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日本最東端の駅  ちょっと、言いたいです

地図を見るとわかることだが、日本列島の最東端に伸びるJR花咲線は、終点根室から微妙に東寄りに進み東根室駅が日本最東端の駅になる。端っこ好きとしては、これまで最東端駅を見逃していたのが恥ずかしい。最南端と最北端はすでに完了しているので、残すは最西端のみ、どうやら長崎県にあるようだ。そこに行くのはいつになるのか。端っこ旅としては面白そうだが。

この駅にはホームしかない。駅舎は今は存在していない。駅の横は、集合住宅が何軒があるので、やはり根室市の住宅地にあたるのだろう。駅には車で行ったが、確かにまわりには一戸建ての家が多い。ただ、時刻表を見れば明らかだが、通勤通学に使えるほどの列車密度はない。

一応観光客向けの看板?というか指標が立っている。ホームの下には車が2−3台置ける程度のスペースはある。ここに車を止めてパーク&ライドができそうだが。駅前には本当に何もなかった。最南端の駅では観光客向けの土産物屋とか食堂があったのになあ。

全国秘境駅を巡るというテレビ番組があった。そこに出てくる駅は、見た目がこんな感じだった。ホームが片側だけで、単線で・・・と言う秘境感を出していた。しかし、この駅はすぐ後ろに住宅地があるし、秘境駅のイメージは全くない。

素朴な感想なのだが、JR関係者はもう少し商売を考えても良いのではないのかなあと思う。根室駅で東西南北の端っこ駅スタンプラリーみたいな紙が置いてあったが、まさにこの場所でそれを宣伝しないとねえ。なんだかちょっと残念な気分になってしまった端っこ駅の旅でありました。

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鉄道旅の最良のお供

鉄道旅最大の楽しみは、車窓からの風景と言いたいところだが、実は駅弁と缶ビールにある、と我が人生でずっと思ってきた。それは今も変わらないが、車窓からの風景を眺めながらぬるくなったビールを飲むのは、だんだんと嫌気がさすようにもなった。冷たいビールが欲しくて、列車の発車間際にわざわざホームの売店でビールを買ったのに、ビックリするほど生ぬるいものを渡されてガッカリしたりするせいもある。特に夏場の新幹線ホームは、冷たいビールを調達するのが難しい。そして、もっと困ったことにJR北海道の駅では、ホームの売店が消滅しているので、ビールの調達法には苦労がいる。改札に一番近いビール売り場はどこだ?を見つけ出さなければならない。
昔は最善の手段が特急の車内販売だった。販売員の方に、キンキンに冷たいのくださいと言うと、箱の底からゴソゴソ出してくれうこともある。車内販売はドライアイスで冷やしているのか、うまくいけば直冷されているキンキンに冷たいものにありつけることもある。しかし、最近の観光客減少を受け、車内販売は中止になってしまった。
仕方がないので、駅近くのコンビニで、一本だけ冷たいビールを買う。ちょっと悲しい。銘柄は迷うことなく、北海道限定のサッポロクラシック。全国あちこちにご当地銘柄のビールはあるが、クラシックは一番のお気に入りだ。麦芽100%であればエビスビールとどこが違うのだと言う方もいるかもしれないが、これは飲んでみなければわからない。エビスよりすっきりしているのは間違いないが。

そして、今だけ限定なのかどうかは知らないけれど、サッポロクラシック・ゴールデンカムイラベル。実はこのラベルの下にこっそり書かれている英文の説明がなかなか泣かせる。不死身のスギモトがヒーロで、埋蔵された宝物探しと死闘。さまざまなコラボ商品はあるが、こと北海道においては、北海道人が愛してやまない?サッポロクラシックとゴールデンカムイのコラボを上回る物は存在しない、と言っておこう。世の中、意外とご当地ヒーローは少ない。
古いところで言えば、東京桜新町とサザエさん。これを使うと波平ビールかマスオさんビールか?博多っ子純情とか、土佐の一本釣りとかもなんとか行けるか?大阪下町でじゃりン子チエもありか。エヴァの箱根は尖りすぎだろうし、ジブリ作品はモデル地が明示されていないし、トトロビールでは何やら飲むのが申し訳ない・・・。

やはりアイヌ料理駅弁(現在おやすみ中らしい)とクラシックで北海道旅が良いなあ。

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根室の先端で

納沙布岬に行くには、根室市内から南回りと北回りがあるのは地図を見ればわかる。が、それを太平洋周りとオホーツク海周りというのは、観光業的なセンスの表れだ。ただ、意地悪くいえばどちらも太平洋だろう。オホーツク海は太平洋の一部ではないのかなあ。それでも行きはオホーツク海回りだったので帰りは太平洋ルートにすることにした。

オホーツク回りでくれば目の前に国後島が見えるはずなので、気分的には北回りが良さそうだ。この日はあいにくの曇り空で「島」の姿は見られなかった。陸側には延々と牧場が続いているのが、これまた絶妙な景色になる…ただ、晴れていればの話だ。

この門というかモニュメントは、根室の名物みたいなものだろう。北方領土を返せ、という強いメッセージをシンボル化したものらしい。北方領土を返せというのは、一度、亡国した国の悲願みたいなものだろう。歴史的に見ても、江戸時代の日本とロシア王朝の間で決めた国境は、本来の国境線だ。その後、日露戦争を含め戦争により領土が変更されたのは、戦争の成果が領土拡張であった時代のことだから、増えたり減ったりは歴史的に当たり前だ。
そして、戦争に負けたら領土は取られるのが国際政治のルールなので、先の大戦で負けた後は明治時代の成果まで没収されたのは仕方がない。帝国主義云々ということより、戦争と領土の取り合いは、国際社会で今でも変わりがない「普遍のルール」だろう。
「返せ北方領土」は、心情的にはわかるが、北方領土が取り上げられたのは戦争に負けたせいで、その負ける戦争を始めた政治家やその取り巻きを処罰もせずに野放しにした国の責任だろう。恨むなら、国を恨めということのような気がする。

そして、その北方領土返還を訴える納沙布岬のもう一つの石碑がこちら。アイヌと和人の抗争時に、殺された和人(要は日本本土から出稼ぎに来ていた民)を悼むものなのだが。これもまた、ずいぶんと和人寄りの視点で建てられている。
もともと、大和朝廷の時代に遡って、大和の支配する地とは現在の福島県境までで、そこから北は蝦夷(えみし)という異民族の地だった。それを併合した上で陸奥(陸の奥)などという、これまた蔑称というべき地名をつけて支配した。当時の北海道は、まさに辺境、異境、大和民族の生きる地ではなかった。
そして、その1000年後になり、蝦夷地(今度はエゾとよんだ)に侵入。この時点でも、明らかに蝦夷地は日本の国外で、植民地にもなっていない。アイヌ民族はこの蝦夷地から樺太、そして大陸にかけて広がっていた北方系民族だから、明らかに彼らがネイティブ民族だろう。和人が大陸から樺太、蝦夷地(北海道)と渡る交易ルートに商業的価値を見出し、蝦夷地侵攻を行ったのだ。これは北米大陸のヨーロッパ植民地入植者とネイティブ民族との軋轢と全く同様なものだ。
弱肉強食が歴史の世界であり、和人が襲われたのは和人が悪虐なことをしたからで、アイヌ民族の方が力が強かったから、自業自得みたいなものだ。(確かこれは、小学校でも教わった)
その結果、アイヌ民族と和人の戦争は何度か起こり、最終的には和人が数の優位を生かし占拠し、明治時代にはアイヌ民族を差別する形で法制化までされた。
だから、この石碑は、歴史的に勝ったものが、負けたものを差別した成果として建てられたとも見える。アイヌとの抗争に巻き込まれ犠牲になった和人を悼み(勝者の立場)、その隣で自分たちが仕掛けて負けた戦争で失った領土を返せと言う(敗者の立場)。

とてつもなく不思議なダブルスタンダードの世界だなと思った。歴史の生きた証拠とはこう言うことをさすのだろか。日本の東の果てであれこれ考えてしまった。

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チャシ 蝦夷地の城跡

根室市内から車で20分程度、納沙布岬の近くに「日本100名城」がある。多分、一番東で一番北にある名城だ。チャシと呼ばれるアイヌの軍事施設で城郭跡地だ。説明書きがなければ、ただの原っぱとしか思えない場所にある。ここに立てこもって戦争をしたとすると、いったい誰が相手だったのかと思うような場所だ。そもそも高配置に守るべき場所があるようにも思えない、

北海道全体には、このようなチャシが数十箇所あるようだ。アイヌの人たちが好戦的だったのか?それとも民族内紛争のようなものが活発だったのか?その辺りの知識が全くない。小学校の時に習った「北海道のおいたち」には、そんなことは全く触れていなかった。(記憶が定かではないが・・・)実は、アイヌ関連の歴史は、当時触れてはいけない、不都合な真実だったのだろうと思う。今でも、積極的に教えているとは思えない。教えてはいけない、教えたくない、不都合な真実は、明治以前で言えば大和朝廷の日本征服の話と、明治以降で言えば日露大戦以降の戦争に次ぐ戦争とその結果の亡国、その責任の話だ。アイヌの話はその隙間になる異民族抗争の話だから、余計に語りずらいのだろう。国連で非難されて、初めて関連文化施設を作ったくらいの反省のない国だから仕方がない。

この辺りは野鳥の観察地でもあるくらい、のどかな場所らしい。あたり一面が野原で、背の高い木は一本もない。冷涼な気候が木の成長を許さないということだろうか。原野という言葉がピッタリしすぎている。

チャシの入り口から見ると台形の城郭基盤が見て取れる。ここに城?が立っていたようだ。おそらく海岸がよく見える場所ということで作られたのだろう。ということは、戦う相手は海から攻めてきたわけだ。トドの背に跨った海洋戦士みたいなものか?などとおバカな空想をしていたが、夏だというのに気温は低い。冬だったら、眉毛が凍る寒さだろう。

高台にあるチャシの下には、今は漁港が広がる。船を泊めるのには良い地形だったのだろう。オホーツクの海が、冬には流氷に覆い尽くされるので港を作るのは苦労しただろうとは想像できる。

海岸に沿って伸びる漁港は、コンクリートで作られた防波堤に守られていた。つまり、ここは近代になって新しく作られた港でもある、ということだ。

こるまで5分ほどの距離の場所に、もう一つのチャシ跡があるようだが、そちらも見栄えは同じだろうとサボってしまった。茶氏の横には大きな風力発電の風車が建造されていて、その城跡と風車の対比も面白いかなと思ったが、あいにくの曇り空なので諦めた。

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高田馬場駅ホームから見るアフターコロナ

普段使いをしているJR山手線、高田馬場駅のホームから見た光景だ。右手のビル「ビッグボックス」が改装をして、回転寿司のスシローが入った。回転寿司は郊外型の店が主流で、都心部にはほとんど店がなかったが、これは便利なところに開いたものだと感心していた。そうしたら、左手のビルの屋上に「くら」の看板が立ち上がっていた。なんと、回転寿司の二大勢力が高田馬場決戦を企んでいる。これは近いうちに視察に行かなければと、早朝のホームで考えこんでいた。コロナの飲食業への影響というか打撃は、都心部の家賃相場を大きく変化させたことは間違いない。回転寿司が入るような大箱は、これまではチェーン居酒屋が牛耳っていたはずだが。今やその影すらないのだ・・・・。栄枯盛衰だななどと感慨に耽っていたら、あることに気がついた。

ホームから見る看板が、あれれという感じだった。奇妙な違和感というか、落ち着きのなさがする。一見して、学校の看板だとばかり思っていたが、よく見るとひらがなカタカナがない。おまけに見たことのない漢字(簡体略字)が使われている。ようする大陸系中国人向けの看板なのだ。全部アルファベットで書かれていたら、日本人向けではないことが見てすぐわかる。なまじ漢字(漢字もどき?)だから、簡単には気が付かない。違和感の原因はこの辺りだろう。
この学校の経営者は、山手線ホームから「この看板」を読み取り理解するものがたくさんいると判断しているのだな。看板料がとてつもなく安くなったのか、それとも看板が効果を発揮するほど、大陸の人が入り込んでいるのか。東京の普通の街の中にぽっかり開いた異国空間だった。
妙に不思議なものを見た気がした。昔、西海岸に行った時、日本語の看板を見つけた時の違和感に近い。
しかし、この看板はいつからあるのだろう。全く記憶にないのが、もっと不思議だった。

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日本の一番東で食べるラーメン

根室、納沙布岬。言わずと知れた日本列島の最東端だ。北方領土が返還されたら東の端はもう少しずれていく。現時点で民間人がいけない場所を含めれば、小笠原諸島の先あたりにある島が一番東の場所になるはずだ。ただし、最東端のポストとか、最東端の〇〇という言い方は、人が住んでいるところでなければ生まれないので、このポストはかなり長生きしそうだ。

そして、最東端ポストがあるのはこの土産物屋の東隣だ。したがって、この土産物屋は日本最東端の商店ということになるのかな? それらしきことは全く書かれていないが。

この土産物屋の西側の入り口に向かうと、なんとラーメンの暖簾がかかっている。つまり、日本最東端のラーメン屋・食堂というわけだ。実は、根室にある名物エスカロップを試す機会を放棄して、「日本最東端でラーメンを食べる」と思いついてしまったので、納沙布岬の駐車場に車を止めた後、あたりに散在する土産物、食堂などを物色した上で見つけたのがこの店だった。最初から食べるものは決めていたので迷うことはない。らーめん、それだけだ。

壁に貼ってあるメニューがシンプルでわかりやすい。ラーメン、カレー、いくら丼。ここでちょっとグラっときたのが鉄砲汁で、花咲蟹の味噌汁だ。これは経験的に、とてもうまいものだとしっているが・・・。しかし初志貫徹する。迷ってはいけない。

どうやら花咲蟹が豪勢に乗っているらしき「花咲カニラーメン」にも目移りするが、これは巷のラーメン屋によくある「全部乗せ」的なトッピング豪華番だろう。ベースのラーメンは一緒なのだから、やはりレギュラー的メニューの「オホーツクラーメン」にするべきだ。しかし、観光地だというのに、なんだかずいぶんリーズナブルなお値段ではないか。

オホーツクラーメンはシンプルな薄口醤油で、昔懐かし系の北海道ラーメンだった。わかめとふのりが乗っていて、真ん中にはチャーシューの代わりのホタテがトッピングされていた。どれだけの観光客がこのラーメンを食べたことだろう。しかし、この時は店内にいるのは自分一人だけだった。なんだかなあ、と思ってしまう。観光客が皆無というわけではないのだが、妙に目立つ高齢者カップルが何組かいるだけ。若い層は全滅。今の日本の観光地の風景なのだなと思う。
軽めのラーメンなので、ちょっと時間が外れていてもおやつがわりにするっと行けるような気がする・・・。しかし、客はいない。
納沙布岬で北方領土を眺めらラーメン、そしてアイスクリームというのは北海道観光の絶対定番だとお勧めしたい。

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根室駅でひとやすみ

根室駅に立ち寄ったのはこれが初めてだと思う。根室付近には二度ほど来たことがあるが、市内を通過しておしまいだった。若干の鉄分を含む身としては、やはり一度は見ておかなければいけない駅だ。それにしても最近気がつくことの多い、黄色い旧型の郵便ポストには何か意味があるのだろうか。

道東の鉄道の延伸については、JRの特急車内誌がたまたま特集していてお勉強になった。釧路港を核に石炭、硫黄、木材などの資源を積み出すためにすごい勢いで建設されたようだ。労働力は囚人頼りの時期もあったらしい。その釧路から根室にかけて伸びたのが花咲線。どうやら沿線の自然が素晴らしいようなのだが。

久しぶりに見た自動改札機のない改札口で、周りは「花咲線」のオンパレード状態。うーん、観光客だよりはわかるが、それならそれでもう少し情報整地したらどうかなあなどと考え込んでしまった。

夏休み前の時期ということもあり、ほぼ無人状態で、何やら映画のセットみたいな雰囲気で撮影が始まりそうな気配だった

それでも表側に回ってみると、座席にはソーシャルディスタンス表示がしっかりと貼ってある。今の日本の観光地は、ほとんどがこんな感じなのだろう。コロナ対策で役所の中にこもっていると、こんな光景を目にしたりはしないのだろうな。「祝!全通100年」はめでたいのだろう。ただ、このままでは110年を迎えられるのかを真剣に考えなければいけないぞとも思った。鉄道旅は好きなのだが、北海道に限れば鉄道より自動車移動の方が速かったりする。

根室名物といえば、納沙布岬に登る朝日、鮭と秋刀魚と花咲蟹かと、感慨に耽っていたが、そういえば昆布はどこに?と気がついた。昆布の絵らしきものが見当たらないぞと思ったが、どうやら波を表していると思しき白いヒラヒラしたやつが昆布を意味するのではないか。デザイナーさんの美意識では、黒い昆布はいけないようだ。
しかし根室駅の中には売店がない。駅弁を買おうと思っていたが、入手不可だった、どこか近くの土産物屋で売っているのかもしれない。駅前を見渡し土産物屋(観光センター)に入ってみたが見つけられなかった。駅弁マニアとしてはちょっと残念な根室駅だった。

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アジウリを見て思い出すこと

北海道では、この季節になるとスーパーの果物売り場でたまに並んでいる「あじうり」。一般的には、まくわうりとして知られているらしいが、北海道では夏の甘い果物として知られている。いや、いたと過去形で書くべきかもしれない。メロンが一般的になる前、夏の甘い果物といえば、アジ売りとスイカと決まっていた。さくらんぼが出回り季節と重なっている7月初旬が出始めで、お盆の時期、8月の中頃まで出回っていたような記憶がある。高価なメロンと比べても仕方がないのだが、アジ売りは安い分だけ糖度が低い。というより、より糖度の高い商品としてメロンが開発されたということだろう。果肉は緑がかった黄色で、ちょっと見では緑肉のメロンの色に近い。島があるところはスイカに似ているが、食感は柔らかいきゅうりといったようなもので、メロンのようにスプーンで掬って食べるのには向いていない。皮を剥きザクっと切ったものを楊枝でつまむと言った食べ方だった。小玉のスイカを細くした程度の大きさで、俵形をしている。皮は薄いが果肉の甘い部分は中心部付近なので、皮は厚めにむいた方が良い。

この「あじうり」を食べていた頃は、トマトがとてつもなく酸っぱくて砂糖をかけて食べていた。そして、トマトの青臭さが嫌いな子供が多かった。今の桃太郎と比べると、同じ品種とは思えないくらい、トマトは野菜臭かった。感覚的にはセロリーに近いものだった。とうもろこしも甘味が全然足りていない上に、皮が硬いせいで、たっぷり塩を入れゆでたものを食べていた。おそらくポップコーンの塩味に近いレベルで、一本食べると喉が渇くほどの塩分だったと思う。スイカも糖度が低めで塩をかけて食べるというのが一般的だった。さくらんぼもイチゴも今と比べて酸っぱくて甘さが足りない。たまにアメリカで食べたイチゴやトマトで、昔の味を思い出したこともある。つまり今や日本の果物は、世界の平均値と比べるととてつもなく甘い「何か」になっているらしいのだ。だから、そんな昔の味を懐かしんで味売りを食べてみるのだが、当たり前のように味売りも品種改良が進んでいるらしく、昔と比べてはるかに甘い。味売りの思い出にも裏切られる。歳をとってしまったものだという実感が残る。ちょっとほろ苦いあじうりだった。

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二番煎じか 差別化か ちょっと微妙な

最近は出歩くことが減っているので、街で何が起こっているか、どんどんわからなくなっている。これは商売がら、ちょっと困ったことになるぞとは思うのだが。そんな「知らなかった」ことの一つが、この大衆酒場の復活だ。開き戸を開けるとカウンターがあり、丸椅子があり、安い酒と魚を目当てに常連客が集まる、みたいな感じだ。店舗の外観は昭和中期の大衆酒場を再現したかんじになっている。横浜のラーメン博物館を路面に引っ張り出してきたような感じだ。スシローが展開している寿司居酒屋は、その流行をバシッと引き当てたヒットコンセプトだと思う。が、当然それをコピーする商売も広がるわけで・・。今や、あちこちで寿司、天ぷらを中心においた大衆酒場風の店が大増殖し始めている。焼き鳥ではなく、寿司天ぷらを中軸に置くのは、当然ながら単価を高くするためだ。魚居酒屋は多店舗化が進みすぎると、魚の仕入れに障害が発生すると言われているが、成長途上ではあまり心配することはない。

この店は有名居酒屋チェーンの実験店なのだと思うが、コロナの拡大時期に開店したので、おそらく実験検証が難しいのだろう。もうしばらくメニューの開発、実験が付くような気がする。そして、今回試してみたのが寿司でもなく魚でもなく天ぷらでもない肉料理だ。「トンたん」も最近あちこちの居酒屋で目にすることが多い。ごま油と塩で食べるとんたんは臭みもなく、「あり」な食材だ。冷たいまま提供できるのもメリットがある。

名物塩煮込みがおすすめらしいので、それも注文してみた。寿司と天ぷらの店なのだから、煮込みといっても魚のアラ煮のようなものだと、勝手に思い込んでいたが、出てきたものは普通の内臓肉煮込みだった。モツ入り?、ありゃりゃ的な驚きもあったが、それはこちらの勝手な誤解で思い込みだからお店の所為ではない。ただ、これを名物にするってのはどうかなあという気もする。

杉玉で見た舟盛り丼みたいなものを期待していただけに、普通の大衆居酒屋的なメニューで攻められるとちょっと違和感がある。このあたりが、まだまだ実験途上ということだろうか。店内はコンビニ級の明るさで席も広めであり、女性も入りやすい。大衆居酒屋特有の昭和演歌的な薄暗さはないのが良いところだ。ただ、もう少しメニューの方向を絞り込んで、寿司と天ぷらを追求するのが良いのではないかと思う。実験店はあれこれ試すのが目的だから、それも仕方がないのかもしれないが。隣に杉玉などの競合居酒屋が開店したらどうなるか、という想像をしてみた。血みどろのバトルになりそうだ。居酒屋もコロナで痛めつけられて、次世代の戦闘が始まるわけで、そのための新技術開発競争はますます激しく続くのだろうなあ・・・。

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日高屋 別バージョンの話

日高屋が多い宮駅前の横丁で変わった焼き鳥屋をやっているのは知っていたが、それの多店舗化に取り組み始めたらコロナになってしまった、という印象だった。いわゆる大衆居酒屋路線なので大変な状況だろうと思っていた。それでも、何とか営業しているのには頭が下がる思いがする。たまたま川越の街で、ランチ営業をしていた店を覗いてみた。ランチはナポリタンから肉汁うどんに変わっていた。店内に入って聞かれたのが、「飲みですか、食事ですか」というのが、微妙に心に刺さってしまう。昼飲みが主力業態になってしまったということだろう。

取り合えじ売り上げ貢献だということで、ランチの前にちょっと一杯にしようと焼き鳥を一皿(つくね)を注文した。焼き立ての焼き鳥は美味いものだ。最近はテイクアウト焼き鳥しか食べてないしなあ、などとぶつぶつ言いながら、追加で味玉とめんまセットを注文する。これはまさしく日高屋本体のものだろう。

軽くいっぱい飲んでランチにしたので滞在時間は約1時間。その間に入ってきたランチ客は3人。カウンターやテーブル席に距離を置いて、黙食する一人客だ。この現実を見た上で、酒禁止令だの営業時間短縮だの決めるつもりはないかと、政府や県の役人に言いたい。役職の偉い奴(人間的にはずいぶん劣化しているだろう)は絶対に現場を見ていないだろう。普通に街を歩いていて失政の証拠を見せつけられるというのは、かなり不幸な時代なのだと思う。