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松江おでん 記憶の中のうまいもの

老舗のおでん屋をホテルで紹介してもらった

青春18切符の旅 西日本編で、目的の食べ物2番目は松江おでんだった。全国あちこちにご当地おでんは数多い。有名どころでは青森の生姜味噌おでん、静岡おでん、名古屋のどて焼きも味噌おでんの変形のような気がする。大阪の関東炊きも、食べるまでおでんだとは思わなかったが立派におでんだった。香川のうどん屋においてあるサイドアイテムとしてのおでんは、出汁が効いていてうまいものだった。

おでんの好みは、豆腐とがんもどき、そして巾着なので、これがあればまず最初に注文する。おでんネタの絶対定番「大根」は気が向いた時には頼むこともあるが、それほど好物でもない。はんぺんがあれば、2番目の押さえだ。ただし、ローカルおでんではこのセオリーに合わない?、ご当地メニュー。ご当地ネタも多いので、その辺りはお店の方と相談して決める。飲み物は、その店で一番よく出ている日本酒をお燗にしてもらう。
松江おでんは味付けが濃いめで具材も色々と変化に富んでいた。地元のオヤジたちのしごとばなしをBGMがわりに聞きながら、小一時間おでんと日本酒を楽しんだ。海沿いの街に行くと、ついつい魚を食べたくなるが、じっくり煮込んだおでんで一杯というのも良いものだ。島根や鳥取の酒は濃くて甘口という印象があるが、この時飲んだ酒の写真を撮り忘れていて銘柄が思い出せない。ただ、翌日酒屋に行って一升瓶を何本か自宅に送った記憶はあるので、島根の酒は口にあったのだろう。そうなれば、酒の銘柄を確認しに、もう一度松江おでんを食べに行くしかないなあ。

旅をすることがなかなか面倒な時代なので、ヴァーチャルな旅を楽しむには昔の写真をひっくり返すことに尽きますねえ。

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イギリス帝国に学ぶ 強さと愚かさ

まず、最初にいうべきことだが、政治と経済を学びたい人には良書だ。できれば世界年表を横に置いて読みたい。イギリス帝国形成から没落までほぼ400年余りの、経済に重きを置いた史観がわかりやすい。ただ、読み終わるまでずいぶん時間がかかってしまった。知的に面白いとは思うのだが、それだけに長時間読み続ける気力が続かない。読むのに脳細胞のパワーを相当に吸い取られる。知的格闘などという言葉を思い浮かべたが、単純に歳をとっただけのことだろう。学生の頃であれば一晩で読み切れたはずだ。ただ、理解度は今の方がはるかに高いとは思う。若い頃は知的レベルが低かったのは間違いない。なので読了できなかった可能性の方が高い。(笑)

帝国と言われれば、多数の異民族を支配下におき軍事、政治的に従える広域領土国家と理解している。古代から中世における幾つかの中華帝国や、ユーラシアのほぼ全土を掌握したモンゴル帝国が典型だろう。古代で言えば当然ながら地中海世界の覇者、ローマ帝国や中央アジアのペルシア、イスラーム諸帝国がある。ただ、近世となれば、勝手に帝国を名乗った西ヨーロッパの王国は除いて、イギリスこそが海洋帝国という名に相応しい。地続きではない世界領土を形成したという点で、世界帝国ということになる。アジアのいくつかの異民族、異宗教国家を従え、南北アメリカ大陸には棄民策を含めた自国民による植民地を作った。ただ、その世界帝国の形成も、何か高邁な思想があったわけではなく、貧乏で強欲なヨーロッパの端の島国が、当時の先進国に負けるのが嫌で、あれこれ悪さをしていたら結果的に世界のあちこちに領地ができてしまった。という結果として成りあがっちゃった感たっぷりの、ごろつき国家だった。このごろつき国家が成功したせいで、世界中が「ごろつきは正義」という怪しい国家観ができたというのが、この本の読後感だ。

だからごろつき国家イギリスの後継たるアメリカ合衆国は、存在開始の時から「ごろつき正義国家」で、この先にイギリスのような没落が始まるまでは、ほぼ5世紀にわたり世界中がごろつき正義を認めたままになる。
そもそも、アメリカ合衆国独立戦争も、きっかけはいろいろあったことだろうが、イギリス本国のヨーロッパ大陸での戦費が足りず、植民地アメリカに対して嗜好品である「茶」に特別税をかけたことが引き金になった。おまけに、アメリカ植民地にはアジアから輸入する「茶」を直接取引させず、ロンドン経由にしてマージンを稼いだというのだ。アメリカ植民地がそれなりに豊かになり、大金持ちだけではなく一般人・小金持ちにも「茶」を飲む習慣が広がったせいらしい。「茶」が贅沢な飲み物であれば植民地人も諦めもついただろうに。古代中国でも塩にかけた税が引き金で反乱や革命が起きたりした。

たかが茶の値上がりがきっかけで、革命というか独立戦争が起きたのだ。茶にかける税金で戦費回収を目論んだイギリス政府は、ずいぶんと当てが外れたことだろう。植民地でしたくもない戦争を起こしてしまい、余計に戦費がかかることになったのだ。バカ政府と言われても仕方がない。
逆に学びといえるのが、それくらいのつまらない理由で「革命」や「戦争」は起きてしまうのだということ。今の日本で革命なんか起きっこないとたかを括っている政府や与党政治家が、この本を読んで学ぶがよいと思う。まあ、歴史に学べるリテラシーの高い政治屋がいるとも思えないが。

「コロナ対策への不満」「ワクチン接種の遅れ」「オリンピック強行開催」の三点セットが揃うと、ボストンのお茶暴動的な騒ぎくらいは起きそうな気がする。

中公新書 「イギリス帝国の歴史」アジアから考える 
知的格闘を望まれる方向け 手強い本です。

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/06/102167.html

食べ物レポート

幸楽苑に愛を込めて  メッセージを送ろう

幸楽苑の極小株主として、新製品はできるだけ試食することにしている。たまにはサイトの確認もおこなっているので、投資企業に対する関心が高い。(えへん)
どうやら初夏の新製品が出たらしい。毎年冷やし中華の季節になると、それに合わせて怪しげな商品も登場する。今年はごま味噌チャーシューメンだ。ごま味噌なのだから香ばしい胡麻の香りがあふれる味噌を使ったラーメンに違いないと期待はたかまったのだが・・・。

メニューブック?の塊には登場しない季節メニュー。
テーブルの上に貼られたステッカー訴求が頼みの綱だった

札幌の有名店、吉山商店の胡麻味噌をイメージしていた我が脳細胞は、実食の結果、絶望的な間違いに打ちのめされてしまった。実際に出てきたのは、「胡麻味噌」を使用したスープではなく、ごま+味噌だった。こちらの勝手な思い込みとは違っているが、用語的には(おそらく)間違ってはいない。実際の商品には胡麻が大量にかけられている。チャーシューもメニュの枚数と同じ枚数が乗っけられている。
ただ、何か期待していたものと違う感じがする。せめて、胡麻+味噌というなら、スープ上面を全面的に覆うくらい胡麻を乗せて欲しかった・・・。普通にうまい味噌ラーメンではあるが、なんとなく騙された感がしてしまう(勝手な勘違いなのだけれど)

ごま+味噌+チャーシュー で正しい日本語なのだが

もう一つの新製品は、なんともゲテモノ感マックスだが、これが何か想像を絶する旨いもののような予感がしている。何よりらーめんドッグは、北海道のセコマで売っていたものと似ている。期待値高いぞ。そして、圧倒的な、爆発的な、情熱過剰的な肉ドッグ三兄弟。特にチャーシュードッグのグダグダ感、すきだなあ。値段がビッグマックと比べてどうよ、と言いたいところはあるが、これはぜひ食べてみなけれないけないという怪作だ。

魅力的な肉三兄弟

しかし、最近の幸楽苑は何か一つ吹っ切れてきた感があるような・・・。ラーメン屋としてではなく、言い方は悪いが邪道に目覚めた元ヒーローみたいな感じ。戦隊モノで言えば、単色ではなく2色混じった感じというか。「戦隊レッドに続く6番目のヒーロー、黄色と黒がトレードマークの戦隊シマシマ、ついに見参!!」みたいな・・・。

街を歩く

新宿駅西口 メトロモールの惨劇

JR新宿駅西口から地下鉄東京メトロ丸の内線新宿駅に向かう地下通路は、上がったり下がったりしていて、その中に飲食店が多数あった。通勤経路に使っていた抜け道で、昔からやっているなかなか良い店がそろっていた。「そろっていた」と過去形なのは、理由はよく分からないがコロナの流行と合わせてどんどん閉店しているせいだ。その滅びゆくメトロ食堂街のほぼ最後の生き残りが「ポツンと営業中」のバイコー麺屋だ。

肉の万世が営業している中華麺専門店で、カウンターだけの店だが、たまに無性に食べたくなる。パーコーつけ麺が好物だが、この麺の良さは上に乗ったトンカツもどきにある、と断言したい。排骨と書いてパイコー、中華風のトンカツのようなものだが、衣がサクサクしている。丼飯の乗せて食べるのも良いが、やはり麺のトッピングとしての活用が最強だと思う。

コロナの前は行列の絶えない店だった。食べ終わったら10秒で店を出ていくのが客としてのマナーだなどと思っていたが、どうやらメトロ食堂街最後の砦も陥落寸前らしい。しかし、「ポツンと」の一言が、負けん気、やる気を物語っているなあ。しかし、何故メトロ食堂街は閉じてしまうのだろう。食堂街の中をあちこち探しているのだが、閉鎖の理由がどこにも書いていないんんだよね。

気になりネットで調べたら、新宿駅西口再開発でビルごと立て直し、将来的には凄まじい高層ビルになるようだ。その時には値段が倍くらいの高級レストランになってしまいそうだ。残念。

食べ物レポート

今週のラーメン

何やら全く誰も守ろうとしていない外出禁止令が出ている中、それでも所用があり外出した。その時の昼飯をコンビニで弁当買って公園で食べるという選択肢があるかを考え、ひょっとすると路上飲み、公園飲みを迫害する自称善意で正義の味方もどきにいじめられる、狩られる危険性があるなと思い(現代日本はそこまで考えないと生きていけないのだ)、結局のところそこそこ繁盛しているラーメン店に入ることにした。理由は、コロナ対策を無視しているとお客に嫌われるので、繁盛店はそれなりの対策、もしくは対策をしたふりをしているだろうこと。あとは、ラーメン店は客の回転も早く、また熱気がこもりやすいので換気をしているはずだということが理由だ。ただし、これからの季節は換気のため入り口扉を開放していると、虫が入ってくるという別問題も発生するのだが。虫では死なないが、コロナでは死ぬという優先順位がつけられるのだろうか。

大勝軒 所沢某所

家の近くの大勝軒は、やはり昼時には行列ができていた。客足が戻ってきているので、めでたいことだが、知らないうちに野菜盛り中華そばなるメニューができていた。隣の客がそれを注文しているので横から拝見させてもらったら、もやしとキャベツを麺茹でのザルに入れスープの中で加熱したものをトッピングするらしい。茹で野菜とは、何やらヘルシー感があるなあ。しかし、自分は断固として中華そば、麺小で決まり。二枚のチャーシューを最後までスープの中につけておくという食べ方も変えないぞ。世の中には変わらないからありがたいというものも存在する。対大勝軒の中華そばはその代表格だと思うのだ。ただ、次回はちょっと浮気してワンタン入りにしてみようかと思う。

蔵之介 東松山某所 
スマホを変えたらカメラ性能が上がりボケがうまく撮れるようになった

埼玉県川越市周辺のローカルチェーン「蔵之介」の味噌ラーメンは、この界隈ではトップクラスだと思う。千葉発の田所商店も捨てがたいが、やはりここは地元?支持で蔵之介に一票だ。炙りチャーシューというか、炙り焼き肉が乗っているのが特徴といえそう。ベースのスープが味噌に負けていない強さで、豚骨スープ系の味噌ラーメンにありがちな、何やら味のぼやけた感は全くない。味噌が主張する味の強さは大事なことだよ、と無言で語りかけてくる(ような気がする)  店のおすすめはトッピング大量盛りなのだが、あえてシンプルに「味噌ラーメン 普通」を頼む。ただ、たまには浮気をして全部乗せ頼んでみようかなどと思わないでもない。辛味噌というのもちょっと気になる。しかし、この店は家から遠いんだよなあ。

首相とか都知事がラーメン食べてSNS投稿したら良い意味で炎上するに違いないのに。緊急事態などでぶつぶつ言われるのを、ラーメンでつぶやいて人気回復すれば良いのに。

街を歩く

最近のちょっとした気づき

一つ目の気づきが、アルコール0%のノンアルビールテイスト飲料が、酒として売られている不思議。最初はオール・フリーのアルコール添加新製品が出たのかと思った。日本最大のコンビニチェーンで発見した。これ、誤りだと思いますよと店員に伝える親切心は持ち合わせていない。まして、サントリーに知り合いもいないので放置。世間的には禁酒令が発令中なので、ひょっとすると、かなりブラックなジョークを店主が企んでいる可能性もあるか?

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二つ目の気づきだが、5月6日に自分では不要不急とは思えない緊急事態に陥り、東京都内まで外出した。都知事の東京来るなという暴言が有効な中だが、奥歯の調子が悪くなり物がかめなくなったのでかかりつけの歯医者まで駆けつけた。その治療の後、昼飯を食べようと駅ビルに向かって見つけた休業告知。終わる日が分からないという「当面の間」に、無言の怒りを感じた。JRグループは民営化されたとはいえ、まだまだ政府関連組織なので、お上の言うことには逆らわないぞという姿勢は理解できるのだが。日本政府と東京都の無能ぶりに対する「怒り」というべきだろうなあ。

そして、緊急事態宣言延長中の中、個人的な緊急事態に対応しての外出のついでに、再確認してきた。結論は、この案内は撤去されていた。5月14日に新しいレストランが開店したと告知があったので、たぶん12日から営業再開したのだろう。
その後ついでに新宿の百貨店に行ってきた。高級品の販売は制限対象と言い切った東京都の言い分を、百貨店側がどう対応しているのか興味があった。結果は、高級女性向けアクセサリー店などが、売り場の中でぽつりぽつりと休業している。百貨店の中に透明シートで覆われ「営業してません」という部分が露骨に見せられている。ああ、これは怒っているのだな、とわかる仕組みだった。
なんだろうなあ、この「官」の責任逃れというか、高級品扱い商品は自分たちで決めろ、そしてそこは閉めろという要求。それに対応して、「官」が閉めろというから、俺たちは渋々と閉めてやるんだからね、と露骨に見せつける「民」の対抗策。ちょっと楽しい売り場見学だった。見物だけをしに来たわけではなく、食料品の買い物のついでに見にきただけだからな、と心の中で言い訳していました。

街を歩く

西新宿 5月6日 昼間

新宿駅西口から大ガード方向に進む途中の横丁。数年前に火災になり、ちょっとした騒ぎになっていたが、都心部に残る横丁としては、ほぼラストという感じだ。何やら中国系の女性が接客する店が増えたのは、また貸しのまた貸しが何重にも起きているからなのか。こういう店によくいそうな無愛想なオヤジ店主などはほとんどみかけない。ただ、飲んでいる客のほとんどが、人生後半に入ったような「オヤジ」族だ。だいたい飲んでいる連中が(自分も含めて)妙に背中が丸まっているのが気になる。本当に背筋をピンと伸ばして酒を飲んでいる奴は見かけない。いや、断言する(個人的感想です)。

桜の季節もとうに終わった5月に何故か造花ながら桜が満開なのだが・・・。赤提灯もぶら下がって入るが、灯りが入っている方が少ない。狙ったわけではないが、この時は通行人すらいなかった。

平日であれ、この横丁は昼から呑んべいで満席の店も多かった。5月6日はほぼ無人。行列のできる立ち食い蕎麦屋も行列なしだった。おまけに人気のラーメン屋まで空席がある。確かに、この横丁に来てチャーハンだけ食べて帰る客がどれだけいたことか。なんだかなあ、と思い込みつつ、こちらも足早に通り抜けるだけ。禁酒法時代の情け無用というか、飲み屋街の無惨な有様に心を痛めることになった。戦前の飲食店向け配給券復活まで、あともう一息のような気がする。コロナという戦争に、この国の政府はまた負けることになるのかもしれないなどと、ちょっと高尚なことを考えてしまった新宿西口思い出横丁でありました。

食べ物レポート

KFCのおもてなし ネタバレ

昔々、某フライドチキン屋で働きはじめた頃、英語の意味がよくわからず使っていた「スリフト」というメニューがあった。オリジナルチキン9ピースで1350円(消費税 なし)だった。英語のThriftとは、倹約とか節約という意味で、そこからお買い得品という使い方になっている。この1350円(当時)の持つ意味だが、大学生の時給が350円の時代だったから、だいたい4時間分の労働価値にあたる。現在の時給1000円で考えるとオリジナルチキン9ピースが約4000円ということになる。(ちなみに当時の時給350円の値打ちとはラーメン一杯とほぼ同じで、昼飯代はだいたい400円程度だった) スリフトと言いながら、なかなかの良いお値段だったのだ。
だから、この母の日バーレルは、当時と比べても時価で言えば半額程度というお買い得な超Thriftになるのだが。

ちなみにこの1350円(税なし)という価格は北海道ローカル限定であり、北海道以外の全国では1490円だったはずだ。北海道だけが貧乏人価格で販売していたと知った時、妙に寂しい気持ちになったのを覚えている。この北海道価格が消えたのは1980年代中盤で、それまでは北海道を植民地扱いされているようなモヤモヤした気持ちがあったものだ。しかし、それも東京に出てきて時給が100円近く違う事に気づき、この価格差は仕方ないなとようやく理解した。

母の日のミニバーレルだと思うのだがなあ

オリジナルチキンは鳥一羽を9ピースに分割している。手羽、胸肉、もも肉、足がそれぞれ2ピースで、ささみが1個の9ピースだ。足の部分を、手羽元のチューリップの部分と間違える人が多いのだが、その部分、パーツの名前をKFCではドラムという。また、もも肉の部分はサイという。最近ではスーパーの食肉コーナーでもサイとかドラムとか書かれることが多い。KFCが日本で展開を始めてから50年も経つので、アルバイトであれ社員であれ、KFC体験者は100万人近くいるはずで、日本の人口を考えればKFC用語がスーパーで定着してもおかしくはない。


バーレルというのは、21ピースを入れた大型メニューだったが、クリスマス向けパーティーバーレルではチキン10個とサラダとデザートにお皿付き、みたいな変形の売り方もした。(している)
さすがに21個入りで売るのは、チキンが多すぎて(高すぎて)難しいという事で、春とか夏とかに季節限定メニューでミニバーレル、チキン10個入りを売っていた。お盆の時にはとか、年末年始にはとか、慶事需要専用商品だったこともある。それがいつの間にか、ミニの言葉も消えバーレルは9個入りになってしまったようだ。日本が豊かになったののか、貧乏になったのか定かではないが、おめでたい席でオリジナルチキンをたっぷり食べるという習慣は消えつつあるらしい。バケツに入ったフライドチキンでおもてなし、というのは洒落た習慣だったと思うが、そのバケツがおもてなしの気持ちと一緒に小さくなった。昭和のバケツの大きさと令和のバケツの小ささの違いは、結構心に染みるものだ。

食べ物レポート

蕎麦屋で飲む酒が美味いわけ

何年か前に芝増上寺に所用があり、その帰りに大門にある有名な蕎麦屋に立ち寄った。午後の遅くというか夕方になる前の一番暇そうな時間だった。わざわざその時間を狙っていったわけではないのだが、有名店だけありランチ、そして夜は待ち時間が出る人気ぶりなのだ。空いている時間はのんびりできてありがたかった。となると思い出すのが、昔々、会社の先輩に教えられた「蕎麦屋で酒を頼まないのは失礼だ」という、なんとも凄まじいお言葉だった。店内が空いていることもあり、お銚子を一本注文する。蕎麦味噌がついてくるのが嬉しい。蕎麦味噌を一つまみして、その塩味を楽しみつつ日本酒で流し込む。ああ、これこれというささやかな幸せを感じる。

そして、蕎麦屋に入ったのに蕎麦を注文しないという道を突き進む。聞いたところによると、昔々のお江戸には、町ごとに寄席と床屋と銭湯と蕎麦屋があったそうだ。そして蕎麦屋は真っ当な人間が行くような場所ではなく、街の不良がたむろする酒場だったとのことで(本当かどうかは知らないが)、蕎麦は腹一杯食べるものではなく、酒のあてとしてちょとつまむものなのだそうだ。だから、老舗蕎麦屋のもりそばはバーコードみたいな量の少なさが当たり前で当然らしい。
というようなことを思い出しつつ、お江戸の老舗そば屋だと注文できる「天ぬき」天ぷら蕎麦の蕎麦ぬきを頼んだ。海老天の油がそばつゆに溶け出し、この濃いめのつゆをあてに酒を飲む。じわっとふやけてきた天ぷらの衣を摘んで剥がしながら食べる。衣が剥がれたエビを一口齧る。こんな酒飲みの楽しみを発明したのは一体どこのどなた様かは存じませんが、おかけでささやかながら人生の喜びを噛み締めておりますよと・・・。

最近は夜の飲みでコース料理を出す高級蕎麦屋も増えてきたが、個人的には蕎麦屋でそこまではいらないと思ってしまう。蕎麦味噌をあてに熱燗一本、天抜きを頼みつつお銚子を追加。そして、軽く海苔でも炙ってもらって、もりそばでサラリ。みたいな感じが良いと思うのです。ちょっとだけ不良になった気分で。

旅をする

ナマハゲを見てルーツをかんがえた

男鹿半島の入り口で歓迎されているのか追い返されているのか、巨大なまはげ

北海道は、蝦夷地と呼ばれていたのが「北海道」と名称変更になり、それを開基150年などといって祝っていたのが2018年だった。その前は青森(津軽)と海峡を挟んで対岸共通文化圏だった北海道南部を除けば未開の地だったわけだ。海岸沿いに、あちこちのアイヌ部族との交易所的な集落はあったようだが、大きな町といえば江刺・松前くらいのものだった。戊辰戦争の後、没落した反政府側諸藩の集団移民や日本海側諸地域からの食い詰め者の移住地(一旗あげるぞ、フロンティアみたいな感じ)、そして犯罪者の収容所、流刑地として活用された。
北米やオーリトラリアのイギリス植民地と似たようなものだ。対ロシアの防衛拠点として、政府主導の開拓が進められたとは言え、やはり「流れ者」が集まってできた混住地というのが正解だと思う。当時は日本海側の海運が主力であり、北は青森から南は鳥取、島根あたりまでが主たる移住者供給地帯だった。特に明治政府に抵抗した地域からの移住が多かったようだ。奥羽列藩同盟所属諸藩はその典型だろう。
そのため、各地の方言が微妙にミックスされた北海道弁が形成された。だから北海道弁というより流れ者の共通語だったのだろう。それが混住時期が長く続くと、北海道弁だと思っていたら、同じ言葉が岩手で使われていてびっくりした、などという北海道民の変な思い込み話もたまに聞く。元々は岩手や宮城など東北地域の言葉が、北海道に流入して広まったのだから、北海道民の言語モンロー主義には笑ってしまうところがある。

んだ、とは北海道でも聞く言葉かなあ?ちょっと微妙かなあ

自分のルーツを調べてみたら、父系は4代前に富山から北海道に逃げてきたらしい。水飲み百姓(小作農)の三男だか四男だかで、典型的な「貧乏人の一旗揚げるぞ的な動機」での移住だった。ところが、やはり夢は簡単に敗れ、日高地方で借金を踏み倒したのか?、夜逃げ同然に知り合いのつてを辿って芦別に入植。その後は真面目に開拓に励み、小作人を雇うほどの地主様になったが、戦後の農地改革でまさかの農地没収。それでも祖父の代ではそこそこの規模の自営農家となり、その次男であった父親が役人になった、というこれまた北海道では一山いくら的な典型的家系、ルーツ話だ。キンタ・クンテのような劇的な話ではない。
おそらくじい様の代あたりでルーツの富山とは徐々に切り離され、内地との距離感を持った北海道人化したというところだろう。だいたい苗字からして、明治代に強制的に与えられた農民向け姓名だし、浄土真宗の檀家だし、富山の底辺階級からの脱出組だ。
さすがに最近は北海道民でも、「内地」という言葉を使う人も減ったが、内地とは外地に対する言葉だ。内地は日本本国、つまり本州と四国、九州で構成される。外地は明治期に拡大した領土で、北海道と日露戦戦勝で得られた樺太、日清戦で獲得した台湾、朝鮮などの諸地域をさす。琉球も明治政府成立後のどさくさに紛れて編入したから外地だったのだろう。
つまり外地とは植民地の言い換えと言って良いと思う。植民地人の屈折と憧れ、望郷の思いを込めた「内地」と「外地」なのだ。東北、北海道は大和朝廷成立以来の領土拡張欲に強く彩られた、侵略戦争の結果であり、常に辺境扱いだった。(そもそも道の奥と書いて陸奥なのだ)
世界史的に見て、だいたい植民地は独立する。本国の搾取に耐えられないからだ。だから既に独立した地域は別として、北海道と沖縄は独立する余地があると思うが・・。(北海道民はジオン公国ほど人口がいないから、難しいかもしれない)

脱線したので話を戻すと、我がルーツの母系は、三代前、つまり母、祖母、祖母の父あたりまでしかわからなかった。3代前のひい爺様は秋田から樺太に移住したようだ。樺太は日露戦争の頃からロシア人と日本人の混住地になっていたから、おそらくその頃に移住したはずだ。母方は曹洞宗の檀家だったので、おそらく下級武士だったのではないかと想像している。爺様は、樺太の炭鉱で働いていたが(ルーツわからず)陸軍に徴兵後、樺太の守備隊で戦病死。母子家庭のまま終戦を迎え、樺太からの引き上げ船に乗るまで2年ほど抑留。その後、北海道に引き揚げてきて芦別で受け入れられた(その頃は炭鉱都市として人口が膨大していたため)ということのようだ。
つまり、自分のルーツを辿ると富山と秋田のミックスで、家系図が遡れるような家柄でもなく、典型的な外地人、植民地人ということになる。だから子供の頃、時々食卓に出てきたわけのわからん食べ物(おそらく由来は北東北から北陸地方の農民料理)には閉口したものだ。青菜の漬物を味噌で煮たものは、どうやら富山の山間部の料理のようだ。ハタハタの煮魚もよく出てきたが、あれは間違いなく秋田ルーツだろう。糠ニシンというニシンの塩漬けも、よく食卓に出ていた。糠ニシンなどは今や北海道の居酒屋で食べる特殊嗜好品のような気もするが、あれは北陸のへシコ(サバの糠漬けなど)が北海道的な変化を起こしたものだと思う。保存性が高いので、日本海沿海部で作られたものが、北海道山間部・内陸部にまで運ばれていたようだ。だから秋田・富山ルーツの食べ物というより、北海道全域的に広がっている「日本海沿岸部文化」だろう。
樺太で育った母が言うには、ししゃもとは岸辺に溢れているものを一斗缶にいっぱいに入れていくらという単位で買ってきて、自分で干すものだったそうだ。飯のおかずより子供のおやつみたいなものだったらしい。これは樺太文化というべきだろう。だから、実家にいる間は食卓にししゃもが出ることは極めて稀だった。スーパーで売っているししゃもはししゃもではないというのが母の持論だったからだ。などなど、いろいろなところに日本海沿岸文化は色濃く残っているのが、北海道の文化的ルーツとも言えそうだ。

ただ樺太に行った秋田からの移住者はナマハゲ文化を持ち込まなかったのは確かのようだ。秋田と言うより男鹿地方の文化だと言い切れるとも思えない。おそらく、樺太では稲作ができなかったせいで、あの独特のワラ装束が作れなかったからではないかなどと思っている。また、外地人は本国に対する文化的な渇望というか、こだわりが強かったようだ。たとえば全国各地で様々な盆踊りがあるが、北海道でも地域によって微妙なスタイルの差がある。地域によってはそれぞれの移住者の本拠地のスタイルが伝わっている。しかし、炭鉱地のような多種多様な地域から人が集まった場所では、ミックスされて北海盆歌みたいなものになった。今や、そのミックス形態が標準化し伝統的などと言われる。
しかし、ナマハゲのようなビッグイベントが根付かなかったのは、やはり何かの理由があるのだろう。ただ、その理由が思い当たらない。個人的には、北海ナマハゲみたいなのが残っていてくれれば楽しかったろうになあ、などと思うのだが。