街を歩く

久しぶりの狸小路散歩

誰でもわかる立体感版

桜の季節にはまだ早い札幌で、外国人観光客が溢れると思っていた狸小路ががら空きだった。どうも、インバウンドな観光客は桜を求めて南下しているらしい。街の中が静かでありがたい。
以前も書いたことだが、札幌駅周辺が新幹線乗り入れのための改良工事と称して大閉店している。昼も夜も飲食店が超満員だ。そこから玉突きで狸小路界隈まで外国人観光客がうろついているのだが、英語メニューなど置きもしない「堅物」店舗も多いので、ちょっと渋めの店だと外国人がいない(入れない)ことも多い。
オーバーツーリズムに関して、現場の意見を拾うメディアは少ないが、店主からは基本的に歓迎勧される。単純に客数が増えるからで客に日本人も外国人も関係ない。払ってくれる金が円である限りだが。
マナーや接客の面倒から、現場の従業員は否定的な意見が多い。要は、面倒臭い客で、たまにキレてくる厄介者が多いからだろう。できることであれば「日本人限定」と張り出したいくらいの肌感覚の従業員も多いようだ。経営者と従業員の意識ギャップを放置して置けるほど、飲食業は人手が足りているとは思えないのだが。
狸小路を歩きながらそんなことを考えていた。たまたまなのか、何とびっくりな立て看板を見つけた。日本人向けではないらしい。日本語は僅少だった。何というか、中途半端な……………
個人的にはこの店には入りたくないぞ。とも思わせる不思議看板だった。

カフェといえば、その近くには最近閉店してしまった老舗のクラシック喫茶、名曲喫茶店があったのだが、音楽系の喫茶店として再興したらしい。名前が何だか微妙な感じもするが。六本木にあるかの有名店と……………関係はないよなあ。以前の名曲喫茶時代の音響システムが残っているのなら、一度行く価値はある。ここは、日本人以外配送もないと思うのだが。

エスニック系食堂といえば良いのか、コロナの間に開いた店が模様替えをしていた。確か最初はタイ料理の店だったような記憶があるが、ベトナム料理の店だったかもしれない。コロナの間は一度も開店しているのをみたことがなかったせいだ。
どうもタイ+ベトナムで再調整するようだ。タイとベトナムは隣同士の国だが、料理は微妙に違っているような気もする。大丈夫だろうかと思うが、そこはエイヤっと乗り越えるのだろうか。東南アジア的エトスで健闘を祈る。ただ、この店はどうみても日本人向けの気がする。

昔アルバイトをしている時に、よくお使いで買い出しに行かされた「市場」だが、当時も市内繁華街では食料品店がなくなっていて、貴重な買い物場所だった。その市場がどんどん変わっていった。肉屋がなくなり、そこが蕎麦屋になり、八百屋が消えた後はおでん屋になる。みたいな変化を続けて、今では個性的な居酒屋、食堂が並ぶ飲み屋横丁に変化してしまった。
ここもコロナの間は死んだふりをしていたようだが、今ではふらっと入るのも難しい人気店になっている。狸小路のあちこちが似たような変化を起こしているが、街が生まれ変わるにはどうやら30年くらいかかるらしい。

確か夏祭りにはライブ演奏ステージになっていた空き地が、ついに正式に「空き地」になったらしい。札幌都心部では珍しいまとまった広さの土地だが、狸小路はすでに大量のホテルが出来上がっているので、この場所がどうなるか興味深い。少し中心部からは外れているので(400mほど)、下北沢の芝居小屋集合体、小さめのライブスペース複合体みたいなものができないかなと思う。

鳴物入りで開いたススキノ角のビル、狸小路駅前通り角のビル、どちらも驚くほどつまらないビル、商業施設になった。どうも、この街の商業施設デザイナーたちはもう少しお勉強が必要なのではないか。
狸小路の活用は、全国的に見ても都心部再生として面白いプロジェクトだと思うのだが。ビルを建てるのではなく、その場所を活用して人を集める、楽しませる空間づくりとしてプロデュースする。そんな感じだろうか。やはり天才が必要なのだろうね。

街を歩く

三軒 並んで身内合戦

札幌狸小路4丁目、それなりに人通りは多い場所だが、そこに山岡家が三軒並べて店を作った。もともとのオリジナル山岡家は札幌で豚骨ラーメンを広めた立役者で市内の各地に店舗がある。知名度も高い。
その山岡家が、冬の間にゴソゴソと工事をしていた店は隣にある味噌ラーメンの店になった。隣のテナントが空いたから拡張してみました的な、小ぶりな店だった。開店したら行ってみようかと思って工事を見ていたのだが、すでにしっかりと客が入っていた。人気店になったらしい。
ところが、何とその隣にもう一つ違う店が開いていた。煮干しラーメンの山岡家だ。看板もトレードマークの赤地ではない、白黒バージョンだ。確かに、世の中には魚介スープ+豚骨スープのW仕立てラーメン屋は多い。それをやってみたくなったのだろうか。しかし、わざわざ別系統のブランドを立ち上げる必要があるのだろうかとは思う。それも並べて建てるとは……………

この光景はなかなかすごいものがあるなあ。牛飯松屋ととんかつ松屋が並んでいるのはたまに見かける。しかし、この3軒並びというのは吉野家とすき家と松屋が並んでいるのよりインパクトがある。

なんか好きだなあ。次回は、順番に試してみよう。

街を歩く

歴史的建造物の使い道

旧門司港税関を博物館として再利用していた。この国は先の大戦であちこちの街が焼かれ失われた歴史的建造物は多い。昭和の戦後時代、復興の名の下にやたら安っぽい新築物件を濫造したせいで、そもそも歴史的に存在できるような建物がなくなってしまった。東京駅前にある中央郵便局の建て替え騒動を思い出せは、歴史的建造物を保存しようとすると膨大なエネルギーが必要とされる。政治的なパワーまで発揮しなければ止まらないこともある。
まあ、その逆のケースとして、みんながやめようと言っているオリンピックを強行してクビになる首相もいるし、そのオリンピック施設の恒久利用を約束していた都知事も、維持条件が厳しすぎて追及を受ける羽目になっている。まあ、いくらいじめられても逆ギレするか、🙈こと言いましたっけととぼけるだけだからなんの効果もないのかもしれないが。
同じように、もうやめようと言われると意地になって強行開催しようとする万博推進知事もいるし。東西二大自治体首長が、シンクロしたようにあほまる出しの政策推進をするとは、この国の先が知れる。首相も馬鹿なら知事たちはもっと阿呆なのだ。
馬鹿なイベントやら建物ばかり作るのであれば、せめて歴史的建造物の活用くらいしっかりやってくれと言いたくなるのも無理はないだろう。その稀有なモデルが旧門司港税関ビルだと思う。

建物の中にくどくどとした展示物はほとんどない。屋根まで吹き抜けの空間を楽しむだけの施設だ。これが良い。採光と照明のバランスが考えられているのだろう。おそらく夜に来るとまた違った印象があるはずだ。久しぶりに良いものを見せてもらった。

それでもスポンサーである「税関」のアピールも多少なりとはしたいようで、隅っこの方にこじんまりとした展示があった。官製ゆるキャラもいるに入るのだが、これはどこかでみた記憶が……………いや、官製なのだ。違法コピーというはずがない。他人の空似だろう。ただ、名前がカスタム君とある。税関だからカスタムなのか、税関向けに「カスタム」したせいで、他人の空似状態になったのか?
ちなみに、一気にリアルになってしまうのが押収した不正コピー品(偽ブランドもの)の実物展示で、これはもっと別のところで晒し者にしたほうが良いような気もするが。

街を歩く, 旅をする

まさにレトロなステーション

下関から連絡船で海峡を渡った。船を降りた先に門司駅がある。JR鹿児島本線の始発駅だ。下関まで伸びていた山陽本線から繋がる九州の大幹線がここから始まる。現在のJR新幹線網と高速道路の配置で日本の地理をついつい考えがちだが、実は古代日本から連綿と近代まで続いた幹線道路、幹線経路は今とはずいぶん異なっている。
日本最大の幹線経路は間違いなく瀬戸内海海運で、それに続くのが日本海を北上する北前ルートだろう。現在の東海道も歩いて移動するために使われていたが、物資輸送はもっぱら太平洋沿岸を伝う海上ルートで、これが意外と細いものだった。瀬戸内海雲の拠点である門司下関は海上ルートの一台拠点だったのだから、そこから鉄道が陸路に伸びたのは当然のことだっただろう。
お江戸で言えば東京駅みたいな由緒ただしきターミナル駅だ。

鉄道の起点駅のホームはいつ見ても感じ入ってしまう。海の道につながるターミナル駅としては高松駅も昔は似たような感じがあった。今では随分と変わってしまっているが。青森駅も青函連絡船が通っていた時代は、港と駅のホームが直結する昔ながらの駅だった。
それでも、港直結型駅としてはやはりこの門司港の駅が最も優雅だろう。四国や北海道に渡るのは内国ルートだが、門司や下関は国際港だ。江戸末期に出来上がった、いわば成り上がり者の神戸や横浜とは格が違う。古代日本から続く伝統と栄光の港なのだ。その片鱗が駅のホームにも見られる。

駅舎内は今ではきれいに再整備されてほとんど美術館のようなものだが、みどりの窓口は現役の施設だった。JRグループの中で独立独歩なスタイルを貫くJR九州らしい、自ら観光地を作り上げるという意志が感じられる。
ちなみにJR東は東京、首都圏の通勤客が払う金の再配分、JR西は関西圏の通勤客運賃の再配分では金が足りず、ローカル線を徹底的に縮小の方向。JR四国と北海道は、あとはJRグループ東西に吸収されるのを待つばかりなのだが、どちらの会社も上場企業なので赤字会社の吸収合併には及び腰だし、再建プランも持っていないだろう。JR東海は東海道新幹線の上りで食べているだけだし、本来切り捨てるはずのローカルが少ないので我が道を行ける。

そんなJR各社の経営方針の違い、事業戦略の差は歴然としているのだが、JR九州が一番鉄道事業、つまり本来の運輸事業から離れようとしているように見える。首都圏や関西圏で通勤客用の住宅地供給を主力に路線経営を進めた東急グループや阪急グループと似た、鉄道+不動産業+生活産業による総合収益事業を目指しているように見える。

博多駅や鹿児島中央駅の取り組みを見れば、そのあたりはあきらかだ。おまけに子会社は九州だけでなく東京でも支店(レストラン)を出店して広域営業活動をしている。それも駅の外だ。
東京駅や大阪駅の改装後の姿を見れば、JR九州との違いは明らかだ。鉄オタとしてはその辺りがちょっと嬉しい。ちなみにこれは撮り鉄や乗り鉄から派生した、事業鉄とでもいうべき分野で変わった楽しみ方だろうな。これを楽しむものは極めてレアだと思うけれど。

街を歩く

NYT おすすめのリアル

どこかでみたようなカラーリングの車体は山陽本線の列車だ。広島から岩国まではそれなりの本数が走っている。大都市圏の通勤列車だ。編成車両数も多い。ただ、この色は妙に懐かしい感じがする。今でも多少は走っている西武線の旧式車両と同じ色に見えるせいだ。
だが、同じ電車が岩国から先はほとんどローカル線扱になる。運行頻度は激減して、一時間に一本しか走らない。思い返せば、仙台を過ぎた東北本線も似たようなものだから、JRの都市近郊線以外はみんなこの程度の運行形態なのだろう。奥羽本線はもっとひどかった。
もはや鉄道は地域の主要交通網とは言えない。運転が出来ない交通弱者の限定利用しか考えられていない。すでに長距離移動は新幹線、そこから短距離移動は自動車でという分業も成り立ってはいるのだが。短距離移動用のローカルバスは、ほとんど病院に通う老人向けという扱いだ。
つまり、田舎町を旅行する者にとって、今や日本は結構不便な国になっている。すでにアメリカのように、飛行機で移動した後はレンターカーでという世界になってしまった。
世間に溢れるインバウンド客は流石にこのローカル線には乗っていないだろうと思っていたが、しっかりと数組乗り込んでいた。面白いことに西に進むにつれて、インバウンド客の人種が変わる。近さもあるのだろうが、半島からの旅行者が目立ってくる。もう一つの気づきだが、アジア系旅行者は車内でもうるさい。欧米系、インド系と思われる旅行者は大概がおとなしい。東南アジア系の集団も人数が多くなればうるさくなる。国民性なのか、乗車時のマナーが国によって違うのかはわからない。コロナの時と同じように、いきなり電車の中で殴りかかる暴力ジジイが出現しそうな雰囲気だ。飛行機で来れば東京も大阪も福岡もほぼ変わらないだろうに。なぜ、西にくると旅行者の構成が変わるのか、この辺りが実に不思議だ。

岩国での新発見は、コンビニで見つけたヨーカンパンだ。初めてみるタイプだが、高知の宿毛で作られているものに似ている。味付けはそれなりに甘い。一度、某ケンミンショーでヨーカンパン特集でもしてくれないものだろうか。

いや、某公営放送でブラ◯モリの後継番組として、珍しい食べ物行脚を仕込んでもらっても良いのだが。商品名が出せないから無理か。

延々とローカル線を乗り継ぎ、山口県県庁所在地に初めて辿り着いた。これで、日本47都道府県全ての県庁所在地を踏破したことになる。47都道府県全部に足を踏み入れたのは随分前のことだが、福井市と山口市は47都道府県達成後も行く機会がなかった。個人的な感覚で言えば、山口市は鹿児島市より遠い。そもそも元・長州には本当に来る用事がなかったせいだろう。初めて山口県で訪れた場所は大島にあるジャム屋で視察だった。福井市に行ったのは恐竜博物館を見に行くついでだったが、山口市にはついでに寄る場所もなかった。

西国武士が全盛を極めたのは平安末期から平氏勃興の時期だろう。その後、東国武士に擁立された反乱軍が、平家と共に西国武士連合を蹂躙し、しばらく軍事政権は東国にとどまった。都落ちした初代将軍は、よほど京が嫌いだったのだろうし、西国武士集団を恐れていたのだ。その後を継いだ東国武士団の首領も東国の田舎出身でありながら、一度負けた内乱を西国武士の支援を受けて制した。そのため、本拠地を京に移した。これが失敗だったのは脆弱で短命な政権だったことで証明済みだ。
それでも一時期は勢力を強め、東西で二政府体制をとった室町政権が急速に弱小化する。それにつれ、東国政権による支配から頚城を解かれた西国武士団は、大規模な地方軍閥状態を迎える。東国武士が鎌倉以来の正統性であれこれ諍いをしているうちに、西国武士集団は実力本位の争いと統合を仕掛けていた。

ただ、それも最後は東国をまとめ上げた徳川政権に臣従することになる。西国武士雌伏の時期は、また300年近く続くことになる。なぜ武家政治が続いた1000年近くの間、西国武士が東国武士に従えられていたのか、その理由を考えると面白い。おそらく要因は西国農業の生産性が東国と比べて高かったことにあると思う。中世から近代にかけて東国は常に貧乏地方だった。そのために、金の持っている西国を略奪するしかなかった。
小京都を作った大内氏のように栄華を極めた豪族は、東国の歴史を眺めてみても奥州藤原氏くらいしかいない。関東以北で強大な軍事政権ができなかったのは、戦争を続けるだけの資金を持てなかったせいだろう。
国というものは金がないと凶暴化する。いつの時代も、それこそ今の時代でも同じことで、ユーラシアの西で起きている戦争も同じ構造だ。貧乏が嫌になった国が、自分より先に金持ちになりそうな国に強奪を働く。金目当ての戦争に正義などあるはずもない。

ところが、比較的金持ち揃いだった中世日本の西国では、そんな弱肉強食的思想を持つ大名が少なかった?ようで、西国武士は文化的であったのかもしれない。

ニューヨークタイムズでおすすめの観光地指定された山口でそんなことを思っていた。しかし、この街、観光地にするならもっとあれこれ改善しないと悪評が立ちまくりそうだ。
少なくとも、JRの駅に早くコインロッカー整備してくれないか。県庁所在地の駅でコインロッカーないなんて見たことないぞ。駅前にタクシーもいないし。バスは一時間に一本やってくるみたい超間引き運転だ。せめて観光資源のある県庁付近までシャトルバス運行くらいしてくれよ、と言いたい。

うーん、やはり金持ちのお殿様の血を引く気性ののんびりした一族が多いのだな、きっと。

街を歩く

再建された城を見て思うこと

広島城は、広島の中心部繁華街から歩いて15分くらいの場所にある。この街は原子爆弾の投下により一面の焼け野原になった。当然そのときに、市内にあるほぼすべての建物が消失した。なんとか外観をとどめているものが原爆ドームとして残されている程度だろう。城も当然ながらなくなり、戦後再建された。
広島は近くに帝国海軍の拠点もあり、いわゆる軍都だった。原子爆弾投下の候補地はいくつかあったようだが、概ね軍事施設、あるいは兵器製造施設が目標になっていたようだ。
すでに、東京、大阪、名古屋といった大都市は爆撃機集団に蹂躙されていた。この時点で日本は経済的に継戦能力を失っていたし、人的資源も枯渇していた。そもそも陸軍200師団、つまり200万人の陸軍兵士にタダ飯を食わせるのだから、国力が持つはずがない。現代でもいきなりホームレスが200万人生まれたら社会保障政策は破綻する。

普通に考えてみるとわかるが、原子爆弾投下に至ったのは当時の政権がいかに無能であったか、あるいは現実逃避していたのが明らかだ。結局、二発の原子爆弾投下により継戦派の反対を食い止め、玉音放送で終戦した。
明治政府という戊辰戦争なる暴力革命により産み出された鬼子が、80年余り暴走した挙句に潰えた。鬼子が滅んだ後、つまり戦後になってその亡国集団が、われわれは国を想って行動したなどとほざけるほどの平和の社会になった。ようやくそんな時代が来て城は再建された。全国各地にある再建城をみるたびにそんなことを思う。

再建城の中は歴史博物館的に整備されていることが多い。ただ、再建の時期によっては中の展示物が鼻持ちならない「護国」思想や過去賛美になっていることもあり、基本的に展示を見る気にならない。
この日も入り口だけでおしまいにした。アートならアート、歴史遺産としてなら一方的な被害者史観を廃し事実の展示にして欲しいものだが。

広島城の中に神社があった。広島城は山陽道の要所に作られた防衛拠点であり、また威を誇る大きな平城だった。だから残された敷地の中に神社が置かれているのは納得できる。古代日本では大陸から九州経由で文物が流れる、瀬戸内高速流通網の拠点でもあった地だ。当然、大物の神様が配置されたはずだが、よく考えるとちょっと西に西国最強とも言える厳島神社があるからなあ。この神社の立ち位置はちょっと微妙かもしれない・

広い場内を一周して繁華街に戻ると軽く汗ばむくらいの距離を歩いたことになる。やはりお城の跡地は、ウォーキングやジョギングなどで平和に活用されるのが一番よろしいようだ。

街を歩く, 食べ物レポート

駅地下人工横丁の驚異

徳島駅の地下にある居酒屋横丁的な施設が、何とも中途半端というか難しい営業をしている。観光客からすれば駅ビル地下に地元の名物料理屋があれば実に便利だ。しかし、近くのオフィスから来る地元客からすると、全国チェーン店でも問題はないだろうし、その方が喜ばれるのかもしれない。たとえば、大都市からの旅行者にとってシアトル系コーヒー店はありふれた街の光景だが、地方都市で言えばまだまだ「目立つための場所」なのだ。
確かに一階は観光客と地元客のミックス需要に対応して、土産物菓子屋とシアトルコーヒー店とファッション関係が雑居していた。

どうも自分の勝手な見立てだが、新幹線駅がある県庁所在地は地域の中核商業地になっている。広域から人を集める、県内の中心地としてそれなりに人気がある場所だ。ただ、大多数の県庁所在地は昔ながらの繁華街が駅とは違う場所にある。なので市内の商業地が二極化してしまうが、旧繁華街、それも大体はお城の下にひらけた旧城下町は、駐車場対策の遅れにより陳腐化し老朽化が進んでしまう。
ただ、このモデルも新幹線が通っていない街には適用できないみたいだ。四国の4県庁都市はこの典型で、どの街も駅前がパッとしない。駅前、駅ビルの再開発をしてみても郊外に流出した地元客を取り戻すことには成功していないように見える。特にJR駅前の賑やかさがない。松山や高松では私鉄駅前がそれなりの賑わいを見せるが、それでも中途半端だ。おそらく鉄道を通した頃の政治情勢がまちづくりに影響を及ぼしたのだろう。あるいは先の大戦で空襲により街が平面化?したかどうかの差なのかもしれない。


徳島駅前にあった三越も今ではテナントビル化しているようだが、駅前の回遊性は見られない。ちょっと寂しい感じがする。ずいぶん前に訪れた時には、何だかもっと活気がある街だったような記憶がある。新駅舎が出来てもっと賑やかになるのかと思っていたのだが意外だった。

その難しい立地で、これまた集客が難しい地下階に通常の飲食店を誘致するのが困難極まるであろうことはよくわかる。地元客で賑わうのはせいぜいランチタイムの一瞬だけで、夜の時間になれば地元客は従来からある賑やかな繁華街に流出していく。
それを食い止めるべく、居酒屋業態を多種類放り込み、昼夜の二毛作ではなく、夜昼の二毛作を目指している。ただ、居酒屋と定食屋は根本的にメニューの設計思想が異なるので、これは計画通りになるかというといささか怪しい。
夜と昼と二度見に行った。客の入りが当然店によって違う。昼も夜も満席になていたのは、何と鮨屋だった。ただ、その鮨屋でも夜は酒を飲んでいる客が少ない。なかなか思惑通りに客が踊ってくれないものだ。
そんな苦労を目にしながら、あれれと思ったのが居酒屋ランチで「モツ煮込み定食」というものがあったからだ。確かに定食屋でモツ煮を出す店は見たことがない。これは意外と盲点かもしれない。
地元の埼玉県で展開している郊外型うどんチェーン店の人気メニューがモツ煮定食で、意外とおっさんだけではなく、女性や子供にも好まれているらしい。ただモツ煮定食は基本的に安い。肉料理として生姜焼き定食やハンバーづ定食より1ランク安いから成立する料理ではないか。
そのモツ煮定食が1000円弱という値付けは強気というか、すごいなと思ったのだが、隣の席(カウンター席)に来る客が全員これを頼んでいた。あれまあ、と驚いてしまうキラーコンテンツだった。
勝手にあれこれと地下の居酒屋集合体を批判していたが、やはり現場を見なければ分からないことは多い。昼間のモツ煮込みは普通の定食屋で食べられないから人気メニューになるようだ。この発想は出てこないなあ。他の店でも夜メニューが昼の裏メニューとして人気を博しているのかもしれない。いやいや、おみそれしました。

街を歩く

葉牡丹 テレビのせいで難民化

高知の愛すべき居酒屋で、軽く夕食にしようと出かけたのは日曜の夕方、それも早い時間だった。ソロ飲みする時はピーク時間をうまく外すのがコツだ。早めにいって混み合う頃には帰れのがベストだろう。
混み合ってくると食べ物の注文が多くなり、出てくる時間が遅くなる。ソロ飲みする時は注文数は少ないが、お腹の都合に合わせて一つずつ注文することになるので、時間差が出てしまう。その対応が、ピーク前に行くということだ。ピークが終わった後に行っても良いのだが、その時はお目当てのメニューが売り切れてしまったりする。
今回は、タコ酢から始めることにした。イカ刺しにタコ酢は全国どこでも同じ味だといっても間違いない。タコの大部分ははるかアフリカからの輸入ものだ。国産のタコなど瀬戸内の港町や北海道の沿岸部くらいでしか楽しめない。タコ好きだかブランドだこをありがたがるほどのこだわりもない。ちょっと厚めに切ってあり、酢がきつめであれば「我が愛しいタコ酢」と言える。

そのあとはいつもの定番、串揚げ盛り合わせにした。串焼き盛り合わせの方も捨てがたいが、その日の気分であ「揚げ」と「焼き」のどちらかを選ぶことにしている。ソース2度づけ禁止の串揚げはすっかり全国に広がって、居酒屋定番メニューとなったが、串揚げのネタは店によって微妙に変わるのが楽しい。
定番はエビと豚肉だと思うが、こんにゃくとかうずらの卵とか、時に胃はびっくりさせられるものが混じっている。ソースの味を堪能するなら、やはり焼きそばより串揚げだろうなあと思うのだが、ソースの味も店によって微妙に変わっているから、ソースこだわりの人はもう少し厳しい判定をするのかもしれない。

そして、そろそろ締めにしようかと思っていた時、何やら座っているカウンター席の周辺が忙しくなった。自分の右側の5席が空席のままになり、カウンターで予約客が来るのかと思っていた。
ところが、酒も飲まないまま通路をうろうろする人間が現れ、店主との会話が聞こえてくると、どうやらテレビ版ぶみの撮影が入るらしい。そのスタンバイのタイミングでもこもこと店に入ってきてしまったようだ。
やれやれ面倒なことになったと思っていた。さっさと飲んで帰ろう。撮影のガヤにされるのは真平ごめんだ。おまけにVTRが回り始めたら、勘定して帰るのも難しくなる。なんと、本日の主演者が座る席はレジの真ん前なのだ。
などと考えていたとこで店主が「お兄さん、気にせずゆっくりしてってね」と声をかけてきた。ご好意はありがたいが、窮屈な酒が嫌でソロ飲みしているので、一気に注文した品を平らげ退店することにした。
酢豚の一気喰いをしたのは生まれて初めてで、食べている最中に汗が出てきた。
そんな慌ただしい中、主演者は高知生まれの居酒屋愛好家だという話が聞こえてきた。うーん、高知生まれなんでしょう?もうこの店何度も来てるでしょう?なんで、今日なの?とうらにがましく考えていたのだが、この日は土佐のおきゃく開催日だった。
ああ、それに合わせたのかと納得したことはしたのだが。
俺の平安な居酒屋ライフを返せ、と言いたくなった。滞在時間、約40分。まあ、こんな日もあるか。店を出たらまだ外は明るかった。

ふと気になり営業時間を確かめてみた。なんだか営業時間が変わっているような気がする。記憶が歪んでいるのかもしれないが、以前はもっと長かったような気がする。ほとんど24時間営業みたいな感じではなかったか?おまけに定休日もある。
うーん、おそらく高知の酔いどれジジイの人口が減少しつつあるから、時短営業になったのだろうか。次回来る時は、人が飯を食べたり酒を飲んだりしない時間、午後3時くらいにすれば安全圏ではないかなと、心のどこかにメモしておくことにした。

ホテルに帰る途中で見つけた、別の居酒屋の店頭看板に目が止まった。地元の酒飲みには当たり前のメニューかもしれないが、これはかなりレベルの高い高知ローカルグルメのラインナップだった。
初級観光客にはちょっとレベルが高すぎるかもしれない。ドがつく定番のカツオがない。カツオの次といえば、うなぎ、ウツボ、シイラあたりかと思うがそれもない。マイゴという貝の選択も渋すぎる。おまけにトップはなすのたたきという、B級どころかS級グルメではないか。ちなみにSはSecret シークレットのSだ。

次回はこの店にチャレンジしてみなければなるまい。と、固く決意しました。ほとんど八つ当たりですけど。

街を歩く

大山で飲む 土曜の昼下がり

東武鉄道網の東側路線がおしゃれなカタカナ路線名に変わっても、相変わらず無骨な名前で頑張っている東武東上線だが、名前だけは聞き知っている大商店街のある「大山」に初めて出かけた。
お江戸の中にはアーケードの長さが数百メートルに及び大商店街がいくつかあるが、なぜかこの「大山ハッピーロード」にはいったことがなかった。特別深い意味があるわけではなく、なんとなく行きそびれていたのだ。
ただ、他の有名商店街には外食企業が新コンセプト業態を出店することが多く、その視察に行っていた。大山には、記憶にある限り新コンセプト店が出店していない。多分、そのせいだろう。

駅の改札を出るといきなり大きなパン屋があった。なんとも魅力的な店構えなので、ついふらふらと入ってしまったが、店内には客席がありそこでパンを食べる人も多いようだ。喫茶店的軽食の場として繁盛している。しかし、この横には日本最大のハンバーガーチェーンの店があり、そこを抑え込んだ形で繁盛しているのだから、それはすごい実力なのだ。駅前でいきなりびっくりさせられた。

商店街の駅前付近は全国チェーンの店に占拠されていたが、ちょっと離れたところに渋い店を見つけた。まだ現役のようで、中に入ってあれこれ注文したくなった。「甘味」という文字は神田の裏通りの店でも見た記憶がある。まだ現役の言葉だ。しかし、「大学芋」がメイン商品の看板は、すごいというしかない。これは日を改めて再挑戦しなければと、固く決意した。(おおげさな……………)

この日の目的地である焼き鳥屋は、東上線を挟んで反対側の商店街にある。駅から少し離れた小路にあった。長い付き合いがある友人との居酒屋巡り、それの週末昼のみ編、第1回だった。午前中から開店するようだが、店内に他の客はいない。貸切状態で申し訳ないと思いつつ、愉快に過ごさせてもらった。

メニューを見ると焼き鳥屋と言うより鶏料理屋だと思うが、なかなかユニークな品物が並んでいる。あれこれ注文してすっかり堪能した。一つ残念だったのは、ごはんものの中に発見した「伊勢うどん」を注文し忘れたことだ。多分、これは例のお伊勢参りで有名な伊勢うどんだと思う。それを、居酒屋の締めで出す、それも板橋区で出すというのがなんとも素晴らしい。
そして伊勢うどんの隣には「ハムカツバーガー」が並んでいる。実にシュールな光景ではないか。よくよく見るとハムカツバーガーの反対側の隣には、茶亀麺なるなんとも奇妙なものが載っている。
どちらも試してみたい。これは、ソロで再訪決定だな。ただ、一人昼飲みは時間を調整しないと、悲惨な目に遭いそうな気もするので要検討だ。

チューリップの唐揚げが名物らしいのだが、それ以外の定番商品がどれもこれもうまいもので、ついつい品数が増える。池袋西口周辺もディープだったが、大山も負けずにディープな場所だった。恐るべし、板橋区。

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The last night, PARCO

2月29日で閉店したパルコの最終を見届けにいった。店内にはほとんど商品がないのに、大量の客がゾロゾロと歩いている。もはや買い物をする気はないのがわかる。ただただ、なくなるものを惜しんで歩き回っているのだ。祭りの後の寂しさみたいなものだろう。

バブルな時代が始まる時期の開店だった。二つの建物をつなぐ空中回廊がおしゃれだった。その下の自由通路はトレンディードラマ(もはや死語だな)のロケにも使われていた。元気な昭和の最後の頃、パルコが文化の発信拠点を自負していた頃だ。

閉店直前には写真を撮るものが溢れていた。ちょっと異様な喧騒状態だった。所沢は西武鉄道、国土計画グループの本拠地であり、西武流通グループ(セゾン)がまだ元気だった頃、企業城下町として集中的に開発が進んだ。所沢駅前には西武百貨店、そして西武新宿線、池袋線の両方で所沢駅から二駅ほど離れたベッドタウンに日本一巨大な西友とパルコが配置された。パルコも最盛期には年商200億円近くあったようだ。
パルコ開店の年に生まれた子供が今では40歳の中高年になっているのだから、やはりこの地域のランドマークとして定着していたのは間違いない。

その閉店騒動があった翌日の朝、ごった返していた人影はあるはずもなく、朝イチで始まった撤去工事の最初はPARCOの文字看板を外すことだった。建物はそのまま健在だし、覆い壁も設置前だから今にも開店しそうな気がする。

ただ、自由通路は障壁で塞がれていた。店内では撤去作業をするテナント従業員の姿も見える。それをみて初めて、ああ、本当に閉まってしまったのだなと思った。諸行無常、万物流転。気分はすっかり琵琶法師になってしまった。

歩いて行けるパルコには本屋と電気屋とCDショップが入っていた。それがなくなってしまう。買い物がとても面倒くさくなる。いや、もう趣味の買い物は全部Amazonでいいかという気もする。これがパルコ閉店の理由だったのだと改めて気がついた。