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夏の武蔵野うどんはカレー味がよい

夏の盛りが過ぎてくると、そろそろそうめんからうどんを食べる季節に変わったなと思う。武蔵野うどんの知名度は上がっているような気がするが、讃岐うどんほどには知られていないのが残念だ。基本的には冷たいうどんを熱いつゆで食べるもので、つゆはしっかりと出汁の効いた濃い甘辛味。豚肉がたっぷり入っている「肉汁うどん」が基本形だが、肉の代わりにキノコをいれてキノコ汁にしたり、鶏肉であっさり目に仕上げたりもする。追加トッピングは野菜の天ぷらだが、お店によってはちくわ天やイカ天もある。


どの店にもあるわけではないが、あれば必ず注文したくなるのがカレー汁だ。和風出汁の効いたカレーは白飯によく合う。日本蕎麦屋のカレー南蛮は、ある意味で日本料理のB級頂点にあると思っているが、それを超えているのが「彼^汁」うどんではないか。スープカレーを楽しむときには白飯で食べるか、はたまたナンにするかとい言うチョイスがあるが、うどんも選択肢の一つに加えてくれないものかと思う。
まあ、スープカレーの原点は味噌ラーメンにあるらしいので(味噌ラーメンをカレー味に仕立てたら美味かったと言うことらしいのだが)、カレー味のスープはうどんと相性が良いのは間違いない。

お江戸の一部や名古屋などで有名なカレーうどん屋を試したことがあるが、あれはちょっと好みとは違う。カレー風味の別物に仕上がった感じがするからだ。日本蕎麦屋のカレー南蛮と武蔵野うどんのカレー汁は、ほぼ双子の姉妹的な相似形だが、武蔵野うどんの方がちょっと荒っぽい。少々野卑な感じもある。そこが良い。

料理の味は野卑から洗練に向かいがちだが、野卑に野卑の良さがある。ネギと豚肉の油を感じつつ、豪快にうどんを飲み込には味の強さが必須だ。うどんを食べ終わった後に白飯を追加して、残った汁の中に放り込んで食べたくなる。(実際にそれをやると、満腹で動けなくなる可能性が高い)

肉汁とカレー汁のダブルセットも一般的になってきたが、これだとうどんの量がもの足りなくなるのが問題だ。

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私はh誰でしょう

所沢市立の音楽ホールにいた所沢市のマスコットキャラらしい。とりあえず市内の小学生は知っているようなので、知名度はあるはず……………

ちなみに所沢市市役所、NTT支社、ところざわ 郵便局、警察署、埼玉県出先機関、法務局などが固まっている、所沢市の行政機関が集まるところにに図書館と音楽ホールがある。博物館もあるなかなかの文化拠点なのだが、旧帝国陸軍が初めて飛行場を設置した場所の跡地だ。その跡地の大部分が、公園になり、その一部に行政施設が置かれた。所沢、入間、立川、福生といった武蔵野の田舎町にほぼ10Km間隔で飛行場が配置されていた。日本航空界の草分けの地なのだが、敗戦後に米軍基地となっていた。今でも旧飛行場の北側部分に米軍通信施設が残されている。

あまり知られていないが、所沢は軍都なのだ。軍都といえば広島や佐世保や舞鶴を思い出す。陸軍の街であれば、北海道旭川と熊本だろうか。しかし、それと並ぶくらいに所沢は軍依存の街だったはずなのだ。誰もそんなことを思ってはいないみたいだが……………

首都圏の航空管制を行う施設も公園内にある。ここが止まると羽田空港の運用ができないそうだ。厳重な対テロ対策が取られているらしい。(昔は機動隊の車が常時警戒していた)

まあ、そんなところにスタッフとして入り口で見張りをしているのが、ゆるーいキャラなのだから、この街は安全なんだと思うのだよねえ。

ちなみに所沢で有名なものは

狭山茶に西武ライオンズ球場くらいだろうか・あとはダイオキシン汚染で一時期騒がれた。措定外には……………思いつかないか。最近であれば角川書店のミュージアム。だれも日本航空発祥の地、軍の街などとはいいませんねえ。

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夢の跡

山中城跡 入り口からすぐのあたり

こんな風景を見たら公園の土手?と思うかもしれない。が、これは立派な城跡だ。戦国時代の東国では、築城技術が遅れていたこともあり石垣のある城がつくられるようになったのは随分遅い。戦国時代末期ではないか。
関東では一大勢力だった北条氏の箱根防衛戦となった山城は、基本的に土の壁、土塁が中心だった。ただし、その規模は巨大で箱根の峠に向かう山の中腹をほぼ占拠していた。ただ、その土塁をめぐる攻防戦はたった一日で終わる。
築城技術の差もあるのだろうが、おそらく戦争技術が遅れていたのだろう。畿内を巡る幾多の戦闘経験を積んできた織田軍とその後継者たちは、戦時技術の急速な進歩を体験している。弓と槍主体の歩兵近接戦から鉄砲を主力とした長距離戦への移行が最大の変化だが、土木技術の発達に伴いより堅固な築城を行えるようなった頃でもある。堅固になった白を落とすのは単純な力攻めでは難しくなった。その結果、大兵力に物を言わせて白を城を包囲した持久戦、兵糧戦に持ち込むまでになった。
東国、特に関東では鎌倉以来の築城と野戦で勝負していたのだから、聖地に仕上がった西国の先進戦争技術に敵うはずもない。

その技術進歩に取り残されていた東国武士が関ヶ原以降で日本の覇権を握ったのは、徳川家康が関東に移封され戦争技術が一気に進んだことにあると思う。関ヶ原は野戦であり戦争技術に差が出ない。おまけに築城技術対城攻略技術のぶつかり合いもない。数がものを言う勝負だった。

その後の大阪城攻めでは、出丸からの攻勢防護という新技術が生まれ(真田丸の話だ)、それに対抗して大砲による遠距離射撃での城砦破砕という新技術が登場した。これは技術進歩のぶつかり合いで、そして、戦国期を終わりにさせる最終決戦だった。
大阪城の攻防を最後に日本では攻城戦が終了する。 
当然ながら、滅亡した北条氏の時代遅れな城など保持されるはずもなく、山の中の公園跡地程度にしか見えない。まさに強者どもの夢のあとだ。

個人的には江戸城(千代宇田城)を見にいくよりは、この箱根峠西側のある北条氏の城跡を見る方が、歴史浪漫に浸れると思いますけどね。ただし、見た目は大きな駐車場とさびれた公園緑地でしかないので、ありし日の姿を想像できる歴史力が必要ですけど。

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小型SLを作ろうとしたら

たしか 熱海駅前だった……………

日本全国の駅前や博物館にはかなりの数の蒸気機関車が展示されている。今では走ることがかの王なものは少なく、ほとんどが動かない。すでに製造されて100年以上経っているものが大半なので、そもそも部品すら存在しないから、稼働させようとするとネジの一般から際限が必要だ。

石炭を燃やして走るので、現在の環境基準で行くと化石燃料を効率悪く使用するダメな乗り物だけに、再現すること自体が環境に負荷を与える、などというものが出てきそうだ。

ただ、幾千もの部品を使うような大型蒸気機関車ではなく、小型軽量のものであれば町の鉄工所レベルで再現可能な気もする。

クラウドファンディングで資金を集め、どこかのイベントで活躍させると面白いなあと思うのだ。そのようにして何台かレストアすれば、機関車トーマスの世界が作れそうなのだが、誰かやてくれないだろうか。

小学生の頃に浜田蒸気機関車が現役で、煙を吐きながら走る列車に乗った記憶がある。窓を開けると煙の匂いがしたものだ。当然だが、客車には冷房などついておらず、夏場は窓を開放していた。だから、煙の匂いを嗅いだことがある。

真な菊の中にある原風景が鉄オタへの入り口だった気もするが、時代は蒸気機関車から新幹線に移り変わっていく頃だったから、現役時代に乗車した経験を持つものもほとんどが鬼籍に入る頃合いだし、蒸気機関車再現プロジェクトを始動するには良き頃合いではないかなあ。

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ソロキャン飯

キャンプ用の道具はあれこれ売られているが、実は意外と使い勝手が悪い。あれこれ手を出してみた結果として、いちばん多用しているのが20年以上前にダイソー製、100円で買ったフライパンだ。武人の蛮用二耐えるの戦争兵器の特徴なので、米軍放出品などもキャンプギアには向いているのだが、昔の100円ショップ製品はそれに似ている。
七輪のゴトクも20年以上前に九州の雑貨屋(昔は荒物屋と言われていた)で手に入れたものを使っている。昭和の道具は安くて長持ちするものが多い。

ソロキャン飯は自分の好きなものを好きなように食べるので、フライパンでニンニクの目とコンビーフを炒めるだけ、おまけは目玉焼き。こんな組み合わせで十分だ。味付けは塩胡椒程度、たまにガーリックチップを振り返る程度。

肉を焼くのも良いが、フランクフルトソーセージを焼いただけでも楽しめる。ただし、ソーセージはちょっとお高めの物にする。自宅マワエイではサイボクという自家製肉製品を売る養豚場があるので、そこのソーセージをよく使う。値段はスーパーで売っているものの三倍くらいはするが、これはまさにご馳走ソーセージだ。マスタードとケチャップ、胡椒をたっぷりかけて食べる。
生きている喜びを感じる。

最近になってよく思うのだが、キャンプとは昼間に野外で美味いものを食べて、それで帰ってくるので良いのではないか、何もテントで寝る必要はないのではないか、などと考えてしまう。特に、夜の焚き火がちょっとしんどい夏など、夜の楽しみが減っているから尚更デイキャンプでも良い気がするのだ。

まあ、そろそろ秋なので夜遊びがしやすくなってきたし。

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キャンプナイト

まだ家族でキャンプに行っていた頃、子供が小さかったこともあり、サイト周りにたっぷりと照明を配置して明るくしていた。テーブルの上で本が読めるほど明るかった。

今は、ソロキャンプなのでオイルランタンとサブのガスランタンだけ。本は読めない。が、それで良いと思うようになった。ちなみに、充電式の小型LEDライトをポケットに入れておくので、トイレに行くときなどはそれを使う。当時の懐中電灯はかなり明かりが弱かったが、今のライトは小型でも実に強力で、おまけにお値段も安い。キャンプギアも時代に応じて進化し続けているが、いちばんの進化はやはり照明周りではないかと思う。

暗いサイトで何をしているかというと、星を見る、小さな音量で好きな楽曲を聴く。のんびりと焚き火をする。それだけだ。バリバリと忙しくは働いていた時代であれば、リラックスタイムとか癒しの時間などと言われる類の過ごし方だが、今ではそんなものも特に必要としてはいない。ただただ、ぼーっとする時間が心地よく感じるようになっただけだ。まあ、これが歳をとるということであり、感性がどうやら劣化してきているらしい。

肉を焼いて食う、焚き火を眺める、夜になればさっと寝る。いつの時代の生活スタイルだと思うが、案外都会的なものだ。もちろん朝は日の出と共に目を覚ます。先祖帰りの暮らしも悪くない。

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パンの話

子供の頃、メロンパンが好物だった。まだ菓子パンのありえーションが今のようにたくさんあるわけでもなく、ジャムパン・あんぱん・クリームパンくらいしかなかった時代だ。大人になってからメロンパンのレシピーを知り、メロンとは全く無縁の食べ物だと知った時は、愕然としたものだ。メロンパンは基本的に2種の生地と砂糖でできている。どう見ても貧乏人の食べ物でフェイクではないかと今なら思う。ただ、当時は実に高級なパンだと信じていた。まあ、昭和中期の食べ物はみんなそんな具合だった。
オムライスも家では再現されて出てきたことがない、外食するべきご馳走だった。これも大人になりレシピーを知ってからは、自分で作ることが可能な普通の食べ物になった。今では冷凍食品で売られている。技術の進歩によりご馳走が簡便食に転落したようなものだ。

さて、昔のご馳走、今やフェイクフード(笑)であるメロンパンも時代とと主に進化して、どうやらご馳走の地位を取り戻したらしい。フランスパン生地でセミハードな食感を出し、ビスケット生地で作っていたサクサック食感をやめてしまい、代わりに粉糖とクリームで仕上げ流というものだ。おまけにメロン果汁を練り込んでいるという。申請メロンパンだ。これは確かに美味い。そもそもメロンパンとも名乗っていない。お値段なりに高級感がある。

子供の頃であれば誕生日くらいでしか食べられなかったような「ハレの日」の食べ物だろう。本当に今の子供達が羨ましくなる。

ちなみに当時の学校給食のパンは、とてつもなく不味くて毎日食べ残して家に持ち帰っていた。あまりにパンを持って帰ってくるので、親が不審に思い詰問されたことがある。「まずいからだ」というと怒られたが、そのあとで親が実食してみてぼそっと「確かにまずいな」と言った。以来、我が家の食卓ではパンが登場しなくなった。おそらく給食パンのことをあれこれ言えなくなったせいで、全面的にパン食をやめたらしい。
結局、大人になって自分でパンを買うようになるまで、ほとんどパンを食べないでいた。まあ、そんな時代だったのだね。

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断捨離日記10 残ったもの 平成ガメラ

画像はAmazonで販売されているものの引用です
三部作だが一作目が一番面白いと思う

スターウォーズ SWに代表されるSF映画は大好物で、初公開された時には日本の怪獣映画(当時は特撮映画と呼ばれていた)とは格段に質が違うと仰天したものだ。SW以前と以降ではSF映画の質が根底から変わったと思う。それをもたらしたものは特撮技術ではなくディテールへのこだわりだった。

例えば、巨大な宇宙船を下から撮ることでスケール感を出す撮影アングルの変更や、宇宙船内や兵士の戦闘服が微妙に汚れていることでリアル感をもたらしたことなど、これまでに描かれなかった手法を持ち込んだことにある。決して、宇宙戦闘シーンだけではない、生活感のある宇宙航行時代を描いたからだ。
スタートレックでは船室内も制服もいつも新品のように綺麗だ。なのでセット感が否めない。リアルな戦争映画(例えば、スピルバーグ作品)で兵士の顔は泥と煤で汚れている。怪獣映画に登場する自衛官には制服の皺すらない。


このリアル感演出はその後様々な作品に多大な影響を与えていった。おそらくファーストガンダムのモビルスーツ戦闘シーンは、SWのまんまでありパクリだろう。SW以前は宇宙戦艦ヤマトの艦隊決戦シーンやコスモタイガーの宇宙戦闘シーンが日本SFアニメの到達点であったが、ガンダムではそれをいきなり飛び越した感がある。
あれは帝国と反乱軍の戦闘シーン、特にシュノーケルカメラを使ったデススター表面でのスピード感あふれる戦闘を見た後に、ガンダム制作チームがムラムラとパクりたくなったとしか思えない。

その後、日本SFアニメの宇宙戦闘シーンは宇宙世紀マクロスで完成をみる。するとその手法が、世界に拡散して新しい宇宙戦闘のスタンダードになっていくのだが、それはまた別のお話だ。時代最新映像プラットフォームは映画からゲームになり、優秀なアニメーターがゲームクリエイターの中に取り込まれてしまい、ゲーム内で発展したCG技術がついには実写映画に取り込まれるという螺旋を描くことになる。


SWのリアル感路線はその後の日本怪獣映画にも甚大な影響を及ぼしている。特に、東映Gシリーズは、リアル感を増すためにだろうか、一時期やたらと物理っぽくなった。
そもそもGシリーズは反戦映画であり、そして敗戦国となった日本が戦う相手にはどこかの国が侵略してきたという設定は使えなくなった。戦う相手は他国ではなく人類以外のもの、それも宇宙人などの人類もどきは使えない(他国人を連想させる)ので、自然災害の一種として大怪獣を出現させた。祟る神であり、人の思惑など通じない。要するに八岐大蛇を敵役にするしかないという、日本映画的お家の事情が生んだものだ。


それを、「自らは戦えない軍」である自衛隊が、国防のため全面的に頑張るという、かなり屈折したテーマ構造になっている。その屈折した反戦映画が。いつの間にか屈折しないで済む単純なエンタメとなり、Gは正義の味方に変身していったから、その世界にリアル感など必要なかった。
巨大怪獣が都内を二足歩行しても、地下鉄を陥没させることはない。東京湾から品川に女王陸しても、湾岸地域は埋立地内もかかわらず怪獣をしっかりと支え穴すら開かない。一般道はたった20tのトラックが走るだけでダメージを上蹴る仕様なのにだ。


ところが、なぜか異世界ファンタジーであるGの世界にリアルを持ち込もうとしたので、作品の仕上がりとしてはどうみても中途半端。奥歯にものが挟まってるような違和感が残りモヤモヤとした感じになっている。

そのモヤモヤとした微妙さをすっきりさせてくれたのが平成ガメラ三部作獣を生物として生態を描いたのは秀逸だが、何より人間側の対応、とくに自衛隊による防衛活動に法的根拠を延々と議論するあたりが、まさにリアルだ。
自衛隊が怪獣退治に出動するにはいくつか条件が必要だ。まず、怪獣が害獣であり大型生物とすると、法的には警察の対応になる。熊がと巨大化したとしても、熊の駆除は警察の仕事だ。それが虎になろうと、ゴリラになろうとも、生き物であれば警察の所轄になる。


ただ、その巨大化がある限度を超えると、害獣と言えなくなる。おそらく現存生物では象の暴走くらいまでが警察の対応だろう。通常武器では対処不能だからだ。それより大きくなると自衛隊が出動できるか。いや、できない。英隊が出動できるのは自然災害に対して地方自治体首長の要請がある場合だけだ。

となると、自衛隊出動の要件はこうなる。怪獣とは天災の一種であり、たまたま生物が巨大化したものではない。ある意味で歩行する台風的な自然災害の一種という扱いが必要になる。そうなると所轄は災害対策であり国土交通省だし、怪獣の進路予測は台風と同じ扱いで気象庁の職務になる……………みたいなことを話し込むのがリアルだった。

画面は典型的な日本特撮技術とCGの合わさったもので目新しさはないが、作中の設定が何よりリアルっぽい。実に画期的な作品だった。何より三部作の最後で、なぜ日本に怪獣が襲来するのかの謎が解き明かされる。これぞまさしく、ウルトラマンとGの時代から未快活問題だった。怪獣映画の根源的な何故が解き明かされる。
ちなみにエヴァンゲリオンの時代となると、世界中で戦闘が起きているが、第三新東京市には敵を惹きつけるものが隠されているので次々と敵が襲来するという設定になっている。これも平成ガメラとシンクロした考え方だろう。まあ、このSF映画、アニメ世界はとてクリエイターの距離が近くて狭いからなあ。

その系譜につながるのが、シンゴジラであり、ゴジラ マイナス1の世界だ。

というような次第で平成ガメラ三部作は捨てられない。何度も見返しているが飽きない。最近放映されたアニメ版シンガメラも、この手のお約束をしっかり守っていたので、SWが残した遺産は実に偉大なものなのだなあ。

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断捨離日記9 これも無理みたいな………

画像はAmazonからの引用です 今でも買えるので おすすめです

ブラスロックというジャンルがある。いや、あった。通常のロックバンドといえば、ギターとベース、それにドラムという基本パッケージがあり、加えてキーボードやパーカッションが入るくらいだろう。原型のロックンロールはジャズバンドからの派生だったから、基本的に楽器はジャズに近い。ただ、ジャズの中では多用される金管楽器がロックバンドにかかわるることは稀だ。


おそらく、アンプに繋いで演奏するギターと人力(息)だけで演奏する金管楽器の音質とバランスに課題があるからだと思う。音量を補うためになんらかの機械装置を使う必要があり、それが実現するまでにはいささか時間がかかっていた感じだ。
そのロックバンドで金管楽器・ブラスセクションを全面に打ち出したChicagoの曲を聴いた時は衝撃的だった。リードギターとブラスの組み合わせは斬新で魅力的だった。


その後しばらくして、日本のスタジオミュージシャンがブラス・ロック・バンドを結成した。スペクトラムだ。派手な衣装を着て踊りながら演奏するシーンは、当時のロックバンドとしては極めて異例で、いわゆる色物扱いされていたが、そのブラスの音量は圧倒的であり、熱狂的なファンになった。その後継者たち?がビジュアル系バンドとして一世を風靡するのは10年くらい後のことだ。

このバンドは生まれて初めてライブを見に行こうと思った。が、チケットは買えなかった。すごい人気だったのだ。
2年ほど活躍した後、あっさり解散してしまった。解散後10年以上経って、レコードがCDになりひっそり再発売された。レコードは全部持っていたが、CDを買い直した。またしばらく経ってからコンサートの映像がDVDになり、これもためらわずに買った。


たまに取り出して見るたびに、このバンドはやはり時代に早すぎた先覚者だっyのだと思う。スペクトラムが解散して5年くらい経ってだろうが、米米クラブがデビューした。ブラスセクションのツインボーカルというスタイルはChicagoと同じだが、そこにコーラスガールとダンサーをくわえてよりビジュアルが強くになっている。スペクトラムの進化版だと言って良いと思う。

結局、そのスペクトラムと米米クラブのDVD(一応全巻持っている)が処分できない。すでに段ボールに詰めてしまったのだが、それを部屋から持ち出すことができずにもう2年経ってしまった。これはもう墓場にまで持っていくことになるのかもしれないと諦めている。

本やCDはほとんど処分しているのに、なぜこれだけが……………という気分ではあるが、仕方がないか。ちなみに、衣料品はもうほとんど処理済みで、新規に購入するのはアンダーウェアくらい。どうやら断捨離も、品種?によって難易度が違うらしい。

ちなみに去年はスペクトラムの過去映像がyoutubeで大人気になっていた。今や音楽を楽しむのはネットの時代なのだ。ネットコンテンツであれば断捨離もいらないのだよね。やれやれ。

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断捨離日記8 断捨離できないもの

アマゾン販売からの引用です 名作です

断捨離プロセスでどうしても捨てられないどころか、新しく手に入れたくなったものがある。
ロックオペラの傑作である「ジーザスクライストスーパースター」だ。確か高校生の時に映画館で見て(名画座での再上映だったと思う)衝撃を受けた。その後、劇団四季でも演じられていたが、やはり英語版で見るのが正しいと思う。
その後、リメイク版も上映されたようで、間違ってそちらのDVDを買ってしまったが、初演版は長らくvideoでしか販売されていなかった。それも、新品は絶版になっていて、中古で見つけるしかなく、ようやく手に入れた中古品をすぐにDVDに録画保存した。
すでに当時はビデオデッキが販売中止になりかかっていて、せっかく手に入れたビデオを見ることができなくなると危機感を抱いたからだ。
その録画DVDを後生大事にしまっていたが、やはり画質が悪い。なんとか初演版DVDが販売されないものかと思っていたら、いつの間にかAmazonで買えるようになっていた。

ああ、これまでの努力は一体なんだったのかと言いたくなる。いつもであればここで躊躇いなくアマゾンで注文するのだが、脳内に断捨離の文字がリフレインする。在庫を増やしてはいけない……………

いや、これは一度買ってしまわないと、次の断捨離に進めない気がする。多分、明日にはポチッとクリックしてしまいそうだ。