小売外食業の理論

外食DX考察 びっくりドンキー

以前も書いたような気がするが、びっくりドンキーは3号店から使い続けている。札幌の住宅地にあった店をよく使っていた。当時は、ちょっと気張って食事をするときに行っていたような記憶がある。合い挽き肉のハンバーグが好みだったので、牛肉100%の店は選ばなかったことも理由だ。今でも、ここのハンバーグを食べることに安心感がある。一種のソウルフード的なものだ。毎月とは言わないが、年に数回は無性に食べたくなる。
そのちょっと気張ったディナー用レストラン(自分の中では)が朝食を始めたと言うので、ノコノコ出かけたのが半年前くらいだった。当たり前だが、朝飯でハンバーグが出ると言うので感動したものだ。そして、今回は普通の朝食を試してみようと開店と同時にお店に飛び込んだ。朝8時からどんな客が来るのだろうと、入り口近くの席に座っていたのだが、予想以上に来店者が多い。それも、中年男性一人ばかりで、注文するのはほぼ全員がハンバーグだった。これはすごいことだなと感心してしまった。朝からハンバーグを頼める胃袋もすごいが、おそらく牛丼を食べるのと同じ感覚なのだろうと推測した。納豆卵焼き定食より、肉が食いたいと言うことだ。仕事がはじまる前であろう8時台にガツンと飯をかき込む客ということか。

朝食は全くの別メニューなので、いつもの「木の扉」のような大きなメニュー板は持ってこない。朝食のラインナップは大きく分けるとハンバーグ定食(笑)と、卵かけご飯と、トースト茹で卵セットになる。価格帯として他の総合ファミレスより低めで郊外型喫茶店のモーニングセットに近い。
別メニューだけのためにタブレット端末を導入することもないだろうから、「紙メニュー」を使っている。このブランドに関しては、「木の扉」メニューが看板(ブランドアイコン)みたいなものだから、余計にタブレット化が難しいことは予想できる。デジタル能力がないのではないことは、新宿にある新業態でタブレット導入をしているので理解している。
なぜか茹で卵がやたら熱いので、注文毎に茹でているのかもと思ったが、半熟ではなく完熟だった。茹でたままウォーマーで保管しているのかもしれない。まあ、普通においしい朝食で値段に見合った標準品だろう。サラダは100円で追加できるオプションだった。

他のファミレスとは違い、朝の仕事場にしている客はゼロだった。後から来た客もほぼ全員、秒速に近い速さで平らげてさっさと店を出て行った。これも牛丼朝食に近い行動だろう。やはり客層が違うのだなと改めて思った。
朝食後にパソコン仕事をしようとすると電源がある席を探さなければならない。無料wifiは設置されている。ただ、店内が暗めなので窓際の明るい席が望ましい。などなど多少制限事項もある。仕事の場所として考えるならガストやデニーズの方が良さそうだ。ただ、個別ブース式の席が多いので、密閉感というか分離感が重要であれば、この店を選ぶ者もいるだろう。

DXと共に考えられる、店内空間の切り売りというか使用用途の転換に関しては、まだ中途半端な段階のようだ。ひょっとすると本社が札幌にあるというハンディなのかもしれない。東京と地方の拠点都市(札幌や仙台や福岡などの大都市)では、明らかにテレワークの比率が違う。マネージメントの差もあるだろうが、人と人の距離の違いが大きい気がする。
単純に言えば通勤時の密着度が東京は異常であり、電車に乗るとコロナ感染の恐怖が実在するレベルだ。地方大都市では車通勤者の数も多い。それ以上に電車内での距離が明らかに東京とは違う。肌感覚の危機感、恐怖感の差が存在するだろう。
本社のある札幌でテレワーク普及が低調であれば、自社も含みファミレスのテレワーク利用者も少ないはずで、当たり前のように全国店舗への対応は遅くなる。そんな部分が現れているようだ。いろいろな意味でこのブランドの店内DXは進んでいないように見える。

コロナ対策で個別ブースの隙間をシートで塞いだ緊急対応は理解できる。ただ、もはや2年も経ったにもかかわらず、ガムテープ貼のままというのはあまりにも杜撰というかのんびりしてはいないか。
おそらく、コロナは半年程度で終わるから臨時対応で十分と思っていたのだろう。それが2年以上も続き、本格的な設備対応が必要になったのだが、それができていない。これは店舗の運営力問題ではなく、本社の管理能力不足、現場認識の低さと言われても仕方なさそうだ。
ただ、この中途半端な臨時対応というのは、このブランドだけではなく大多数の大手チェーンでも放置されたままのことが多い。傷跡が深いというべきか、外食企業のマネージメント能力が低すぎるというべきか。
どちらにしても見識と戦略のないチェーンは、アフターコロナで失速、退場していくことになる。ドンキーのハンバーグがなくならないことを心の底から願っている。

街を歩く

外食DX考察 デニーズ

デニーズはアメリカンで小洒落た朝食の店という思い込みがある。お江戸に出てきた頃、北海道には存在しなかった「シャレオツでカジュアル」なレストランという刷り込みがされてしまった。すかいらーくよりはデニーズだよな、などとなんの疑いもなく思い込んでいた。そのデニーズがラーメンやら、マグロ丼やらを置くようになり、すっかり足が遠のいてしまった。業界知識もそこそこあるので、業績の浮き沈みに合わせて経営トップが交代し、その度にメニューから商品提供方法までガラッと変わるのが特徴の会社でもある。ビジネスの連続性と言う意味で外食としては異色なブランドだと言う認識があり、多少批判的になっていたたこともある。ただ、ロイヤルホストがホテルで食べる洋食だとすれば、デニーズはなんでもありの大衆食堂ではなく、カジュアルなレストランというイメージがあるので、大衆食堂化は残念だったのだ。
それでも、アメリカンな朝食はデニーズという「イメージ」が自分の中では固定化されている。確かに卵の料理法をあれこれ頼めるのはデニーズだ。サニーサイドアップではなくターンオーバーでと頼めるのは、ここしかない。(まあ、ロイヤルでもたのめばやってくれるとは思うが…………)

久しぶりにわざわざデニーズに朝食を食べに行った。メニューブックを見て、ああ、昔に戻ったのだなと思った。グランドメニューと朝食メニューが一冊になっていたからだ。要するに、メニューブックは全時間、起きっぱなしになり、時間帯によってメニューブックが変えられることもないということだ。これは従業員に対する負荷が下がる。オペレーションの改善だ。だが、客から見ると昼しか提供していないメニュー、朝食の専用メニュー、そして朝食時間帯には提供されないであろう定番メニューが混在した情報となっている。簡単に言えば、見るのが面倒臭い。いらない情報が多い、となる。
これがデニーズ式のアフターコロナ対応なのかと、いささか残念になった。メニューブックが一冊になった以外には、店内に何も変化がない。アクリル板の間仕切りはある。各テーブルに電源コンセントは設置された。しかし、セブン&iグループ全体で無料wifiサービス 7スポットを停止したので、wifi接続はやたら面倒くさい手続きが必要になった。一言で言えば、デニーズはアフターコロナ対応でサービス低下を起こしているということになる。
注文用にタブレットを置かないというのは、それなりの理屈があるのだろう。7グループの一員だから、情報投資をケチっているとも考えにくい。注文は従業員が取りに行くというスタイルを重要視しているのかもしれない。ただ、その従来のスタイルを守るということと、今の客が求めているものとのチグハグさが感じられる。

メニューブックの中身がどう変わっているのかは、運営方法に対する興味とは全く違うので、ここでは語らない。ただ、大きな方向感としてハンバーグを主力に野菜とバランスの取れた食事に戻るようだ。また、和食や丼に偏りすぎた商品を洋食寄りに戻していくつもりらしい。多少なりとも変化する意思は感じられる。ただ、それだけで、現在の価格帯(ファミレス業界では高め)を正当化できるほどオペレーションが磨き込まれているか。そのあたりが成否の鍵だろう。
対顧客でのDXは感じられない。ちょうどテイクアウトメニュー(冷凍調理品)の販売が始まっていたが、店内のどこを探してもその手の表示・展示が見当たらない。(メニューブックの中には書いてあるが)物販をやる気があるのか、販売ノウハウが足りないのか、その辺りも今後の確認事項だろう。

コロナ拡大が始まった2年前は、ちょうど禁煙対策が法的に強制された時期にあたる。その前の中途半端な分煙設備が取り除かれないままだった。つまり開口部があり喫煙室側から煙がダダ漏れの分離壁がそのまま残っている。これを見て思い出した。禁煙席にいながら流れ出してくるタバコの煙で臭いのが嫌で、デニーズに行かなくなったのだ。改めて見ると分離壁の横にポスターが掲示してある。なんだか分離壁にへばりついた変な位置だなと思ったが、よくよく見ると分理壁設置前は壁の中央位置にあったのだろう。そのポスターを撤去もせずに「壁」を作った後も、ポスターの位置を直しもしないで貼りっぱなしにしていたということらしい。
そして、2年前に完全禁煙にした後でも、分離壁は撤去もされず残したまま。ビフォー・アフター比べてみても、なんということでしょうだ。おそらく店内に分離壁を設置するときに本社の施工部門担当者が、図面だけ見て場所を決めたのだろう。そして設置工事前、後の現場確認作業をしていない。だから、ポスターの位置のおかしさに気がつかない。店長やスーパーバイザーもこの店内調度のおかしさに気がつかないか、あるいは本社のやっていることだから文句はつけないようにしようなのか。どちらにしても、「変な店」が残っているのは確かなことだ。
なんだか、デニーズのアフターコロナは前途多難のような気がしてきた。普通の店を普通に運営することからやり直さなければいけない。これは相当にハードルが高い「業務改革」だろう。現場が疲弊しているのも確かだろうし、現場を見ない習慣ができているのも恐ろしい。

卵にトーストという「当たり前の朝食」が、当たり前に出てきて、普通に美味しいのはやはりレストランとして重要なことだ。今回も美味しい朝食だった。卵の出来はさすがだ。
今の朝食時間帯のデニーズは、なかなか仕事をするのに居心地の良い空間であることは間違いない。ただ、もう少し客が戻ってきて活気がある店になった方が、「食事空間」としての居心地が良くなりそうな気がする。それはDXとは無縁の良いオペレーションがもたらすものなのではないか。

小売外食業の理論

外食DX考察 ジョイフル

ファミリーレストランも全国に展開するメジャーブランドとローカルでは知名度抜群のローカルチェーンがある。首都圏で展開する老舗三社のうち、ガストとロイヤルホストはほぼ全国チェーンだが、デニーズは首都圏と関西圏が中心の広域型ローカルチェーンというべきだろう。サイゼリヤも全国チェーンだが、九州では苦戦している。その原因が、九州のローカルチェーン「ジョイフル」にあることは間違いない。ガストも九州では店数が少ない。
簡単に言えば、ガストの下の価格帯で展開するロープライス・ファミリーレストランが「ジョイフル」だ。九州の小都市郊外に、こんな場所にファミレスがあるのかとびっくりする立地でよくジョイフルに遭遇する。
メニュー構成を見ても、洋食特化型のファミレスが多かった時代に、不思議な和洋中の組み合わせメニューで、デザートも豊富だった。当時は、喫茶店のメニューがどんどん肥大化するとこうなるかな、というような感想を持っていた。関東では店舗数が少ないが、たまに郊外でお目にかかると、ついつい入ってみたくなる。その原因にはメニューの不思議さもあるが、いろいろな意味でローコスト経営をおこなっているから、お店を行くたびに学びがある。

そのローコストぶりがアフターコロナでどう変化したかと、興味津々で見に行ったのだが、意外と変化がない。テーブル上にアクリル板の間仕切りがあるのは、コロナ以降当たり前の光景だ。それ以外に変わったところが見当たらない。メニューもテーブルの上に置かれているが、「紙」のままでデジタル対応はない。
レジで会計をするときにも、今では当たり前になったキャッシュレス対応は行われているが、無人レジになってはいない。デジタル化=ローコスト運営と思っていたが、なんだか拍子抜けしてしまった。

日替わりランチ500円は納得の低価格だが、これもサイゼリヤ・ガストなどの低価格プレイヤーは「全員右に倣え」の状況なのでジョイフル的な変化はなし。ハンバーグが食べたくて行ったのだが、(曜日別に日替わりメニューが変わる仕組みは当たり前として)たまたま訪れた日はハンバーグメニューではない日だった。こういう不運な目にはよく会う。ツキがないというか、ハズレが多いというか、ダメダメ人生を思い知らされることが多い。
仕方がなく、日替わりランチではない「普通のランチ」を注文する。ライスはつくがドリンクバーは別料金なので、ファミレスランチとしては高くついた。
胡椒のきいたペッパーハンバーグは好みの味なので、満足したランチにはなるので文句を言うつもりもない。ごちそうさまでした、だ。しかし、このランチ営業もあくまで普通の状態で、つまりコロナ前と変わらない。(それもすごいと言えば、すごいことだ)
とにかく「対顧客」という点では、コロナ前と比べて何の変化も起きていない。DXという言葉は関係ない世界のようだった。厨房のオペレーションを含めた、いわゆるバックヤードでは変化が起きているのかもしれないが、客席に座っていては変化が理解できない。

気になって、朝食の時間帯にも出掛けてみた。そこで、ようやくちょっとした変化を発見した。朝食の客のほとんどが高齢者だったが、その中の数人が仕事を持ち込んでいる気配がある。パソコンを開いて何やら資料作成していたり、ノートを開いて電卓を打っていたり、何冊も本をテーブルの上に置いてコーヒーを飲んでいたりする職業人的な客がいる。年齢を推定するにノマドウォーカーとまでは言わないが、いわゆる仕事・作業をしている人たちだ。
確かに、朝のファミレスは、申し訳ないほどガラガラなので、仕事をするには良い環境だ。駐車場が広いし空いているので車で来るときには荷物が多くても構わない。テーブル席を独り占めすれば、おそらくオフィスの作業環境より数段上だろう。空調も効いていて、BGMがかかっていて、おまけに人声もほとんど聞こえてこない。これまで課題だった、電源の確保もほとんど全てのファミレスで対応完了している。無料Wi-Fiも整備されている。
あまり目につかない変化だが、コロナが産んだファミレスのインフラ整備だとも言える。他のファミレスでこうした客を見かけなかったのは立地のせいなのかもしれないと気がついた。確認してきたファミレスは住宅地の真ん中にあるとことばかりで、住宅地から外れた幹線道路沿いは、この「ジョイフル」が初めてだった。
時間帯によって提供メニュー・食べ物を変えるというのは当たり前の考え方だが、滞在環境を変えるということも「アフターコロナ対策としてはアリ」なのだと気がつかされた。
DXはハードだけの変化ではない。運営方法というソフトの変化も必要なのだと。ただし、これはジョイフルで気がついたことだが、ジョイフルが適切に対応しているかというと、そこはちょっと違いそうだ。客が「居座りやすい」空間を探し出した、というか発見しただけのような気もする。

卵とトーストの朝食がドリンクバー付きで459円だった。これはロイヤルホスト、デニーズより安くガストより高いという微妙な設定で、これまた色々と考えを巡らせる原因となった。600円朝食では卵が2個になる。卵の個数は目玉焼きのため、はっきりとわかりやすい。目立つ差だ。サラダがついたり、ソーセージとベーコンがついたりという変化はあるが、一番の違い?目玉焼きの数になる。これが価格の差なのだな、とわかりやすい指標だ。あとはトーストの付け合わせになる。高い方の店ではバターとジャムが無条件につく。安い方の店ではジャムがない。(頼めば出てくるかもしれない)。ガストは、頼めばジャムがつく。
400円程度の朝食メニューでは、ジャムのコスト(おそらく一つ10円程度)が損益分岐に影響を与える。単品のコスト管理としてはかなり厳しいポイントだ。ジャムの原価10円を削減するか、あるいは朝食としての満足度を重視してジャムをつけるか、コストと顧客満足のバランス判断になる。ジャムのあるなしは意外と大きな問題提起だ、と考える経営者がいるはずだ。その結果として、低価格帯朝食ではジャムなしになっている。
おそらく朝食は採算に合わない店が多いだろう。ところが、アフターコロナでは売上の増大、客層の拡大を目的に朝食を重視するようになってきた。そうなると、朝食の意義をどう捉えるかも考え直さなければならない。事業の収益性以上に、ブランド価値、居心地の良い空間を提供するという新しい価値づくりを目指すのかどうかだ。
自分としては、そこに事業生存の策があるような気がする。朝食時間帯こそDXの対象にして考え直すのが良いのではないか、などと目玉焼きを食べながら思った。
ついでに朝飯で食べる目玉焼きはターンオーバー(両面焼き)でケチャップをかけて食べたいのだが、それを頼めるようにメニューブックに書いておいてほしい。おまけに、なぜかこの目玉焼きセットに醤油がついてくるのだが、ケチャップもつけてほしい。と言いたかったのだが、わがままな客にならないように堪えておりました。

小売外食業の理論

外食DX考察 幸楽苑

コロナ感染拡大の2年で一番迷走していたのは、このブランドだったような感覚がある。ただ、それも対応が早いという意味では正しい試行錯誤だったのかもしれない。試行錯誤を未だに続けているというか試行が止まらないというのも正直な感想だ。

町中華と比べて値段は安め、「らしさ」にかける冷やし中華だが好みだ

このブランドで好みを言えば、㐂伝ラーメンになる。発売以来好きなメニューなのだが、おそらくスープベースの違いだろう、このラーメンは定番から排除されたり、期間限定で再販されたり、またなくなったりする「大迷走メニュー」だ。ただ、最近は定番で落ち着いたらしい。
季節メニューで言えば、夏の冷やし中華もあまりリニューアルされることもなく毎年同じ見え方で登場する。ただ、毎年出るたびに値上がりしているという気がする。今年はついに700円間近で、定番メニューと比べて一際高い(幸楽苑としては)価格設定だ。この辺りの準定番メニューの出し入れが、実に下手くそだと思ってしまう。他のレストラン各社との違いが目立ちすぎる気がする。
どうもメニュー開発の基本思考がファストフード的すぎるのだ。同じ「麺業態」のリンガーハットも同様な傾向はあるので、ファミレスというよりも、「テーブルサービスのついたファストフード」と業態定義するのが良いのかもしれない。

カウンターは「盛りだくさん」で狭い

その幸楽苑が、ついにタブレットで注文を取るようになった。そのついでにというか、「非接触」対応と言っているが、水のセルフサービスを開始した。卓上から水ポットが消えた。回転寿司のようにテーブルの上にカップを置くという発想はないようだ。非接触コロナ対応を理由に語るのであれば、客がマスクなしで水を求めて歩き回る方がよほど考えるべき課題のような気もする。
タブレットを使用して注文みるとわかるが、ファストフート的な作り込みなので、予想以上に使い勝手は良い。ただし、注文確定の部分はもう少し改善が必要だろう。

どのメニューも丸い皿とどんぶりなので見分けがつかない

ラーメン屋としては当然だが、デジタル対応拒否層であろう中高年男性向けに紙メニューも設置している。ただし、一枚にまとめようとしているから、見にくいし混乱しやすい。この使い勝手の悪に紙メニュー問題は、麺業態の「山田太郎」でも同じような対応なので、業界標準的な仕組みができるまでもうしばらくかかりそうだ。
ファミレスでタブレットを先行導入したガストの事例が、業界で共有されるまでまだまだ時間がかかると言うことだろう。それが麺業態にまで染み渡るには、年単位の時間が必要なのかもしれない。ただ、そこまで業界が持ち堪えられるかと言う疑念もある。

その疑念の原因が、店頭にあったPOPスタンドだ。本来、デザートなどの追加注文をひきおこすための卓上ツールだが、そこにあるのが「食器」販売だった。強烈な幸楽苑ファンであれば、ロゴ入りのどんぶりも欲しくなるのだろうが。(自分はいらない)
おまけに、同じ場所にテイクアウトやら、麺の宣伝やら、内容がてんこ盛りで読む気が失せる。そして、笑ってしまったのが、4面あるPOPスタンドの一面を他社に販売するらしい。だったら、店頭のポール看板の下にもう一面看板を設置して広告画面として売りに出したらどうか?
アフターコロナの対応は店内オペレーションのDXと顧客との接点・接客部分の合理化が重要課題であることに間違いはない。また、テイクアウト事業の強化も含まれる。しかし、店内の手抜きをDXで言い訳したり、デジタル対応できない客層への対応をおもんばかりすぎてデジタル対応を中途半端にしてはいけないだろう。ましてや、本業以外の商売にむやみに手を出すのは多角化でもなくデジタルトランスフォーメーションとは程遠い。
まだまだ、このブランドの試行錯誤は続くようだなあ。20年近い極小株主として見守るつもりなのだが。頑張ってほしいぞ。

食べ物レポート

5月のイチオシ

ファサード周辺はラーメン屋とは思えない

所沢の中央部に旧帝国陸軍の航空基地だった場所がある。敗戦後米軍に接収され、今では一部が米軍通信基地としても凝っているが、大部分は返還された。その場所に市役所や警察などの官公庁が移転し、残りが大規模な公園になっている。休日には子供連れの家族や若者が集まりのんびりと過ごしている。図書館があるので本を借りに行くついでに、弁当持参で日向ぼっこに行ったりする。
その公園の端っこにある製麺業者の倉庫に一軒のラーメン屋がある。つい最近まで存在を知らなかった。その製麺業者が【新・所沢名物 醤油焼きそば】の発案者の一人だということをニュースで見た。醤油焼きそば専用蒸し麺を製造していることを知りなんとか手に入れようと思ったのだが、スーパーでは見当たらない。ネットで調べたら、土曜日が工場直売日で販売していることがわかった。そこに出かけてみたら、なんと倉庫はラーメン屋になっていて、ラーメン屋の奥が直売場だった。

4種類のラーメン

どうやら、ラーメン屋は製麺会社の直営店らしい。それも一軒ではなく、所沢を含め数店あるようだ。全く知らなかった。初めてのラーメン屋に行った時は、その店の推しメニューで一番ノーマルなものを頼む。味噌ラーメン屋だったら味噌ラーメン、トッピングも何も特別に書き足されていないノーマルなものということだ。Wチャーシューとか特選ワンタン乗せとかは頼まない。全部乗せなどもってのほかだ。ただし、一度行って美味い店だと思えば、2回目以降は全部乗せも注文するし、バリエーションで販売しているだろう塩ラーメンや辛味噌ラーメンみたいな増加変形版もありだ。
この店でもイチオシらしい ①生姜中華そば は完食済みだ。なので、前回来た時にに迷った ④3種の貝出汁潮そばを注文した。

貝スープのラーメンといえば、埼玉県蓮田にある「はまぐりそば」を食べ感嘆したことがある。以来、貝スープのラーメンは機会があれば食べたいと思っていた。それだけに期待が高かったのだが、まさしく食べたかったものが出てきたという満足感で実に嬉しい。チャーシューと岩のりのトッピングは塩味の出汁によく合う。そそ麺がやや硬めに茹で上がっているのだが、その硬さがスープと良いバランスだった。これがもう少し柔らかめの面になっていたら、ちょっとグデグデ感が出てしまう。博多のラーメンに近い「カタメ」な感じだった。

スーパの旨味がすばらしい。塩味が控えめなせいもあるだろうが、貝の味が複雑で、かつ麺が溶け出して濁ることがなかったせいだろう。ラーメン漫画にはスープまで完食する場面がよくあるが、丼を傾けてスープを飲み干したことなど、この30年近くないことだった。大体はスープを半分くらい残して終了する。
今回は、マンガチックになっているぞと思いつつ、最後までスープを飲んでしまった。決して無理して飲んだつもりはないが、蓮華でスープを飲んでいるうちに、どんぶりから直接飲むかという気になった。
満足度が高いというのは、なかなか貪欲になってしまうものだ。次は ③煮干し中華そばの予定だが、また貝そばを頼んでしまい、いつまでも煮干し中華そばにたどり着けないような気もする。

書評・映像評

シン・ウルトラマン観察録

Photo by Daisy Anderson on Pexels.com

ウルトラマンの画像は版権があり使えませんので、権利フリー画像を怪獣で検索したら出てきた写真がこれ。日本人とはセンスが違うなあ。

ウルトラマンの新作というか新解釈された映画がヒット中らしい。制作はシン・ゴジラのチームだから、その作風というかテイストも似たようなものになるのだろうとおもって、のこのこと平日の朝イチの回を見にいってきた。埼玉の片隅の街の映画館なので、予想通り館内は空いていたが、これまた予想通り観客は高齢者がほとんどだった。空想特撮映画のはずだから、客層はドラえもんと似通った親子連れになる……とはいかないようだ。リアルタイムで初代ウルトラマンを見ていた世代も今や還暦越えをしているのだから、この映画もオールドファンが中心になるようだ。最近の青と赤がシンボルカラーになった新型ウルトラ一族を見ている若い世代には、興味をひかないテーマであるようにも思う。タイトルに惹かれて内容を吟味しないまま、小学生が勘違いして見にくることもあるかもしれないが、それはウルトラマンとの出会いとしては相当に不幸なことになる。小学生を連れてくるであろう親たちも、自分の見てきたウルトラマンとの差異に違和感を感じるはずだ。

現在公開中の映画なので、ネタバレをするとよろしくないとネットのあちこちで大騒ぎになっているから、ネタバレはしないようにするが。
シン・ゴジラと同じでリメイク作ではない。出現世界の設定を微妙に変化させ、屁理屈が成立する世界を作り出している。例えば、なぜ日本にだけ怪獣が出現するかとか、無数にある星間文明社会の先進星域からくる侵略者たちはなぜ地球に攻めてくるのかとか、いろいろな何故?に答えようとしている。
シン・ゴジラや平成ガメラシリーズで貫かれているのは、怪獣映画でさりげなく「ある(存在する)こと」になっていて説明されない、「理由」を現実社会に合わせて説明しようという姿勢だ。例えば、本当に怪獣が出現したとすると政府はどう呼称するかだ。不明巨大生物的な発想になることは間違いない。コロナの対応を見れば政府がいかに臨戦能力、即時対応能力に欠けているかは簡単に理解できる。
また、対応部局がどこになるのかも揉めるだろう。怪獣が生物であれば、厚生労働省になるが、被害をもたらす害獣であれば対応は警察の範疇になる(はずだ)。よくテレビニュースで出ている、熊の捕獲、猿の捕獲は警察のお仕事になっている。ところが警察の捕獲能力を超える暴力的存在になれば、治安維持から国土防衛任務が変わるので防衛省、そして実戦部隊として自衛隊の出動になる。ところが、最初の脅威度が不明の時期は、防衛出動の指揮系統と発令者があやふやだ。おそらく台風や洪水と同じで、最初の段階は県知事からの依頼になるはずで、そこで人死を含め被害が拡大すると、初めて政府管掌案件になる。それでも最高指揮官である総理大臣が防衛出動命令を出す度胸があるかというと、地方都市の壊滅程度の被害が出ないと閣議決定にならないだろうし、野党は「他国の軍事介入、それも核使用の可能性」などと言い立て反対するのは見え見えだ。
実はこの辺りのリアルをもっと見せて欲しかったと思うのだが、映画の中では裏設定としてさらっと流されている。それに、作中内では予想以上に陸自のパワープロジェクションが有効で、シン・ゴジラの山手線暴走作戦よりよほど役に立つメインパワーセクションとなっていた。

全体的にみて、やはりリアルタイム・ウルトラマン(初期再放送を含む)視聴者、要はおっさん世代が、ニヤリとしながら見る映画なのかなと思う。世代ごとに楽しみ方はあるだろうが、初代ウルトラマンの複数放映回がオマージュの題材とされている。当然、初代ウルトラマンを見たことを前提に楽しむようにできている。
初代をリアルで見た世代も、是非一度テレビ放映されたシリーズをレンタルでも良いから全巻見た後で、特にゼットンとの戦いを確認して記憶を取り戻した後で、見ることにすれば何倍も楽しめる。
特にウルトラマンはその前作のウルトラQとの関連付け作品もあり、できればウルトラQも見直しておいた方がもっと楽しめる。

やはり、シン・ウルトラマンはウルトラマンへのオマージュでありながらも、「シン」の意味は「真」ではなく「新・解釈」なのだろう。もちろん、新解釈には「エヴァ」的要素も随所に盛り込まれている。
もう一つ、映画の中身とは別件の感想として、長澤まさみが演じる女性隊員?役は、初代の富士隊員の方が良かったなあと懐かしんだ。ジジイになった証拠だな。
個人的には シン・ウルトラマン>シン・ゴジラでありました。

映画のサイトはこちら→ https://shin-ultraman.jp

書評・映像評

書評のような……滅亡後の世界

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた (河出書房新社) 

Photo by Peter Spencer on Pexels.com

滅亡後の世界を描いた書物はたくさんある。SFやコミックではお手のものの世界設定だろう。核戦争で滅びた、感染症化拡大で滅びた、巨大隕石の衝突で滅びた、宇宙人に侵略されたなどなど滅びのパターンはたくさんある。ただ、物語としては滅亡の原因が主テーマではなく、滅びた後で起こる人類文明、社会の変化を語るものがほとんどだ。
有名なところでは、映画「マッドマックス」コミック「北斗の拳」などが大戦争後気象条件まで変わった荒涼たる世界で、暴力が問題解決の全てになった社会を描く。それも、力無きものを救う救世主伝説としてのヒーロ物語だ。大体が平和と愛の復活と未来の希望を語る。

ところが、この本では滅びた世界の話はほとんど語られない。政治社会的考察も皆無に等しい。ただ、文明社会が崩壊した後、人々は一度は文明を後退させながら、必ず文明復興の動きが起きるという想定をしている。その文明復興の手順とそれに必要な最低限の知識、要素を語るのが本書の目的だ。だから、滅亡後の世界が世紀末覇者の君臨する世界であるかどうかは考察の対象外だ。
ただ、略奪者から守りを固める自衛共同体が母体となり、文明再建集団が生まれるという想定のようだ。確かに、生産をせず略奪するものばかりが蔓延れば、人類は紀元前一万年くらいの採取生活のレベルまで退行するだろう。それはもはや文明と言えない。破滅要因は自然環境にも影響を及ぼすだろうから(例えば核の冬)、1万年前よりも生存条件は悪いはずだ。略奪社会では人類生存すら危うい。だから、防衛コロニーこそが文明を守る、文明を再興する最低単位となる。
その最低単位が、現在21世紀社会で享受している文明の利器や恩恵を、どこまで失いどこまで食い止めるかが本書のスタート地点になっている。そして、そこから比較的短時間で文明を再興する手順を考えている。

Photo by Mike B on Pexels.com

退行しながら踏みとどまる文明レベルとして、12−13世紀ヨーロッパの農耕社会を想定しているようだ。そこのレベルより下になると、途端に再興する難度が上がるということらしい。確かに西欧社会は、西ローマ帝国滅亡後、ルネサンス期の文明復興が始まるまで、5世紀以上も文明レベルがどん底にまで落ち込んだ。
ローマ時代の文明レベルが比較的保たれていた東ローマ帝国でも、イスラムとの争いの中、急速に文明維持機能を失っていった。その歴史的な喪失感というか、文明的トラウマが西欧社会にはあるのだろう。実際にはヨーロッパが文明レベルとして低迷していた時期、東アジアの大国、そしてイスラムの各王朝ではローマ時代に匹敵する文明が維持されていた。その辺りも、さりげなく触れられてはいるが、文明再開の手法はあくまで西欧社会の進化をモデルにしている。どうにもそこが物足りない気がする。西欧資本主義、科学主義社会の再現がテーマなので仕方がないと諦めるしかない。ただ、そのモデルの先には、やはり核を含む大戦による滅亡が待ち構えているだけなのではと思うのだ。社会的考察なしで文明再建論をすることの危うさかもしれない。
そして、文明再興の目標レベルは20世紀初頭あたり、工業文明が蒸気機関から内燃機関に変わり、初期の電気インフラが出来上がる程度を目標にしている。真空管による初期段階の通信・情報関連技術までも目指している。けして、スマホと電気自動車の世界に戻れるわけではない。
世紀末マニアには文明再建マニュアルとして、楽しく読めるはずだ。

個人的な話だが、進学時に理系を選んだのは、まさしくこの話に出てくるような「文明破壊」が起きた後の社会で、荒野のロビンソン・クルーソーとしてどう生きていくかを、真面目に考えていたからだ。
ただ、その時には世紀末覇者が発生しないという前提で(極めてご都合主義的設定だ)、一人で孤独に生きているという馬鹿馬鹿しい話でもあった。まさに中二病的な思い込みでしかない。なぜ、このようなことを考えていたのかは思い出せないが、小学校低学年からずっと思い込んでいた「滅びの文明観」なので、中二病というより小二病といった方が良い。ただ、その小二病への対応が人生進路に深く影響してしまった。三子の魂百までも……ではないが、小二の魂がジジイになるまで付き纏ったのは確かだろう。まあ、結局のところ文明は滅びず、その前に自分が滅びる年齢まで生き延びてしまったのだから、笑うしかない幻想だった。
しかし、この本を学生時代に読んでいたら、もっと真面目に滅亡後の世界に取り組んだような気がする。日本にはほとんどいないであろう「プレッパーズ」、社会が滅びることを前提に、核シェルターなどの生存設備を自分で作り備える人たちの一員になっていたのではないかとも思う。滅亡SF好きなら必読。良書で、おすすめの一冊だが読むのには手こずること間違いない。

この本のリンク先はこちら→  https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309464800/

食べ物レポート

甘いものランキング

撮り溜めた写真をひっくり返して見ていたら、唐突に思い浮かんだ「自分だけのスイーツランキング」を作ってみようというアイデア。あれこれ思い浮かぶものもたくさんあるが、独断的偏見で1位から3位を選んでみた。根拠は「自分好み」に尽きるので、人様の参考にはあまりなそうもないが……。

第3位は伊勢の名物「赤福」で、和菓子では銀座空也のもなかを押し退けて、堂々の入賞。吉祥寺小笹のもなかも捨て難いし、佐賀の小城羊羹もおしい。しかし、この赤福の餡子が見せるフォルムの美しさは、和菓子の極地だと思う。名古屋、京都あたりでは流通の関係もあり、駅のキオスクでも買えてしまうお手軽さもポイント高い。あえて和菓子の番外に押すとすれば北海道の「わかさ芋」も、どこでも買えるお手軽さがあり4位くらいかも。

第2位は熊本のリキュールマロン。洋酒をドバッと使った、酒飲みのための菓子だ。洋酒漬けと言えばサヴァラン的なものを思い出すかもしれないが、それをはるかに超えている。どぶ漬けという表現があっている。これをつまみに酒を飲むと、まさに「背徳的」で「悪さの二乗」という感覚が強い。午後のお茶の時間に食べるものではない。深夜の食べ物だ。熊本に行くのであれば、土産物はこれと、球磨焼酎の二択で決まりだろう。球磨焼酎は「やまほたる」一択。

そして、第一位は文句なしの六花亭「クレームブリュレ」。上面のキャラメリーゼした部分が溶けてしまっているのは仕方がない。巷に売っている高級プリンを押し退け、これぞマイプリンベストと言える。プリン特有のゼラチン的食感が全くない。プリンの表現につかわれる「滑らかな舌触り」とは、これのためにある言葉だと言いたいくらいだ。そして、この品質でありながら160円という、コンビニプリンよりもお手軽な値段。素晴らしいの一言に尽きる。
六花亭のお店にいって冷蔵ショーケースの中に在庫があれば絶対買ってしまう。ただ、夕方に行くと売り切れている確率は相当に高いので、確実に入手するためには午前中に買いに行くのがベストだ。
振り返って思うと、この三品を年がら年中、ヘビーローテションで食べている気もする………。

食べ物レポート

北海道のローカルフード?

けっこう甘いが中に餡は入っていない

べこもちという食べ物がある。北海道では、端午の節句の時期に柏餅ではなく「べこ餅」を食べる習慣がある。全道での習慣かどうかはわからない。函館あたりの北海道南部(道南)は、北海道独自の文化圏というより津軽文化圏なので、ひょっとするとリガ雨かもしれない。
べこ餅は黒白で葉っぱ型の甘い餅菓子だ。米粉で作られた練り物だと思う。黒い部分は黒糖で色がついているらしい。元々は岩手県のものだと思うが、すでに北海道ではルーツ意識が消え去っていて、北海道独自の食べ物的扱いになっている。自分もいいわ手でべこもちを発見した時は、なぜ北海道の食べ物が岩手にもたらされているのだと疑問に思った。冷静に考えれば、明治中期に岩手からの移住者が持ち込んだ食文化であるはずだ。東北全般ではなく北東北の一部?で愛されている伝統色のようだ。
東京で見かけることはほぼない。なぜかファミレス「とんでん」で、レジの横に売っていることがあるくらいだ。似たような和菓子は「すあま」だが、べこもちの方がねっとりとした感触が強い。
いろいろと言われはあるのだろうが、すでに「べこ餅」は北海道の伝統色の一部になっている。柏餅を駆逐しているのも事実だろう。甘納豆入りの赤飯と同じくらい、「北海道民あるある」なのだ。ちなみに20代中盤になるまで味噌味の柏餅も食べたことがなかった。あれは埼玉特有の食べ物なのかどうか、お江戸生まれの住民に確かめなければと、いつも節句の時期に柏餅を見ると思い出す。

もう一つ、北海道のローカルフードになるかもしれないしろものが「豚パン」だ。これはチェーンパン店で発見して、腰が抜けそうなほど驚いた。POPに豚パンと書いているので、なんと盛大に誤植をしたものだと笑っていた。豚まんと豚パンだから、漢字入力の変換ミスをそのまま気が付かずに……………と思い込んでしまった。
笑いながら豚パンを買ってきて、家で食べようとしたら、やはり饅頭のルックスで尚更笑ってしまった。
一口食べて、ようやく気がついた。これは…パンだ。なんというか、やられた感がひどく、一気に脱力してしまった。なぜ、饅頭のコピーをパンでやるのかあ。饅頭で良いではないかと。

見た目は、蒸す前の肉まん 表面はふわふわ

中身の餡は、まさに豚まんだった。冷めても美味いという意味では、こちらの方が出来が良いかもしれない。開発者に脱帽というしかない。北海道ローカルパンとして、ぜひ有名になってほしい。
北海道ローカルとしては先輩格にあたる「ちくわパン」は、最近首都圏のあちこちのパン屋でゲリラ的に発生している。コピー品だと思うが、それをとやかくいうつもりはない。逆に発見するたびに、ニンマリとしてしまう。そのうち、ちくわパンの発展改良型が都内某所で生まれ、知らないうちに世田谷名物とか目黒の新名物などと言われるようになり、週末のテレビ番組で紹介されそうな予感がする。
そうすると、北海道のちくわパンファンから、ルーツは札幌というクレームでSNSが大炎上しそうだ。
それを見た全国のパン屋が「これはコピーです」などと言って、奇形的進化を遂げたちくわパンが全国で大量発生して、その混乱を収めるべく「日本ちくわパン協会」が設置され。札幌の「どんぐり」が元祖と認定されるる。などという妄想を酒も飲まずにいるから楽しんでしまいました。

街を歩く

沖縄的シニカルさに乾杯

銀座の端っこというのが正しいかどうか。沖縄のアンテナショップのある界隈は、各県のアンテナショップが集まっているプチ租界的な感じがある。その中でも、やはり風格があるというか王者の気配を見せているのが、このシーサーにまもられている「わした館」だろう。
5世紀あたりから始まった大和朝による日本統合戦争には関わりなく、中近世まで独立王国を保っていた琉球王国の守り神も、こうしてみるとずいぶん愛嬌がある。古代日本を舞台にした八咫烏対シーサーみたいなファンターがあれば面白いのになあ、などと妄想してしまう。それくらい、日本離れした「生き物?」だと思うのだが。

そのわした館の地下に、ゴージャスな泡盛売り場がある。東京ではここが一番泡盛の品揃えが多い場所ではないか。沖縄本島、離島を含めた沖縄各地の地泡盛?がこれでもかと並んでいる。独特の匂いがある泡盛は、人によって好みがあるようだが、自分のお気に入りは石垣島の「八重泉」だ。これがイチオシで、二番はない。
たまたま推理小説を読んでいたら、主人公の探偵が八重泉を愛飲していると書かれてあり、興味本位で一本試し買いしてみた。それ以来、ずっと八重泉にハマっている。石垣島まで買い出しに行ったこともある。
ただ、百貨店の酒売り場程度では置かれていることは少ない。かなり品揃えにこだわりのある本格酒屋でたまに見つけることがあるくらいだ。だから、銀座に来て荷物が少ない時は、わした館でこの酒を仕入れることにしている。
この時も八重泉を見つけ、一本手に取ろうとしたら、このPOPが目に飛び込んできた。
世の大多数の酒飲みは、この一言に心が動揺するだろう。「いや、俺の場合はそんなにひどくないはずだ、いやいや、そんなはずはないだろう。まあ、言い切る自信はないけど、ない、と信じたい。ないはず、だろうなあ……………、でももし、ダメだったとしたら、すまん、許してほしい」
なんとなく、こういう弁明とも言い訳ともつかない「心の中の独り言」が聞こえてきそうだ。
それとも「八重泉」には、何か特殊な成分が入っていて、こういう残念な人に変わってしまうのだろうか。うーん、いかにもいかにも……………微妙だ。

「初心者注意」というのも親切そうで、これまたずいぶんな言い分に聞こえる。それでも与那国島の泡盛と比べれば、まだずいぶん度数が低い。マイルド級だ。与那国の泡盛は、アルコール度数がとてつもなく高いので火がつく。危険物なので飛行機の機内持ち込みに制限がある。
一口試して、これは「並」の人間が飲める代物ではないと学習したものだ。だから、この度数くらいであれば、まだまだ人の飲み物と我慢できそうな気がする。
それよりも気になるのが、隣の「無礼講なんて・・・」という言葉だ。これは社会階層的に下層で虐げられているものの、心の叫びだろう。サラリーマンで言えば、ベテラン課長にいじられる新人ヒラ社員的な、会社カーストの最低に生息するものの叫びに聞こえる。
テレビドラマの中だけにしかいないと馬鹿にしていた、「俺の酒が飲めないのか?!」と迫る上司に初めて出会った時は、世の中には人外の化け物が本当にいるのだと思った。歳をとったらこうなりたくないという「ダメ人間」の実例を見たのもそれが初めてだった。人として尊敬に値しないどころか、その存在が悪だろうと学んだのもその時だった。今、振り返ってみれば、絶対にこいつより偉くなって正しい生き方を指導矯正してやろうと思わせてくれた、ある意味人生の恩人で反面教師だったような気もする。
どうも、泡盛を愛する沖縄人にも、同じような苦汁を味わった人がいるのだろうなあと、ほろ苦い仲間意識を持ってしまった。そんな時は、シークワーサー果汁を入れた「八重泉」で、ほろほろ酔うのが良さそうだ。