街を歩く

住吉大社は国際色で染まっていた

住吉大社に来たのは2回目だ。前回は高野山詣の帰りに電車を途中下車してお参りした。記憶に残っていたのは、お社がたくさんあるということだけだった。その時はさほど混み合っていたという気がしなかったのだが。
今回は、まるで縁日の日のように人がうじゃうじゃいた。何がどうなったらこうなるのだ。

それでも、タイミングがあればこんな人のいない写真も撮れる。南海電車の到着のタイミングで人が押し寄せてくるからだ。鳥居前の横断歩道を一群の参拝客が過ぎればポカリと人の気配が消える。
ただ、鳥居前のお菓子屋からスピーカーで流されるお経のような「宣伝文句」が鳴り渡る。ふた昔ほど前、新興宗教集団が歌っていた歌(?)に似ている。同じ文句を延々と繰り返すのだ。これはほとんどブレイン・ウォッシュのテクニックではないか。

一旦境内に入れば、そこは大集団が右往左往している。この日は七五三のお参りに来ている家族が多かったせいだ。それも親子だけより、祖父祖母同行の大ファミリーが多く見受けられる。大阪の風習なのかもしれないが、ジジババはやたら元気が良いので、その大家族集団の移動に伴い傍若無人といいたいぐらいの大音響でジジババの会話がもれてくる。他人様の家庭事情がダダ漏れというのは、なんといえば良いのだろう。正直居心地が悪いというか申し訳ない気がしてくる。今日の晩御飯の予定を教えられてもねえ。

ただ、その日本人的夕飯談義を打ち消すように、多種多様な外国語が前後左右から押し寄せてきた。英語、フランス語くらいであれば言っていることはわからなくても言葉の聞き分けはつく。コリアン、チャイニーズ、カントン語、タガログ語くらいまでもなんとか言語の判別くらいはできる。しかし、東南アジアを含むアジ系言語が乱れ飛ぶと、これはもうお手上げというか。カオスだ。
八百万の神様の中には、アジア系言語に堪能な方もいるに違いない。しかし、イスラーム圏やユダヤ、キリスト教のように「一神教」を信仰する人たちは、おそらく多神教の中でもその神様の数が世界最大と思われる「八百万の神」が存在する宗教、神道の施設で何をするのだろうか。
日本人の大多数は無宗教だと言われるから、その無宗教な人間が、例えばバチカンの大教会に行っても宗教的意味や価値はゼロだ。建物見物だけしてくるというのは、思想的矛盾はないが、宗教的には軽い冒涜なのかもしれない。バチカン見物に行った我が身を反省してしまった。
しかし、一神教を信ずる人たちが、神社を見て建物見物に来ましたというのは、建前だとしてもちょっと座りが悪い。まあ、でも八百万の怒れる神からの神罰……はないよね。大丈夫だよね。きっと。臨界点が来るまでは。外国人観光客の方々には、お賽銭を忘れずに。宗教的な意味ではなく、参観料と考えて貰えば良いかなあ。地獄の沙汰も金次第、なんて古い言葉もありますし。

街を歩く, 食べ物レポート, 旅をする

駅そばを食らうはずが

福山の駅前というか駅に直結した場所で駅蕎麦を発見したのだが、実はこの店の屋号が店頭ではよくわからない。お江戸でよく見かける駅そばは、店頭の看板や暖簾でしっかりわかるのだが。

店内に入ると、どうやら屋号は「めん」らしい。いや、「あじわい処 麺」らしい。多分、広島県のJR駅のあちこちに支店があるのではないかという気もするが、実際に確かめてみるつもりはないので、あくまで憶測だ。

その店の入り口に大きなラーメンの看板があったので、最初はラーメン屋なのだと思った。瀬戸内のこの辺りでは尾道ラーメンが有名だが、見た目にはちょっと似ているような気がする「福山ラーメン」だ。
説明書きを読むと、ますます尾道ラーメン的な雰囲気も感じるが、ここはお店の気合を信じて福山ラーメンを頼むことにした。

見た目は背脂ちゃっちゃ系みたいだが、味はさっぱりしていた

出てきた福山ラーメンは、もろに店頭看板と同じルックスで、まさに看板に偽り無しだ。実食してみると、これまた看板に書かれている通りで、個人的にはちょっと懐かしい昭和の醤油ラーメン的な味わいを感じた。
最近の人気店では豚骨ベースが当たり前の濃厚味が中心だから、鶏ガラスープでさっぱりと……………などとくると、これぞ昔の王道だったのだよ、と言いたくなる。が、今では、これがすっかり変化球扱いになっている。
朝から美味しくラーメンを完食したが、周りで食べているサラリーマンは皆うどんだった。どうやら、福山はうどん文化圏みたいな気がする。瀬戸内の反対側は愛媛県なので、うどん県香川の影響は薄い気もするが、そもそも瀬戸内全域がそばよりうどんなではないかと思う。
広島名物お好み焼きでも中に入れる麺は、中華麺よりうどんを好む人が多いと聞いたこともある。うどん県のラーメンはどんな変化をするのだろうか。そういえば、香川でラーメン屋に入った記憶は全くないから、それもいつかは確かめてみたい。
旅先の街に行ったときには、駅そば探しで少し時間をかけてみようかと思った。また面白いものにお目にかかれるかもしれない。
旅するときにテーマは大事だよね。

街を歩く, 旅をする

松山の街歩きで疲労困憊した

JR松山駅は繁華街から離れたところにあるのでちょっと不便かもしれない

松山の話が続くが、この街には何度かきている。しかし、街の記憶が全くない。四国随一の大都市なのだが、仕事の時は空港から打ち合わせ先まで車で直行し、そのあとは会食場所にまっすぐ行ってホテルに泊まり、翌日は他の都市に移動をするか空港から東京に戻る。そんな行程ばかりだったから、街の景色など全く覚えていない。それは松山だけに限ったことではないので、全国あちこちの街に行ったが、記憶がしっかり残っている街は意外と少ない。
どうもそれではいけないと思い、今回は夕方から街歩きをするべく、ホテルもアーケードのある繁華街の入り口付近にしてみた。ただ、松山は二拠点都市というか、お城の下にある商店街と私鉄の駅前が賑やかな場所で、その二点を結んでいるのが「都心部」アーケード商店街に当たるようだ。
その上に、ややこしいことにJRの松山駅は、この2拠点から離れたところにある。交通結節点が街の中心地になるというシンプルな都市構造ではない。複雑系な街だった。

アーケードを入ってすぐのところにMのマークのバーガー店があるから、ここは一等地とわかる

地図を見るとわかったのだが、松山の街はお城のある山をぐるっと回る路面電車の環状線があり、そこから放射状に支線が伸びている。時計で言えば3時方向にちょいとはみ出して伸びているのが道後温泉に向かう支線だ。9時に当たるところから伸びているのがJR松山駅につながる線。そして6時に当たる方向に伸びているのが伊予鉄松山市駅につながる線になる。
だから路面電車を上手に乗り継ぐには、ちょっとコツがいる。おまけに市内の各所にバス路線が張り巡らされているから、松山市民には住み心地は良さそうな街だと思った。
しかし、その複雑な交通動線が観光客にはなかなか難度が高い。にもかかわらず、電車の中には外国人観光客も多い。なんとも不思議な光景だった。おまけに、外国人観光客はあまり迷うこともなく電車を乗り継いでいるらしい。スマホの中にとてつもなくスーパーな旅行アプリでも入っているのだろうか。見せてもらいたい気もする。

アーケードは長い。実に長い。おそらく端から端まで歩くと1km以上ありそうだ。遅めの夕方だったが、それなりに人通りも多い。地方都市で見かけるシャッター街とは無縁のようだった。それでも7時近くになるとほとんどの店が閉店しているので、夜の引けは早そうだ。

松山には先の大戦の終末期に米陸軍による都市空爆を防衛するための航空部隊が置かれた。最後の傑作機「紫電改」を配備した部隊で、パイロットは全国に残っていた名人級をかき集めたそうだ。
その部隊を松山の人々は支えてくれたのだが、敗戦と共に全ての紫電改は米軍に接収され、松山に紫電改のかけらも残っていなかった。
それが昭和の後期、墜落して海中にあった紫電改が発見され引き上げられた。それが亜媛県南部の街で展示されている。今では紫電改のことなど覚えている人も少ないだろうが、街中の商店街にそれを記録するものが掲げられていた。これは尊いなと、思わず頭を垂れた。

もう一つ、面白いなと思ったのが、街中のあちこちで「鯛めし」を推しまくっているのだが、推しの鯛めしは松山名物ではなく宇和島名物らしい。なので、この辺りの地理的距離感というか松山と宇和島の関係性はどうなっているのだろう。お江戸で言えば埼玉県大宮の名物を千葉県千葉市で売りまくっているみたいな感じがするのだが。
伊予国ということで一体感があるのかなあ。ただ、宇和島と松山ではお殿様も違っていたはずだから歴史的には違う街なのだと思う。まあ、美味いものには国境なしでも良いけれど。

アーケードの端っこにある伊予鉄の駅には大手百貨店も入っているので、まさに大都市の駅前という風格がある。駅周辺にはさまざまな飲食店やエンタメ系の店が立ち並んでいた。どうも、この都心部散歩をした感覚で言うと、松山の街は観光客相手の土産物屋も少ない、松山に住む人に向けた街という印象だった。
街の規模感としては政令都市のような超大都市と比べて、ちょうど良い賑わい感がある。気候も温暖で、海の幸にも恵まれ、きっとこのあたりは昔から過ごしやすい国だったのだろうという気がする。

松山といえば、夏目漱石の坊ちゃんが思い浮かぶが、実は司馬遼太郎氏の大作「坂の上の雲」で語られた秋山兄弟も、相当に力を入れた地元の推しキャラになっている。この二人は坊ちゃんとは違いリアルな人物なので、推しやすいのかもしれない。
土佐では明治革命期の坂本龍馬推しで、伊予では明治の大戦で活躍した秋山兄弟推しになる。その辺りの違いが明治期四国の時代感というか、土地柄の違いというか、微妙さなのだな。松山での一番の気づきがこれでありました。

街を歩く

PARCOのポスター展 

自宅近くのパルコが閉店する。開店から閉店までしっかりお付き合いをしたことになる。ちょっと気になってパルコの沿革を調べてみたら、池袋パルコ開店が69年、渋谷パルコが73年だった。75年に開いた札幌パルコが、自分にとってのパルコ初体験で、自宅近くのパルコが83年開店。振り返れば我が人生はパルコと共にあると言っても過言ではない。
本当か(笑)と突っ込みたいところだが、確かに自分の中のカルチャー・ポップな文化という言葉は、ほぼパルコと同義だった。よく時代が変わるとか終わるとか言われるが、それを自分ごととして捉えたことはない。ただ、このパルコの閉店は、まさに自分ごとのような気がしている。
その閉店間近のパルコでポスター展が開かれているのだが、これがまたしょぼいというかひっそりというか、普段使うことのない「階段」の壁を使っての展示会だ。それでも気になって見に行ったら、懐かしいさに涙が溢れそうになった(笑)

すでに亡くなってしまった津田沼パルコのオープンポスター

エアブラシを使ったイラストは70年代を象徴する画法?だと記憶している。この後、スーパーリアルという技法に進化していきSFチックなイラストが大量出現したはずだが、それも今ではCGに置き換わっている。時代だなあ………
でも、この絵柄はなんとなく懐かしい。実物は見たはずがないのだが。ひょっとすると札幌パルコで張っていたのかもしれない。

この手のシンプルなコピー使いは、パルコの独壇場だった。パルコが文化だと信じていた頃の記憶だ。西武セゾングループが若者文化の発信者、擁護者であった時代で、老舗百貨店の野暮ったさとは好対照だった。サブカルチャーなんて言葉も覚えたし、たまにはエンタメ系ではないメッセージ色の強い映画を見に行ったりしたのも、間違いなくパルコ文化の影響だった。

このパルコ文化と並行して読み漁っていたのが、昭和軽薄体と言われていた椎名誠氏のエッセイだった。相変わらず山に海に出没している元気な高齢者に成長されたようだが、自分の中では椎名諸策とパルコが同じ系統の文化として完全に同期している。
パルコの広告はテレビのコマーシャルでもたっぷり見たはずなのだが、なぜかポスターの記憶しかないのが不思議だ。
自分が広告関係の仕事に関わっていた時、頭の中のお手本はパルコの諸作品だった。いつかはあんなCM作ってみたいなあ、などと思っていたが……………

そういう意味で、パルコのポスターはメッセージが強い。伝達力が桁違いだと思っていた。これに匹敵するのは、全盛期の新幹線広告くらいだろう。それが国鉄期だったかJRに変わってからだったか記憶は曖昧だが。
広告が社会的、文化的なメッセージ力を持っていた最後の時代かもしれない。

階段で連張されているポスターを見ると、妙に悲しいものがある。なんといえない切なさを感じてしまう。どこかの現代美術館で額装して展示してくれないものだろうか。
まあ、実際には広告ポスターなので、消費され使い捨てられる運命にあるものなのだ。だから、それを美術品扱いしろと言うのも仕方のないことだが。
やはり、ちょっと寂しい。

これが40年前の開店告知ポスターのようだ。ガンガンの夏かあ、確かにあの夏は初めて関東に来て体験した亜熱帯な夏だったので、不快な湿度の記憶しかない。ガンガンというよりジメジメという言葉が似合っていると感じていた。早く金を貯めてエアコンを買うのだと決心したのを覚えている。
扇風機の風が全く涼しく感じられない、寝苦しい夏の夜とパルコの記憶はリンクしたままだ。
ポスター展示最終日は閉店日、あと何回か見に行くことになるだろうなあ。

街を歩く

ローカルヒーロー再臨

自宅近くのパルコに大きな壁面広告が掲示されていた。そろそろ宣伝が活発化しそうな「埼玉だけ」大動員するだろうローカルヒーローの映画だ。第一作ではこのパルコ内の映画館(シネコン)が初回舞台挨拶に使われた。どうやら、この新作でも演者の挨拶が行われるらしい。
前作は、さいたまディスりまくりと言われていたが、実質的にはさいたま千葉決戦みたいな展開であり、一部の千葉県民にも楽しんでもらえたのではないかと思うのだが。
ニュースなどを見ていると、今回はなぜか全く地続きとは思えない琵琶湖保有県と争うらしい。前回と同様に、海なし県埼玉が琵琶湖まで地中トンネルでも繋げる計画なのだろうか。

正面の入り口を含めて、全面歓迎モードでローカルヒーローの再臨を待ち受けている。封切りの日に頑張って見に行ってみようかな。なんといっても歩いていける映画館だからなあ。お気楽の極みと言える。

ただ、このお気楽な施設も来年には閉鎖されてしまうから、この二作目が大ヒットして気を良くしたスタッフが(笑)、もし第三弾を製作するとしてもこの映画館では見ることができないのがちょっと寂しいぞ。

街を歩く

朋、遠方より来たる

青山でディナーなど、何年ぶりの事だろう

学生時代に習っていた漢文は意外と好みだった。あの書き下し文は格調高い日本語だなと感じていたこともある。2000年以上前に存在していた異才が書いたものを、今の時代に読めるというのもなかなか感慨深いことだった。
もうほとんど覚えていないが、いくつかは記憶に残っている名文もある。そのひとつが「朋、遠方より来たる、また楽しからずや」だったが、気になって確かめてみたら「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」だった。
なんと記憶のいい加減なことだろう、と笑ってしまった。おまけに、これは論語の一節だった。勝手に易経の一節だと思い込んでいた。こういうのを教養がないというのだ。
いくつ歳をとっても学ぶことは多い。

10年ぶりくらいで日本を訪れたアメリカの友人と会食をすることになった。まさに遠方から来た友人と、時を超えたような会話、昔語りをする。これは確かに楽しい。人の性というのは、千年や二千年くらいでは変わらないものらしい。古代中国の才人は誠に異人の心理をよく読み取っているのだ。

最近ようやく、椀ものの旨さがわかるようになった気がする

友人夫婦(夫はアメリカ人、妻が日本人)と会話をする時には、日本語と英語がちゃんぽんになる。久しぶりに使った英語だが、やはりしっかりと錆びついていた。異国語を話すということは、自転車のように一度覚えると死ぬまでちゃんと自転車に乗れる、というものではないようだ。
話し続けていると少しずつ勘は戻ってくるが、やはりもどかしい速度でしか話せない。英語(外国語)を使っての会話は、反射神経的に話せないとなあ、などと嘆いてしまうのだが、よくよく考えれば最近は日本語ですらおぼつかない。妙に間が開いた喋り方になっている気がする。すっかり脳細胞が減少しているせいだろう。


和食を楽しみながら、最近のあれこれについて話をした。やはりアメリカでもコロナは大変だったらしいが、テレビのニュースなどで見ていた悲惨な話とは程遠いようだった。やはり日本のメディアは「盛りすぎ」で扇情的に煽りまくっていたらしい。
友人が日本にいた時には決してやらなかったゴルフを始めた話であるとか、息子さんの現代風な行動あれこれを嘆いているオールドタイマーなお父さんぶりが微笑ましい。今の若い世代・息子さん世代では、性別をはっきりさせるHeとかSheは使わず、無性別のTheyを使うそうだ。単数・複数・性別がなくなる第三人称が普通になると、日本の英語教育はどう変わるのだろうか。久しぶりに生のアメリカ社会をのぞかせてもらった。

次に会うのは東京と米国東海岸の中間点であるハワイにしようということになった。それまでに円安で爆上がりした渡航費用(古い言い方だな)を用意して、錆びついた英会話能力を磨き上げないといけないぞ、などと考えている。
ハロウィーン間近の青山は歩くのも大変なすさまじい人出だったが、平和な時代が戻ってきたのだとも実感できた。
しかし、海の向こうから来た友達と会うには、ちょっと暑い秋の日だったなあ。

街を歩く

老舗ラーメン屋で衝撃

北の街でラーメン屋に入ると出てくるのはサッポロビール優先か?を確かめるため、老舗中の老舗ラーメン店に潜入してみた。そこで発見した衝撃的な事実は……………

なんと、ついにラーメン一杯1000円時代になってしまったという事実た。原宿で見かけたブティック系ラーメン店は1000円を超えた値付けをしていた。それをみた時、「ああ、ついにこの時代が来たか」と思ったことはある。が、場所が場所だけにこの値段もしかたがないかとも納得した。
新興ラーメンチェーンで、全部盛りトッピングを注文すると1000円超えることは、いまや当たり前になったのでラーメン1000円越えは珍しくない。
しかし、お江戸と比べてそこそこ物価が安い北の街で、ついにプレーンなラーメンが1000円超えとは………
時代の変化をしみじみと感じてしまった。もう一つ衝撃を受けたこと、辛味噌ラーメンが追加になっていた。老舗も変化していかなければ生き残れない。
時代の変化とは、これだろう。味噌ラーメン発祥の店ですら、味噌から辛味噌にトレンドが移っているらしい。あれこれショックだった。

普通に醤油ラーメン

この店のラーメンは、表面を厚く油が覆っているので、湯気が立たないがスープはとてつもなく熱々の一杯だ。食べると危険レベルの熱さだが、そこが良いのだ。普通のラーメンを注文してもチャーシューがたっぷり乗っているので、チャーシューメンは頼んだことがない。しみじみとこのラーメンがうまいなと思う。自分の好みでもあるが(それを押し付けるつもりはなく)、いわゆる万人受けするスタンダードな「北の街醤油ラーメン」だ。

本来の目的はビールのブランド確認だったのだが、やはりサッポロだった。クラシックは良いのだが、缶ビールというのはちょっと寂しいかも。何よりも、ラーメンのボリュームが多いので、ビールと合わせるとはち切れそうな満腹感になる。ごちそうさまでした。

追加で一つ
隣に修学旅行できたらしい制服の女子高生二人組がいた。いわゆる西国訛りがあるので地元民ではないのは明らかだ。その二人が一つのラーメンをシェアして食べていた。コロナの最中であれば、ありえない光景だろう。箸をつける前に綺麗に取り分けて食べるのではなく、一人が丼で食べているものを、小丼に時々移し替えるというやり方なのだ。
しかし、カウンターの上にはコロナの名残でパーテーションが残されている。ラーメン専門店で一杯のラーメンをシェアするという食べ方も衝撃的だが、あの狂気のようなコロナ対策は衛生観念に何の変化も及ぼさなかったことが、もっと衝撃的だった。

街を歩く

文化の日なので考えたこと

ススキノの渋い炉端焼き居酒屋で飲んでいたら帰り際にビールをもらった。開店60周年なのだそうだ。店内カウンターの写真をラベルにして貼ってある。クラフトビールメーカーっぽいなと思って裏のラベルを確かめたら、なんとサッポロビールのものだった。大手メーカーがよくこんな細かい仕事をするなと思ったが、よく考えれば地元なのだから、こうした需要は多いのだろう。
お江戸界隈でもこんなサービスをやっているのだろうか。随分と昔だが、金婚式の写真、もちろん夫婦の並んだ姿をラベルにしたワインをもらったことがある。その方が支援していた、今でいう農福連携(農業と福祉)のワイナリーで作られたものだった。そこから連想してあれこれ考えてしまった。

このような記念品需要、つまり極小ロットでの生産になる特需商品は、生産効率を考えればとても間尺にあった商売ではない。大手メーカーは手を出さない分野だろう。だが、確実に需要のある隙間分野でもある。
メーカーの論理として、効率を追うために械化をするのが一番最初の経営努力だ。結果として、大量生産すれば価格も抑えられる。大量生産、大量販売が前提とされるものづくり、これが近代資本主義というものだ。
ただ、人手をかけても喜ばれるものづくりをする、商売をするというのが、大量生産の反対側に存在する。一点もののブランド品のような高付加価値商品で高価なものが典型的だ。

ただし、安くて便利な大量生産品と手作りの高額品、そのどちらとも異なる「手間暇をかけることに意味があるもの」を作り出す第三の道があるのではないか。それは安くもないし大量にもできない製品になる。
例えば宅配便会社の会長が引退した後に始めた、知的障害者を従業員とした製パン業のような事業の形がある。この事業の生み出すものは、一つではない。結果的に美味しいパンを社会に提供するのだが、一番大切なことは障害者に普通の賃金を支払う事業体を生み出したことだ。最大の製品は社会的な雇用の受け皿作りだろう。
社会全体の中で弱者も共に生きる術を生み出していく。はみ出しもの扱いされている者を受け入れる場をビジネス的に成立させる。ボランティアではなくビジネスだからこそ永続させることができる。これまで不遇な扱いを受けてきた社会的弱者に対して、自立のための手段・職を作り出すことを目的とした、第三の事業形態だ。
大量生産で作られ安いか買うでもなく、こだわりの高価な一品を買うでもなく、社会を支えるために買う。近代資本主義の進んだ先に生まれる「共生支援」事業体とでもいうべきか。農福連携はその典型的な形なのだと思う。

人口が減り社会を支える仕組みが急速に変わっていく、この先の日本では必要な考え方のように思う。働き手が減り高齢者の活用などという戯言を言う前に、農福連携のような仕組みづくりを考える政治家(政治屋ではない)はいないものだろうか。
ここまで円安が進めば、日本へ出稼ぎに来る外国人労働者は激減するはずだ。究極の人減らしにつながる多機能ロボットの開発にも、あと20年くらいかかるだろう。アトムは2000年ではなく2050年くらいに生まれるはずだ。「共生事業体」は、その隙間をつなぐことができるのではないだろうか。

一瓶のビールをきっかけに少しマジめなことを考えてしまった。

街を歩く

街角の風景 あれこれ3題 

ソフトドリンク自販機の側面に描かれている

夜景文化発祥の地、とは知らなかった。他の夜景で有名な都市、例えば神戸とか函館では、この札幌の主張に対してどういう言い分があるのか聞いてみたいものだ。夜景の認定組織はあるように記憶しているが、夜景文化となると認定組織はないだろうなあ。
ただ、この推しスポットは全部行ったことがある。それも、同行者ありで。若い頃は、あれこれ煩悩に紛れて活動していたのだなあ、と遠い目で空を眺めてしまった。
ちなみに藻岩山中腹にある、夜景を見るためだけ?に存在する、照明のないバーには一度も行っていない。ぜんぜん予約が取れなかったせいだ。今更行く気にもならないからそれはそれで良いのだが………

警察署の隣で、ビルの解体工事が続いている。夏に来た時は、ビル全体が見えていたが、もう3階分くらいの高さしかない。作るより壊す方が簡単なのだな。
来年には解体終了するだろうが、その後また基礎から積み上げてビルの再建設が始まるはずだ。ここには、日本一SDGsに逆らったビル建築現場として記念碑でも残しておくべきでは、などと考えます。

これもまた不思議な表現で、今では喫煙者の中にも二種族がいるのだなと理解した。被差別者?の中にも、より差別される一族が存在するとは………
ただ、ピクトグラム(イラスト)が、喫煙者でもよく分からんのではないかというほど一般的ではないのに笑ってしまった。電子タバコの接種器?は、TVCMで見たお尻の病気の薬に見える。
ともかく、ある種の切実なニーズがあるということはよくわかった。

街を歩く

ごま蕎麦と天ぷらで

北の街で都心部のあちこちにあったゴマ蕎麦屋の支店が、ビルの建て直しなどの影響でどんどん減ってしまい、ちょっと困った事態になっている。それでも、学生の頃から通っている店はいまだに健在で、そこでちょいとそばをたぐる気になった。
長めの散歩をした後なので、休憩も含めての蕎麦タイムになったが、注文するのはいつものもりそばだ。
冷たい蕎麦の王者といえば納豆そばであると信じている。昼に食べるのはこれに限ると思っているのだが、サラッと行きたい時にはやはり「もり」になる。そばを楽しむには、シンプルなものほど良い。料理としての蕎麦であれば、カレー南蛮やおかめそばだろう。豪華さを味わいたい時には、天ざるとか鴨せいろになる。ただ、もりそばはつゆと蕎麦の真剣勝負なので、店の格はここに出ると思っている。腹に余裕があれば、森戸かけを順番に頼む。かけそばの方が出汁の具合がわかりやすい。

この店は蕎麦つゆをケチらないのが良い。そばをザブンとつゆにつけても足りなくなることはない。蕎麦の名店は全国あちこちに多いが、胡麻を練り込んだ蕎麦はあまり見かけない。そういう意味でこの店は貴重な蕎麦屋なのだ。最後に蕎麦湯でつゆを割って楽しむのを覚えたのもこの店だ。蕎麦湯を飲みながらぬる燗で締める。

歳をとって覚えたのは、そばにはぬる燗という注文の仕方で、これはビジネスタイムのランチではない時にできる楽しみ方になる。流石に仕事の時の昼飯では、和風ファストフードとして蕎麦屋を使うから、酒はなしだ。
最近では、蕎麦屋の楽しみは蕎麦なのかぬる燗なのか、微妙になってきたが……………
蕎麦が来るまでチビチビと酒を舐めている時間が楽しい。

いつものゴマ蕎麦屋の後は、立ち飲み屋に寄ってみる。この店は小樽の有名食堂が出した支店で、焼き鳥とおでんを楽しめる。おでんもうまいが、おでんの出汁が染み込んだ大根を天ぷらにしたものがお気に入りだ。最初の注文をぬる燗と大根の天ぷらにして、後はのんびりあれこれ考えながら注文する。凝った料理は置いていないが、酒飲みの肴としてはよく考えられているラインナップだ。自宅の近くにこんな店が欲しい。

ちなみに歳をとったから淡白なものばかり食べているのかといえば、全くそんなことはない。枝豆に冷奴で肴は十分という「オヤジ・ジジイ」もよく見かけるが、全くそんな嗜好になることはない。まあ、好きなものを好きなだけ食べるのが幸せというものだから、枝豆に冷奴を否定するつもりはないが、決して同調はしない。
飲む時に肴をシェアするのも嫌なので、同行者が食べたいといえば一皿ではなく二皿注文する。もうあれこれ周りに気を使うのも飽き飽きしていることだし。

一人飲みにこだわるのは、案外とこれが理由なのかもしれない。わがままなのは間違い無いと思う。