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2年ぶりの小樽 藪半

ふと気がつけば小樽の蕎麦屋には2年も行っていない。小樽近くの余市までりんごの買い出しに行ったのは去年の秋だったが、その時には南小樽にある市場に立ちよって終わりだった。市場隣のラーメン屋に入ってしまったせいで薮半ランチは諦めてしまった。

この店は外国人観光客にも人気で開店と同時に満席になる。行く時間を間違えると相当に待たされるので、いつもは開店15分前には出向くことにしている。蕎麦と合わせて酒も注文したいので、車で行くのは無理だ。JRで行くのだが、運が悪いと千歳空港から乗ってきた観光客に占拠された車内で一時間ほど立ちっぱなしになる。なかなか大変なところなのだ。

ただ、そばの代金の倍くらい交通費がかかるので、ふらちち蕎麦を食べにいくにはちょっと抵抗がある。良い店なのだが、頻繁に行かないのはそういう訳だ。これが自宅から徒歩で行ける場所であれば、月に2ー3回は行っているだろうとも思う。本当に良い店なのだ。神田の名の知れた老舗蕎麦屋よりも好みであるのは間違いない。そう言えば神田の蕎麦屋ももう何年も行っていないな。

開店時間になるまでは入り口の待ち席で品書きを眺めながら本日の出し物を検討する。これもマイルーティンみたいなもので、毎回ひとつは新しいものを試してみようとあれこれ眺めているが、最近は「いつもの注文」で良いかなとも思うようになった。
そもそも胃袋の容量が低下していることもあり、蕎麦を熱いのと冷たいの両方頼むとか、もりそばと丼と合わせて注文するかいう、あれこれ食べ比べてみたいという「挑戦的姿勢」はすでになくなっている。つまみ一品、蕎麦と料理を一品ずつというところでおさめておく。

座席と座席の間はゆったりとしたスペースになっている。隣の会話がぎりぎり聞こえてくる程度か。小上がりもあるが、そこに行きたがるのは外国人観光客だけのような気もする。小上がりは蔵を改造した作りなので外国人には珍しいのだろう。しかし、外国人が蕎麦屋に来て蕎麦を「すすれるのか疑惑」はある。こっそりと観察して確かめてみたいのだが、それはあまりに失礼か。などと考えていたら、隣の客が半島から来た人たちで、そうやら音を立てずにそばを食べている。隣国でも「麺を啜る」ことはないらしい。
まあ、日本人の多くはそばだけではなくスパゲッティーすら啜っているので、この蕎麦屋啜り食問題はあまり追及しない方が良さそうだ。
欧米系の人は音を立てて物を食うのは蛮人の風習と思っているので、蕎麦屋ではあまり見かけない。一度アメリカ人の友人を蕎麦屋に連れて行ったら、やはり蕎麦をもぐもぐと噛んでいた。郷にいれば剛に従えとはならないようだった。
アジア系の麺料理が存在する国でも、ズルズルと麺を啜っているのは見た記憶がないが、その辺りはあまり触ってはいけない文化的な何かがありそうだ。

さて、まずはサッポロクラシックを注文して一息。あとは順番にでてくる料理と酒を楽しむだけ。至福の時間が始まる。

と思っていたら、なんと隣席の半島系外国人観光客男性4人組がまあまあ騒がしい。声を顰めている(つもり)らしいので、ここは諦めるしかない。これが大陸系観光客であれば音量マックスで会話という絶叫を始めることもあり、そうなると我が身の不運を呪いながら店を出ることもある。今回はそこまでには至らず、めでたしめでたしだった。

個人的にに思うことだが、日本政府外務省あたりで’(或いはその外郭団体で)、外国人向け観光客に「日本人が嫌う行動一覧」みたいなマニュアルを発行・発信するべきではないかと思うのだ。一部の政党は日本人と外国人を選別するような政策を打ち出している危ない時代だ。外国人観光客がいつ危険な事態、排斥行動に会うことになるかも分かりはしない。

SNSで多発する飲食業での迷惑行為は決して例外ではない。飲食店による嫌がらせ?と外国人に対する選別感や否定的対応がいつか激化するか、危機管理としては重要だと思うのだが。
過剰な円安の進行で輸出産業は潤っているが、国内の観光資産を外国人に売り渡すのは、ある意味立派な?、いや、ふらちな形態の輸出事業だ。円安が止まらない限り外国人観光客は押し寄せてくる。
外国人排斥の臨界点を超えないようなコントロールを政府はなすべきなのだと思う。少なくとも輸出産業保護政策として政府が取り組むべき課題だと思うが、先の大戦以降は三流官庁と呼ばれる外務省にその知略はあるまいよ……………

と蕎麦屋で酒を飲みながら国際問題に思いを馳せておりました。

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帯広のイチオシ

7月も終わりで、連日暑い日が続いていると、不思議とカレーが食べたくなる。

帯広というのは面白い街だった。今では街中はすっかり寂れてしまい、あれほどたくさんあった飲屋街の店もだいぶ閉まっている。それでも雑居ビルの奥にはすごい店があったりもする。
個人的な体験でしかないが、全国あちこちにある飲み屋街でスナックという携帯の店に連れて行ってモラことが多かった。カウンターの中には女性従業員(大体が店主であり)と飲み物を作る男性従業員がいる。カウンターの外にはテーブル席が数卓あるような店だ。
大都会ではすっかり減ってしまった業態だが(最近ではガールズバーなどという新業態にかわられてしまったか)、地方都市ではまだまだ多い。
そんな店で、なぜこんな美人な従業員がいるのだと驚いたのが、ここ帯広と中標津町、そして兵庫県相生市にあるスナックだった。この三方以外は、いわば大量生産型の美形が多い。美形というより愛嬌を売り物にする従業員の方が人気があったりもする。不思議なことに大都会では、美しさに驚かされることはない。おそらくお店のお値段にあわせて従業員のお給料が決まるので、超絶美形は場末のスナック(言い過ぎかも)ではなく、銀座や北の新地の超超高級店に行ってしまうからだろう。
そんなびっくりスナック体験のある帯広だが、一番のお気に入りはカレーだ。かの有名な豚丼もうまいが、自分にとっては帯広で食べるべきオンリーワンといえば、インデアンのカレーだ。ありがたいことに駅前の繁華街の中にも一軒あるので、帯広での一夜はカレーで始めるか、カレーで締めるかの二択になる。

うまいというしかない 味の説明は……………無理だなあ

活などのトッピングも豊富にあるが、気分的にはプレーンなカレーを選ぶことが多い。ご飯は多めなので、間違っても大盛りなど頼んではいけない。
帯広周辺と釧路にしか店はないのだが、個人的にはお江戸のどこかに出店してもらえないものかといつも思っている。いや、せめて札幌でもいい。千歳空港では最近スープカレーが長蛇の列になっているが、インデアンのカレーであればそれを越せるのではないか。

自分の中で帯広は美人がいる街であり、カレーがうまい街だ。ただ、最近ちょっと気になっているのは中華チラシで、これも隠れ名品の一つなのだが、やはりカレーには敵わないか。

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ダム巡りの旅

コロナの終わり頃に、北海道ダム巡りの旅を完了した。最後のダムは金山ダムだったので、富良野の街も訪れた後、三笠の化石博物館に立ち寄ったのを思い出した。化石の話からの連想で北海道の観光政策の悪辣ぶりに憤慨していたのだが、北海道が日本国領土として正式に開発され始めてから160年、その間は一度も文化的な活動が盛んになることはなかったと思う。
そもそも北海道は革命政府である明治政府が予算もないまま北方からの防衛拠点として開発されなければならなくなった。おまけに徳川政権の持つ様々なな権益を全て没収したにもかかわらず、それでも金が足りない。おまけに知恵も足りないので、旧徳川勢力の武力放棄と棄民政策を合わせて敗軍となった東軍の大半を北海道開拓に送り込んだ。
西南戦争は勝ち組の薩摩の内部分裂であり、貧乏武士同士の権力と金に対する執着の強さから起きたことだ。この後に北海道に送り込まれる棄民たる旧徳川勢力を合わせて反政府軍ができなかったのが不思議なのだが、第二次革命が起きればもう少しマシな整体になったのではないかと思うと残念だ。
まあ、片方の旗印になるべき最後の将軍はどうしようもない臆病者であり、反政府側に立った薩摩大物も仲間割れをした相手に対する冷徹さが足りていない気がする。自分たちは負けてもいいから、薩摩誰かが権力者として生き残ることを願っていた節がある。

貧乏武士のルサンチマンが産んだ権力志向の明治政府だから、宗教を含め旧世代の文化否定からはじまり、自分達の都合の良い話に統制することが大好きで、結果的に愚者が操る愚民の国となり亡国への道を知己進んだ。
その亡国の象徴が北海道開拓であり、軍事目的と棄民でできた土地に、新しい文化など生まれるはずがない。全国から集まってきた棄民集団だから、いつの間にか特殊な方言が成立したが、北海道弁?が文化的遺産だと強弁できるか。無理だろうなあ。

それでも石炭や遠洋漁業など経済的な牽引車があった時期は、全国から集まったミックス集団らしい融合的な精神が育つ土壌はあったはずだが、それも明治革命の勝ち組である西軍のものたち、例えば薩摩や長州や土佐の一味は北海道にはほとんど入植していない。犯罪者でもなければ、西国の民が北海道に移る必然性はなかった体。

そのせいか、北海道人には西国言葉にアレルギーを示すものが多い。これだけテレビ番組で関西系の言葉が氾濫しているにもかかわらずだ。西国は文化的にはロドと並ぶ先進地帯だったので、その西国文化を拒むことは開拓地の文化を著しく停滞させたのだと思う。

隠して文化的に誇るべきものを持たないまま(歴史も浅いせいで)、北海道が観光資源とするものは手付かずの自然と豊富な食料という、なんとも言いようのない資源しか持たない。
おまけに国土防衛の観点から、無住の地にも張り巡らされた軍事的な道路網を当たり前として受け入れているのだから……………

そして、北海道にある巨大ダムの数々は、その目的が曖昧のまま予算消化のために作り上げられたものでしかないように見える。莫大な開発予算を国から提供されていたので、そのお裾分けとしてダムが大量生産されたと思っている。それでなければ流域人口が稀な地域にあれほどダムを作る必要性があるか。ダムの目的の大きば部分は治水であり、発電であるはずだが、北海道のダムの配置を見れば、それが実に怪しいことがわかる。まあ、全国のダムニオ随分と怪しいものは多いが。

北海道ダム巡り最後のダムでそんなことを考えていた。本当に、北海道で反政府運動、第二次革命が起こらなかったのは不思議なのだ。負けた東軍のお行儀が良かったのか、育児がなかったのか。ロシアの力でも借りて反革命……………なんていうのは世界史ではザラにあることなんだがなあ。北海道出身の総理大臣でも出ない限り、この被差別?感は残っているような気もするが。ああ、これはゴールデンカムイの世界か。

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化石の魅力

ちょっと気になって昔の記録を辿っていたら、4年ほど前にたまたま化石博物館に行ったことを思い出し写真を見てみた。

こんなものが北海道の山の中から出てきたとは信じがたい気もするが、きっと山の中にはまだまだたくさんあるのだろうなあ。

福井県でどうして恐竜化石が大量に出土するのかを某国営放送の番組が説明していた。古代の地層を山一つ分露天掘りができるように生地したそうだ。北海道でも同じことをやれば、じゃんじゃん化石が出てくるのではないか。y魔の値段はそれほどでもないだろうが、露天掘りする胃は山丸々一つを移動させるくらいの聖地が必要らしいから、貧乏な北海道ではそんな文化的予算は出せないだろうなあ。

なんだかちょっと悔しい気がする。福井県でできたのになあ。

ちなみに北海道と札幌市は、地域外からやってきて色々と金を落としていく観光客というお得意様相手に、宿泊税をかけるという暴挙に出た、商人だましいのかけらもないサービス業界の外道なのだが、そんな外道な政策だけを観光地の先輩地域から学ぶという、これまた程度の低い学習能力しか持ち合わせない、趙外道集団だと思っているので化石の話などしたら聞く耳を持たないのは確実だろう。

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中華料理屋の調味料

中華料理屋で卓上に置いてあるのはこれくらいの調味料で事足りる。

不思議と塩が置いてあることは稀だ。

和食の店、洋食の店でもせいぜい醤油かソースが置いてある程度。

うちの味付けに文句があるなら来るな、ということだろうか。

立ち食い蕎麦屋の調味料の列を思い出して笑ってしまった。

立ち食い蕎麦屋が正義である炉思いますけどねね。

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翼下に広がる光景

千歳空港着陸前の風景、真四角に切り取られた北の大地が北海道らしい

最近、あまりに遅延が続く全日空を見限り、北海道行きはエアドウを使うことが増えた。個人的な体験で言えば、過去2年ほどANAのオンタイム率は3割程度、15分10分遅れは当たり前、1時間遅れは結構あった。たまに三時間遅れも発生していた。
30年ほど前に日航を見限り全日空に変えたのも遅延の多さに閉口したからだが、一度倒産して再生されてから日航は遅延が少なくなったらしい。逆にANAはアメリカの航空会社並みのオンタイム率に落ちぶれている感じがする。今度、地上勤務員にオンタイム率を聞いてみようかと思うくらいだ。
まあ、航空マイル制度を次々と改悪しているのは日航、全日空、どちらも同じなので、どちらの航空会社にも未練はない。LCCであれば値段が安いから遅れても仕方がないと諦めがつく。遅延してもあまり腹は立たないというメリットがある。

さて、自分の経験だけで想像しているので定かではないが、どうやら航空会社によって航路は違うらしい。同じ羽田発千歳行きでも着陸に至る経路が微妙に異なる。風向きなどで空港北から進入するか南から進入するかの違いはあるだろうが、エアドウはいつも南進入だった。ANAは千歳市の東側を大きく旋回して北から着陸することが多い気がする。

千歳発羽田行き 千葉上空で入道雲に接近したので眼下は白一色

東京に戻る便でも航路は違う。ANAは下北半島の東部を掠めてその後は太平洋上を飛ぶことが多い。羽田への進入経路は銚子あたりから西に旋回して市原の上を通過して羽田空港へという感じだ。
だからエアドウの航路は実に新鮮に見える。まず苫小牧沖を下北半島目指し南下する。直下には恐山が見える陸上コースだ。その後は、北東北、南東北ともに陸上ルートだが、盛岡市の東側から山形あたりまでは山に近いエリアを、そこから茨城県・千葉県東部と飛行したのち東京湾海上を西進するパターンと三浦半島沖まで飛んでから北上するコースがある。
一度だけ霞ヶ浦の上を通過いて埼玉と千葉の県境上空から羽田空港へ南に進入する東京都心部コースを飛んだことがあるが、この時の風景は新鮮だった。某参議院議員が東京都民の危険を訴えた新設航路だが、この議員に千葉市民の危険という概念は欠如しているというのが分かっただけの愚かな結末だったと記憶している。
首都圏住民の負担公平化をいうならまだしも、東京都民だけの安全を訴えても他県民の賛同は得られないだろうし、都民にとって羽田空港を保有する恩恵の方が大きいのではないか。羽田空港を廃止し千葉成田空港増強と埼玉空港(航空自衛隊入間基地を改装)新設、神奈川にも小田原から裾野にかけて空港新設などと提案したら、都民の権益が奪われるると大騒ぎしそうだ。まあ、日本の野党はお神輿の周りで文句をつけるだけでお神輿を担ごうとはしない(できない)ガヤ集団で、文句をつけるのが商売となっている政治屋だからなあ。などと考えるうちに飛行機は着陸していたが。

飛行機に乗る時は眼下の景色など全く気にせず、出入りの便利な通路側席を選んていたが、最近はちょっと考えが変わった。眼下の風景が楽しくなってきたこともあるが、窓際席の方が寝やすいのだ。歳をとるたびに人生のあれこれが変わるものなのだな、と妙なところで実感している。

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狸小路雜景

ビールのつまみは焼きとうきびに、つぶ焼き追加で……………となりそうだな

夏なのですね。店頭にぶら下がっているのはプールなどで使われる変形浮き輪の類かと思われますが。

確かに狸小路のアーケード街は冷房も効かないので(当たり前ですが屋根はあるけど屋外です)夏にあれば暑い。相当に暑い。いや、耐え難いほど暑い。昔は所詮北国の夏、1週間も暑ければ夏は終わりになると思っていたが、最近の夏はしぶとい。おおむね3ヶ月くらい北国でも夏が続く。暑さが粘り続ける。時折、イインターバルのように気温は下がるが、東京より暑い日も結構ある。沖縄より暑い日はザラにある。

こう暑い夏が続くとそのうちに、狸小路で海開きみたいなイベントが行われるのではないか。みたくないけどね。そんなイベント。

狸小路は1丁目から10丁目まで続く長い商店街だ。2丁目から4丁目くらいは、現在ほぼ外国人率が5割を超える異邦人占拠地帯だ。この界隈にあった老舗の商店はすでにほとんど壊滅して、外国人向けのドラッグストアーや飲食店が多い。5丁目から7丁目は業態の転換が早い。新業態の飲食店のチャレンジコーナーのようになっている。バブル後の長い間、古いビルが取り壊され駐車場になっていたが、そのほとんどがホテルに生まれ変わった。そこに外国人観光客が収納されているので、狸小路は多国籍軍に占領された人種の坩堝的賑やかさがある、外国人街になりつつある。
8丁目以降は屋根もなく寂れていたが、どうやら10丁目の先にあるプリンスホテルに押し寄せる外国人観光客ががうろつき回るようになり、最近は復活の兆しも見える。

狸小路には行列ができるラーメン屋も多いが、その行列のほとんどは外国人だ。地元の客は行列のできない郊外の店に行くのだろう。札幌都心部は地元民にとってあまり居心地が良いところではなくなっているらしいし、自動車移動のできる郊外ショッピングモール周辺に地元民の行列店ができる人気店がある。住み分けが進んでいる観光都市ということか。

この狸小路のプールサイド模擬店も結局は外国人に占拠されるような気もするが、その方が雰囲気が出るだろうし面白い店になりそうだ。

イベントで水着クイーンとかイケメンランキング投票とかあれば面白い区なるだろう。ただ、札幌のことだから、すぐに風俗化して水着ガールズバーとか海パンホストクラブとかにメガ進化しそうだけどね。狸小路で新風俗店の開業ラッシュなんてニュースは……………あまり聴きたくないかな。

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かしわ抜きとカレー丼

小樽薮半には蕎麦を食べに行くという感覚が湧かない。美味い物を食べに行くという言い方が一番近い気がする。蕎麦がまずいわけではない。冷たい蕎麦、熱い蕎麦、どちらも一級品の出来だ。
もりそばを注文して、そばを一本一本と掬いながら、ちびちび日本酒を飲むのも良い。天ぷらそばをつまみにぬる燗の日本酒を飲むのも趣があるというものだ。が、やはりこの空間とこの料理は一人でのんびりと酒を飲むためのものという思いが強い。

たまたまこの日は向かいの卓についた高齢男性客と女将の会話が漏れ聞こえた。どうやら知人に紹介されて美味いそばの店があると関東から訪ねてきたそうだ。酒に合わせて色々と食べてみたいとのことで、結局は最初にビール、のちに日本酒、つまみを二品に天せいろということになったようだ。なんだか、まるで自分のようだと下を向いて笑ってしまった。

そうなのだ、バリバリと胃袋に収めることができる若い頃は財力が足りず、とりあえず蕎麦屋の注文くらいは気にもかけない程度の財力を持つ頃には、腹の収容能力が格段と落ちてしまった。そんな自分と同じ人生の悲哀を感ずる人がいるのは、なんと心強いことか。ご同輩、自分も同じなのですよと一声かけたくなる。(だが決して声はかけない、一人酒を邪魔したりするつもりはない)

こちらはまず塩ウニから始める。これはお江戸の蕎麦屋ではまず見当たらない。北海道から東北にかけて渋い居酒屋などではたまにみかける逸品だ。仙台で一番好みの居酒屋「源氏」でも、塩ウニと地酒でスタートすることにしている。旅をするたびに美味い塩ウニを探しているが、どうやらお土産としてはお値段が高すぎるのか、北海道の魚屋でも見つけることが難しい。

西日本にもウニの名産地は多い。各地の離島でウニは名物だった。塩ウニを探したが見つからなかった。いったい、塩ウニはどこで売っているのだろうか。まあ、Amazonで買う気にはならないから、足を使って探し回るしかないか。
この日は珍しく、塩ウニとサッポロクラシックでスタートした。流石に暑い日だけはビールが良い。

そのあとは国稀のぬる燗に変えて、肴はカシワ抜き。これも気温が低い時期であれば天抜きにするのだが、暑い日はカシワ抜きだろう。お江戸の蕎麦屋でもカシワ抜きをメニューに乗せている店は少ない。いや、ほとんど見たことがない。が、裏メニューとしては存在しているようで、注文すれば作ってくれることもあるらしい。
ただ、注文したとして、うちにはそんなものはメニューにないと断られるのも嫌なので、わざわざ挑戦してみることはない。おそらく「花巻」しっぽく」といった古典的なメニューを置いてある店であれば作ってくれそうな気がする。逆に最近の小洒落た蕎麦屋だと断られそうだ。まあ、そんな店には行かないけれどね。

日本料理で単純にスープを楽しむという仕立てのものは少ないと思う。出汁を楽しむというのであれば、大阪人がさかん吹聴する大阪風のうどんがそれにあたるのかもしれない。うどんではなくつゆが主役の料理と考えれば、なるほどなという気がする。
ただ、出汁の強さで言えば、香川のうどん出汁が圧倒的に力強い。大阪うどんより讃岐うどんの出汁「力」が上だと個人的に思う。だから、讃岐うどんでは麺大盛りを頼むことはない。できればだし・つゆだけで天ぷらを食べたいくらいだ。まあ、讃岐うどんの店で「うどん抜き」を注文すると、店を追い出されそうだが。

出汁の効いた料理として思い浮かぶのは、だし巻き(卵焼き)か茶碗蒸しがお手軽だろう。純粋にスープを楽しむものとなれば松茸の土瓶蒸しか。ただお値段が、それなりに高価なものになる。それと比べてカシワ抜きや天抜きは安価でたっぷりと楽しめる庶民・大衆の味方だなあ。
お江戸風な蕎麦も出汁の味が強いが、そば抜きにした時はちょっと塩気が強すぎる気がする。神田松屋か藪あたりで試してみるか。

そして、締めのそばはあっさり放棄して(胃袋のです)カレー丼をたのんだ。これぞ小樽藪半が提供する唯一無二の逸品だと思う。米の量もそこそこあるので腹一杯になるのが悔しい。できれば無限に食べ続けていたいと思う数少ない料理の一つだ。
蕎麦屋のカレー丼はうどん屋でも定食屋でも見当たらない「和風カレー」なのだが、これのルーツはカレー南蛮をそばではなくご飯にかけてみた……………みたいなことではないかと思う。
おそらく一度に大量に作れる賄い飯だったのだろう。賄い飯に美味いものが多いというのは業界の常識だが、このカレー丼は専門店を出してほしいくらい美味い(と個人的な感想を強調しております)ので、藪半初心者はそばを食べる前にカレー丼を試してほしいと思うくらいなのだ。

帰り際に会計をしていたら女将に」カレー丼、注文されてましたよね」とにっこりしながら尋ねられた。思わず謝ってしまった。「お蕎麦を食べずにカレー丼だけですみません」
女将曰くそういう客は常連客に多いそうだ。「うちのは、やみつき丼って言われるんですよ」と一言。まさにその通りだ。「また、カレー丼、食べにきてくださいね」と言われて「はい、ぜひまた」と答えていた。その気持ちに嘘はないのだが、次はいったいいつ行けることだろうか。

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ザンギとラーメンサラダで札幌スペシャル

焼き鳥屋に行って焼き鳥を注文しない日が来るとは考えてもいなかった。が、この日の注文は唐揚げとサラダでおしまい。締めの釜飯を頼むこともなくあっさりと終了したのは、まあ、気分の問題というか接客対応の問題というか。店がホテルの一階にあるせいで夕方から混み合っていたが、どうやらホールの人員が足りない。現在のすすきの界隈では当たり前になった人手不足なので、予約もなしでふらっと店に入ると、どの店に入っても似たような目に遭う。予約をしておけば良いのだが、そうなると料理が固定される。料理の提供に待たされることはなくなるが、食べたくないものまで出てくるし、おまけに量が多すぎる。
せめて客の少ない開店間際に行けば良いのではと思うのだが同じことを考える者も多いから、たかが居酒屋に入るだけで行列する羽目になる。平成日本の飲食業は過当競争による過剰サービスを行なっていたのだが、人手不足により正常な活動形態に戻ったと考えるべきなのだろう。客は店で待たされるというのが、平常なる令和世界だ。だが、昭和・平成と続く過剰サービスに慣れきった身としてはいささかやるせない気分になる。
太刀パネルの導入で、その待たされる、注文できないという不満は解消されつつあるが、機械の導入を拒む経営者は多い。コストの面もあるだろうが、接客に対する変なこだわりがあるのだろう。だとしたら給料を倍払っても人手不足を解消しなければいけないのだが、そんなことをする奴はいない。そして、市場から退場させられる。自滅するには理由があるということを学んでいない。

さて、この日の注文は唐揚げではなくザンギなのだが、いつの間にやらザンギにスパイス塩がつくようになったようだ。ザンギを食べてみてわかったが、昔と比べて薄味なのだ。令和版のザンギはプレーンな鳥の唐揚げにスパイス塩をつけるのが流儀なのか。これは自分の知っているザンギではないなあ。小ぶりな唐揚げ3個のお値段を考えると、もはやザンギは大衆の食べ物ではないようだ。

ラーメンサラダはなんというか、実に小洒落たルックスになったが量が半減している。元祖ラーメンサラダ発祥の地である札幌グランドホテルのレストランでは、シェアして食べるほどの量だったはずだが……………
これも令和の進化というか退化というか、あまりいただけない変化だ。ふと昔を思い出す。バブルと言われた時代、外食産業全体がこれと同じ変化を起こしていた。見た目重視で、少量化することで注文点数を増やすという作戦だった。おまけに段階的に料理の単価を引き上げた。
一時は売上拡大に寄与するこうした仕掛けも、バブル崩壊の直前から効き目がなくなった。そして、実質的な価値の低下によりバブル破綻時代を先行して大手チェーンの破綻が始まった。破綻企業の実名をあげれば、ああ、しんなかいしゃがあったなあなと思い出せる人は素手位少なくなっている。バブル崩壊を体験した世代は、すでに高齢者しかいない。
現在の経営者はアフターバブル世代だろう。だから破綻の怖さを知らない。破綻した後の荒野しか知らないのも気の毒なのだが。

どの世界でも歴史は繰り返す物だから、たかが外食産業でも同じ過ちが繰り返されるのは間違いない。令和の後半には、サイゼリヤとマクドナルドと鳥貴族しか残らない世界になるとしたら、それはちょっと寂しい気がするが。
次世代の覇者は回転寿司かと思ったがそうでもないらしい。予言めいたことを言えば、おそらく人を使わないけれどもフレンドリーな店という難しいコンセプトを誰かが生み出すことになる。特徴的な売り物は食べ物ではなく、店内での過ごし方を売る店・業態になると思うのだ。
現在の外食産業に欠けている視点だから、どこか他業種の天才が生み出すのだろうという確信がある。

たかが唐揚げとサラダでこんなも妄想をしてしまいました。ススキノの夜はディープなのでありますよ。

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ススキノの看板の世代交代

すすきのランドマークビルの壁面看板は時代の流れを映し出す鏡のような物だと思う。自分の写真ファイルをしっかりと探せば30年分くらいの変遷を確認できるような気がするが、それは新聞社にでも任せておけば良いか。
とりあえずみてみるとわかるが、ナショナルブランドの看板はここには映っていないニッカ牛スキーくらいのもので、あとは北海道基盤の企業やブランドの看板が多い。まあ、それも当然なのだ。ススキノは依然として夜の街であり、夜の街に集まる物を対象としての看板だからだ。
そしてこのビルの隣にあるのがかの有名なすすきの交番で、この交番の3回に連れて行かれると人生は終わりだと、高校生の頃に聞かされた。まあ、都市伝説の類ではあるが、ウブな高校生はそれを魔に受け都市伝説の拡大流布に努めたのであります。
その血染めの我部がある(と噂されていた)すすきの交番もすっかりリニューアルされおしゃれな外観いなっている。小洒落たスナックビルと言われも信じそうなくらいだが。あくまでも治安を守るすすきのの拠点であるのだから間違って入ろうとしてはいけない。

お隣のビルも看板が激麺全体を覆っているが、こちらはもう少しローカル色が強い。いまですっかり弱体化したが、北海道では一番人気のサッポロビールと道内ナンバーワンコンビニチェーンセイコーマート、そしてなぜかサラ金の看板が復活している。どうやらサラ金業界も過払金ショックからようやく回復して、またビジネスの再構築を狙っているらしい。
離婚率と借金率が全国で屈指の高さを誇る北海道だけに(それ以外にも女性の喫煙率とかあれこれ面倒な数字が高い)、全国展開するサラ金チェーンが有用視するマーケットなのだろう。
今日の飲み代をちょっと前借り的な利用促進を図っているとも思える。困った物だなあ。

昔はコカコーリの看板はないがペプシコーラの看板がああった。70年代後半のディスコブームではディスコの店名が一番大きかった。平成時代は観光客向けの飲食店のかんばんも多かった。まさに時代を反映する鏡のような物だ。

北海道の次代ヒーローは出現するか?という疑問に答えが出るのは5年度か10年後か? それを見届けることはないだろうと思うが。