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街を歩く, 旅をする

大阪そぞろ歩き看板コレクション

よく晴れた日、それも気温があまり高くない日に街歩きをするのが好きだ。今年の夏のように、日中歩くと人死にが出そうな暑さでは街歩きもできない。おまけに今年は暑い時期が長かったので、お散歩にちょうど良い気候になったと思ったら、そのまま一気に肌寒く感じるようになり、あまり街歩きをしていない。
そこで、今回は大阪の街に朝早く乗り込んで、都心部を歩き回ってみることにした。あちこちで面白そうな看板や店構えを写真に収めるのは、お気楽な趣味だろう。

この店は夜になると、お祭りの縁日屋台のような感じになるのでは

ブランニュー酒場とは一体どういうものだろう。大阪に来てよく感じるのが、この大阪系造語力だ。お江戸にもあれこれ不思議な言語感覚を発揮する店は多いが、どう言えば良いのだろう、大阪は街全体が「造語」で溢れている。日本語の使いまわす能力がお江戸より2段階くらい上なのではないかと思っている。
店名から察するに、鰹のたたきと馬肉の店かなという感じがしたが、ひょっとするとサザエさんの弟の方かも。だとするとワカメが登場していないのはおかしいか。そうなると、この店の社長夫妻の名前なのかもしれない、などとあれこれ想像してしまう。夜に来ると楽しそうだが。大阪でカツオを食べるのもなあ。

この漢字二文字の店名は実に潔い。炭酸飲料水の赤いロゴも良さげだ。この赤い看板は目にすることもすっかり少なくなった希少ものだ。こういう店にはふらりと入ってモーニングセットでも注文してみたくなる。多分、いやきっと、緑色のソーダ水もあるに違いない。クリームソーダ、飲んでみたかったなあ。エビピラフという名前のチャーハンもありそうだし。

天王寺の裏通りで発見したインパクト抜群の居酒屋看板。置かれている提灯には大阪下町焼き鳥と書いてある。大阪下町の風情はこの賑やかさなのだろうか。確かに、横丁から下駄履きのちえちゃんが出てきても不思議ではない。
しかし、提灯をよくよく眺めてみると、全国の有名チキン料理がずらっと並んでいて、大阪下町名物とはいったいどれのことだろうか。不思議空間だが、言ったもの勝ちというのが大阪下町なのかもしれない。
そもそも居酒屋に自転車で来ているのがすごい。帰りは押して帰るのだろうなあ。乗って帰れば間違いなく道交法違反でありますよ。いや、客の自転車ではなく従業員のものかもしれない………

その近くにあった、これまた魅力的なファサードの店で、入り口から入ったところにあるのがスタンド、要するにスタンディングで飲む店。つまり立ち飲み屋だ。ふらっと入ってみたくなり中をのぞいてみたが、満員だったので諦めた。
このスタンドという言い方は、お江戸では見かけた記憶がない。京都の錦市場の近くでたまに立ち寄る店もスタンドと書いてあったが、着席できた。やはり酒飲み文化も東と西では違うのだなあと、改めて思う。
2階にある台風飯店は、その名前だけで入ってみたくなる。ここでも大阪人的日本語造形センスに凄さを感じる。お江戸であれば四谷三丁目の裏路地あたりにありそうな店だが、天王寺では居酒屋ストリートのど真ん中にある。この辺りの店を回って歩くだけで、一週間くらい楽しい大阪滞在ができそうだし、ぜひ、してみたい。

そして、今現在の大阪で最も際物、最もあれこれ言われているキャラも現物を見つけた。テレビのニュースで見た時には、げげげの鬼〇〇に出てきた、目が100個ある妖怪を思い出した。ちょっと前の時代であれば、キモカワとか呼ばれたかもしれないが、どうも令和のセンスではないような気がする。
万博が中止になれば、レアもの扱いになり人気沸騰するかも……………いや、しないだろうなあ。やはりキャラはゆるいだけではなく共感を得られないといけないと思う。キャラ関連はグッズ商売ネタとして有象無象が集まってくる集金装置なので、どうしても利権に結びつきやすい。主催者が威張れば威張るほど、そんな感覚がしてしまうものだ。
どうも、大阪庶民の言語センスの良さと、官僚組織のセンスのなさ、頭の悪さのギャップが大きすぢて理解できない。大阪自治体官僚も、プライベートな時にはおもろいおっさんなのだと思うが、仕事中は真面目スイッチ、いや、つまらんスイッチが入ってしまうのか。知事の発言を聞くたびに、不思議な街だと思う。
まあ、官のセンスの無さは大阪に限ったことではなく、全国共通ダメダメだから仕方がないか。知る限りではあるが日本全国ほとんどの地方自治体でも、霞ヶ関の劣化コピーばかりが蔓延っている。ただ、お江戸も浪速の街も、劣化度は全国トップクラスだということか。

食べ物レポート

天王寺の飯屋 極上でした

天王寺に泊まった夜、散歩をしていて発見した定食屋に入ろうとしたらすでに閉店時間間近だったので、翌日に出直すことにした。ランチタイムだが開店時間は遅い。普通は11時くらいに店が開くだろうが、この店はなんと12時をすぎてからの開店だった。
昼のピークを外して午後1時過ぎに出向いたが、すでにというか、まだというか、満席だった。人気店なのだ。隣のラーメン屋はさほどの混み具合でもないようだったから、ランチ難民の街ということではなく、やはりこの店が人気なのだろう。

カレーライス 生卵入り は、大阪風だろうなあ あとは、きつね丼かあ

まずはオムライスを注文する。時間がかかるが良いかと聞かれたので、問題ないと答えた。この店に入る前からオムライスにすることは決めていた。やきめしにも心引かれる。いつのも迷い方だが、この日はもう一つ迷うことがあった。典型的な町中華料理屋のように見えるが、ラーメンはない。そこがちょっと不思議だ。ラーメンがあったら食べてみたい気はあるのだ。多少無理しても……………
と思っていたら、中華そばと書いてあった。うーん、この書き方は騙し討ちみたいなものだ。きつねうどん、たぬき蕎麦の後ろに中華そばと書かれてあると、蕎麦の一種だと勘違いしてしまった。これは多分、いや間違いなくラーメンのことだ。しかし、周りの席を見渡してみても誰一人中華そばを食べていない。半分の客がオムライスを食べている、あるいは待っている。これは、一旦思考停止にしよう。

美味しいオムライスだったが、特に大阪風ということはないようだ いつでも食べたい「うまし」だ

そして、メニューにはしっかりと「たぬきそば」があった。朝、駅蕎麦で確かめたのだが、どうやら大阪ではたぬき蕎麦の定義がお江戸と違うらしい。駅蕎麦だけが特殊ということではなく、一般食堂でもたぬきそばは存在している。
麺の上に油揚げが乗っていると、うどんであればきつねうどん、蕎麦であればたぬき蕎麦と呼ぶらしい。お江戸風にかけそばの上に揚げ玉(天かす)が乗っている「たぬき蕎麦」はメニュー上存在しないようなのだ。これはやはりたぬきそばも追加注文して実態調査をするべきではないか………

メニューは全く乗っていないサイドメニューは、背中の後ろにあるガラスケースの中にたっぷり入っていた。セルフサービス式でおかずが10種類ほど選べるようだ。
チラリと覗いてみると卵焼き、ほうれん草のおひたし、焼きししゃも、コロッケなどなど魅力的なラインナップで、ついついあれもこれもと食べたくなる。ご飯に味噌汁のセットを注文して、おかずはガラスケースから持っていくという客もちらほらいる。ええい、どうすると迷っているうちにオムライスが到着してしまった。
これまた見事な街の定食屋スタイルのオムライスで、まさにコンプリート版という感じがする。実食しても満足感は変わらない。優れものだった。

帰り際に「おおきに」といわれた。大阪で実際にこの言葉を聞くのは極めて稀な気がする。「ありがとう」と尻上のイントネーションで言われる大阪スタイルも最近は減ってきた気がする。全国チェーン店の接客マニュアルに書いてあるのは東京弁だが、研修が動画になっているせいか、発音すら東京弁に似てきているのだろう。それが実感としてわかる。
テレビ番組では、大阪イントネーションを強調するインタビューばかり映して異国感を醸し出したいようだが、街の中の会話を聞けば随分とマイルドな発音になっているのがわかる。
天王寺という場所は、また大阪の下町感覚が残っているのかなとおもった。ただ、地理感覚でどこが大阪の下町なのかはよくわからないが、おそらく大阪市南側がそうだろう。つまり難波から天王寺あたりは「ど」がつくほどの下町なんだろうな。確か、じゃリン子ちえはこの辺りで暮らしていたのではなかったか。

オムライスに感動しながら、大阪文化論に浸る、天王寺の昼下りでありました。

街を歩く

住吉大社は国際色で染まっていた

住吉大社に来たのは2回目だ。前回は高野山詣の帰りに電車を途中下車してお参りした。記憶に残っていたのは、お社がたくさんあるということだけだった。その時はさほど混み合っていたという気がしなかったのだが。
今回は、まるで縁日の日のように人がうじゃうじゃいた。何がどうなったらこうなるのだ。

それでも、タイミングがあればこんな人のいない写真も撮れる。南海電車の到着のタイミングで人が押し寄せてくるからだ。鳥居前の横断歩道を一群の参拝客が過ぎればポカリと人の気配が消える。
ただ、鳥居前のお菓子屋からスピーカーで流されるお経のような「宣伝文句」が鳴り渡る。ふた昔ほど前、新興宗教集団が歌っていた歌(?)に似ている。同じ文句を延々と繰り返すのだ。これはほとんどブレイン・ウォッシュのテクニックではないか。

一旦境内に入れば、そこは大集団が右往左往している。この日は七五三のお参りに来ている家族が多かったせいだ。それも親子だけより、祖父祖母同行の大ファミリーが多く見受けられる。大阪の風習なのかもしれないが、ジジババはやたら元気が良いので、その大家族集団の移動に伴い傍若無人といいたいぐらいの大音響でジジババの会話がもれてくる。他人様の家庭事情がダダ漏れというのは、なんといえば良いのだろう。正直居心地が悪いというか申し訳ない気がしてくる。今日の晩御飯の予定を教えられてもねえ。

ただ、その日本人的夕飯談義を打ち消すように、多種多様な外国語が前後左右から押し寄せてきた。英語、フランス語くらいであれば言っていることはわからなくても言葉の聞き分けはつく。コリアン、チャイニーズ、カントン語、タガログ語くらいまでもなんとか言語の判別くらいはできる。しかし、東南アジアを含むアジ系言語が乱れ飛ぶと、これはもうお手上げというか。カオスだ。
八百万の神様の中には、アジア系言語に堪能な方もいるに違いない。しかし、イスラーム圏やユダヤ、キリスト教のように「一神教」を信仰する人たちは、おそらく多神教の中でもその神様の数が世界最大と思われる「八百万の神」が存在する宗教、神道の施設で何をするのだろうか。
日本人の大多数は無宗教だと言われるから、その無宗教な人間が、例えばバチカンの大教会に行っても宗教的意味や価値はゼロだ。建物見物だけしてくるというのは、思想的矛盾はないが、宗教的には軽い冒涜なのかもしれない。バチカン見物に行った我が身を反省してしまった。
しかし、一神教を信ずる人たちが、神社を見て建物見物に来ましたというのは、建前だとしてもちょっと座りが悪い。まあ、でも八百万の怒れる神からの神罰……はないよね。大丈夫だよね。きっと。臨界点が来るまでは。外国人観光客の方々には、お賽銭を忘れずに。宗教的な意味ではなく、参観料と考えて貰えば良いかなあ。地獄の沙汰も金次第、なんて古い言葉もありますし。

食べ物レポート, 旅をする

たぬきそばの衝撃

最近めっきり姿を消した商売が、駅近くにある立ち食い蕎麦だろう。ハンバーガー以上な性能を誇る、ジャパニーズ・ファストフードの筆頭だが、コロナの間は通勤サラリーマンの激減で廃業に追い込まれた店も多い。
コロナ後にサラリーマンが戻ってきて、おまけに同業者がそこそこ廃業してしまったせいか、生き残り組の混み具合は凄まじい。前日見た時は、午後2時、午後5時、どちらも券売機の前に行列ができていてカウンターは満席(?)だった。
そこで朝早く来てみれば大丈夫かと午前7時前に来たのだが、すでに満席でカウンターのあき待ちになった。

とりあえず券売機でかき揚げ蕎麦を買い、蕎麦が出てくるのを待っている間にメニュー表を眺めていた。何か大阪特有のメニューがないかなと思ったのだが、並んでいるものはサイドアイテムを含めお江戸と似たようなものばかり。やはり並行進化というか、立ち食いという業種でそれほどユニークなものは出てこないのか。などと思っていて、気がついたことがある。
きつねそばがない。たぬきそばが変だ。

買い上げ蕎麦だが、なぜかネギダクな気がする

うっすらとした記憶で、大阪では油揚げが乗ったうどんはきつねうどん、油揚げが乗った蕎麦はたぬきそばというのだったような……… 記憶はあまり定かではない。それでは油揚げではなく、揚げ玉(天かす)が乗った蕎麦を探してみたが、そんなものは存在していないらしい。
そもそも、麺の選択が、「うどん」「蕎麦」までは理解できるが、その後に続く「黄麺」とはなんだ? 語感からすると中華麺のような気がする。和風出汁の蕎麦つゆでラーメンを作る文化は日本のあちこちにあるのは知っているが、浪速のターミナル駅蕎麦でそれが存在とは。
さりげないが、ある意味とてつもないカルチャーショックを受けた。大阪南部、下町地区はもう少し探訪してみる価値がありそうだ。次回は、黄麺に揚げ玉をのせられるか聞いてみようか。

旅をする

早朝の新幹線で大阪へ

埼玉の郊外駅から始発の電車に乗り込み出張に出かけることが続いている。今では時間に余裕がある(ありまくる)ので、もっと日程をゆっくりと組み立てれば良いのだが、貧乏性から抜けきれず、目いっぱいスケジュールを詰め込んでしまう癖が治らない。
始発で出発すると、都内に出たあたりで腹が減り始める。羽田空港から空路の場合は空港まで我慢するのだが、今回は東京駅から新幹線なので(おまけに満席)、事前に早朝飯をすることにした。ただ、空いている店はごく僅かで選択肢は牛丼店Aか牛丼店Bしかない。渋々、ほぼ2年ぶりに牛丼店Aに入った。
朝食メニューをと思ったが、なんと今では大判の紙メニューに各種定食、丼が並ぶ。ほとんど小ぶりなファミレスもどきだった。もはやファストフードとは言えないレベルだ。さほど時間があるわけではないので、ノータイムで「牛丼 並」と注文したら、30秒で出てきた。GJだ。
ちなみに、隣の席では推定年齢五十代後半、髪の毛真っ白なオヤジがカウンターに頭を乗せて熟睡していた。従業員は起こすわけでもなく放置してる。優しいのか冷たいのかよくわからんが、深夜から早朝に変わる時間帯の牛丼店特有な風景ということにしよう。路上ではなくファストフード店のカウンターで寝ている老人、大都会だなとしみじみ感じました、はい。

新幹線改札構内では、予想とは違い早朝にもかかわらず駅弁が売られていた。駅弁を買って旅情を楽し目ばよかったとちょっと後悔したが、満席の新幹線、それも3列席の真ん中では、やはり何も食べる気にはならない。
と思っていたら、両サイドの乗客が発車すると同時に弁当を食い始めた。うーん、考えすぎだっらしい。

新大阪の駅から、真っ直ぐに一ノ宮参りに出かけた。大阪の都心部は碁盤の目に仕切られているので方向を間違うことはないと、妙な自信があったのだが、地下鉄から地面に上がってきた時点で、すでに東西南北を間違っていたらしい。グーグル先生のお世話になり、ようやく進行方向が真逆だったことに気がついた。残念。

この神社は芸能、落語の神様らしい。新年には上方落語のイベントもあるみたいなのだが、年明け早々から落語を聞きに西の街に来る元気はないな。そもそも今回の大阪も5年ぶり(間にコロナの3年があるのだが)だから、意外と大阪は近くて遠い。
船場から西の方は、昔の大阪では海というか入江が複雑に入り組んだ土地だと記憶していたので、この神社の一帯も干潟にぽっかり浮かぶ島のような場所だったと思うのだが。今では埋め立てられ堀が引かれ、地下鉄まで通っているので、昔の姿を思い浮かべることも難しい。
大阪の神社の元締めらしいのでもっと賑わっているかと思ったが、思いの外、静かな場所だった。周りはぐるっとオフィスビルだから門前市があるようにも思えない。まあ、大阪は町中が門前町みたいな賑やかさなのかもしれないが。
神社の周りの静かな空間が、自分の中にある活気ある街、賑やかすぎる街大阪というイメージとマッチしない。朝の大阪は静かで、なかなか良いなあと思ってしまった。

旅をする

吉備国で 古代日本を思うこと

吉備国とは備前・備中・備後を合わせた瀬戸内中国地域の中心にあたる古代国家だ。今で言えば岡山から福山にかけたあたりに広がっている。古代日本でヤマト朝が日本征服事業を進める中で侵攻を受けた、中国地域でも大勢力の一つだったのが吉備国だろう。ここを落とさなければ瀬戸内海交通を抑えることはできない。古代ヤマト朝が押し進めた東征における、エポックメイキングなイベントが吉備制圧だったのではないか。
ただ、吉備の神さまは出雲の神様のように国から追い払われたりしていない。現地で生き延びることができた。国神として信仰が許されたのだから、吉備は武力制圧ではなく非戦のままで降伏による併合だったのかもしれない。
ヤマト朝建国ストーリーでは、いく柱もの神様が東国に追いやられている。大国主、素戔嗚、武甕槌大神などなどは、強大な抵抗勢力の表れだろう。ヤマト朝の大将軍が征服の成功により、ご褒美として神格化した(古代の勲章みたいなモノ)のではなく、亡国の王族が追放された先で神として存続したと考える方が辻褄が合う。
征服のご褒美組の筆頭は日本武尊(やまとたけるのみこと)だろうし、最強の亡国王は大国主だ、と思っている。

備後国一宮、吉備津神社は海からずいぶん離れたところにあった。どうもそれが腑に落ちない。吉備国は瀬戸内海海運を抑える海洋王国だったのではないか。その国の中心地である一宮が内陸部に引っ込むということは、海岸防衛戦に負けて陣地後退したということだろうか。
そう考えれば、川沿いに内陸に引きこもり、防御縦深を深くしたとも考えられる。ヤマト朝が西から攻略してきたとすれば、この地が第一次防衛線で、岡山あたりにある本拠を守るため、あえて拠点を内陸部に移動したと推測もできる。
神社にお参りに来て古代日本の戦時状況に思いを馳せるというのもずいぶんと物騒な話だが、吉備津彦さまであれば許してくれるだろう。

古代の神社、特に一ノ宮と言われる歴史の長い神社は、その立地が当時の、つまり古代ヤマト朝成立前の時期に、その地域の中心地だったはずだ。今では無くなっている地方王国でも政庁は一宮周辺にあったはずだ。だから、一宮周辺の地形は防衛拠点、要塞跡地と思って眺めるとなかなか興味深い。
そして、古代ヤマト朝最盛期に建立された各国の国分寺跡は、ヤマト朝が意図して作り上げた軍事拠点、武力拠点、行政支配拠点であるから、一宮と国分寺の位置を比べると、これまたあれやこれやの歴史妄想が湧き出す。
今ではすっかり平和の象徴で信仰の中心になっている一宮も、建立当時は政治的軍事的要所であったはずだが、今では戦も起きない。すっかり七五三を祝う平和な場所に変わっている。

神社の外装といえば「朱」と決まっているようだが、これも時代がだいぶ下った時からの「豪華色」らしい。この「朱」の塗料を作るのには膨大な資金がかかるそうだ。いわば金箔を張り巡らした金満建造物ができる前の時代に、一番金がかかる豪奢な建物が朱塗りだった。つまり、建主が権力者であることを示す意味があった。
だから、朱色に塗られた神社は征服者の証であるはずだとずっと思っていたのだが、吉備津神社が朱色とはちょっと意外だった。土着の神が征服民族の神に置き換えられた(昇格した)ということか。

しっかりと古代日本史や神社の様式をお勉強したわけではないので、勘違い、思い違いなのかもしれない。ただ、この地に住む人に2000年近く前から「我らが神様」と信仰されてきた吉備津彦(これも別名であったのが改名させられた可能性もあるが)さまにとっては、どうでも良いことなのかもしれない。

くどいようだが、この神社のある場所は、後背にある山を合わせて防衛拠点として見るとなかなか興味深い地形なのだ。瀬戸内海運国であったはずの吉備国で、神社を築くとしたら鹿島神宮的な海辺になるはずなのだ。それがなぜこんなな海から離れた山の中に………
歴史をネタにした妄想は楽しい。それはさておき、吉備津神社は清々しい神社でありました。

旅をする

興国寺城とキャラの街

戦国時代を通して関東の覇権を争った北条氏の開祖、伊勢新九郎が最初の居城としたのが興国寺城だ。現在の沼津市にある。沼津といえば相模湾有数の漁港だが、東海道の交通結節点として重要な場所だった。富士山の麓を周り甲府から東海道に出てくると、この場所にあたる。その戦国時代の重要防衛拠点を任された伊勢新九郎・宗瑞が作った城を、その後何代かの領主が改築増築して大規模な山城とした。
伊勢氏(北条氏)が拠点を、伊豆韮山、相模小田原へと移したこともあり、興国寺城の城主はめぐるましく変わったようだ。
その北条一族の話を大河ドラマにする運動が起こっているみたいなのだが、そうなるとメインの舞台は韮山か小田原になるのではと思う。この沼津の町に及ぼすインパクトはあまり大きくないような気もするが。

興国寺城跡には神社がある。神社の後ろは高い土塁というか土壁だった。城といえば石垣というイメージがあるが、戦国初期の城はほとんどが土壁、土塁で構成されている。
土壁もこれだけの高さがあれば、石壁に劣ることない防衛施設だし、攻め手から見れば難攻不落に近い。この傾斜度の高い斜面を草鞋で登ることを想像するだけで、うんざりという気分だろう。おまけに、壁の上からは石を投げたり、矢をいかけたり、丸太を落として嫌がらせをするのだ。

城の入り口手前は平らな場所になっているが、これはおそらく戦国時代の後で廃城になった時期に、農地にされていた跡ではないか。防衛施設にこのような見通しの良い平地は必要ない。あるいは、防御柵などが張り巡された一次防衛施設だったのかもしれない。
ただ、普通はそのために一次防衛施設として水堀あるいは土掘をつくる。やはり戦国時代終了後の改修ではないか。
土壁の上まで登れば小高い丘になっているので、沼津市街が見渡せる。東海道の防衛拠点としては優れた場所だ。やはり、歴史は現地に行って観察しないとわからないことも多い。
例えば、安土城跡に行って地形と地勢を理解すると、戦国時代の歴史・歴史小説がよくわかるようになる。新幹線で関ヶ原から京都まで通り過ぎる旅ではわからないことだ。各駅停車の旅で城を目指して転々と移動すると、その昔、東海道を歩いた軍隊や徒歩旅行者の視点で景色が見えてくる。

その戦国時代の貴重な名残をとどめる沼津市で、今は二次元乙女たちが成功を収め、全国から観光客を吸引している。情報が財をなす現代で、戦国時代より効率的に街の経済を支配するアニメキャラ。
伊勢新九郎も、こんな未来は夢見ていなかっただろう。興国寺城跡から「絵」で全国を制覇するものたちが生まれるとはね。
ただ、この現代の経済戦争における戦闘乙女たちに一番喜んでいるのは、JR東海かもしれないなあ。

食べ物レポート, 旅をする

自由に使える 自由軒

晩飯にはB級なグルメが良いと思いネットであれこれ定食屋を検索して発見した一軒がこの店だった。表に立つと、実に味があるルックスで、おお、これはタリを引いたと思った。暖簾にかかる「おでん」が、実に期待を持たせてくれる。

引き戸を開けて店内に入ると、すかさず「お帰りなさい」と言われた。これはちょっと嬉しい。長く通っていた恵比寿にある居酒屋でも、入店の一声が「お帰りなさい」だったが、それを遠く離れた西国の街で聞くとは。

カウンターに座ると、目の前にはおでんの鍋が見えている。壁の品書きを見回すが、おでんの具材は何も書かれていないので、現物を見て注文するようだ。豆腐とちくわ、そして巾着を注文した。ただ、おかみさんによると巾着とは言わないらしいが、よく聞き取れない。餅入りなんとかと言っていた。
構わずに、食べてからの楽しみとそれを頼んだ。おでんの上には甘い味噌がたっぷりとかけられて出てきた。味噌おでんは東北、青森でも定番だが、この赤味噌系のルックスは初めて見た。味噌田楽はこんな見栄えだったか。
出汁が染み込んだおでんは美味いものだが、濃いめの甘味噌もそれを引き立てる。巾着だと思っていた油揚げの中身は餅だった。ああ、これも美味いなあと感激した。酒の肴として餅はどうよという気もするが、出汁が染みた油揚げと合わされば、すっかり気分は天国だろう。

壁に貼られたメニュー(品書き)にシャコ酢があった。ひょっとすると、ジャコ酢、つまりちりめんじゃこの酢の物かという疑念も頭を掠めたが、注文してみれば大好物のシャコだった。確か、ここから岡山寄りにある町はシャコの名産地だから、そこから届いているのかもしれない。
なんだか、とてつもなく贅沢をした気分になったのは、最近めっきりシャコが食べられなくなったからだ。確か江戸湾でもシャコはよく取れるはずなのに、食べる機会がない。お江戸のシャコはどこに行ったのだろう。
これは思わずおかわりがしたくなるほどの美味さで、旅先で拾った儲け物で美味しい肴だった。瀬戸内の海に感謝だ。

そして、締めのメインに選んだのがオムライスだ。最後の最後まで「やきめし」とどちらを注文するかで迷った。が、やはりオムライスがあれば、頼まないわけにはいかない。ひょっとすると飲み屋的に小ぶりなサイズであれば、ちょっと無理をして「やきめし」をおかわりしても良いかと思っていたが、出てきたモノをみてすぐに諦めた。どう見ても普通サイズの1.5倍、いや厚みを入れたら2倍くらいのボリュームがある。これでは一皿完食するのも難しそうだ。
味付けは昔ながらのケチャップ味チキンライスで、予想通り、期待以上で満足度120%のオムライスだった。おまけに、添え物の福神漬けがサイドアイテムといいたいくらいの盛りの良さ。これにも感謝だ。
感服しました「自由軒」さま、ありがとうございます。全てが美味しい・嬉しい・楽しい定食屋であり居心地の良い居酒屋でありました。

帰り際に覗いてみたら、お城がライトアップされていた。良い町だな、福山。

旅をする

福山城

福山城に着いたのは夕刻だった。城が夕日にさらされる頃で、自然のライトアップとでも言いたいくらいに夕日に染まる城壁は美しい。ちょっと感動してしまった。
城を見る時に一番気になるのは石垣で、それが野面積みという凸凹感がはっきりしたものほどワクワクしてくる。
戦国後期以降の、綺麗に石を整形して真っ平にされた石壁は、それはそれで美しいのだが、なんとなくちょっと残念な気分にもなる。城が要塞としての実用美を誇っていた時代から、権威の象徴として様式美を追求するようになる。そんな切り替わりがわかってしまうからだろう。

再建されたコンクリート製の城も、現代的な様式美の現れで、それは美しいフォルムだが、建築当時からの天守が残っているものと比べると、やはりちょっと残念な気分になる。
そういう意味では、戦国終了後の最終形態である千代田城(江戸城)が復元されないのは良いことだと思う。現実問題として、皇居を一時移転しなければ江戸城復元は難しいから、そんなことを発案できる自◯党政権は、まあ、ないだろうなあ。

福山城は平城なのだが、お城の基盤はかなり盛り上がっているので、城下町から仰ぎ見るお城になっている。江戸から明治にかけて町が平面的だった時代は、さぞかし豪壮な光景で領主の権威を高めたに違いない。
天守を取り巻く石垣とその階段は当時のままのようだが、城が要塞であった時代の実用性みたいなモノが感じられる。この高さが不揃いの石段こそ、まさに戦時施設であることの証明だ。などと思っているが、ひょっとすると後代に改造されたものかもしれない。お勉強不足だ。

今ではすっかり公園になっているが、築城当時は木など一本も生えていなかっただろう。敵兵が侵攻してくる時に、防御に利用されるものなど残しておく意味がない。そもそも城壁から鉄砲や弓矢で攻撃するのだから、敵兵が利用できる遮蔽物など残してはいけないだろう。

お城の中を散策していると、お城デートをする何組かのカップルとすれ違った。こちらは城の石垣を見て、この出っ張りの上には櫓があったはずだとか、落石用の壁はこの辺りに作ったら効果的だななどと、危ないことを考えているのだが、そぞろ歩く男女はそんな怪しいことを思うはずもない。
漏れ聞こえる会話も、平和で微笑ましい話題だった。400年以上も前、この城を建てた軍事技術者たちは、戦闘効率に頭を悩ませ、今、この城を歩く人たちは今日の晩飯に頭を悩ませる。城の役目がデートの場所になったのは、きっと人類にとって素晴らしい進化なのだ。夕日に染まるお城はそんな、ちょっと感傷的な感想を抱かせてくれるのでありました。

旅をする

大三島の風景

大三島バスストップで高速バスを待っていた。目の前には生口島につながる大橋が見える。なんともフォトジェニックな場所だ。瀬戸内の海は穏やかで、秋だというのに汗ばむくらいの陽気で、実に快適だった。この穏やかな海を戦国期には海賊が横行していたのだから、なんとも不思議な気がする場所なのだ。

その景色の中を自転車の大集団が通り過ぎていった。しまなみ海道はサイクリング愛好者にとって垂涎の場所らしい。ざっと見た感じで30-40人くらいの自転車乗りが通過していったが、どうもペースメーカーの掛け声、それもハンドマイクを使った大声なので、なかなかにやかましい。
ぺースおとすなとか、あと500M?頑張れとか、必死で漕げとか、壮絶な絶叫モードで号令をかけるのも、自分で自転車を漕ぎながらなのでそれなりに大変だろうと感心はした。が、やはりうるさい。ひょっとするとサイクリングツアーのガイドというか、ディレクターなのかもしれない。大変なお仕事だとは思うが………
都会の選挙カー並みの騒々しさだった。選挙カーといえば、あの候補者名を連呼するたびに、こいつには絶対投票しないと思う。そう考える有権者も多いはずだが、なぜあれほど候補者(というなの騒音源)は叫ぶのだろう。票を入れたくない奴の名前ほどよく覚えるというのは、選挙カーの皮肉だな。

大三島の神社の前に土産物屋が何軒かあり、その中の一軒が「まんじゅう屋」だった。普段は饅頭などに手を伸ばすこともないのだが、この時はちょっと気が変わった。フラフラと店頭にまで引かれてしまった。神の島のおまんじゅうと書かれてある。ちょっと気になるというものだが、ひょっとすると神のお告げだったのかもしれない。
「今日は我が饅頭を食べよ、そして崇めよ」ということかなあ…………

店の看板を見ると、どうやら村上さんの店らしい。ひょっとすると海賊親分たちの何十代後の子孫かもしれないなと思って笑ってしまった。海賊の子孫がまんじゅう屋になるとは、なんとも平和な業務転換ではないか。時代に合わせて人気商売を選ぶのは大事なことだ。
今でも海賊を続けていれば、祖業とは言え水先案内人ではなく水上犯罪者にしかなれない。皆に愛されるまんじゅう屋への転身は大正解だ。

饅頭は出来立てで、2種類あった。白い方は温泉地によくある蒸しまんじゅうみたいで賞味期限が1日限り。茶色い方が神島まんじゅうで、こちらが本命の土産物饅頭のようだ。
久しぶりに饅頭を食べたが、どちらも甘さ控えめで美味い。が、神のお告げは降りてこない。それがちょっと残念ものだった。饅頭一個で神のお告げを願うのは不謹慎というものだろう。
少しは神様にあやかれたと思いありがたく感じるの正しい饅頭のお作法だ。とりあえず、ご利益、ご利益と唱えながら完食した。大三島は良いところだなあ。