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ブラックなラーメン

どうやら幸楽苑ではお買い得メニューとして「郡山ブラック」を使い回すように見える。スタンダードな幸楽苑のラーメンはなんだと言われても困るほど、今ではあれこれ変わったラーメンを販売しているので、この郡山ブラックも使い捨てのキャンペーンメニューだと思っていた。
ところが、最近では2ヶ月に一回程度で三日間限定のお買い得品として、何度も使われてきてほぼ準定番といいたいほどだ。
見た目はブラックだが、味は思ったほど濃い味ではない。なんとも表現し難いが、それでも富山ブラックのような強烈さがあるわけではない。

見た目のシンプルさが逆に目立つ点かもしれない。多めのチャーシューだポイントだろうか。めんまや海苔などの夾雑物はない。潔いラーメンだ。この手のタイプはスープ命という、スープによる独自性を打ち出すのだが、それがないのでなる意味普通な、ある意味では凡庸な味になっている。やはり見た目のギャップを楽しむものだろうか。

ちょいと冒険心を起こしてネギと追加してみた。幸楽苑のネギはなかなかに盛りが良い。町中華で出てくるネギラーメンは、ネギが少なすぎると文句を言いたくなることが多いが、ことネギに関して幸楽苑は優等生だ。

ネギを乗せてみた。ビジュアル的には、これは失敗だろう。なんだ河江kのわからないラーメンに返信してしまった。「ブラック」な見栄えがかき消され、もはやネギラーメンとしか言えない。食べれば美味いのだけれどね。

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武甲山を見るにはどこが良い?

秩父に行けば、ほぼどこからでもみることができる武甲山だが、個人的にはこのアングルが一番良いと思っている。

秩父神社から南方を見ると武甲山が見えるが、この場合は手前にある民家が近くてどうも全体的な山姿が見ずらい。
やはりヤオコー東側駐車駐車場・道の駅ちちぶの裏側あたりでみるのが良い。手前が駐車場のため山全体が見える。

西武秩父線横瀬駅からは東側の山姿が見えるが、こちらはちょっと山の削れ具合が目立つので押す進めしない。

秩父は周りがぐるちと山に囲まれた盆地なので、東西南北全てに山並みが見えるのだが、この盆地の大きさがちょうど良い具合だ。松本育ちの友人が、松本は四方が山に囲まれているので安心するといていた。関東平野は山が見えないので、どうにも落ち着かないとのことだった。おそらく秩父育ちの方も似たような感じを持っているのだろうか。もともと秩父は武蔵国とは独立した國だったから、秩父神社は独立した國人の祭祀の場だっただろうし、明治以降も産業的には埼玉から独立した豊かな場所だったようだ。
そのコンパクトな盆地のシンボルが、この武公さんだが、よそ者である自分にもなぜか懐かしさを感じさせる山容は、日本人のDNAに刻まれた「山は神」という感覚がもたらすものなのだろうか。

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秩父でそばを食う

秩父には蕎麦屋が多い。個人的には秩父神社から長瀞方面に進み、車で10品ほど行ったところにある一戸建ての小ぶりな蕎麦屋が気に入っている。そこで、普通の蕎麦つゆに追加でくるみつゆをを頼み、もりそばをがっつりと食すのが楽しみだ。
ただ、お気軽に食べるのであれば、道の駅にある立ち食い蕎麦屋も良い。蕎麦についてはそれぞれ好みがあると思うが、この店のそばは食べるうちにボツボツとちぎれていく、つなぎがない蕎麦でだと思う。
この日の気温が30度を超えると言われていたが、普段食べるもりそばではなく「熱いどんぶり」のそばを食べてみることにした。

秩父名物のしゃくし菜漬けが乗った「しゃくしなそば」800円なりだ。立ち食い蕎麦屋で食べる側としては、破格の高額だとは思うが、蕎麦の質を考えるとこの電産も仕方がないか。

蕎麦つゆは丹精というかさっぱりとしたもので、お江戸の蕎麦屋特有の鰹節が強く主張する濃い味のものではない。人によってはちょっと物足りないと思うかもしれない、薄味だ。たっぷり乗ったネギと蕎麦がよくあっているから、梅雨は控えめな役回りで良いということかもしれない。

秩父鉄道花畑駅にある駅そばでもしゃくしな蕎麦を食べたが、あちらはもう少しワイルド系な蕎麦と濃い味のそばうつだったので、薄味が秩父では一般的ということではないだろう。

蕎麦の後でデザート代わりに買おうと思っていた「秩父餅」は休日のため品切れだったのが残念。4年ほど前までは、アニメの聖地巡礼で一色だった道の駅ちちぶだったが、すっかり片隅に追いやられていたののちょっと残念な気がする。ただ、数年前には極端な品薄になっていた「イチローズモルト」が普通に買えるようになっていたのは嬉しいが、値段が随分と値上げりしていたような気もする。
道の駅の地各区にはビジネスホテルもできていたから、秩父は観光地として盛り上げっているのだろうな、という秩父雑感でありました。

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満洲の行き先は、高齢者のフード・アウトソースサービス

ぎょうざの満洲という企業は非常に面白い対応をする。基本的にはメニューの絞り込みと高齢者対応だ。町中華のチェーン店なのだが、その絞り込んだメニューはファストフードに近い。いや、現在の牛丼チェーン店のメニューが混乱しまくっているのと比べて、満洲の方が和風ファストフードではないかと思う。
玄米のチャーハンであるとか、こだわりの素材(豚・豆などなど)を使っていることもあるが、ラーメンの麺量が半分という「高齢者の胃袋容量」に留意している点が、目立たないがよく考えられているところだ。
その延長線にあるのが、トッピングなしのスラーメン。つまりスープと麺だけ、かけ蕎麦や素うどんみたいなものだ。これがラーメン屋でありそうでなかったメニューだろう。
その延長線にあるのが「スヒヤシ」だ。ただ普通の冷やし中華と違うのは、麺に梅雨がかかっているのではなく、つけ麺スタイルになってい流ことだ。
実食してみると。これは実によろしい。大変好みな食べ物だ。冷やし中華を通年販売してほしいと思っている、冷やし中華フリークとしては、これであれば年中販売する定番にしてもだ以上ではないかと思うのだ。冷やし中華特有の季節的なトッピングの巡撫はいらない。つけつゆだけ用意しておけば通年販売は可能だし、日本側のようにアツ盛りも可能だろう。カラシと紅生姜がついているのもポイントが高い。

満洲らしく、餃子とのセットがあるが、これは他のセットメニューと比べてもお腹の負担が少ない。まさに、これ礼者の胃袋鷲掴みという感じがする。休日の昼に行けば、客の8割が高齢者ということもある「埼玉発の高齢者向けファストフード」として、ますます進化が続きそうだな。

月毎のメニューは、ほぼ毎年同じでカレンダー化しているのも、頻繁に訪れる高齢者にはありがたい。ただ、ここ数年春先だけの季節定番だった唐揚げが、どうやら長期化している気配がある。やはり、ヘルシーすぎるメニューだと脂たっぷりなギルティーメニューが欲しくなるのも高齢者だ。
などと考えていたら、隣の席に座った推定80歳の男性が、水餃子ハーフ、焼き餃子ハーブ、カジキマグロステーキ、ハーフ醤油ラーメン、紹興酒をグラスで二杯という不思議な注文をしていた。なるほど、常連高齢者はこういう使い方をするのだな。

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懐かしの写真

2018年に北広島駅で撮ったもの。当時は考えられなかったほどの乗客数で、今やゲーム開催日にはガードマンが出るほどだ。おまけに、駅前にできたビルの一階から出発するシャトルバスの行列は200m近くになる。北の郊外都市と言えば聞こえが良いが、農業が産業の中心の田舎町が全国区の知名度を持つようになり、施設誘致のお手本のような成功を収めた。

氏が税金を投入するという反対運動もあったそうだが、観客動員数を考えると何もなかった玄弥がある日突然に集客客施設になり膨大な商売を引き起こしたのだから、元は十分とっただろうという気がする。

ただ、ボールパークという名称はもはや聞くこともなく、エスコンフィールドという商業名称が定着して、現在進行形でホテルやマンションが周辺にたちはじめて、ようやく「パーク」的な広がりになってきた。ただ、その隣が北海道立高校なので文教地区とは程遠い歓楽街になると、またあれこれ文句を言い始める「自称市民」が増えるだろうなあ。

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昔の写真から ガラスのピラミッド

札幌の北のはずれに広い公園がある。確か昔の廃棄物処理場を整備して公園にしたはずだ。そこにイサムノグチの彫刻なども展示されているが、一際目立つのがガラス製のピラミッドだ。確かパリのルーブルにも似たようなものがあったが、それがオリジナルだろう。こちらは模倣というか似たような発想で作られた建築物ではないかと思った。

初夏に訪れると気持ちの良い公園だ。ひと渡り歩くだけで2時間以上かかる。地下鉄駅からバスに乗りつけば簡単に行けるが、市民の大多数は車できているようだ。

2020年5月の写真から引っ張り出してきたのだが、実はこの時はコロナ初期の閉鎖期間であり家からほとんど出ていない時のアーカイブだから、それよりもずっと前の旅の記録だろう。その逼塞機の写真を見ていると、旅の写真ばかりなので、実に欲求不満が溜まっていたことがよくわかる。

おそらくこの写真を撮ったのは2000年代だったのではないか。20年近く前の写真だとすれば今ではもう残ってるかも怪しいものだ。

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昔の写真から 零式艦上戦闘機

呉にある大和ミュージアムには通称ゼロ戦、零式艦上戦闘機が展示されている。日本に現存する零式艦上戦闘機は実に数が少ない。一般的に見学できるの展示は、この大和ミュージアム、そして浜松にある航空自衛隊の展示施設だろう。あちこちに保存されているものもあるが、全体で10機もないと思う。
一番保存状態の良いのは、米国ワシントンの博物館にあるものらしい。米国のレトロ航空マニアが飛行できる実機を所有しているという話も聞いたことがある。その鹵獲された零式艦上戦闘機に米国産航空ガソリンを使用したら、性能が1割以上向上したそうだ。燃料の差で設計以上の能力が出るといいうのは、何やら当時の大日本帝国の実情を表すようで物悲しい。

昭和100年と言われる年で、実に90年前に登場した零式艦上戦闘機を懐かしんでみるのも良いなと思うが、この稀代の傑作機が展示されている正面には、同じく帝国海軍造船技術の頂点に立った、戦艦大和のレプリカ(1/10サイズのミニチュア)があるので、大和対零戦の勇姿を一度に拝めるおすすめスポットだ。

ちなみにこの零式艦上戦闘機は、最終モデルである64式だったと思う。好景気の開発が間に合わない中、改良に次ぐ改良で老体に鞭打って頑張っていた最後のモデルだ。

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昔の写真から 陸に上がった鯨

呉は軍都だ。戦前から続く軍艦造船の街だ。そのせいか街の中に奇妙なものがある。潜水艦が陸上にうち上げられている。その中は展示施設になっている。海上自衛隊の施設だ。海上自衛隊の基幹地には展示施設が存在するが、その中でもこの陸の鯨は最大規模のものだ。
ちなみに航空自衛隊の最大施設は浜松に、陸上自衛他の最大施設は練馬(朝霞)にある。

この陸の鯨の向かいには戦艦大和ミュージアムがある。そこには1/10サイズの大和の模型が展示されている。ミニチュアというにはあまりにも大きい。

いまでも呉では自衛艦が製造されているはずだが、昔のように囲いで覆って秘密工事にしていることはないだろうから、造船中の姿を見にくのも面白いかもしれない。広島に行ったら宮島観光は外せないが、もうひとつの探索スポットとしておすすめの街だ。

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初夏の風情 アウトドアで飯作り

風除けがないと固形燃料ではうまく炊けない

5月といえば初夏だろう。連休明けの時期は一年で一番快適な季節だ。ということで、過去の写真を見返していると、5月にはいつもキャンプに出掛けているのがわかった。その年によって、キャンプ道具をあれこれ試していたことがよくわかる。
これな明けの22年には釜飯を土鍋で作っていた。使っているものは、例の有名な駅弁で手に入れたものを再利用だ。熱源は固形燃料を使い、意外と簡単にできたのを覚えている。

この写真を見て、押し入れにしまい込んでいた土鍋を取り出してきた。もう一度釜飯を作ろうと企んでいる。
ちなみに、市販されている五目飯・釜飯の素などの調味料を使えば簡単なのだが、あの調味料は3合炊きの使い切り仕様なので、この一人前釜飯の製造には向いていない。昔、子供たちと遊んだ時には焚き火の上に、この土鍋を4個並べて一気に炊き上げた。その時のコメが3合程度だったはずだから、この土鍋ひとつ分であれば半合から3/4合っくらいだろう。
となると自分で調合した調味料を使うしかない。出汁と醤油と味醂と……………あれこれ合わせて、チッピングには鶏肉とキノコでなどと考えている。塩鮭を乗せたら美味そうな気もする。お手軽にやるのであれば、焼き鳥の缶詰でも良いか。

そんなことを考えるのが野遊びの楽しみ方なんだが、「梅雨前のこの時期に、目一杯楽しんでおきたいものだなあ。

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晴れた日の記憶

去年の8月のとある日

晴れた日は夏にこそ気持ちが良い。秋晴れとか冬晴れという言葉もあるが、やはり夏の空が恋しくなるのは何故だろうか。
子供時代の夏休みと連動している記憶なのかもしれない。齢を重ね子供時代のことなどすっかり思い出せなくなっている。よく映画やアニメの登場人物が、子供の頃が人生で一番楽しい時期だった、などと行っているのを聞くたびにゾッとする。そんなことを一度も思ったことはない。
どちらかというと早く大人になって、あれこれ文句をつけられないようになりたいと思っていた。ただ、大人になってみれば、あれほど偉そうに見えていた大人たちも、それなりに面倒を抱えていて大人であることを楽しんでいるわけでもないことに気がつく。

振り返ってみれば、いつの時、時代でも面倒ごとは多く、楽しみは少なく、バタバタと過ごしてきただけだった。子供の頃に憧れた、誰にも文句を言われない大人などいないのだと理解した時には、しっかり年をとり過ぎていた。

例外として、晴れた夏の日には良い記憶が多い。暑いのは嫌だが夏は好きだった。夏に良いことが多かったとは思えないのだが、晴れた日と重なることが多かったからだろう。今年の夏は「酷暑」らしいが、それでも記憶に残る「晴れた日」を何日迎えることができるだろうか。