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季節限定の鳥唐揚げ

からあげについてくる謎のドレッシング いつもキャベツにかけているが、からあげようなのだろうか

ぎょうざの満州は、町中華というより中華ファストフードではないかと時々思う。提供時間が早いこともあるが、メニューの絞り込みが待ち中華としてはありえないほど厳しいからだ。
その一端として、町中華では絶対定番と言って良い鳥の唐揚げが季節メニューになっている。冬場しか売らない。餃子がメインだからという理由なのか、揚げ物(フライヤー)がオペレーションの邪魔なのかはわからないが。
当然、揚げ物を使ったメニューは存在しない。だから酢豚もない。魚のフライもない。エビフライさえ存在しない。

その冬にしか販売しない唐揚げが登場していたので、とりあえず注文したのだが、いつもと同じ味だった。季節メニューとは言え、一度販売を止めた後の再登場では、普通にあれこれいじくり回すものだと思うが、それがない。休止中に進化させるという発想はないみたいだ。
確かにコロナの前あたりから、満州のの季節メニューは昨年の焼き直しばかりで目新しさは無くなっている。同じ町中華「餃子の王将」あたりのめぐる真しいメニュー変化を比べると、その差は歴然とする。

似たような傾向、つまり季節メニューの使い回しは、埼玉発でもう一つの町中華チェーン日高屋でも見受けられる。それでも日高屋では一年に一作くらいは新商品が投入される。夏場の冷麺だったり、ドラゴンチキンが良い例だ。

日常使いの町中華としてメニューを絞り込み食材の無駄を省き、オペレーションの完熟を図る。そう考えらば飲食業経営の鏡のような存在だが、どうも最近の方向性は「高齢者向けのファストフード」に邁進しているように見える。

まあ、それはそれで正しい選択なのかもしれないなあ。確かに、毎年、冬に出てくる唐揚げは安定の美味さだ。だが、これも昔は定番メニューとしていつでも食べられたのだよね。そこがちょっと不満なのだ。

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油そばではない、汁なしラーメン

イオ中田寿夫毛が足りないので、何か赤い食材をトッピングすれば「映える」?

たまたまテレビのスイッチを入れたら、町中華チェーンの人気メニューランキングを当てるというバラエティー番組が放映されていた。ちょっと気になってみてしまった。その訳は、いわゆる油そば、つまりスープのないラーメンが人気上位にあるといっていたからだ。

ちなみに一般的にはスープのないそばは油そばと呼ばれている。濃厚で脂ギラギラな濃いタレとゆでた麺をぐるぐるとかき回して食べるので、まぜそばなどとも言われている。特徴はスパイスの効いた濃厚ダレと香味油の組み合わせだろう。ニンニクや唐辛子など刺激性の強い味付けのものが多い。強いタレに合わせて麺は極太が多い。
油そば専門店もあり、麺をモリモリと食べたい若者世代には、つけ麺と同様に油そばも人気のようだ。
個人的には麺に絡んだタレの油っぽさがどうにも苦手であまり食べてはいない。伝統的なスープに入ったラーメンでさえ過剰なバリエーションがあるので、油そばまで手を伸ばすのが難しいというのも理由だ。つけ麺は言ってもみれば日本蕎麦、もりそば系の延長にある食べ物なので、腹ペコの時には重宝しているが、油そばが苦手なのは大陸系の香辛料過多な麺料理に原型があるせいだろうか。

さて、この汁なしラーメンだが、確かに脂っ気が少ない。タレも濃い味付けだが、あの油ギラギラスパイスたっぷりな感覚は見当たらない。勝手な言い分だが、高齢者向けの「油抜き」油そばという感じがする。
よくタレと混ぜて食べてみたが、さっぱりとした感じだ。ただ、、麺量が多いので食べ飽きる。この辺りの麺量と味付けの兼ねあいは難しい。麺を減らせば味付けは薄くできるが、満腹感に欠ける。麺量を増やせば最初は濃いめの味も食べるにつれて薄まってしまう。あとで足す追いタレ方式にする、あるいは別の味のタレを追加して味変を楽しむとか、なかなかややこしいことになりそうだ。
麺料理として普通にうまいが、また注文するかと言われるとちょいと微妙な感じで、これを選ぶならタンメンの方がより健康的だし、感覚的に野菜たっぷり食べたという満足感もある。普通にラーメンを食べるなら、お江戸では標準味な味付けの「関東系」味噌ラーメンは尖ったところがない分だけ安心感がある。

ただ、値段と麺量のバランスを考えれば、この汁なしラーメンは確かに大食いな方にとってお買い得な商品だ。スープがない分だけ、ささっと食べるのにも向いている。もし、そういう特別な客層に合わせて開発されたのだとしたら、確かにこれは高い完成度があるのだろう。提供時間も早かったし。
油そばは太麺の店が多く、麺茹での時間が長いのが弱点だから、その点でもこの汁なしラーメンは優れものなのだろう。

ただ、ネーミングセンスはいただけない。何か違う名前にならないものですかねえ。

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1月の初カツオ

1月の終わりに高知の友人からカツオが届いた。例年であれば1-2月はカツオが揚がらない時期だが、今年はなぜか順調につれているらしい。昨年は4-6月、つまり初鰹の時期にカツオ漁が絶不調だった。季節知らずのカツオとは、何か黒潮に異変があるのだろう。
確か、去年の夏は黒潮が千島海竜に負けて宮城沖から千葉沖まで押し下げられ、宮城ではカツオが超絶不漁だった。北に上がれなくなったカツオが土佐沖あたりに居着いているのだろうか、などと思ってみたりもする。
ちなみに、北海道襟裳沖にも似たような現象が起きていて、日本海を北上する暖流、対馬海流が強くなり青函海峡から太平洋側にはみ出してい流そうだ。それに乗っかったブリが「えりも沖」を不法占拠している。そのため、千島海流に乗ってオホーツク海から故郷のえりも沖に帰ってきた鮭が、ぶりにいじめられてどこかに行ってしまったらしい。えりも沖の美味しい鮭が食べられない事件がここ数年続いている。

地球温暖化の影響だとあれこれ騒ぐお馬鹿さんは多いが、それは平均気温が何度上がったなどというより、こういった身近な例を取って説明すれば良いのになあといつも思う。科学的データだけで人は物事を判断できるほど知的な存在ではないのだ。

九州では気温が上がりすぎて米が不良になり、10年がかりで暑さに強い品種に転換した。うまい米作りには不向きと言われた北海道でも、気温の上昇とともに米の品質ランキングで新潟米を抑える優良米の供給産地となった。まあ、この件は福岡出身の元首相がぼやいていたのでニュースになったくらいだ、

結果として、1月に初鰹を食べられるようになるとはなんとも不思議なことだが、うまいカツオが年中食べられるのはありがたい。しかし、この土佐沖にいついたらしい怠け者のカツオをなんと呼べば良いのか。これを初鰹と呼べば、5月にやってくる鰹はなんになる? 
春告げ魚はニシンだが、鰹も春告げ魚扱いで良いのかか? それとも初夏鰹とでも呼ぶか?

やはりここは、怠け者で回遊しなくなった鮭と同様に「時知らず」と呼ぶのもありか。つまり旬の時期にやってくる回遊魚ではなく、季節に関係なく一定の海域に定住していると時間を忘れたうっかり者と、呼べば良いのではないだろうか。

ことしの「時しらず」カツオは油が乗っていてうまいよーなどと魚屋で言われても、ぴんとこないかもなあ。

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コーンのピザの苦い思い出

なぜか大手冷凍食品メーカーは手を出さないが、出せば大ヒット間違い無いと思う

ピザ屋をやっている時に、どうしても認めたくないと思っていたのが「コーンのピザ」だ。競合チェーンでは売れ筋No.1らしいとは聞いていた。その会社の社長にあった時に確かめたら、確かにそうだと言われた。普通であれば競合店で人気商品となれば、デッドコピーであっても揃えるものだ。コーンピザがないから、この店では注文しないと言われるのを避けるために仕方がない。

ただ、自分たちのピザはチーズたっぷり、トッピングがいっぱい乗っているものを目指していたので、コーンだけ、それもマヨネーズをソースがわりに使うというのはなんとも情けなく導入に抵抗があった。おまけにそれが人気商品になると単価が下がるという悩ましい問題も抱えていた。

今思い返せば、なぜそんなことにうじうじとこだわっていたのだろうと呆れてしまう。ブランドがとか、商品の差別化とはなんぞやみたいな面倒くさいことばかり考えていたのだろう。当時の自分に会えるとしたら、お前はバカだと罵倒するのは間違いない。

人気にコーンピザを売り出し、それにトッポングなどを加えてゴージャス系に進化させるとか、お子様大好きなサイドアイテムとセット化して単価を上げるとか、なんとでも対応はできる。競合を追い込む作戦の一環として何がしかは考えられたはずなのになあ。やはり年が「若さ」というのは、「バカさ」と同義かせいぜい紙一重の差でしかない。

そんなつまらんこだわりなど微塵もないであろうファミレス大手で、コーンピザを頼んでみた。言うまでもなく、まあ、普通に美味しい。自分の中のピザとはなんぞやという定義とは、確かにかけ離れているが、うまさは注文した客が決めるもので、提供側にそれを決める権利はない。おそらく「旨いと言ってくれる」と類推して、期待して商品を作っているだけだ。
シェフがずらっと揃って、どこかの店の商品をうまいまずいと論評するテレビ番組があるが、あれこそ愚の骨頂であり夜郎自大なおバカたちの遠吠えだと笑っている。この出演者たちには「うまいから売れた」という思い上がりがある。事実は「売れたものがうまいという評価を得ている」だろうに。
いくらうまいものを作ったと自慢しても、一つも売れないということは「客に支持されていない」つまり商品として不完全ということだ。ただ、残念ながら自分もそんなことに気がついたのは、マーケティングに携わって随分経ってのことだから、やはり「若さ」というのは「未経験のおバカ」ということを実践で証明していただけなのだ。

ファミレスで食べたコーンピザでそんな情けない思いをしてしまい、やはり自分に取ってコーンピザは不幸の素でしかないと、改めて実感した。

ちなみに、このピザは子供に大人気でおまけにコスパも良いので、ぜひ一度お試しください。(とい認めるののが、とても辛いなあ)

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友、春日部より来たる

お通しで出てきたて刺身三点盛り

遠い昔、同じ会社で働いていたお仲間と久しぶりに会った。お互い確認してみたら15年ぶりくらいになるらしい。見た目は互いに老けたが、話をすればあまり変わり映えもしない。よく飲み、よく食べ、よく話をした(聞いた)。
昔働いていた会社の人間とはあまり会わない。特に、元上司とは滅多に会わないが、若い頃のお仲間たちと会うのは楽しい。ただ、最初にお断りするようにしているのが、歳とともに話題に上がるものはご遠慮いただきたいといことだ。

一番目が健康と病気話題、二番めが年金関連、三番めが昔は良かった的ノスタルジックな振り返りだ。これを除いたら何が残るのかという向きも多いだろうが(特に引きこもりジジイになると新しい話題が増えないので)、現在進行形の趣味の話とか、最近訪れた楽しいところとか、あるいは自分の知らない「それぞれのお仕事」の話などをしてもらう。
スマホで撮った家屋の写真を見せるくらいはご愛嬌だが、この歳になるとこれも話題としては地雷を踏む可能性が高い。熟年離婚なる大型爆弾を抱えている者が多いからだ。

そんなわけで、昔のお仲間たちと池袋の居酒屋で一献傾けたのだが、ふらりと入った魚居酒屋がなかなか良いところだった。

注文した おすすめの三点盛り

まず開店前から並んでいた。ほとんどの人が予約していた。つまり人気店なのだが、たまたま開店数分前に見つけたので、運良く予約なしで席が取れた。予約していたら半個室の席になるらしい。お値段はお江戸プライスとして良心的でコスパも良い。お江戸の魚居酒屋でありがちな、劣化品は全く出てこなかった。揚げ物も良好。
女性客も多いのが目立った。週末の昼から酒を飲むのはジジイだけではなく、お若い女性(比較的)もグイグイと飲んでいるらしい。まあ、ジジイが騒々しいのは若い女性のにぎやかさと比べても仕方がないが。ジジイの騒々しさは都市における公害の一種だといつも思う。おそらく耳が遠くなってくると、ああいうふうにあたりの迷惑わきまえない騒音発生事案を起こすのだなあ。

外見には似合わない、店内はかなり落ち着いた感じだった

池袋といえばインバウンド客に席巻されていると思っていたが、今回は外国人客がほとんどいない。日本人同伴でどこかの異国の方が一人だけいたが、すぐに帰った。どうやら魚が苦手だったらしい。

春日部から参戦した古き友人は、散々に飲み、実にご機嫌でお帰りになった。次回は大宮開催ということになり、どうやら築100年みたいな老舗(おんぼろ)居酒屋でセットしてくれるらしい。池袋に続き埼玉とは、確かに昔馴染みでしかできな飲み会だなあとしみじみ思いましたよ。

ちなみに埼玉人にとって池袋はお江戸デビューの登竜門で、まず大宮から池袋をめざし都会慣れした後、渋谷、青山、赤坂あたりの大都会ど真ん中へ進出していく。つまり、池袋こそ「我が東京のホームタウン」という埼玉人人は多く(帰りの電車が近いので)、街を歩く人の大半が埼玉人ではないかという錯覚を起こすほど馴染み深い街なのでありますよ。自分の場合もお江戸に来て最初に出張った都会の街は池袋でありました。はい。

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2024年2月の写真

徳島市中心部を歩き回ったが、車優先の歩行者には優しくない街だった

2年前ともなれば朧げながら記憶はあるが、やはりデジタルアーカイブの威力は凄まじい。この頃はコロナも終息したせいで一気に国内旅行が勢いを取り戻していた。そこい円安に乗じてインバウンド客がどっと押し寄せホテルの料金がどんどん値上がりしていた時期でもあった。すでにコロナ怖い怖い症候群な方達は存在を消していた。が、蚊の人たちはまた違う「シンボル」を担ぎ出して怪しい宗教団体的活動を始めるのだろうな。確かこの頃に、反ワクチン運動デボ力騒ぎを起こした団体の裁判が結果を出していたような。


この年は西日本のあちこちに出張っていた。ずっと乗ってみたいと思っていた四国と九州を結ぶフェリーにも乗ったみた。東日本であれば自分で運転しての車移動が多いのだが、西日本では鉄道の旅が中心になる。乗り鉄としては楽しい旅をした記憶がある。例えば山陽本線を制覇した。山陰本線は山口県部分を乗り残しているが、これはいつか完全制覇したい。四国も徳島県内の部分が徳島線(池田徳島)と高徳線の徳島以南が乗り残しだが、これもなんとか乗ってみたいものだ。

徳島ラーメンは濃厚とんこち醤油味

徳島名物といえば阿波踊り、藍染、徳島ラーメンなどを思い浮かべるが、この時にきちんと挑んだものはラーメンだけ。できれば藍染の展示館?にも行ってみたいが、なんとか機会を見つけてチャレンジしたい。そういえば、和歌山から徳島にフェリーが運行しているらしいので、それにも乗ってみたいものだ。

東日本はその辺境で生まれれからずっと生活してきた地域なので、関東東北北海道には馴染みがある。ところが西日本、特に中四国と九州は随分と年をとってから始めて行ったこともあり、どこか異国の地という感覚がある。仕事柄海外のあちこちにも出かけたが、南方アジアの雰囲気と西日本の雰囲気葉に通ったものを感じる。おそらく東日本は大部分の地域が寒冷地なので、南の暖かい場所に憧れているみたいなものがあるのだと自分では思っている。

確かに次の旅をするとしたら、奈良から和歌山を抜けて徳島、高知、そこからフェリーで南九州みたいなコースが良いなあ。

自分の撮った写真でザクっと5年間くらい振り返ってみたのだが、これはやはり脳の外部記憶装置として十分異常に機能している。このデジタルアーカイブ環境で育った子供達は、一体どういう記憶の持ち方をしていくのだろう。デジタルネイティブなどと言われる世代から、何か新しい価値観や社会理念が生まれていくのjは間違いなさそうだ。
ジジイは大人しく撮り溜めした写真を眺めて思い出に耽るくらいのことしかできないけどね。

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2023年2月の写真 おまけ

日本酒の酒蔵でワインを買うのも楽しい

この頃、よく秩父に行っていた。秩父市がコロナ対策で補助金を出していて、秩父行きの切符が特別に安かったせいもある。秩父市の観光事業対策は機能したということか。秩父は自宅から車で行っても1時間くらいとお手軽な日帰り旅行先なのだが、電車で行けば秩父の酒蔵で試飲ができる。そんなあれこれの理由があり、何度か秩父散歩に行った。
埼玉県は案外と知られていないようなのだが、日本酒製造量が多い。関東では一番多いのではないか。酒蔵も埼玉北部にたくさん存在する。秩父はその酒蔵大国埼玉でもちょっと特殊な産地で、日本酒以外にワインや焼酎も生産されている。何より地ウイスキーブームのきっかけとなった、ウイスキーのディストラーがある。
昔はあまり売れていなかったような気がするが、今ではプレミアムがつくほどの人気ぶりで、埼玉県内であっても入手に苦労する。現地秩父に行ってすら、限定本数しか買えない。だから秩父に行くと、大抵は1本だけ地ウイスキーを買ってくることにしていた。
日本全国各地で製造される地域限定生産のウイスキーを試してみたが、秩父のものが一番美味しいようだ。(決して地元贔屓ではない)

開き直って冬の夜の寒さを楽しもうという、北国的発想のイベントもあるが、ああ寒い……………

秩父といえば12月初頭の夜祭が有名だが、実はこのお祭りは2度ほど行って卒業した。まず、とても寒い。夜祭の山車を写真に撮ろうと一眼レブカメラを抱えてノコノコ行ったのだが、ともかく寒い。おまけにやたら人が多いので、カメラを構えるにも一苦労する。おまけに、どこかで一休みして食事でもしようと思っても、ほぼ全ての店が満席なのだ。
夜祭の翌日にはどの店もガラガラになるので、美味しい蕎麦屋わらじトンカツなどの秩父名物を食べたいのであれば、夜祭翌日以降がおすすめだ。
冬の秩父はともかく寒いが、その分だけ凛とした空気が楽しめる。街中を歩く観光客も少ないので、どこでもスイスイ入れる。お手軽な日帰り旅行や一泊旅行であれば、冬の秩父は案外と良いところだ。おすすめは古くからやっているパン屋と蕎麦屋、そして昭和レトロどころか大正を通り越した明治の風情も感じる「パリー食堂」がイチオシであります。

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2023年2月の写真 もう一枚

懇意にしていた高知県の漁師町から招待状が届いた。漁師町の友人から、そろそろ高知に遊びに来ないかと誘われたのがきっかけだった。2020年から、何度か遊びに行きたい旨を連絡したのだが、丁寧に断られた。大都会からの旅人は商店街をあげてお断りしているとのことだった。せいぜい県内からの客を渋々受け入れている程度なのだと。
確かに同じような話は北海道の農家の友人からも聞かされた。東京から来た人間がいると町の人の目が怖いのだとのこと。
感染者の多かった北海道の最大都市札幌でも似たような話を聞かされた。東京からの来訪はお断りしているのだとはっきり言われた。田舎町ではどれくらいコロナが怖がられていたか、それも東京を中心とした大都会を悪者にしていたかがわかる。
人口が十倍だから感染者も十倍だ、罹患率には変わりがないと言っても聞き入れてもらえないのは明らかだった。恐怖の感情は論理を超越する。おそらく大戦前の意識も似たようなものだったのだろう。日本をいじめる先進国である欧米のいうことなど聞いてはいられない的な感情論むき出しの好戦的な気分が国を覆ったのだ。コロナも戦争も一般人にとては同じようなことらしい。


大都会からやってくる流行病的な認識が変わり始め、正しい疾病対策が広がったから安全になった北、などと思われたわけではない。人々がコロナに怯えることに飽きてしまったのだ。先の大戦も3年半で終わったのは、当時の国民が戦争に飽きてしまったからだと思っているが、コロナも似たようなものだ。
色々なインチキ情報が消えていったのが、2023年初頭くらいだった。第何波なのかは忘れたが、この時期辺りからは日本人全員がコロナ情報に飽きていたし、慣れすぎていった、というか大多数の人が無視するようになった。


漁師町の人たちがお江戸に来て、漁師町の応援者(ふるさと納税の協力者)を招いてディナーをするという。コロナが終わったから遊びに来てね、ということでもあるらしい。真っ当なイタリアンだというので喜んでおよばれされた。

おいしい高知産物の料理を楽しみ、久しぶりに顔を合わせた友人たちと歓談した楽しい一夜だったが、よく考えれば3年間ほどまともなディナーの店に行っていなかった。店が閉まっていた時期も長かったが、ディナーを一緒にしようという友人もいなかった。誰もが、自宅に引っ込んでいること、節制を要請されていたからだし、特に大企業にいる友人たちは対人接触を避けるように厳命されていたのも大きな理由だ。

新橋でのディナーはそんな時期が終わったことを象徴するようなものだったのだな。確かこの時期から昼飲みのブームが収束していった。そして始まったのがインフレの時代なのだ…………

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2023年2月 の写真

秩父まで対mぐいそばを食べにいった 美味かったのはしゃくしな蕎麦だったかなあ

やはりデジタルアーカイブというものは素晴らしい。老化した脳に変わり外部記憶装置として着実に機能している。昔々であれば日記を書いて、情景をテキストに転換するという面倒な作業が必要だった。カメラが安価になり写真がお手軽に撮れるようになっても、やはり日常のさまざまなことを写真に撮って記録するには費用もかかり、また現像の手間であったり、フィルムの保管や紙焼きした写真の整理など、アーカイブとして使い勝手の良いものにするには一手間では済まない労力が必要とされた。が、今ではカメラも要らず保管作業も不要だ。スマホがあれば自由自在に過去の記録が活用できる。

アップルの標準装備であるカメラアプリも性能が上がり、検索性も良くなった。そのうちに音声で曖昧なことを言っても写真の検索ができるようになるだろうから、スマホが日記帳になるぞと思っていたら、なんと写真とテキストを合体させるアプリも標準装備になった。便利なことだ。

さて、そんな写真記録から23年2月を覗いてみると、コロナ関連の写真が一切なくなっていた。営業時間の短縮や休業規制がなくなっていたということだろう。例のワクチン接種アプリ掲示も消えていたようだ。
今になって振り返ってみれば、コロナの時期にはなんと馬鹿馬鹿しいことが起きていたのだろうとわかるが、当時はあれこれやったこと、全てがそれなりに意味を持っていた。というか、持っていると強弁するお馬鹿さんたちが多かったのだ。
個人的には「アンチ「コロナ対策」報道?の急先鋒だった某テレビ局には、一度コロナ報道の総括をしてもらいたいと思うのだが、彼らの中には「恥」という言葉と「反省」という言葉は存在しない。もちろん、外部記憶という概念が存在しないようで、全ての不都合な事実は忘却の彼方へ飛ばしてしまったようだ。
メディア関係者の脳細胞は石器時代から進化していないらしい。世間的には、からす頭などと、カラスが聴いたら怒り出しそうな悪口も聞こえてくる。

メディアが「コロナ」などあったことを忘れたがっていた、無かったことにしたがっていた時期が23年2月頃だったと、薄ぼんやりと記憶している。コロナ期の安倍・菅政府が散々の言われようで退陣して、コロナ明けの期待を込めて岸田政府頑張れ、みたいな宣伝がなされたのを思い出した。が、その後の岸田、石破政府は総理大臣をやりたかった人たちが野望を達成しただけだった。何もしない無能な政府という評判だけを残し消えていった。
何もしない政府と、あまり欲しくもないマスクを配りオリンピック開催を強行した政府とどちらが良かったのだろうかと、今であれば外部記憶を頼りに考えることもできるが。

この時期、外出に関する自主規制も薄まったこともあり、あちこちに出かけていたが、一番面白がっやっていたのは立ち食いそば屋の探索だった。コロナで相当な立ち食い蕎麦屋が潰れてしまい、生き残った店をあちこち梯子して歩いていた。
なぜ生き残れたのかを調査するつもりだったが、生き残った店のそばはどれも美味いなあ、と感じた。だから生き残ったのか、みたいなつまらない結論にたどり着いた記憶がある。外出時にマスクをしなくて良くなるには、あと一年くらいかかったはずだなあ。

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2022年2月の写真 おまけ

2022年2月、夜営業の禁止がまかり通っていた頃、店内混雑は密のもとということで入場制限をしている店もあった。現在はインバウンド客の大量入店で混乱を避けるため、百貨店の高級ブランド店などが、やはり入場者制限をしているが、それとこれでは随分と異なる。
今では有名無実化しているが、スーパーのレジ前に間隔を開けた行列を作るよう、立ち位置マークが事実上の標準とされたのもこの頃だった。今でも立ち位置マークは残っているし、意外と皆さんそれに従っている。一度ついた習慣とはなかなか消えないものらしい。

コロナが終わる頃にはこのチキンも販売されなくなっていた これ好きだったのだがなあ

さて、埼玉県所沢市と東京都東村山市の境目に秋津という地域がある。西武池袋線秋津駅とJR武蔵野線新秋津駅は東村山市にある。ただし、西武線秋津駅の北側は所沢市になり、駅の北と南で行政区分が変わる。
その秋津駅と新秋津駅を乗り換えるために200mほど歩くのだが、そこが商店街となっていて飲食店や居酒屋も多い。その一角にサイゼリヤがある。所在は東京都だ。
この時期、飲酒の規制については東京都と埼玉県では方針が違い、埼玉では酒が禁止になっていた。つまりサイゼリヤの所沢店ではワインが飲めないが、一駅隣の秋津に行けば酒が飲める。一駅も離れていれば、まあ仕方がないかと諦めもつく(笑)が、秋津駅の南北では複雑なことになる。北口がやっているで居酒屋は酒がアウト。南口は時短営業可能。ということで、秋津駅南側の居酒屋はものすごく混雑している。北側の客がみんな南に集まってくるからだ。
おなしことがサイゼリヤでも起きていた。昼飲みをしたがるジジイが所沢のサイゼリヤを捨てて秋津のサイゼリヤに押し寄せているのだ。

それを確かめるためにわざわざ所沢と東村山の店、両方に出かけたのを記憶している。結局のところ、どんな法律を作ってもその裏を書こうとする怪しい輩は必ず出現するもので、そういう輩は分別の足りない若者だけとは限らない。人生経験たっぷりでいい加減悟りをひらけと言いたいようなジジイ(多分、ババアも)が、そういう抜け穴を探して脱法行為にはしるのだなあ。

などと考えながら、東京都で昼からワインを飲んでいた、埼玉県としては脱法ものの行為をする輩になっておりました。