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もう一つの吉備国

吉備国の祭神の近くに、なぜか古代ヤマト朝神族の中で最強の荒ぶる神、素戔嗚(すさのお)を祀る神社がある。これはなかなかに興味深い。
そもそも素戔嗚は第一神である天照大神の弟という設定だが、まさにこれは古代ヤマト朝神話の中で最大のフィクションだろうと思っている。古代ヤマト朝の統一過程で最大の敵国を率いていたのが、素戔嗚王だったのではないか。その「すさのおの国」を下した後、懐柔と反乱抑止のために「亡き王」を第一神の弟という高いポジションに祭り上げた。
だから、素戔嗚は高級神らしからぬ荒事に投入される。出雲国平定にも出動させられ、八岐大蛇と怪獣大決戦を繰り広げた。その荒ぶる神が次に出動したのが吉備国制圧戦争だったのだろう。史書的には吉備国が大乱を起こしたことになっているようだ。
そして、吉備国併合の後は、反乱分子になりかねない地方神「吉備津彦」の押さえとして、この素盞嗚神社が置かれた。だから吉備津神社と素戔嗚神社が近距離に置かれ、どちらも備後国一宮になっている。ヤマト神族の中の冷戦状態、みたいなものだろうか。そんな妄想をしてみた。ただ吉備津神社は一箇所だけではなく他の地(備前)にもある。そこが謎だ。

神社の境内はそれなりに広いが、一ノ宮として考えると少し手狭な気がする。人心掌握よりも反乱防衛拠点として置かれたとすれば、大きさよりも鎮圧時における初動の速さが求められていたと考えられないか。
出雲国の亡国主神である大国主がはるか東、諏訪の地まで移動したことを考えると、この素戔嗚も元は九州あたりにいて(高千穂付近かも)、それが東の吉備国まで転勤させられたと考えても良さそうだ。
古代ヤマト朝は、征服した国の神様をブラックにこき使う厳しい国、パワハラ国家だった。そう思って古事記を読み解くと、なるほどなあと納得できる事件が多い。(笑)

この国は、神代の時代からブラック体質だったのだ。その勤勉なブラック体質(そんな存在自体が嫌だが)である古代ヤマト朝が、堕落してのんびり体質に変わったのが平安期だから、ざっくり言って1000年近くも、古代日本は神ですらこき使うブラック国家だった。そのブラック雇用で一番酷使された神様が素戔嗚さまだったのだね。(個人的感想です。宗教的な意味合いはありません)

荒ぶる神のオヤシロは、朱色に塗られることもなく簡素なもので、それはそれで好感が持てるものだった。古いお社は朱に塗られていない方が良い。朱が薄れたり禿げたりしているのをみると悲しくなるというのもあるが、地元の民に崇敬されているのは、こうした地味な木の色ではないか。

古代ヤマト朝の征服と統一の過程を思えば、東の国は統一最終行程で一気に攻められ併呑されたので、地方神などかけらもなくなっている。西国ではそれより古い時代に征服戦争起きた。統合過程も時間がかかっていたためか、元の姿とは微妙に変形しながら「国神」がのこされているようだ。

1000年以上前にこの地を歩いていた人がいると思えば、神社詣も色々と感ずることがある。素戔嗚と呼ばれた人がここを歩いたとは想像できないが、その子孫の誰かがここにいた可能性はあるのだし。
2000年を経た後世で皇国史観という歴史と神話と伝説を混同したものが猛威をふるい、その信者が国を率い亡国寸前まで暴れ回ることになるとは、さすがの荒ぶる神スサノオ様でも思いはしなかっただろう。


どの時代でも狂信者は生まれ、世界を混乱の中に落とし込み、正義の名の下に不幸を再生産する。そんなに神を崇めるのであれば、自分の命を糧にしてさっさと一人で神の国へ行ってしまえ、周りを巻き込むなと思うのだが。
贄を求める神など堕神であり邪神でしかないだろうに。そんな堕神を崇める宗旨は、崇められる神様自身が「おいおい、俺はそんな酷い神ではないぞ」と迷惑しているだろうと思う。
地の塩、世の光と言ったのは異国の救世主だったが、我が国の荒ぶる神は今何を思っているのだろうか。やはり地には平和を、と願っているのではないか。少なくとも、昭和日本の亡霊に操られているような愚か者は、助けてやる気にもならないということだろうなあ。

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沼津駅の風景 蕎麦とガチャとキャラ

今や滅びゆく昭和の風景の一つ、駅のホーム内にある立ち食い蕎麦屋はそろそろ天然記念物指定をしないと絶滅してしまう鉄道遺物だ。首都圏山手線という日本屈指の乗降客数を誇る路線であっても、ホームにある蕎麦屋はほぼ壊滅している。
そんな駅そば情報を集めた本が何年かに一度発行されるが、すでにホームの蕎麦屋は残り少ないようで、その数少ない生き残りが、この沼津駅にある。駅弁の製造会社が運営しているようだが、営業時間が朝8時から午後の2時までという変則的な物だった。
夜は立ち食いそばを食べて帰る人はいないのだな。

駅弁のラインナップを見ると、なかなかうまそうなものが並んでいる。中でも、抹茶あじ寿司がうまそうだ。シンプルな抹茶めし弁当にも心惹かれる。販売しているのは改札口の脇にあるお店のようだった。

その立ち食い蕎麦屋の裏側に、なんとも不思議な自動販売機があった。最初は懐かしのオレンジカードのようなものかと思った。ぱっと見では商品券を売っているようにも見えた。
よくよく眺めてみると、なんとガチャ、つまりカプセルトイの自販機らしい。なぜ、ホームに………という疑問と、なぜこの商品ラインナップという疑問が湧き上がる。

そもそもガチャは基本的に均一価格で出てくるまで中身がわからんという射幸性の高い商品のはずだが、 なんとこの自販機では中身がわかるし、値段はバラバラ。ガチャマシンとは似て非なるものだった。しかし、なぜ駅のホームにある?という疑問は解消できない。沼津駅の不思議ではなく、ひょっとするとJR東海のあちこちに存在するのかもしれない。
東海道線を各駅停車で旅をして、それもそこそこ大きな駅で降りて、ホームを見て回らないと確認のしようがない。ほぼほぼミッション・インポシブルな使命だが、知りたいなあ。静岡家機とか浜松駅であれば、このガチャもどきマシーンが置いてありそうだ。

そして、沼津といえばもはや絶対ブランド化しているアニメキャラが駅ビルの入り口でお出迎えしてくれた。全国あちこちで町おこし、地域おこしをやっているが、おそらく一番成功率の高いのはアニメコラボだ。成功例も数多い。
ただ学びとして、単発でのアニメコラボはおおよそ3-4年で経済効果は薄れる。浮気なアニメオタクは、次々と新しい対象に惚れ込んで昔のキャラを見捨ててしまう傾向が強い。だから、制作サイドと連携してシリーズ化を強く押さなければいけない。
映画でも行われている地域コミッション制を軸に、継続的なタイアップ、イベント、情報発信を続けなければいけないのだが、これが地域活動グループにとって、そして地域行政にとって、一番苦手なもの「継続性」らしいのだ。
なぜ、ポケモンやマリオがグローバルキャラクターに仕上がったかを研究すれば、地域キャラの育成戦略は自明なことなのだが。
各駅停車の旅をすると、あちこちで日本の今抱える問題が見えてくる………ような気がします。

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鳳で大鳥大社

大阪の南部に鳳という地名があることは知っていた。その地名と大鳥大社が全く結びついていなかった。そもそも大阪南部から和歌山に至る鉄道路線の知識は、ほぼ皆無に近いので、どの路線を使ってどこに行くかをGoogle先生に聞くしかない。JR阪和線も生まれて初めて乗ったが天王寺の駅が始発になることも知らなかった。
阪和線の沿線風景は都市部がずっと続いていた。大都市はどこでも同じだなとも思うが、大阪南側の街では密度、住宅地の密集度が首都圏を超えているかもしれない。車窓から眺めるマンション群が少し減ってきたくらいで鳳に着いた。

神社と大社は規模の差だけではなく、社格もあるようだが、少なくとも歴史ある神社はどこも大木が生い茂る広い境内になっている。その境内の中をそれなりの距離を歩いて拝殿まで辿り着くと、これは大社だなあなどと思うものだ。その道が一直線であることも多いが、曲がりくねっていることもある。
伊勢神宮は典型的な曲がりくねった構造だ。熱田神宮は、実に一直線で長い。出雲大社は概ね一直線だったが、最後でひと曲がりする。由緒正しい神社は建立されてから1000年を超えるものも多いので、その間には色々な事件があり、拝殿の位置が変わったりしたこともあるはずだから、境内の、そして参道の成り立ちもいろいろ変化しただろう。戦国期の城のように攻城戦を考えて、神社の境内を長陸練った道にした、そんなことはありそうもない。おそらく火事で焼けた建物を避けて増築改築を繰り返した結果、道がクネクネになってしまったということではないか。
大鳥神社の境内は、そんなことを考えながら歩くにはちょうど良い距離だった。

拝殿の形式にはいろいろとあるらしい。お祀りされている神様の違いであったり、地方特有の様式であったりする。不勉強で詳しいことは知らないのだが、古代ヤマト朝の統一過程の中で併合された古王国は、時には自前の神様や神社の形式を残すことができたようだ。出雲大社はその典型だ。
この大鳥大社は征服王朝であるヤマト本国形式なのだろうか。屋根の形が少し変わっている気がする。建物が高床式になっていないのは珍しいので気になった。田舎の神社には簡素な建築のせいか平屋式もたまに見かけるが、大社の格式がありながら随分とこじんまりとしたものに見える。

やはり神社には青空が似合う。この日も気温が低いせいか空気が澄み切っていた。夏の青空とは違う透明感がある。お参りするには絶好な日だった。

神社には駅から歩いて10分ほどかかる。街の中心地とは違う場所にあるようだ。神社の周りはびっしりと住宅が連なっている。昔は門前町だったのかもしれないが、今では都市近郊のベッドタウンのように見える。
八百万の神様は閑静な場所がお好みのようで、いまでも歴史のある神社は山の奥や岬の先など、なかなか秘境っぽい処にあることが多い。が、人の営みに巻き込まれ神社の周りがびっしり住宅に囲まれる「超繁華街」立地の方が多くなってしまった。
こういう賑やかな場所にお祭りされていると、神様も賑わいを好むようになっているのだろうか。神罰も当たっていないから、天岩戸でのダンスパーティー(世界を救う大戦略だったのだけれど)以来、案外と神様もノリノリな暮らしが好きなのかもしれないな。

食べ物レポート, 旅をする

お好み焼き 三原流

三原での待ち時間の間、昼飯を食べようと駅前の街を歩いていた。平日昼のせいか、ほとんどの店が営業していない。駅前の飲屋街は夜にならないと活気づかないようだった。仕方がなく、ネットでランチ営業店を検索してみたらお好み焼きの店が見つかった。行列ができる人気店らしい。この日は20分ほど待たされたが、店内に入ると予約の電話が次々とかかってきていた。
三原は広島県の街なので、広島スタイルのお好み焼きだと思っていたら、どうも「麺抜き」が三原流のようで、広島風お好み焼き、つまりうどんか中華そばが入っているものはモダン焼きとして区別されている。
周りの注文を聞くと、モダン焼きとお好み焼きは半々くらいだった。待ち席がカウンターの鉄板の前で、目の前で次々とお好み焼きが焼かれていく。それを見物しながらの待ち時間は、待たされているのが全く気にならない。
水溶きの粉を鉄板の上に乗せて焼くのはクレープみたいなものだ。そこにキャベツを乗せ麺や具材を乗せる。火が通ったところで、鉄板に卵を割り薄く伸ばした上に、焼けた粉と蕎麦と具材を裏返しにして乗せる。なかなかリズム感を感じる見た目が美しい調理作業だ。

出来上がったお好み焼き、イカ入りのモダン焼きをヘラを使って食べる。炭水化物の塊だが、実に美味しく食べられるのは、ソースの濃い味付けのおかげだ。ただ、中に入っているそばにはほとんど味がないので、濃いめのソースが良いバランスになる。
大阪式お好み焼き、つまり麺抜きのお好み焼きも、それはそれで美味いので広島式、大阪式のどちらがお好み焼きとして本物かというつもりはない。
家庭で作るお好み焼きは火力が弱いせいが、仕上がりが水っぽくベタついてしまうので、お好み焼きは専門店で食べる方がはるかに美味い。麺入りになればなおのことだ。
三原流の麺なしお好み焼きも食べてみたかったが、2枚食べるほどお腹に余裕はなかった。

三原駅から瀬戸内の島につながる連絡船が出入りする港まで、歩いて行っても5分程度だった。その港に続く道が飲屋街になっているのは、ある意味必然だという気もする。島から酒を飲みに来る人が多いのだろう。そのためなのか、宴会場的な居酒屋より二次会向けスナックが多い感じがする。
ただ、雑居ビルもあちこちが空き家になっているのが目立つ。コロナのせいか、人口の変化のせいかはわからないが、瀬戸内の島から人が集まってくる「夜の社交場」としての役割はだいぶ減っているように見える。
三原の隣には広島県第二の都市、福山があるのでそちらにいく人も多いのかもしれない。しまなみ海道を使えば、福山と大きな島は陸続きだしなあ、などと思い裏通を歩き回ったが、人とすれ違うことはなく、猫すら見かけなかった。なんだか不思議な街だなあ。

街を歩く

休日の渋谷はごみだらけ

祝日の朝早くから渋谷に用事があり出かけた。朝早くだというのに、というか朝早くだからというか、渋谷の街中を酔っ払った若い方がたむろしていたり、奇声を上げていたり、なかなか賑やかだった。
おまけに路上がゴミだらけで、まるで20年前に行ったNYCを思い起こさせる。このゴミだらけの道路も道沿いにある商店の営業が始まる頃には、街の人たちが掃除をしてくれているから、ゴミも目立たなくなるのだろう。
酔っ払いが汚した朝の街をまともに見るのは初めてだったせいもあり、なんともいえない気分になる。おまけに、ゴミとして散らかっているのが缶チューハイやビールの空き缶と弁当の殻・箱で、路上で二次会、3次会をやったことがわかる。
若い方?は、飲み屋に行って酒をのむ金がないのだろう。(多分)おまけに飲んだ後、飯屋に行って何かを食べる金がないのだ。ということがわかった。コロナの間に流行した路上飲みは、飲む店が空いていないせいだったはずだが、今では通常営業している飲み屋に行かず路上で飲むらしい。これは単なる貧乏の現れのように思える。
深夜の路上飲みはコロナの落とし子で、もはや見栄を張ることなく路上飲みができる文化?態度が出来上がったみたいだ。もはやホームレスの宴会と深夜の路上飲みには境目がない。文化の退廃というより、美意識の変化なのか。
増税メガネのおっさんは日曜の朝、渋谷の街でゴミ拾いのボランティアでもしなさい。そうすれば、いかに国民が貧乏になったか実感できるぞ。と思いました、はい。
高級マンションが立ち並ぶ某公営放送の搬送口あたりでも、コンビニ込みと空き缶は散乱していた。この辺りの住民は、高い家賃を払いながらゴミにまみれた町に暮らすことを納得しているのだろうか。

その渋谷の高級マンションが立ち並ぶ一角で、まさかの昭和アパートを発見した。雨戸が締め切っているので、まだ誰か住んでいるようには見えないが、深夜の喧騒(路上飲み会)が嫌で雨戸を締め切っているのかもしれない。やはり東京という街は、まだまだあちこちに不思議空間が残っているのだなあ。

その昭和が取り残されたようなスペースから5分も歩くと、超絶大都会の渋谷109前にたどり着く。そこでは、なんとこれまた平成前期カルチャーの落とし子、たまごっち復活のイベントがやっていた。なぜ、109前でこれだよと頭を捻ってしまったのだが…………
イベントを仕切っているらしいおっさんが、ベビーカーに乗っている子供に、何やら渡していた。たまごっちの英才教育を2歳児くらいから始めるつもりかと思ったが、おそらくターゲットはベビーカーを押している母親で、まさに彼女はリアルにたまごっちで遊んだ第一世代だ。それに気がつくと、イベントおっさんが急に頭が良い人に見えてきた。また、たまごっちが流行るのかな。確か第一世代では過剰在庫で販売会社が潰れかかったはずだが。


渋谷には昭和と平成と令和のカオスが共存しているのだな。

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岸和田城と岸和田ボーイズ

岸和田というと、あの勇壮で賑やかな「だんじり」を思い出す。現地で見たことがあるわけではなく、テレビのニュースで見たくらいだ。あの背の高い山車を、暴走というしかない速度で引き回すのだから、さぞかし岸和田ボーイズは血気あふれる(ちょっとこわい)兄さんたちという勝手なイメージがあった。
駅からお城までタクシーでつれてきてもらったが、その運転手さんが実に柔和な方でお城のいわれなどを説明してくれた。岸和田ボーイズ、優しいぞと自分の認識を改めた。まあ、人の思い込みなどこんなものだ。現地に行って確かめてみなければわからないことばかりだ。
その岸和田城だが、お堀に囲まれた小ぶりな本丸がある。その周りをかなり広い範囲で城郭として形成している。外側のお堀まで含まれた城の中には、現在の市庁舎がすっぽり入っている。

本丸は一段高くなった丘の上にあり、堀も深い。これはなかなか攻めづらい城だ。このあたりは戦国期に大都市だった堺の南側で、海賊が支配していた地域のはずだ。愛読書「村上海賊の娘」では、陽気で明るく残虐な泉州海賊の支配地として描かれていた。
今では大阪府と一括りにされているが、当時は摂津、河内、和泉の三つの国だった。これに大和(奈良県)、山城(京都府の南部)を加えた五国が畿内とされ、いわゆる「天下」だった。
つまり、和泉国、泉州は日本の中心部だったわけだ。その日本中枢部の南端を守る拠点だから、戦略的には要衝ということだろう。和歌山につながる街道も押さえていたそうだ。

石垣は戦国中期くらいの作りで、ごろごろとした石を無造作に積み上げたものだから無骨な感じがする。この時期の城はまさに軍事拠点であり、行政的な使命より戦争時に活躍する建物だった。質実剛健、兵器としての築城だったのがよくわかる。

タクシーの運転手さん曰く、この城の周りは車でぐるっと回れる珍しい作りだそうだ。確かに、大手門の手前まで車で行ける城はたくさんあるが、お堀の周りを車で一周できるのは江戸城を始めとした幾つかの平城しかない。城全体ではなく、天守閣の周りをぐるっととなると、確かにこの城くらいかもしれない。

正面から見ると櫓を含めた2棟式の天守閣が美しい。鏡面対称のように天守閣が2棟並んでいるわけではないのだが、大小の規模感がバランスよく見た目がよろしい。黄金比というやつかもしれない。
これもタクシー運転手さんの受け売りだが、背面から見た天守閣の方が美しい(好み)なのだそうだ。そう言われると確かめないわけにはいかない。幸い、天守の背面に続く遊歩道が整備されていた。

確かに背面から見ると、櫓が隠れて天守が一層聳えて見える。堀の向こうから見るとまた違うのかもしれないが、この仰ぎ見る画角はなかなか勇壮な感じがする。貴重なアドバイスをもらわなければ、正面を見ただけで帰ってしまったはずだ。岸和田ボーイズは、やはり優しいのだ。

背面からぐるっと回ってまた正面に戻ってきたら、こちら側から見た正面の姿もこれまた美しい。復元城とはいえ、これだけ見るアングルによって姿を変える城も珍しい。

しばらく端正な城の美しさを楽しんだ後、ぷらぷらと駅まで歩いて帰ることにした。来る時はタクシーで10分もかからなかったが、歩いてみると城の麓からゆるい坂道を登る感じになり、思っていた以上に時間がかかる。駅前商店街のアーケードにたどり着いた時には、ちょいと疲れてしまった。
アーケード内の商店街は少々くたびれた感じはするが、全面シャッター街になってはいない。あちこちに空き家は目立つが、最近開いたような店もたくさんあり、まだこの街は元気なのだなという感じがした。
泉州海賊の末裔たちは、だんじり祭りの勇壮なイメージとは裏腹に優しい岸和田ボーイズになっているようで、昔読んだ岸和田愚連隊のやんちゃな不良少年たちの印象とは違うみたいだった。

食べ物レポート

カルネという食べ物

新大阪駅でポスターを見かけて、なんというか不思議な食べ物に見えた。サンドイッチだが、バンズを使っているようだ。ハンバーガーに似ているが、どうも具材は随分と薄いように見える。試しに一個買ってみようかと思ったが、そのまま通り過ぎてしまった。

帰りの新幹線の待ち時間に、構内の土産物を見て回っていたら現物を発見したのでとりあえず買ってみた。京都のパン屋が作っているらしいのだが、カルネとは一体どういう意味なのかはわからない。仕方がないのでホームページで確かめてみたら、色々と詳しく書かれていた。名前はフランス語、商品の原型はドイツで見たもの、それをアレンジして今では「京都市民の国民食」らしい。
確かに、京都でパン屋巡りをしたことはないので店名が記憶にないが、ホームページで確認したお店の数からすると京都では知名度No.1的なブランドだろう。

ペッパー味も置いてあったのでついでに買ってきた。両方を食べ比べてみたが、これは京都人だけ、つまり食べ慣れている人間だけが理解できる味の差のような気もする。サンドイッチとしては、具材を楽しむ設計ではなくパン生地を味わうもののようだ。個人的にはちょっと寂しい感がするのだが、京都市民が愛してやまないものらしいので、京の味覚がわからない田舎者ということだろう。名物にうまいものなしという言葉もあるが、京都の味は高尚すぎるのだろう。パンを楽しむサンドイッチとは恐れ入った。


新大阪の駅で買った土産物は、栗味と芋味の生八つ橋だったのだが、その土産物屋ではオリジナルの生八つ橋が置いていなかった。いわゆる味変シリーズばかりになっていて、京都の伝統と現代の革新みたいなギャップを感じていた。伝統にあぐらをかくことなく革新は良いのだが、オリジナルを忘却してはいけない気もする。このカルネは同じ味を守り続けている上にペッパー味を加えたということだろう。
京都名物を新大阪の駅で売ること自体、京都商人の才覚というか販売力はすごいものだと思う。ただ、それをいえば伊勢名物赤福も新大阪の駅内コンビニで棚に山積みされているので、伊勢商人の方が上手らしい。西国商人恐るべしということかもしれない。
東京駅で埼玉や千葉の名物を売っているかと考えると記憶にない。浅草名物の和菓子の工場が埼玉にあるのは知っているが、あれは東京名物だ。そもそも埼玉名物とか千葉名物と言われても、商品名がすっと出てこない。横浜名物の崎陽軒「シウマイ弁当」が東京駅でも売っているので、神奈川は別格なのか。神奈川商人とは聞いたことがないけれど……………

旅をする

天王寺の風景

自分の中にある大阪地図は、やたらと空白だらけで、おまけに鉄道路線図がほとんど欠落している。脳内マップはほぼ、いや、全く役に立たない。大阪駅(梅田)と難波駅(なんば)を結ぶ地下鉄路線くらいしか理解できていない。
だから、仕事で大阪に来る時も必要なのは地下鉄路線図のみで、それ以外の場所には現地スタッフの同行を頼りにする、全くのお上りさん状態で過ごしてきた。一度だけ、帰りの新幹線までの時間がなく、車移動を諦め電車に乗るために天王寺で降ろされたことがあるが、その時も地下鉄御堂筋線に乗り新大阪まで一直線だった。

先月までは日本一高いビルだったが、どこかの新築ビルに抜かされたらしい

天王寺と阿倍野の区別もつかないのだから、大阪地理の無能ぶりは明らかだが、あべのハルカスだけは一度だけ展望台に上りに来たことがある。ただ、タクシーで来たので正確な場所はわからないまま展望台の登り、タクシーで梅田まで戻った。
今回はJRを乗り次いでたどり着いたので、頭の中の白地図はだいぶ鉄道路線で埋め込まれた。まあ、グーグル先生抜きでは無理だろうけれど。
そのあべのハルカスが天王寺駅に隣接していることを理解したあとで、天王寺は近鉄線の始発駅であることもようやく理解した。が、その近鉄電車の行き先がよくわからないので、またGoogle先生にお世話になった。

しかし、なぜあべのハルカスとなったのだろう。天王寺ハルカスではいけなかったのだろうか、という疑問は解けない。そのまま近鉄駅を覗きに行って初めて(ようやく?)理解した。近鉄の駅は天王寺駅ではなく阿部野橋駅だった。
お江戸の感覚で言えば、いくつかの路線がつながるターミナル駅は基本的に駅名が同じだ。違いといえば「JR〇〇駅」とか「小田急〇〇駅」のように、頭に鉄道会社の名称が振られるくらいだろう。
複数路線が接続するターミナル駅であるのに駅名が違う例を考えると、JR有楽町駅と地下鉄銀座駅がこれに近いかもしれない。JR東京駅と地下鉄大手町駅もつながっている駅と言えばつながっているが駅名は違う。ただ、地下鉄大手町駅は丸の内線、千代田線、東西線、半蔵門線が乗り入れている巨大地下鉄ターミナル駅で、東京駅と比較的隣接しているのは丸の内線だけだ。地下鉄大手町駅という大ダンジョンの入り口がIR東京駅と考えても良い。そうすると、JR大阪駅と地下鉄梅田駅の関係がこれに近いかもしれないと気がついたが、ダンジョンとしては梅田の方が圧倒的に凶悪で、まさに迷路だ。
どちらにしてもJRと私鉄各社のターミナル駅については、一度お勉強し直さないと大阪の街歩きは著しい問題が起きる。それを天王寺で学んだ。

そのあべのハルカス前の歩道橋から、多分昔は大阪で一番高かったタワーがみえる。通天閣周辺を舞台にした「大阪コメディ」の最強作、じゃりン子チエを思い出させる勇姿だが、あのちえちゃんも現在年齢を推定すると、もはやおばあちゃんになっているはずだ。
さぞかし強烈な大阪のオカンから、大阪のおばんに成長していることだろう。きっと、子供時代と同じに猫を従え(おそらく十代目小鉄)酎ハイを飲みながらガハガハ笑っているような気がする。「オカンになったちえ」「じゃりばばあ、ちえ」みたいな話を読んでみたいなと思った。

夜になってふと思い出しホテルを出て歩道橋の上に行ってみた。昼とは全然違う通天閣が見えた。コロナの時のライトアップですっかり有名になった感はあるが、どうも夜のお姿の方がシュッとしているというやつだ。
そう言えば、通天閣はゴ◯ラにやられていないのではなかったか。お江戸の名所はできるたびに歴代ゴ◯ラに倒されていた。大阪で怪獣が暴れたのは、ウルトラマンシリーズのゴモラだけではなかったか。東宝映画では記憶にない。大映ではどうだっただろう。ガ◯ラでは福岡と香港と渋谷は壊滅したが、大阪は無傷だったはずだ。
やはり大阪は特撮映画世界において意外と平和な街だったのだな。通天閣を見ながら、そんなことも思っていた。
記憶にないのだがエヴァの世界では、大阪は壊滅していたのだったか。ハルカスの残骸に座り込む夕陽を浴びた初号機、みたいな絵柄はダイナックス社であればやりそうだな。

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はじめての大阪城

大阪には数えきれないほど行っているが、よく考えると勤務先のオフィスとその周り、そして梅田と心斎橋周辺を歩き回った程度でしかない。通天閣は一度登ってみようとプライベート旅行を仕立てて観光客をしたことがある。が、大阪観光体験はそれくらいしかない。USJや大型水族館ですら仕事からみで行ったくらいだから、大阪観光とは縁がない人生だった。
だから、一度くらい大阪城に行ってもバチは当たるまいと、早起きして大阪城見物に行ってみた。地下鉄を乗り継ぎ大阪城最寄りの駅から徒歩で天守閣を目指すことにした。が、大阪城の広さを甘くみすぎていた。

どうも大阪城をおみそれしていたと反省したのが、お堀の幅の広さだ。このお堀は江戸城より幅広ではないか。堀沿いに大手門まで歩いていく間、ずっと考えてしまった。大阪城の歴史を振り返ると、織田信長対門徒の戦いまで時代が遡る。信長に屈服した一向宗が大坂(当時)から退去した後しばらくして、信長の後継者となった秀吉が築き上げた大城だ。だが、それも豊臣が徳川に敗れた後に徹底的に破壊され、その破壊後に再度盛土をして建てられたのが徳川大阪城になる。
その徳川版大阪城の天守閣が燃えてしまい再建されたのが現在ある大阪城(昭和版)だ。秀吉版の大阪城は、徳川版よりはるかに大きかったようで、それを再現すれば今の大阪城公園全体が、大城郭になるらしい。昭和版は予算の都合で限定サイズになったのだろうか。それでも残された石垣や堀を見ると、これが人力で建てられたものかと感嘆してしまう。

大手門が黒塗りになっていて、なんだかしょぼいなと思ったが、よくよく考えればこれは戦国期の最先端技術で、門を鉄張にしたものだ。どうもこれまで城廻で木製のもんばかり見てきたせいで、黒塗りの意味を間違えてしまった。下手な現代流デザインだと勘違いしてしまった。勉強不足はいかんなあ。

石積みされた巨石を見ると、どうもエジプトでピラミッドを作ったファラオたちを思い出してしまうのだが、この大阪城の石の大きさはピラミッドのそれに匹敵する。コロと縄を使ってどこから運んできたのか。
ちなみに江戸城の石垣にはこれより大きな石が使われていたから、間違いなく石の大きさによる威信が重要だったのだろう。千代田城(江戸城)は徳川本家、大阪城(建て直し版)は徳川出先だしなあ。

天守閣の周りは大賑わいだが、感覚的に半数は日本人、半数は外国人だった。ただ、近づいてみるとアジア系の顔立ちで異国語を喋る人間ばかりだったから、外国人比率はもっと高そうだ。ここは城、それも再現建築だから宗教的意味合いはない。身もふたもない言い方をすれば、舞浜にあるネズミの国の姫様の城となんら変わりのないエンタメ建築だ。(再建に努力した大阪市民には申し訳ない)
歴史的建造物と言えるのは石垣くらいだろう。まあ、それでもすごいものはすごいと単純に喜ぶべきだとも思う。エレベーターで上に上がれるのだが、待ち時間は20分を超えるらしく、長い行列ができていた。その行列からはほとんど日本語が聞こえてこない。インターナショナルな大阪だった。

強者どもが夢の跡、とはまさに大阪城のことだと思った。信長なき後に身内に焼き払われた安土城も不憫だと思ったが、戦に負けて土の中に埋められた跡地に再建された大阪城は、もっとすごい。徳川の怨念みたいなものも感じられる。
少なくとも、戦国期に攻城戦を戦い抜き、敗れ去り、廃城になった城は多いが、大阪序はその中でも最大級のものだ。現在でも残っている城は、戦国期を通じて負けなかった(攻城戦にならなかった)城が大半だ。あるいは戦国期が終わった後に築城されたものだ。となれば、現存の城郭で大阪城の存在は大きい。

そして徳川最後の将軍は、自分たちに反逆する西国軍をこの大阪城で迎え撃つこともなく江戸まで逃げ帰った。兵力数は徳川側が多かったにもかかわらずだ。滅亡する政権とはそういうものであるらしい。徳川政権始祖の忍耐強さ、粘り強さ、最後まで執着して望みを捨てない「強者」の倫理は、十五代もすると擦り切れてしまうのだなと、大阪城の堀を見ながら思い起こしていた。大阪城、3度目の活躍があれば歴史も変わっていたことだろうに。

大阪城は、歩き回ると本当に疲れるくらい広い。あまっくみすぎていた。もっと若い時に行っておけばよかったと心の底から後悔した。後悔先に立たず、大阪城の教訓であります。

食べ物レポート

高価格回転寿司の仕組み

まるで居酒屋のように大量の日本酒がならぶメニューがあるが、ここは歴とした回転寿司屋だ。埼玉県で回転寿司といえば、基本的に道路沿いにある郊外型店舗が主流で、一時間も車で走ると道路沿いに5-6軒は見かける。回転寿司高密度地帯だ。すっかり数を減らしたファミレスより多い感じもする。
その回転寿司が駅ビルの中に出ると、ファミリー層が少ないせいなのか、夜のサラリーマン需要みたいなものを狙っているのか、海鮮居酒屋風になっている。コロナの間は昼に来るだけだったが、そろそろ夜の営業も見学してみよう出かけてきた。午後6時で満席だった。盛況なのだが、今では当たり前の光景になっている「寿司が回らない回転寿司」だった。

とりあえずメニューを開き(開くとは比喩的表現で、実際にはタッチパネルをポチッと押す)、酒を選ぶことにした。そこにはやかん酒という風変わりな熱燗が載っている。やかん酒にもプレーンなものと味付きがあり、今回は味付きの昆布酒にした。昆布酒の味は、昆布茶の日本酒割みたいなもので、酒としてはなんとも微妙だ。おまけに名前も、なんだか微妙だ。
もう一つおまけにヤカンに入った酒を固形燃料で温める仕組みだから、飲んでいる途中でも加熱が続き、ちょっと油断すると熱燗どころか、飲めないほどの熱々になってしまう。最初の一杯であれば良いが、飲みが進んでからは温度管理ができない危険な酒だ。、熱燗飲んで、口の中を火傷するのは結構間抜けなきがする。

一緒に頼んだ海鮮炙りのつまみはカニ甲羅だった。カニのほぐし身と蟹味噌が甲羅の中でぐつぐつと……………を期待したが、こちらは火力不足のまま生煮え状態で火が消えてしまった。
経験的には、居酒屋の固形燃料を使ったコンロは途中で火が消えてしまうことが多い。これは、固形燃料が保管中に劣化して燃焼時間のばらつきが出るためだと思う。この点は燃料メーカーのせいというより店舗での保管が悪いようだ。

メニューにイカの唐揚げがあると、大体無条件で注文してしまう。ほとんど条件反射的な悪癖だという自覚はあるが、うまいもんは美味い。ただ、チェーン居酒屋で頼む唐揚げは大量生産品が出てくることもあり油断できない。
回転寿司屋であれば大丈夫かと思ったが、よく考えれば回転寿司屋でイカを丸のまま仕入れてそれを捌いて、という手順でイカを使うだろうか。そのさばき工程なしで、丸いイカの胴体部分の唐揚げを作ることはできないはずだ……………などとちょっと疑惑を持ってしまった。
結果的には、食べてみても普通に美味いと思ったが、ゲソがちょっと硬めなので疑惑の完全解明にはならなかったなあ。今回は居酒屋メニュー中心にあれこれ頼んでみたので、寿司はほとんどおまけだ。

本日のお目当ては、塩辛の軍艦だった。この塩辛軍艦巻きはどこの回転寿司屋でもおいてありそうなものだが、意外と見かけることは少ない。経験的に回転寿司屋によって巻物や軍艦のラインナップは相当に異なる。
軍艦巻きのネタに関してチェーンとして何か特別な思い入れがあるのかと言いたいくらいのばらつき加減だ。
塩辛軍艦はなくてもチャンジャ軍艦があったりする。ハンバーグ軍艦と焼肉軍艦は店によってあったりなかったりする。最近では、焼肉に変わり炙りカルビなどという進化系肉乗せ軍艦も生まれている。どこでもあるのがサラダ軍艦だが、これは名前が同じだけで上に乗っているマヨサラは店ごと(ブランドごと)にほぼ別物だ。
あれこれ事件が起きて、回転寿司も変化が続いているようだから、もう少し継続して観察してみようか。高級回転寿司は一人飲みに向いた居酒屋化しているのは確かだった。