街を歩く

ザンギとラーメンサラダで札幌スペシャル

焼き鳥屋に行って焼き鳥を注文しない日が来るとは考えてもいなかった。が、この日の注文は唐揚げとサラダでおしまい。締めの釜飯を頼むこともなくあっさりと終了したのは、まあ、気分の問題というか接客対応の問題というか。店がホテルの一階にあるせいで夕方から混み合っていたが、どうやらホールの人員が足りない。現在のすすきの界隈では当たり前になった人手不足なので、予約もなしでふらっと店に入ると、どの店に入っても似たような目に遭う。予約をしておけば良いのだが、そうなると料理が固定される。料理の提供に待たされることはなくなるが、食べたくないものまで出てくるし、おまけに量が多すぎる。
せめて客の少ない開店間際に行けば良いのではと思うのだが同じことを考える者も多いから、たかが居酒屋に入るだけで行列する羽目になる。平成日本の飲食業は過当競争による過剰サービスを行なっていたのだが、人手不足により正常な活動形態に戻ったと考えるべきなのだろう。客は店で待たされるというのが、平常なる令和世界だ。だが、昭和・平成と続く過剰サービスに慣れきった身としてはいささかやるせない気分になる。
太刀パネルの導入で、その待たされる、注文できないという不満は解消されつつあるが、機械の導入を拒む経営者は多い。コストの面もあるだろうが、接客に対する変なこだわりがあるのだろう。だとしたら給料を倍払っても人手不足を解消しなければいけないのだが、そんなことをする奴はいない。そして、市場から退場させられる。自滅するには理由があるということを学んでいない。

さて、この日の注文は唐揚げではなくザンギなのだが、いつの間にやらザンギにスパイス塩がつくようになったようだ。ザンギを食べてみてわかったが、昔と比べて薄味なのだ。令和版のザンギはプレーンな鳥の唐揚げにスパイス塩をつけるのが流儀なのか。これは自分の知っているザンギではないなあ。小ぶりな唐揚げ3個のお値段を考えると、もはやザンギは大衆の食べ物ではないようだ。

ラーメンサラダはなんというか、実に小洒落たルックスになったが量が半減している。元祖ラーメンサラダ発祥の地である札幌グランドホテルのレストランでは、シェアして食べるほどの量だったはずだが……………
これも令和の進化というか退化というか、あまりいただけない変化だ。ふと昔を思い出す。バブルと言われた時代、外食産業全体がこれと同じ変化を起こしていた。見た目重視で、少量化することで注文点数を増やすという作戦だった。おまけに段階的に料理の単価を引き上げた。
一時は売上拡大に寄与するこうした仕掛けも、バブル崩壊の直前から効き目がなくなった。そして、実質的な価値の低下によりバブル破綻時代を先行して大手チェーンの破綻が始まった。破綻企業の実名をあげれば、ああ、しんなかいしゃがあったなあなと思い出せる人は素手位少なくなっている。バブル崩壊を体験した世代は、すでに高齢者しかいない。
現在の経営者はアフターバブル世代だろう。だから破綻の怖さを知らない。破綻した後の荒野しか知らないのも気の毒なのだが。

どの世界でも歴史は繰り返す物だから、たかが外食産業でも同じ過ちが繰り返されるのは間違いない。令和の後半には、サイゼリヤとマクドナルドと鳥貴族しか残らない世界になるとしたら、それはちょっと寂しい気がするが。
次世代の覇者は回転寿司かと思ったがそうでもないらしい。予言めいたことを言えば、おそらく人を使わないけれどもフレンドリーな店という難しいコンセプトを誰かが生み出すことになる。特徴的な売り物は食べ物ではなく、店内での過ごし方を売る店・業態になると思うのだ。
現在の外食産業に欠けている視点だから、どこか他業種の天才が生み出すのだろうという確信がある。

たかが唐揚げとサラダでこんなも妄想をしてしまいました。ススキノの夜はディープなのでありますよ。

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