
学生時代に習っていた漢文は意外と好みだった。あの書き下し文は格調高い日本語だなと感じていたこともある。2000年以上前に存在していた異才が書いたものを、今の時代に読めるというのもなかなか感慨深いことだった。
もうほとんど覚えていないが、いくつかは記憶に残っている名文もある。そのひとつが「朋、遠方より来たる、また楽しからずや」だったが、気になって確かめてみたら「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」だった。
なんと記憶のいい加減なことだろう、と笑ってしまった。おまけに、これは論語の一節だった。勝手に易経の一節だと思い込んでいた。こういうのを教養がないというのだ。
いくつ歳をとっても学ぶことは多い。

10年ぶりくらいで日本を訪れたアメリカの友人と会食をすることになった。まさに遠方から来た友人と、時を超えたような会話、昔語りをする。これは確かに楽しい。人の性というのは、千年や二千年くらいでは変わらないものらしい。古代中国の才人は誠に異人の心理をよく読み取っているのだ。

友人夫婦(夫はアメリカ人、妻が日本人)と会話をする時には、日本語と英語がちゃんぽんになる。久しぶりに使った英語だが、やはりしっかりと錆びついていた。異国語を話すということは、自転車のように一度覚えると死ぬまでちゃんと自転車に乗れる、というものではないようだ。
話し続けていると少しずつ勘は戻ってくるが、やはりもどかしい速度でしか話せない。英語(外国語)を使っての会話は、反射神経的に話せないとなあ、などと嘆いてしまうのだが、よくよく考えれば最近は日本語ですらおぼつかない。妙に間が開いた喋り方になっている気がする。すっかり脳細胞が減少しているせいだろう。
和食を楽しみながら、最近のあれこれについて話をした。やはりアメリカでもコロナは大変だったらしいが、テレビのニュースなどで見ていた悲惨な話とは程遠いようだった。やはり日本のメディアは「盛りすぎ」で扇情的に煽りまくっていたらしい。
友人が日本にいた時には決してやらなかったゴルフを始めた話であるとか、息子さんの現代風な行動あれこれを嘆いているオールドタイマーなお父さんぶりが微笑ましい。今の若い世代・息子さん世代では、性別をはっきりさせるHeとかSheは使わず、無性別のTheyを使うそうだ。単数・複数・性別がなくなる第三人称が普通になると、日本の英語教育はどう変わるのだろうか。久しぶりに生のアメリカ社会をのぞかせてもらった。
次に会うのは東京と米国東海岸の中間点であるハワイにしようということになった。それまでに円安で爆上がりした渡航費用(古い言い方だな)を用意して、錆びついた英会話能力を磨き上げないといけないぞ、などと考えている。
ハロウィーン間近の青山は歩くのも大変なすさまじい人出だったが、平和な時代が戻ってきたのだとも実感できた。
しかし、海の向こうから来た友達と会うには、ちょっと暑い秋の日だったなあ。