Blog

食べ物レポート

盛岡名物冷麺 あれれ?

掘り返してきた3年前の写真を見返していて気が付いた。ずっと盛岡冷麺と思い込んでいたが、盛岡冷麺発祥の地? 食道園の暖簾には平壌冷麺とかいてあったのだ。記憶の中での間違った刷り込みがどこで起きたのか不思議だ。よく行く「ぴょんぴょん舎」では盛岡冷麺と表記されているから、そこからの記憶かもしれない。スーパーで売っているチルド冷麺も「もりおか冷麺」とかいてあるからかもしれない。
ただ大昔に食べた、ソウルの有名冷麺店の冷麺より盛岡冷麺の方がはるかにうまいと思うので、やはり本場の味に日本的アレンジがしてあるような気がする。ソウルで食べた有名な韓式料理店のフルコースでも感じたことだが、全般的に韓国の料理は塩味が薄いのが特徴だと思う。ソウルで食べた本場の冷麺も塩味が薄いという点が、日本人的な嗜好と違っているのではないかと思う。逆に韓国の方からは日本食の塩味がキツすぎると思われているだろう。

雪の降る日に寒さに凍えながら入った店内で冷麺食べた

この元祖冷麺は実にさっぱりしているが、何度食べても飽きない。麺の腰の強さもあるが、さっぱりしているがコクのある出汁、スープの力が一番の決め手ではないかと思う。近所の焼肉屋だと、まず焼肉を注文し、その後に冷麺を締めに頼むというパターンだが、冷麺だけでも注文できるのが盛岡方式だそうだ。それでも、焼肉もうまいので、軽く一人前程度のカルビは頼む。焼肉を食べた後、冷麺のさっぱり感を楽しむのが食い物道として本道だろう。
これだけ食べるために盛岡に行ってもいい(大袈裟ですなあ)と思うくらいの好物で、盛岡では他の冷麺も試してみたいと思いつつ、ついふらふらと食道園に吸い込まれてしまう。そのため比較対象するデータは「ぴょんぴょん舎」くらいしかない。が、ぴょんぴょん舎も旨いと感じるのだから比較にならない。

食道園の定番

そこで、最近食べた日高屋の冷麺と写真を比べてみると、ルックスは似たようなものだが、食堂園の方が麺の盛り付けに美しさがある。さすが、専門店の技量というものだろう。それでも、盛岡に行かなくても冷麺が食べられるのは捨てがたい魅力だ。日高屋的な、抜群にうまいわけではないが、納得できる価格バランスみたいなところを加味しても、日高屋冷麺は「十分に」良い出来だと思う。

日高屋はお手軽に

気温が上がってくると食べたくなるものが冷麺と冷麦。今年はいったい何回冷麺が食べられるかな。早く旅行の自由を取り戻したい今日この頃。

食べ物レポート

うれしいサービスとはこれだ さんぱちはえらい

札幌にある老舗の味噌ラーメンチェーン店は、店舗の屋根や壁に大きく描かれている「さんぱち」の文字が目印だったが、いつの間にか店の前に某フライドチキン店のような等身大?のラーメンシェフ像が立っていた。なんだか、カラーリングが赤白で似ているような気もするが、それはそれで置いておくとして、この店のサービスが素晴らしい。(個人的な感想です)

なんと北海道日本ハムファイターズが勝つと割引になる。定番の味噌・塩・醤油限定のようだが、サンパチは元々味噌ラーメン屋なので、これで文句をつける客もいないだろう。確かに地元の野球チームを応援する飲食店は多いだろうから、この店が特別だとは言わないが、なんにしても「どかーん」と大きく書いてあるのが良い。ちなみにこの写真を撮ったのは何年も前のことなので、今はどうなっているかはわからないが。
今年の春先、札幌で行った飲み屋ではコンサドーレ応援をしていたし(レプリカユニフォームその他チームグッズを見せると割引)、プロチームの地元ファン優遇策は重要だ。

正統味噌ラーメンとは、こんな風に見えるものだ(キッパリ)

で、百円割引してもらった味噌ラーメン。ああ、旨い。素直にそう思う。札幌でのデフォルト味噌ラーメンは、スープの構成や味噌味の強さ、麺の太さなど、今やすっかり様変わりしてきている。だから、この昔ながらの味噌ラーメンはもはやクラシックスタイルというべきだが。クラシックの何が悪い、サッポロビールではサッポロ・クラシックが一番旨いぞ。味噌ラーメンもクラシックスタイルが大事だ、などと個人的には主張したい。

観光客が行列をなす店も旨いと思うのだが、チェーンでありながら長く味を守っているのは、これまた素晴らしいことだ。札幌市内を車で移動している時に「さんぱち」の看板を見つけるとついふらふらと入ってしまう魔性のラーメン屋「さんぱち」。ここは前日のファイターズの試合結果をよく把握してから行くべきところなのでありますよ。

食べ物レポート

発音は、つったいとりそば だったかなあ

田んぼの中にある名店

山形県中部で、麺類業界の支配的地位を占めるのが「肉そば」とか「鳥そば」とか言われる、日本そばの派生種だと思う。山形県北部にある「板そば」の名店群で、例の噛みごたえのある日本蕎麦を食べていると、そばというのもずいぶんバリエーションがあるものだなと感じる。山形では、蕎麦はツルツルだけではない。モグモグ食べるのも正しい蕎麦なのだろう。そのモグモグ系の硬いそばの亜種が「冷たい鳥そば」だと思うのだが・・・。
スープは鳥だしで、蕎麦の上に親鳥の肉が乗せられている。スープは鳥だしとは言え濃厚なので、もぐもぐ系の麺とよくあっている。あっさり系のスープだと、蕎麦の強さに負けるだろう。この山形蕎麦の代わりに中華麺を使った「鳥・中華そば」もあり、店内では鳥蕎麦と鳥中華の注文は半々くらいのようだった。

自分の麺料理ランキングで言えば、この山形の鳥そばは暫定二位くらいか。これに匹敵するのが、盛岡食道園の冷麺で麺グループランキング(個人的なものです)は東北勢優勢だ。暫定三位は東京のラー油蕎麦、それと競うのが名古屋の鉄板ナポリタン。
現時点での一位は札幌吉山商店の焙煎胡麻味噌ラーメン。これはちょっと譲れない。四位以下ではあるが、長崎四海樓のちゃんぽん、高知県須崎の鍋焼きラーメン、高松わらやのたらいうどんといった西日本勢がブイブイいっている。ちょっと変化球としては、名古屋味仙の台湾ラーメン。これは五位としても良い個性の強いストロング派。
首都圏、近畿圏は残念ながらラー油蕎麦以外はエントリーなし。抑えてとして追加するとすれば、釧路玉川庵の牡蠣そばと東屋のそば寿司。どれもこれも死ぬ前にもう一度食べてみたい優れものだが、どこもかしこも自宅からは遠いなあ。
ただ、これからの季節であれば、つったいとりそば→「冷たい鳥蕎麦」一択ですねえ。

旅をする

これも城跡  群馬の山の中の難易度の高い城 

日本100名城をめぐるスタンプラリーを始めて4年目だが、去年は丸一年どこにも出掛けられず、今年も夏まで城巡りの旅に出られるのか怪しい社会情勢だ。城巡り必携の参考書に公益財団法人日本城郭協会のオフィシャルブックがある。100個のスタンプを集めると100名城完了認定証がもらえる。おまけに続・日本100名城も認定されているので、名城スタンプラリーをコンプリートしようとすると正・続を合わせて200の城を回ることになる。何年かかることやら。
この城廻りで一番困ることは、スタンプラリーのスタンプのありかが各地でバラバラで、山の中に立っているポストみたいなものの中に収められていたりする。そのポストの場所の地図があるわけでもなく、城の入り口でもスタンプ設置場所がどこか説明がされていないことも多い(ほとんどだな)。山の中を必死にスタンプ探索作業するはめになったりするので、名城めぐりは体力も必要だ。また、地元の記念館や研究施設にスタンプが設置されている場合は、城跡から距離があるところも多い。城跡を見たあと1−2キロ以上歩くなんてこともある。100名城廻りはなかなか体力勝負な趣味、といって間違いない。たまにお城の伝承記念館のようなものの中にあり、スタンプを押すのに入場料が必要なこともある。

典型的な山城の跡

お城というと誰もが思い浮かべる、姫路城とか松本城とか熊本城とか、とにかく天守閣がどーんとそびえる3層、5層といった立派な建物というイメージがあるが、実際には天守閣のないものが多い。そもそも城跡に建物自体が存在しないで(復元もされていない)、地面に溝だけが残っているという方が半分以上だろう。
戦国時代に活躍していた山城の城址は、そんな「溝」を含めた凸凹が残っているだけというものが大半だ。真田一族が支配した群馬から長野にかけての地域にある山城跡は、その溝と斜面の典型だと思う。草が生えている斜面は、昔は濡れるとツルツル滑る粘土質の土が露出していたそうだ。関東ローム層という赤土が実に滑りやすいので、関東の城は石垣ではなく(積むのが面倒で金もかかったため)泥壁仕様が多かったようだ。だから、城跡を見にいくときは絶大な想像力を発揮しなければならない。
ここにあるのは草が生えた手入れ不足の斜面ではなく、水は入っていないが赤土の泥壁で補強された空堀だぞ、とか。この通路には上から落として怯ませる大きな岩が置いてあったり、投弾兵器としてソフトボールほどの石が山のように積まれていたのだぞ、とか。堀の下からワラワラと上がってくる敵兵に土塁の上から油を撒いたり熱湯をかけたりして追い払う戦国時代の攻城戦・防衛戦は、映画に出てくるような槍や刀で斬り合う勇ましい物ばかりではなかった。坂の上から熱湯をかけられ、あちちと思ったら泥に足を取られて、周りの兵を巻き込んで斜面をずり落ちるという光景を想像ずれば、昔懐かしの風雲たけし城みたいな滑稽感すら湧いてくる。
その戦術に合わせて構築された山城は、地形を生かした「いじめの思想」に基づいて設計されていた。滑って転んだ敵兵に、上から石をぶつける。盾で投石を防ごうとしたら岩を転げ落とす。そんな感じの防衛思想だから、矢を射るなどもったいない。そもそも城自体が消耗品だったので、戦に負けたりすればさっさと撤退するから、そのあとは廃城になることも多かった。

そんな戦国時代の戦闘効率主義に思いを馳せながら、山の中の草がぼうぼうに生えたところを見にいくというのは、相当に高尚な趣味だと自負しております。はい。

食べ物レポート

うちの近くの洋食屋

たまにお世話になる古き良き洋食屋だが、個人的には洋食屋が生き残っている街は暮らしやすいというか、楽しみが多いと思う。東京の下町にはあちこちに有名洋食屋が今でも活躍中だが、当然それなりのおお値段がする。それを高すぎるというつもりはないが、ランチに軽く食べるという価格ではなくなっているのも確かなことだ。少なくともランチの定食がざるそば二枚分以上はするのが当たり前だ。

この写真はずいぶん昔に撮ったので値段は変わっているはずです(消費税増前です)

こちら地元の洋食屋の店頭メニューを見れば、なんとも驚異的な価格帯で、近くにあるファミレスなど目じゃないよというびっくり価格だ。一つ一つの料理がなんともユニークで、ファミレスで出てくる同じ名前のものとはずいぶん違っている。カニピラフとかポークステーキなんて、ファミレスでは絶対食べられないだろうと思う。しかし、この店のユニークメニューで最大のものは、ランチセットについてくる豚天だ。

ハンバーグ定食

大分名物の「鳥天」があるのだから、豚肉を天ぷらにして何が悪い、と料理長が思っているかどうかは定かではないが、ありそうでなかったメニューだろう。この「豚天」をどう食べるかもちょっとした悩みの種で、いろいろと考え込んでしまう。そのまま何もつけずに食べる、ハンバーグのソースをちょい付けする、ウスターソースを要求して大阪風に食べる、醤油をもらい天汁がわりにするなどなど。ご飯に味噌汁に豚天で立派な豚天定食になりそうだが、豚天はあくまでハンバーグ定食の付け合わせなので・・。ちなみに、このお店で豚天単品はメニューに載っていません。ランチ限定「幻」級の一品なのです。

町中華と洋食屋の存在は、その街の文化だと思いますよ。

食べ物レポート

仙台の居酒屋

ステイホームでiPhoneの中にある昔の写真をひっくり返していたら、なつかしの仙台で遭遇した居酒屋メニューが出てきた。うずらの卵のカレーまみれ、というかカレールーの中にうずらの茹でたまごを入れただけ?なのだが、これがむしょうに食べたくなった。
写真のイメージ換気力というのはすごいものだ。口の中に、このカレー卵の味が蘇ってっくる。この居酒屋では「カツカレーのご飯なし」、つまりカツにカレールーをかけただけのメニューもあり、これもお気に入りだった。仙台に行ったら牛タンより先にコイツを食べたい。

これを考え出した人は天才級の料理人だと思う

同じ店で食べたはずなのだが、写真を見ても思い出せないメニューもある。右側は多分ガリサバだったはずで、シメサバと生姜の甘酢漬け(ガリ)を和えたもの。左はキムチの和え物に見えるがチャンジャだったかもしれない。自分で気に入ったものを写真にとって記録しているはずが、写真を見ても思い出せないとは、実に悲しい。備忘録的に撮った写真にキャプションをつける方法はいくつかあるが、どれもなかなかめんどくさい。一番簡単なのはインスタで保存記録を作ることかなとは思うが。
できればAppleが「写真」の機能強化をしてキャプション付加機能をできるようにしてくれないかな。

ガリサバは自作でも美味しく作れる簡単メニューだが、市販のシメサバ(だいたい半身で販売している)だと出来上がる量が多すぎるので、やはりこれはお店で食べた方が良い。チャンジャは、市販のキムチの素と魚の瓶詰めを使えば、なんちゃってチャンジャができるが、これも出来上がり量が問題で、一口・二口といった酒の肴的な量を作るのが難しい。かといって、一度作っだものを何日も食べ続けるのも嫌だ。居酒屋料理の存在意義は、このちょっとだけ食べたい需要に応えてくれることだと思う。

旅をする

土佐手ぬぐい

ハンカチがわりに手ぬぐいを使い始めて、20年くらいになる。色々と使い勝手が良いので、出張先でのお目当ては、ご当地手ぬぐい探しだった。ご当地ながらのデザインが面白い。その中でも土佐手ぬぐいという、高知の手ぬぐいシリーズは柄が野菜や魚で、色使いも鮮やかな優れものだ。

実は土産物屋以外で手ぬぐいを手に入れようとするとなかなか大変だ。東京で言えば浅草の商店街から外れたところに専門店が一軒あった。いわゆるお江戸デザインでそれはまた風情があるのだが、あれは東京都民向けというより浅草観光客向けなのだろう。デパートの呉服売り場に行けば、風呂敷と並んで置いてあるはずだが、日本橋のデパートですら品揃えは少なめで、新宿のデパートではほんの片隅に置いてある程度だ。いかに、手ぬぐいというものが廃れてしまったかとも思うのだが。

吸水性が良く、洗って使い続けているうちに微妙に色が変わってくるのが楽しみだ。恥から糸がほつれてくるのを、ハサミで切り揃えるのも楽しみの一つだし。旅先では使用したものを洗って一晩干しておけば乾いている。使い勝手抜群だとおもうのだがなあ。そもそも、ハンカチというものの存在も、何やら色々とお作法があるようなことを、おしゃれな方のエッセイで読んだりしたので、微妙な反発感もあり手ぬぐい派に転向した。最近はすっかり旅に出ることも無くなったが、手ぬぐいのストックは10年分くらいあるので困ることもないだろう。それでも、高知に行って土佐手ぬぐいの新作を手に入れてみたいなあ。

街を歩く

セントラルパークもどきな池袋某所

数年前に撮った南池袋の公園の写真だ。確か南池袋にある飲食店を探しているときに、たまたま遭遇したというか、目の前に何やら広い空間が出現してびっくりした。地価も高い都心部でこんなひらけた空間があるとはと不思議に思った。商業施設とも思えないが、公園の端にはカフェというかテイクアウト店もあるようだった。

新宿御苑とか、神宮外苑とか、都心にもあれっというようなひらけた空間が存在するが、この南池袋の開放感には敵わないような気がする。随分前に行ったニューヨーク・セントラルパークは、上空から撮った写真を見ると高層ビルに切り取られた長方形の空間だということがはっきりわかるが、地面から見た景色というのは、この南池袋の光景と似ている。こういう開放空間を都心のあちこちに整備してもらえると嬉しいなあ、などと考えていたら札幌の大通公園や名古屋の久屋大通公園は、まさしくそんな感じだなと気がついた。やはり昔の人たちはなかなか偉かったのだなあ。

駅弁

ヘッドマーク弁当の話

駅弁が好きなのだ。その中でもピカイチだと思うのが、JRの特急電車ヘッドマークをデザインした「限定弁当箱」使用の駅弁だ。いつでも売っているわけではなく、夏や冬の行楽時期に期間限定で販売されている。駅弁大会でもお目にかかることはある。この北斗星の弁当亜h2年ほど前に大宮駅で販売していた。北斗星は予約の難しい人気列車だったので、乗車経験は3回ほど。上野から札幌行きが一回、札幌から大宮までが2回。家族旅行としてはなかなか楽しい経験だった。

3年前の夏に買った?ような記憶が

弁当箱代のせいか、駅弁としては破格の2000円だが、中身はそれほど(超がつくほど)豪華なわけではない。ごくごく普通の幕内的な取り合わせだった。これを電車の中で食べるか、持って帰って食べるかは、いささか悩むところだ。というのも、この弁当箱を捨てるわけにはいかないので、食べ終わったらすぐに洗いたい。列車の中で食べると、洗うのが難しい。なので、この日は散々迷った挙句、結局は弁当を2個買った。北斗星弁当は出張先のホテルで夕食にして食べた。

駅弁を買うときには、ときどきこんなふうに2食続けて駅弁になることが多い。何種類かある駅弁を一つに絞りきれず、2個3個と買ってしまう。もうこの駅に来ることは一生ないかもしれない、という強迫観念に襲われての防衛行動だ。ただ、この防衛行動をすると、その地の名物を食べにいく機会が駅弁に変わってしまうという究極の悪魔的選択でもあり、それを避けるため昼と3時のおやつに駅弁食べるしかないとなることも多い。駅弁道を極めるのは厳しいのだ。

旅をする

白石城で考えた幕末動乱と未来の林業

白石城は戊辰戦争で発生した一連の東北戦闘の最終段階で重要な地となった。文化的歴史的価値があるはずだが、結局明治政府による反対勢力弾圧措置で廃城となった。それを昭和の最後の時期に復活させるプランが始まり、築城当時のままの方法で再建されたとのことだ。先の大戦で空襲で焼けた城とは扱いが随分違う。
個人的に明治維新という言葉が嫌いで、あれはまさしく西国動乱だと思う。西日本の反徳川諸藩で貧乏な下級武士たちが起こした暴力革命だろう。政治的意図は言い訳で、自分たちの成り上がりを革命に求めただけだ。自藩を巻き込み自身の成り上がりをかけ、東国にある徳川政権を倒した。西国諸藩は関ヶ原の恨みを晴らそうとしたという話もよく聴くが、貧乏下流武士はそうではないだろうと思っている。要は、自藩の上級武士も含めて金持ち階級に対する怨嗟の塊が暴発しただけで、それに同調した貧乏人が暴力革命の担い手だった。そして、反対勢力の親玉、徳川慶喜という最後の将軍が腰抜けだっただけで、動乱から革命が成立してしまった。
明治新政府で、成り上がった下級武士のほとんどが暴挙とでもいうべき振る舞いをした。明治政府の汚職の多発はその典型例だろう。その反乱軍で起きた内部反乱が南西戦争ということになる。暴力革命を起こすような連中は、内輪揉めもまた激しい。フランス市民革命の党派争いと同じことが、日本の明治初期に起きた。歴史は繰り返すというか、所詮、人の暴力反応など世界のどこでも起きる相似形でしかない。
その明治の西国大乱も、最初の10年くらいで革命の大物(笑)たちは、みんな暗殺や戦争でいなくなり、小物だけが生き延びて明治から昭和に向けて暴走を続ける。成り上がりだから、貴種としての振る舞いもできず、仕方がなしに天皇を担ぎ上げ、その権威によりかかる暴政を敷いた。その結果が日中戦争から、太平洋戦争に続く一連の愚かしい戦時行動で、結局は国を滅ぼした。
その戊辰動乱の亡霊が昭和20年の敗戦で一掃されたはずなのに、その後も40年近く東北の名城の再建話が進まなかったあたりが、この国の持つ宿痾とでもいうべきものだろう。戦後の民主日本でも総理大臣は西国出身者が続いた。平成最後の総理大臣も長州閥だった。東北では一連の凄惨な戦闘が起きたこともあり、戊辰戦争150年回顧展のような催し物が行われていた。同じ時期、鹿児島では明治維新150年記念と大きな看板が出ていた。平成のご時世でも、明治期におきた動乱の傷跡は、その歴史的認識に地域差を生み出している。動乱の発生地では、旧態依然たる日本を改革した扱いらしい。動乱のとばっちりを受けた東国では、あきらかに冷ややかな意識だ。令和の世では、それがどうなることだろう。150年以上前のことはわだかまりなくなっていくのだろうか。個人的には、犯罪人が流されて、或いは逃亡して形成された新興地北海道の生まれなので、その手の歴史的感覚は極めて希薄だ。ただ、西国動乱・戊辰戦争で没落したそこで諸藩がお殿様ごと移住した場所が北海道には何箇所かあり、そこではいまだに恨みが残っているのかもしれない。

白石城再建は築城当時の工法で再建するというプロジェクトだったようで、城内部では木造建築のありさまが見られる。この天然木の組み合わせと造作は美しいものだ。石積みの幾何学的な造形美とは違い、何やら人の手の力を感じる美しさだと思う。梁や柱に使われる大木がすっかりなくなってしまったので、もはやこの手の木造建築は不可能なのだそうだ。その辺りは国産木材を使った集成材の活用でなんとかできないものか。少なくとも杉と檜は70年物が日本中にゴロゴロしていて、花粉症の元凶なのだから、国費投入で是非対策をしてほしいものだ。


百億円くらい投下すれば、林業ロボットによる完全無人化された伐採事業が可能になるのではないか。大型農業機械のような植林と伐採が同時にできるロボが開発できると思うのだがなあ。切り倒した材木を枝を払い背中に担いて山を降りる6足歩行の運搬ロボットとか(スターウォーズに出ていた帝国側のアレみたいなやつ)、伐採監督用の大型監視ドローンとか(デザインはアダムスキー型円盤を希望)、給電用の太いケーブルを腰につけた人型汎用林業建機みたいな世界だ。