ三部作獣を生物として生態を描いたのは秀逸だが、何より人間側の対応、とくに自衛隊による防衛活動に法的根拠を延々と議論するあたりが、まさにリアルだ。
自衛隊が怪獣退治に出動するにはいくつか条件が必要だ。まず、怪獣が害獣であり大型生物とすると、法的には警察の対応になる。熊がと巨大化したとしても、熊の駆除は警察の仕事だ。それが虎になろうと、ゴリラになろうとも、生き物であれば警察の所轄になる。


ただ、その巨大化がある限度を超えると、害獣と言えなくなる。おそらく現存生物では象の暴走くらいまでが警察の対応だろう。通常武器では対処不能だからだ。それより大きくなると自衛隊が出動できるか。いや、できない。英隊が出動できるのは自然災害に対して地方自治体首長の要請がある場合だけだ。

となると、自衛隊出動の要件はこうなる。怪獣とは天災の一種であり、たまたま生物が巨大化したものではない。ある意味で歩行する台風的な自然災害の一種という扱いが必要になる。そうなると所轄は災害対策であり国土交通省だし、怪獣の進路予測は台風と同じ扱いで気象庁の職務になる……………みたいなことを話し込むのがリアルだった。

画面は典型的な日本特撮技術とCGの合わさったもので目新しさはないが、作中の設定が何よりリアルっぽい。実に画期的な作品だった。何より三部作の最後で、なぜ日本に怪獣が襲来するのかの謎が解き明かされる。これぞまさしく、ウルトラマンとGの時代から未快活問題だった。怪獣映画の根源的な何故が解き明かされる。
ちなみにエヴァンゲリオンの時代となると、世界中で戦闘が起きているが、第三新東京市には敵を惹きつけるものが隠されているので次々と敵が襲来するという設定になっている。これも平成ガメラとシンクロした考え方だろう。まあ、このSF映画、アニメ世界はとてクリエイターの距離が近くて狭いからなあ。

その系譜につながるのが、シンゴジラであり、ゴジラ マイナス1の世界だ。

というような次第で平成ガメラ三部作は捨てられない。何度も見返しているが飽きない。最近放映されたアニメ版シンガメラも、この手のお約束をしっかり守っていたので、SWが残した遺産は実に偉大なものなのだなあ。

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断捨離日記9 これも無理みたいな………

画像はAmazonからの引用です 今でも買えるので おすすめです

ブラスロックというジャンルがある。いや、あった。通常のロックバンドといえば、ギターとベース、それにドラムという基本パッケージがあり、加えてキーボードやパーカッションが入るくらいだろう。原型のロックンロールはジャズバンドからの派生だったから、基本的に楽器はジャズに近い。ただ、ジャズの中では多用される金管楽器がロックバンドにかかわるることは稀だ。


おそらく、アンプに繋いで演奏するギターと人力(息)だけで演奏する金管楽器の音質とバランスに課題があるからだと思う。音量を補うためになんらかの機械装置を使う必要があり、それが実現するまでにはいささか時間がかかっていた感じだ。
そのロックバンドで金管楽器・ブラスセクションを全面に打ち出したChicagoの曲を聴いた時は衝撃的だった。リードギターとブラスの組み合わせは斬新で魅力的だった。


その後しばらくして、日本のスタジオミュージシャンがブラス・ロック・バンドを結成した。スペクトラムだ。派手な衣装を着て踊りながら演奏するシーンは、当時のロックバンドとしては極めて異例で、いわゆる色物扱いされていたが、そのブラスの音量は圧倒的であり、熱狂的なファンになった。その後継者たち?がビジュアル系バンドとして一世を風靡するのは10年くらい後のことだ。

このバンドは生まれて初めてライブを見に行こうと思った。が、チケットは買えなかった。すごい人気だったのだ。
2年ほど活躍した後、あっさり解散してしまった。解散後10年以上経って、レコードがCDになりひっそり再発売された。レコードは全部持っていたが、CDを買い直した。またしばらく経ってからコンサートの映像がDVDになり、これもためらわずに買った。


たまに取り出して見るたびに、このバンドはやはり時代に早すぎた先覚者だっyのだと思う。スペクトラムが解散して5年くらい経ってだろうが、米米クラブがデビューした。ブラスセクションのツインボーカルというスタイルはChicagoと同じだが、そこにコーラスガールとダンサーをくわえてよりビジュアルが強くになっている。スペクトラムの進化版だと言って良いと思う。

結局、そのスペクトラムと米米クラブのDVD(一応全巻持っている)が処分できない。すでに段ボールに詰めてしまったのだが、それを部屋から持ち出すことができずにもう2年経ってしまった。これはもう墓場にまで持っていくことになるのかもしれないと諦めている。

本やCDはほとんど処分しているのに、なぜこれだけが……………という気分ではあるが、仕方がないか。ちなみに、衣料品はもうほとんど処理済みで、新規に購入するのはアンダーウェアくらい。どうやら断捨離も、品種?によって難易度が違うらしい。

ちなみに去年はスペクトラムの過去映像がyoutubeで大人気になっていた。今や音楽を楽しむのはネットの時代なのだ。ネットコンテンツであれば断捨離もいらないのだよね。やれやれ。

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断捨離日記8 断捨離できないもの

アマゾン販売からの引用です 名作です

断捨離プロセスでどうしても捨てられないどころか、新しく手に入れたくなったものがある。
ロックオペラの傑作である「ジーザスクライストスーパースター」だ。確か高校生の時に映画館で見て(名画座での再上映だったと思う)衝撃を受けた。その後、劇団四季でも演じられていたが、やはり英語版で見るのが正しいと思う。
その後、リメイク版も上映されたようで、間違ってそちらのDVDを買ってしまったが、初演版は長らくvideoでしか販売されていなかった。それも、新品は絶版になっていて、中古で見つけるしかなく、ようやく手に入れた中古品をすぐにDVDに録画保存した。
すでに当時はビデオデッキが販売中止になりかかっていて、せっかく手に入れたビデオを見ることができなくなると危機感を抱いたからだ。
その録画DVDを後生大事にしまっていたが、やはり画質が悪い。なんとか初演版DVDが販売されないものかと思っていたら、いつの間にかAmazonで買えるようになっていた。

ああ、これまでの努力は一体なんだったのかと言いたくなる。いつもであればここで躊躇いなくアマゾンで注文するのだが、脳内に断捨離の文字がリフレインする。在庫を増やしてはいけない……………

いや、これは一度買ってしまわないと、次の断捨離に進めない気がする。多分、明日にはポチッとクリックしてしまいそうだ。

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断捨離日記7 海街diaryは美女映画だった

綾瀬はるかという女優は演技をしている時は素晴らしく饒舌なのだが、インタビューなどでは驚くほど言葉が少ない。意識してそういう話し方をしているのか、それとも「役」がつくとなりきって別人格になるのではと思うほどだ。だから、彼女はどんな役でもこなせる。シリアスなミステリーでもコメディーでも、教師役でも泥棒役でも全部お任せという、監督にとってはありがたく頼もしい相方になる。
彼女がナレーターを務めるCMなども、まさに別人格な風情がある。

桃井かおりという女優はその逆で、映画の中の話し方も、日で普段の話し方もまるっきり同じだった。この場合は、役の方が本人に擦り寄ってきている。あるいは、監督が期待している「役」の喋り方が彼女のありのままだっただから、彼女を役者として選んだ。そんなふうに思う。

芸達者な綾瀬はるか主演(で良いと思うのだが)の鎌倉を舞台にした美人4人姉妹のお話が「海街diaru」だ。ストーリーはあまりない。4姉妹にそれぞれ絡んでくる男役はいるが、色恋沙汰はあくまでサイドのおまけで、姉妹の暮らし、一年分を四季に応じて淡々と描いている。要するに美人はいつ見ても綺麗だ……………という映画らしい。だから飽きるかというと、そこはやはりプロの映画なので、起承転結を踏まえて緩くお話は進んでいく。

平成の後期に時代の選んだ美人4パーターンが勢揃いという、ファッションショー的な映画だった。まあ、それで良いのだ。映画というのは面白さ抜群の冒険活劇もあれば、腹を抱えるコメディーもあり、そして綺麗なものを見るだけで良いよいとい「美術館」みたいなものもある。

山田洋次監督の撮るファミリー人情ものとはちょっと違うテイストだが、小津安二郎から続く日本映画の王道ファミリー映画だ。(ファミリー向け映画ではない、ファミリー女姿を描く私小説的映画だ)
個人的には鈴役の広瀬すずが初々しくて、この役の後で彼女がどう成長したかを思い出し、ちょっと嬉しくなった。ただ、少女役を演じられるのは本当にちょっとの間だけなのだなあ。

ちなみに、なぜか「海街diary」の録画ディスクは3枚あった。一度録画したものが見つからずに再録したのが2回もあったということのようだ。自分のためっぷりを思い知らされた。断捨離とはこういう自分の愚かさを再認識する行為でもあり、実に悲しい。

断捨離せずに保管しておきたい時には、ディスクを買えば良いのだが。

アマゾンDVD販売の引用です これは配信ではなくディスクで買った方がよいかなと……………
もちろんアマプラでも鑑賞可能です
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断捨離日記6  木こりの映画と恐怖体験

断捨離進行中で、梅谷翔太主演の作品を二つまとめて見た。その一つが「ウッドジョブ」だ。矢口史靖監督作品はちょっと元気になりたい時に見ると良い。ハイティーンを主人公にした「スウィングガールズ」「ウォターボーイズ」は青春映画としてリアルな高校生を描いているナイスなコメディーだし、「ウッドジョブ」は大学生になり損ねたドロップアウト青年の精神的再生の物語だった。
人生は色々と面倒なことはあるけど、基本的には明るいよというエールでもある。

矢口作品は日常の暮らしにちょっと疲れた時、元気をもらえる映画と言って良い。三谷幸喜のコメディーは計算されつくした精度の高さが魅力だが、彼の映画は疲れた時に見るのはちょと辛い。姿勢を正してとまでは言わないが、画面を注視していないとさりげなく貼られた伏線を見逃してしまう。矢口作品にはその緊張感はいらない。
ウッドジョブ主演の梅谷翔太は、よい演技をしているが、作品中で1年間を経過して、歩き方まで変わっているという、若者の成長をよく描いているし、よく演じている。

彼の演技は携帯電話会社のCMで三太郎トリオを演じているのが一番うまいと思っている。そろそろ青年から中年大人の役に移る時期だろうが、童顔なのでもう少し若者役を続けるのだろうか。

さて、ウッドジョブの舞台となる三重県の山奥には一度行ったことがある。車を運転していてあれほど怖い思いをした道はない。ガードレールのない一車線だけの道が延々と続くのだ。松坂市から30Kmほど山奥にある城跡を見に行って(ここまでは二級国道で問題なし)、そこからナビの言う通りに山越えをして伊賀に抜ける道だった。
3桁国道なので狭いことは覚悟していたが、山間のくねくね道が1時間続く。おまけに地元民には抜け道になっているらしく、後ろから大型トラックがピッタリとくっついて追走してくる始末。今であれば煽り運転で捕まる程度の車間距離で執拗に迫ってくる。あれほど怖い思いをしたことはない。

以来、カーナビで山越え道が出てきたら、道幅優先で再検索することにしている。
ウッドジョブの舞台は、まさにそんな山間にある林業地帯だったのだと、自分の経験に照らし合わせて、妙な感銘を受けた。山奥へトラックの荷台に乗って作業員がいとすシーンはまさにあの恐怖な道と同じだった。

高知県の山奥にも似たような道があったが、ガードレールだけはあった。長野県と新潟県が繋がる峠越え道では新潟県側が道幅も広くてよく整備されている道なのだが、県境を越え長野県側に入るといきなりで舗装が荒れガードレールがなくなると言う経験をしたこともある。

大都会で住んでいるとまずお目にかかれない、田舎あるあるなのかもしれない。そんな細い山道を軽トラックがものすごいスピードで走っているのを見て肝を潰す。地元民はすっかり馴染んでいるのだ。
まあ、都会のおしゃれなトレンディー暮らしより、そう言う田舎暮らしの方が良いのかもしれないなあと最近はしみじみ思うようになったのだが、あの細い道の運転が付きまとうので、田舎暮らしは無理だろうとも思うのであります。

ウッドジョブを見て一番印象に残ったのが山道暴走ドライブシーンだったというお話です。

アマゾンプライムから引用しました  アマプラで見られるとは……………録画した意味がないなあ
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断捨離日記5 吉永小百合主演作品

映像断捨離進行中でありますが、内容もわからず撮り溜めていた吉永小百合主演の映画二篇を一気に見た。
「おとうと」 2010年公開
紹介サイトはこちら   https://eiga.com/movie/54336/

「北のカナリアたち」2012年公開
紹介サイトはこちら https://eiga.com/movie/57124/

おとうとは、市川崑作品のリメイク版で、いわゆる文芸映画というものらしい。物語に大きな波風は立たず、庶民の日常生活を切り取った感じで淡々と流れて行く。山田洋次監督らしいとも言える。大袈裟に言えば人の死に伴う周りの人間との関係再構築、そして再生みたいな話だが、自分の親戚にウチでも起こりそうな、そんなありふれた物語でもある。

北のカナリアたちは、ミステリーもの、それも倒叙ミステリー仕立てという凝った作品で、ストーリは澱みなく流れるのだが、一点だけ謎が残ってしまった感がある。かなり重要な設定だが何故?という疑問が解けない。自分が見逃している何かがあるのかもしれないがモヤモヤ感が残る。原作には描かれている部分の説明を端折ったのではないか。ただ、お話自体は美しい島の風景と厳しい離島村の冬景色が交互に描かれる抒情的なものだ。

昭和を代表する俳優といえば高倉健と吉永小百合だろうと思っているのだが、いわゆる青春映画や任侠映画時代の二人を見ていたわけではない。どちらかというと二人とも50代になってからの映画がしっくりときている。役者としての円熟期だった気がする。お二人とも70代になっても良い映画に出ているけれど。

吉永小百合という女優が、蓮っ葉な喋り方をしたりするのが想像できない。正しい日本語を丁寧に話す方だと思うし、そういう役柄が多い。名女優はたくさんいるが、言葉使いの綺麗さでは彼女が一番上品だと思う。。何より声が良い。
最近の流行りであるらしい「かん高い声」「幼女ボイス」にはいささか辟易しているので、彼女の低めの声と落ち着いた話ぶりが心地よい。

内容を知らないまま吉永小百合作品というだけで録画していたのだが、拾い物をした気分だ。何だか疲れている時には、ワクワ大興奮する大活劇ではなく、ぼーっとみるものが良いと思うのだが、まさにそんな作品。佳作という言葉が似合っている。

そんな気分なのでワードプレスの生成AIに注文して
『吉永小百合と高倉健が主演した北海道の夏を舞台にした映画ポスター』を作成してみたら、何だか本当にありそうなものが出てきた。AI、すごいな、

Japanese poster text: 北の愛の詩、主演 吉永小百合 高倉健、北海道の夏、不滅の恋がここから始まる。7月15日(土)公開!
A vintage-style Japanese film poster presents a couple amid Hokkaido’s colorful summer flower fields.


まさかとは思うが、吉永小百合さんを知らない方のために、グーグル先生おすすめ近影はこちらです ↓

https://variety.com/wp-content/uploads/2025/10/YOSHINAGA-Sayuri.jpg?w=1000&h=667&crop=1

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断捨離日記4 アメトーク6年分

普段はあまりテレビを見ない。見たい番組は録画してCMスキップしてみる。ただ、録画したものがたっぷりと溜まってしまうのが問題なのだ。その中でも一番の大量在庫しているのが「アメトーク」というお笑いエンタメ番組なのだが。

画像はテレビ朝日ホームページからの引用です

アメトークを2011年から2017年までほほ全て録画していた。最初はDVD、その後BDに変わったが、総数では100枚近くになる。BDは一枚に3-4回分録画ができる。それが6年分となると、96枚入るケースに収まらなくなった。
いつか見ようと思ったまま10年が過ぎて、昨年から順番にみて順番に断捨離している。残るは2年分になった。出演している芸人は当時の若手から中堅どころだと思うが、今ではすっかりベテランとなり、こいつら面白いなあと思っていた芸人は自身がMCとなって仕切っている番組も多い。はたまた芸能界から引退したものもいる。

2012年のある回はまさに神回と言える面白さ?だったが、そこに登場した5人が全て現在はテレビに出ていない。あれこれ問題を起こして出演自粛、ほぼ引退という格好だ。(今日たまたまみた番組でその中の一人が復活していたが) MCの一人もいなくなったのだから、消失率 85%という大惨事回だ。芸人の世界は新陳代謝が早い。

今ではアーカイブ映像が「アメトーククラブ」として有料配信さている。テレビ朝日は個人的に色々と問題が多いテレビ局だなと思っているが、それでもフジや日本テレビのような危ない事故は起こしていない。出演者や番組での不祥事は起こさない仕組みができているのかもしれない。
まあ、その代わりに従業員があれこれ不祥事は起こしているので、無傷とは言えないが。それでも管轄官庁である総務省から睨まれるようなことにはなっていない。とりあえずセーフなのだ。


ニュース系番組は関係会社の朝日新聞に論調が拠っているので、政府には批判的であるが、TBS(毎日新聞系)とともに政府に対してアンチな視点を持っているのは良いことだ。政府の支援をするメディアなど、民主主義社会にとっては害悪でしかない。あのアメリカ合衆国ですら、政府がメディアを弾圧する時代なのだ。まだ、日本は多少とも健全さを残している、

ただ、その報道論調とは似つかわしくない?、かなりぶっ飛んだバラエティー・お笑い系番組も併存しているのが、テレビ朝日という放送局の面白いところで、変わった体質だと思う。例の政府が嫌う「ニュースステーション」も、アメトークばりにエンタメ的にニュースを放送したら、違う死傷者層を獲得できるのになあと思うのだが。今のニュースステーション・ファンはほとんどジジイ、それも後期高齢者中心ではないかと疑っている。

テレ朝系バラエティの中で長寿番組であるアメトークは、この後30年くらいやて欲しいものだど思いながら昔の録画を見ているが、最近のアメトークをみると出演者がほとんど変わっているので(雛壇に並ぶ顔ぶれ)、この撮り溜めした録画は断捨離しないで撮っておくほうが良いのでは、などと思う今日この頃だが、公式アーカイブがあるなら問題ないだな。アーカイブのアドレスはこちら ↓↓↓

https://ametalk-club.tv-asahi.co.jp