
キャンプの帰りに山田うどん食堂で朝食を取ることが多い。早朝から帰り支度をすると、キャンプ場で朝飯を食べるのが面倒ということなのだが、朝の山田うどんは空いていてなかなか快適なのだ。
いつも食べるきつねそばではなく、ちょっとかき揚げでも食べてみようかと頼んみたが、出てきたのがこれだ。すごいかき揚げだった。食べるのも一苦労で、あまり朝飯向きではなかった。反省。
次回は、いつもの狐そばにすることにした。何事も学習だな。
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キャンプの帰りに山田うどん食堂で朝食を取ることが多い。早朝から帰り支度をすると、キャンプ場で朝飯を食べるのが面倒ということなのだが、朝の山田うどんは空いていてなかなか快適なのだ。
いつも食べるきつねそばではなく、ちょっとかき揚げでも食べてみようかと頼んみたが、出てきたのがこれだ。すごいかき揚げだった。食べるのも一苦労で、あまり朝飯向きではなかった。反省。
次回は、いつもの狐そばにすることにした。何事も学習だな。

2年前に立川のモールで発見したトイレナイのサイン。今でもまだ貼られているのだろうか。そもそも、蓋を閉めて水を流すことに科学的な意味があるのだろうか。感染拡大初期の頃にスーパーコンピューターを使い、ランニング中の呼気がどのように流れて、周辺にウイルスを撒き散らすかというシミュレーションをしていたが、あれとどこか似通ったもののような気がする。
擬似科学信仰とでも言えば良いのだろうか。UFOに乗ってエイリアンが攻めてくるとか、改造人間を駆使して世界征服を図る結社があるとか、そんな与太話と同レベルではないかと思う。トンデモ科学というやつか。
マスクをすればコロナにかからないというのはとんでもない暴論だと思っていたが、マスクをすれば人に移す危険性を下げられるといわれればなるほどなと思う。自分のためではなく、周りの人のためのマスク使用と言ってくれれば素直に納得しただろう。マスクで花粉は取り込めても、ウイルス除去は無理でしょう。くしゃみは咳に含まれる水分を、その中に含まれるウイルスごとマスクの生地で吸い取り拡散を防ぐというのがマスクの効用だろうと思うのだが。などとずっと思っていた。
マスクの効用を正しく説明する代わりに、三密などという「おバカ」な標語を偉そうに言っていた某知事がいた。そんな標語大好きな政治屋を筆頭とする非科学的な似非科学大好き連中は、まさに現代のインチキ祈祷師であり、エセ祭司であったなあ、などと思い出す。
先の大戦で「鬼畜米英」などという標語を編み出したのは、当時の有力メディア「新聞」を筆頭としたお先棒担ぎの面々だった。戦意高揚という名目で戦争翼賛すると販売部数が伸びたそうだ。戦争賛美が商売のネタだったから、どの新聞も戦争を煽った。大本営発表に一番喜んでいたのは真武屋だろう。
コロナの時も同じで、コロナは怖い、みんな死んでしまうぞ、と煽れば視聴率は爆上がり。恐怖を煽ることこそ最上の商売ネタになった。
「戦争」も「大規模感染」のどちらの場合も、メディア業界の先頭に立って騒いでいたのは「おひさま」マークのメディアだったというのが笑える。企業の体質などなかなか変わらないものだ。まあ、それに踊らされて新聞を買ったり、特定なテレビ局の番組を見ている者の責任を問わないというのが、お役ソックごとではあるのだけれどね。本当のバカはどいつだろうか。踊る阿呆に見る阿呆……………だよね。
今年はコロナの代わる新ネタが登場した。海の向こうの戦争で石油が足りないと騒いでいるのだ。もう少ししたら節電とか省エネとか言い始めるのは間違いない。最大の省エネはテレビを見ないことだろうと言いたくなるが。
人とは変わらないものだ。特に、怪しい政治屋や泡銭を稼ぎたい連中は、いつの時代でも同じ手法で、大衆の不安を煽ることで金儲けをするのだなあ。
ということを考えさせてくれる「良いサイン」が、まだ貼られているか確かめに行ってみようかな。このショッポングもールの蕎麦屋は美味しいので、そのついでにでも。

世間的には入学式が行われる頃、自宅近くの公園で桜が散り始めていた。今年の桜ももう見納めかなと少し寂しくなる。ここ数年は関東の桜を見終わった後、北国へ移動して時期をずらした花見をしていた。桜前線と共に北上旅行を企んだこともあるので、桜は年に何度も見るものだと思っていたが、今年は移動が少ない定住生活をしているので(笑)、これが桜の見納めになるはずだ。
桜の時期、花見をしたりしなかったりだが、記憶に残る花見はやはり一人で自転車に乗って遠出した時だろう。不思議と家族で花見をした記憶がないが、子供達が小さかった頃は花見の季節こそキャンプ始めのタイミングだったから、キャンプ先で桜を見ていたのだと思う。
折り畳みの椅子と総菜屋で買った弁当を持って、あまり人が来ない川沿いの桜を見に行く。桜を見ながら弁当を食べ、ゆったりとする。こんな花見は自分だけではないと思う。おそらく昔から、この時期はゆったりとした時間を日本人は過ごしていたのではないか。
桜の花の下で宴会をするという文化が生まれたのはいつの頃からなのかわからないが、平安時代にはすでに高貴なる方々が花見をしていたらしい。花見の話が落語にも出てくるのだから、少なくとも江戸時代には庶民の楽しみになっていたはずだ。
今では幼稚園でも花御をするらしい。老若男女、花見が大好きだから、春は平和だなあ。

自分で撮った写真を見て、これは一体なんだったのだろうと思うことがある。記憶力の無さの現れだが、これまでは写真を見れば思い出せると思い込んでいた。最近は、それが怪しくなってきている。スマホのアプリに日記帳的なものがあり、それに記録すれば良いのかもしれない。
それほど大袈裟なこともせずに、できれば写真のファイルにメモを書き込めれば良いのだがなあ、などと思っている。
この写真をじっと見ていて、どうやらコーンちゃんぽんのようなものだったのではないか。麺の姿が見当たらないが、かまぼこやさつま揚げみたいなものが載っているので、きっとリンガーハットで食べた季節限定商品だったのだろう…………どこか他の店でちゃんぽんを食べたかなあ?
まあ、この写真がなければ、このメニューの存在自体思い出せないはずで、(思い出す必要もないかもしれないが)忘れてしまって良い短期記憶なのだ。
などとあれこれ考えていたが、肝心なことが思い出せない。このメニューの味はどうだったか、うまいと思ったのか、もう2度と食べないと思ったのか。味に関する記憶がすっかり抜け落ちている。忘れているくらいだからあまり感動もしなかったのだとは思う。都合の悪いことはすぐ忘れるのは、案外と便利なことなのかもしれない。

かもせいろというものを初めて食べたのは3年ほど前もことだった。蕎麦屋で食べるといえば、もりそばかざるそばがほとんどで、せいぜい冬場におかめそばを食べるくらいのバリエーションのないそばライフを送っていたせいだ。
かもせいろの存在を知らなかったわけではないが、注文する気が起きなかっただけだ。ただ、ここしばらくかしわぬきや天抜きで酒を飲むことが増えたせいで、暖かい梅雨のそばを食べても良いかなという気分になっていた。
蕎麦屋のカレー丼は好きでよく食べていたが、あれも考えればカレー南蛮の頭を白飯の上に乗せたものではないかと気がつき、蕎麦屋の使い方というか注文の仕方を変えようと思った。少なくとも、一度も食べたことのないそばを一度は試してみようかと思うくらいにはなった。
その第一弾がカモせいろだったのだが、これはなかなか贅沢なそばだなと感心した。武蔵野うどんの肉汁うどんというメニューが好物だが、それのそばバージョンというところだ。というか、こちらが原型なのではないかな。
まだ食べたことのない蕎麦シリーズでいえば鴨南蛮が筆頭だが、カレー南蛮もチャレンジ対象だ。餅の入った力蕎麦も食べたことはない。ということで本日は蕎麦屋に行くことに決めました。

高知県の漁師町に一軒の魚屋がある。そこの大将とは長い付き合いになる。その街に行く旅に美味いカツオを食べさせてもらうのだが、何年も通い続けるうちに季節によりカツオの味が変わると伊野尾は理解できるようになった。
漁師町の人たちは毎日?のように立派なカツオを食べているので、どうやら舌が繊細すぎるらしく、自分が上手いなあと感度王しているカツオでも、あれこれと微妙な批評をなさってくれるので、こちらはカツオに関してバカ舌しか持っていないと思い知らされる。ちょっと悔しい。
おまけに、毎日?のように食べているせいか、食べるとしてもせいぜい一切れか二切れでおしまいになる。
かくして、自分を艦隊してくれて出されてきた、大盛りの鰹刺身と藁焼き叩きの大皿を黙々と食べることになる。これは至福の時だが、流石に大皿の半分も自分一人で食べると、もうしばらくはカツオは勘弁ねという、大変贅沢な心持ちに達する。まさにカツオ三昧を実感する。
この大皿を半分食べると、おそらく500g程度の鰹を平らげたことになる。ステーキで言えば1ポンド超の巨大左に匹敵する。
お江戸では絶対に味わえない鮮度よく選別された鰹のエリートを、飽きるまで食べるという贅沢を味合わせてもらえるのだから、文句を言ってはバチが当たる。その名を聞けば誰でも知っているというようなシェフたちが噂を聞きつけ、この片田舎の漁師街に鰹を食べに来るのだから、やはり本物の一品だろう。
春が来てカツオが上がり始めているという、魅力的なお話も伝わってきたし、そろそろ今年のカツオツアーに行かなければなあ。

和歌山の山奥で昼飯を食べた時に、ラーメンのサイドメニューとしてめはり寿司が販売されていた。菜っ葉の漬物で包まれたこぶい大のおにぎりと言えば良いだろうか。昔は山仕事をする人たちが昼飯に持って行ったものだそうだ。
素朴の極みとでもいうべき食べ物だが、確かに漬物の塩味でバランスは取れている。漬物だけに発酵した旨味も感じられる。
ラーメンのサイドアイテムとして、半チャーハンとかチャーマヨ丼とか小皿ご飯的なアレンジがある。蕎麦屋うどんで言えばいなり寿司が定番だろうが、そこにおにぎりが登場するのが和歌山流というところだ。
最近んは手で握ったおにぎり屋が増えているが、そのメニューを見ると伝統的な日本のおにぎり文化には登場しないような具材が並ぶ。マヨネーズやチーズが使われたものが人気メニューんの上位に並んでいる。それはいいのだが、このめはり寿司のような伝統的で古典的なおにぎり、おむすびにも焦点を当ててもらえないものかなあ、などと思うのであります。
地元埼玉で言えば、秩父のしゃくし菜漬けで包んだおにぎりは美味いだろうなと思う。どこにも売っていないから、暇な時に自作してみようか。

海鮮丼はお手軽なご馳走だが、鮨屋のランチなどでお手軽価格のものはやはりそれなりにお手軽なものになっている。簡単に食べられるというお手軽ではなく、簡単に盛り付けが終わってしまう「頭がペらペら」なお手軽どんぶりという意味だ。
だから、頭大盛り、つまり刺身がどっさりと乗っているものを見ると、ついつい頼んでしまいたくなるが、そこはお財布と相談しなければならない。
頭大盛りの海鮮丼はお手軽なものの四倍くらいのお値段になる。4回分のランチを1回で使い切るというのは、普通の暮らしではなかなか度胸のいることだ。
だから観光地などの非日常空間では、大盛り海鮮丼が幅を利かす。丼一つで5000円を払えるのは「旅空間」だからだろう。ところが、大都市の中心部にある繁華街で、鮨屋でもない居酒屋のランチが大人気になってリウ。その理由が、コスパの良い頭てんこ盛りの海鮮丼だ。お値段は普通盛りの倍程度だから、やはりお得だろう。
ただし、どんぶりとしては器が小さい。普通の茶碗と比べて一回り大きいかなという程度だ。が、ビジュアル的にはすごい。
商品開発という観点から見ると色々と考えさせられるメニューだが、価格の安さではなく、お得感の演出といういう意味で業界関係者はお勉強すべき題材だろう。
ご興味があれば札幌の狸小路2丁目にあるフードホールのようなところにある、魚居酒屋でお試しください。

門司港は素敵な観光地だった。北九州市に初めて行った時にはなんの記憶もない。仕事の都合で市内各地をぐるぐると車で移動しただけだったせいもある。おそらくその時には、門司港観光などしなかったのだろう。ただ、うっすらとした記憶で焼きカレーを食べたような……………定かではない。
門司といえば昭和中期に生まれ育った人間は、おそらくバナナの叩き売りを思い出すのではにだろうか。実際には叩き売りをしている商売人を見た記憶はない。北の辺境まで旅商売をする「寅さん」のような商人はいなかったのだと思う。初めて叩き売りを見たのは、高校生の時に上京して上のに行った時と思う。おお、これが叩き売りかと思ったはずなのだが、これまた薄い記憶しかない。上野駅前の人の多さに呆れてしまったからだろう。あるいはアメ横の露天飲み屋の凄さに圧倒されたせいかもしれない。
確か門司港には台湾からバナナが運ばれてくるのだで、バナナといえば門司港ものみたいな刷り込みがあったようなんかったような……………
だから、もし香を散歩していた時に発見したブラックバナナマンには感動した。しかし、このかたの本名はなんというのだろう。
今やバナナといえば中米産かフィリピン産だが、昔懐かしの台湾バナナを食べてみたい気がするなあ。

日本全国あちこちを旅したが、記憶に残る洋食の食堂、レストランは意外と少ない。岩手県花巻市の元デパート食堂だったマルカンビル食堂は歴史の風格がある名店だった。お江戸界隈では新宿のはやしやだろう。お江戸の数ある名店とよばれる洋食屋はうっすらとした記憶も残らない。
大阪であれば難波の自由軒が素晴らしい。レトロを超えた歴史ものというべきだが、それと同じくらい古いのが埼玉県秩父のバリー食堂だと思う。広島県福山市にも同名の自由軒があったが、これはひょっとすると暖簾分けの店かもしてない。
九州博多にあった食堂はすでに廃業しているので、九州ブロックではゼロだ。四国では徳島の洋食屋が良かったが、徳島は食文化圏として事実上は大阪と一体化している感じがする。そのせいだろうか、この店「はなや食堂」で食べた洋食は、どことなく大作風な感じがした。
お江戸の洋食と大阪の洋食のどこが違うと言われるとうまく説明できないのだが、やはり違う。ビフカツととんかつの違いとでも言えば良いのだろうか。デミグラソースもちょっと違う気がする。東西文化圏を比べて食の違いに優劣をつけるつもりはない。どちらもうまいし、どちらにも好みの店がある。個人的には多少とも庶民寄りな大阪の洋食の方が好みではあるなあ。
古代から続く西国は未開の地である東国と比べて先進文化圏であり、その文化圏は九州からゆっくり東に拡大していった。そのため西国の文化は北部九州からグラデーションをかけたように少しずつ変質しながら大阪、京都に至る。
京都から東は、どうやら質的な変化というより断絶がある気がする。古代ヤマト王権成立時には名古屋周辺の豪族が支援したようで、名古屋あたりまでは西国に近い文化が移植されたみたいだが。現在の名古屋は、こと食文化に関しては東西のどちらにも与せず、凄まじい独立性を示している。
ただ、名古屋ではユニークな店は多い、いや、多すぎるため、記憶に残る「良い食堂」がない。というか、他の名古屋飯専門店が強烈すぎるので、普通の食堂に行った記憶がないというのが正解だろう。喫茶店、スパゲッティ、味噌煮込みうどん、台湾ラーメン、どれも凄すぎるからだな。
自宅近くにある洋食屋は、客の大半がオムライスを注文する不思議な店だが、この店のポークカツ(トンカツではない)が結構このみなのだ。あれこれ洋食のことを思い出してしまったし、今週はその店に行ってみようか。週末は混み合うので平日の遅いランチが良いなあ。