食べ物レポート, Uncategorized

すごいラーメン店

どう見ても倉庫のような気がする

つい最近まで知らなかったのだが、ネットニュースに配信されてくる地元ニュースで見つけた「ガレージの中のラーメン屋」に行ってきた。製麺屋が運営する直営店のようだ。店内に入ってみれば、確かに倉庫の中という感じがする。コロナ対策もありテーブル席は間引いているようだ。

正しいメニュー説明とはこういうことだろうなあ

土曜日には本体の製麺屋が、麺のアウトレットを、この店の奥で開催するらしい。面白いことを考えるものだ。入り口にある自販機を見ると、何やらいろいろと書かれているので、じっくり眺めてみた。基本的にラーメンは4種類あるようだ。

ところが、何やら訳はわからないが従業員の方が券売機の前で商品説明をしてくれるのがちょっと不思議。券売機いらないのではと思ってしまった。
まずは初見ということでおすすめの「生姜中華そば」にした。最初にスープから昆布の味が伝わる。昆布だしがこれほど正面切って出てくるラーメンは初めてだ。その後すぐに、動物系(鳥メインか?)の味が出てくる。なかなか複雑なスープ作りをしている。
麺は普通にスルッと入ってくるので、スープと麺の絡みも納得できるバランスの良さだった。あっさり系でまとめ上げているが、満足度は高い。特にチャーシューの仕上げが素晴らしい。次は肉増しにしてみたい。他の3食も順番に試してみなければと思わせる高品位ラーメンだった。

生姜のラーメン

もっと前から知っていればなあとも思ったのだが、記憶を辿れば一年くらい前に、幹線道路から店舗に通じる脇道に入る場所に変な看板が置かれていた。なんだか怪しげな看板だなと思い、近寄らないようにしていたのだが、実はラーメン屋の看板だったのだな。もう一歩踏み出す勇気があればと悔やまれる。
いくつか支店があるようなので、そちらにも行ってみなければ。それぞれの店独自のラーメンがあるらしい。地元で見つけるプチグルメ的楽しみだったつもりが、予想外の秀逸な店に出会い、想像以上にワクワクした。名品。

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池袋@DEEP 続きの続き

池袋西口界隈をぶらぶら歩きしたときに、気になっていたことをもう一度確かめに行ってみた。所用が早く終わって暇になったからだが、モヤモヤしていた疑問が一部解消できて、スッキリだ。モヤモヤ感の原因は周黒鴨大夫人という看板に描かれたDAIHUJINという表記だ。これは「大婦人」のローマ字書きなので、日本語読みになる。ただ、どうも日本的でない雰囲気が全面的に漂っているのでモヤモヤ気分を感じるのだ。

そこで店の周りの看板を丹念に確認してみたら・・・。発見しました。大婦人の読み方は、やはりチャイナなもので、DA FU RENだった。ささやかなチャイニーズの知識でも、こういう読み方になると思っていた。下に並んでいる漢字も、よくよく見れば日本語漢字ではない。いやー、納得できた。これは、やはりチャイナな経営者がチャイナなお客人向けに開けた店なのだろう。しかし、斜対面という文字はどう読むのかわからないが、意味はわかる。漢字は便利だなあ。

もう一つ見つけたツッコミどころで、この周黒鴨大婦人はチェーン店のようで、8号店まである。住所を見ると〇〇駅から◯分などと書いてあるので、これは日本語の表記のようだが、なぜか2号店と5号店と8号店が「池袋店」だ。池袋西口店とか西口2号店とか言わないのだなあ。この店で待ち合わせをすると、絶対間違うと思う。

DA FU RENは、串鍋という、あまり聞き覚えのない料理の店らしい。名古屋名物の土手焼きみたいなものか。串に刺さったおでんみたいなものだろうか。これは一度行ってみたいものだが、ひとりでいく勇気がなあ・・・。

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「無料の昼食」はありません

お正月に思うことを少々

Photo by Flo Dahm on Pexels.com

英語は中学高校と得意な学科ではなかった。それでも毎年4月になれば某国営放送のラジオ英語会話を聞いていた。いつも9月になると諦めてしまうので、毎年半年だけ参加する渡鳥イベントだった。
英語の授業では、英文法が苦手で、単語の記憶力も悪買った。ずっと苦手意識がある学科だった。それが高校2年にリーダー(英文読解)の先生に感銘を受け、いきなり原書を無理やり読む習慣がついた。
ちなみにこの先生の最初の授業で聞いたのが、英語ではなく中島敦の山月記で、まるまる朗読してくれた。英語の先生から、現代国語の授業を受けたのだから、それはびっくり体験だ。
多分、その尊敬する先生が原書で読む楽しさみたいな話をしたのだと思う。それにまんまと乗せられたわけだ。最初は中学生程度の英語で書き直されていたトムソーヤーの冒険、ハックルベリーフィンの冒険を読んだ。なぜか完読できたので、調子に乗って英文SFに手を染めた。新聞の英語は難しくて最初から諦めた。
その後、大学に行っているころは、翻訳が出ていないSFを中古のペーパーバックで何冊か読んだ。読んだといっても話の筋を追うのがせいぜいで、理解度は半分程度だったと思う。
その後アメリカ暮らしを一年ほどした時に、日本から持っていた本を読み切り、読むものがなくなり仕方なしに英語の中古本(ペーパーバック)を大量に読み漁った。活字中毒というのは恐ろしいものだと思い知った。活字であれば日本語でなくてもなんとかなる。そんな時期に覚えた格言というか箴言で、人生の役に立った言葉がいくつかある。

TANSTAAFL
There ain’t no such thing as a free lunchの略で、ハインライン作「月は無慈悲な夜の女王」に出てくる言葉だ。この本は我が人生ベスト中のベストSF作品だと思っているが、主人公たちの行動規範になる言葉でもあり、ハインライン哲学の根幹にあるものだろう。
意味は「無料の昼食はありません」というもので、語源はアメリカの飲み屋で酒を頼むと無料でランチが食べ放題だったことに由来する。タダのランチを提供する飲み屋は、酒が高いことが多いので、結局、高い酒代に食べ物代が含まれている。つまり、タダのランチなんてないのだよ、ということらしい。初めてこの言葉を知って以来、何かあると意識の底から響いてくる。タンスターフル、タダのランチはありませんと。
もう一つが、軍事SF 「孤児たちの軍隊」の中で見つけた言葉だ。

“The difficult we do immediately. The impossible takes a little longer.”

/Combat engineers thought alike

「困難」だったら、すぐにやって見せます。「不可能」だったら、もう少し時間がかかります。  ・・・訳者注 アメリカ陸軍工兵隊のスローガンの一部

というものだ。これはサラリーマンをやっているときに見つけたもので、面倒くさい仕事に巻き込まれた時は、ちらっと思い出していた。この言葉を実践するのは難しいんだよなあとぶつぶつ言いながら、やはりお仕事とはこうあらねばと自分を奮い立たせるためだ。我ながら感心するが、真面目に仕事をしていたのだなあ。

少なくともあまり読んだことのない仏典やキリスト教の新約聖書などよりSFの諸作が、よほど人生に影響を与えれくれているのは間違いない。今日も昼飯にはちゃんと代金を支払ってきたしね。

ご参考まで  月は無慈悲な夜の女王
https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/11748.html

孤児たちの軍隊 (言葉が出てくるのは4巻)
https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/11923.html

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池袋の西の果てで見つけた

所用で池袋に行くことになった。待ち合わせの時間が午後イチだったので、久しぶりに池袋の外れにある名店に行こうと思い、少し早めに出かけた。昼時は混み合うのがわかっているので、午前中に食べてしまおうという企みだったが、12時前だというのにほぼ満席で、ようやくカウンターに席を確保した。その後は、すぐに空席待ちになった。しかし、この店名はいつ見てもすごいなあ、と感心する。姉妹店は「カレーは飲み物」だから、社長のセンスがずば抜けているというしかない。ただ、この店名を誰かに話すのは、ちょっと気恥ずかしい気もする。なので、いつも一人飯にしている。

いつも注文するのは肉そばだが、肝心の肉と蕎麦は海苔の下に隠れていて見えない。そばつゆは濃いめの甘めでラー油が浮いている。ただ、この程度の量のラー油でそれなりの辛さになる。最初に海苔をえいやとツユに放り込み、その下から肉とそばを引っ張り出す。後は適当にそばをツユにつけこみ、もぐもぐと食べる。つるっととか、ズルズルとか、という形容詞は使えない。太くて腰のある麺は「もぐもぐ」としか形容できない。

そばを食べた後、ぶらぶらと池袋駅方向に戻るときに気がついた。なんと、新型のドミノの店にはバイクがない。蕎麦屋に行く途中では、ドミノができたのかと思って見過ごしていた。

DーPITという看板は、駐輪場のことなのだろうか。何やら、かっこいい名前だが。おそらく、池袋西部を中心とした宅配エリアではバイクよりも自転車の方が小回りがきいて良いのだろう。坂道のない平面的な街だから自転車でも問題はなさそうだ。ウーバーや出前館の活躍で、自前の宅配注文が減っているのかもしれない。
しかし、自転車で出前とは、文明的に後退したような妙な敗北感を感じる。アフターコロナの世界が変わっていく象徴みたいなことだろうか、とずいぶん大袈裟に考えてしまった。

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加速度と慣性の問題

再現シーン

くら寿司のカニカニフェア?に行ってきた。前回は、未確認のまま開始前日に行ったので「カニ」が食べられなかった。個人的なリベンジチャレンジだ。カニシリーズを全制覇するべくやる気満々で乗り込んだのは良いのだが・・・。
まずは最初に、カニ足とむき身のセットを頼んだ。実はこれが到着したときに事故は起きていたが、写真撮影のため修正した。

事故現場

くら寿司の配送レーンは相当なスピードで皿が運ばれてくる。目の前を他の客の注文した皿が流れていくので、速度感は実感済みだ。個人的な感覚では、くら寿司の方がスシローより速い気がする。はま寿司はちょっと遅めかもしれない。まあ、感覚的なものなので、ひょっとすると回転寿司施設設置協会みたいなものがあり、そこの認定でレーン速度は全て同速であるのかもしれないが。
そして、レーンは急発進、急停止するので、当然ながらシャリの上に乗っているネタの密着度はネタの粘性と接地面積に影響される。接地面の密着度が低い場合、急停止したときにシャリの上からネタが飛び出す可能性がある。当然、回転寿司業界としては品質確保のために、その辺りの事故研究は十分に検証されていると思っていた。
しかし、今回のカニすき身は盛りが多過ぎたためか、上部のカニすき身が停止時の急減速に耐えられず「慣性」の法則に従い、崩落を引き起こしていた。
すき身の崩落方向を考えると、握りはレーンに対して垂直に置かれていたため、停止時に前部にある握りのネタが崩落したと考えられる。もし、シャリ玉をレーンに並行に置いていたら、すき身の前半部分の一部決壊程度で済んだかもしれない。
これは皿の置き方の向きを厳密に指定していない本部の問題か、あるいは社内規定で「レーンに並行に寿司を置くように」というマニュアルを守らなかった店内オペレーションの問題なのか。初めての崩落事故で原因追求が望まれる。(個人的にです)

などという物理的、社会行動学的考察をしてみたが、文句をつけるつもりもなく、どうせ口の中に入れば味に変わりはないと、あっさり食べてしまった。すき身の盛りが多いから、カニ味はたっぷりする。普通においしいので、これはこれで良い。
ただ、皿にこぼれたすき身を一気に放り込むため、皿を持ち上げてのカキコミ飯になってしまった。

カニカニチャレンジをしたせいで、いつものイカ・タコの無脊椎動物攻略は諦め、軍艦巻きとホタテで終了した。回転寿司各社で軍艦巻きのバラエティーはずいぶん差がある。今度はどこかでオール軍艦巻攻めをしてみようかとも思うのだが。

そして、食べた皿を返却したら、いきなりびっくりぽんが始まり、いつもだとすぐに「ハズレ」となるのだが、なぜか今日はずいぶん引っ張っているなあ、とぼんやり見ていた。
なんと、5年ぶりくらいのあたりだった。今は、鬼滅とのコラボだそうで、いつもの寿司キャラ人形ではなく、箸置きが出てきた。おそらく一番人気だとおもわれる「炭治郎」なので、これはついていると思うべきか。
何やら、今年最後の運を使い果たした気分になった。正月は鬼を払うべく「炭治郎」箸置きに活躍してもらおうか。

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駅弁 as NO. 1

今更ながらの話だが、駅弁界の絶対王者は北海道のイカ飯と横川の釜飯なのだそうだ。どんな駅弁大会でも、必ず1・2位をわけあう圧倒的強さで、そこに追いつくのが山形の牛肉ど真ん中、秋田のとりめしで、5位以下に全国の強豪がひしめくという構図らしい。個人的には、あれもこれもランキングに入れてくれと言いたい「おすすめ駅弁」はあるが、客の支持=販売数と思えば、やはりイカ飯と釜飯に尽きるようだ。

まあ、それに文句があるわけでもなく、横川の釜飯は大好物だ。その横川の釜飯の出張販売が、今年は近場のスーパーであった。釜飯のサイトを見ると、本家本元群馬県横川から配送可能な埼玉県、千葉県周辺では、ローカルスーパーのほとんどで特設販売日があったようだ。ありがたいことだと、いそいそと自宅近くのスーパーに買いに行った。まだほんのり暖かい釜飯を手に入れた。ラッキー。

益子焼の釜

最近ニュースで見たのだが、横川の釜飯の土釜を製造している焼き物屋さんが倒産したそうだ。後継の会社は見つかったようなので土釜がなくなることはないとのことだが、それにしても日本一の販売数の釜飯屋(多分)に供給しても商売が成り立たないとは、焼き物業界も大変なのだろう。飲食業とは密接な関係がある業界だけに、こんな場所にもコロナの影響なのかなあ、などと思ってしまった。
最近はパルプ製容器を使った釜飯も売られているが、ゴミになるパルプ製と再使用できる土釜とどっちがエコだろうと考えてしまう。土釜を作る時には火を使うのでエネルギーが必要だし、パルプは森林資源を使うし、おまけに焼却処理が前提だ。などなど、個人生活にもじんわりとエコ問題が入り込んでくる時代だ。

ちなみに、釜飯の土釜は自宅で何度も調理(自分で釜飯つくる)をして、壊れるまで使う。あるいは、小物などの入れ物として使う。昔から碁石を入れる碁笥かわりに使っている。USBやSDの保管容器にも重宝している。蓋付きなので埃が入らない。

全国あちこちに釜飯・駅弁は存在するが、この横川の釜飯はひときわ完成度が高い。なんといっても甘い杏と栗が決め手で、「甘味」の存在がやはり駅弁の肝だ。それも一口サイズというのが重要で、横川の釜飯はこれが2点豪華セットになっているのが優れた点だろう。
隠れ名品は、釜飯型の別容器でついてくる漬物セットで、これだけでも酒の肴になりそうなものだ。その中でも一番下にひっそりと隠れているワサビ漬けが実はおつまみ会の裏ヒーローだと思う。仮面ライダーシリーズで言えば、ライダーマン的存在で、通好みの渋さというしかない。

次回の釜飯販売はいつになるのだろう。自転車で買いに行ける駅弁というのは、とてもありがたいのだが・・。月イチ開催にしてもらえればなあ。

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味噌ラーメンうまし うちの近くで楽しむ

家からクルマで20分ほど離れた隣町にある「味噌ラーメン」が、最近のお気に入りなのだが、ラーメン食べにいくのが不要不急の外出になるかと多少考えてはいる。遠出をしないで近くにあるラーメン屋にすればいいではないかとか、そもそもラーメン食べにいくのは我が人生にとって不要不急と言えない重大事だとか、色々と哲学的思考をしてしまう。まあ、美味いもんを食べにいくのは人生にとって重要事ということで良いのではないかとは思うのだが。これがステーキだと、不要不急だなとか、焼き鳥だと不要不急には当たらないとか、自分勝手な理屈をつけているのも確かだ。この理屈の延長で、銀座のバーに行ったり、個室カラオケで大人数飲み会やったりするのだから、「不要不急論」自体が成立しないと言う気もする。

埼玉には日高屋、満洲、山田うどんなどローカルヒーロー的麺チェーンが多い。ただ、そのどこも味噌ラーメン推しではない。「味噌ラーメンですか、とりあえずうちでもやってますけど」的なおまけ感がある。だから、味噌ラーメン専門店を見つけると、ついつい入りたくなる。単純に味噌ラーメン好きと言うことだが。ただ、「ああ、これは正解だった」と思う店は意外と少ない。頑張ってるねー的な応援感想で終わることも多い。だから、この店は貴重だ。できれば月に一回は食べにいきたい。

見た目は普通な味噌ラーメンだが、ちょっと味噌の甘さが強い。スープも味噌に負けない強さがある。麺は中太麺で自分好みだ。そして、この店で食べるときには、途中からニンニクと生姜をたっぷり入れて味変させる。味噌ラーメンの楽しみは味編にあると断言したい(エヘンエヘン)。味噌タンメンもあるが、頼むのはいつも普通の味噌ラーメンになってしまう。チャーシューが食べたいからだ。ただ、味噌タンメンに追加チャーシューと言うのは「アリ」かもしれないが。

久しぶりに来たら、店の前に餃子の自動販売機が置かれていた。確かにセルフ販売の餃子店が流行りみたいだから、これもありか。販売機下のイラストが謎だけれど。多分、川越の時の鐘なんだろうと思う

ちなみにこの味噌ラーメン屋から車で2−3分のところにある姉妹店が、「小江戸タンメン」というこれまた謎の看板がかかっていて興味がそそられる。「小江戸」とは川越のことだろう。川越タンメンと書くより、オシャレということだろうか。次はこちらに挑戦。

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スーパーのピザがおすすめ?

ネットのニュース配信記事を見ていると、時々思いがけない情報にぶち当たることがある。政治の課題と国際情勢とアイドルの恋バナと格安グルメ?情報が並列で流れているせいだろう。「首相退陣か?」みたいな記事と「コンビニ弁当で一番安くて美味い〇〇」が同列の価値を持っている。
そんな格安グルメ話の中で、よく見かけるのが「スーパーOK」の弁当と惣菜の話だ。確かに安いし、よく研究されている商品が多い。その中でも焼き立てピザが興味を引いたので、久しぶりにオーケーに行ってみた。オーケーは最近のスーパーでは珍しく、インストアベーカリーコーナーを持たないが、店内でパンは焼いているらしい。見せないだけということかもしれない。
格安500円のピザを定期的に焼いているようで、並んでいるピザの箱を触ってみると暖かい。基本は売り切れごめんらしく、開店時、14時、17時みたいな焼き上げタイムに追加補充されるようだ。トマト系ソースのシンプルピザが500円、肉系のソーセージや照り焼きチキンがトッピングされると600円弱という二段の値付けになっている。照り焼きチキンのピザを11時ごろに買ったのだが、まだ暖かい。

宅配ピザで頼むとMサイズに当たる大きさだが、Mサイズはだいたい定価が1500円から2000円くらいなので、このスーパーオーケー・テイクアウトピザの値段は破格ということになる。デリバリーのピザと違いテイクアウトで買うと、ピザは必ず冷めてしまうから、スーパーで買おうと宅配店で買おうと品位に差は出にくい。確かに、スーパーのピザはお値段それなりという感じがするが、専門店のピザとの価格差を考えると、これで十分と考える客は多いだろう。そこで、500円ピザが成立する条件を少し分析してみた。
ピザの原価は非常に乱暴にいうと、生地(+ソース)とトッピングとチーズの原価がほぼ同じ。つまり100円の生地+ソースを用意すると、それに100円分のトッピングを乗せ、100円分のチーズを乗せる。
またピザは円形なので、直径が2割大きくなるとトッピングやチーズは5割多く乗せることになる。これがピザの原価を決める大きな要因になる。
原価を削減するためには、ピザの生地(直径)は大きく見せながら、トッピングやチーズを減らすことが重要で、そうなるとフチを大きくすることになる。フチが太くなれば内側のトッピングとチーズの面積が減る。フチを直径の1割程度から2割程度に増やせば、トッピングとチーズは二乗に反比例(?)して3割ほど減らすことができる。テイクアウトピザ(冷凍のピザも含めて)は、だいたいフチが太いのだが、理由はこれだ。
肉トッピングにすると値段が100円増しになるのは、肉トッピングのコストが高いせいだが、その時にチーズ増量ではなくマヨネーズソースで「濃い味」を追加するというのが、コスト管理の原則になる。
宅配ピザとテイクアウトピザの見た目の差は、こんなことをあれこれと工夫した結果なのだ。

ピザは、フチを食べ残すことが多い。単純に生地だけでは味がしないせいだが、そうなるとテイクアウトピザの食べた後は、フチの残骸が山積みされることになる。これが一枚2000円もすると、微妙なもったい無い感が出ると思うが、500円程度であればそれほど罪悪感も出ないのかもしれない。
500円ピザを実現するには、意外と綿密に、そして理論的なものづくりの取り組みをしなければいけないのだが、その割に低単価で儲からないからスーパーではなかなか広まってこなかった。ただ、これだけテイクアウト食品の市場が広がると、テイクアウトピザは新しい目玉商品に大化けするのかななどと思っている。
スーパーのピザは500円のシンプルなやつを買ってきて、家で追加トッピングをちょい乗せすれば、実は簡単に宅配専門店のピザを超えるうまさになる。スマートピザを作るスマートレシピーがはやりになるかもしれない。その話はまた次の時にでも。

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道東の道の駅 あっけし

厚岸といえば牡蠣の町、北海道人ならストレートにこの答えが返ってくるだろう。本州人であれば、この地名がそもそも読めない可能性がある。北海道アルアルの語源がわからない難読漢字地名だ。「あっけし」と読む。語源はアイヌ語が訛ったもの。

この道の駅は比較的新しいはずで、コンセプトが「おいしい厚岸の食べ物を食す」なのだと思う。道の駅には珍しい海産物特化型で、かつ、レストラン特化型なので、グルメパークという名前はほぼほぼ適切だ。おまけに道の駅なのに街道筋から離れた小高い山の上にある。だから景色が良い。

厚岸の町は海沿いに開けている。港町であり漁港でもあり、町のあちこちに観光客目当てと思える牡蠣屋、牡蠣料理屋がある。観光客といっても、厚岸に来る目的は牡蠣を食べるか、牡蠣を買いに来るかなので、名所といえばこの丘の上からの光景くらいかもしれない。(自分が知らないだけで、どこかにビューポイントや観光スポットがあるのかもしれないが・・・)

かなりおしゃれな外観で、一階は土産物と軽食、2階には和洋のレストランに、バーベキュー・レストランがある。まあ、当たり前のことだが、牡蠣推しの店ばかりだ。

この定食全てが牡蠣展開というのは、見ていて気持ちが良い。牡蠣の名産地、宮城県松島や広島あたりの瀬戸内海でも、これほどの牡蠣推しレストランは見た記憶がない。ただ、この美味そうな牡蠣料理を食べるには、一人で運転してきてはいけないなあ・・・。誰か犠牲的な運転手を調達して、あるいはノンアルな運転係を見つけ出し、自分はビールとカキフライを堪能できるようにしなければ。

一階で見つけた、コカコーラの自動販売機がなんとも悩ましい。瓶のコカコーラはもはや天然記念物扱いではないだろうか。そもそも今の若い方は、コーラ瓶の栓が抜けるのだろうか。栓抜きは家庭内でもほぼ絶滅状態のような気がする。瓶の蓋を栓抜きに当て、一気に瓶を下向きにひねるという光景は、もはや高齢者の特技ではないか。しばらく、コーラを買う客が現れないかと観察していたが、全然来ない。今の若い世代には甘い炭酸飲料など、過去の遺物扱いで飲む気がしないのかもしれない。あれこれ想像しているうちに、ようやく、この自動販売機は高齢者向けのノスタルジーマーケティングマシンだと気がついた。実にほろ苦い気分になった。厚岸の道の駅は、いろいろな意味で罠が仕掛けられている。だめオヤジには鬼門だった。

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アジウリを見て思い出すこと

北海道では、この季節になるとスーパーの果物売り場でたまに並んでいる「あじうり」。一般的には、まくわうりとして知られているらしいが、北海道では夏の甘い果物として知られている。いや、いたと過去形で書くべきかもしれない。メロンが一般的になる前、夏の甘い果物といえば、アジ売りとスイカと決まっていた。さくらんぼが出回り季節と重なっている7月初旬が出始めで、お盆の時期、8月の中頃まで出回っていたような記憶がある。高価なメロンと比べても仕方がないのだが、アジ売りは安い分だけ糖度が低い。というより、より糖度の高い商品としてメロンが開発されたということだろう。果肉は緑がかった黄色で、ちょっと見では緑肉のメロンの色に近い。島があるところはスイカに似ているが、食感は柔らかいきゅうりといったようなもので、メロンのようにスプーンで掬って食べるのには向いていない。皮を剥きザクっと切ったものを楊枝でつまむと言った食べ方だった。小玉のスイカを細くした程度の大きさで、俵形をしている。皮は薄いが果肉の甘い部分は中心部付近なので、皮は厚めにむいた方が良い。

この「あじうり」を食べていた頃は、トマトがとてつもなく酸っぱくて砂糖をかけて食べていた。そして、トマトの青臭さが嫌いな子供が多かった。今の桃太郎と比べると、同じ品種とは思えないくらい、トマトは野菜臭かった。感覚的にはセロリーに近いものだった。とうもろこしも甘味が全然足りていない上に、皮が硬いせいで、たっぷり塩を入れゆでたものを食べていた。おそらくポップコーンの塩味に近いレベルで、一本食べると喉が渇くほどの塩分だったと思う。スイカも糖度が低めで塩をかけて食べるというのが一般的だった。さくらんぼもイチゴも今と比べて酸っぱくて甘さが足りない。たまにアメリカで食べたイチゴやトマトで、昔の味を思い出したこともある。つまり今や日本の果物は、世界の平均値と比べるととてつもなく甘い「何か」になっているらしいのだ。だから、そんな昔の味を懐かしんで味売りを食べてみるのだが、当たり前のように味売りも品種改良が進んでいるらしく、昔と比べてはるかに甘い。味売りの思い出にも裏切られる。歳をとってしまったものだという実感が残る。ちょっとほろ苦いあじうりだった。