街を歩く

時代の終わり感がする

自宅近くにあるサンダルで行けるパルコが閉店する。すでに開店から40年が経過して、耐震補強工事の投資に耐えられないそうだ。すでに西武セゾングループから離れたパルコは某百貨店グループの傘下にあり、全国あちこちで閉店が続いている。
自宅のある街は西武グループの本拠地であり、駅前には西武百貨店、隣駅には最大規模の西友、そしてパルコを展開する巨大な商業集積地であり企業城下町だった。
おまけにライオンズ球場もある。西武グループが健在であれば、今頃はサッカースタジアムまで建設されていたのではないか。(多分、大宮からのチーム移動になったとおもっている)

見た目には老朽化したような気配は全くない。低層型2棟の複合ビル施設なので、5階建と今時の商業ビルではめずらしく高さがない。エスカレーターと2棟の連絡通路で行き来すれば、動き回りやすい。
流石に古いこともありバリアフリー対応(ドアの開閉など)は修正が必要なだと思うが、それでもまだまだ現役でいけそうな気がする。駐車場の不足が最大の課題だろう。

アトリウムで繋がれた2棟の施設 左がパルコ 右がレッツと名付けられているのが大店法の名残だ

地元ではパルコ閉店後の商業施設をどうするかで、パルコ継続の請願もあるようだが、関西系の百貨店グループでは、そんな緩い対応はしないだろう。西武百貨店売却で多少世間の注目を集めているIYグループほど問題化しているわけでもない。駅前にあった百貨店もすでにショッピングモールに変容している。
ダイエー対西武セゾンの大激突地であった面影はすでにない。そもそもダイエー自体がほぼ消滅しているし、西武流通系は切り売りされて西武DNAのかけらも残っていない。(ファミマ、西友、西武百貨店、パルコ、カーサーすでに全部売却済みだ)

来年2月に閉まるので、あれこれとバイバイ・イベントが行われるらしい。先週には、町内会の秋祭りでその第一弾が始まったようだ。ありがとうで送られる施設は本望をまっとうしたと言えるのだろうか。西武セゾングループの怨念みたいなものも感じてしまうが。
ライオンズが優勝すると町中でお祝いがはじまり、お祭り騒ぎだったのは、昭和の終わりの頃だった。とりあえずパルコの中にあった書店がなくなると、かなり不便なことになると思っていたが、パルコ向かいにあった某T系書店の閉店後に新しく書店が開店してホッとした。これも街の新陳代謝だと思うが、何やらちょっと寂しいぞ。

街を歩く

熱海駅の風景と学び

熱海の駅の降りたのは十年ぶりくらいだろうか。ただ、熱海に遊びに来たことはない。いつも会社の用事で来ていた。温泉街のそぞろ歩きみたいな体験は一度もない。たまたま、時間がちょっとあったので、熱海駅前を観光客のふりをして歩き回ってみた。
予想していた外国人観光客は思いのほか少ない。温泉が目当てであれば、山の中にある秘境温泉みたいなところの方が、外国人ウケしそうな気もする。熱海の駅前商店街で目立ったのは、高齢者カップル(いかにもという感じがする)と若い女性の二人組だった。
平日の午後だというのに、やたら人がいるのは流石に日本屈指の温泉地だ。が、熱海には海岸で銅像を見る以外に何か見ものがあっただろうか。それが気になる。

これまで何度か熱海に来ていながら、全く気づいていなかった駅前の展示品、軽便鉄道の機関車を見つけた。あまりの小ささに実物だとは思わなかった。鉄オタ的な芸術家が作った立体アートだろうと誤解してしまった。
こんな小さな機関車で、客車や貨物車を引いていたのかと感心した。D51あたりの大型機関車と比べると大人と子供の違いがある。今でば、蒸気機関車というとどこかの公園などに放置されているのがほとんどだろう。動態保存されている車両は、一部の私鉄で運行されている蒸気機関車がほとんどだ。あとは、鉄道博物館に残るくらいだろうか。
ただ、蒸気機関車の走る姿はまさに勇姿だ。煙と蒸気をたなびかせ爆走する。電気で走る列車とは異なる、単純な「力」を感じる。できればこの小さい機関車も復活させてくれないものだろうか。

テレビの鉄オタ番組(?)を見ていると、まだ全国各地に保存されている動かない機関車は多い。ゼロから再生するのは難しいだろうが、部品の再製造、ワンオフでの製作くらいはできるだろう。
こんなことにこそクラウドファンディングが活用されないものだろうか。九州のとある町では、「震電」の復元もクラウドファンディングで行われた。全国の地域おこしグループの方々には、ぜひ再考をお願いしたい。蒸気機関車で町おこしだ。
人気の出ない名産品(特に食べ物系)を開発する前に、人の心を惹きつける動くオブジェクトを作り出すことは重要だと思うのですよね。

街を歩く, 食べ物レポート

町角の風景とオムライス

所要があり恵比寿に行った。昼飯を食べようとアチコチ歩いて回ったが、あいにく昼のピークにあたっていて、お目当ての店はどこも満員だった。30分ほど経てばガラッと空くのは分かっていたが、何せ気温が高すぎる。結局、待つのも諦め、空いている店を探すのも放棄して、新宿に逃げ出すことにした。
その時にたまたま見かけた看板がこれだ。飲めばわかる最強炭酸とは、確かにその通りだ。飲まなければ、最強であるかどうかもわからないが。なんとも意味不明な引き文句でもあるし、少し中身をきちんと読んでみようと足を止めて看板をしっかり隅から隅まで見た。(暑いのに……………)
いくつか気がついたが、一番の衝撃というか困惑というか、おやまあこれは困ったなと思ったのが、ハイボールに使うウイスキーが今や最低ランクになっているということだ。
確か十年くらい前から始まったハイボールブームは、「角」推しだった。最近ではすっかり見かけなくなったが、綺麗なお姉さんが「いかが?」と蠱惑的に勧めてくるCMがブームのきっかけだったように記憶している。そして、その上級バージョンが「山崎」だった。
それが今では(価格は安いとは言え)、トリス級が定番になっている。ハイボールブームのおかげで、たっぷりあった(余剰在庫化していた)ウイスキー原種がすっかりなくなってしまったという話は聞いたことがある。
確かに原種不足で竹鶴のブレンドが変わったとか、山崎がほとんど出荷されず、裏ルートで売られているとかいないとか、ちらほらとその手の噂は聞いているが。最早、角ハイボールも普及品扱いではなくなったのか。なんだかショックだなあ。

ショックによろめきながら新宿まで行って、よく行く洋食屋でオムライスを食べることにした。ついでにハイボールもい一杯注文しようかと思ったのだが。
ここでも吃驚体験が待っていた。なんと午後1時近いのに満席ですわれないのだった。外国人観光客もいた。コロナの間は、ランチタイムでも客が5人しかいない………みたいな悲惨な状況の時もあった。それが、なんと席待ちになるまで復活した。めでたしと喜ぶべきだろう。
昼でこの混雑ぶりだとすると、夜は予約なしでは入れないのかもしれない。街を歩く人を見ても、2ー3割は外国人観光客みたいだし、ひょっとするとこの「オムライス」が世界的に有名になるのかもしれない。今のうちに食べておかないと、この先は1時間待ちの行列が……………と心配するような事態になるかも。でも、それは嫌だなあ。
自分の大事な場所は繁盛はしてほしいが、あまり有名になってほしくないという、矛盾した気持ちがあるので。
でも、客が入らず店が潰れてしまうのはもっと困る。しばらくせっせと通うことにしようと思いました。

街を歩く, 旅をする

新潟平野で駅前のイオン

城巡りの後、西新発田駅前のイオンでバスを降りた。以前に秋田から新潟に移動する各駅停車の旅をしている時に、このイオンショッピングモールが気になっていたからだ。
駅から見ると普通の郊外型ショッピングモールだが、とにかく「駅前」にある。地図で見ても駅併設型に見える。最近はイオンの主流になった感がある立地だ。
埼玉の巨艦店である越谷レイクタウン店に似た立地だと思うが、越谷店は周りに新興住宅地を配置しながらの住宅地立地だ。この店はどんな感じになるのか興味があった。

答えは意外と簡単に出てしまった。イオンの前にある駅は無人駅だった。乗降客数は決して多くないということだろう。イオンに着くまで乗ってきたコミュニティーバスの経路沿いには新築の住宅地が広がっていたので、新発田市では西新発田駅周辺が現在進行形で開発されている新興住宅地ということらしい。
しかし、駅前立地というのには無理がありそうだ。無人駅の前は、決して繁華街には当たらないだろう。

駅の向こうにには、見える限り、つまり山の端まで田んぼが続く。周りは全部田んぼだった。さすが米どころ新潟という風景だ。全国のあちこちにあるイオンショッピングモールの周りは、まさにこういう光景なのでようやく納得した。やはり、当初のコンセプト、インターチェンジ近くで狐と狸が出没する場所に店を出すのだというイオンの出店原則は守られているらしい。
たまたまこの場所には、駅があったということなのだ。駅があるから出店したのではないと思う。

イオンのモールがあることは忘れて、ホームから新潟方面を見ると、ここが新潟市の衛星都市、郊外住宅地に当たるとは全く思えない。ただ、イオンモールの中は夏の暑さを逃れて涼みにくる人で溢れていた。
今の日本では典型的な姿なのかもしれない。古き良き時代の駅前商店街はシャッター街として寂れてしまい、ショッピングモールの中が人工的な商店街になっている。ただ、モールの中には駅前で商売を営んでいた店はほとんど見当たらないようだけれど。
モールの中で一番混んでいたのがサイゼリヤだった。妙に印象的だが、日本全国で同じ光景が見られる。サイゼリヤは国民の支持を得ていると言い切って良さそうだ。地元のレストランでは勝てないという、リアルな世界を見せつけられた感じがする。

街を歩く, 旅をする

会津若松市街 中心部で思う

会津若松市では市役所が改修工事中だった。工事の囲いの中に見える市役所はなんとも古風な味わいがある。あちこちで見かける高層ビル型市役所と比べると、実に風情がある。ただ、工事の案内板を見ていると、現在の市役所は複数のビルに点在しているようで、それはそれで市民にも職員にも不便なことだろう。それでも、大型ビルを建てて一元化しないのは、やはり歴史的建造物に対する思いなのだろうか。きっと会津若松は良い街なのだ。

市役所の周りは、これもお定まりの飲み屋街が出来上がっているが、その外れになんとも華麗なデザインのビルがあった。ギャラリーといわれれば「なるほどな」と思う端正なものだった。おまけに、絵画と茶道具の看板など、お江戸でも見かけることは少ない。それが、市内のメインストリートにある。文化の香りがする。

大きな市民会館やホールがあるのが文化都市かというと、ちょっと微妙な気がする。確かに、施設がなければ市内で上演・公演される機会もないだろう。ただ、一年のうちに何回、芝居やコンサートなどの公演が行われるか。稼働率と投資回収みたいな考えを入れれば、都市人口に見合った施設を建造する、所有するというのはなかなか難しいものだろう。おまけに建築後に運営費用を捻出するのも大変だ。
それと比べて、工芸品が製造販売され、それを地域が支えるような活動は、もう少し地に足がついた文化活動のような気がする。

市役所近くの繁華街だったであろう商店街は、雪除けであると思われる屋根付きアーケードになっていた。ただし、残念ながら午後6時の時点でほぼ全店が営業終了している。あるいは、すでに閉店した後のようだった。見る限りではシャッター通りになっているようだった。

地方都市であれば、商店街の歩道には所狭しと自転車が停めてあるものだが、この場では自転車の数も少ない。核になる商業施設が足りないのか、夜には人が集まる文化施設が足りないのか。いや、おそらくそういう施設は自動車で郊外に行けばたくさんあるのだろう。市内中心部が人の集まる適地ではなくなっているだけだ。
特に冬の降雪が多い時期は、市内の狭い道、駐車場が少ない場所は、やはり不便なのだ。当然ながら、郊外に逃げた客が、夏になると街中に人が戻ってくるはずもない。会津若松は規模の大きい街だけに、中心部のさびれ具合が目立つ。が、人の活気がなくなったはずはないので、どこか街外れのショッピングモール辺りで映画を見たり、ご飯を食べたり、ダンススクールにかよったりしているのだと思うのだが。

そんなことを思いながら、少し気温が下がった会津若松の街中を歩いていた。この後に食べるつもりだった、会津ソースカツ丼の店は6時半に閉店していた。街をぶらぶら歩き回らずにさっさとその「食堂」に行っていればよかった、と後悔する羽目になった。夕方にしたお散歩の残念な結末だった。
教訓、旅先の街ではお目当ての店が閉まる時間を確認しておこう。閉店時間が早すぎることを念頭に活動しましょう。

街を歩く, 旅をする

会津の街並みに感動した

会津の街で中心部は「お城」と言いたくなるが、お城周りは住宅地が広がる場所で、商業集積地としては市役所の周りになるはずだ。ただ、全国の地方中核都市共通の課題で、市役所の周りはすでに空洞化し商店街は虫食い状態になり、潰れた店の跡地が駐車場になるという、かなり無惨な光景が広がる。
これは、日本全国の県庁所在地で起こっている事態なので、福島県会津若松市だけの問題ではない。街中に繁華街が生き残っているのは、人口が50万人を超える大都市、あるいは政令都市くらいだろう。
北海道では札幌以外すでに全滅。東北でも仙台を除けばやはり全滅。北関東三県はギリギリ生き残り。中部では新潟と静岡、金沢以外の街はやはり厳しい。中国四国では広島、松山、高松はまだ繁華街が残っているが、それ以外の街では似たような寂しさだ。九州では福岡、熊本が別格として、鹿児島がちょっと元気なくらいだろう。
旧城下町は、どこも同じように街の空洞化、郊外化が進みきっている。アメリカでは1950年代に起こったことだが、日本では30年遅れで一気に進んだ。
ところが、そんな寂れた街の中でも元気な店や場所はあるものだ。このビルの名前は、まさに元気の塊みたいな感じがする。どうやら、会津若松市の市役所近くでは、まだまだ威勢の良い人・企業が頑張っているらしいのだ。

街頭にある看板も、なかなか威勢が良いではないか。酒蔵の多い会津地方だけに、まだまだ日本酒製造元の気合いが入っている。ただし、この名文句は間違って記憶していた。「東北に名酒あり」と思っていた。確かにうまい酒なので、脳内での誤変換が起きていたのだろう。思い込みとは怖いものだ。

交差点にある案内板だが、これはずいぶん低い位置にあるのが珍しい。普通に見かけるのは、頭の上の高い位置、道路標識などと同じような高さだから、この低い場所にあるのは、小学生向けかなと思ったが、ふりがななしの漢字だらけだから、そうでもないようだ。雪が多い地域だけに、こんな低い場所で雪に埋もれてしまわないか心配になる。冬の時期にも管理が行き届いているのだろうか。

戊辰戦争の後、会津が生んだ偉人としては、やはりこの方になるのだろうか。お札にもなったし、お医者さんだし、苦労して大成した「偉人」伝の主人公だから、こういう扱いも当然だろう。
しかし、「青春通り」という呼び名はちょっと気恥ずかしくないか。などと、意地悪な感想を持ちはしたが、この青春通りの周りには小体で粋な店が多いようだ。中でも感心したのが、生姜焼き専門店だった。
そもそも生姜焼きの専門店というのがすごい。大都会であるお江戸でも、生姜焼きは町中華屋や大衆食堂の人気メニューではあるが、専門店はほとんど見かけない。うっすらとした記憶で、銀座か神田のハズレのどこかでみたような気がする。生姜焼きが名物という店は多いが、専門店を名乗る店は希少だろう。
その生姜焼き専門店を会津で見つけて喜んでしまったのだが、暖簾の横にある案内に心が持って行かれた。「本日のBGM」とわざわざ書いてある。ジャズ喫茶であれば、こんな書き方もありそうだが、生姜焼きの店なのだ。音楽が主体のサービスではないだろう。
そして、それ以上にすごいのは、フューチャーされているアーティストが「あがた森魚」だということだ。このシンガーソングライターの名前を覚えている人は、もはや限りなく少ないだろう。昭和中期のかなり個性的なアーティストだ。おまけに、全作品がCD化されているのか気になる。自分の所有物をひっくり返してみたら、一枚だけベスト盤があった。おそらく一日中同じCDをかけっぱなしにすることはないだろうから、往年のレコード(LPアルバム)をかけるのだろう。
この店も、いつか必ず行ってみたい。その時の特集アーティストは、誰になるのだろうか。あがた森魚に匹敵するとしたら、下田逸郎や中山ラビ、及川恒平あたりか。元気な音楽であれば、甲斐バンドや世良公則、シャネルズといったバンドが聴けそうだが。
しかし、実に実に会津はすごいなあ。

街を歩く

只見線の旅

全国で赤字ローカル線は次々と廃線になっていくが、奇跡の復興を遂げた只見線にようやく乗って旅をした。水害で閉鎖される直前に往復の旅を考えていたが、残念ながらずいぶん長い間待たされた。

会津の山奥と新潟の山奥を繋ぐのだから、もともと乗降客数は少ない。通学に使う高校生が常連客という典型的なローカル線だ。乗降客ゼロの区間もあったそうだが、今年の夏は平日でもなかなかの客数らしい。
川沿いに走る線路は四季それぞれ美しさが変わるそうだ。次は晩秋の紅葉を見にきたいものだ。

街を歩く

暑い日の辛いラーメン 

京都のラーメン屋、2度目の挑戦に出かけた。この暑い時期だから冷たい麺でもと思っていたが、注文する時に気が変わった。暑い時には辛いもの、単純な発想だが、最近はどのラーメン屋でも定番化している辛味噌ラーメンでヒーハーするのも良いかなと。

ドロンとした赤いスープは何か怪しげな感じがする。細麺に濃いめのスープがまとわりつき、見た目は相当に赤い。ただ、一口食べてみると思いの外、辛くはない。あれっと思いながら、スルスルと食べてしまった。後から来る辛味なのかと思ったが、そうでもない。程よい辛さというより、軽めの辛さという感じだ.拍子抜けしてしまった。

濃厚なスープは辛さを抑えこむかもしれない。どこか他の店で辛い味噌ラーメン試してみよう。京都の辛いラーメンはちょっとお上品だった。

街を歩く

新宿駅東口から見える光景

アルタ前スクランブル交差点から新宿駅西口方向を見る

新宿駅東口、アルタ前交差点は、また昔の混雑ぶりが戻ってきた。コロナが落ち着いてきたこともあるだろうが、一番の原因はインバウンドと呼ばれる外国人観光客が戻ってきたことだ。街頭に流れる宣伝や警察からの呼びかけも増えているし、おまけに外国語の注意も流れている。
この近くにあった郊外型電気屋の大型店が閉店し、後釜に入ったのはスポーツ用品店だが、一階の主力商品がシューズというあたりがコロナの後始末という感じがする。スポーツ用品の稼ぎ頭だったはずのゴルフ用品は、もはやお荷物扱いらしい。シューズ、アパレルの上にあるのがキャンプ用品というのも、これまたアフターコロナ世界を象徴しているようだ。
そして、店内に流れる英語、チャイナ、コリアンのアナウンスが、明らかに世界はコロナ前に戻ったという感じにさせる。
その新宿駅東口前から西側を見ると、小田急百貨店の解体工事が始まっているのがわかる。あと2年もすると、ここに高層ビルが何棟かニョキニョキ生えてくるらしい。新宿駅西側はお江戸でも屈指の高層ビル地帯だが、集まってくる人の数も都内一多い場所なので、しばらくは観光名所になるのだろう。
そうなると、新高層ビルの北側に残る木造二階建ての横丁はどうなってしまうのだろうか。どう見ても昭和30年代で時間が止まってしまったような店が並ぶ怪しげな横丁だ。今では代替わりをしているらしいのだが、従業員は大陸系の出稼ぎ組が大半を占めている店も多い。
時代からそのまま取り残されているような場所だが、花園神社周辺の飲屋街と同じで、ボヤが起きると街の住人?が寄ってたかった火消しに来る「由緒正しき場所」なのだそうだ。地元民である友人がそう言っていた。火が出ると最初に飛んでくるのは、背中などにアートを仕込んだお兄さんたちらしい。昔からのトラブルシューターとして火消しと野次馬の整理などで大活躍するそうだ。
そんな伝統的な場所を取り壊して飲食ビルにするなど言い始めると、間違いなく騒動の元になる場所だと聞いた。都会に残された聖域?、アンタッチャブルな地域なのだ。

3年後に生まれる昭和と令和の同居地帯がちょっと楽しみだ。

街を歩く

気持ちが優先している広告

自宅近くにある居酒屋が15時からの営業開始で、昼過ぎには店頭にあれこれ広告物が並んでいる。通行人に訴える良い戦術だと思うのだが、あれこれ気になってしまった。
ブラックボードの使い方が、あまり上手ではない。簡単に言うと情報過多で、おまけにユニーク情報が足りない。要は「惹きつける言葉」「吸引力のあるワード」が足りないのだ。
これはポスターなどを作る時にもよく起きることだが。制作者の視点で言えば随分大きな文字で目立っているつもりであれこれ書いてしまう。ところが、実際に掲示すると「字の大きさ」はあまりに小さい。離れたところから読みにくい。だから、読む気にならず素通りされてしまう。
このブラックボードをよく見ると、そのたくさん言いたいことがあるんだ、と言う気持ちが溢れているのはわかる。ただ、気持ちが空回りしているのも間違いなさそうだ。

少なくともメニューは三点に絞り、「おすすめの理由」をはっきり書くことだ。字の大きさは、倍以上にする必要がある。価格情報はもっとも大きくなければいけない。ついでに言えば、店内で見るテーブルメニューとは目的が異なるので、全品税込価格と一文を最上段か最下段に書けば、全体の見栄えは良くなるはずだ。
売るための創意工夫をする店長は、必ず将来的に良い店長になるはずだ。(過去の経験から)ただ、その努力を良い方向に育て上げるのは、企業の力量であり、社長の能力であるとも思う。この店を運営する会社の社長さん、一度現場を見にいってあげてほしいなあ。
外食企業は製造販売一体型の商売なので、製造部門、つまり作ったものが「美味しい」のは重要だが、販売部門として「上手な売り方」も学ぶべき必要な技術だろう。そこが、あやふやなまま多店舗化すると、現場の苦労が増えるのだよねえ。