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花見で味噌ラーメン

自宅近くの桜もすっかり散ってしまった。それでも週末にはちょっと足を伸ばした散歩がてら、あちこちに残っている桜を見てまわった。満開になるとすぐに葉桜になるのが残念と言えば残念に思う。ハラハラと落ちる花びらをみるのは風情があるが、花が落ちた後の葉桜はなんとも間が抜けていると見えてしまう。

そして桜見物といえば味噌ラーメンでしょう。というのには全く説得力がないのだが、桜の時期は気温が上がったり下がったりするので、ちょっと温かいものが食べたくなる。そんな時は、こってり濃厚系の味噌ラーメンが良いのではと思っている。
自宅から徒歩圏にはおよそ10軒ほどのラーメン屋があるラーメン激戦区なので、その日の気分に合わせて味違い、麺違いは選び放題だ。今回は、去年開店していたのだが、行かないままで宿題になっていた一軒を試してみることにした。個人営業の店なのだと思ったら、この地域には何軒かある味噌ラーメンローカルチェーンらしい。

味噌ラーメンといえば北海道という時代はすっかりどこかに行ってしまい、今や味噌ラーメンは全国区で競合がしのぎを削る。ご当地ラーメンから進化した、ラーメン業界の最強ジャンルだろう。特に、濃厚な豚骨系スープと合わせることでできるパンチ力は、味噌以外のラーメンでは到底敵わない。ただ、味噌という強力な調味料に支えられているのも確かなことで、強いスープが出来上がると、どこの店でも似たような味わいになることが弱点と言えば弱点だろう。複雑な組み立てのスープを仕立てても、味噌の力でねじ伏せられてしまうというべきだろうか。
そうなると、味噌ラーメン専門店ではスープの味違いを訴求することより、トッピングのバラエティーで競争する傾向が強い。トッピング全部乗りのもりもり系が増える原因でもあると考えている。ラーメン業界でも、一杯1000円越えの値付けをしたのは、この全部ノリもりもり系だった。
観光地でご土地ラーメンを食べるのであれば、一期一会みたいなものだから全部乗りもありかもしれないが、自宅近くの高頻度利用店ではトッピングもりもりにする必要はない。自分の好みで追加トッピングを選ぶとすれば、海苔とメンマくらいのものだ。ほぼラーメン屋全店でおすすめ品にされている「味玉」は頼むことがない。シンプルなのが一番だ的な立場をずっと維持している。

さて、この店の味噌ラーメン(プレーン)だが、スープは濃厚、麺は太めで最近の定石通り。コーンが味噌ラーメンに合うのかというと、いつも疑問には思うが、これも観光地で発生した「コーンバター」の流れを汲んだ味噌ラーメン定番トッピングになっている。ちょっと変わっていたのは、長ネギではなく玉ねぎだったこと。これも味噌ラーメンという強い味のラーメンでは「あり」だなと思う。そして、ひき肉が乗っているのは伝統的な味噌ラーメン的でもあり、新旧の味噌ラーメンレシピーが融合した感じだ。最近流行りであるらしい低温調理のチャーシューなどが乗っていない方が、味噌ラーメンにはストロング感があって良いと思う。
スープの中に沈んだ挽肉を食べるための穴あきレンゲが添えられているのが、さりげなく嬉しい。こういう細かい芸はポイントが高いのだ。
個人的な評価として、近場ラーメン店の中ではトップクラスに認定したい。次回は、辛味噌だな。

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夜の新宿で路上パフォーマンス

本当に久しぶりな新宿3丁目の居酒屋での飲み会になった。コロナの間は一度も行く機会がなかったので、なんと3-4年ぶりということになる。この店は若い頃から定期的に通っていたので、一年に一度も行かなかったことなどなかったと思うのだが(記憶にない)、コロナの間はお店が閉まっていたり、夜の外出が減っていたこともあり、本当に久しぶりだ。
が、ドアを開けて店内に入れば、中はいつもと変わらない空間だった。これはありがたい。この3年の内に店ごと無くなってしまった馴染みの店は多い。東日本大震災の後も、一時的に居酒屋が閉まっていたことはあったが、ステイホームの金切り声ほどの威力はなかったからなあ。

馴染みの店で馴染みの料理を食べるというのは、実にありがたいことだ。いつもであれば、何種類かの日本酒を順番に楽しんでいくのだが、今回はホッピーを淡々と飲んだ。帰りの駅までの道をぶらぶらしてみようと思ったから酒は控えめにした。つもりだったが、それなりに量は飲んでいたから、あまり効果はなかったようだ。我ながら自堕落な……………と笑ってしまう。
やはり一人飲みの時期が長かったせいで、酒の量と時間の加減がうまく行かなくなっているようだ。一人飲みだと、自分の好みの量と時間でうまい具合に飲み終わるから、ただただぼーっとしている。あまり難しいことを考えなくなるので、怠惰な時間が流れる。すっかりそれが好きになってしまった。この「怠惰な時間耽溺症」こそが一番深刻なコロナ後遺症かもしれない。

西武新宿駅前に人だかりができていて、どうやら久々の路上パフォーマンスを見ている人たちらしい。昔と変わっているのは、周りの観客?がみんなマスクをしていること。そして、パフォーマーがマイクを使って解説していること。観客も静かで、たまにパチパチと手を叩くくらいだ。ようやく平和な時代が戻ってきましたねえ、などと思ったのだが……………
ふと気がついたのは、おひねりはどうするのだろうということだった。音楽演奏の場合は、楽器ケースの蓋が開いていて、そこにおひねりを入れることができる。このマジックショー?らしき場所では、箱も入れ物も見当たらない。
ネットのコンテンツにデジタルなおひねりを渡す仕組みができて、すっかり一般的になったのはコロナの影響だろう。リアルの世界でも、路上パフォーマンスが復活するとしたら、おひねりの投下、回収システムがいるのではないかなあ、などと軽く酔いの回った頭で考えていた。QRコードを描いたパネルでも置いて、コード支払いでおひねりみたいなことはできるかなあ。
アフターコロナの時代では今更だとは思うが、現金を受渡する仕組みは「感染拡大防止」上、好ましくない、と文句を言うのは厚生労働省で間違いない。そして、お捻りも課税対象(消費税の徴収とか)と言い出すのは財務省だ。人の不幸で金儲け、と言う言葉が頭の中でリフレインする。
いつの世も「官僚」たちは庶民の不幸を食い物にする。酔いに任せて妄想していたら、すっかり酔いが覚めてしまった。だんだん腹立たしくもなり気分は最低で、「くたばれ、〇〇省」と叫びたいくらいだった。 
(お断り:〇〇には自分のお好みの省庁名を入れてください 省庁の好き嫌いには個人の嗜好差があります)

楽しくお酒を飲んだら寄り道せずにまっすぐおうちに帰りましょう。けして〇〇省のことなど思い出してはいけません。

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贈答用野菜という 知らない世界

新宿の百貨店地下の食料品売り場は、ちょっと変わった調味料を手に入れるため、時々立ち寄る。スーパーなどでは見かけることのないローカル調味料が揃っているのがありがたい。今ではすっかり珍しい「江戸の甘味噌」も売っている。徳川家康が江戸入府した時に、いろいろな職人を三河から連れてきた。その時に、岡崎の八丁味噌職人もいたようで、江戸では八丁味噌のような甘味噌が主流だったそうだ。
何年か前に読んだ料理本の受け売りなので、正確ではないかもしれない。ただ、今でも東京に一軒だけ江戸甘味噌を製造する味噌蔵が残っていて、そこの味噌が「味噌コーナー」の中で、信州味噌や仙台味噌に混ざって売られている。
この日も、その江戸甘味噌を買いに行った。ちなみに、その味噌の色目は八丁味噌よりも濃い、「黒」と形容したい濃さだ。野菜をたっぷり入れた味噌汁にすると、なかなか良い具合の色調になる。
その味噌買い出しの時に気がついたのが極太アスパラで、贈答品のような立派なパッケージに入っていた。お値段も、家庭使いにはなりそうもない。一本あたり400円程度になるので、これはアスパラが主役の料理にするしかない。添え物・副菜としてはありえない高価格品だ。ちなみに、この野菜売り場の隣が鮮魚店なのだが、そこでは冷凍の魚が一匹4-500円で売られていた。冷凍カツオたたきでもワンパック500円くらいだった。
名前通り「王様」級のアスパラだった。メロンや高級フルーツトマトが贈答品に使われるのは当たり前だが、アスパラがギフトになる時代なのかと、改めて感心した。昔、実家の庭にはアスパラが何本か植えてあり、朝方に庭に出てその日の朝食にするアスパラを何本か抜いてきた(切ってきた)ような記憶がある。アスパラとは庭に生えている?雑草の親玉くらいの感覚しかなかったから、それがギフトになるというのは違和感があるといえば「ある」のだ。
昭和は遠くになりにけりで、住宅地でアスパラを植えような習慣もすっかりなくなっているとは思うが、自宅の猫の額ほどの庭でまたアスパラを育ててみようかという気になった。
ちなみに、子供が小さい頃には教育的見地で、アスパラを2〜3年育てていた。関東でも自宅用であればアスパラ栽培は可能だし、太さや長さにこだわらなければとれたてのアスパラを美味しく食べられるのだよね。

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西武秩父駅 夢の跡?

この冬は、秩父行きのお安い切符のおかげで何度か秩父に行った。お目当ては洋食屋だったり、漬物を買うためだったり、街をぶらぶら歩くだったりだが、夏に汗だくで歩くより冬の寒さに耐える方が余程マシだということもある。
夏に札所巡りをした時は、本当に死にそうに暑いと思ったものだ。秩父は盆地なので、夏の暑さと湿気には相当なダメージを受ける。秩父を有名にしたアニメは、夏の日の出来事がテーマだったから夏に遊びに行ってみたが、やはり街歩きの時期はもう少し涼しい時の方がおすすめだ。蝉の声に青空に入道雲的な夏光景は、画面の中で見るだけで良いと思ってしまう。

西武秩父駅の中にあった立ち飲みコーナーが改装されていて、おしゃれな角打ちになっていた。ここで酒を飲むのはどんな人たちなのだろう。西武秩父鉄道を通勤駅とするオヤジがどれくらいいるのか興味があるのだが、オヤジ達の飲み屋タイムに合わせて観察に行くのも面倒くさいというか、秩父で酒を飲んで自宅まで帰るのはちょっと遠い。おまけにヘタをすると電車の中で寝過ごしてしまい、自宅近くで降りないまま池袋まで行ってしまいそうだ。
都内で最近営業再開した立ち飲み屋もオシャレな感じになっていたが、サクッと立ち飲みというスタイルは、親父のものではなくなり、もう少し若い世代の客が増えたのかもしれない。

西武秩父駅は行き止まりの終点駅だが、この先200mも延長すれば秩父鉄道と直接つながる。その先は、荒川を渡ることで長野県南部までの延伸は可能だ。昔々は、軽井沢までつなげる計画があったというが、その路線を想像してみる。秩父の北西部に続くところは山間の隘路で、山を越えて群馬県下仁田から軽井沢に抜けるコースは相当な難工事だったのだろう。だから、このホームの先の行き止まりは、見果てぬ夢の跡という感じが漂う。終点駅というのは、どこに行っても、この残念な感覚、もう少し先まで伸びていきたかったんだぞ的な鉄道マン達の無念さみたいのがあると思うのだ。ローカル線の旅は、終点駅の旅でもあるのだね。

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カツカレー行脚@池袋

池袋の南側、ジュンク堂の隣にある洋食店は、時々無性に行きたくなる。昔は東京東側に密集していたジロー系の洋食に似ていると思っているが、ジローはほぼ揚げ物専業店のようなところがあり、メニューバリエーションで言えば、こちらの方が数段優れているような気がする。
お気に入りの洋食屋の条件はシンプルに一つで、オムライスがうまいことだ。特に、オムライスの上に真っ赤なケチャップがかかっているのが必要条件だ。ケチャップの代わりにデミグラスソースがかかっていると残念というか、自分的には圏外扱いになる。
この店は、オムライス以外にもあれこれお気に入りの食べたいメニューが多いので、実にありがたい。大衆食堂的な洋食キッチンとしてイチオシだ。

日替わりメニューもなかなかボリュームがある構成だが、この店で日替わりを注文したことはない。定番メニューに食べたいものが多すぎて、日替わりまで注文が回っていかない。それもちょっと悲しい。オフィスがこの近くにあるサラリーマンが羨ましい。
この店の定番はオリエンタルライスという、野菜肉炒めが乗っかったライス(カレーライス的なオン・ザ・ライスなかけごはん)だが、これを頼むのも10回に一回ぐらいだろう。オムライスとカレーのヘビー・ローテーションで精一杯だ。空腹度が高い時には、追加で単品注文をすることもある。メンチカツは注文することが比較的多い。

どいつもこいつも絶対美味いに違いない 腹ペコキラーだ

カレーに限っていうと、選択肢は多くなり悩ましい。基本的にとんかつ、チキンカツ、メンチが定番のトッピングだ。たまにチキンカツ・カレーを頼むこともあるが、今日はトンカツ(ロースカツ)カレー一択だ。揚げたてのカツが、超絶的にカレールーと合う。
まずカレールーの黒さに嬉しさが込み上げる。蕎麦屋でよく出てくる黄色いカレーも、あれはあれでありだと思うが、やはりカレーは黒っぽくてドロドロしているものが美味いという気がする。ただ、これは、中学生の頃に刷り込まれた「外で食べるカレーは黒い」という呪縛から逃れられていないだけだ。
多分、黒いカレーは一人で外食した最初の経験だったはずだ。まだファストフードがおしゃれでファッションだった時代だったから、中学生にとってファストフード店は一人で入るには敷居が高く、カウンターだけのカレー屋に入ったのだと思う。もう少し時代が後であれば、ハンバーガーが一生かけて食べ続ける大好物になっていた可能性はあるが………
それ以来、ドロドロカレーは「類まれなるご馳走」として我が人生の中に記憶されているのだ。そのご馳走が、カツカレーという贅沢なものに進化するのは、その後数年が必要だったが。

この黒カレーにカツという組み合わせを改めて見てみると、何やら金沢カレーを思い出す。食器がステンレスの銀の皿に変われば、全く同じようなものではないか。金沢カレーも機会があればせっせと食べているが、このことには初めて気がついた。やはりこれは食の世界で起きた平行進化というものだろう。
似たようなものに「豆パン」とか「羊羹パン」の例がある。地理的に離れた場所で同時に生まれ進化したものらしい。それとは異なり、元祖があり、そこで修行したり、強い影響を受けて独自に開発されたメニューに「ソースカツ丼」がある。ソースカツ丼も全国各地で名物料理として名を馳せているが、どうもルーツは一箇所に同定されるようだ。
大阪でもご当地限定カレーチェーンはあり、そこもドロドロ系カレーを出すが、色味はあまり黒くない。これは、帝国海軍にルーツを持つジャパニーズ・カレーの系譜の中で、異形に進化した「なにわバージョン」らしい。カレーにソースをかけて食べるという食文化と相まって、同じ名前で違う食べ物的な楽しさがある。

この店の最大の「推しポイント」は、カレーを頼んでも豚汁がセットになっていることだ。洋食屋のはずだが、なぜか豚汁がうまいのも不思議と言えば不思議だが、これぞ大衆食堂としての洋食キッチンのプライドだと思う。一度、豚汁を大盛りにしてもらってライスだけで食べる、豚汁定食みたいな注文をしてみたいが、きっとその時はカレールー別添えにしてしまうのに違いないから、無駄な抵抗だな。

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唐揚げや改め蕎麦屋へ業態転換?

自宅近くのスーパーに買い物に行く途中で気がついたノボリに、なんだかあれこれ考えさせられた。この店は今や風前の灯的な、業態全体が衰亡してきている「唐揚げ専門店」だ。コロナのお手軽テイクアウト、宅配需要を受けて急成長した唐揚げ屋が、これまた急速に閉店しているのは、やはり「専門性」に欠けるありふれた味だったことと、鶏肉の値上がりを価格転嫁できないことに尽きるのだと思う。
甘とろから揚げ丼という商品は、なんとなく理解できる。唐揚げ定食の簡易版として「唐揚げ丼」がメニューにあり、そのソースバリエーションであれば「甘とろ」はアリだと思う。ただ、豚カツとカツ丼の関係が、鶏唐揚げと唐揚げ丼で成立するかと言えば、それは無理線だろう。
物性的には、トンカツが平面的な比較的薄い食べ物であるのに対し、唐揚げは球状に近い厚みのある食べ物だ。カツ丼はタレや卵とカツが絡みやすいから、白飯とのバランスが良い。簡単に言うと米とカツが同時に口の中に入る。
唐揚げを丼にすると、肉の厚みのせいで、このコメと唐揚げの一体感が作りずらい。唐揚げをひとかじりし、続いてコメを別途投入するという2段階工程になる。それをカツ丼のように、一工程で対応するとして「薄い唐揚げ」にする手はあるが、ビジュアル的にはボリューム感がなくなり厳しい。そもそも、薄い唐揚げとチキンカツの違いが微妙で、唐揚げ丼ではなくチキンカツ丼になるのではないか。唐揚げがらみであれこれ考えてしまった。
それ以上にびっくりしたのが、つけ汁蕎麦のノボリだった。唐揚げ屋から蕎麦屋に業態転換したのかと思ったほどだ。

あまりに気になって店舗の入り口まで確かめに行ったが、まだ唐揚げ屋だった。ただ、入り口脇のバナーは蕎麦になっていて、どこかで聞いたような「野菜マシマシ」なつけ蕎麦らしい。おまけに唐揚げがついているとは言え、つけ蕎麦で1000円越え(税込)とは、これまた腰が抜けるほどびっくりした。唐揚げ定食の値段を考えると、ちょっとぼったくり価格的にも見えてしまう。
蕎麦を提供するには専用の機器や什器を入れなければコストダウンは厳しい。既存の厨房を使い回し、無理やり冷凍麺を導入してなんとかメニューを広げようとしても、オペレーション的には想像以上の膨大な負荷がかかるはずだ。
以前に客席から覗き見たこの唐揚げ店の厨房(オープンキッチンなのでかなり良く中まで見える)は、よくできたコンパクトなものだった。あの中のどこに麺のラインを入れたのだろう。おそらく、冷凍麺のコストをオペレーションで吸収しきれなかったから、この値付けになってしまったのだと思うが、やはり無理があるような気がする。
そんな無理をしなければならないほど、「からあげ業態」が悪化しているのか。だとすると、このチェーンでは主力のファミレス業態を唐揚げとのWブランド化しているのも、もはや得策ではないだろう。コロナの後遺症は中小規模の飲食店より大チェーンの方が厳しいようで、このままでは年末に向けて大規模合併が起きそうだな、などとまるで他人事のような感想を持っております。いや、たしかに他人事なんですけどね。

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秩父で酒蔵

秩父の街中、あちらこちらで見かけていたポテくまくんをついに発見した。秩父駅の改札近くに鎮座していたのを全く気づいていなかっただけだった。観察力が足りない。というか、人の視覚というものは見たいものしか見ないという特性があるのだと改めて気がつかされた。
ポテくまくん、よくよく見ればなかなか可愛らしいではないか。もっと人気が出ても良さそうだが。でも、食べられちゃう運命だからなあ。

その秩父駅から徒歩5分ほどの道沿いに造り酒屋というか酒蔵というか、シックな酒屋がある。恐る恐る引き戸を開けると薄暗い店内に日本酒がずらっと並ぶ。蔵元で酒販売をしていると、市中では見当たらない様々な種類の日本酒が並んでいるのが嬉しい。棚を一つ一つ見て回るのはなかなか楽しい体験だ。

店頭にぶら下がっている杉玉を見ると、お酒の出来具合がわかるらしい。これもまた、酒蔵に行く時の楽しみだ。昔、信州の酒蔵を訪ねた時に、屋外冷蔵庫に保管してある吟醸酒を振る舞ってもらったことがある。品評会に出品した特製酒だそうで、販売するほどの量もないということで、5年10年と冷蔵庫に置きっぱなしにしているそうだ。それを、たまに振る舞うことがある。新酒と比較して楽しんでもらうためとのことだった。
あちこちの酒蔵に行った時に、その話を思い出しては、蔵の周りに屋外冷蔵庫はないかと探してしまう。変な習性が身についたもので、この時も店の裏側に回って確かめたくなった。こっそり裏側に行ってみたら、そこは客向けの駐車場だった。

店頭にある木彫りの看板は、酒蔵のプライドが込めれれていると思う。電照式の明るい看板は酒蔵には似合わない。などというのは、勝手な言い分だとはわかってはいるが、木造の古い商家でひっそりと酒を売っている雰囲気が好ましい。
この日も秩父観光に来たと思しき夫婦(多分)が土産として何種類か買い求めていた。店主らしき方が、日本酒の特性を含め丁寧に説明していた。次の客も会計を待ちながらその話を聞いていた。こちらも片手に一本瓶をぶら下げながら、待ち続けていたが、待たされるのが気にならない。良い話が聞けたとさえ思った。コンビニでレジ前に2-3人並ぶとなんだかとても待たされた気分になるのと、全然異なる空間で違う時間だったのが不思議だ。
秩父の山奥にあるウイスキーの工場も一度見に行きたいとは思っているのだが、確か工場では販売していなかったような気がする。それがちょっと残念だ。見学もコロナの煽りで中止しているところは多いので、それも確かめてみなければいけない。ぶらっといって工場を見せてくれた山梨県白州や北海道余市のようなところが、また復活してくれると良いのになと、秩父の街を歩きながら思っていました。

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居酒屋の定食屋シフトを考察する(長いです)

昭和レトロブームと平成生まれの関係について何度かに分けて考えてみたい。その第一回目として、居酒屋チェーンの新業態「居酒屋+大食堂」を素材にしてみようと思う。
この業態は首都圏でそれなりの規模と知名度を誇る「天狗チェーン」が久しぶりに送り出した新業態だ。一時期は郊外型ファミレス的出店をしていたが、それは失敗だったようでダイニングコンセプトは縮小していた。その後、小型化した簡易メニューの飲み屋天狗酒場を投入したが、最近では神田屋という新業態に鞍替えしているようだ。
その神田屋の展開と合わせて、食堂をイメージした大型店も店舗数を増やしている。「大ホール」という名称から想像してしまうのが、昭和のデパート大食堂やビアホールといった大型店舗だ。食券を買い勝手に空いている席に座り、ウェイトレスのお姉さんに食券を渡す。メニューは和洋中なんでもありで、アルコールとパフェが共存する老若男女が入り乱れる懐かしの飲食パラダイスだ。テーブルの上にはお決まりのように大きな急須に入った茶と湯呑み茶碗が置かれていて、お茶と水はセルフサービスだった。そんな昭和中期の記憶が残る世代はすでに50代を超えている。昭和後期にはデパート自体が消滅したので「大食堂」コンセプトは、平成生まれ世代には生まれる前の幻でしかない。

昔の居酒屋にはテーブルメニューなどなかった。壁に貼られた札と黒板が全てだった。

極端に言えば、江戸時代を模した和食屋であれ、昭和中期の大食堂であれ、どちらも想像の中にしか存在しないファンタジー空間だ。だから、現在の昭和レトロブームに対する評価は、昭和生まれの人間に聞いても役に立たない。昭和生まれの人間は懐かしさ、ノスタルジーに浸るだけであり、そこに登場するメニューにも当時の(記憶の中に残る当時の)忠実な再現性を求める。そして、違いを発見してはあれこれあげつらうという楽しみ方しかできない。昭和生まれにとって昭和レトロというコンセプトは過去に経験した、時間軸に連続性があるリアルな過去体験だから、そんな楽しみ方になる。平たく言えば、文句をつけることに楽しみを見出す、「痛いエンタメ」だ。(周りから見ても、その言動はかなり痛いたしい)
しかし、平成生まれにとって昭和レトロとは、たまに過去映像の中で見かける存在程度であり、共有する体験や空間ではない。これも極端に言えば、浦安にあるネズミの国の「なんちゃらワールド」とほぼ同義な、想像の中にしかない異空間だ。怪獣映画や戦隊モノに登場する世界となんら差異はないのだろう。
もっと言えば、外国人が見た日本世界みたいなもので、ブレードランナーに登場する未来の西海岸都市(たぶんLAの異形態)やブラックレインに登場する東京市のようなものだ。
だから、当然ながら、平成生まれの世代にとって、楽しい異空間、日本語は通じるが見たことのないデザイン、内装の店で、食べたことのないメニューを楽しむ。そうであれば、ディテールの再現性など気にしない。アメリカ人の寿司屋が、日本ではこんな寿司を売っているのだろうと想像して作った、西海岸発の新発想寿司みたいなものだ。エンターテイメントとしての食事空間とし、昭和らしさが感じられればコンセプトとして成立する。時代考証の正しさなど必要ない。
過去に実在した食べ物の再現性、正確性など誰も求めていない。ところが、昭和中期の過去体験がある昭和生まれが、その仮想空間に乗り込んでワーワーとリアリティーを前面に押し出し非難する。やれ、これは昔と違う。味付けがおかしい、食器が違う、内装が、ウェイトレスの制服が、云々云々。
コンセプトの理解ができないまま我が物顔に論評する。
この店はあなたのノスタルジーを満足させるために作られてはいないのですよ。そもそもあなたはお客の対象外ですよ。嫌なら他のどこかに行ってください、とはっきり言われないと理解できないのだろう。
まさに、昭和レトロを模した店とは、歴史テーマを掲げた「コンセプトレストラン」であり、手近なエンタメテーマレストランなのだ。形を変えたメイド喫茶みたいなものだと理解するべきだろう。
自分の同世代(昭和のリアル体験がある世代)から昭和レトロ空間に対する「再現性の低さ」や「時代考証の誤り」のような批判を聞くたびに、何かモヤモヤした感じがあった。そのモヤモヤ感を探るため、あれこれ突き詰めて考えていた。

マーガリンで炒めたナポリタン 銀のステンレス食器が昭和な雰囲気をだす

街から食事を出す喫茶店が消滅するとともに、人の記憶の中にしか無くなったメニューの典型が「ナポリタン」というトマト味の洋風焼きそばだろう。今では昭和レトロメニューの典型のように言われるが、平成生まれはこの食べ物をたまたま食べる機会がなかった。彼らが普通に手に入れられたのは、サイゼリヤで提供されるペペロンチーノやカルボナーラのパスタで、トマト味の洋風焼きそば。スパゲッティではなかった。「ナポリタン」はイタリアンレストランではほとんど提供されない、日本生まれの洋食だ。おまけにファミレスでも登場しなかった「絶滅種」だからなおさらだ。古くから続く洋食店では細々と提供されているが、洋食店も喫茶店に続く絶滅危惧種であり、当然ながら価格もファミレスをはるかに超える高級料理化している。老舗の洋食店で食事をすると、ちょっとしたホテルのレストランで食べるのと同じ金額がかかる。もはや洋食店は大衆がお気軽に使えれ場所ではない。

昭和の時代には、駅前にある大衆食堂の壁全面にメニューというか品書きがびっしりと貼ってあった。ファミレスとファストフードの時代になり、手書きの文字が敬遠され、メニューは手元で見る写真入りの冊子に変わった。

日本全国どこに行っても存在するシメサバは昔からの大衆メニュー

そんな平成生まれをターゲットにした昭和レトロを気取る食堂は、意外と昭和のメニューが少ない。典型的な居酒屋商品も並んでいるが、昭和の何度かにわたる居酒屋ブームに登場した時代の名物料理も全く存在していないようだ。
そもそも、冷静にメニューを見てみると、これは既存の居酒屋天狗からの流用品がほとんどで、その提供方法や価格が調整されているだけだ。贖罪の大冒険をしているわけではないから、店内のムードを買え、ちょっと加えた新メニューで目を二機つけると言う、極めてオーソドックスなリニューアルと見た方が正しいようだ。

昭和の高級品 生ハム

昭和世代にとっては、「超」がつくほど高級品イメージのあった生ハムも、今ではコンビニに並んでいる平凡な通常品だ。ただ、それがさらに盛り付けて出されると、何やら心躍るのは昭和世代の残滓みたいなものだろう。平成生まれにとっては、これよりもタコさんウインナー(赤いやつ)の方がよほどビジュアル的には喜ばれそうだ。

フグヒレは入っていない……………

サワーやハイボールなどの炭酸系アルコール飲料が主体のご時世に、日本酒の熱燗を注文すると銚子ではなく、フグのひれ酒を出す時の湯呑み茶碗で出てきた。これにはは、すっかり感心してしまった。おそらく銚子という低利用頻度の専用備品を用意するのが嫌になった(合理的な判断ではあるとも思うが)のだろう。オカンをするのもレンジアップの時代だから、通常の銚子では安全上の懸念もある。レンジアップした場合、銚子の上部、首にあたる部分がとてつもなく熱くなる。昔ながらのお湯でオカンをつけると、胴体の部分は熱く、首の部分は比較的低温であるのとは正反対だから、昭和世代のオヤジは銚子を保つときに首部分を持って「アチチ」と叫ぶハメになる。
湯呑みで缶をつければほぼ全体が暑くなる。
そんなことを考えて、昭和レトロな店の作り方やあり方をあれこれと想像していた。確かに「天狗」と言うチェーンは昭和の時代にも、ちょっとアッパーなイメージを抱かせる明るく小綺麗な店だった。それを、平成生まれにあわせて「令和モデル」にアップリフトする、アフターコロナに合わせてチューニングした店を作ろうとしているのだ。本業を捨てて唐揚げ屋や焼肉屋に逃げ出した他チェーンとは違うアプローチだが、個人的にはこちらのやり方がスマートで好感が持てる。

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コッペパンの専門店@秩父

店頭に「有名な手作りコッペパン」と自ら書いている、プライド高きコッペパン専門店に普通のコッペパンを買いに行った。コッペパンと聞いて思い出すのは、学校給食に出ていた「あまり美味くない食べ物」だ。どうも学童期の嫌なトラウマの一つになっていて、大人になってからもコッペパンを好んで食べることはない。
ただ、全国のあちこちにコッペパンの美味しい店は存在していて、岩手県の福田パンには本店までわざわざ出かけて食べに行った。あれを食べてコッペパンの苦手意識が薄れたのは間違いない。横須賀にあるコッペパンの有名店にも何度か足を運んだ。横須賀市民が愛する老舗パン屋だけに、確かに美味い食べ物だった。
最近では、コンビニ各社がコッペパンを推しまくっている。多分、学校給食でまずいコッペパンが出なくなったせいで、トラウマ持ちの子供が減ったからだろうと邪推している。
この秩父のコッペパン専門店は、店の前を何度か通ったことはあるのだが、店内を覗いてみるといつも売り切れだった。今回は午前中ギリギリに間に合うように来てみたのだが……………

しかし、この手書きのPOPはものすごい迫力がある。模造紙に書いてガムテープで貼っているのだから手作り感100%だが、その分だけ気合というか売る気というか、ものすごい迫力が出ている。創業99年というのも、実に力がある。来年になれば創業100年、ついに営業期間3桁突入という凄さだ。この100年近くの間で、原料も変わればパン焼き釜(オーブン)も何度か代わったことだろう。それを乗り越えて味を維持してきたのだから、まさに人間国宝級の快挙ではないかと思う。

さて、店内に入り注文しようとした。最近流行りのあんバターも取り入れたラインナップなのだが、お目当ての⑦ジャムや⑧ピーナッツはすでに売り切れだった。というか、このシンプルなコッペパンは全て完売。残っていたのは、ここには載っていない、サラダパンなどの調理系コッペパン・グループだけだった。
ポテトサラダが入ったサラダパンは好物なので、それに文句をつけるつもりはない。実に美味しくいただいた。おまけに、レーズンパンのようにパン生地に小豆が練り込まれたあずきパンを、強く勧められ買ってみたが、それもまたなかなか美味しい。最近、普通に売られるようになった豆パン(甘い豆が入ったパン)と同系統のものだが、レーズンパンより好みかもしれない。うましだった。
しかし、ジャム入りコッペパンが食べられなかったのは相当に悔しい。次は開店直後の朝9時に買いにいかなければ、などと思ってしまったのだが、よくよく考えると、トラウマ持ちのコッペパンを買うために早朝から電車に乗るのもなあ……………
これはちょっと検討してみなければいけない微妙な案件だ。秩父の山奥へキャンプに行った帰りにでも立ち寄ることにしようかなあ。ただ、それだとまた売り切れていそうな気もする。悩ましい限りだ。

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Foodexに現代神話を感じる??

黒いビジネススーツが大復活していた

Foodexは、食品業界の見本市みたいなもので、年に一度のお祭り騒ぎという認識をしていた。以前の会場は幕張メッセで、1日かけてわざわざ出かけるプチ旅気分を感じる展示会だった。それがコロナの間は中止になり、今回から東京ビッグサイトにお引越しとなった。幕張メッセに行く思いをすれば、ビッグサイトははるかに近い。おまけに残念ながらプチ旅気分はすっかり消滅してしまうから、(個人的には)ビジネスモードが著しく強まる。昔であれば大量の名刺を持ち、ビジネススーツに身を固め、いざ戦闘仕様で出撃という感じだった。
それに合わせてというわけでもないが、今回はすっかりピクニック気分で、服装もピクニックに行くような格好になり(歩きやすい格好が重要)、名刺は要求されなければ渡さないという、ビジネスパーソンとしては堕落し切った対応でよしとしている。会場で営業活動に励んでいる企業の方から見ると、あまり付き合いたくない不良客だろう。それでも、親切に話しかけてくれる営業担当の方たちには素直に感謝する。

何やらアステカの神殿のような趣もある……………現代の商業神殿かな

ビッグサイトの正面を真面目にみたことがないなと気がつき、おもむろに写真を撮ってみた。そうすると、これは現代の神殿ではないかと感じてしまった。金儲けの神様たちが、ごっそりと集まっている、金ピカ族の神殿だ。だが、金儲けの話を横に置いても、かなり荘厳なデザインだったことに改めて感動してしまった。
やはり、普段の視点をちょっとずらして、立ち位置を変えてもの事を斜めから見直すという作業は必要だ。神殿詣で久しぶりにビジネスの基本を思い出したのだが、それにしては本人の自覚があまりに足りない。コロナの間にすっかりダメなビジネスパーソンに落ちこぼれてしまったようで…………… 無念だ。

展示場の館内は、驚くほど大量の人で溢れていた。入場券を手に入れるための行列もすごい。おまけに、こういうところではまさに人々の本音が見えると思うのだが、もはや行列に並ぶ人たちには「間隔を開けて並ぶ」という概念は無くなっていた。前の人との距離はピッタリと密着とまではいかないまでも、息のかかる距離しかない。
コロナは終わったのだ(人々の意識の中では)と改めて気付かされる。まだ世の中で一定の割合の方は、コロナ怖いと思っているはずだが、そういう人はこのような混雑する場所には出現しないだろう。結局、コロナが怖い人は自発的に「いつでもステイホーム」を実践するグループになる。大多数の一般人は、3年前の行動パターンに復帰する。完全復帰は、夏頃になるのだろうが。
そんなことを考えていたら、また一つ思いついた。識者と言われる人が最近よく口にする「社会分断」だが、それは他人に強制されるばかりではなく、自分で自発的に社会から分離する集団も存在するということだ。アフターコロナでは、「コロナ怖い」と「コロナは終わった」という二大勢力が軋轢と騒動を引き起こす。これが、最大のコロナ後遺症かもしれない。パンデミックは社会を分断し続ける可能性があるという学びだ。それが端的に現れるのが、マスク論争だろうとは容易に推測できる。
たまたま今は花粉の大量発生時期だから、マスクは必須な来場者も多いのだが、来年はマスクなしの開催になるだろうし、会場の中と外で来場者がどう変化するのかが楽しみだ。

会場内は撮影禁止だったが、写真を撮りたいほどの印象的な展示もなかったので、出展ブースの感想も特にない。良くも悪くも平凡な内容のブースが多かったのは、コロナ後に世の中がどう代わっていくのか様子を見ている感じだからだろう。
帰り際に「東京アンテナショップ」によって、ジョーク土産を買ってきた。「東京ばな奈」ではなく「おだいばばな〜な」なのが、なんともおかしい。さすが、オタクの聖地だけある。東京駅の土産物店では、ちょっと販売が難しそうだ。
ちなみに、中身のお菓子は、バナナ型の人形焼みたいなものでした。