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街を歩く

コロナの落とし子

これは本当に有効だったのか ただ、コロナ以外の一般的な衛生常識として啓蒙するつもりであれば、それは素晴らしいと言わざるを得ないが、単純にアップデートをサボっているだけのような

立川に久しぶりに行った。いつもは車で行くので駅前の商業施設に立ち寄ることはない。立飛にある外資系家具店やアウトレットで大体用事は済んでしまう。
JR立川駅を降りてペデストリアンデッキが縦横無尽に張り巡らされているのにびっくりした。立川は何だかすごい街になったのだ。
人口50万人程度の地方都市、県庁所在地よりはるかに活気がある。立川は中央線で吉祥寺と八王子に挟まれた中途半端な街だという記憶しかなかったが、駅前再開発の規模が違う。ちなみに、駅の反対側は何やら怪しげなディープ・ゾーンに変化しているので、立川駅では東西ゾーンを別々に楽しむことができる。

さて、その立川のショッピングモールに入ってトイレを使用した。何とコロナの時の怪しい注意書きがまだ貼ってある。コロナの主たる感染要因は飛沫感染と名付けられた空気感染だったはずだ。排泄物からウイルスが飛散するというのは正しい情報だったのか?
コロナの3年間で色々な医療従事者が、あるいは医療のど素人が怪しい説を唱え、おまけにそれをメディアが煽り「誤った常識」を刷り込んでいた。あのコロナの女王は今頃何をしているのだろう。
それが、コロナが落ち着いてから誤情報の訂正をしないまま、いわゆるデマ、嘘、インチキが今でもそのまま残っている。トイレにあったドライヤーも手を乾燥させる時にウイルスを撒き散らすみたいな変な理屈で使用禁止にされたが、その後、ドライヤー業界が正式にドライヤーの使用は問題がないという旨の発表をしたにも関わらず、駅や商業施設のドライヤーはずっと封鎖されたままだった。

集団免疫なる怪しい言葉も暴走していた。全国民の何割かが感染すればコロナ耐性がつくみたいな話だったが、これまでのコロナ罹患者累計数を統計的に処理して分析したものはいるのか。そもそも統計を弄び危機を煽った医療関係者、学識経験者は何の反省もしていないのではないか。

コロナ恐怖で視聴率を稼いでいた朝の番組(テレ朝系)は、一度しっかりした分析をして上で自分たちが虚報に近い情報操作をした可能性を反省し総括して欲しいものだ。まあ、やるはずもないか。社内事件ですら隠蔽するテレ朝だからなあ。親会社は謝罪記事でも自分たちの正当性を叫び開き直る新聞社だし。

ちなみに最近では大型商業施設、店舗入口の消毒用アルコールも撤去が進む。どうせ、社内で無駄なコストをカットしろという勢力がいて、安全安心は後回しにしても良いと思っているのだろうと邪推している。

街を歩く

春一番の闇

札幌郊外のベッドタウンというべき街にプロ野球のホームスタジアムができて一年がたった。週末のデイゲーム開催日には、この駅構内に溢れる人で通行が難しくなり、電車に乗り遅れそうになる。ただ、試合のない平日の夕方となれば人通りもめっきり少なくなり夜8時を過ぎれば駅構内には柵が巡らされ、24時間営業を標榜するコンビニも閉店する。この会社は加盟店と営業時間でよく揉めているので、電車が運行している時間は店を開けていろよと言いたい。

ちょっと特別感のある味噌ラーメン

その駅近くに一軒のラーメン屋がある。昼には席待ちの客がいるくらいの人気店だ。駅から歩いて行ける距離にあるほぼ唯一の飲食店というか、ラーメン店と言っても良い。実は数万人の観客を集めるスタジアムがある拠点駅ですら飲食店が営業できないほど、北海道の街は体力がなくなっている。
原因は明らかで、公共交通機関を使って移動する人数が足りないのだ。朝夕の通勤時にはそれなりに利用者がいる。ただし半分は学生、それも高校生が多い。成人すると、皆自動車を使った移動が中心になる。当然、食事をしに行くにも車移動で駐車場があるところを選ぶ。
これが、人口200万人を超える政令都市周辺で起きていることだ。日本全体で考えれば、鉄道不要論がもっと前面に出てきても不思議ではない。
確かに感覚的には、国内旅行をする時でも交通手段はレンタカーと考えるようになった。最近、あえてバスや地方鉄道を使った旅をしようと各地の時刻表を調べてみると、運行本数が驚くほど少ない。実用的に使えるとは言えない。ほとんどアメリカで旅行している気分になるのだ。
お江戸周辺で暮らしていると、その辺りの交通事情みたいなものが感覚的に鈍っている。だから、旅先で飯の場所にやたら困ったりもする。駅前に食堂がない場所が多くなっているからだ。

ただ、車で移動しているとどうしてもできないことがある。それは一杯のラーメンを食べながらチビチビとビールを飲むという悪徳だ。ぐびぐび飲むのではない、チビチビだ。ラーメンを啜り、次にビールを一口。そしてスープを飲んで、またビールをちびり。見るだけで「オヤジーな風景」だが。

野球を見にくる観客は、駐車場が不足しているので渋々JRを使うらしい。昨年は初年度ということもあり我慢していたようだが、今年からは不満が一気に吹き出しそうだ。個人的には、みんなJRとシャトルバスを使って、行き帰りには地元の食堂で一杯やってほしいと思うのだが、そもそもその受け皿の食堂がないのだよね。北広島市の政策は、何ともチグハグなのだな。

食べ物レポート

好物だけ食らう寿司屋

サバ巻きが食べたくて、回転寿司にいった。このサバ巻きという不思議な巻物はどこの店にでもあるわけではない。北海道を代表するハイパフォーマンス回転寿司屋各社でも、サバ巻きを置いているのは一つだけだ。全国チェーンではお目にかかったことがない。これだけを5皿食べて帰ってるという荒技に出るのは、何とも店に申し訳ないので、一応は客としてあれこれとバランスよく注文しなければと思う。しかし、本音で言えばサバ巻5皿食べてささっと帰るのが良いのだが……………

追加の一皿は、このアマだれのついたイカゲソが好物なのだが、お江戸の場合ゲソがモンゴウイカの時がある。あれはいただけない。やはりマイカの柔らかいゲソが良い。このアマだれ付きゲソも5皿くらい注文したいのだがグッと堪える。
この回転寿司店は、紙に注文を書いて渡す仕組みなのだが、受け取った従業員が注文の品をいちいち全部読み上げる。「カウンター〇〇番様、げそ、アマだれ付き、5皿、ありがとーう、ございまーす」などと復唱されると、こちらは相当に恥ずかしいではないか。これが、ウニ5皿だとちょっと違うかもしれない。ちなみに、ゲソもサバ巻きも、どちらも最低価格品なのだ。美味さと値段は関係ないのだけどなあ。まあ、万人向けのうまさと自分の好みは一致していないからなあ。

そこで、ちょっと見栄を張る感じもあるが「本日のおすすめ」花咲蟹を注文した。これはお高い皿だ。5皿注文しても見栄を張れる。が、数量限定と書いてあるので、それを独り占めにするのはいかがなものかという配慮も脳裏を掠めていくので、一皿に限定する。
花咲蟹はうまい。タラバガニより美味いと思う。ただし、小ぶりなカニで殻も固い。自分で捌くのはなかなか骨が折れる。大抵は指先を怪我する。甲羅のトゲトゲが刺さってしまう。だから、花咲蟹は誰か他人に処理してもらえると嬉しい。
花咲カニを食べていたら、裏メニューである利尻ウニのおすすめコールがあった。カニを食べ終わったら注文しようかと思っているうちに、速攻で売り切れた。回転寿司はその場の勢いで注文しないといけない反射神経ゲーム場になっているとは知らんかった。売り切れの原因はインバウンド客の中に、ものすごい量のウニを注文したやつがいたらしい。うーん、金持ちは迷惑行為をやめてくれ。ウニの買い占めは国際条約で禁止してほしい。

回転寿司も今では政治の場になっているなあ。ちなみに、利尻のバフンウニは、ウニ世界のエンペラーだから、本当に希少なんだよね。

食べ物レポート

かしわ汁のつけそば

高校生の頃から通っている蕎麦屋がまだ営業を続けていることには感謝しなければならないと思う。この店ではもりそば、納豆そば、おろしそばをローテションで食べるだけで、それ以外のものを食べた記憶がない。残りの人生時間を考えるとこれではいけないと、今まで食べてこなかった蕎麦を順番に食べると決めた。その第一弾が、この温かいつゆで食べるつけそばだ。カシワのつけ蕎麦とメニューにはあるが、よく考えるとこれは変形のカモセイロではないだろうか。
つけ汁だけを見ると、「カシワ抜き」のようにも見える。蕎麦を啜る前につけ汁を一口試してみた。当然ながら、このまま飲むには味が濃い。カシワ抜きは熱い蕎麦つゆベースだから比較的薄味でそのままのめる。基本的につけ汁は冷たい蕎麦ベースなのでとても味が濃い。その違いはあるが、感覚的にはカシワ抜きに近い味がする。

これはなかなか美味いものだ。お値段は上の方のメニューだがなぜ今まで試したことがなかったのだろう。そういえば、天ぷら蕎麦もまだ食べていない。カレー南蛮も食べてみたい。この店独自メニューのカニセイロというやつもある。鮭チラシなどという北海道仕様なセイロものもあったような気がする。いかん、時間が足りない。一回行ったら2食食べることにするか。

これまた面倒くさい問題が、人生の後半で発生したものだ。

食べ物レポート

ういろう 西のもの

テレビの旅番組を見ていて、山口県の土産物特集で気になったものがいくつかある。そのときに鮮烈な印象を受けたものが、「ういろう」だった。ういろうといえば名古屋名物みたいな印象があるが、山口のういろうはちょっと違うぞと力説されていた。その違うぞという記憶だけが残っていて、その違いが何だったのか覚えていない。
そこで今回は「山口ういろう」を手に入れようと気合を入れてみたのだが、実物を見てしまうと何だか気が漏れていく。
というのも、この山口ういろうの有名商品らしきものは、コンビニでもスーパーでも売っていた。日常食とまでは言わないが、県内では肉まん、あんまん程度の普通な食べ物らしい。

名古屋のういろうは羊羹サイズで売っているものが多いが、山口ういろうは一口サイズのようだ。確かにこれは食べやすくてありがたい。

開封してみたら、どうも見慣れたルックスではないか。ちょっとなめらかというか透明感の強い羊羹的な見え方がする。食べてみると、硬めの水羊羹っぽい甘さ控えめなものだった。うーん、これが名古屋ういろうとどう違うのか、よくわからない。
知識が足りないと「食品」の理解ができないという典型例だった。事前に研究しておかないといけない土産物らしい。先入観がありすぎると評価が変わるが、先入観がなさすぎると評価ができない。これまた、何とも貴重な経験だった。

ちなみに地域名物のヒット商品は、意外と他産地の名物のコピー品であることが多い。お互いにコピーし合っているせいか、オリジナルの地があやふやになっていることもある。


ういろう萩の月と鎌倉カスターはどちらが最初なのだろうみたいな疑問だ。あのふわふわ系洋風まんじゅうは全国各地で増殖、繁殖、進化を繰り返し、今や亜種、発展種が百花繚乱状態だ。それと比べれば名古屋ういろうと山口ういろうは、ほぼ兄弟みたいなものだろう。もう少し研究してみるか………と思ったがやめておくことにする。たべてみてあらためておもったのだが、自分はそれほどういろう好きではないらしい。

旅をする

あこがれのブランド

札幌のメインストリートから外れたところにひっそりとある

まだスノーブランドが毀損されず、世の中の憧れだった頃、一度だけ女性とこのパーラーに行ったことがある。まだ先代の店が駅前通りにあった頃だ。その女性の高校入学のお祝いに食事を誘ったら、パーラーを指定された。彼女曰く、一度で良いから大きなパフェを食べてみたかったのだという。
何となく敬遠していた洋風甘味処であるが、やはり予想通りというか、客のほぼ90%(多分、もっと高いかも)が女性だったので気後れしたのを覚えている。そのときは、確か普通サイズのパフェを頼んだような気もするが。
その店が現在地に移動した。コロナになる直前に一度、勇を鼓して一人で入ったことがある。時間は午後4時、一番客が少ない時を見計らってだ。チョコパフェの研究をしていた時期で、やはりアイスっクリームの本場で、本物のアイスクリーム屋を試すべきだろうという思い込みだった。ありがたいことに女性客はゼロ、なぜか中年男性客が二人という記憶がある。甘い物好きに性差はないのだなと、妙なことを思った。

かの女性が注文していたのは、これより二回りほど小さいものだった。それでも、このサイズのものが全部腹の中に収まるのだろうかと、思わず疑ってしまう大きさではあった。サンプルケースに入っているこの巨大パフェは、どう考えても一人で食べるものではないだろうと思う。

ちなみにショーケース上段にあるのが普通サイズだ。下にある巨大製造物は一体何人で食べるものなのか見当もつかないが、とりあえず値段はついているので頼む人(グループ)はいるのだろう。事前予約が必要とも書いていないので、ふらりと来てこの巨大なケーキの様な物体を制覇する者もいるのだろか。
次に来たときは、せめて上段にある一つくらいは注文しようと思うのだが、流石に専門店だけあって、パフェのお値段はファミリーレストランのステーキよりお高い。ちょっと気合を入れないといけない値段だが、せめてフルーツパフェは一度でいいから食べておきたい………

街を歩く

美唄焼き鳥

ひさしぶりに美唄焼き鳥の店に入った。多分、3年ぶりくらいだろう。最後に入ったのはコロナの自粛直前で、店内には客がほとんどいないという感じだった。
それが、今回は「予約はおありですか」と最近よく聞かれるフレーズで、まず入店を防御される。予約なしの客は入れないぞという意思が強く見える。
そこでこちらも、予約なしで二人だけど……………と押してみる。帰ってくる返事はカウンターで良ければという強気なものだ。客がいなければ「お好きな席にどうぞ」と言っていたものだ。今ではテーブル席が空いていてもカウンター席を押し付ける。この辺りの、客の入り状況に合わせて接客応対を変えるというのが、嫌われる飲食業の原因だろう。少なくとも客の足元を見た対応をするのは、よく通ってくる客ほど見抜くものだ。
ちなみに、この美唄焼き鳥の店だけがそういう下手な対応をするわけではない。少なくとも、札幌圏全体ではどの店に行っても似たようなものだ。コロナ前後で比較して、明らかに接客応対の技術が低下している。やる気も……………落ちているらしい。


お江戸でも老舗と言われる店の一部を除けば、似たようなものだから仕方がないと諦めるしかない。だらしない対応しかできない店が増えたのは、優秀な店長や店舗スタッフを、コロナの時に切り捨てた経営者の責任というしかない。飲食業、外食業の経営者は記憶力に重大な欠陥があるらしく、苦境の時に学んだことをすぐに忘れる。おそらく脳内メモリーが2kくらいしかないのだ。

さて、最初に頼んだのはラーメンサラダた。北海道ではもはや居酒屋の絶対定番と言って良いが、いまだにラーメンサラダと野菜たっぷり冷やし中華の違いがわからない。この皿ではラーメンの麺が野菜の下に完全に隠れているというステルスバージョンだった。見た目では野菜サラダというのは、盛り付けとしてどうだろう?
ちなみにラーメンサラダはビビンパのように、上下をぐしゃぐしゃに混ぜて食べるものだと思うので、こういう平皿よりはサラダボウルのような混ぜやすい容器にしてもらえるとすごく嬉しい。

美唄焼き鳥は鳥を捌いた部位、内臓肉も併せて一つの串にミックスしてさしてある。一口ごとに味が違うといえば良いのだろうか。開店前の串打ち作業を効率化(サボりやすくした)したという点で画期的だ。
よく焼き鳥屋で盛り合わせの皿を注文して、それを串からハズしてバラバラにして食べるという方がいる。食べ方は人それぞれなので強制はしないが、違和感を感じることもある。つまり、バラしてしまうと「嫌いなパーツ」が混じり込んでしまうことだ。例えばレバーやモツは嫌いという人は、相当注意して各ピースを確かめなければならない。色々なものを少しずつ食べたいというニーズもあるのだろうが、この辺りは居酒屋の使い方みたいな定番ルールがあるわけでもなく、何とも難しい。似たような居酒屋あるあるをあげると、鍋奉行、焼肉奉行のような料理を仕切る人たちのこだわりだろう。鍋奉行Aと鍋奉行Bがたまたま同じ席にいたりすると、仕事の関係も含めた暗闘が始まる。居酒屋のメニュー選択は、時には争いを生み出す「武器」にもなる。気おつけましょう。


ちなみに、仕事で会食をするときは、そう言った面倒臭い問題が発生しないように、絶対的に「コース料理」、それもシェアしないものにする。だから、仕事飯で鍋料理など論外だ。どうしてもということであれば一人前仕たて鍋にしてもらう。

そう言った面倒臭い考えをしなくて済むのが美唄焼き鳥だ。理屈から言えばどの串を食べても違う味だし、シェアする必要もない。
金曜の夜の焼き鳥屋は大繁盛だった。コロナの時の厳しさを知っている従業員もいないだろうし(大半が首斬りになったハズだ)、またバブルの時のように横暴な接客が横行する時代が来たらしい。バブルの時期は飯を食べに行くと不快な思いをすることが多く、一時期は弁当を愛用していた。そんな、気が萎える嫌な時代がまたくるらしい。そこまではあと一息か。やれやれ。

街を歩く

桜と野菜炒め

桜の季節になると、晴れた日であれば2kmほど散歩して大きな公園に桜を見に行く。昔はビールを買って花見酒などと洒落込んでいたが、ここ最近はノンアルでふらふらと歩き回るのが良いと思うようになった。
お天気が良ければ、そんな桜散歩を何日か続けることができる。朝に行ったり夕方に行ったり、時間を変えれば光の差し方、光線の具合が変わるので、何度でも桜を楽しめる。ひらひらと舞い散る桜吹雪の中を歩くのも、これまた別の楽しみだ。

うまいのだが 春っぽいかと言われると

そして、その桜の季節に、春らしさをほとんど感じさせないのが「我が愛しの満洲」の凄さだろう。青菜と卵の炒め物は、ここ数年続く春先の季節商品だ。確かに青菜は早春に旬を迎えるものも多い。が、春をイメージするにはどうなんだろうねと思う。
最近では満洲の味付けがどんどん薄味になってきているので、野菜の味ははっきりわかるが、これは行き過ぎると家庭料理と違いがなくなるのではないか? 強い火で一気に煽るという「料理屋の中華料理」の顔が見えにくくなってしまうのが気にかかる。たっぷりのキクラゲは、個人的に嬉しい。厚めのにんじんも好みだ。ただ、これはクックドゥで作る野菜炒めとの差が……………

安定の味の味噌ラーメンと思っていたら、今回は味が薄い。いや、調理がブレたというより味付けを薄く変えたのかもしれない。確かに満州の客層は、平日を見るとすっかり高齢者施設になっている。独居老人が昼に集まる場所と言われても不思議ではないくらいだ。それに対応したメニュー変化・レシピー調整だとすれば……………

初めの頃はほとんど注文する客がいなかった「白飯・玄米」選択の玄米指定だが、最近では玄米を頼む客が目立つ。おまけに炒飯を玄米で頼んでいたりする。それを耳にすると、玄米の炒飯とはどんな味になるのか、などと気になってしまう。
何だか満洲は「餃子屋」から違う世界に飛び立とうとしている気がする、今日この頃。

食べ物レポート

ラーメン屋のチャーハン

札幌駅周辺でラーメンを食べようとすると、この時期は意外と大変だ。札幌駅の改修工事に伴い駅近の施設が一斉に閉まっているため「飲食店不足」が発生している。それに便乗したかのように、普通のラーメンが1000円越えになってしまった。
大通り周辺の繁華街に残るラーメン店は、何とか1000円の壁を超えないように頑張っているが、札幌駅周りの店は2030年くらいまで続く無競争状態を利用して、ぼったくりをするつもりらしい。
そんな環境でありながら、老舗のラーメン店は極端な値上げもせずに相変わらずの人気ぶりだった。この店のラーメンは自分好みのもので毎回利用しているのだが、ずっと気になっていた「チャーハン」を食べてみることにした。
確かに、この店の客の何割かはラーメンではなくチャーハンを注文している。サイドアイテムとしての半チャーハンが人気ということではなく、フルメニューの「チャーハン」が人気なのだ。

世の常識的な丸い小山のチャーハンをイメージしていたのだが、全く違うルックスで登場してきた。紅生姜の赤が鮮烈だが、見た目は極々普通だった。ただ、よくみると飯粒が油ぎっていない。油でベタついた感じはしない、サラッとした感じに見える。
食べてみたら、口の中で米粒がハラリと広がる。油に塗れた米団子を食べるような感じではない。舌触りもサラッとしているし、塩味も控えめだ。なるほど、これを単品注文する客が多いのが理解できる。
ただし、当然のことながら食べ続けると、味の単調さに飽きがくる。チャーハンの難しいのは最初の一口と最後の一口まで同じ味であることだ。つまり、舌の興奮状態が続かない。ラーメンと半チャーハンが人気なのは、互い違いに食べることで味変をして、炒飯の単調さを補うことにある。というのであれば、チャーハン単品を食べるとき、どういう味変で凌ぐか?という方法を編み出す必要がある。。ただし、体には良くない禁断の術だ。

チャーハンを半分くらいまでワシワシと一気喰いする。ドカ食いする。そして、腹の満腹中枢が働き始める前に、ビールを注文し軽く飲む。アルコールが胃を刺激するのを期待するわけではない。ここで気分を変えて、チャーハンをつまみにビールを飲むモードにする。気持ちの切り替えだ。
意外とチャーハンは酒のつまみとしてよくできている。適度な油分と塩気がある。少量ずつスプーンで掬って食べる。舌がチャーハンの味にだれてきたらぐびっとビールで押し流す。舌がリフレッシュされたら、また炒飯味を楽しむ。あとはこのループを延々繰り返すのだ。

他人様にお勧めできるやり方ではないが、怠惰な午後を過ごしても良いと思うときには、チャーハンとビール、意外と楽しい。ただし、食後はとてつもない眠気に襲われるのも間違いない。「混ぜたら危険」な炒飯&ビールランチであります。

街を歩く, 食べ物レポート

春のちゃんぽん

世間では大型連休の真っ最中だが、我が人生ではもはや週末、連休とは外出を避け(混雑しているので)家で大人しくしているものとなった。だから、全くウキウキしない。逆に早く終わってくれないかなあなどと思うようになった。人生も時期によって過ごし方は変わるものだとおもいしらされる。

多すぎると、ありがた迷惑的になってしまうコーン・マシマシ

さて、ちゃんぽんの全国チェーン店に、たまたま続けて行くハメになった。どちらもフードコートの店で、ラーメンを食べようとしたらラーメン店がなくなていたり、凄まじい行列ができていたせいだ。
これを業界用語(笑)ではセカンド・チャンスという。例えばフードコートで大人気のラーメン店(他の業態でも良い)があり、そこでは待ち時間が30分かかるとする。すると、そこに「待たずにすぐ買えるラーメン店」を出店すると、まさに漁夫の利を得て、そこそこ繁盛するというものだ。超繁盛店のおこぼれをもらうコバンザメ商法と言って良いかもしれない。今回のちゃんぽんは、まさにそう言った利用動機で食べることになった。何が何でもちゃんぽんが食べたいという、エッセンシャルなモチベーションが(ちょっと偉そうにカタカナ連ねてみました)存在したわけではない。


個人的にはちゃんぽんが好きだし、このチェーン店もよく利用している。だから商品に文句はない。だが、今回の春向け商品はちょっとすごかった。
たまたま「味噌味ちゃんぽん」を食べたことがなかったので試してみようと注文してみたのだが、従業員が「あと〇〇円で、コーンたっぷりの季節商品になりますよ」とセールストーク。マニュアルに忠実な良い従業員だ。基本的にセールストークは断らないことにしているので、言われるままにコーントッピングの味噌ちゃんぽんに変更した。
そして、手に入れた商品を見て絶句する。ビジュアルが……………凄すぎる、黄色すぎる。おまけに食べてみたら、味噌の味がしない。普通のちゃんぽんと違う味だということはわかるが、何だか思っているものと違う。とんこつラーメン店ではよく起こる現象で、スープと味噌のバランスが取れないことが多いようだ。どちらも主張の強い味噌と豚骨スープがケンカしているというところだろう。
おまけに、コーンが多すぎて食べるたびにコーンの味が混じりこむ。騙されたとまでは行かないが、ちゃんぽん世界の北の果てに飛ばされた、みたいな気分になった。

おそらくこれが、ちゃんぽん界の全国標準

次の機会には、真っ当なオリジナルを注文しようと、ちゃんぽん(並)、何のサイド追加もなしで頼んでみた。食べてみれば、ああ、これぞまさにちゃんぽん的な安心感がある。
ただ、どうもコロナの時期にあれこれと商品改良をしてテイクアウト対応可能にしたせいか、何とも言えない違和感というか微妙な味の違いを感じる。これは物理的な変化というより、情報を入れたせいで味の判断に予断が入っているということかもしれない。たとえばスープの温度は同じであっても、油を変えると舌にまとわりつく感じが変わるので、熱さぬるさの判断が変わってしまうみたいなことだ。炒め油にしても動物油と植物油による味の違いは、そんなところに出てくる。
食べて感じる熱さや温度は物理的に変化がないのだろうが、舌が感じる体感温度みたいなものは異なる。だから、知識や情報が味に影響するというのは、些か悲しいものがあるのだが、それも脳の機能というものだ。職人がフライパンを振る調理法と、専用機械で均一に加熱する自動調理の間には、やはりまだまだ差があるらしい。
それでも機械化された方が、出来上がりのブレが少ない。職人芸に至らない素人もどきが作る素人芸(不味い商品)にぶち当たるよりは機械が作る一定品質の方が数段上だろう。


最近では我ながら呆れるくらいなので、もう少し事前の情報を無視して、単純にうまいまずいで物を食べた方が、人生幸せな気がする。

春の桜を見るたびに、あと何回桜を見ることができるだろうと思い始めたらジジイらしい。(ババアの定義はちょっと違うと思うし、よくわからない)今年の桜を見ながら、うまいちゃんぽんの未来に思いを馳せることになったが、それは残りの人生の過ごし方としてあまり面白いものではないような気が……………