街を歩く

味噌ラーメン@恵比寿 再訪

恵比寿での所用が終わり、昼飯の時間になった。昔よく行っていた食堂の何軒かを思い出していたが、ふと思い立ち味噌ラーメン専門店に行くことにした。この店はコロナの最中に見つけた比較的新しい店だが、もともとこの場所には長く通っていた居酒屋があった。ビルの奥まった場所で、通りからは見つけにくい隠れ家的な場所だった。その店の看板が変わっていたことに気が付かなければ、おそらく訪れることもなかったような気がする。

味噌ラーメンの専門店が増えているなと思ったのは-8年前だっただろうか。千葉初の濃厚味噌ラーメンが急拡大しているのを視察に行って気がついたことだ。以来、コロナの時期を挟んで入るが、味噌ラーメンの新店が目につく。創作料理風のラーメン店が増えているなか、濃厚味噌ラーメン系の店は「がつん」と来る味を売りにしているので、好んで試しに行っている。ただ、濃厚ガツン系だけあった麺・スープともに量が充実しまくっているのが、ちょっと困ったところだ。もう少し全体的に量が少なめでも良いのにというのは極めて個人的な感想だ。

前回食べたときは普通の味噌ラーメンにしていた。所見の店はいつでもシンプルにその店の定番的なものを選ぶことにしている。その定番が気に入れば、変化形である「味変わり」を試してみる。なので、今回は変化形の「辛い味噌」にしてみた。つけ麺やまぜそばにするのはまた次回ということになる。
辛い味噌は辛さを選べる。普通レベルの辛さにしてみたが、もう1段階辛くても行けそうだ。半分くらい食べたところで、額から汗が出てきた。それでも舌が痺れるからさではないから、発汗作用の多いアレンジなのだろう。辛さは個人差がとても激しい味覚なので(厳密には味覚ではなく触覚らしい)、どの店に行っても普通を試してみる。その上で、自分の好みとの調整を図らなければ、好みの辛い食べ物にはならない。たまに行くタイ料理屋などでは、店が言うところの普通レベルの設定がかなり高いことが多く信長になる。だが、ラーメン店の辛さであれば、こんなもんで行けるかと過信して自爆することが多い。特に最近開いた店の辛さレベルは、全体的に高めになっているので(時代の辛さの許容度というか中庸度がどんどん辛い方にシフトしている)、普通レベルでもかなり冒険的になっている気がする。
この店の辛さ普通レベルは、ありがたいことに本当に普通だった。味噌味の濃厚スープと相まって体温上昇する感じがする。太めの麺もスープの味に負けない強さがある。ひき肉ともやし炒めは味噌ラーメントッピングの古典的な役者たちだが、これもシャキシャキ・コリコリと食感を広げている。実に味噌ラーメンらしい、と表現するべきなんだろう。
ラーメン一杯1000円時代の定番といったところか。ただ、恵比寿は今でもラーメン店の開店が続くオーバーストア・エリアなので、次にこの店に行くのはいつになることやら。

街を歩く

朝うどん コスパの悲しさ

キャンプ場帰りの途中に埼玉県民熱愛らしい山田うどんの店がある。このチェーン店は牛丼屋と同じで営業時間が朝早くから夜遅くまでと長い。朝の客層はネクタイをしたサラリーマンというより、作業着を着たガテン系が多い。郊外幹線道路脇という立地もあるだろうが、駐車場にも大型の作業車や軽トラが目立つ。ベンツやレクサスが停まっているのは見た記憶がない。
そのせいなのか、朝飯だというのにそれなりというか、朝飯とは思えないボリュームのメニューが並んでいる。その中でも、これは控えめだろうと思うカレーライス小と半うどんのセットを頼んでみた。うどんは味噌汁代わりみたいな感覚なのだろう。提供時間はやたら早い。そして完食すると満腹感がすごい。カレーのスパイスのせいか軽く汗が出る。これくらいはぺろっと平らげる体力というか代謝量があった時代もあるなあ、などど情けない感想しか出てこなかった。
たまたま、この日は朝起きてから寒すぎて動き回る気がしないまま、インスタントコーヒーをい一杯だけ飲んで撤収してしまったのだが、キャンプ場を早く出過ぎたせいで朝の通勤ラッシュにハマってしまい、それを避けようと立ち寄った。空腹感満載で気合を入れて入店したわけでもなく、素うどんで良いかなくらいの軽い気持ちだった。トーストとゆで卵のモーニングメニューがあれば間違いなくそれを注文していた。
それでも、朝からスパイス入りの食べ物を腹に収めると、何となく体温が上がり活性化されたような気がする。だとするとこのカレーライスとうどんのセットではなく、カレーうどんを注文すればよかったのだろうか。
たまには、朝飯を外で食べるとあれこれ考えることがあるから、頭の活性化には役立つのだが………

店の入り口に置かれていた日替わりメニューのポスターをみて、しみじみすごいぞと思った。この超ボリュームなランチセットは注文しても絶対完食できないような気がしてくる。うどんと丼飯という組み合わせは相当に凶暴だと思うし、プラス100円でうどんがラーメンに変わるのだから、普通であれば二食分たっぷり食べて1000円でお釣りが来るということだ。コンビニ弁当が600円台になっているご時世で、この大盛り二食セットはコスパ最高だろう。
ただ、自分にはあまり関わりのないコスパの良さに気がつくと、なぜかちょっと悲しくなる。鮨の食べ放題に行けば絶対に払い負けすると思ったのはいつの頃だっただろう。あれが、我が凋落の始まりだったな。

街を歩く

花見とキャンプ

今年も桜を見ることができて安心した、という楽曲を歌っている女性シンガーのアルバムを毎年この時期には聞き返す。歳をとることを肯定的に歌っているのだが、100歳まで頑張って生きていくのよと歌われてもなあ………とずっと思っていたが、年々その感覚が強くなる。
ただ歳をとるとその分だけ桜の楽しみ方が変わるという点には同意する。若い頃より、明らかに桜を見るのが楽しくなってくる。まあ、桜の散り際の良さに憧れるというのもあるのかもしれない。満開の桜の下で桜餅を食べるのは、とても楽しみだ。目で楽しみ舌で楽しむ。春爛漫とはこのことだ。

などと考えているのだが、世の中には桜の下でキャンプをしたいという方もいるようで、よくいく近場のキャンプ場では、桜の花散る中で賑やかなデイキャンプをしていた。週末の午後でもあり、夕方には宴会を終了してお帰りになっていたが、皆さん車なのでノンアル宴会だったようだ。時代は変わり、宴会でアルコールが不要になったとは、これまたすごい時代の変わり目なのだろう。タバコの次はアルコールが社会的に息の根を絶たれるかなと思った。
ちなみに、このキャンプ場はワーケーション仕様で、キャン場内完全にwifeが対応している。これもまたすごい時代だなと思う。

ただし、その現代仕様のキャンプ場の外は、昔のまま、武蔵野の雑木林が残っている。雑木林の中は、まさに雑木なので色々な種類の樹木が生えている。整然と整備された公園の並木とは異なる、懐かしいというかホッとする感覚がある。里山が近くにある場所で育った「田舎育ち」であれば当たり前の光景だろうが、大都市圏で自然とは整備された公園と錯覚している子どもたちには、トトロの森のような場所なのかもしれない。
雑木林の中では様々な鳥の声も聞こえてくるが、支配的なのはカラスのカーカーという声だ。それと、鶯がたまになく。カラスの声は……………あまり風情がない。

組み立て式の焚き火台とテーブル、カトラリーセットで設営完了

そんなキャンプ場で、ソロキャンプのおっさんたちは、なぜかキャンプ場周りの植え込みに向けてテントを張る。人や車の姿を視界に入れたくないということらしい。テントのお尻が全部自分の方に向けられているのだから、その意図は明らかだ。
だから、このキャンプ場は夜になっても他人様の明かりが目に入らない。

湯沸かし用にカセットコンロを設営置けば完了 そのあとはのんびり読書

今回は、駐車場に停めた車の中で寝るつもりなので、テントは貼っていない。ワンタッチで設営できる日除シェルターの中に、ユニット化したキャンプ道具(プラスチック箱に用途別に整理したもの)をおろし設営完了。椅子と焚き火台を組み立てるまで、所要時間はほぼ10分だ。撤収時も多少手間取っても30分程度で完了する、時短キャンプに挑戦してみた。
お湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲む。ゆっくり歴史小説を読む。夕方が近づいてきたら焚き火で飯を作る。時間の使い方が変わったなと自分でもわかるのだが、限られた時間の中で何かをどれだけできるのかと考えるのをやめるてしまった。すると、新たに見えてくるものがある。
ほとんど何もしないで、ぼーっと過ごすのも良いものだという感覚だが、これは単純に脳細胞が死滅してものを考える能力が低下しているだけかもしれない。焚き火の火を見ながら、しょうもないことを考えている。美味い飯も美味しい酒も、最近ではどうでも良くなってきた。「人間は退行する生き物だ」という言葉が何の脈絡もなく浮かんできて、思わず自分のことだと苦笑していた。
花見の時期は物憂げになってしまうので(主に花粉のせいだが)キャンプとはあまり相性が良くないらしい。案の定。この日はやたら花粉が多くて鼻水が止まらなくなり、やはりおうちにいればよかったかとちょっと反省してしまった。

街を歩く

団地の花見

長屋の花見という古典落語の演題がある。これはなかなか楽しい話で、この季節であれば寄席で聴く機会もありそうだ。ただ、最近の寄席はコロナのせいで客席での飲食が禁止となり、それがちょっと寂しい気がする。ただ、客席の飲食も、演者が一生懸命話している時に、煎餅の袋を開けるガサガサとした音がすると興醒めするので、やはり飲食禁止で良いのかもしれない。
個人的には平日の午後、のんびりとした演目とのんびりとした客がまばらにいる寄席で、いなり寿司を食べながらビールを飲むみたいなのが好きだったのだが。まあ、そんな時は演者ものんびりしていたというか、明らかに手を抜いているとわかることもあるのだが。そこが寄席のよいところで、演者と客の距離が近いからできることだった。最近は、どうなっているのだろうか。

近くの団地、昔で言えば公団住宅、いまはテレビのCMで盛んに宣伝しているURの敷地に、見事な桜の木がたくさんある。コロナの間は誰が集まることもなくひっそりとしていたが、今年は久しぶりにお花見大会?が開催されるというのでノコノコと出かけてみた。週末は気温が上がり、一気に満開どころか花が散り始めていた。

いわゆるお祭りの出店が出ていた。町内会主催の焼きそば(地元名物を目指している醤油焼きそば)や酒の販売もあり、そこそこお祭りムードがあり、祭りの屋台も何軒か出ていた。チョコバナナとかリンゴ飴の屋台などココ何年も見ていなかった。お祭り感が出るのは、やはり屋台のポイントが高い。綿菓子の袋が一つ600円になっていたのは、高いのか安いのかよく理解できないが、とりあえず子供が買っている気配はなく、ちょっと残念だった。
地元の学生のブラスバンドなど、出し物もたくさんあるようで、なかなかの盛況ぶりだった。主催者が町内会ということで、ほんわかとした手作り感もあるのだが、町内会の行事は夏祭りに強制ボランティア(年ごとの持ち回り)に呼び出されている経験があり、あれはなかなか大変なんだよなと、焼きそばを焼いているおっちゃんたちに同情してしまった。
地元で商売をしている方達には、まさに地元の商店街を上げてのお祭りになるのだが、団地に住むサラリーマンオヤジにとっては何年かに一度回ってくる強制労働みたいな感じもあり、そのアウト感が焼きそばを焼く慣れない手つきに現れている。哀愁をそそる、団地の花見なのであります。
それとちょっと気がついたのだが、祭りにつきものの子どもの姿より、圧倒的にジジババが目立つのも、現代日本の縮図であるようだ。高齢者への慰撫としての祭りとは、ゾッとしない光景ではあるなあ。

街を歩く

花見で味噌ラーメン

自宅近くの桜もすっかり散ってしまった。それでも週末にはちょっと足を伸ばした散歩がてら、あちこちに残っている桜を見てまわった。満開になるとすぐに葉桜になるのが残念と言えば残念に思う。ハラハラと落ちる花びらをみるのは風情があるが、花が落ちた後の葉桜はなんとも間が抜けていると見えてしまう。

そして桜見物といえば味噌ラーメンでしょう。というのには全く説得力がないのだが、桜の時期は気温が上がったり下がったりするので、ちょっと温かいものが食べたくなる。そんな時は、こってり濃厚系の味噌ラーメンが良いのではと思っている。
自宅から徒歩圏にはおよそ10軒ほどのラーメン屋があるラーメン激戦区なので、その日の気分に合わせて味違い、麺違いは選び放題だ。今回は、去年開店していたのだが、行かないままで宿題になっていた一軒を試してみることにした。個人営業の店なのだと思ったら、この地域には何軒かある味噌ラーメンローカルチェーンらしい。

味噌ラーメンといえば北海道という時代はすっかりどこかに行ってしまい、今や味噌ラーメンは全国区で競合がしのぎを削る。ご当地ラーメンから進化した、ラーメン業界の最強ジャンルだろう。特に、濃厚な豚骨系スープと合わせることでできるパンチ力は、味噌以外のラーメンでは到底敵わない。ただ、味噌という強力な調味料に支えられているのも確かなことで、強いスープが出来上がると、どこの店でも似たような味わいになることが弱点と言えば弱点だろう。複雑な組み立てのスープを仕立てても、味噌の力でねじ伏せられてしまうというべきだろうか。
そうなると、味噌ラーメン専門店ではスープの味違いを訴求することより、トッピングのバラエティーで競争する傾向が強い。トッピング全部乗りのもりもり系が増える原因でもあると考えている。ラーメン業界でも、一杯1000円越えの値付けをしたのは、この全部ノリもりもり系だった。
観光地でご土地ラーメンを食べるのであれば、一期一会みたいなものだから全部乗りもありかもしれないが、自宅近くの高頻度利用店ではトッピングもりもりにする必要はない。自分の好みで追加トッピングを選ぶとすれば、海苔とメンマくらいのものだ。ほぼラーメン屋全店でおすすめ品にされている「味玉」は頼むことがない。シンプルなのが一番だ的な立場をずっと維持している。

さて、この店の味噌ラーメン(プレーン)だが、スープは濃厚、麺は太めで最近の定石通り。コーンが味噌ラーメンに合うのかというと、いつも疑問には思うが、これも観光地で発生した「コーンバター」の流れを汲んだ味噌ラーメン定番トッピングになっている。ちょっと変わっていたのは、長ネギではなく玉ねぎだったこと。これも味噌ラーメンという強い味のラーメンでは「あり」だなと思う。そして、ひき肉が乗っているのは伝統的な味噌ラーメン的でもあり、新旧の味噌ラーメンレシピーが融合した感じだ。最近流行りであるらしい低温調理のチャーシューなどが乗っていない方が、味噌ラーメンにはストロング感があって良いと思う。
スープの中に沈んだ挽肉を食べるための穴あきレンゲが添えられているのが、さりげなく嬉しい。こういう細かい芸はポイントが高いのだ。
個人的な評価として、近場ラーメン店の中ではトップクラスに認定したい。次回は、辛味噌だな。

街を歩く

夜の新宿で路上パフォーマンス

本当に久しぶりな新宿3丁目の居酒屋での飲み会になった。コロナの間は一度も行く機会がなかったので、なんと3-4年ぶりということになる。この店は若い頃から定期的に通っていたので、一年に一度も行かなかったことなどなかったと思うのだが(記憶にない)、コロナの間はお店が閉まっていたり、夜の外出が減っていたこともあり、本当に久しぶりだ。
が、ドアを開けて店内に入れば、中はいつもと変わらない空間だった。これはありがたい。この3年の内に店ごと無くなってしまった馴染みの店は多い。東日本大震災の後も、一時的に居酒屋が閉まっていたことはあったが、ステイホームの金切り声ほどの威力はなかったからなあ。

馴染みの店で馴染みの料理を食べるというのは、実にありがたいことだ。いつもであれば、何種類かの日本酒を順番に楽しんでいくのだが、今回はホッピーを淡々と飲んだ。帰りの駅までの道をぶらぶらしてみようと思ったから酒は控えめにした。つもりだったが、それなりに量は飲んでいたから、あまり効果はなかったようだ。我ながら自堕落な……………と笑ってしまう。
やはり一人飲みの時期が長かったせいで、酒の量と時間の加減がうまく行かなくなっているようだ。一人飲みだと、自分の好みの量と時間でうまい具合に飲み終わるから、ただただぼーっとしている。あまり難しいことを考えなくなるので、怠惰な時間が流れる。すっかりそれが好きになってしまった。この「怠惰な時間耽溺症」こそが一番深刻なコロナ後遺症かもしれない。

西武新宿駅前に人だかりができていて、どうやら久々の路上パフォーマンスを見ている人たちらしい。昔と変わっているのは、周りの観客?がみんなマスクをしていること。そして、パフォーマーがマイクを使って解説していること。観客も静かで、たまにパチパチと手を叩くくらいだ。ようやく平和な時代が戻ってきましたねえ、などと思ったのだが……………
ふと気がついたのは、おひねりはどうするのだろうということだった。音楽演奏の場合は、楽器ケースの蓋が開いていて、そこにおひねりを入れることができる。このマジックショー?らしき場所では、箱も入れ物も見当たらない。
ネットのコンテンツにデジタルなおひねりを渡す仕組みができて、すっかり一般的になったのはコロナの影響だろう。リアルの世界でも、路上パフォーマンスが復活するとしたら、おひねりの投下、回収システムがいるのではないかなあ、などと軽く酔いの回った頭で考えていた。QRコードを描いたパネルでも置いて、コード支払いでおひねりみたいなことはできるかなあ。
アフターコロナの時代では今更だとは思うが、現金を受渡する仕組みは「感染拡大防止」上、好ましくない、と文句を言うのは厚生労働省で間違いない。そして、お捻りも課税対象(消費税の徴収とか)と言い出すのは財務省だ。人の不幸で金儲け、と言う言葉が頭の中でリフレインする。
いつの世も「官僚」たちは庶民の不幸を食い物にする。酔いに任せて妄想していたら、すっかり酔いが覚めてしまった。だんだん腹立たしくもなり気分は最低で、「くたばれ、〇〇省」と叫びたいくらいだった。 
(お断り:〇〇には自分のお好みの省庁名を入れてください 省庁の好き嫌いには個人の嗜好差があります)

楽しくお酒を飲んだら寄り道せずにまっすぐおうちに帰りましょう。けして〇〇省のことなど思い出してはいけません。

街を歩く

贈答用野菜という 知らない世界

新宿の百貨店地下の食料品売り場は、ちょっと変わった調味料を手に入れるため、時々立ち寄る。スーパーなどでは見かけることのないローカル調味料が揃っているのがありがたい。今ではすっかり珍しい「江戸の甘味噌」も売っている。徳川家康が江戸入府した時に、いろいろな職人を三河から連れてきた。その時に、岡崎の八丁味噌職人もいたようで、江戸では八丁味噌のような甘味噌が主流だったそうだ。
何年か前に読んだ料理本の受け売りなので、正確ではないかもしれない。ただ、今でも東京に一軒だけ江戸甘味噌を製造する味噌蔵が残っていて、そこの味噌が「味噌コーナー」の中で、信州味噌や仙台味噌に混ざって売られている。
この日も、その江戸甘味噌を買いに行った。ちなみに、その味噌の色目は八丁味噌よりも濃い、「黒」と形容したい濃さだ。野菜をたっぷり入れた味噌汁にすると、なかなか良い具合の色調になる。
その味噌買い出しの時に気がついたのが極太アスパラで、贈答品のような立派なパッケージに入っていた。お値段も、家庭使いにはなりそうもない。一本あたり400円程度になるので、これはアスパラが主役の料理にするしかない。添え物・副菜としてはありえない高価格品だ。ちなみに、この野菜売り場の隣が鮮魚店なのだが、そこでは冷凍の魚が一匹4-500円で売られていた。冷凍カツオたたきでもワンパック500円くらいだった。
名前通り「王様」級のアスパラだった。メロンや高級フルーツトマトが贈答品に使われるのは当たり前だが、アスパラがギフトになる時代なのかと、改めて感心した。昔、実家の庭にはアスパラが何本か植えてあり、朝方に庭に出てその日の朝食にするアスパラを何本か抜いてきた(切ってきた)ような記憶がある。アスパラとは庭に生えている?雑草の親玉くらいの感覚しかなかったから、それがギフトになるというのは違和感があるといえば「ある」のだ。
昭和は遠くになりにけりで、住宅地でアスパラを植えような習慣もすっかりなくなっているとは思うが、自宅の猫の額ほどの庭でまたアスパラを育ててみようかという気になった。
ちなみに、子供が小さい頃には教育的見地で、アスパラを2〜3年育てていた。関東でも自宅用であればアスパラ栽培は可能だし、太さや長さにこだわらなければとれたてのアスパラを美味しく食べられるのだよね。

街を歩く

西武秩父駅 夢の跡?

この冬は、秩父行きのお安い切符のおかげで何度か秩父に行った。お目当ては洋食屋だったり、漬物を買うためだったり、街をぶらぶら歩くだったりだが、夏に汗だくで歩くより冬の寒さに耐える方が余程マシだということもある。
夏に札所巡りをした時は、本当に死にそうに暑いと思ったものだ。秩父は盆地なので、夏の暑さと湿気には相当なダメージを受ける。秩父を有名にしたアニメは、夏の日の出来事がテーマだったから夏に遊びに行ってみたが、やはり街歩きの時期はもう少し涼しい時の方がおすすめだ。蝉の声に青空に入道雲的な夏光景は、画面の中で見るだけで良いと思ってしまう。

西武秩父駅の中にあった立ち飲みコーナーが改装されていて、おしゃれな角打ちになっていた。ここで酒を飲むのはどんな人たちなのだろう。西武秩父鉄道を通勤駅とするオヤジがどれくらいいるのか興味があるのだが、オヤジ達の飲み屋タイムに合わせて観察に行くのも面倒くさいというか、秩父で酒を飲んで自宅まで帰るのはちょっと遠い。おまけにヘタをすると電車の中で寝過ごしてしまい、自宅近くで降りないまま池袋まで行ってしまいそうだ。
都内で最近営業再開した立ち飲み屋もオシャレな感じになっていたが、サクッと立ち飲みというスタイルは、親父のものではなくなり、もう少し若い世代の客が増えたのかもしれない。

西武秩父駅は行き止まりの終点駅だが、この先200mも延長すれば秩父鉄道と直接つながる。その先は、荒川を渡ることで長野県南部までの延伸は可能だ。昔々は、軽井沢までつなげる計画があったというが、その路線を想像してみる。秩父の北西部に続くところは山間の隘路で、山を越えて群馬県下仁田から軽井沢に抜けるコースは相当な難工事だったのだろう。だから、このホームの先の行き止まりは、見果てぬ夢の跡という感じが漂う。終点駅というのは、どこに行っても、この残念な感覚、もう少し先まで伸びていきたかったんだぞ的な鉄道マン達の無念さみたいのがあると思うのだ。ローカル線の旅は、終点駅の旅でもあるのだね。

街を歩く

カツカレー行脚@池袋

池袋の南側、ジュンク堂の隣にある洋食店は、時々無性に行きたくなる。昔は東京東側に密集していたジロー系の洋食に似ていると思っているが、ジローはほぼ揚げ物専業店のようなところがあり、メニューバリエーションで言えば、こちらの方が数段優れているような気がする。
お気に入りの洋食屋の条件はシンプルに一つで、オムライスがうまいことだ。特に、オムライスの上に真っ赤なケチャップがかかっているのが必要条件だ。ケチャップの代わりにデミグラスソースがかかっていると残念というか、自分的には圏外扱いになる。
この店は、オムライス以外にもあれこれお気に入りの食べたいメニューが多いので、実にありがたい。大衆食堂的な洋食キッチンとしてイチオシだ。

日替わりメニューもなかなかボリュームがある構成だが、この店で日替わりを注文したことはない。定番メニューに食べたいものが多すぎて、日替わりまで注文が回っていかない。それもちょっと悲しい。オフィスがこの近くにあるサラリーマンが羨ましい。
この店の定番はオリエンタルライスという、野菜肉炒めが乗っかったライス(カレーライス的なオン・ザ・ライスなかけごはん)だが、これを頼むのも10回に一回ぐらいだろう。オムライスとカレーのヘビー・ローテーションで精一杯だ。空腹度が高い時には、追加で単品注文をすることもある。メンチカツは注文することが比較的多い。

どいつもこいつも絶対美味いに違いない 腹ペコキラーだ

カレーに限っていうと、選択肢は多くなり悩ましい。基本的にとんかつ、チキンカツ、メンチが定番のトッピングだ。たまにチキンカツ・カレーを頼むこともあるが、今日はトンカツ(ロースカツ)カレー一択だ。揚げたてのカツが、超絶的にカレールーと合う。
まずカレールーの黒さに嬉しさが込み上げる。蕎麦屋でよく出てくる黄色いカレーも、あれはあれでありだと思うが、やはりカレーは黒っぽくてドロドロしているものが美味いという気がする。ただ、これは、中学生の頃に刷り込まれた「外で食べるカレーは黒い」という呪縛から逃れられていないだけだ。
多分、黒いカレーは一人で外食した最初の経験だったはずだ。まだファストフードがおしゃれでファッションだった時代だったから、中学生にとってファストフード店は一人で入るには敷居が高く、カウンターだけのカレー屋に入ったのだと思う。もう少し時代が後であれば、ハンバーガーが一生かけて食べ続ける大好物になっていた可能性はあるが………
それ以来、ドロドロカレーは「類まれなるご馳走」として我が人生の中に記憶されているのだ。そのご馳走が、カツカレーという贅沢なものに進化するのは、その後数年が必要だったが。

この黒カレーにカツという組み合わせを改めて見てみると、何やら金沢カレーを思い出す。食器がステンレスの銀の皿に変われば、全く同じようなものではないか。金沢カレーも機会があればせっせと食べているが、このことには初めて気がついた。やはりこれは食の世界で起きた平行進化というものだろう。
似たようなものに「豆パン」とか「羊羹パン」の例がある。地理的に離れた場所で同時に生まれ進化したものらしい。それとは異なり、元祖があり、そこで修行したり、強い影響を受けて独自に開発されたメニューに「ソースカツ丼」がある。ソースカツ丼も全国各地で名物料理として名を馳せているが、どうもルーツは一箇所に同定されるようだ。
大阪でもご当地限定カレーチェーンはあり、そこもドロドロ系カレーを出すが、色味はあまり黒くない。これは、帝国海軍にルーツを持つジャパニーズ・カレーの系譜の中で、異形に進化した「なにわバージョン」らしい。カレーにソースをかけて食べるという食文化と相まって、同じ名前で違う食べ物的な楽しさがある。

この店の最大の「推しポイント」は、カレーを頼んでも豚汁がセットになっていることだ。洋食屋のはずだが、なぜか豚汁がうまいのも不思議と言えば不思議だが、これぞ大衆食堂としての洋食キッチンのプライドだと思う。一度、豚汁を大盛りにしてもらってライスだけで食べる、豚汁定食みたいな注文をしてみたいが、きっとその時はカレールー別添えにしてしまうのに違いないから、無駄な抵抗だな。

街を歩く

唐揚げや改め蕎麦屋へ業態転換?

自宅近くのスーパーに買い物に行く途中で気がついたノボリに、なんだかあれこれ考えさせられた。この店は今や風前の灯的な、業態全体が衰亡してきている「唐揚げ専門店」だ。コロナのお手軽テイクアウト、宅配需要を受けて急成長した唐揚げ屋が、これまた急速に閉店しているのは、やはり「専門性」に欠けるありふれた味だったことと、鶏肉の値上がりを価格転嫁できないことに尽きるのだと思う。
甘とろから揚げ丼という商品は、なんとなく理解できる。唐揚げ定食の簡易版として「唐揚げ丼」がメニューにあり、そのソースバリエーションであれば「甘とろ」はアリだと思う。ただ、豚カツとカツ丼の関係が、鶏唐揚げと唐揚げ丼で成立するかと言えば、それは無理線だろう。
物性的には、トンカツが平面的な比較的薄い食べ物であるのに対し、唐揚げは球状に近い厚みのある食べ物だ。カツ丼はタレや卵とカツが絡みやすいから、白飯とのバランスが良い。簡単に言うと米とカツが同時に口の中に入る。
唐揚げを丼にすると、肉の厚みのせいで、このコメと唐揚げの一体感が作りずらい。唐揚げをひとかじりし、続いてコメを別途投入するという2段階工程になる。それをカツ丼のように、一工程で対応するとして「薄い唐揚げ」にする手はあるが、ビジュアル的にはボリューム感がなくなり厳しい。そもそも、薄い唐揚げとチキンカツの違いが微妙で、唐揚げ丼ではなくチキンカツ丼になるのではないか。唐揚げがらみであれこれ考えてしまった。
それ以上にびっくりしたのが、つけ汁蕎麦のノボリだった。唐揚げ屋から蕎麦屋に業態転換したのかと思ったほどだ。

あまりに気になって店舗の入り口まで確かめに行ったが、まだ唐揚げ屋だった。ただ、入り口脇のバナーは蕎麦になっていて、どこかで聞いたような「野菜マシマシ」なつけ蕎麦らしい。おまけに唐揚げがついているとは言え、つけ蕎麦で1000円越え(税込)とは、これまた腰が抜けるほどびっくりした。唐揚げ定食の値段を考えると、ちょっとぼったくり価格的にも見えてしまう。
蕎麦を提供するには専用の機器や什器を入れなければコストダウンは厳しい。既存の厨房を使い回し、無理やり冷凍麺を導入してなんとかメニューを広げようとしても、オペレーション的には想像以上の膨大な負荷がかかるはずだ。
以前に客席から覗き見たこの唐揚げ店の厨房(オープンキッチンなのでかなり良く中まで見える)は、よくできたコンパクトなものだった。あの中のどこに麺のラインを入れたのだろう。おそらく、冷凍麺のコストをオペレーションで吸収しきれなかったから、この値付けになってしまったのだと思うが、やはり無理があるような気がする。
そんな無理をしなければならないほど、「からあげ業態」が悪化しているのか。だとすると、このチェーンでは主力のファミレス業態を唐揚げとのWブランド化しているのも、もはや得策ではないだろう。コロナの後遺症は中小規模の飲食店より大チェーンの方が厳しいようで、このままでは年末に向けて大規模合併が起きそうだな、などとまるで他人事のような感想を持っております。いや、たしかに他人事なんですけどね。