街を歩く

城と陸軍駐屯地

3年前に行った新潟の自衛隊基地で

戊辰戦争に勝利した西国連合の革命政府は、ともかく金がなかった。当たり前だが戦争をやる金は用意してみたものの、その先の統治機構のことなど何も知らないバカ殿と800年近く為政経験のない腑抜け貴族階級が全国統治をしようというのだ。無謀というしかない。当然、無法が罷り通ることになる。金のあるところからむしってくる「強盗政府」となった。
そんな脆弱な勢力に倒されてしまうのだから、徳川政権もだらしがない、というかお前たちバカなのと罵倒されても仕方のないダメっぷりだ。幕末はどっちもどっちというくらい統治機構劣化していたのだろう。

ようやく革命に勝利したものの金がないので自前の軍備は持てない。西国連合から兵を借りてなんとか近衛的な部隊は作ったものの、徳川勢力が本気で合流すれば、あっという間に倒れてしまうほどの脆弱ぶりだったはずなのだが。

その金がない新政府が軍備の核としたのは、お城だった。まず、敗軍の城を没収し破却した。その跡地は市街地の中心部にあるので(お城は行政の要であったから当然だが)、そこに軍の施設を置くことになる。土地代無料、建物賃料なし、都心部であり交通至便という超がつく有料物件だ。

その後、時代が落ち着くに従って軍の基地はより広い敷地を求め郊外に移転する。ただ、地方軍の本部機能だけは城跡に残した場合もある。新潟県柴田城跡地はそんな場所だった。新潟は戊辰戦争で激戦地となった長岡もあり、また戊辰戦争では西国連合にとって最大の強敵であった酒田 (山形庄内藩)への侵攻路でもあったせいか、新潟の街に軍拠点を設けることはなかったようだが。て西国軍はひどい敗戦が続きトラウマになっていたらしい。

城跡は帝国陸軍に活用されることとなり、その後は陸上自衛隊が継承している。組織的には先の大戦の敗北後に一度軍が解体されているので、陸軍と陸自に連続性はない。ただ、組織文化的には博物館的な資料館があちこちに残されていて、全く分断されているのでもない。

この資料館の入り口には若い現役自衛官が見張り(笑うしかないか)兼案内係をしていた。東京朝霞にある陸自最大の博物館?では、数多くの自衛官が働いていたが、あそこは第一師団のお膝元だから特別な後方要員がつめているのだと思う。新発田にいたお兄さんはまさに現役のバリバリ感があった。

全国にある自衛他の展示施設はほぼほぼ見学したが、どうやら展示施設はもはや使われなくなった昔の基地の跡みたいなところらしい。この新発田の基地も、日露戦争時代に使われていた兵舎らしいのだが、まさに遺跡的な匂いがする。佐世保の会場自衛他の展示施設も似たような感じだった。

たまたま観艦式に連れて行ってもらった時に見た横須賀の海上自衛隊基地は現役そのものなので、施設の全てが軍事基地という感じがした。航空自衛隊入間基地はデモフライト公開日に入ることができるが、やはり現役基地内でありピリッとした感じがする。ただ、横須賀の方が軍事施設のリアル感は強かった。米軍艦船が間近にが見えるせいもあるだろう。(入間基地で見られるのはは滑走路と倉庫だからなあ)

軍事オタクであればもっと違う感動があるのだろうが。自衛隊の基地を観光地扱いするのは申し訳ないが、基地の歴史的経緯を調べてから見学に行くとあれこれ感心することが多いと思いますよ。

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