街を歩く

銀座のランドマーク

銀座を歩いて思ったことを、整理もしないでバラバラと並べてみた。

銀座マリオンが開店した当時、なぜか日本中でからくり時計がブームになり、あちこちで設置された。この銀座の新しいランドマークは時間になると人混みができるほどの人気スポットだったが、この午後5時のカラクリショーには見物客が一名(自分)だけで、あとは誰一人足を止めることもない。時代は変わるものだが、これほど無視されているとは思わなかった。

そのからくり時計の向かい側にあったもう一つの銀座のランドマーク、ソニービルがなくなって随分経つ。跡地は公園になっていて、日本一お高い公園だなと思っていたが、その公園も無くなって再開発されるようだ。目の前にある不二家のビルは、随分昔に刀鋸に出てきて初めて銀座に来た時に目印をした場所だ。ただ、その不二家も今ではすっかりおとなしい会社になっている。不二家のケーキを食べたのはどれくらい前のことだろう。

確かにソニーは既に家電メーカーというよりゲーム会社、映像会社なので銀座にフラッグシップを持つ必要もないことは理解するのだが、なんとなく寂しい気分になる。今では学区内に住んでいる生徒がほとんどいないらしい「泰明小学校」のように、なんとか名前を残すブランド戦略は取れなかったものだろうか。泰明小学校も制服の値段でメディアの餌食になったくらいだが、たまに学校の横を通りかかると微かに子供たちの声はする。小学校としては実態があるから幽霊ブランドではない。

そして、銀座のランドマーク最優等生とは、やはりこの和光ビルだと思うが、いつもは三越側から取るので今日は反対方向から撮ってみた。これはこれで妙に新しく感じる銀座の老舗の顔だななどと思いながら、夕方の人混み時にもかかわらず、まばらな通行人に今の銀座を感じた。日本の代表選手、銀座でこの程度の人混みということは、地方都市に行けば通行人すらまばらということなのだろう。メディアで流れる意図的に混雑している場所を意図的なアングルで撮るを信じては行けないなあと思った。

街を歩く

新宿靖国通り を歩く

街を歩き回り看板の写真を撮るのが趣味といえば趣味だ。鉄オタならぬ看板オタみたいなものだろうか。新宿歌舞伎町は街の新陳代謝が早いので、一年も経てばビルのテナントが入れ替わっているのは当たり前だが、ビル一棟丸ごろ変わってしまったのは初めて見た。白い部分がそれぞれ居酒屋だった居酒屋ビルで、その前はビル一棟全体が一軒の居酒屋だった。居酒屋受難の時代を体現するような「白ビル」を見つけて、心が痛んだ。やはりコロナの2年を持ち堪えるのは無理ゲーというものなのだろう。しかし、靖国通り沿いでこの始末だ。裏路地に行ったら廃店舗の死屍累々ということになっているのか。

一見おしゃれなバーガー店だが、ここは元・白い髭の爺さんがトレードマークの唐揚げ屋だった。唐揚げ屋は歌舞伎町の真ん中に引っ越し、靖国通りの反対側にいたバーガー屋がその跡地に引っ越してきたわけだ。コロナ不況の外食業界で、勝ち組であるファストフードはあれこれ戦闘を続けているようだ。そういえば、新宿駅東側で唯一のこる西武新宿駅前のマクドナルドは、入り口を全面開放して路上に行列ができている。ファッションではなく感染対策での入口開放だとは思うが、昭和バブル期並みの繁盛ぶりが目立つ光景だ。

まさに、昭和バブル期にできた居酒屋ビルの正面入り口で、まさかの白塗りを見つけた。ここは、テナント各店の看板が賑やかに掲示されている場所で、6面白いまま、営業中の文字がなんともわびしい。このビルのオーナーも頭を抱えているだろう。今のご時世ではいくら家賃を下げても希望者が出てくるとは思えない。

このビルは靖国通り沿いで、新宿駅から歌舞伎町に抜けていく人通りの多い道路だ。居酒屋などの飲食店にはベスト立地に近いと思うのだが、やはり客をエレベーターで上に持ち上げられるほど、今の居酒屋・飲食には力が無いのだろう。昼飲みジジイたちを集めるには、場所よりも価格だろうし、客としての高齢者は色々と制約条件が多いので、店舗側としても歓迎しにくい部分もある。
好き勝手なことを言う業界評論家も、今回ばかりは高齢者対応で生き残り作戦をなどとは言っていない。さすがに「無理なお話」だと言うことがわかっているのだろう。残る対策はテイクアウトに活路を見出すか(大抵は地獄への片道切符になりがちだが)、支援金で我慢して休業するか。
ただ、休業を選んだ時には補償金が吹き飛ぶほど、営業再開時に従業員の再雇用と訓練という難問が待っている。コロナが終わったとしても、外食の困難は続くのだろうなあ。
新宿を散歩していて社会考察などしてみました。

食べ物レポート

回転寿司のマーケティング分析 その2

邪道の極地 塩辛軍艦

回転寿司では「軟体動物」しか食べないのが基本姿勢だ、と威張るほどのことでもないが、赤身に白身、光り物みたいな定番寿司ネタにはほとんど興味を惹かれない。せいぜいシメサバによろめくくらいだ。特に最近は、外食の規制状況に文句があることもあり(ほとんど八つ当たりみたいなものだが)、回転寿司で邪道を極めるつもりで、あれこれ「変な」注文をしている。
今回はスタートを塩辛軍艦にしてみた。ところが、酒のつまみとしてはこれが最強であることに気がついてしまった。握り鮨で酒を飲む、つまり米と魚を合わせたものが酒の肴になるはずなので、塩辛と海苔の組み合わせが「美味くないはずがない」という屁理屈を捏ねて頼んでみただけだった。
しかし、世の中なにがおこるかわからない。この塩辛軍艦は熱燗に最強のつまみだった。これ以降、回転寿司でのベスト・アペタイザーとして「塩辛軍艦」およびその親族を認定することにしよう。
実は、ひっそりと思っていることだが、回転寿司屋で軍艦巻きバリエーションこそ食材原価を落とす切り札のような気がする。最近ではラーメンなどの麺類の原価低減効果も大きいようだが。やはりファミリー向けとして定番コーン軍艦を筆頭に、ハンバーグ軍艦やカルビ軍艦など、今や魚より肉が食いたいという層を惹きつけるフラッグシップメニューになっている。これが、ヤングファミリーを引き入れる原動力であり、同時に原価率低減に寄与している。今や、回転レーンで回っているのは、ジュースやデザートと、この手のファミリー向け新興軍艦巻きばかりだ。
その軍艦巻きバリエーション作戦でも、変化球というか、地平線ギリギリのメニューで登場しているのが塩辛軍艦だろう。ジジイしか食わない「特殊メニュー」だと思うし、大手チェーンでは無視されている日陰者だ。

続いての注文品は、前々から好物だった「茶碗蒸し」だが、これを第二のアペタイザーとして認定した。実はチェーン居酒屋で茶碗蒸しを頼むと、価格と全く合わない低給品が出されることにうんざりして、茶碗蒸しを頼むのは控えていた。
それなりのお値段のする高級店であれば、茶碗蒸しは料理人の腕前が光る名品だから、余計にチェーン居酒屋の茶碗蒸しの手抜きっぷりが鼻につく。ファミレスでも茶碗蒸しの質は誉められたものではない。まして、回転寿司だし、二百円だし、みたいな変な思い込みがあった。
だが、なんと回転寿司大手三社を含め、回転寿司業界の茶碗蒸しは、どうやらかなり高水準に進化したようだった。きっかけはクラ寿司のランチセットの茶碗蒸しだった。おまけでついてくる茶碗蒸しだからな、と最初は小馬鹿にしていたが、びっくりするほどレベルが高い。感服した。
そのまま、片っ端から各チェーン店で茶碗蒸しを食べまくったが、1番のお気に入りは「がってん寿司」の茶碗蒸しとなった。結局、寿司以外のものの品位を上げて買い上げ点数を増やすというのが、回転寿司業界ではマストのバリュー戦略だろう。一皿五百円の本鮪とか鮑とかの高級皿路線は、支持層が限定されるので効き目が弱いはずだ。

まるでプリンのようなルックスだが、出汁がしっかりと効いている。しっとりとした味わいとなめらかさが他社のものと比べて一段上という感じがする。思わずおかわりしたくなる。できればどんぶりサイズの「超特盛」みたいなものを開発してくれないだろうか。どうも最近の回転寿司屋は、寿司以外のものの進化が凄すぎる。ファミレスでもこのレベルのものをサイドアイテムにしてくれないだろうか。サイゼリヤだとやってくれそうな気もするが。イタリアン茶碗蒸し、食べてみたい気がする。ハンバーグと茶碗蒸しのセットができたら、週に2回は通いそうだ。ということで回転寿司のマーケティング戦略をまとめてみると、
1)軍艦巻きバリエーションで客層拡大と原価低減を狙う
2)サイドアイテムの高品位化で買い上げ点数アップ、客単価増を狙う
に集約される。これは他の外食企業にも通用する戦略だと思う。

ゲソタンポンは甘だれつき、イカ三種盛りにもゲソ入り

そして締めの寿司は「イカづくし」。特に、この店はイカゲソが提供されている。うまい、うまいとついおかわりをしてしまう。今回も寿司ネタは、ほぼイカ限定だった。ガッテン寿司さん、外道な注文ばかりで、すみませんでした。でも、美味しかったです。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

回転寿司のマーケティング分析

スシローがキャンペーンで「東北」ネタメニューをやっていたので、ノコノコと出かけてしまった。スシローアプリでキャンペーンメニューを確認して、開始日も確認して、と入念な準備をした。そして、ネタ切れという悲惨な目に遭わないように開店10分後を目指して出かけた。ところが、開店10分でカウンター席は満席で、待ち時間が発生するという人気ぶり。いやあ、驚いてしまった。
そして、まずはお目当てのホヤ塩辛軍艦を注文した。期待通りというにはちょっと「ホヤ臭さ」が薄い。ただ、ホヤフリークでない限りは、これくらいの「薄さ」の方が受け入れやすいだろう。仙台で食べるホヤは鮮度が素晴らしく匂いもしないが、首都圏まで輸送されてきたホヤは、一種独特の匂いがする。この問題が解決できればホヤファンも増えるだろうにとも思うのだが。

続いて貝の二種盛り。まあ、無難なまとめかたという感じ何する。貝好きにはちょっと物足りないかもしれない。ネタがもう少し大きければなあ、という感想だった。ただ、回転寿司で貝をしっかり食べさせてくれるのはスシロー限定に近いような気もする。ネタとしての貝類が難しいせいだろうか。

そして本日のメインイベントは、夏に続いてリリースの「うに」だった。ただし、これはチリ産ウニを塩漬けにしたものらしい。ただ、なまのウニもうまいが、つけたウニも別のうまさがある。個人的には塩漬けウニが大好物なので、これは実に嬉しい。鮮度管理のことを考えると、こちらのほうが味のバランスが良いという気もする。
回転寿司でしっかりとしたウニが食べられる時代になったかと、思わず嘆息する。店数が増え買付規模が上がったことや、競合他社との競り合いが厳しいせいだろうが、大手三社のネタの質は年々進化しているように思う。競争は大事だ。

ただ、今回のお目当ては、新ネタの寿司を食べに来ることではなかった。お持ち帰りロッカーの見学が目的だった。これはネットで注文したテイクアウト商品(決済済み)を、店員と話すことなく持って帰る仕組みだ。スマホ注文時に発行される解除番号でドアが開く。テイクアウト商品の販売は、この手の「非接触型引渡」が主流になるのだろうと予測できる。
この手の設備に十分投資できる企業体力が業界での生き残りの条件になる。つまり、テイクアウトを販売の主力に置こうとすると、膨大な設備投資が要求される「パワーマーケティング」の時代になる。知恵と工夫で生存しようとする戦略を、木っ端微塵に打ち砕く「数こそ正義」という戦略だ。
これが、どの業態でも寡占状態の最終決着をつける、最後の戦略になる。回転寿司業界は、そろそろファイナルステージに入ったようだ。それは中小企業受難の時代となり、生き残るのがますます厳しさを増すことを意味する。

**誤字修正などをして、再アップしました

食べ物レポート

自家製唐辛子のその後

猫の額ほどの庭で栽培していた唐辛子の最後に収穫したものを、室内で時間をかけて乾燥させてみた。写真だと違いが分かりづらいが、右側上部の唐辛子は色が薄い。ここの部分は緑の唐辛子、つまり完熟前の唐辛子を干したものだ。
左側の深い赤の唐辛子は完熟してから採ったもので、世で言うところの鷹の爪状態に仕上がっている。微妙な違いがあるのだが、辛さはどうなっているのか、試してみようと思ったが、自分の舌では辛さの違いが判定できそうもないと諦めた。
この鷹の爪状態の赤唐辛子は料理に使おうと思っていたのだが、ふと思い立ち塩漬けゆずと麹と合わせて熟成させてみることにした。
青唐辛子と醤油、麹で作る三升漬けのようなものにならないかと試しで漬け込んでみたのだが、一向に発酵が進まない。おそらくゆずの酸味が邪魔をしているのだろう。半年ほど放置して様子を見ることにした。結局、今現在でも発行している様子がなく、どうしたものかと思い悩んでいる。蓋を開けるのが怖い気もするので、夏まで放置しよう。

漬け込むために唐辛子を細切れにした。その時出てきた種は春になったらプランターに蒔いてみよう。唐辛子もすでにF1化されているかもしれないが、物は試しだ。ついでに比較のために市販のタネも買ってきて植えてみようと思っている。今年は唐辛子の大量栽培だ。

食べ物レポート, Uncategorized

すごいラーメン店

どう見ても倉庫のような気がする

つい最近まで知らなかったのだが、ネットニュースに配信されてくる地元ニュースで見つけた「ガレージの中のラーメン屋」に行ってきた。製麺屋が運営する直営店のようだ。店内に入ってみれば、確かに倉庫の中という感じがする。コロナ対策もありテーブル席は間引いているようだ。

正しいメニュー説明とはこういうことだろうなあ

土曜日には本体の製麺屋が、麺のアウトレットを、この店の奥で開催するらしい。面白いことを考えるものだ。入り口にある自販機を見ると、何やらいろいろと書かれているので、じっくり眺めてみた。基本的にラーメンは4種類あるようだ。

ところが、何やら訳はわからないが従業員の方が券売機の前で商品説明をしてくれるのがちょっと不思議。券売機いらないのではと思ってしまった。
まずは初見ということでおすすめの「生姜中華そば」にした。最初にスープから昆布の味が伝わる。昆布だしがこれほど正面切って出てくるラーメンは初めてだ。その後すぐに、動物系(鳥メインか?)の味が出てくる。なかなか複雑なスープ作りをしている。
麺は普通にスルッと入ってくるので、スープと麺の絡みも納得できるバランスの良さだった。あっさり系でまとめ上げているが、満足度は高い。特にチャーシューの仕上げが素晴らしい。次は肉増しにしてみたい。他の3食も順番に試してみなければと思わせる高品位ラーメンだった。

生姜のラーメン

もっと前から知っていればなあとも思ったのだが、記憶を辿れば一年くらい前に、幹線道路から店舗に通じる脇道に入る場所に変な看板が置かれていた。なんだか怪しげな看板だなと思い、近寄らないようにしていたのだが、実はラーメン屋の看板だったのだな。もう一歩踏み出す勇気があればと悔やまれる。
いくつか支店があるようなので、そちらにも行ってみなければ。それぞれの店独自のラーメンがあるらしい。地元で見つけるプチグルメ的楽しみだったつもりが、予想外の秀逸な店に出会い、想像以上にワクワクした。名品。

書評・映像評

読書の質は量で決まるか Yes!

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小学生の頃から本を読むのが好きだった。今のように多様な趣味、暇つぶしの道具がなかったこともある。本を読むことしかなかったというのが正解だろうか。現代の暇つぶしはテレビやDVDで映像を楽しむのはもはや少数派で、youtubeなどの配信系映像やゲーム、それもオンラインで楽しむことが主流だろう。暇つぶしにやることが多すぎて、時間配分が生活の最大課題になってしまった。自分ですら、ニュースなどをサイトで巡回し、溜まった録画をみながら、なお新刊に手を伸ばすなど24時間暇つぶしに関わらなければ無理だ。
もはや暇つぶしどころか、娯楽ではなく業務に近いものがある。だから、長年慣れ親しんだ娯楽・趣味である読書は著しい時間制限が必要になってしまった。学生の頃は、朝起きてからから寝るまで、ぶっ続けに12時間以上本が読めたものだが、今では1日1時間がせいいっぱいだ。

それでも5年ほど前に読書記録を残すアプリを見つけて、日記がわりに書き込んできたが、この2月末で1700冊になった。平均すると1日に約1冊読んだことになる。記録漏れもあるが、漫画・コミックであれば概ね1時間で一冊読めるので、こんなものだろう。昔は手が出なかった大長編 全80巻みたいな本を片っ端から読んで行ったせいもある。逆に活字本は読書速度が低速化し、1日一冊はもはや無理だ。それでも戦国時代の考証本とか世界史のウンチク本みたいなものは集中的に読んだりもする。脳細胞の劣化防止策として読書は有効だろうと信じて、年間500冊読破を目指したい。

ちなみに読書レビュー系のアプリは、出版社関連でいくつか出ているようなので、現代の希少種である本好きの方がいれば、使ってみると良いのでは。何年か経つと、なかなか面白い自伝風の読書記録が出来上がる。この年は、なぜこの本読んでいたのかとか色々な記憶が蘇る。映画を見て原作が読みたくなったとか、尊敬する先輩に勧められたのだったなあとか。

個人的には濫読することで読書力、つまり理解力と想像力は広がると思っている。少ない本を読んだだけで、世界の理解が増すのは一部の天才だけではないかと思うので、本日も濫読をしております。同時進行で読んでいる本は、英国植民地の奴隷と砂糖生産の話「砂糖の世界史」と大人向けコミックで悪徳警官を描く「クロコーチ」と下町ロケットの作者が描く政治家の話「民王」、それに翻訳本で「宇宙が始まる前にはなにがあったのか?」と「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」、翻訳SFで「ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパン」。まさに濫読の極みでありますよ。

使用しているアプリは「読書メーター」で、角川系の代物です。ご参考まで。

書評・映像評

ラノベのあれこれを考えてみた #1 SFの孫

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最近は大規模本屋がどんどん潰れてしまい、一時期、自宅のある町では大きな本屋が壊滅した。仕事先である恵比寿や通勤途上にある新宿などで大きな本屋を使えば良いので、仕方がないと諦めていたが、ようやく駅前再開発で地元に大きな本屋が開店した。専門書なども多少は置いてある。が、小説は少なく昔の本屋の面影はない。
それにもまして、自宅周りの本屋に行くと一番売り場が大きいのはコミックで、これが売り場の半分くらい。残りの1/3が雑誌で、文庫本をあわせても小説売り場の半分はラノベになっている。一般書籍では文庫本が少し頑張っているが、いわゆる単行本になると児童向け書籍の棚より小さい。
今や、エンタメとしての活字の主流はラノベで、コミックという画像付き物語と市場を分け合っているのが実情だ。当然ながらベストセラーも直木賞受賞作ではなく、アニメとコラボしたラノベ原作という時代だ。
そもそも全世代で活字を読むという習慣が減っているのは間違いないが、テレビの視聴がYouTubeに置き換えられているように、視聴する媒体が変わったということではない。
つまり「紙の本」が「電子ブック」に変わったのではなく、「本」=「活字」を読む人が純減しただけだ。そして、数少なくなった「活字読み愛好者」は、ジャンルとしてのラノベに集中しているということだろう。活字印刷物はすで死にゆくメディアになった。そして、ラノベが活字世界の最後の砦になっている。
一般的なジャンル小説としては、高齢な読書耽溺層が支える一部の時代小説が堅調なくらいで、推理小説の数少ない人気作家を除けば壊滅状態かなと思う。学生時代から個人的好みで読み続けるSFも、すでにマイナー分野のようだ。まともにSF本を売っているのは、新宿紀伊國屋本店くらいだと思う。他の大規模書店では、もはやSFも滅亡寸前と言って間違いない。生き残ったSF者は、わずかにAmazonに救いを求めるしかない。


「お話」の好みは時代によって変わっていくものだから仕方がないことだが、空想科学小説と言われていたジャンルがSFとなり社会的に認知されたのが1970年代だった。その時代のSFは映画化、アニメ化を含め映像化されたものが多い。そしてそのSFの直系後継者がラノベなのではないかなと思っている。
ラノベはSFが基本設定としていた「この世ではない別の世界」を舞台にお話を展開するというやり方を(意識してか無意識なのかは定かではないが)、ストレートに踏襲、引き継いでいる。ジャンル小説としては、ラノベはSFの孫みたいなものかなとも思う。ちなみにハードSFと言われる科学的設定をそれっぽく理論化しているジャンルは、ラノベでは出現していない。(知る限りでは、たぶん)
たまに、ラノベ作品でも異世界の設定を疑似科学的に説明することはあるが、そこが物語の本筋ではないからハードSFの子孫とは言えないだろう。そもそもハードSFは登場人物の会話がステロタイプで説明的という、笑いたくなる特徴がある。世界設定のお話が全て、という作品が多い。そこが面白みだから仕方がないのだが。
ラノベがSFの傍流というか下流という理由は、異世界(ファンタジー系)でモンスターが生存している、あるいは人と共存している世界が基礎設定として使われることが多いせいだろう。ただし、その世界は存在するだけで、世界の成り立ちの説明は曖昧であるか、ほとんど説明されない。世界の成り立ちの説明があるかどうかが、SFとファンタジーやラノベの差だと思っている。
あるいは次元スリップ、タイムスリップなどで、過去に飛ばされたり、並行世界(現代日本によく似ているが、なぜか怪獣が出現する)に転移したりという設定も多い。SF好きとしては、スターウォーズのような宇宙船と帝国と異星人とお姫様がごちゃまぜになって出てくる世界は実に楽しい。しかし、スターウォーズ第1作封切り時には、この映画の話をするときに、あれはSFではなく空想・ファンタジーの世界だよねという「おことわり」が必要だった。
当時は架空世界を精緻に構築していないとSFとして認めないような雰囲気があった。例えば超光速航行をワープの一言で済ませて、なんの説明もしないのはSFとして反則だろうという類の話だ。そんなSF世界の決まり事をあっさり無視したのがラノベの元祖たちだった。
今ではラノベの世界設定は、なんの説明も必要ない。それがあたり前な物語として認識されている。つまりSFっぽいお話ながら、科学ゴリゴリ解説が必要であれば(あるいは、そういう話を大量に放り込めば)ハードSFになる。それ以外のフワッとしたモンスターや超能力が当たり前の世界のお話はライトノベル、こんな分け方なのかもしれない。

そのラノベも第二世代に入っているようだ。ラノベを読んで育った読者が書き手になったということもある。第一世代のラノベは、それなりにSF的設定やSF的決まり事を尊重していた。ただ、その縛りがだいぶ緩くなったのがラノベ第一世代ということだ。
そして今では第二世代がジャンルのお約束を揶揄するような書き方をしている。例えば、主人公が「よく読んでいた異世界転生ものでは、必ずこんな話になるはずなのに・・・」とぼやく。これは楽屋落ちというしかない。つまり物語の中にメタ物語の構造が埋め込まれる。それを書き手も読み手も楽しむ。そして、いわゆる楽屋落を喜ぶほどラノベ愛好社会が膨らんだことを意味する。小説として確立された「ジャンル」ということだ。
衰亡するSFというジャンルを、軽く流しながら受け継いだラノベ業界で、それを広げる役割を果たす、「成長した第二世代」という感がする。今のラノベをSFの孫という意味はそこにある。

その楽屋落ちの典型パターンに、転世者物語(ラノベ)を愛読していた主人公が、なぜか異世界に転生してしまったというお話も数多くある。ジャンル小説を読み漁ったジャンル小説の書き手にとっては、その設定が当然すぎるだろう。その読者もジャンル小説愛好者と最初から想定されているので、くどくどとした設定解説がいらないのが特徴だ。
そのラノベ・第二世代書き手の中でも、SF的な残り香が強いお話として面白かったのが「村人ですが何か?」小説版だ。SF的なテイストは隠し味程度で文体は軽い調子の口語体だが、会話の量が他のラノベと比べても少ないのが目立つ。
個人的に面白いと思うラノベ作品の特徴として、「異世界構築の理屈」をどのように説明するかがある。この作品の独特な「世界の成り立ちと冒険者・勇者の戦う動機」は、まさにSF的な領分のお話なのだが、物語の焦点はそこではないところが、やはりラノベであってSFとは違うということだろう。個人的には主人公たちのあれこれ、ラブコメ的展開はほとんどどうでも良くて、背景事情と物語の整合性みたいのがやたらと気になってしまった。ラノベの楽しみ方としては邪道なのかもしれないが。最後の方では、世界を改編しようとする悪者を退治するというゴールデンパターンにはなるのだが、そこに行くまでの過程では世界を救うつもりなどかけらもなさそうな主人公の行動が「今風」ラノベではあるのだが。
王子様が龍を退治してお姫様と幸せに暮らしましたとさ、という展開では売れるお話にはならないのが、現代ラノベのお約束なのだ。

ラノベの話 続く

【以下はご参考まで】
アマゾンのリンクを貼っていますが、アフィリエイト宣伝などしていません。調べてみたいという方への参考程度です。ちなみに題名で検索するとコミック版の方が目立ちます。小説版は探すのに苦労するのが今の時代でしょう。最近は紙媒体である本より電子媒体であるkindleの方が人気のようです。

公式サイトは→  村人ですが何か  https://gcnovels.jp/villager/#

街を歩く

サイボクのレストラン

埼玉県人(南西部)にとってはもはやワンダーランド的な施設がサイボクハムの直営テーマパークだ。(たぶん)
詳しくはサイトを見てもらうのが良いと思うので

 https://www.saiboku.co.jp/park/
肉の直営販売とレストランとお風呂と、あれやこれやのごった煮状態で、年々規模が拡大しているらしい。

川越の駅前商店街の中 グリル&ビアの店だが現在は禁酒

そのサイボクのレストランが川越の街の中にできていた。ちょっとオシャレっぽい感じがしていて、これは次に来た時に入ってみようと思いながら、コロナの中で翻弄されてしまったまま一年以上が経過してしまった。これはいかんと訪れてみたら、なんだか店の中が暗い。どうやら夜は時短しているような気がして諦めて帰ってきた。

2020年12月

それではと気を取り直し後日昼間に行ってみたら、早くきすぎて開店前で、仕方なく所用を済ませたらすっかり昼飯時を外してしまった。結局、食べ損ねたまま写真だけ撮って帰ってきた。

2022年2月

一年ほど前の写真と比べてみたら、そういえばGo To Eatなどという景気の良いことやっていたなあなど感慨に浸ってしまったが。よく考えれば、その後で波が2回くらいきて、オリンピックも世間が反対賛成で騒然とする中、強行実施して総理大臣が実質的にクビになるなど、あれこれあった一年っだったと店先で立ち尽くしてしまった。おまけにワクチンを2回打てば大丈夫とか言っていたはずだが、3回目を打たなければいけないような状況だ。その度に飲食店に「罪」を押し付けている。
ランチのメニューもほとんど変わってしまい、値段だけが上がってるのが「コロナの影響」ということだろうか。一体、いつになったらこのレストランで食事ができることか、とぼやきながら川越の町をとぼとぼ歩いておりました。食べるなら、やはりハンバーグかなあなどと考えつつ、実食したらまた感想など・・・。

街を歩く

東京都の隣町で見た光景

シャッターが閉まっていて驚いてしまったが・・・

埼玉県のはずれの町に住んでいる。西武線で一駅隣は東京都という町だ。県の東部に行くにはJR武蔵野線で乗り換えることが多いが、都心部まで一度行ってから、東北本線(宇都宮線、高崎線というべきか)沿いに行くのは面倒臭いからだ。
その武蔵野線乗り換え駅は駅間の距離が離れているので、乗り換え客の動線に沿って商店が広がっている。飲み屋やファストフードなどが乱立する賑やかな通りだ。
その一角に行列ができる「ケーキ屋」がある。ケーキ屋というのはペコちゃんのいる不二家くらいかもしれない。
いまはパティスリーなどとおしゃれな呼び方になっているようだが、自分の目から見ると高級洋菓子店=ケーキ屋さんという感じだ。その有名店がまさかの平日昼間シャッター状態になっていて動揺した。多分、きっと、おそらく・・・休業日なのだろう。まさか閉店なんて、と恐々で近寄ってみた。

何と、このご時世なのに店内混雑緩和措置が必要なほど人気らしい。おまけにシャッターが降りている理由が、昼間の休憩で12−13時は閉店していますとのこと。ホッとしたのは確かだが、ついに時代はここまできたかと感嘆した。
昼の時間を休めば従業員にも優しいだろう。まさか会社の休み時間に買いに来て並ぶという人も多くはないだろうし。発想の転換だとは思うが、これも引き金はコロナだったのだろうか。ちょっとあれこれ考えさせられるネタになった。

ラーメンともつ煮が同居する自動販売機 日本の食文化を切り開くか

ネタついでにもう一つ。ラーメンの自動販売機があった。冷蔵機能のついた自販機だが、この横に百円で買えるみかんの入った自販機もあった。人手不足のご時世だから、これまでにない「変な自販機」が増えそうだが、それもコロナのせいで進んだ食文化というっことになるのかもしれない。
同じ通りでもサラリーマン向けの個人商店的な居酒屋は軒並み閉店していた。チェーン店がなんとか堪えて営業しているという状態だ。東京都内なので、酒規制はそれなりの制限はあるにしても禁酒ではない。
自宅のある街は、埼玉県なので、変な禁酒制度の影響もあり、チェーン店の休業が目立つ。個人店は逆に「パスポート制度」を取り入れ営業継続している。東京都と埼玉県で「生存戦略」が異なる。困った時代だと言うか、困った自治体知事の暴走を止める仕組みがないと言うべきだろう。
線路を隔てた北と南で商売が変わるという、なにやら国境線の違いみたいなものを感じてしまう。カリフォルニアとメキシコの国境の街、ティファナみたいなものかあ、我が町も立派に不健全になったものだなどと思いつつ。志村けんさんの歌で有名になった東京の都境の街を歩きながら、あれこれ考えていた。