街を歩く

御洒落な店を探してみたら

小路がある街は魅力的だ

新潟古町を歩いて、あれこれ写真を撮ってきた。街歩きをしておしゃれな看板を撮るのは、旅先でのルーティン作業だ。全国どこにいっても似たような見え方をする繁華街で、その地域・その街特有の店を見つけだすのが楽しみなのだ。
個人的に写真映えのする街を三つあげると長崎思案橋、大阪宗右衛門町、京都先斗町だと思う。新潟古町もそれに匹敵する良さもあるが、どうにも小ぶりすぎる。もう少し裏どおりも探索するべきなのだが、新潟古町は裏通りがいきなり住宅地になったりするので……………

政令都市の繁華街はどこもチェーン店がひしめき合うだけの、どこも同じ見栄えでニアリーイコール的な街になる。地方中核都市では全く区別がつかない。

政令都市の規模になると流石に超繁華街が生まれる。札幌ススキノ、福岡中洲、仙台国分町、なども多少規模の差が、実はここも似たり寄ったりだ。チェーン店が勢揃いしてひしめき合い、風俗店がそれに加わる程度の差でしかない。
小ぶりな政令都市では、熊本が他の政令都市とし一線を画した巨大で例外的に面白い繁華街があるが、やはり多少ケバい。静岡、浜松、岡山などはこれが政令都市かと思うほどのこじんまりした規模でしかない。新潟もそうしたおとなしめの街の一つだろうが、古町は独特のシックさが残っている気がする。

やはり、飲み屋の街には路地がないとおけないと思う。路地の美しさはその街の品格の表れだ。

見るからに良さげな店だった

飲食店の外見、つまりファサードは地域によって特徴がある。タウンマネージメントではないが、その地域の統制というか不文律があり、それに合わせた街並みが、ある一体感を持つように作り上げられているのが「良い街」だろう。
新宿や渋谷のように無統制な店・外見がはびこり「カオス」こそが街の本質のようになると、自然と薄汚さ、胡散臭さが付き纏うようになる。街の状態として成熟したというより腐敗してきたと見える。綺麗な街ではないのだ。
ただ、人には汚いくらいの方が好ましいという、なんとも不思議な嗜好を持ものが多い。大都会になればなるほど、そうした「悪趣味」な志向が拡大していく傾向にあるようだ。新宿ゴールデン街のような胡乱で胡散臭い街が夜になると存在価値を増す。滅びゆくものへの挽歌なのかもしれない。が、自分の好みではない。

ラーメン店ですらおしゃれになる街というのは、その土地の人たちが大事に守るべき共同資産だと思う。残念ながらこのラーメン店は夜営業らしい。開いていれば入ってみたかったのだが。さぞかし端正なラーメンが出てくるのではないかと思わせる。

しっとりとした和風デザインのファサードが多い中、こうした洋風アレンジも街に根付いている。デザイナーの見識か、店主の意思なのか、どちらにしても街にとって違和感のない色使いやデザインが重んじられているとわかる。良い街なのだ。

おそらく、この手の和風デザインが一番お高い店なのだろうなと、街を歩いていると分かってくる。予約をとってしっかり覚悟していく類の店だろうが、若い頃は敷居が高くて入れなかった。今は、あまり意識もせずに入っていけるようにはなったが、どうも最近はこういう店に食指が動かなくなってしまった。酒と食べ物は気楽にに使える店が良いと思ってしまう。おそらくオシャレな店に気負って入るだけの覚悟が続かないのだ。
ネクタイを締めるというだけでうんざりする。サンダルで入れる店がちょうど良いと思う。明らかに人として、活力が低下しているのがわかる。


入ってみたい年頃には自分の格が足りないと思い、なんとか格に追いついた頃には興味が減っているというのも、人生の皮肉というものだろう。

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