街を歩く

満洲の新メニュー観測

不味くはないが、もう一度は頼まないかも 

「ぎょうざの満洲」」の季節メニューは、おおむね一年間のローテーションが決まっている。ただ、今年の秋は新作?が登場してきた。(記憶の限りではあるが)通常メニューにはソース焼きそばがあるが、今回はあんかけ焼きそばだ。。

あんかけ焼きそばで一番有名なのは長崎の皿うどんだろう。カリカリ細麺にちゃんぽんの具が餡掛けになって乗っているイメージだ。中華料理店では、カリカリ麺ではなく蒸し麺を軽く焼いたものに餡掛けが載っている場合が多い。

今回の満洲焼きそばは、カタ麺なので皿うどん風の仕上がりになっている。味付けはあっさりとした塩味で、最近の満洲の特徴である健康志向的な仕上がりだ。野菜もたっぷりで食べ終わった後はバランスの良い完食感がある。

ただ、見た目が地味だ。実に地味だ。これもここ数年の満洲独自スタイルというか、ともかく色気が足りない。できれば赤と緑が欲しいところだ。ピーマンの細切りとか糸唐辛子とか、あまり原価をかけない工夫ができそうなのだがなあ。

ある意味素朴で飾らない、別の意味では無駄なコストはかけたくない、ということなのだろうと推測はしている。夏にやっていた茄子の味噌炒めも地味な見かけだった。評価を星5点満点ですれば、★★くらいかなあ。次回に期待しよう。おそらく、もう少し気温が下がった時の方がありがたみが増すと思う。餡掛けメニューはちょっと早すぎたかなと思わせる、今年の10月の気温だった、し。

街を歩く

おやまあ、びっくり価格だな

10年ほど前、確か定価は7-8000円くらいだったような記憶があるが

あれこれと、ものの値段が上がり続けているが、それとはあまり関係ない暮らしをしていられると思っていた。だが、なんと酒税が上がるというわけのわからない事態に困惑してしまい、ちょっと調べ物をしてみた。

酒税の裏道を使い低税率の「ビールのようなのみもの」「雑酒」を次々と投入してきた酒メーカーに国税庁がブリギレして酒税をあげた、としか思えない今回の増税だ。その狼狽ぶりは過去20年ほど酒税が減少し続けたことによる。酒税の稼ぎかしらであったビールが極端に減少し発泡酒などのビールのようなものに移行したことが悪いのだと、「ビールのようなもの」も「ビール」のように飲まれているのだから、税率が低いのは不公平だという牽強付会としか言いようのない屁理屈をつけての増税だ。以前にも焼酎の税率を上げるときには、輸入用酒も焼酎も製法は同じ蒸留酒ではないかという屁理屈をつけ、酒製造の持つ文化的側面やものづくりのプライドをへし曲げるよう屁理屈をつけ、税率を合わせた。国産焼酎の実質的増税で、洋酒輸入元国家からの貿易不均衡に対する強烈なクレームを誤魔化そうとしたものだ。まあ、財務省、国税庁の官吏は悪の権化みたいなものだろう。世界征服を目指す悪の結社と論理構造は同じだ。俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの、という暴虐極まりない。世界史を見てどの時代、どの地域でも官吏が暴虐になると革命が起きる。フランス市民革命における革命派の王権政府官吏粛清は革命の伝統だが、王権交代が起こると概ね管理は根絶やしにされる傾向が強い。この国もサラリーマン一揆が怒らないと思い込んでいうr、おバカな霞ヶ関官吏とそれに輪をかけた阿呆な政治屋は、そのうちに思い知ることになるだろう。酒税の引き上げが最後の一滴となりコップの水が溢れるのかもしれない。

酒税はかつて6兆円円近くあったが現在は2兆円ほどに減った。悪特区管理としては顔が青ざめる減収だが、その原因は安い「ビールのようなもの」だけではない。酒は嗜好品であり、「ようなもの」はあくまで代替物であり「ようなもの」でしかない。大衆の収入が増えれば、普通は「本物」に戻るはずなのだ。しかし、ビールには戻らなかった。なぜか。答えは品物にあるのではなく、アルコールというカテゴリーが拒否される「酒を飲まない若い世代」が主流となったせいだ。お酒は二十歳になったら、というのみものであり、適当な比率の人口が飲酒を始めてくれなければ、年が経つごとに双飲酒量は減るという現実を財務省は受け入れられない。本当にバカなのだ。

現代において、20代の飲酒率は大幅に減少している。この先30年もすれば、社会通念上として飲酒は悪癖としかされない時代になるだろう。かつての喫煙と同じだ。ほんの30年前まで成人男性の喫煙率は70%を超えていたはずだが、今では半減している。タバコ税のげんん商を増税で補おうとしたら、値上がりをきっかけに禁煙するものが増え、ついには非喫煙者から見ると社会通念上、喫煙は「悪」であり「迷惑行為」として定義されるようになった。「酒税」の未来も同じことだろう。

しかし、酒がらみの話はもう一つある。ジャパニーズウィスキーの世界的流行により、日本を代表する高級ウィスキー「山崎」が手に入りにくくなっている。インバウンド観光客がプレミアムをつけて買い込んでいるせいもあるらしい。おかけで山崎の店頭価格は、過去の二倍から三倍になっている。品薄なのでバーなどの酒場、特に老舗と言われる店でも従来と同じ価格では仕入れられないのだそうだ。ただし、これはメーカーのだし根が上がったわけでもないので、中抜きをしている業者が鞘を稼いでいるだけで、酒税には影響しない。ザマアミロというやつだ。

食料品の消費税を減税すると大騒ぎしているが、来年の今頃には酒類の消費税を上げるというおバカな財務省官吏が出現するのは間違いない。それも外圧に負けるので、国産アルコールに限定するとか言い出しそうだ。そうなると、国外生産した山崎とか、東南アジアで生産したビールとかいう抜け道が生まれそうだ。

革命の狼煙は紅茶ではなくビールから起こる……………のかもしれないなあ。

街を歩く

町内会の魔祭が中止になってわかったこと

自分の住む所沢市は、各地域にある町内会を市の下請け団体として便利使いしているのだな、と持ち回りで任命される町内会役員をしているときに思った。概ね7ー8年に一度、役員の当番が回ってk流のだが、町内会会長を含めた執行部の顔ぶれは高齢者によって占められている。それが悪いというつもりはない。ほとんど無休で働く強制ボランティアのような組織をよく運営しているものだと、逆に感心するくらいだ。

我が町内は構成人数が1万人を超える巨大なもので、人口が1万人となれば、あちこちにある田舎の地方自治体の規模を超える。友人の住む北海道や高知の町は、一万人にも満たない。市の下請けとはいえそれだけの規模の集団を管理していこうとするのだから、本来は専従のプロが必要だろう。年間の予算規模も数千万になり、下手な中小企業を超える規模なのだ。

長年頑張ってきた町内会の役員も高齢化が進み(町内自体が独居高齢者世帯が増えている)、あれこれと活動を行うのが人的に難しくなってきたらしく、町内会主催の夏祭りがついに中止となった。まあ、日当も払わない町内の住民による自主運営だから成り立つ仕組みだったし、営業者、いわゆるテキヤを排除するという方針を長年守ってきたのだから立派んものだ。中止も仕方がないと思っっていた。

盆踊りの伴奏が騒音であるとクレームになる時代のせいもあるだろう。子供達が公園で遊ぶ声を耐え難い騒音だとして公園の廃止を求めた某長野県自治体の例も、悪しき規範となり懸念材料となったのかもしれない。役員の中には実施派と中止派がいたようだが、それも理解できる。個人的には数年に一回の登板は面倒だったが、夏休みの手伝いはそれなりに頑張っていた。小遣いを握りしめてやってくる子供たちの姿が好ましかった体。

さて中止が決まると、それでは寂しいという声が上がったらしく、有志による開催が決定された。その経緯は詳しくはわからないが、町内会は関わらない。有志グループが会場となる公園の使用許可を取ることになったらしい。営業者が屋台やブースを出店したので、従来より出店数も増えた。金のかかる太鼓櫓の設置はなし、それに伴い盆踊りもなしとなった。それでは人が集まらないか、というと全くそんなことはない。おそらく例年の倍くらいの人出があった。出店者は儲かって喜んだことだろう。

会場は17時から20時までの限定なので、夜の騒音対策も特に必要なかったらしい。要するに官制おまつりから民営化されたら、結果的にもっと上手く行った。そういうことになる。かなりこうがくであった町内会の祭り運営費用も必要無くなるので、来年の予算案はこれまでとは一新されるだろう。

どうもも日本の行政と官僚は、上は政府、下は町内会にいたるまで過剰な保護体質というか、余計なおせっかいがすぎるのだろう。失敗があった時の責任回避とも言えるが、金も出さなければ口も出さないと決めれば、そもそもの責任論も成立しない。金がなければ辞めればいいのだ。やめたくせに口だけ開くからバカと言われるし、嫌われる。

予算が足りないので借金するといいう日本政府や地方自治体も、俺たちは基本的に何もしないんですよ、というセロベースから最低限必要なものを積み上げて、それ以上は何もしないという見直しをした方が良いのだろうねえ。ヒト様の金(税金)だから、いくらでも使おうとするのは官僚の悪弊だが、予算増額は自分たちの人件費のカットで補填すると決めれば、予算議論すら出なくなるだろうになあ。消費税減税の財源論も、まずは国会議員の歳費を全額あてると決めたら面白い議論が起こるだろうに……………

町内会の夏祭りはその格好の実験場だったような気がする。

ちなみに、この出店の中には「モルトウイスキー」だけ飲ませるバー」などという、お祭りではみたことのないようなものもあった。民営化とは知恵を絞ることと挑戦の場でもあるのだとわかる。ただ、一番行列ができていたのは、綿飴屋とフライドポテト屋でありました。やはりお祭りといえば日本の伝統である。お面屋と綿飴だよね。

街を歩く

日高屋に思うこと

日高屋では季節限定メニューの投入がすっかり減った感じがする。定番商品の値上げを頻繁に繰り返すようになると、新製品の開発が遅れるのは当然のことだろう。開発しているうちに想定原価がどんどん上がるようでは、値段見合った商品設計が難しくなる。当初六百円で売ろううとしてみたのに、試作品を作っているうちにそれでは利益が出なくなる。そんなことが何度もあったのではないか。それ以上に、定番商品の値上げ対策で原価を抑えるため原材料調達を変えたり、新規メーカーを探したりすると、既存商品の確認の方が忙しくなる。当然、皺寄せは新製品開発の中止、延期ということになり、全体の帳尻を合わせるしかなくなる。

そんな背景事情があるのかどうかはわからないが、久しぶり?にでてきた豚骨スープのつけ麺はどうにもバランスが悪い。これはもう少し研究の余地があったのではないかなと思うし、普通の醤油味のつけ麺で麺量マシマシでもした方が需要はあるのではないだろうか。なんとも中途半端な気がするものを投入したものだ。そして、ここ数年夏の定番だった冷麺が今年は登場しなかった。そちらの方が残念だ。食べたかったぞ、冷麺2026。。

ちょいと食い足りないのではと思い追加で注文した砂肝は、予想外に美味い。酒のつまみとして量も適当だし値段もこなれている。なぜかこう言ったちょい飲みのつまみ系は開発が上手なのだ。この辺りが町中華チェーンの雄である日高屋のつよみだろう。うちにはとてつもなく美味いものはないが、普通にうまい味を目指している、みたいなことを日高屋の社長が言っていた記憶がある。記憶に残る味の商品がなくても、記憶に残る楽しいちょい飲み経験ができる。それが日高屋の正しさなのだから、つけ麺がよっとバランスが悪くても笑って済ませるレベルだから個人的に問題はない。そろそろ味噌ラーメンの季節になるから、次回の日高屋では普通にうまい味噌ラーメンを注文することにしよう。

街を歩く

札幌のルーティン

北の大地というべき風景

太平洋を北上し苫小牧から北海道上空に入ると、そこには幾何学模様に彩られた北の畑がくっきりと現れる。この規則正しく区画された農地は北海道以外ではほとんど見かけることはない。極めて人工的な農地であることがわかる。日本的な田園風景は低い山の間に隙間を埋めるように農地を連ねているため、微妙な高低差もあルカら、棚田のような等高線に合わせてクネクネとした文様がが現れる。決して直線で区切られた幾何学的な模様は出来上がらない。凹凸の激しい不規則な形状が常だ。

米国北部を旅した時、これと似たような光景を目にしたが、さすがに大陸の農地の規模ははるかに大きい。北海道でもその規模には全く敵わない巨大さであり、地平線までほとんど凹凸のない平原が広がっている。その大平原が円と四角の模様で覆いつくされている。地元の知人に尋ねてみると、円形に見えるものはコーン畑のスプリンクラーが描く畑の形状とのこと。長さ100mを超えるスプリンクラーが時計の針のように円を描いて移動して給水するから、畑の形状が丸くなると聞いた。流石に北海道でも円形給水式のコーン畑は見当たらない。ちなみに数十年にわたって地下水を吸い上げコーン畑に給水した結果、大規模な地盤沈下が起き問題になっているらしい。地盤沈下を起こすほどの巨大農業とはねえ。

最近は千歳空港に降りて行くたびにこの畑の様子を見ているが、季節により緑が多かったり、茶色が多かったりするので、見飽きることはない。北海道上陸のルーティンみたいなものだ。

ささみわさびと豚肉生姜まき

もう一つの北海道ルーティンが、とりあえず札幌に着いたら「串鳥」に行って焼き鳥を食べるというものだ。世の中には美味い焼き鳥屋はたくさんあるし、大衆価格の店も多い。チェーン店化したブランドもいくつかある。ただ、北海道的な焼き鳥屋として意識の裏側に刷り込まれてしまっている「串鳥」は、まるでお帰りなさいと言われるような安心感がある。焼き鳥をひと串ずつ注文できるのもありがたい。昔からよく行っている老舗焼き鳥屋は、一皿4串での注文なのでソロ飲みには使い勝手が悪いせいもある。なので、まずは串鳥となってしまう。ちなみに、翌日は寿司屋に行くというのも串鳥とセットの裏ルーティンだ。

席に着いたら好みの串を3-4本頼み、コップ酒を二杯も飲めばルーティン的には終了だ。所要時間は30分程度だろうか。

なんともチープだが、鵜網付きなっている珍品であります

サイドアイテムで鶏皮ポン酢というメニューがあるが、これはよく品切れしている。開店早々に行ってもないことが多いので、おそらくセントラルキッチンで製造していない日があるのだろうなと推測している。あるいは鶏皮の在庫が貯まるまでは作っていないのかもしれない。

だから、鶏皮ポン酢の注文が通ると、今日は何かいいことがありそうな気がするラッキーアイテムだ。(個人的な感想です、誰にでもご利益があるとは限りません)

全国あちこち旅をしたが、その場所に行った時のルーティンがある街は少ない。いや、そんなものがある方が少数派だろうし。

街を歩く

ああ懐かしの 味噌ラーメン

なんとも昔懐かしいビジュアルなので感動ものだ

札幌で老舗と言われるラーメン店は随分と消えていった。都心部で生き残っているのは味の三平とこの店くらいだろう。すすきのにあるラーメン横丁はすでに同じ店名であっても代替わり、味がわりしているから論外だ。

このラーメン店では醤油ラーメンが定番だと思うが、この時はなぜか隣の客に釣られて味噌ラーメンにしてしまった。次回は醤油ラーメンで裏を返しておかなければいけないなあ。

この店の味噌ラーメンは昨今流行りのコッテリ系味噌ラーメンとは随分異なる。あえて言えば、インスタント麺の名作「サッポロ一番 味噌ラーメン」の原型とでも言えば良いのだろうか。味噌汁的な優しいスープになっている。トッピングは、これも味噌ラーメンの原型仕様といえる炒めたもやし、めんまなのだが、 ちょっと贅沢にチャー酒が乗っているのが若干の変形モードといところだろうか。昔であればスープを一滴残さず飲み干していたはずだが、流石にこの歳になるとそれは避けてしまう。

札幌狸小路5丁目北側、今でも昔と同じ店構えで営業しているのだが、平日は休むことも多いので、週末に行く方がよいかもしれない。札幌で昭和のラーメンが食べたければこの店になるか。

インバウンド客に嗅ぎつけられた店は、微妙に商品もサイドアイテムも変化してしまうので避けたいのだが、外国人があまり来ない店を見つけるのが難しい時代になった。すすきの日本店のある宝龍や旭川味噌ラーメンのよしのなどは今や外国人専門店かと言いたくなる。(だから盛況でもあるが)

札幌でも郊外に行けばまだ老舗が残っているようだが、都心部では貴重な生き残りなのでぜひお試しください。

ちなみに、味の三平は体感的に8割くらいが観光客なので、混みすぎているから地元民が少ないのかもしれないが名店です。

街を歩く

円山散歩 続き

ぶらぶら歩いていたら面白いものを発見した。円山温泉という「元・銭湯」らしき施設だ。マンション群の中にポツリと広めの駐車場がある。沸かし湯の温泉だろう。今ではすっかり見当たらなくなった札幌の銭湯だが、なぜかこの高級住宅地で温泉として生き残っているらしい。

銭湯がなくなって久しいが、当時は友人が銭湯の後継だったのでたまにその銭湯に行っていた。肉体労働のアルバイトをした後ですすきのに飲みにく時には、すすきのそばにも何軒か銭湯があり、そこで一風呂使ってから飲みに出かけた。当時の銭湯はお風呂セット(洗面器と石鹸・シャンプー・タオルなど)を預けておくこともできた。ボトルキープならぬ、シャンプーキープだ。

銭湯の湯沸かしに使う薪・廃材を運ぶアルバイトをしたこともある。今では都心部のスーパーはすっかり消滅してしまい、郊外に大型のスーパー銭湯が残のみのようだ。となると、この円山の温泉銭湯はレトロ的な意味合いよりも、リソート的意味合いがあるのかもしれないなあ。営業していれば入ってみたかったのだが。

昔住んでいた頃はここに銭湯があったのだろうか。まったく記憶にない。残念ながらこの周りに当時のまま残っている建物はなく、ランドマーク自体が消失しているのだ。それくらい円山地区は様変わりしている。当時は自転車であちこち移動していたから、その日の気分でせまい小路などにも入り込んでいた。街の隅々までとは言わないが、かなり奥まったところも知っていたのだが。今の街並みはすっかり変わってしまい、全く思い出せない。

後であれこれ調べていたら、有名なケーキ屋も無くなっていたし、その前を通る時はドキドキしていた「組」の事務所も消滅していた。そもそも住んでいたアパートは10階建のマンションに変わっていた。近くにあった寿司屋も、当たり前のように無くなっていたのだが、なぜかよく通っていた居酒屋がまだ続いているらしい。

これは一度行ってみなければと思ったが、よく考えると当時の店主の年を、自分はすでに超えているのだから、当然ながら店主はいないだろう。子供が後を継いだか、あるいは縁者が続けているはずだ。当時よく注文していたメニューなど全く覚えてはいない。なぜあれほど足繁く通ったのかも覚えていない。おまけに店内も何度か改装しているだろうから、店に入っても懐かしさなど感じなのではないか。いや、建物ごと建て替えている可能性が高い。となると、残っているのは店名だけということになる。それでも行ってみたい気はするのだ。

次円山散歩は「夜」の部、ということになるのだな。

街を歩く

吉野家の混乱ぶり

久しぶりに吉野家の牛丼を食べた。個人的には懐かしい味なのだが、今ではこの牛丼を注文するのがやたらと面倒くさくなっている。カウンターにあるタブレットで注文するのだが、注文の画面遷移が実にユーザー・「アン・フレンドリー」なのだ。昔であれば、「牛丼・並」の3秒で済んだ注文が、実にもたついてしまいヘタをすると数分かかるハメになる。主力商品であるはずの「牛丼」が、その他大勢の牛丼もどきやトッピング牛丼の群れの中に混じり込んで、全く見つけにくい。客を馬鹿にしているのと、思わず罵りたくなるほどだ。

ただ、弁明しておくと決して吉野家だけがダメなのではなく、ファストフード全体でタブレット注文システムの仕上がりは絶望的に酷い。使い勝手の良い注文画面を設計できているところは「ほぼ存在しない」と言い切れる。

大手のハンバーガー・フライドチキンチェーンはメニューが増えすぎたことと、クーポンの濫発により、注文途中ですぐに迷子になる。会計にたどり着けたらラッキーと言いたいくらいの迷路構造、だめっぷりだ。それでも主力メニューが単独で注文品できないとか、見つけられないということはない。チキンだけ、バーガーだけ買うのであれば、あまり面倒はない。ただ、サイドアイテムやドリンクなどのカテゴリーを跨いで追加注文をしようとするといきなり難度が上がる。クーポンの有無やセットの値引きと連動するからだ。これが一番イライラするところでもある。

吉野家は行き当たりばったりでメニュー拡大を進めた結果(と自分に思えるのだが)、カテゴリーを超えた商品が多くなりすぎた。メインの牛丼はトッピングオプションで複雑怪奇になっている。それ以外の鉄鍋系定食メニューーやら、カレーやら、しまいには麺類の季節提供などをはじめ、その入れ替え戦・在庫消化のためであろう敗戦処理メニューまで投入しているので、単品注文が直感的にできない。

セットの押し付け販売が強すぎるせいもある。当然、画面遷移は迷路かするので、結果的に行き止まりになったりする。ファミレスのタブレットより使い勝手が悪いファストフードなど、存在価値が疑われる事態だ。そして、吉野家の実態はファストフード業界限定で見ても最低で使いにくいダメ端末だ。(まあ、ファストフードはどこも似たようにダメダメばかりだけれど)

吉野家にとって、提供時間が「早い」はもはや過去の栄光でしかなく、「安い」とは程遠い値段となり、「うまい」についてはいささか疑問が残るメニューが増えすぎた。

どうした吉野家、と言いたい。その利益率の高さで業界を震撼させた、あの吉野家の強さはどこに行ったんだろう。今の吉野家のメニューを見ると、外食先進国である米国でテーブルサービスの大衆価格チェーン店がどんどん潰れていた時のことを思い起こす。同じ病にかかっている気がする。選択と集中は、いつの世でも勝利の方程式のはずだが。

今の吉野家に必要なのは、辛い牛肉つけ麺などではなく、値段は倍になるが三倍美味い牛丼という選択肢ではないのだろうか。

まあ、個人的に言っても吉野家の牛丼は価格と時間と味のバランスでコスパが良い食べ物だった。絶対値として美味い食べ物ではないが、やめられない、クセになる味であり、満足度の高い商品だった。その主力商品の価値が薄まっているのだから、やはり事態は深刻なのだと思う。それともすでに牛丼屋として生きて行くことを放棄したのだろうか。

どうした吉野家、がんばれ吉野家、来週も食べに行きたいと思わせてくれ。

今、吉野家が、あるいはファストフードが見習うべきは、テーブルサービスの成功者であるサイゼリヤとぎょうざの満洲だろうなあ。どちらもタブレットは導入していないがオペレーションレベルは高い

街を歩く

円山散歩

札幌市中央区円山は、いわゆる高級住宅地であるらしい。ふと思い立って、午前中は円山を散歩してみることにした。

地下鉄円山駅周辺は北海道神宮、円山公園、円山動物園など観光・行楽スポットも多く、地名の由来である円山も近い。札幌は明治の開拓時代に京都を模して作られた街なので、東西南北の道路で碁盤の目のように仕切られている中心部と、その外辺を取り巻くような周辺部がある。円山はその中心部と外苑部の中間に当たる。

京都を東西に反転させたような街づくりになっていて、円山は京都の東山地区を想定されたようだ。今でこそ都心地域扱いされているが、明治初期には冬になると中心部とは行き来が途絶える田舎であり、冬の北海道神社参拝は困難であるため都心部に頓宮(支店・出張所みたいなもの)が置かれるほどだった。

その円山地区も今ではすっかりマンション街に変わっっている。自分も一時期はこの地域住んでいたことがあるが、当時は木造二階建てアパートがマンションと呼ばれていた。今では10階建以上の「高層住宅の別称である「マンション」」が町中をひっしりiと埋めている。

そのマンション群の一角に、昔あった円山市場が規模縮小して営業していた。最初はミニまるの意味がわからなかった。英語のMinimalなのかと思ったが、そうではないようだ。ミニ円山市場ということだろう。中には八百屋、肉屋、魚屋、惣菜屋という市場の主力メンバーが残っていた。昔懐かしの惣菜屋はなかなか素晴らしい商品ラインナップだったので、ついつい二品ほど衝動買いしてしまった。豆腐のおからを煎った「うのはな」とイカゲソフライだ。どちらも昔は低廉価格惣菜の代表選手だったが、今ではすっかり高級品になっていた。

地下鉄駅からぶらぶらと南下して、昔住んでいたあたりまで散歩をした。知らないうちに面白い店ができていた。ドイツパンのベーカリーだった。中に入ってパンを物色してみたのだが、ドイツパンという割に甘いコーティングを施したパンも多い。ハード系のパンや、北欧の特徴的なライ麦パンを期待していたのだが、どうもフランス系のパンが多い。一般的はフランス系のリッチテイストなパンが好まれるのだろう。お目当てのカイザーゼンメルは見つからず、ハード系のくるみパンを一つ買ってみた。というのも、この日の朝飯がパンだったからだ。

泊まったホテルの朝食は、隣接するセルフ喫茶店で食べるシステムだった。ミールクーポンをもらい一旦ホテルを出て10mほど離れたところにある喫茶店に行く。そこでA/B/Cセットの一つを選ぶというものだ。なんとも合理的と言えば合理的だが、朝の7時でありながら店内は満席の混雑ぶり。どうやら高校生の修学旅行ご一行様が同じ宿に泊まっていたらしい。テイクアウトもできると言われて辺りを見渡すと、確かに袋に入った朝飯を持って友人を待っている高校生がたくさんいた。

よく考えれば、この日の朝飯をテイクアウトして円山公園で遅めの朝飯を食べるという手はあったのだなあと、ドイツパンを買った後で思いついた。衝動的な散歩は、そんな計画を立てる前に動き出してしまう。やはり衝動的な行動はあまり得策ではないのだなあ。

街を歩く

渋谷で朝飯 目に云う メニュー

JR渋谷駅ハチ公前広場はここ数年ずっと工事中だが、その広場にある大型看板を定点観測?している。今回もスポンサーは二団体で、下は詐欺撲滅プロジェクトという社会的意義のあるもの、上は商業広告で、上下を蓮張するのはしばらくお預けらしい。この巨大広告は工事中の間だけのものだと思っているが、駅前再開発が完了した後はどうなるのだろうか。

などと思いながら渋谷の街中に入り、所用を済ませると朝飯を食べるのだが、ここしばらくはほぼ毎回カフェでカイザーサンドが続いている。単純に好みの味だということもあるが、実は作り手により見栄えが変わる「楽しい商品」だ。

今回の製造者?は女性だったが、これまででいちばんのフォトへニックな仕上がりを見せてくれた。作成マニュアルはあるはずだが、作り手によってこれほど見栄えが変わるのも珍しい。某大手ハンバーガーチェーンの製品は、開封しても中身が見えるようなバーガーにはなっていない。食べ物としての魅力は半減しているが、それはそれと諦めてしまっているので気にもならない。ただ、このような見目麗しいサンドイッチを見ると、より料理は目で味わう、愛でるという気がしてしまうのであります。