
カレーという食べ物を外食産業化するのは難しいと言われていた。いや、今でもその可能性は高い。自分の好きなカレーと聞かれると、子供の頃に食べていた「我が家のカレー」に刷り込みがつよすぢて、「よそのカレー」に対する許容度が低すぎるからだ。
大人になり一人暮らしを始めると、仕方なしにレトルトカレーに手を出したりもするが、それは「うちのカレー」とは違うと、ほぼ全員が答えるだろう。便宜的に使っている「カレーもどき」という認識が強いのだ。
「うちのカレー」はジャワカレー(ハウス製)で決まりという思い込みを変える、人生たった一度の(大袈裟な0チャンスは、結婚した時らしい。この時に、「うちのカレー」対「うちのカレー」の激突が起こる。どちらかが相手のうちのカレーに屈服することで決着がつく。
そんな食べ物だから、「お店のカレー」は一定数うの客には嗜好品にはなるけれど、それ以外のものにとっては食べる価値のないものになる。まさに外食最大の敵は「うちのカレー」なのだ。
カレーのロールモデルは帝国海軍の艦内食だったことはよく知られている。明治期に新しく成立した「海軍」という技術色の強い軍事組織で、最初に求められたのは兵の健康だった。江戸期の日本人は米を大量に食うだけでタンパク質や脂質の摂取が足りない、栄養バランス欠陥食で生きていた。だから長期間会場勤務をするような組織では、体力不足、栄養失調を防ぐため可惜な食事体系が考えられた。その中の一つがカレーであり、肉じゃが出会ったそうだ。
肉じゃがもカレーも素材を見ればほぼ同じであり、味付けが甘辛醤油味になるか、スパイス風味になるかの差とも考えられる。
兎にも角にも、米とよくある肉と野菜の入った料理という点で、当時としては画期的だっただろう。そのカレーと肉じゃがは、海軍勤務を終えて民間人に戻った元兵士たちにより日本中の家庭に普及した。当然、海軍軍人の糧ににも浸透した。ところが、海軍レシピーを性格に伝えたわけではないので、言ってみれば退役軍人の数だけレシピーーが氾濫した上に、各家庭の中で様々なバリエーションが発生する。
カレーでは地方特有の野菜を使うのはまだまともな方だ。肉の代わりに魚を入れてみたり、カレールーの上にあれこれ載せてみたりと百花繚乱だる世界が生まれた。
肉じゃがの変形したものはは従来の家庭日本料理を完全に独自なものへと変化させてしまった。いわゆる西洋風の煮込み領地が爆発的に和風アレンジを加えられ、家庭料理となって行ったが、その原型は肉じゃがだろう。現代においてスーパーに並ぶ和風惣菜のほとんどはそうしてうまれたものだし、江戸期の調理品など伝統的な料理はとうの昔に絶滅している。
で、新潟バスセンターのカレーだが、このカレーは昭和中期まで家庭で作られていたカレーの原型をとどめている。だから、ある一定の年齢の客には、今や食べられなくなった「うちのカレー」に近いものとして支持されている。
昭和後期から平成にかけて、カレールーメーカーはレトルトカレーに対抗するべくベースの新規投入をっ繰り返したが、結局は定番が生き残る。その熾烈なルー開発の中で、「うちのカレー」、つまりカレー粉と小麦粉を炒めて作る昔ながらのカレーは衰退した。
その絶滅危惧種的な昔風のカレーに飛びついたのが、昭和レトロ付きの現代世代で、今や新潟の名物の一角に食い込んでいる。
おそらく地方都市の駅前にある食堂では、これと似たようなカレーが生き残っていたはずだが、その駅前食堂が壊滅したことで、昔風のカレーを食べるのは難しい。
「昔のカレー」を食べる人口も減っているが、それを提供する店の方がもっと減っている。結果的に、需要が供給を完全に上回っているので、この店には開店前から行列ができる。それも、新潟県外から訪れるものが多い。
外食産業における生存者利益の典型なのだが、この手の議論を見た記憶はない。外食経営者がアカデミックな道筋を求めていないせいだろうか。