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食べ物レポート

自家製唐辛子のその後

猫の額ほどの庭で栽培していた唐辛子の最後に収穫したものを、室内で時間をかけて乾燥させてみた。写真だと違いが分かりづらいが、右側上部の唐辛子は色が薄い。ここの部分は緑の唐辛子、つまり完熟前の唐辛子を干したものだ。
左側の深い赤の唐辛子は完熟してから採ったもので、世で言うところの鷹の爪状態に仕上がっている。微妙な違いがあるのだが、辛さはどうなっているのか、試してみようと思ったが、自分の舌では辛さの違いが判定できそうもないと諦めた。
この鷹の爪状態の赤唐辛子は料理に使おうと思っていたのだが、ふと思い立ち塩漬けゆずと麹と合わせて熟成させてみることにした。
青唐辛子と醤油、麹で作る三升漬けのようなものにならないかと試しで漬け込んでみたのだが、一向に発酵が進まない。おそらくゆずの酸味が邪魔をしているのだろう。半年ほど放置して様子を見ることにした。結局、今現在でも発行している様子がなく、どうしたものかと思い悩んでいる。蓋を開けるのが怖い気もするので、夏まで放置しよう。

漬け込むために唐辛子を細切れにした。その時出てきた種は春になったらプランターに蒔いてみよう。唐辛子もすでにF1化されているかもしれないが、物は試しだ。ついでに比較のために市販のタネも買ってきて植えてみようと思っている。今年は唐辛子の大量栽培だ。

食べ物レポート, Uncategorized

すごいラーメン店

どう見ても倉庫のような気がする

つい最近まで知らなかったのだが、ネットニュースに配信されてくる地元ニュースで見つけた「ガレージの中のラーメン屋」に行ってきた。製麺屋が運営する直営店のようだ。店内に入ってみれば、確かに倉庫の中という感じがする。コロナ対策もありテーブル席は間引いているようだ。

正しいメニュー説明とはこういうことだろうなあ

土曜日には本体の製麺屋が、麺のアウトレットを、この店の奥で開催するらしい。面白いことを考えるものだ。入り口にある自販機を見ると、何やらいろいろと書かれているので、じっくり眺めてみた。基本的にラーメンは4種類あるようだ。

ところが、何やら訳はわからないが従業員の方が券売機の前で商品説明をしてくれるのがちょっと不思議。券売機いらないのではと思ってしまった。
まずは初見ということでおすすめの「生姜中華そば」にした。最初にスープから昆布の味が伝わる。昆布だしがこれほど正面切って出てくるラーメンは初めてだ。その後すぐに、動物系(鳥メインか?)の味が出てくる。なかなか複雑なスープ作りをしている。
麺は普通にスルッと入ってくるので、スープと麺の絡みも納得できるバランスの良さだった。あっさり系でまとめ上げているが、満足度は高い。特にチャーシューの仕上げが素晴らしい。次は肉増しにしてみたい。他の3食も順番に試してみなければと思わせる高品位ラーメンだった。

生姜のラーメン

もっと前から知っていればなあとも思ったのだが、記憶を辿れば一年くらい前に、幹線道路から店舗に通じる脇道に入る場所に変な看板が置かれていた。なんだか怪しげな看板だなと思い、近寄らないようにしていたのだが、実はラーメン屋の看板だったのだな。もう一歩踏み出す勇気があればと悔やまれる。
いくつか支店があるようなので、そちらにも行ってみなければ。それぞれの店独自のラーメンがあるらしい。地元で見つけるプチグルメ的楽しみだったつもりが、予想外の秀逸な店に出会い、想像以上にワクワクした。名品。

書評・映像評

読書の質は量で決まるか Yes!

Photo by Thought Catalog on Pexels.com

小学生の頃から本を読むのが好きだった。今のように多様な趣味、暇つぶしの道具がなかったこともある。本を読むことしかなかったというのが正解だろうか。現代の暇つぶしはテレビやDVDで映像を楽しむのはもはや少数派で、youtubeなどの配信系映像やゲーム、それもオンラインで楽しむことが主流だろう。暇つぶしにやることが多すぎて、時間配分が生活の最大課題になってしまった。自分ですら、ニュースなどをサイトで巡回し、溜まった録画をみながら、なお新刊に手を伸ばすなど24時間暇つぶしに関わらなければ無理だ。
もはや暇つぶしどころか、娯楽ではなく業務に近いものがある。だから、長年慣れ親しんだ娯楽・趣味である読書は著しい時間制限が必要になってしまった。学生の頃は、朝起きてからから寝るまで、ぶっ続けに12時間以上本が読めたものだが、今では1日1時間がせいいっぱいだ。

それでも5年ほど前に読書記録を残すアプリを見つけて、日記がわりに書き込んできたが、この2月末で1700冊になった。平均すると1日に約1冊読んだことになる。記録漏れもあるが、漫画・コミックであれば概ね1時間で一冊読めるので、こんなものだろう。昔は手が出なかった大長編 全80巻みたいな本を片っ端から読んで行ったせいもある。逆に活字本は読書速度が低速化し、1日一冊はもはや無理だ。それでも戦国時代の考証本とか世界史のウンチク本みたいなものは集中的に読んだりもする。脳細胞の劣化防止策として読書は有効だろうと信じて、年間500冊読破を目指したい。

ちなみに読書レビュー系のアプリは、出版社関連でいくつか出ているようなので、現代の希少種である本好きの方がいれば、使ってみると良いのでは。何年か経つと、なかなか面白い自伝風の読書記録が出来上がる。この年は、なぜこの本読んでいたのかとか色々な記憶が蘇る。映画を見て原作が読みたくなったとか、尊敬する先輩に勧められたのだったなあとか。

個人的には濫読することで読書力、つまり理解力と想像力は広がると思っている。少ない本を読んだだけで、世界の理解が増すのは一部の天才だけではないかと思うので、本日も濫読をしております。同時進行で読んでいる本は、英国植民地の奴隷と砂糖生産の話「砂糖の世界史」と大人向けコミックで悪徳警官を描く「クロコーチ」と下町ロケットの作者が描く政治家の話「民王」、それに翻訳本で「宇宙が始まる前にはなにがあったのか?」と「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」、翻訳SFで「ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパン」。まさに濫読の極みでありますよ。

使用しているアプリは「読書メーター」で、角川系の代物です。ご参考まで。

書評・映像評

ラノベのあれこれを考えてみた #1 SFの孫

Photo by Pixabay on Pexels.com

最近は大規模本屋がどんどん潰れてしまい、一時期、自宅のある町では大きな本屋が壊滅した。仕事先である恵比寿や通勤途上にある新宿などで大きな本屋を使えば良いので、仕方がないと諦めていたが、ようやく駅前再開発で地元に大きな本屋が開店した。専門書なども多少は置いてある。が、小説は少なく昔の本屋の面影はない。
それにもまして、自宅周りの本屋に行くと一番売り場が大きいのはコミックで、これが売り場の半分くらい。残りの1/3が雑誌で、文庫本をあわせても小説売り場の半分はラノベになっている。一般書籍では文庫本が少し頑張っているが、いわゆる単行本になると児童向け書籍の棚より小さい。
今や、エンタメとしての活字の主流はラノベで、コミックという画像付き物語と市場を分け合っているのが実情だ。当然ながらベストセラーも直木賞受賞作ではなく、アニメとコラボしたラノベ原作という時代だ。
そもそも全世代で活字を読むという習慣が減っているのは間違いないが、テレビの視聴がYouTubeに置き換えられているように、視聴する媒体が変わったということではない。
つまり「紙の本」が「電子ブック」に変わったのではなく、「本」=「活字」を読む人が純減しただけだ。そして、数少なくなった「活字読み愛好者」は、ジャンルとしてのラノベに集中しているということだろう。活字印刷物はすで死にゆくメディアになった。そして、ラノベが活字世界の最後の砦になっている。
一般的なジャンル小説としては、高齢な読書耽溺層が支える一部の時代小説が堅調なくらいで、推理小説の数少ない人気作家を除けば壊滅状態かなと思う。学生時代から個人的好みで読み続けるSFも、すでにマイナー分野のようだ。まともにSF本を売っているのは、新宿紀伊國屋本店くらいだと思う。他の大規模書店では、もはやSFも滅亡寸前と言って間違いない。生き残ったSF者は、わずかにAmazonに救いを求めるしかない。


「お話」の好みは時代によって変わっていくものだから仕方がないことだが、空想科学小説と言われていたジャンルがSFとなり社会的に認知されたのが1970年代だった。その時代のSFは映画化、アニメ化を含め映像化されたものが多い。そしてそのSFの直系後継者がラノベなのではないかなと思っている。
ラノベはSFが基本設定としていた「この世ではない別の世界」を舞台にお話を展開するというやり方を(意識してか無意識なのかは定かではないが)、ストレートに踏襲、引き継いでいる。ジャンル小説としては、ラノベはSFの孫みたいなものかなとも思う。ちなみにハードSFと言われる科学的設定をそれっぽく理論化しているジャンルは、ラノベでは出現していない。(知る限りでは、たぶん)
たまに、ラノベ作品でも異世界の設定を疑似科学的に説明することはあるが、そこが物語の本筋ではないからハードSFの子孫とは言えないだろう。そもそもハードSFは登場人物の会話がステロタイプで説明的という、笑いたくなる特徴がある。世界設定のお話が全て、という作品が多い。そこが面白みだから仕方がないのだが。
ラノベがSFの傍流というか下流という理由は、異世界(ファンタジー系)でモンスターが生存している、あるいは人と共存している世界が基礎設定として使われることが多いせいだろう。ただし、その世界は存在するだけで、世界の成り立ちの説明は曖昧であるか、ほとんど説明されない。世界の成り立ちの説明があるかどうかが、SFとファンタジーやラノベの差だと思っている。
あるいは次元スリップ、タイムスリップなどで、過去に飛ばされたり、並行世界(現代日本によく似ているが、なぜか怪獣が出現する)に転移したりという設定も多い。SF好きとしては、スターウォーズのような宇宙船と帝国と異星人とお姫様がごちゃまぜになって出てくる世界は実に楽しい。しかし、スターウォーズ第1作封切り時には、この映画の話をするときに、あれはSFではなく空想・ファンタジーの世界だよねという「おことわり」が必要だった。
当時は架空世界を精緻に構築していないとSFとして認めないような雰囲気があった。例えば超光速航行をワープの一言で済ませて、なんの説明もしないのはSFとして反則だろうという類の話だ。そんなSF世界の決まり事をあっさり無視したのがラノベの元祖たちだった。
今ではラノベの世界設定は、なんの説明も必要ない。それがあたり前な物語として認識されている。つまりSFっぽいお話ながら、科学ゴリゴリ解説が必要であれば(あるいは、そういう話を大量に放り込めば)ハードSFになる。それ以外のフワッとしたモンスターや超能力が当たり前の世界のお話はライトノベル、こんな分け方なのかもしれない。

そのラノベも第二世代に入っているようだ。ラノベを読んで育った読者が書き手になったということもある。第一世代のラノベは、それなりにSF的設定やSF的決まり事を尊重していた。ただ、その縛りがだいぶ緩くなったのがラノベ第一世代ということだ。
そして今では第二世代がジャンルのお約束を揶揄するような書き方をしている。例えば、主人公が「よく読んでいた異世界転生ものでは、必ずこんな話になるはずなのに・・・」とぼやく。これは楽屋落ちというしかない。つまり物語の中にメタ物語の構造が埋め込まれる。それを書き手も読み手も楽しむ。そして、いわゆる楽屋落を喜ぶほどラノベ愛好社会が膨らんだことを意味する。小説として確立された「ジャンル」ということだ。
衰亡するSFというジャンルを、軽く流しながら受け継いだラノベ業界で、それを広げる役割を果たす、「成長した第二世代」という感がする。今のラノベをSFの孫という意味はそこにある。

その楽屋落ちの典型パターンに、転世者物語(ラノベ)を愛読していた主人公が、なぜか異世界に転生してしまったというお話も数多くある。ジャンル小説を読み漁ったジャンル小説の書き手にとっては、その設定が当然すぎるだろう。その読者もジャンル小説愛好者と最初から想定されているので、くどくどとした設定解説がいらないのが特徴だ。
そのラノベ・第二世代書き手の中でも、SF的な残り香が強いお話として面白かったのが「村人ですが何か?」小説版だ。SF的なテイストは隠し味程度で文体は軽い調子の口語体だが、会話の量が他のラノベと比べても少ないのが目立つ。
個人的に面白いと思うラノベ作品の特徴として、「異世界構築の理屈」をどのように説明するかがある。この作品の独特な「世界の成り立ちと冒険者・勇者の戦う動機」は、まさにSF的な領分のお話なのだが、物語の焦点はそこではないところが、やはりラノベであってSFとは違うということだろう。個人的には主人公たちのあれこれ、ラブコメ的展開はほとんどどうでも良くて、背景事情と物語の整合性みたいのがやたらと気になってしまった。ラノベの楽しみ方としては邪道なのかもしれないが。最後の方では、世界を改編しようとする悪者を退治するというゴールデンパターンにはなるのだが、そこに行くまでの過程では世界を救うつもりなどかけらもなさそうな主人公の行動が「今風」ラノベではあるのだが。
王子様が龍を退治してお姫様と幸せに暮らしましたとさ、という展開では売れるお話にはならないのが、現代ラノベのお約束なのだ。

ラノベの話 続く

【以下はご参考まで】
アマゾンのリンクを貼っていますが、アフィリエイト宣伝などしていません。調べてみたいという方への参考程度です。ちなみに題名で検索するとコミック版の方が目立ちます。小説版は探すのに苦労するのが今の時代でしょう。最近は紙媒体である本より電子媒体であるkindleの方が人気のようです。

公式サイトは→  村人ですが何か  https://gcnovels.jp/villager/#

街を歩く

サイボクのレストラン

埼玉県人(南西部)にとってはもはやワンダーランド的な施設がサイボクハムの直営テーマパークだ。(たぶん)
詳しくはサイトを見てもらうのが良いと思うので

 https://www.saiboku.co.jp/park/
肉の直営販売とレストランとお風呂と、あれやこれやのごった煮状態で、年々規模が拡大しているらしい。

川越の駅前商店街の中 グリル&ビアの店だが現在は禁酒

そのサイボクのレストランが川越の街の中にできていた。ちょっとオシャレっぽい感じがしていて、これは次に来た時に入ってみようと思いながら、コロナの中で翻弄されてしまったまま一年以上が経過してしまった。これはいかんと訪れてみたら、なんだか店の中が暗い。どうやら夜は時短しているような気がして諦めて帰ってきた。

2020年12月

それではと気を取り直し後日昼間に行ってみたら、早くきすぎて開店前で、仕方なく所用を済ませたらすっかり昼飯時を外してしまった。結局、食べ損ねたまま写真だけ撮って帰ってきた。

2022年2月

一年ほど前の写真と比べてみたら、そういえばGo To Eatなどという景気の良いことやっていたなあなど感慨に浸ってしまったが。よく考えれば、その後で波が2回くらいきて、オリンピックも世間が反対賛成で騒然とする中、強行実施して総理大臣が実質的にクビになるなど、あれこれあった一年っだったと店先で立ち尽くしてしまった。おまけにワクチンを2回打てば大丈夫とか言っていたはずだが、3回目を打たなければいけないような状況だ。その度に飲食店に「罪」を押し付けている。
ランチのメニューもほとんど変わってしまい、値段だけが上がってるのが「コロナの影響」ということだろうか。一体、いつになったらこのレストランで食事ができることか、とぼやきながら川越の町をとぼとぼ歩いておりました。食べるなら、やはりハンバーグかなあなどと考えつつ、実食したらまた感想など・・・。

街を歩く

東京都の隣町で見た光景

シャッターが閉まっていて驚いてしまったが・・・

埼玉県のはずれの町に住んでいる。西武線で一駅隣は東京都という町だ。県の東部に行くにはJR武蔵野線で乗り換えることが多いが、都心部まで一度行ってから、東北本線(宇都宮線、高崎線というべきか)沿いに行くのは面倒臭いからだ。
その武蔵野線乗り換え駅は駅間の距離が離れているので、乗り換え客の動線に沿って商店が広がっている。飲み屋やファストフードなどが乱立する賑やかな通りだ。
その一角に行列ができる「ケーキ屋」がある。ケーキ屋というのはペコちゃんのいる不二家くらいかもしれない。
いまはパティスリーなどとおしゃれな呼び方になっているようだが、自分の目から見ると高級洋菓子店=ケーキ屋さんという感じだ。その有名店がまさかの平日昼間シャッター状態になっていて動揺した。多分、きっと、おそらく・・・休業日なのだろう。まさか閉店なんて、と恐々で近寄ってみた。

何と、このご時世なのに店内混雑緩和措置が必要なほど人気らしい。おまけにシャッターが降りている理由が、昼間の休憩で12−13時は閉店していますとのこと。ホッとしたのは確かだが、ついに時代はここまできたかと感嘆した。
昼の時間を休めば従業員にも優しいだろう。まさか会社の休み時間に買いに来て並ぶという人も多くはないだろうし。発想の転換だとは思うが、これも引き金はコロナだったのだろうか。ちょっとあれこれ考えさせられるネタになった。

ラーメンともつ煮が同居する自動販売機 日本の食文化を切り開くか

ネタついでにもう一つ。ラーメンの自動販売機があった。冷蔵機能のついた自販機だが、この横に百円で買えるみかんの入った自販機もあった。人手不足のご時世だから、これまでにない「変な自販機」が増えそうだが、それもコロナのせいで進んだ食文化というっことになるのかもしれない。
同じ通りでもサラリーマン向けの個人商店的な居酒屋は軒並み閉店していた。チェーン店がなんとか堪えて営業しているという状態だ。東京都内なので、酒規制はそれなりの制限はあるにしても禁酒ではない。
自宅のある街は、埼玉県なので、変な禁酒制度の影響もあり、チェーン店の休業が目立つ。個人店は逆に「パスポート制度」を取り入れ営業継続している。東京都と埼玉県で「生存戦略」が異なる。困った時代だと言うか、困った自治体知事の暴走を止める仕組みがないと言うべきだろう。
線路を隔てた北と南で商売が変わるという、なにやら国境線の違いみたいなものを感じてしまう。カリフォルニアとメキシコの国境の街、ティファナみたいなものかあ、我が町も立派に不健全になったものだなどと思いつつ。志村けんさんの歌で有名になった東京の都境の街を歩きながら、あれこれ考えていた。

街を歩く

立ち食いそばの対応って・・・

地元の駅で電車が来るのを待っている間に、ぼーっと立ち食いそばの店頭を眺めていたら気がついた。立ち食いそばも飲食業だから、感染防止規制の適用になると書いてあるのは、なるほどそうなのかと思うしかない。しかし、どうにも、納得がいかない。立ち食いそば店に複数人で入店し、大声で騒ぎ、長時間滞在する?。そんなおバカがいるのかだろうか。
自宅の近所では、全国各所で度々クラスター発生した昼カラは流石に最近休業中だった。が、立ち食いそばがクラスター源になったという記憶はない。そもそも立ち食いそばでクラスターが出るなら、満員電車はクラスター発生天国だろうに。などと思っていた。
しばらくして気がついて笑ってしまったのが、閉店20時、オーダストップ19時50分。要は店内滞在時間は最大10分と店側が判断していることだった。まさに立ち食いそばの経験が生きた「小粋な判断」だろう。

店内を覗いてみたら、アクリルの仕切り板がきっちり設置されている。コロナ感染防止対応はしっかりとした上で、「お上の無体」に立ち向かう、そんな気がした。最近ではエアロゾル感染が主流学説のようで、そうなるとアクリル板(飛沫感染防止策らしい)は科学的根拠がない「おまじない」でしかない。
だが、「お上の妄言」には逆らわず、きっと撤去指示も出てこないから、この後も何年間はアクリル板を置き続けるのだろうなあ。しまいに、あまり掃除もされなくなり、薄汚く油染みたアクリル板が日本中の飲食店で放置されるのだろう。
この板を清掃するだけでも、それなりの仕事量になるだろうにと同情してしまう。元のコロナ大臣あたりが、この手の無駄や迷信や妄想に基づく規制、行動を止めてくれないものか。今のコロナ大臣の発言を聞いていると現政権では無理だろうな。
しかし、昼過ぎとはいえ店内はガラガラ、そちらの方が大問題のような気がする。

食べ物レポート

老舗の変わりぶり

味噌ラーメンがあったとは知らなかった

直久といえば、東京ではそれなりに有名なラーメンの老舗だろう。北海道から出てきたばかりの頃、東京人に「ラーメンと言ったら直久」と説教されて覚えた名前だった。その後、都内あちこちの有名ラーメン店に行って食べ比べをして、なるほど東京人が好きなラーメンとはこういうものなのかと理解した。いわゆる支那そばというやつだ。結局自分にとって、支那そばはうまいラーメンとはいえないという結論になったが、東京人のソウルフードらしいので文句を言うつもりもない。業務的に一時期ラーメンに関わり、先輩上司の「支那そば」論に付き合いきれず喧嘩になり、その業務を降りて以来、支那そばうまい論はトラウマだ。それでも直久の看板を見ると、たまに食べに入る。支那そばの原点みたいなものは確認しておこうという心持ちだ。大好きとはいえないが、まずいとも思わないので普通に食べる。あっさり系のスープは、たまに食べるとお腹に優しいと素直に感じる。

その支那そば屋だと思っていた直久に久しぶりには言いたら、まさかのびっくりバリエーション拡大で、ちょっと前まではキワモノ扱いだった「まぜそば」、「つけそば」まであるではないか。支那そばとは真逆の方向を向いていると思っていた「煮干しスープ」まで揃えている。まさに全方位展開だった。
何か、大きな変化が会社の中であったのかと邪推してしまうほどの変化だが。その動揺に引き摺られて、生まれて初めて「直久の味噌ラーメン」を注文してしまった。普通にうまいが、なんだか「らしくない」と感じてしまう。どうせなら、毒を食らわば皿までみたいな気分いで煮干しそばやつけそば、まぜそばまで順番に試してみようという気になった。老舗の覚悟に付き合ってみようと、こちらも心意気を見せてやろうじゃないかということだ。
個人的希望を言えば、横浜系ラーメンのような大きい海苔を乗せてほしいなあ。

食べ物レポート

埼玉県の反逆者としての誇り?

埼玉県西部のベッドタウンに住んでいるので、今回の第6回コロナ対策ではめでたく禁酒県になってしまった場所で、いろいろと観察している。そのベッドタウン中心駅から一つ隣の駅は、駅の北側が埼玉県、南側は東京都になっている。とうぜん、北側では酒を販売するのに「検査制度」を導入していなければいけない。それを嫌ってか大手チェーンは埼玉県の店舗では酒販売を中止している。
つまり、駅の南側では酒が飲めるが、北側では酒が飲めない(正確にいうと酒の販売を企業が悪い忖度するという意味になる)という場所だ。

煉獄の卵

それを確かめるため、埼玉県では酒販売を中止しているサイゼリヤに行って、酒を注文してみた。後で気がついたことだが、駅北側住人、つまり埼玉県人は駅南側に来て東京都民のふりをして酒を飲めるのだな。そして、駅北側の埼玉県の自宅に帰って行く。埼玉県の制限の意図は一体なんなのだろうと、馬鹿馬鹿しくなるだけだ。これまた当たり前のように、自分の席の周りは高齢者飲酒グループが5組もいる。若い人たちはほぼ一人で黙食なので、店内に響く大声はジジイババアの阿鼻叫喚とでもいうか。これで高齢者クラスターが発生したら、店のせいにされるのだろうかと、これまた微妙な気づきをしてしまった。
マンウォッチングも終わったので、気になっていた「煉獄の卵」に挑戦したらさっさと帰ろうと決めて試食開始。

ついでに、辛い鳥焼きも注文したのだが、マイ親子セットみたいな組み合わせになった。煉獄の卵は自分のこれまで食べてきたサイゼリヤメニューで、ダントツのトップに認定した。うまい。というより、自分の好みにドンピシャとハマった感じがする。卵嫌いとかニンニク嫌いの方には無理な食べ物だとも思うが、これを食べるだけにサイゼリヤに行く意味があると思ってしまった。次回からは絶対注文品に決定だ。
埼玉県の意図には全く従う気もなく、サイゼリヤに行くなら当分は東京遠征するぞと決意し、埼玉県の税収(消費税)には貢献しないことにする。
そもそも埼玉県独自の飲食店対策をして、東京都と比較して感染者減少に効果があったどうか検証しろよと言いたい。

絶対しないだろうけどね。

街を歩く

カフェメシにあぶれて思うこと

地元駅の商店街のはずれにあったおしゃれなカフェが閉店してしまった。どうやら、跡地はパン屋(ブーランジェリー)になるらしい。たまに店の前を通ると、女性客でいっぱいでなかなか気後れして入れなかったが、いつかは入ってみたいと思っているうちに閉店してしまった。「思う」だけではいけないなあ、と後悔している。
この商店街からすぐそばにあった至極の喫茶店もいつの間にか閉店していた。コロナのせいというべきなのだろう。談笑する場がなくなるのは、夜の業態だけではないということだ。コンビニの百円コーヒーも随分と品質が良くなり、車を運転しながら飲む分には実に満足度が高い。ただ、喫茶店やカフェはコーヒーの味を楽しむだけではなく、空間と雰囲気も味わうものだ。良質の時間の過ごし方が、また一つ失われてしまった。

しょうがないので、最近流行りの「おうち時間」とやらを楽しむことになる。いや、実際には全然楽しくないのだが、それを楽しいものと錯覚させる小道具をあれこれ探す羽目になる。そんな不毛な探索の結果が、これまた自宅近くで発見した1/4カットの「ピッツァ」だ。ピザではなくピッツァなのですよ。
既にホールサイズのピザは500円が事実上の標準価格で、その上に1/4カット売りがこれまた定着してきたようだ。おまけに、ビニール袋の簡易包装になってきた。もはやピザに高級感はいらない。並のパンと同じ普及品となったというわけだ。
背景は「おうち時間」の拡大のせいだと思う。この2年で家庭内消費としてテイクアウト需要が外食を押し退けて伸びた。その増えた分が、販売数が損益の境界線スレスレで儲からない「ピザ」カテゴリーを押し上げた。ようやく販売数増加で儲かるようになったのだと思う。ピザの人気で増えたわけではなく、テイクアウト全体の増加のおこぼれで儲かるようになったと理解するべきだろう。
似たような話で言えば、カレーパンを2種類おく店が増えている。これも、カレーパンの総販売数が増えたせいで、バリエーション拡大を図れるようになったということだろう。近くのスーパーのインストアベーカリーでは「エピ」を2種類に増やしていた。バゲットをオリーブ入りと普通版の2種類販売する店も出てきている。ブーランジェリーなどのパン専門屋ですら、なかなかできない二種持ちだと思うが、それをスーパーがやり始めている。

近所を歩いているだけで、あれこれ発見し想像できるようになったのが、コロナ感染拡大の最大の恩恵のようだ。実につまらない能力を身につけたものだと、鼻で笑ってしまう。