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街を歩く, 食べ物レポート

歌舞伎町 ハーレムナイト

やはり歌舞伎町は、ハーレム な感じがする

歌舞伎町タワーは昨年の話題を攫ったものの一つだろう。旧新宿コマ劇場前の広場を取り囲むように幾つもの高層ビルが出来上がったが、このビルほど賑やかしいものはないと思う。極めて歌舞伎町的でにぎにぎしい。
このビルの前に、いわゆる「キッズ」グループが屯しているのだが、どうらや公的機関が排除活動を始めたようだ。西新宿に多数集まっていたホームレスを排除したのと同じ手法だから、この先は簡単に予想がつく。広場は常設イベントスペースになるようだ。

初めて入ったが、自分で衣をつけて自分で揚げるセルフ串揚げは面白い

そんな歌舞伎町で、なぜか男二人でセルフの串揚げ食べ放題店に入り忘年会をすることになった。忘年会繁忙期を避けるために予定していた11月の飲み会が、何度かリスケになり、結果的に12月の中旬という忘年会ピークに合わせて歌舞伎町で酒を飲むことになった。周りにいる客はほとんど忘年会だったし、歌舞伎町なので外国人客も次々とやってくる。なかなか気忙しい。

イカがうまかったが、小さすぎるぞ

串に刺されている具材はどれも小ぶりなので、とりあえず10本くらい取ってきて揚げてみることにした。セルフ方式なので「安全安心」を心がけ、野菜あるいは加熱調理品だけにしようと思ったが、エビの串刺しには心を揺さぶられつい何本か取ってしまった。

タコさんウインナーの意味はなんだったのだろう

元・唐揚げ屋のくせに(笑)、ちょうど良い上がりのタイミングが読めない。適当に引き上げてみたら、どうも揚げ時間が長すぎたようだ。その次には早めに引き上げることにしたら、今度は生揚げだった。
スマホを使ってタイマー管理でもした方が良いかと、ふと昔の職業意識が芽生えるが、所詮飲み屋のつまみだし、そこまで気張るのもなんだかなあ。あっさり諦め適当に揚げることにしたのだが、なんとみるみる揚げ方が上手になっていくではないか。揚げている途中のジュワジュワいう音で揚がり具合がわかるようになってきた?らしい。

ソースは典型的な中濃ソースと梅味のものを選んだが、当然のようにチーズ味のソースもあった。今や平成世代にはチーズ味は鉄板なのだ。串揚げに飽きるとカレーライスも食べられるし、デザート類も並べてある。お口直しにアイスクリームも食べられる。
ただ、これを満喫するには、おそらく二十代の体力と揚げ物大量摂取に耐えうる油耐性が必須条件だ。おまけに、飲み放題をつけても「油負け」するので酒も飲めなくなる。年齢的には全く不適な選択肢だった。

やはり歌舞伎町は厳しい先生なのだ。幾つになっても教育的指導を与えてくれる。くそ、だから歌舞伎町で飲むのは嫌なんだ。これも、幾つになっても学ばない自分が悪いのだけれど。

旅をする

高知の駅でプチ観光

高知空港についてt到着ロビーに出ようとしたら、すごい看板を見つけてしまった。自慢は味だけと言われてもねえ。意味深すぎて笑ってしまう。味に自信はあるのだろうが、それ以外がダメだとしたら「接客」が無愛想なのか、店が汚いのか、値段が高いのか………
外食業界の鉄の掟、QSC+Vの手順であれこれ考えてしまった。ただ、これはぜひ確かめに行ってみなければと思うのだから、広告効果は抜群だ。問題はお店ではなく、ひろめ市場が朝から夜まで満席続きということだ。平日の朝早くにでも行かない限り席を確保できない恐れがある。

その後、高知駅行きのバスに乗り込み移動開始で、高知市内中心部の交差点に近づいた。かの有名なはりまや橋が見えてくる。写真左側に柳の木があるが、その木下に見える赤い部分がはりまや橋だ。橋の長さは5mほどか。下を流れる川幅は2mくらい。小川にかかる丸木橋程度で、よほど注意していなければ見過ごしてしまう。
高知市内に電車が走っていない頃はもう少し目立つ場所だったのかもしれないが、いまではゴーグル先生のナビに従ったとしても見過ごしてしまいそうな「かわいらしい」名所だ。

高知駅前に着くと、かなり立派な観光施設兼案内所がある。その壁に描かれているお言葉が妙に引っかかる。確かに、高知県は全県あげて「龍馬推し」だ。龍馬以外にも高知県の名士はいると思うが、その扱い方比率が龍馬95%、それ以外はまとめて5%くらいの感じがする。
高知市内を車で走っていても企業名の入った看板を見ると、龍馬〇〇株式会社が軒並み並んでいる。高知〇〇株式会社よりもはるかに目立つし、多いような気がする。龍馬ラブの街だといっても良いだろう。
もはや高知に殿様がいたことすら忘れられているほどの、龍馬限定都市だ。

それでも駅前には、龍馬の同志であった(多分)お二人が、龍馬先生の護衛をするように並んで立っている。明治の民権運動を率いた板垣退助や東京都の開発を進めた後藤象二郎などは、お供にも加えてもらえないらしい。まあ、この3人は全員殺されてしまったから悲劇のヒーローという扱いなのかもしれない。

そして、この3人をスマホで写真に撮り観光案内所で見せると、記念の絵葉書がもらえるという素晴らしい企画をやっていた。おお、まさにこれはスマホ時代の販促活動だよ、考えた人偉いなあ。と、感心して終わりにしないで、きっちり写真を撮って絵葉書をもらってきた。ありがとう、観光協会の皆さん。

そのついでに施設内にあるポスターの展示を見ていたら、青春18きっぷのポスターがあった。高知県の駅が対象だったせいだろう。今年の夏ポスターだった。青春18きっぷ愛好者としてはなんだか嬉しい気分になる。

それ以外にも、高知県のイベントを宣伝したポスターが展示されていた。この観光ポスターをまとめて見比べてみると、予想以上に高知県デザイナー(多分)のレベルが高いことがわかる。上手いし綺麗だし素晴らしい。展示に選ばれるのだから当然レベルの高いものばかりなのだろうが、高知市の文化レベルというか感性の高さが現れているようだ。
こういう素晴らしいグラフィックデザイナーが存在しているのであれば、一度一緒に仕事をしてみたかったものだなあ、などと昔の仕事を思い返してしまった。
高知駅前で現代美術館にきたような気分になってしまう、プチ駅前観光でありました。

旅をする

備前国一宮は山奥だった

一年の初めは神社の話というのがよろしいかと思い……………

石上布都魂神社(イソノカミフツミタマジンジャ)は難読漢字だと思う。一ノ宮には難読漢字のものが多いが、神社というものは古来からお祀りされてきているので仕方がない。
難しい漢字を使いながらなんとなく漢読みで読み解ける「お寺」とは違い、神社や神様の名前は当て字で書かれていて、読み解くことが難しいせいだ。これも、古代日本に漢字が輸入されてしばらくしてカナが発明されるまで「漢字」を表音文字としても使用したせいだろう。
この神社は備前国一宮として祀られているのだが、備前国は岡山県東部、岡山市周辺の地域だ。そして、この神社の所在は岡山から津山(美作国)に抜ける国道から離れた山の中にある。ただ、今の国道から離れているとはいえ、古代にはこの辺りが中国山地と瀬戸内を結ぶ主街道だったのかもしれない。

不思議なのは、備前国には瀬戸内海側にもうひとつ一ノ宮があることだ。そちらは主神が吉備津彦であり、こちらは素戔嗚が収めた神剣であるという。吉備津彦と素戔嗚という中国地方の二大勇名神が南北に対峙する構造のように思えるのだ。
この辺りは古代日本神話の裏側にある大ロマン地帯だ。個人的には、こう考えている。出雲を平定したスサノオが、次の侵攻地を吉備国に定めて吉備國北部から瀬戸内に押し寄せた。その攻防戦の前進基地がこの神社周辺だった。吉備出雲戦終了後、吉備国の首都にあった吉備津彦神社(たぶん、名前は別)を一ノ宮として残し占領政策(治民)とした。ただし、反乱を抑え込む軍事拠点としてこの神社はスサノヲの名の下に軍政を敷いた。
みたいな妄想をすると、古代の歴史と神社の由来が重なり合う。これぞ神社詣の楽しみだ。あくまで個人的な妄想ですよ。

などと上古の大戦に思いを馳せながら山道を上がっていくと、嫌な気配がする。ここまでもそれなりに上り道だったが、坂の下に竹の杖?らしきものが置いてある。志摩国の一ノ宮に行ったとき、とてつもない山登りの道があり苦難を極めた。そこにも杖が置いてあった。危険だと脳内で記憶が訴えている。前日も山登りをしていて、足はパンパンだ。しばし立ち止まり考え込むが、登るしかない。仕方がなく、手頃な太さの杖を手にした。

拝殿に行くまで何度か立ち止まり息を整えるほど急坂だった。岡山県のお城や神社は山の上ばかりで、すっかり岡山県が嫌いになった。拝殿前にたどり着いた時には、足がブルブル震えていた。ただ、杖はとても役に立った。次からは城・神社巡りをするときには、用心のため折りたたみの杖を持って歩くべきだと決意した。
四国で金毘羅様をお参りに行った時に、2度と山登りをする神社にはいかないと誓ったはずだが、どうもそれは叶わぬ誓いらしい。同い年で山登りを趣味にしている友人の顔が思い浮かぶ。ただただ尊敬するしかない。

拝殿の横には、なんといえば良いのか不思議な建物があった。中には自動販売機が並んでいた。御朱印、お札、お守りは全て無人での提供(販売)だった。どうやらコロナ対策らしいのだが、もう五類に移行しているのだからこんな厳重にしなくてもという気がする。
ただ、自動販売機を導入してしまったので投資回収をする必要があるのかもしれない。神社も人手不足で悩んでいるのかな。神社も経営改革が必要な時代らしい。とりあえず自動販売機を拝みながら御朱印を頂戴(購入?)した。そのあとベンチで休憩。

拝殿の横が社務所で人の気配はするが、姿は見えずだった。社務所脇から本宮に行く道がある。本宮まで行くかどうかを迷っていたら、案内札に本宮まで10分と書いてある。これをみた瞬間断念した。この10分というのは健康な若者向けの標準時間であり、よろよろとしか登れないオヤジにとっては倍くらいの時間がかかるはず……………
決して挑戦してはいけない高い高いハードルだ。筋肉がパンパンになった足を引きずり山登りをするのはなんとかなっても、帰りの下りが危なすぎる。杖を頼りに帰り道についた。神への道は辛くて遠いのだな。

駅弁

年忘れは駅弁で 釜飯

今年の締めは好物の駅弁の話にしよう。初めてこの釜飯を食べたのは、長野に新幹線が通る前に特急で長野に出張した時のことだったような記憶がある。ホームに降りてこの釜飯を買ったはずだが、あまり定かではない。
その後、ひょんなことからこの会社の創業者一族の方とお話しする機会もあり、色々とビジネスの話も伺ったのだが、これもまた記憶が定かではない。
以来機会があればこの釜飯を賞味しているのだが、何度食べても飽きることがない。駅弁としては究極のバランスが取れている商品なのだろう。

コロナの時期に、釜飯の釜の供給が止まったため、パルプ製の容器に変わっていた時期もあったようだが、今ではまた陶器のものに戻っている。使い捨て容器でも販売されているので、買う方の好みでどちらかが選べる。
自分は野外で遊ぶときに、この土釜で飯を炊くのが好きなので陶器製のものだけ注文している。何度か使うと壊れてしまうという話もあるが、そうそう壊れるものでもないようだ。某調味料メーカーの釜飯の素を使い焚き火の上に釜を並べて炊き上げる自家製釜飯は、家族に人気の料理だった。

一度テレビ番組で釜飯工場の内部が放映されたのを見たが、この土釜で炊き上げているのではないようだった。大きなチューブでニュイーっと炊き上げられた味付き飯が釜の中に押し出されていき、その上にトッピングが順番に乗せられていく。その光景を見て、ヘーっと思ったがよく考えると一つずつ炊き上げていたら、いったいどれだけ長いラインが必要になることか………
でありながら、やはり釜の蓋から吹きこぼれる・・・みたいな絵柄を想像していたので、ちょっと残念な気持ちになった。
Do it myself の精神で、土釜で炊き上げる飯については自作することにしている。焚き火で炊き上げると、土釜の縁から吹きこぼれた出し汁が黒く焦げ付く。それが、まさに炊き上げた感を漂わせるのだ。
ただ、食べたあと焦げついた焼き跡を洗うのは相当に手間がかかるのだが。美味いものを食べる代償は労力で支払わなければならないということだ。
実は、この釜飯についてくる小さな漬物セットが大好物で、自作の釜飯の時にはその漬物セットがないのが実に残念の極みだ。わさび漬けに小梅と野沢菜という組み合わせは至高のサイドアイテムであり、駅弁業界の至宝だろう。
新年になれば新宿の百貨店で恒例の駅弁大会が開かれる。そこでまた釜飯を買い込むことになりそうだ。

食べ物レポート

うますぎるパン 岡山編

岡山で街歩きをしていたら、繁華街のアーケード商店街の中に大きなパン屋があった。ご当地パンがないかと入ってみたら、ありました。まさにドンピシャだったと自分を褒めたくなったくらいだ。
コッペパンの中にクリームやフィリングを詰めたものが名物シリーズらしく、〇〇ロールという名前だった。おそらく一番人気は「バナナクリーム」なのだと思う。そこから派生して、お惣菜パン的な「高菜サラダロール」とか「福神漬けサラダロール」が生み出されていったと推測したのだが。翌日の朝飯にでもしようと、良さげな3種類を選んでみた。
パン屋としては営業時間のずいぶん遅くなった夕方だったので、棚の半分以上は空っぽになっていたから、遅くても昼過ぎくらいに来なければ人気パンは売り切れてしまいお目にかかれないようだ。これは後日再訪確定だなと思いながら、営業開始時間を聞くと、なんと驚きの6:30からの早朝営業だった。
岡山のパン屋さんはすごいなと感心してしまった。結局、朝まで待ちきれず夜食にバナナクリームパンを食べたが、これは絶品だ。甘さが控えめでバナナの香りがする。うまい。確か、商品棚にバナナクリームも別売りしていたような記憶もある。これは、マストバイだ。

超絶的にうまい (個人的感想です)

翌朝、福神漬けサラダロールを食べたら、一気に美味さで目が覚めた。カレー味のマヨネーズの中に福神漬けが入っている。シャキシャキの歯触りと、福神漬けから出てくる甘塩っぱさとカレー味のマヨネーズの相性が抜群だった。至高の味(B級部門)といいたい。これを考え出した人は天才に違いない。
なぜ、岡山以外でもこのパンが売っていないのだろうか。あまりにも不思議だ。だいたい経験的にいうと、全国各地のパン屋さんは皆さん研究熱心なので、どこか遠い地方で流行っている有名人気パンの情報を貪欲に入手している。その仕入れた?人気パンを再現しえ販売していることが多い(ようだ)。
要するに丸パクリなのだが、店舗近隣の客にはそれが遥かかなたの行ったこともない見たこともない地域での人気商品だとは知る由もない。だから、「おー、これはうまいパンだなあ」「この店はすごいパンを作ったものだ」と素直に喜んでくれる。パクったもの勝ちの熾烈な世界が、実は街のパン屋さん業界には存在する。
にもかかわらず、お江戸周辺ではこのカレーマヨパンを見たことがない。我がパン屋世界ランキングで、コッペパン部門の絶対キングである盛岡「福田パン」にはカレーマヨメニューがあるかもしれないが、全く覚えていない。多分ないのだと思う。
なぜカレーマヨパンは岡山にしか存在しないのだろう。カレーパンは全国にあるのになあ。

北海道発祥だと思われるちくわパンは、最近全国あちこちで見かけるようになった。お江戸のパン屋でも買えるのだから、ほぼ全国区な商品になっていると考えて良いだろう。
大きめの甘納豆が入った豆パンも、北海道ではほぼ全域でうられているが、北海道以外では四国の一部、静岡の一部でしか見られないローカルパンだった。今ではインストアベーカリーを置くスーパーでは、全国的な標準品になりつつある。
いまだにローカル限定といえば、近江長浜のサラダパンや久留米のハム入りなのにホットドッグといわれるもの、青森のイギリストースト、高知の帽子パンなど有名どころは数多く存在する。が、この岡山木村屋のパンは全く未見だった。(単純に勉強不足だろうと言われても仕方がない)
いまだに食べたことのない、知らないうまいものがたくさんあるのは諦めるしかない。が、いつも思い知るたびにショックを受ける。

もう少しご当地パン屋の研究をしてみようか。

街を歩く, 食べ物レポート

居酒屋 @池袋西口 IWGP

池袋は西口と東口で見せる顔が随分と違う。西口には大劇場があり、その前の公園もイルミネーションで飾りつけられると、どうも異世界感が増してくる。普段の西口のわい雑さはどこに行ったという感じもするのだが、夜は街の顔を美人に変えてしまう。

リアウ昭和がそのまま体験できる「生きた花石」で「生き残った奇跡」

ただ、一本裏通りに入ればそこは当たり前だが厚化粧の美人ではない日常空間が広がっていて、いつもの池袋西口らしい居酒屋がある。この日は長く付き合いのある友人たちと気楽な定例飲み会の日で、ここが会場になっていた。定例飲み会と称して都内あちこちの伝統的居酒屋周りをしている。今回は池袋西口編だった。そして、この店は昭和の空気が連綿と続くThe 居酒屋であり、昭和の絶対空間の生き残りだ。

擬似昭和な飲み屋は大増殖中だ

お目当ての店の横には、大チェーンが運営する二毛作飲み屋の最新バージョンがあった。おしゃれなバーカウンターが売り物だったはずの店が、いまでは暖簾をかけて居酒屋もどきになっている。
どうもこのセンスは、昭和レトロというより文化の揺り返しみたいなものらしい。ミニスカートや厚底ブーツが何十年ぶりにまた流行るみたいなものだろう。当然、昭和を懐かしむジジイを対象にしたものではなく、昭和と江戸時代の区別もつかない若い層向けの新コンセプトだ。昭和のj雰囲気でコンセプトを固めれば、それはもはや怪獣酒場やジャングルレストランと同じ「異空間」を楽しむ場所、テーマレストランの変形になる。そこを勘違いする昭和親父は多いのだが。
どちらにせよ、擬似空間の昭和とリアルな昭和が併存している不思議な池袋西口の光景だ。

まず頼んだのはタコブツとマカロニサラダ。そもそもポテトサラダではなく、マカロニサラダを頼んでしまうのは、我ながら不思議だ。マカロニサラダは炭水化物をおかずに炭水化物を食べるような微妙な肴というかつまみだと思う。マヨとマカロニという組み合わせは、多少なりとも罪悪感を感じさせるヘビーカロリーフードだ。
タコぶつは昔は安い肴の典型だったはずだが、今ではタコはすっかり高級品になってしまった。お気楽に頼める肴ではないのだが。
ダメな居酒屋であれば、細切れなタコが2−3切れしか入っていないこともあり、店によって当たり外れが大きい「困った定番メニュー」だろう。しかし、この店では大正解で、大ぶりに切られたタコぶつだった。タコの存在感がある。えらい。感謝だ。

おかわりの注文も、ど定番ばかりで、オニオンスライスにイカ天Etc. と進行する。いかにもお江戸の居酒屋っぽいものばかりになるが、そもそも目玉商品になるようなご当地名物がお江戸には存在しない。逆に、名物はないけれどドがつく定番があるということか。

最後に注文した煮凝りも、煮魚の残りを気まぐれに出すような店はあるが、メニューにしっかりと載せているところは少ない。自宅でたまにできる鍋の残り物みたいなふやけた柔らかさではない。しっかりとした噛みごたえがあるし、歯応えすらある硬い煮凝りだった。
あまりうまく言えないのだが、この食材の始末の良さみたいなものが、お江戸居酒屋料理なのかもしれない。魚の兜焼きだとか、あら煮みたいなものを食べるたびに感じることでだ。あの手この手で「原料」を使い切る工夫が、うまい物の発明に繋がっている。昭和というより江戸時代から続く、江戸町民の知恵みたいなものではないか。経済都市江戸で生まれた食文化は、その大部分が底辺階級、下級町民向けのものが発祥のような気がする。蕎麦、握り鮨、鰻にどじょうなどなど。貧乏な独身男性向けの立ち売り商売が発祥だと聞いている。お殿様向けの高級料理は、お江戸が京都を越えることができなかった。だが、大金持ちの商人が生み出したお江戸食い道楽は今でも残っているようだ。今ではどじょうもウナギも握り鮨も庶民のものとは言い難いけれど。

そんなお江戸文化論を頭の隅に置きながら昭和な居酒屋を出てみれば、そこには二十一世紀日本の大都市文化が広がっている。池袋西口は本当に不思議空間なのだなあ。

旅をする

枚岡神社にて キャラを学ぶ

ほぼ住宅地にある

クリスマスだが神社の話になる。
近鉄線に乗り小さな郊外駅で降りたらそこが神社の前だった。というより、神社の前に駅を作ったのだから、やはり参拝客の多い由緒ただしき神社なのだ。全国各地にある一ノ宮の所在地は、まず古代の地方中心地、あるいはヤマト朝に征服された古王国の首都付近だったはずだ。
それが中世、近代と時代が下るにつれてその場所の意味合いが変わっていった。依然として経済、政治の中心として残っていることもあれば、中心地が都市ごと移転してしまい一ノ宮は辺境となっていることもある。
そういう意味合いでいけば、この神社は周りを住宅地で囲まれた賑わいのある場所として生き延びた。お参りに来るものも多いだろうから、神様もそれなりに居心地が良いことだろう。
古代の大阪は浅い入江が続く湿地帯だったので、今の平野部は人の住みやすい場所ではなかった。当然、山際に人は集まり住んだからこそ、この場所に神社ができたはずだ。東大阪地域こそ当時の高級住宅地帯だったのだろう。、そこを鎮守するのがこの神社の役割だったはずだ。(多分)

鳥居から続く道はかなりの上り勾配で、その坂を登り切ったあたりに拝殿があった。七五三のお参りに来た家族がちらほらとみえる。晴れ着に身を包んだ我が子を写真に撮っている光景は実に微笑ましい。

神社の入り口にある「縁起」を読むと、古代ヤマト朝が統一事業に取り掛かり、いくつかの大王の治世を経て奈良盆地に王都を打ち立てた時代の先駆けがこの神社であるようだ。やはり古き神社だけに謂れがある。
神社に行きこのような建立の理由が説明してあると、なるほどなあと思うが、実はこの謂れについて語られているのは、いつでも主祭神がヤマト系神族の場合だ。被征服王国の神族の場合は、争って負けたみたいなことでさらりと流されているか、そもそも国神の話が全く語られない。神の世界も厳しい序列と区分があるとは、なんとも世知辛い。

石段を登り切ったところに拝殿があるが、その後ろに広がる山が神域なのだろう。周りは思っていた以上に狭い。諏訪大社の四社も山裾にひっそりと建立されていることに似ている気がした。

お参りを済ませ帰ろうとしたら、屋台が気になった。キャラクターカステラと書いてあるが、これは誰が見てもわかる国民的キャラ「アン◯ンマン」ではないか。これに匹敵するのは、青い猫型ロボットくらいしかいない。それをはっきりと書かずに「キャラクター」と表記するあたりは、現代の知財管理が縁日の屋台にまで浸透したということで、なんとも不思議な気がした。
庶民の知恵というべきか、テキヤの世界の常識なのか。祭りの縁日で売っているキャラクターお面なども同じことだろう。国を治めた神様のお膝元だから、あまり窮屈にしないで貰えば嬉しいなあ。などとおもったのだが……………

そもそも八百万の神様の中には、随分と外国生まれの神様がまぎれていたはずだし、コピーライトを言えば他国から訴えられそうなものだ。天竺生まれで中華帝国経由ならゾロゾロといるからねえ。

食べ物レポート

立ち食い蕎麦を考察 

東京西部に多い 富士そば 朝そばはお買い得 モーニングサービスらしい

立ち食い蕎麦といえば大都市にはどこでもあると思っていたが、よく記憶を辿ってみると意外とそうでもないらしい。北から考えてみると、札幌にはほとんど立ち食いそばが存在しなくなった。今では地下鉄大通駅にある店くらいしか思い出せない。オフィスビルの地下などに数軒あったはずだが、今ではビル丸ごとなくなっている。新しいオフィスビルの地下に一軒立ち食いそばが開いたが、それは酒とそばの二毛作で、どうやら蕎麦は昼専用のおまけらしい。
仙台では路面の立ち食いそばがいまだに現役だ。仙台駅の改札近くには、今でも由緒正しい駅そばが存在する。立ち食いそば界では、明らかに仙台が札幌を圧倒する。新潟ではすでに観光地化した名店「バスセンター」の蕎麦があるが、街中では見た記憶がない。
名古屋であれば新幹線ホームに駅そば(駅きしめん)が威容を誇るが、在来線ホームにもどこかに立ち食い駅そばがあるらしい。これはまだ未見だ。
新大阪では、新幹線構内にある立ち食い蕎麦にたまにお世話になっていた。今回確かめてみたらなくなっていた。その代わりフードコードができていた。記憶が定かではないので、ひょっとすると在来線の方にあったのかもしれない。これは次回、探索だ。
ただ、梅田、難波の繁華街を随分と歩き回ったが「立ち食いうどん・そば」の記憶がない。たぶん、大阪の街のどこかにはあるのだろうが。と思っていたら天王寺の駅入り口で見つけた。やはりちょっとした街っぽい場所には存在するらしい。

天王寺駅のかき揚げ蕎麦

広島でも立ち食い蕎麦を食べたことはない。ただ、アーケード街にあるラー油そばの店がスタンディングだった。が、ラー油そば元祖の「みなとや」も含めて、立ち食いそばとはちょっと違う気もする。今でも営業しているだろうか。これも要確認だな。
下関駅で立ち食い蕎麦を食べたことはある。朝早くからやっている典型的な駅そばだった。やはり、今でも営業しているのだろうか。
福岡ではうどん屋が街中に数多くあるが、立ち食いの店は入ったことがない。博多駅に立ち食い蕎麦の店があったような気もするが、うろ覚えで記憶違いの可能性は高い。
電車通勤者が多くいる大都市圏ではそれなりに生き残っているが、車社会になった地方都市では立ち食い蕎麦屋が生存しずらいのは確かだろう。その代わりに、郊外型の蕎麦屋(ただし立ち食いから座り喰いに変化しているが)をそこそこ見かけるようになった。
どこもコロナ前の記憶なので、今ではすっかり消滅しているのかもしれない。サラリーマンの通勤に特化、依存した業態である「駅そば」の大半は生き残れなかったようだ。繁華街にある簡便な立ち食い蕎麦屋もテレワークが続いていた間に、それなりに店数を減らしたようだ。

立ち食い蕎麦屋はチェーン居酒屋と同じで斜陽産業化しているが、是非生き残って欲しいものだなあ。

旅をする

5分で回る名城巡り

三原の駅に降りたのはこれが初めてだった。空港行きのバスを待つ時間調整のためなのだが、思いがけず長居をすることになった。駅前は全国に多くある地方都市と同じように、ちょっと寂しい雰囲気がある。街の中心は郊外のどこかにあるショッピングモール周辺に移ってしまったのだろう。
この街の名物はタコであるらしいことが駅前広場の看板でわかる。たこめしでも食べてみようか、と言うのがまず第一の感想だった。

駅の改札口を出ると、いきなり目につくのが三原城入り口の看板だ。ここは、おそらく全国でもこの城だけだと思うが、駅構内に城がある。正確に言えば、城の中に駅を作ったと言うことだ。明治期に鉄道の建設が続いた頃、普通は城や城下町から離れたところに駅が作られた。蒸気機関車による煙問題や火の粉による火災を懸念してのことだったらしい。
ところが、なぜか三原駅はお城の敷地、それも多分お堀を潰して建てられたようだ。おまけに、山陽本線に追加して新幹線まで乗り入れている。

駅構内(改札外)の入り口を上がると、目の前に石垣がでてくる。これが本丸の石壁だというから、城の端ではなく城の真ん前に駅を作ったと言うことだ。なんとも凄まじいことをしたものだ。

城壁と駅構築物の間には、ほんのわずかの隙間しか残されていない。新幹線に乗っていては気がつくこともないが、線路のちょっと先には天守台がある。おやまあ、と言う気分だ。明治政府のバカさ加減かと思ったが、昭和の日本政府はそれにバカを上乗せして新幹線まで通した。
ちなみに、駅の先には瀬戸内の海があるが、もともと三原城は海に面した海城だったそうで、つまり駅舎から先は埋立地だったらしい。城の北、山側が狭隘だったことから鉄道も道路も城を押しのけ作られたと言うことだ。

城の周りはお堀が巡らされているが、これも海とつながったもので、海の上に浮かぶように見えた勇壮な城だったようだ。今ではその名残しかない。

駅舎自体がお城の敷地内にあるので、お城博物館のようなものは作ることがなかったようだ。改札の中には’ホームからおりる階段脇)に、城の配置図がある。これは改札を出てから気がついた。改札を出る前にしっかりと見ておかなければいけなかったと思うのだが、それに気がつくのが遅すぎた。

もともとこの地を治めた小早川家は毛利家の一族だが、関ヶ原の時に徳川に寝返った因縁もある。戊辰戦争勃発時も西国の要所でありながら毛利側についたと言うこともなかったようで、明治政府にとっては厚遇する意味もなかったのだろう。
明治政府の狂気を後継した昭和前半の軍事国家日本、そしてその直系後継者である昭和民主日本、どちらも江戸時代の匂いがするものは嫌いだったようだ。文化的に劣るものたちは、先人の成果に嫉妬し憎悪し破壊する。万国共通の蛮族の論理だ。
明治という時代は知的蛮族が率いる、文化破壊と文明断絶の時代という視点で見る歴史家はいないものだろうか。司馬史観などと言って明治礼賛をするのは、昭和の時代とともに終わりにして欲しいものだが。三原城の残骸を見ながらそんなことを思っていた。

街を歩く

年の瀬が迫ってきて

12月上旬に感じる年末感

クリスマスツリーをみると門松を見るより年末感がする。世間的にはクリスマスツリーの撤去された後の門松の方が、年の瀬を感じおさせるのだと思う。クリスマスにとクエ別な思い入れがあるのは、長年働いてきた会社の特性というか強制刷り込みのせいなので仕方がない。今年のクリスマスは今までやったことがないイベントを企んでいるのだが。

その年末感に突き動かされて(笑)味噌ラーメンを食べに行った。深い意味はないが、最近はよく味噌ラーメンを食べ比べている。醤油ラーメンはあまり味の変化がないが、味噌ラーメンは店ごとにまるっきり個性が違うものが登場するので「びっくり箱」を開けるような気分があり楽しい。
いつもの埼玉発ラーメンチェーンでは、関東風のオーソドックスな味噌ラーメンが出てくるが、今回はそれにネギを足してみようと、ネギタワー味噌ラーメンなるものを注文してみた。
そうしたら、ネギが別添で出てきた。うーん、これはなんと評価するべきだろう。確かに、このチェーンは夏の冷やし中華もトッピングは別皿で出てくる。合理的と言えばそうだが、手抜きと言った方が正しい気もする。そのセルフ方式で「ネギタワー」と言われても……………

仕方がないので、自分でタワーを作ってみた。やはり予想通り、タワーは直立しない。ピサの斜塔のように傾いている。なんだか微妙な残念感がある。ただ、自作してわかったことだが、タワーを正しく作るにはそれなりの技術が必要みたいだし、手間もかかる。どうせ食べる時はタワーを崩してネギラーメンにするのだから、別添セルフでも同じだろう、ということのようだ。身も蓋もない、というしかない。上手にタワーを作ったとしても配膳の間にタワーが倒れる可能性もある。
仕方がないかあ。と諦めることにしよう。

チャー酒の代わりに追加で頼んだ焼き鳥も、なんだかパックに入っていたのをそのまま袋から出しました感があり、世の無情を感じてしまう年の瀬であります。