
一年の初めは神社の話というのがよろしいかと思い……………
石上布都魂神社(イソノカミフツミタマジンジャ)は難読漢字だと思う。一ノ宮には難読漢字のものが多いが、神社というものは古来からお祀りされてきているので仕方がない。
難しい漢字を使いながらなんとなく漢読みで読み解ける「お寺」とは違い、神社や神様の名前は当て字で書かれていて、読み解くことが難しいせいだ。これも、古代日本に漢字が輸入されてしばらくしてカナが発明されるまで「漢字」を表音文字としても使用したせいだろう。
この神社は備前国一宮として祀られているのだが、備前国は岡山県東部、岡山市周辺の地域だ。そして、この神社の所在は岡山から津山(美作国)に抜ける国道から離れた山の中にある。ただ、今の国道から離れているとはいえ、古代にはこの辺りが中国山地と瀬戸内を結ぶ主街道だったのかもしれない。

不思議なのは、備前国には瀬戸内海側にもうひとつ一ノ宮があることだ。そちらは主神が吉備津彦であり、こちらは素戔嗚が収めた神剣であるという。吉備津彦と素戔嗚という中国地方の二大勇名神が南北に対峙する構造のように思えるのだ。
この辺りは古代日本神話の裏側にある大ロマン地帯だ。個人的には、こう考えている。出雲を平定したスサノオが、次の侵攻地を吉備国に定めて吉備國北部から瀬戸内に押し寄せた。その攻防戦の前進基地がこの神社周辺だった。吉備出雲戦終了後、吉備国の首都にあった吉備津彦神社(たぶん、名前は別)を一ノ宮として残し占領政策(治民)とした。ただし、反乱を抑え込む軍事拠点としてこの神社はスサノヲの名の下に軍政を敷いた。
みたいな妄想をすると、古代の歴史と神社の由来が重なり合う。これぞ神社詣の楽しみだ。あくまで個人的な妄想ですよ。

などと上古の大戦に思いを馳せながら山道を上がっていくと、嫌な気配がする。ここまでもそれなりに上り道だったが、坂の下に竹の杖?らしきものが置いてある。志摩国の一ノ宮に行ったとき、とてつもない山登りの道があり苦難を極めた。そこにも杖が置いてあった。危険だと脳内で記憶が訴えている。前日も山登りをしていて、足はパンパンだ。しばし立ち止まり考え込むが、登るしかない。仕方がなく、手頃な太さの杖を手にした。

拝殿に行くまで何度か立ち止まり息を整えるほど急坂だった。岡山県のお城や神社は山の上ばかりで、すっかり岡山県が嫌いになった。拝殿前にたどり着いた時には、足がブルブル震えていた。ただ、杖はとても役に立った。次からは城・神社巡りをするときには、用心のため折りたたみの杖を持って歩くべきだと決意した。
四国で金毘羅様をお参りに行った時に、2度と山登りをする神社にはいかないと誓ったはずだが、どうもそれは叶わぬ誓いらしい。同い年で山登りを趣味にしている友人の顔が思い浮かぶ。ただただ尊敬するしかない。

拝殿の横には、なんといえば良いのか不思議な建物があった。中には自動販売機が並んでいた。御朱印、お札、お守りは全て無人での提供(販売)だった。どうやらコロナ対策らしいのだが、もう五類に移行しているのだからこんな厳重にしなくてもという気がする。
ただ、自動販売機を導入してしまったので投資回収をする必要があるのかもしれない。神社も人手不足で悩んでいるのかな。神社も経営改革が必要な時代らしい。とりあえず自動販売機を拝みながら御朱印を頂戴(購入?)した。そのあとベンチで休憩。

拝殿の横が社務所で人の気配はするが、姿は見えずだった。社務所脇から本宮に行く道がある。本宮まで行くかどうかを迷っていたら、案内札に本宮まで10分と書いてある。これをみた瞬間断念した。この10分というのは健康な若者向けの標準時間であり、よろよろとしか登れないオヤジにとっては倍くらいの時間がかかるはず……………
決して挑戦してはいけない高い高いハードルだ。筋肉がパンパンになった足を引きずり山登りをするのはなんとかなっても、帰りの下りが危なすぎる。杖を頼りに帰り道についた。神への道は辛くて遠いのだな。