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吉備津神社で古代国家を思う

備中国一宮、吉備津神社は一度来たことがある。桃太郎伝説の絡みで、この地にいた有力氏族である「うら伝説」を聞いたからだ。うらとは温羅と書く。おそらく古代ヤマト朝による侵攻と吉備支配の過程で残された物語だろう。
大和国に王朝首府をおいた古代ヤマト朝が中国(西部戦線)北陸(北東部線線)丹波(北西戦線)東海道(東部戦線)の4方面戦線を同時に構築した時の西国侵攻主導者が吉備津彦だったというのだ。
個人的には、この話は盛りすぎだと思う。日本書紀の話は、基本的に針小棒大な作り話が多い。大陸の大国に倣い正式な歴史書を作ろうとした勢いのまま、筆が滑るというか虚飾まみれのホラに膨れ上がっている気配が濃厚だ。今風に言えば、盛りすぎというやつだ。
古代において街道すら整備されていない小国分立状態の時期に、4方面作戦が同時に行えるほど国力があるわけもなく、また人口を考えても兵員数には限りがあるだろう。仮に各方面の諸国家と大和の国力対比が10倍あったとしても、予備兵力を考えれば4方面作戦は無理だ。軍事の常識に古代も現代もない。兵量(人の数)と武力(兵器を含めた質)の掛け算で勝負は決まる。
だから、吉備国で古代ヤマトとの戦争が起こりヤマトが勝った時に、吉備王国の王族をヤマトの一族扱いにして支配者とした。それがヤマトから派遣された将軍と称される吉備津彦のあり姿ではないかと思う。
本来、征服者であれば子孫が支配を受け継ぐ(ヤマトの代官として)はずだが、吉備津彦に子はいなかったようだ。ヤマト朝としては吉備王国の支配者の血筋を消したかったのだろう。

独自な建築様式なのだそうだ

そんなことを考えるきっかけになったのが、吉備津神社の特異な建築様式だ。この独特フォルムは吉備津神社だけのものらしい。ただし、その造形は古代に確立したものではなく、中世に生まれたようなのだが。中世になり古代から続く禁忌が外れた、みたいな妄想をしてみたい。その時期は南北朝の紛争で天皇系統の正当性があれこれ取り沙汰された時期でもあるし……
出雲も統一ヤマト朝による被征服国だが、出雲大社には独自の様式が残されている。ヤマト朝の支配様式というか、大国の王族、神族は根絶やしにせずヤマトに同化した形で存続させたのだろう。
おそらく完全撲滅させると反乱が起き、それに対応できるほどの超絶した国力があったわけではないからだ。古代ヤマト朝は豪族の連合政権で大王も持ち回りみたいなものだったようだから、同化政策が現実的かつ主導力だったと思う。
吉備国や出雲国のような海上貿易を行う大国との関係は、征服というより緩い連邦からの統合みたいなものだったのではないか。

どちらにしても、古代ヤマト朝が精一杯に背伸びをして中華大国に見栄を張った結果が、日本書紀の盛りすぎ伝説になっていると思う。現実的には、案外周りの国にペコペコと頭を下げながら同盟国を増やしていった、勤勉で臆病で腰が低い国づくり過程だったのではないかと思う。
そもそも文書記録を輸入文字である漢字に頼っているのだから、それだけで国の立場というものがわかる。現代日本の歴史をアメリカ英語で記述して、それを国家としての正史とするみたいなものだろう。
当時でも存在していたはずの国粋主義者であれば、自国の歴史を他国語で記録するというのは、なんだかなあと思っただろう。現代であれば、Right Wing方面から集中砲火を浴びそうな暴挙なのに、今ではそれを正統歴史書として扱っている。やはりこの国は古代から変な国なのだ。
大陸国家が、特に春秋戦国から漢代に至る時代を、宗教面に視点を置いて、古代日本にどのような影響を与えたかは考察してみたいものだ。大陸のスーパーステートが東の小国である島国に与えら宗教的影響は、日本神話にどのような衝撃を与えたのだろう。それが日本の文化の源流、特に神道形成への影響は大きかったはずだ。道教の成立や仏教の伝来以前だから、古代中華帝国の宗教体系はかなり呪術的なものだったように記憶しているが。
それと同じ時期に滅ぼされた国である吉備国の成立は調べようもないだろうが。歴史は妄想からだなあ。

食べ物レポート

中華そば の源流

不勉強にして岡山ラーメンという存在を知らなかった。岡山駅前を歩くと行列ができていたので足を止めてみた。カウンターだけのラーメン屋だが、地元以外の観光客も入っているようだった。

入り口脇に店のいわれが書いてある。どうやら豚骨ベースの醤油味ラーメンらしい。瀬戸内地方は、どこでも魚介系スープが前提だと思い込んでいたが、それは間違いのようだ。写真を見るとかなり黒っぽいスープなので、九州中心の白濁豚骨ラーメンとは異なっているのがわかる。トッピングもシンプルのようだ。

その日は行列に並ぶのを諦め、翌日に再訪した。昼のピークをずらしたので並ぶことなくすぐ席についた。注文は一番オーソドックスな中華そばにしたが、自販機のメニューボタンが迷いを誘う。並びがちょっとわかりにくいのでまごついてしまった。普通の中華そばは一番大きいボタンにしてもらえればなあ。
出てきたラーメンを見たら、全てがスープの下に沈んでいる。これだけサブマリンなラーメンも初めて見た。チャーシューとメンマは比較的水面から浅いので存在はわかる。しかし、ネギすら沈んでいるというのは、スープの比重のせいか? あれこれ疑問も湧いてくるが、とりあえず実食。
思い描いていた濃厚豚骨風な味はしない。濃いめのスープに見えるが、予想外に淡白系なスープだった。麺も素直で主張してくることもない。調和、というのが第一感だった。
見た目よりおとなしい。これをベースに岡山ラーメンが展開したのだとしたら、確かに岡山ラーメンは「おとなしい系ラーメン」というべきだろう。お江戸の支那そばほどさっぱりではないが、味のバランスが良い。支那そばよりこちらの方がはるかに好みだ。

食べ終わり表に出たらまた行列ができかかっていた。どうやら店内の空き具合を見計らって地元客が列を作ったり通り過ぎたりしているらしい。老舗の風格というか、岡山市民の合理性というか。
ともかく美味しいラーメンだった。

旅をする

予期せぬ登山

朝早くに岡山の街を出て高速道路を走る。その時には気が付かなかったのだが、中国自動車道は山の中を走るのでずいぶんと高度が高いところに道があるようだ。高梁の町近くで高速を降りると、そこからくねくねとした山道をずいぶん時間をかけて降りてゆく。川沿いに伸びる平坦地に着いた時は、一仕事したなと感じるくらい坂道を降りていた。
その一番下から、また山の上にかけて登っていくと頂上に城がある。事前に調べていたら、山の中腹に駐車行がありそこから20分ほど登るとのことだった。20分とは軽い山登りだなとナメ切っていた。自分の体力を過信していたバチが当たった。

駐車場脇には登山の心得は書いていない。登っていく要所にあるビューポイントらしいものだが、それも無視して上り始めた。douyaら、そこのポイントで休みながら登れという「正しい助言」だったのだが……………
5分で後悔した。

要所要所に立て札があり、あれこれ注意が書かかれてあった。一番初めに見たものは「慌てて登るな」だったが、この時点ですでに上り切れるかどうかが大問題になっていた。逃げるなら今だぞ、的な心情になっていた。

こういう具合に階段になっているのはまだ良い方だ。少なくともこの先に階段の端っこがあるのは理解できる。とりあえず、この階段を上り切ったら考えよう、と自分を騙しながら一歩一歩上る。10歩登っては一休みみたいな気分だった。

もうそろそろ天辺に着くのではないかと思った頃、「ここが中間地点」という看板に出会い、完全に心が折れた。気分は9割下山する方向に向いている。それを騙して、また上り始める。立ち止まる。考える。このダメダメサイクルが延々と続く。

中間点から石段を延々と上り、たまに平坦な場所に出るが、そこを少し歩くとまた上り坂が始まる。頂上に近づくにつれ、そうしたギミックというか期待感を抱かせた上で裏切るみたいな道作りになっていた。この城を攻めることになった兵隊はさぞかしフラストレーションが貯まることになっていただろう。築城主の底意地の悪さがあから様に感じられる。だから名城と言われるのか。

ようやくゴールかと思った見晴台のような場所がある。そこから山の下を見下ろすと高梁の街、民家が見える。景色は良いが、そこから振り返るとまた山を登る坂道が見えてくる。実にけしからんつくりだ。

精神衛生上、全くよろしくない山道を登ること40分。すでに規定時間の倍近くになっていた。天守閣がある広場には入場券を買ってはいるのだが、その切符売り場に上がるたかが十数段の階段が無限の高さに思えるほど疲労困憊していた。

天守閣周りの小さい広場でしばし休憩していると、汗が急速に冷えてきて寒い。ただ、夏であれば暑さでもっと早くギブアップしたような気もする。岡山の城廻は地獄の旅だなと思った。
明治の大規模城塞破壊の時代を生き延びたのは、この山登りの面倒臭さのせいだったかもしれない。少なくとも現存12天守の中で、この場所が一番しんどいのは確かだ。
ひいひいいながら駐車場まで降りてきて、土産物売店の方に、エスカレーターくらいつけた方が良くないですかと聞いたら、働くもの全員そう思っていますとのこと。客から言わないとなかなか管理団体が腰を上げないそうだ。
だから、声を大にしていいたい。備中松山城にエスカレーターをつけよう運動を始めませんか。もちろんクラウドファンディングもつけましょう。そうしないと永遠に設置されそうもない。

お城の公式ホームページ?はこちらhttps://www.city.takahashi.lg.jp/soshiki/9/shiro4240131.html

街を歩く

岡山イオンの街づくり考察

レストラン街で異色のスイーツ専門店があった クリームソーダが目を引く

岡山のイオンは駅前に大型店を建てるという、イオンの新出店戦略の一号店だったはずだ。一度視察に来てみたいと思っていたが、間にコロナが起こりずいぶんと時間が経ってしまった。
イオンも含め、ショッピングモール開店時のテナント構成は意外と当てにならない。ゾーニングも含めて、開店して2-3年経ったくらいからその店特有の配置が完了すると考えても良さそうだ。
デベロッパー側は新規性の高いテナントを入れたがる。新規テナントは売り上げの予測も立てられないまま、いわばみずてんで開店を決める。そして、早ければ半年で退店していく。そこを狙っているわけでもないのだろうが、2件目や3件目で入居してくるテナントは、他のモールでもしっかりと実績のある実力派だ。
だから、新規開店時に無理な条件で出店はしないが、閉店跡地への出店依頼があると「やれやれ、そろそろうちの出番だな」ということで、好条件を代償に出店をする。
だから、3年もすると各フロアーごとに出退店が完了して、安定期に入っているとみて良い。
その時期のテナント構成が、いわば定石布陣にあたるとみている。開店景気も終わり、その街で生き残れるかどうか、モールの実力が現れる時期だ。

レストラン街の中庭 は素晴らしいが冬には寒すぎるかも

そんなことを考えながらゆっくりと各フロアーを回ってみた。相変わらずレストランは店舗を詰め込みすぎで、どの店も席数が足りない。これでは、ピーク時に売り上げが取りきれないので人気店には条件が悪すぎる。ただ、不人気店では人気店が満員のため溢れ出すおこぼれが回るのでそこそこ売れるのだが。
どうもイオン側、つまりデベロッパーの認識、特に新規開店時の発想がいまだにバブル期的な残滓が多いように思う。テナントと共存共栄を図りたいのであれば、レストラン出店数を抑えて個店での席数を増やし、生存性を高めた方が得策だと思うのだが………

結局、一年程度で閉店に追い込まれ、そこに老舗ブランドばかりが出店すると、レストラン街が全国一律のテナント構成になるのは見え見えだ。ただ、その過当競争の中から次の世代の強者、生き残りグループが生まれるのかもしれない。丸亀製麺も、そうしたイオンの試練に立ち向かい勝ち残った強者だ。
パルコでスシローがワンフロア独占する時代なので、デベロッパーもテナントミックスに関して迷走中なのは間違いない。案外、イオン的スパルタ環境が好みのブランドも出現しそうだが、そんな店の店長は「どM体質」が要求されそうで、それはそれでいかがなものかなあ、などと屋上にある人工庭園で考えていた。
ここで弁当を食べると結構優雅な気分になりそうで、レストラン街に対して最強の敵かもしれない。

旅をする

津山城は霧の中

津山城は小高い丘の上に立つ山だった。石垣が平面加工してあるので、築城技術が整った頃、つまり江戸前期くらいに作られたものだろうと推測できる。岡山から鳥取に抜ける中国縦貫道の要所である津山に大きな城があるのは理解できる。
ここと、岡山城で縦深陣地を形成するのは戦略的に意味がある。ここを迂回しようとすると鳥取から豊岡、亀岡と抜ける京都周りの経路になるが、それもまた盆地を順番に下して行く長い戦闘が続く。秀吉の鳥取、岡山攻めに時間がかかったのはこの二正面制覇が問題だったのだ。

城の麓から天守閣後まではかなりの高低差がある。最初から嫌な予感がしていたのだが、これがこの先延々と続く備前、備中、美作国の山登りの始まりだった。

途中経過は省くことにするが、高さの違う石段を延々と上り続ける。石垣も何度か曲がりくねる、防衛拠点特有の構造だから、あとどれくらい登れば頂上に辿り着くのかもよくわからない、希望を持たせない作りだ。
天守閣跡は御殿が広がっていた平地だったが、そこには、よくこの高さを登ってきた、ご苦労、というずいぶん上から語りかける看板もあった。褒められても嬉しくない。

てっぺんで一休みしたあと降り始めたら、予想以上に足に来ていて階段を踏み外しそうになった。

山頂からは津山の町が見えるはずなのだが、思っていた以上に見通しが良くない。霧に霞んでいるせいだ。冬の晴れた日であればもう少しすっきりとした気配になっているのかもしれないが、山の中で曇天、霧雨状態であれば見通しが効かないのも仕方がない。
ものすごく疲れた割に達成感が感じられない。城から降りても町巡りをする気力も湧いてこない。こういう困った日もあるものだと諦めてさっさと退散することにした。

街を歩く

大阪みやげ

新大阪駅で見つけた、大阪とは全く関係のなさそうなスナック菓子だが、これには魔性の魅力がある。だいぶ昔にはやったチョコボールの中に非ギャが入っているものも、うっかり一個買ってしまってから泥沼にハマった記憶がある。
なので、この菓子は開封しないでこのまま封印することにした。確か売場でも大人買い禁止みたいなことが書いてあり販売個数制限がかかっていた。新大阪駅以外でも売っているのは間違いないだろうが、それを確かめてはいけないと思う。禁断の菓子だ。

大阪名物とは全く思わないが、トラジマとお好み焼き味のせんべいはイメージしやすい。これはすぐに開封して食べてみた。お好み焼きだと言われれば、まあ、そうかなあという味で、パチモンとは言わないが胡散臭い味がするのは確かだ。ある意味、本当に大阪らしいのかもしれない。

一番大阪的なノリかなあと思ったのがこれで、千日前にある老舗洋食屋とのコラボらしい。確かにあそこのカレーは日本でも一二を争う独創性があるとは思うが、それがピーナッツと淡さてもねえ、と思ってしまう。
それより、あの名物女将の写真は使えないのかなあ。店頭には等身大の立て看板もあったはずだが。コロナの間に引退してしまったのだろうか、そちらの方がよほど気になる。
よくよく考えれば、大阪名物土産というと蓬莱の豚まんが絶対定番だろう。あとは、時間があれば阪神百貨店のイカ焼きかあ。個人的には、日本一巨大な田舎町という印象がある大阪なので、土産なんか買わないで、現地で楽しんで帰るのが一番正しい大阪の使い方みたいな気もする。街全体がアミューズメント施設で、街歩く人全員がキャストと思えば、日本最大のテーマパークとも言えるなあ。

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岡山城

岡山には何度も行ったことがあるのだが、幹線道路沿いにある店舗を見に行ったり、ショッピングセンターを視察したりで、街中を歩いたことがないままだった。お城に関心もなく、名所である公園にも興味がないのだから、お城周りに行く場所はない。
しかし、岡山城を一度も見ていないままでは後悔すると一念発起して、お城見学に行くことにした。ネットでマップを見ると駅前からはなんとか徒歩圏らしいが、近くまで路面電車も走っているので、お城近くまでは電車移動にした。
路面電車はのんびりと走るので(法定速度がかなり低いらしい)、街を覗き見るにはちょうど良い。岡山の城下町らしき繁華街で電車を降りて、そこから10分ほど歩いた。広いお堀を巡らせた立派な城だった。

石垣の積まれ方で、概ね築城された時期がわかる。戦国中期に始まった石垣の上に守備構造物を乗せる形は、戦国が終わった後の江戸初期に新規築城が止められるまで、時代と共に進化して至った。当然、最新兵器の鉄砲に対抗する設計も加えられ水堀、石垣、多層構造の防御拠点(三の丸、二の丸、本丸)による縦深防御などの築城基軸が生まれた。
岡山城は瀬戸内海に広がる高速海上街道の東部拠点であり、また日本海側との陸路の結節点でもあったため、立派な城が建てられた。関ヶ原敗軍である西国諸侯に対する防衛拠点でもある。江戸幕府、西国方面の主力防衛要塞だ。

いつものようにお堀の周辺で攻城作戦を練ってみるのだが、この城も力攻めが難しい戦国末期の傑作城らしい。そもそも山城ではなく平城で防衛拠点には向いていない。それを、人工的に仕立て上げた要塞だ。後背地は川で正面は深い堀になっている。
信州上田城と同じ構造で自然の障害を上手く活用した好立地だし、包囲戦を仕掛けようにも川が邪魔だ。おまけに飲み水も潤沢なので包囲戦を仕掛けた方が、山側から逆包囲も考えられる。守りに優れた名城なのだ。

黒一色の姿はなかなか武ばった感じがする。漆黒の城は精悍な印象を受ける。ただ、事前に全く研究していなかったので、城の中に入ってから初めて知ったのだが、この城は復元城だった。先の大戦で空襲を受けて焼かれてしまったそうだ。
日本の城の大半は、戊辰戦争後に頭の悪い西国革命政府により廃城になり、生き残ったものも大戦の空襲で焼けてしまった。たかが70年ほどの時間で歴史的建造物のほとんどが消えた。負けた大戦の責任を取ろうとしない明治政府の後継者も含め、近代日本失政の象徴とも言える。

城の中は博物館になっていて岡山城の歴史を学ぶことができるが、一番感動したのは城の礎石を復元したものだ。
名古屋城を完全に木造で復元するプロジェクトもあると聞いたが、今では城を再建するほどの国産木材、特に巨木は手に入らないだろう。山奥に入って樹齢100年を超える大木を探しまくれば可能かもしれないが、そんな木を切ることは環境団体が反対するに決まっている。
そもそも、古代から中世にかけて首都が東遷したのは、首都造営に伴い周辺の大木を伐採し尽くしたからだ。すでに本州東部はおろか北海道まで、巨大建築に向く大木は斬り尽くしているはずだ。
だから、礎石の復元で我慢して、あとは想像力を駆使して巨大な城のバーチャルな姿を思い浮かべれば良いと思う。木造大箱建築物が好きな首相がいなくなって良かったと思っていたら、もっとおバカな万博大好き知事が、これまた木材の無駄遣いの極みを趣味しているのだ。
西国の権力者達は上古の昔から本当にどうしようもないおバカな性分らしい。復元岡山城を見ながら、そんな歴史の過ちを考えておりました。

街を歩く

困った集団が集まる神社で思うこと

美作国一ノ宮は津山市のハズレの方にあった。静かな境内でお参りする人もまばらだったが、なぜか鳥居の前に屯する高齢者集団がいた。境内の中に入ってこないで、鳥居の下を集合場所にしているらしい。
この神社には鳥居の前に四台ほどの駐車場があり、鳥居脇の坂道を登ったところに三十台くらい停められそうな広い駐車場がある。たまたま鳥居前の駐車場に車を停められたのだが、それが後の災いのもとだった。
なぜか一番端の車の前に二重駐車する怪しい男がいて、その鳥居前の集団とは顔見知りらしく、車を止めてから集団での会話に加わっていた。

拝殿に向かい参拝を済ませたが、境内には他の人影は見られない。静かなものだった。

この神社は国道を離れた細い川沿いの道をたどってくる。ちょいと不便な場所なのだが、津山は岡山から鳥取方面に抜ける中国山地を縦断する街道にあり、古代より続く重要地だった。当然、神社のある周辺は往時の要衝というべき場所だったのだろう。川筋に神社があるというのは水運も盛んだったのかもしれない。
などど考えながら帰ろうとした時、駐車場の前に来ると怪しい光景が目に入った。四台しか停められない場所に、なぜか全台前方を塞ぐ形で二重駐車している。明らかに作為的であり、鳥居前に屯っている大集団(その時には人数が倍以上に増えていた)が、仲間の車だと思い込んで二重駐車を決めているらしいとわかった。


あまりの仕打ちに車に乗りエンジンをかけ、盛大にクラクションを鳴らしてやろうかと思った。ただ、それでは周りの住民に迷惑がかかる。目の前に二重駐車しているのは姫路ナンバーだったので、鳥居前に屯っている馬鹿者集団の前に行って、「姫路ナンバーで駐車している方いますか。車が出せないので移動してください。」と紳士的に声をかける。すると高齢女性が渋々といった形で車を移動させ始めたが、その移動が中途半端だ。移動の距離が不十分なため自分の車を前に出せない。車を降りてもっと下げろと言いにいくのも業腹なの、窓越しに睨みつけたら渋々3mほど車を下げた。


人が集団になると、一斉にクズ化する現象を目の当たりにしたのだ。それが都会の街中の少年ではなく、神社の鳥居前で大声で会話するジジババなのだ。世も末だと思った。こいつらはいったい何を考えて、いや何も考えずにただただ歳をとったのだなあ。薄ぼんやりそんなことを考えながら、細い道を運転していた。
人生の先輩たる団塊の世代は、最後の最後まで何も生み出さないまま「生存本能」だけで生きているのかと、暗澹たる思いになった。美作国一ノ宮はそんな輩に呪われているのかもしれない。祭神様の御霊が健やかであられますことをお祈りいたします。

街を歩く

久礼の町で寿司を買う

高知県中土佐町は海沿いの港町久礼と内陸の大野見が合併した町で、海と山の産物がどちらも豊富だ。港町としてはカツオが有名で、山で採れるものといえば大野見米ということになるらしい。JR土讃線で高知駅から特急で1時間弱かかる。特急が止まるが無人駅だ。その駅のホームに新キャラらしい「悪ガキ風のボウズ?」が立っていた。どうみても昭和中期のイタズラ小僧にしか見えない。うーん、なんだろうなあ、この既視感は………

さて、久礼の町、一番の名物は大正町市場という小さなアーケード商店街で、休日ともなると人がひしめきあう人気スポットだ。そのアーケードの屋台というか、路上に置いたテーブルの上で高知名物、田舎寿司?を売っていた。
おばちゃん二人で元気よく営業活動していたが、そのおばちゃんに寿司買ってかないかと呼び止められ、まんまと寿司を買う羽目になった。高知の田舎寿司は、握り寿司だけれど魚は乗っていない。卵焼きや野菜の漬物などが魚の切り身の代わりに乗っているのだが、実はこれが大好物なのだ。だから、呼び止められなくても気がつけば買っていたはずだ。海苔巻きも美味そうだなと思ったら、あっという間に追加注文させられていた。
ノンアルビールが売っているのが、いかにも港町らしいというか、細かい心配り(笑)というものだろう。

しかし、こんな値段で売って儲かるのかと心配になる。世間では食料品の値上げが止まらないのに、このおばちゃんたちの売る寿司の値段は令和どころか昭和の値段ではないか。週末を挟んだ4日間の営業ということだったが、またきた時にはまずこのおばちゃんたちの店に立ち寄ることにしよう。

寿司を二箱買った後で、なんと米も買わないかと持ちかけられた。高知の米はもっちりとして甘い。そして特有の匂いというか香りがあるようだ。東日本では主流のコシヒカリ系統とはだいぶ味が違う。
この米の味覚に関しては地域の好みが強く出る。旅館の朝飯などでは地元米が使われていることが多いが、客が遠方から来ている場合はちょっと違和感を感じる時もあるだろう。
個人的な経験で言えば、南方に行けば行くほど東国の米と味が異なってくる。関西あたりから少し違いを感じるようだ。中国四国では差がはっきりとわかり始める。九州になると、ほぼ異国の米的な感じがしてくるし、沖縄の米はすでに東南アジアの仲間入りで台湾の米の味と近い感じがする。
その味違いの米を土産に持って帰ると、明らかに自宅でヒト騒動が起きそうだし、おまけに持ち運ぶには重いので丁寧にお断りした。田舎寿司を食べていて、米の味の差を感じたことはないから、酢飯にすると違いはほとんどわからないくなるとは思うのだけれど。
ただ、大正町市場で魚だけではなく、寿司を売ってくれるのは個人的にすごくありがたい。このおばちゃん二人の店が長く続きますように。

街を歩く, 旅をする

岡山アーケード そぞろ歩き

昔からある城下町では、鉄道の駅とお城近くの繁華街が離れていることが多い。岡山も新幹線が通る大幹線駅なのだが、お城から駅はかなり離れている。お城と駅を結ぶのが路面電車で、これを使ってお城近くまで行った。百貨店を中心としてアーケードが続く岡山の繁華街だが、残念なことにシャッターが閉まった店もかなりある。中心部の衰退は全国土の街で起こっていることだが、岡山も例外とはいえないようだ。このアーケード街が再生することは、おそらくない。そのうちにぽつりぽつりと店が消え駐車場に変わるようになる。そうなるとアーケードは一気に荒廃が始まる。そんな街をあちこちで見てきた。

おそらく、その引き金を引いたのは自動車移動中心の生活が始まったことで、それに商店街の対応が遅れたことだ。そして、決着をつけたのが駅前にできた大規模人工都市であるショッピングモールだ。
このショッピングモール対繁華街の戦いは、都市の新陳代謝と見ることもできる。しかし、都市再生というにはほどとおり。ただただ、旧繁華街で起こっているのは、自分たちの街の新陳代謝を起こせずにゆっくりと老衰しているという現実だろう。
その衰えゆく街並みの中で、いやいや、俺たちはまだ負けませんぜというような元気のある看板を見ると、他人様の街でありながらホッとする。例えばこの「漆器雑貨」と書かれた看板の力強さがたまらない。
今の時代に漆器の専門店を続けていることもすごいが、城下町の時代にはさぞかし名門の老舗だったのではないか。漆器とは、今でいうところの高級ブランドであり、嫁入り道具で持っていったり、代々伝わる冠婚葬祭の必須道具だったはずだ。
見た目は古そうな看板だが、定期的にメンテナンスしているように見える。電話番号五十四番とはこれまたすごい。岡山の中で最初期に電話を引いた大金持ち商人だったということがよくわかる。看板に感動するとは稀な経験だった。書体は旧字で右書きであるから、少なくとも戦前、おそらく明治末ごろからの看板だろうか。

こちらは昭和中期の看板だと思うが、今でも「ラジオ」店というのがすばらしい。昭和の始まりごろから続く店だろうか。当時、ラジオは近代家電の代表で、最新鋭の情報機器だった。近代文明の最先端を感じさせるものだったはずだ。
そしてラジオはテレビに置き換わり、パソコン、スマホと時代の主力情報機器は進化を続けた。今ではラジオ専用機を持っているものなど数少ない「趣味」専用の機械だ。(ちなみに、自分はラジオ専用機を持っておりますが、なにか?)
すっかり減少している喫煙者が店の前に集まっていたので、何か特殊なことでもあるのかと興味を惹かれたが、単純に大型の灰皿があるからそこでタバコを吸っているだけだったようだ。ラジオ店の集客がタバコになっているという不思議さには、あれこれ考えてしまった。

店の中では何を売っているのか覗いてみたら、なんとも雑多なもの、おそらく家電製品の一種を含めたあれこれが並んでいる。ドンキの家電売り場のようなカオス状態だった。じっくり時間をかけて眺めてみたら面白そうだったが………

そのラジオ店の先で、これまた不思議な店を発見した。何を売っているのかよくわからない。店頭で飲食業をしているような感じもするが、入り口付近には様々な人形が並んでいる。どうやら骨董品屋というかアンティックショップというか、いろいろな古いものを雑然と並べて売っているようだ。
営業中と書いてあるが、この看板もひょっとして売り物なのではないかとおもってしまう。ちなみに店頭でソフトクリームを注文するにはどうすれば良いのか。従業員は誰もいないので、店内に注文しに行くのだろうか。あれこれ興味が尽きない。

一番すごいのは、この薬品メーカーが作った遊具で、たしか十円入れるとごとごと?動くものだったような記憶がある。ただ、十円玉挿入口は塞がれていた。これも売っているのだろうか。値札は見つけられなかったが。まさしく不思議空間だ。

アーケード探索に疲れて喫茶店でもないかと探していたら、すてきな食堂を発見した。もう少し腹が空いていればノータイムで入ったのだが………
少しくたびれた感じのする岡山繁華街は、実は「私、脱ぐとすごいんです」的なグラマーな魅力に溢れているワンダーランドらしい。もう一度、ゆっくり時間をかけて遊びに来たいものだ。
多分、土曜の午後、人出が多い時間が楽しそうだ。ちなみに岡山は財政破綻都市の手前くらい借金が多いらしいので、アーケード復興の予算はないだろうから、ここはクラウドファンディングを使い、面白い街づくりをするというのはどうかなあ。対イオンとして大正昭和をテーマに全面レトロなテーマパークみたいにするとか。商店街の観光地かは面白いと思うのだけれど。