街を歩く

なんとなく違和感が

駅の改札脇に大きく貼られていた津軽観光の誘致広告だが、なんとなく違和感を感じた。確かに北海道新幹線で函館から青森まではほぼ1時間。函館から青森までは海峡を連絡船で渡って4時間かかっていたのだから、確かに近くなった。1時間の移動であれば、ほとんど隣町だ。そもそも青森と函館は海峡を挟んだ海峡文化圏であり、言語的にもほぼ同じというか同一地域だろう。北津軽と南津軽程度の差しかないと思う。
違和感の原因は札幌から函館までの距離と時間にある。在来線特急で函館まで行くとほぼ4時間かかるはずだ。同じ地方自治体の中にあるのだが、札幌函館間は空路で移動するほど距離がある。(ちなみに、札幌釧路間も空路移動する距離がある)
つまり、函館青森は隣町だが、函館に行くのは大旅行ということだ。奈良観光キャンペーンで、京都に行ったら奈良は隣町なんだよ、すぐ近くだから京都のついでに寄って行こう!! みたいな感じだろうか。
札幌函館が遠いのは、北海道民みんな知っているよね、だからそこんとこは黙っているけどさ……的なチート感がこの「待ってるよ。津軽」には存在している。
個人的には、青森も函館も好きな街なので、遊びにおいでと言われればホイホイ行ってしまいそうだ。函館までの特急もビールを飲んで軽く昼寝をして目が覚めたら函館だった、という感じの素敵な鉄旅になる。全く文句はない。
その上、昼には函館で鮨を食べ、それから新幹線でひとっ走りして、夜には津軽三味線のライブハウスで青森の銘酒を楽しむなんてこともできる。
ただ、宣伝文句通りに「キガルに、ツガルへ」を体感するには、北海道新幹線が札幌延伸するまで待たなければいけないだろう。その時になれば札幌青森間は2時間を切るはずだから、確かにお気軽な鉄道旅になるはずだ。早く新幹線が通れば良いのだが、なんだかトンネル工事が遅れいているらしい。残念。

そんなことを考えていた夜に、久しぶりのバーに繰り出し珍しい酒を飲んだ。多分、この3年間はこの酒を口にしていないはずだ。それなりに酒の銘柄を揃えてあるバーでなければなかなか飲めない「ヨードチンキの匂い」がする強烈な一杯を楽しんだ。
口に含んだ瞬間グワっと鼻に抜ける強烈かつ凶暴なモルトの香りは、酒の初心者には楽しむことが全く無理な代物だろう。酒飲みでも中級者程度では、暴力的に迫るこの酒には痛烈な拒絶反応が出ると思う。相当な手練れな酒飲みでなければ近寄ってはいけない。せめてラフロイグくらいの軽めから始めるのが大事な手順だろう。
と、一応忠告だけはしておきますので、この後は自己責任でお試しくださいと、隣の席に座った同行者には話した。口の中が地獄になる体験というのはなかなか貴重なものです。絶対に悪夢の体験になるという期待は裏切らない(はず)銘酒であります。飲んだ後の感想は聞かないことにしている。

おまけで、テキーラを注文した。この酒と同じような感じのものがあるかとマスターに尋ねたら、これですかねえと出てきたボトルは、何やらスッキリ系に見えたのだが。一口飲むと、これはまたモルトとは違う地獄の香りがしてきた。モルトがヨードチンキとすれば、こちらはセメダインだった。うーん、まだまだ酒の世界は知らないことばかりで奥が深いと感じた。しかし、酒を飲むのは楽しみの場であり、決して修行の場ではないのだがなあ。
昼に感じた違和感が、夜には違う意味で増幅された1日だった。

街を歩く, 食べ物レポート

タイムスリップ感をあじわう

札幌の副都心と言われる新札幌地区にあるラーメン店を贔屓にしている。そのあたりに行く機会があれば、だいたい立ち寄ることにしている。昔っぽい味のラーメンが売り物だ。店内は昭和中期のおもちゃや看板などが陳列掲示されていて、いわゆる昭和レトロ推しな店だ。
今では消失した炭鉱町の名物食堂で提供されていたラーメンを復刻しているから、まさにThe 昭和 で間違いない。
ただ、今回も懐かしラーメンを食べにいったら、店頭看板の上に貼られた「昭和の良き時代の店です」という文言にちょっと引っかかってしまった。別に文句をつけるつもりはないのだが、昭和の最終期や平成生まれの人にとって、昭和とは自分の記憶にない未体験時代だろうから、江戸時代とか鎌倉時代と同じ程度の「想像の世界、時代」でしかないはずだ。そうなると昭和が良き時代だったと思えるのだろうか。
知らない時代=良い時代にはならないだろうし、そうなると自分たちの親や祖父母が生きていた時代の話を聞いた結果、昭和は良い時代だったのねということになるのだろうか。
リアルに昭和を生きてきた世代、昭和初期生まれ、昭和中期生まれの世代は、今やすっかり高齢者層であり、ましてやその大半は後期高齢者、要介護高齢者ではないか。その世代にとって昭和が良い世代かどうかはそれぞれの思いがあるだろうが、少なくとも自力で外出が難しい世代であり、昭和を懐かしむために外出するのは難しい人が多いことは推測できる。
そうなるとリアル昭和を知っていて、それにノスタルジーを感じる世代は客層として極めて少数になるのではないか。
とすれば、経営上の課題として考えるべき主たる客層は、やはりリアルな昭和を知らない世代になるであろう。かれらが昭和に感じるものはノスタルジーではなく、タイムスリップ感、自分の知らない日本を体験してみたいという気分ではないだろうか。加えて言うと、昭和リアル体験のない世代にとって、昭和世界とはハリポタ的なファンタジー世界、ドラクエ的なRPGゲームの中に登場する仮想世界みたいなものではないのかと思う。
そんなことを看板の前で立ち止まり考え始めてしまった。まったく「いかん、いかん」だ。我は時代の考察をしに来たのではなく、ラーメンを食べにきたのだぞ、とセルフツッコミをした上で自己反省をする。

今回は3種類ある昭和の醤油ラーメンのうち、初代が作っていた元祖なラーメンにしてみた。当然、リアル昭和体験があるから、「そうそう、この味だよね、なつかしー」と感動しながら食べてしまう。メンマではなく支那竹が乗っていると言いたい。赤い渦巻きのナルトが乗っているが、昔より厚切りだと感心した。昔は輪切りのゆで卵が一切れだけ乗っていたが、今では丸々一個乗っているのが嬉しいと言いたい。チャーシューは明らかに昔のものよりうまい。しっかりと肉々しい味がする。そして、北海道ラーメンの絶対的トッピング「お麩」が乗っているのが実に懐かしい。などなどノスタルジー的な感激どころが満載なラーメンなのだ。
ただ、やはりこういう楽しみ方はリアル昭和体験世代の特権というか、罠のようなもので、昭和を知らない世代には楽しみようがない。今後滅びゆく種族を相手にしたノスタルジー商売はどうにもお勧めできないなと思う。
だからこの店はノスタルジーではなく「タイムスリップ感」を売り物にして、長く営業を続けていて欲しい。滅びゆく世代の一員としてそんなことを思うのだが、美味しいラーメンを食べるには余計な情報でもあるようだ。
次に来る時には、2代目が作ったというラーメンと給食セット(アルミの弁当箱に入ったライス+おかずセット)にしよう。

ちなみにセルロイドやブリキのおもちゃというのは、もはやどこにいったら売っているのだろうか。全国チェーンの駄菓子屋でも見かけないなあ。Amazonあたりで売っているのかな………

街を歩く

コロナの落とし子

京都の名物お菓子といえば、生八橋と短絡的に思っていた。高校生の時に行った修学旅行以来の刷り込み記憶だ。30代になり仕事の関係で京都に訪れることが増え、いろいろと現地の方に教えてもらい、お土産のレパートリーが増えた。その中でいちばんのお気に入りがスグキ(丸のまま)の漬物で、これは日本の発酵文化として一つの頂点であるとまで思っている。
これに続く発酵ものといえば、飛騨高山で売られているカブの千枚漬けだろうか。あえて加えると北海道のニシン漬けが古くなったものくらいだ。
ただ、京都の菓子という観点で言えば、「阿闍梨餅」(あじゃりもち)に尽きる。京都駅横の百貨店でも、この菓子の販売店はいつも長蛇の行列で、新幹線の時間に余裕がない時は諦めるしかない。

もちっとした皮の部分がうまさの秘訣だろう

その阿闍梨餅だが、お江戸でも日本橋の三越、高島屋などでは週に一回程度販売されることがある。ただ、ここでも人気商品らしくあっという間に売り切れるらしい。日本橋に和菓子を買いに行き、おまけに行列までして買いにいくというのもゾッとしないので、基本的には諦めているのだが。
ところが感染症拡大期、さすがの京都も観光客が激減して土産物屋も大変だったようだ。当然、人気の和菓子屋もあれこれ対策が必要だったことは理解できる。その結果、なんと自宅近くにある元・百貨店の諸国名物販売コーナーに月に何度か全国の名物菓子が並ぶようになった。その中に、これまた驚異というしかないのだが、阿闍梨餅がラインナップに入ってきた。
どうも埼玉のハズレの街では阿闍梨餅の知名度が低すぎるのか、行列して買う必要はない。ワゴンの上に山盛りの積まれているので、個数制限もない。欲しいだけ買える。これは本場の京都でも体験できない天国プランだろう。この3年間でいったい何度阿闍梨餅を楽しんだことだろう。感謝だ。

コロナが終息しつつある時期になり、観光客が有名観光地を中心に急回復しているそうだが、そうなると我が地元で阿闍梨餅を売る必要もなくなるだろうと思っていた。それはちょっと残念だが仕方がないことだとも思う。
ところが、どうやら月に何度かの遠征販売は今後も継続されるらしい。ありがたいことだ。おまけにこの遠征販売のローテーションの中には、浅草の亀十のどら焼き含まれている。浅草の名物どら焼きは店頭で並んでも買えない人気商品だった。おそらく今頃は昔のように大行列ができていたり、早い時間に売り切れているのだろうから、地元で並ばずに買えるのは「素敵なこと」だ。苦しい時期に販売してくれていた拠点を、平常モードになったからと言って切り捨てはしないということだと推測する。真っ当な商道徳は今でも生きているようだ。
いろいろとあった感染症の3年だったが、良い落とし子がないわけでもないということだろうか。埼玉のハズレの街で、少しだけ幸せなことが増えたのは間違いない。

街を歩く

北の街で変わっていたこと

北の街の都心部に桜が咲いていた。普段は何も気が付かずに歩いていたが、中心部の街路樹が桜に変わっていたのはいつからのことだろうか。確かに花が散った後の桜は、よくよく観察しなければただの街路樹だろう。気が付かなかったのも無理はないか。
冬のライトアップされた街並みはすぐ気がつくが、街路樹の花はタイミングが合わないと見ることも叶わないから仕方がないと言い訳する。街の街路樹が全部桜になったらさぞかし綺麗だろうなと思うが、桜の木は手入れが大変なのだろうか。

北の街で最大のランドマークである「ぽんぽこシャンゼリゼ」で、建設中だったビルが竣工間近になり、囲いの工事壁が撤去されていた。地下街から直結する巨大ビルは、新設される水族館が売り物らしい。もしここにオホーツク名物のオオカミウオが飼育されることになったら、結構な頻度で通うことになりそうだ。これまでオオカミウオを見るには隣の港町にある水族館に行くしかなかったのだが、この都心部で会えるとしたら、それはかなり素敵なことではないか。
ちなみにオオカミウオはその名に似合わず、実に個性的というかゴワゴワした顔をしていて、心が落ち込んでいる時に会うと、「ああ、自分は人に生まれてきてよかった」と思わせてくれるマイ・ネガティブヒーローだ。斜め上ではなく斜め下という異なる角度から元気をくれる存在と言っても良い。水族館、期待しよう。

日ハムの新球場が開いた。駅からはシャトルバスが出るようだ。駅から歩いて行くには長い坂道を降りて行って、また同じ高さの坂道を登らなければならないから、シャトルバスは必須だと理解できる。ただ、ボールパークの周辺はほとんど原野なので、そのうちに野良な民間駐車場がボコボコと空くのだろう。駐車料金は3時間5000円くらいになると思うけれど。
ボールパーク内はキャッシュレスだそうで、高齢者対策がどうたらと新聞に書いていたが、そもそも高齢者対策などというなら球場までのアクセスの方がよほど大事たと思う。ちなみに、この駅は高架駅舎なのだけれど、小さなエレベーターはあるがエスカレーターはない。地上から駅舎までは緩やかな斜路になっているが、車椅子で登るにはしんどそうな、なかなか微妙な建築物だ。
将来的には駅前ビルに(併設されるシャトルバス乗り場まで)ペデストリアンデッキが接続されるらしい。それまでは、我慢してねということだろう。

この混雑を体験しようと、試合開始1時間前に到着する列車に乗ってみた。確かに車内は立っている乗客が多く、身動きがとりにくいくらいに混雑はしていたが、首都圏でいえば午後3時の山手線程度だろうか。朝7時の山手線の方がよほど混み合っている。
車社会で生きている北海道民には苦行となるかもしれない混雑度だが、首都圏生活者であれば鼻歌混じりでこなしてしまうかも。
ただネットニュースを読む限り、いまだに新ドームは空席がたくさんあるそうなので、この先ホームで優勝争いがかかったゲームになると、つまり球場が満席になるようなことがあれば、車内の混雑度はもっと上がるだろう。
なによりベースボールのゲーム開催ではなく、若者に人気のあるアーティストのコンサートなどがあると殺人的に混むかもしれないなと思った。やはりベースボールは「オールドタイマー」向けのエンタメなのだろう。当面はエスカレーターの方が大事そうだ。

街を歩く

立ち飲み屋にて思うこと

年に3ー4度、長いお付き合いになる年上の友人と会う。それは北の街の盛り場であったり、お江戸の繁華街であったり場所もまちまち、店も様々なのだが。今回は北の街で駅から徒歩3分の場所だった。隣の港町では老舗にあたるレストランが、支店として開けた居酒屋だ。感染拡大の前は立ち飲み屋だったが、最近全席を座われる席に変更したというので、どれどれ見物にとやってきたのだが、相変わらず立ち飲みスタイルは健在で(というか座れる席の方が少ないようだ)、早い時間では比較的空いているようだった。
とりあえずという名のビールを注文したあと、つまみをあれこれ物色していたのだが、おすすめはおでんと言われたので壁に下がっている名札を右から全部……………みたいな乱暴な注文をした。一盛りが3個だそうで、3種のおでんが入った小鉢が二つ出てきた。なんだか妙に懐かしい味のするおでんだったが、お江戸風の濃いつゆではなく家庭的な薄味だったせいだろう。

追加で注文したのが、これも店長イチオシらしい「大根の天ぷら」だ。これは一度出汁で煮た大根を揚げたもののようで、歯触りは柔らかく衣と大根の味がほどよく調和している。これはまた食べてみたいと思わせる名品だった。
野菜を一手間ふた手間かけて美味しく食べさせる料理屋は信頼して良い。料理人の腕前の差は、野菜の煮物に一番よく現れるとも思っている。こういう創意工夫された料理は素直に喜び、次の季節にはまた違った野菜料理を楽しませてもらおうと思う。
料理は独創性より様々な素材と調理法の順列組み合わせから生まれる。独創的な料理など、圧倒的な調理機器の進化でも起きない限りは生まれるものではない。「うまい料理」とは地味な順列組み合わせを試し続ける「料理人の努力」の結果だと思うのだ。

卵焼きも料理人の腕前の差が出る。家庭料理でもできそうなものだが、やはり美味しいだし巻き卵はプロの手仕事というべきだろう。卵焼きに押された焼印がどんな意味があるのかよくわからなかった。この店の屋号にある紋所なのだとは思うが。これもまた食べる時の楽しみの一つだ。

その立ち飲み屋から2軒目の店に梯子をすることになった。駅高架下にある屋台村の一角に信州から来た焼き鳥屋がある。ここしばらくは、この店に通うことが多かった。屋台村には10軒以上の店が入っているのだが、この焼き鳥屋は大混雑だった。焼き鳥も美味いが店長の人柄だろう。小体な店は料理だけではなく、コミュニケーションも大事な商品だ。
いつものようにおみくじ付きの割り箸で運試しをする。大吉が出ると何かすごいサービスが受けられると言われ続けているが、一度も大吉が出たことがない。よほど運が悪いのかとも思うが、まさか店長の作戦ということもないだろう。少なくとも大吉が出て、とてつもないサービスを堪能するまでは通い続けるしかない。
しかし、立ち飲み屋から屋台村への梯子というのは、なんといえば良いのでしょう。よほどの酒好き以外は、あまりやらないはしご酒コースだろうなあ。

街を歩く

一枚の写真が伝えること

北の街でちょっと飲み屋の話題的になっているのが「ビル解体工事」の話だ。都市中心部の官庁街で高層ビルが建築されていた。大手建設会社の仕切りで、駅前通りから工事中のクレーンが見通せるほどの高層ビルだった。そのビルが建築基準に達していない不良部品を使っているのが、発注元の検査で発覚して、なんと10階以上鉄骨が組み上がっている段階から解体工事をすることになったそうだ。当然ビルの竣工は何年か遅れるだろう。
ニョキニョキと伸びていった高層ビルが、みるみる縮んで行くという都市伝説的な風景らしい。たまたま現場近くを通りかかり発見した解体工事の看板を見ると、面白いのが「このペナルティー解体工事」も週休二日制厳守らしい。おそらく解体工事監督のおやすみ日なのだろう。ペナルティーをくらった後の解体工事で、ブラックな労働環境にすることはできないだろうし。
安物部品で削減できたコストはどれ位なのかは聞いていないが、解体工事を合わせて10億円単位のマイナスになるようだ。安物買いの銭失いとはこういうことを言うのだろうか。解体工事の現場が、たまたま北海道警察の近くだったので気になったのだが、なぜ解体しているかと言う「説明文」は見つからなかった。札幌市民には暗黙の了解事項らしい。
大通公園のオリンピックマラソンスタート地点と同じくらい、建設業界に関してあれこれ考えさせてくれる「北の街の新名所」ではないかなと思った。
発注者も請負業者も日本有数の大手企業だから発覚した事案らしい。発注者が気が付かなければ地震で倒れる高層ビル第一号になったかもしれないと、飲みながらの馬鹿話で聞いた。それもまた怖い話だ。一枚の看板にドラマがある………

街を歩く

三度目の薮半 その2

何故この店が東京にないのか………

小樽の名店で昼酒を楽しむ話の続きになる。前回来た時は雪の中の小樽だったが、今回は春にはまだ早い寒風吹き荒ぶ日だった、世間的には花見に行こうと騒がしいが、これでは5分で凍えるぞと思っていた。北国に春の訪れは遅い。夏が来るにはもっと時間がかかる。

以前から気になっていた「蕎麦もやし」のおひたしを頼んでみた。スプラウト系サラダにはたまにはいっている蕎麦の実もやしだ。蕎麦の打足がかかっているので、サラダというよりおひたしだが、蕎麦を食べたという実感はない。青臭い野菜の葉が際立つ食べ物だった。もやし感は全くない。蕎麦の実を買ってきて自分で育ててみようかと思うていどにはうまい。デパ地下の八百屋に行ったら売っていそうな気もする。もう少し大量にバリバリ食べてみたい。ごま油と酢で食べるとうまそうだ。

前回のカレー丼を注文するときにいちばん迷ったのがカレーせいろだった。地元の名品「武蔵野うどん」ではつけ汁として肉汁(豚肉の醤油味)が一般的だが、代わりつけ汁としてきのこ汁、鳥汁がある。しかし個人的にいちばん好きなのがカレーつけ汁で、そこからの連想でカレーせいろは絶対美味いはずだという思い込みがあった。
カレー丼を食べて、その思い込みは確信に変わっていたから、今回の注文はカレーせいろ一択しかない。

蕎麦をつまむと一掴みずつほどけてくる 名店蕎麦屋の匠の技だ
決して団子になって持ち上がることがない

予想通りの絶品だった。玉ねぎの甘みがカレーライスのルーを思い起こさせるが、やはり蕎麦屋のカレーは別次元の旨さだし、このカレーつけ汁はその蕎麦屋のカレーを超えている。蕎麦もうまいがつけ汁が絶品すぎる。つけ汁だけ別売りしてほしい。
おそらくこのつけ汁はカリカリに焼いたバゲットによく合う。厚切りトーストの中をくり抜いて、そこに流し込むとゴージャスなランチになりそうだ。とんかつをつけて食べるのも旨そうだし………と妄想が止まらない。
世の中にはまだまだ食べたことのない名品があるのだと、またもや思い知らされた。お腹をぺこぺこにして、大盛りのカレーせいろを頼み、申し訳ないが普通の蕎麦つゆを追加で注文する、というやり方がよさそうだ。カレーつゆと普通の梅雨を楽しみながら、締めの蕎麦にする。となると、流石に昼酒とはいかないので、夕方に準備万端整え、気合十分でそば屋での好物殲滅戦に挑む。
これしかあるまい。(武士モード)

街を歩く

三度目の薮半 その1

ここしばらく札幌に来るたびに、小樽遠征をしてこの店に来ている。メニューにならぶあれこれを試そうとすると、一度の訪問では難しい。今回が3回目で、ようやくお目当てのものを試すことが完了した。まだ、うまそうなものは残っているが、それはこの先のんびり試していけば良い。(はずだ)

この店のお品書きは、ほとんど「本」だ。中身はメニューの名前が書いてあるだけではなく、いろいろな情報がたっぷり盛り込まれている。一冊もらって帰り、ゆっくり読み返してみたいくらいだ。プラスチックのカードケースに入っているメニュー一覧表みたいなものを見慣れていると、この「本」には目を奪われる。食べることの楽しみを、食べ物ではなく読み物で盛り上げるというのは、考えれば凄い努力だ。敬服する。

そば前に、熱燗をちびりとやりながら肴をつまむ。それも蕎麦屋的な感じでというと、このお品書きのラインナップになる。毎回あれこれ迷うのが悩みのタネだが、今回は初志貫徹「塩うに」にした。仙台の有名な酒場「源氏」でも、塩ウニが注文できる。地酒の浦霞によく合う名品だが、こちらの塩うにも、それに勝るとも劣らない名品だ。ちびちび舐めるようにして食す。飲む。食す。飲む。この単純な繰り返しで銚子を一本飲み干す。至極満足で、もうこれだけで帰っても良いくらいの気がしてくる。

ただ、この店では酒を頼むとそば味噌がついてくる。塩うにの後はそば味噌でもう一杯ということになる。塩ウニだけで帰るわけにはいかない。

酒を飲みながら、本日のメインである「ぬきシリーズの三番目」を注文することにした。「天ぬき」は老舗の蕎麦屋に行くとだいたい置いてある、蕎麦屋の肴としては定番だろう。かしわぬきもあちこちの蕎麦屋で注文できる。「ぬき」は酒の肴として具を食べると言うより「汁物」として出汁を楽しむ料理だと思うが、天抜きはコッテリ系、かしわぬきはあっさり系になる。そして、残しておいた三番目のぬきがカツ抜きになる。だが、これはカツそばのそば抜きではなく、カツ丼のお米抜きと言うものだ。東京の蕎麦屋ではカツ抜きではなく、カツとじとかカツ煮などと呼ばれていることが多いようだ。

登場したカツぬきを見ると、まさにカツ丼の頭という感じがする。味付けはかなり甘めだが、蕎麦屋の出汁が効いている優しい食べ物だ。揚げたてで熱々のカツの中身をフーフーいいながら食べ、合間に酒をちょいと飲む。これは昼酒として、相当な悪徳感がある。なんというか、蕎麦を食べるついでにちょっとつまみながらお酒も飲んじゃいました、という言い訳が通用しそうにない。
正々堂々と昼から酒飲んで何が悪い、ふん。という感じで開き直った上で、しっかり飲む時の酒のつまみだ。あまりに本格派の風情がある。おまけに、瓶ビールくらいであればもう少し言い訳のしようもあるが、塩うにに続いてカツ抜きとなれば、これは一言の弁明の余地もない。

やはり弁解の余地を残すには、普通にカツ丼を頼み、申し訳ないがご飯が全部食べきれませんでしたと、カツ丼の頭部分(つまりカツとじ煮)だけつまみ食いする。それしかない。しかし、食の有効活用として食べ残しは厳禁だ。この作戦には無理がある。
まあ、美味しいカツを食べながらそんなバカなことを考えていた。蕎麦屋の昼酒は一人でひっそりと、こんな妄想をしながら嗜むものだ。
蕎麦屋で一杯という飲み方は、街中で手軽にできる、お気軽な昼酒の典型だろう。だから、わざわざ小樽まで遠征する必要があるかといいたいが、やはり背徳感のある楽しみなので、隣町に行って密かにささやかにやる方が良さそうな気もする。

街を歩く

焼き鳥でない方

北の街で、大衆焼き鳥の名門「串鳥」に行ってきた。いつもであれば、モッキリ(コップ酒)と焼き鳥で一杯というのが定番なのだが、なぜか友人と二人で示し合わせ、今日は「NO 焼き鳥」で行ってみようということになった。
たまたまスマホ注文システムに変わっていたこともあり、焼き鳥なしの注文も従業員の方に気兼ねすることなく簡単にできる。これが、対面注文であれば、焼き鳥なしはちょっと厳しいかもしれない。(こちらの心理的引け目が原因だ)
まずは野菜系でポテトサラダと辛いきゅうりを頼む。同行した友人はポテトフライとザンギだから、二人合わせると肉と野菜のバランスが取れている。(はずだ………)
お気楽に二時間ほど飲み、あっさり解散した。飲み終わってみれば、さほどおかしなことをした気分ではない。が、翌日になるとやはりちょっと申し訳ない気もしてきた。ハンバーガー屋に行ってポテトとコーラという注文の仕方はある。ハンバーガーなしでも通用する。蕎麦屋に行ってカツ丼を頼むのは全然アリだ。ラーメン屋で炒飯というのは、普通ではないが反則でもないだろう。しかし、焼き鳥屋でサラダというのは、なんというか収まりが悪い。

まあ、お店の方にお詫びの印とは言えないが、キュウリとポテサラの写真をインスタふうに撮ってみた。焼き鳥も美味しいけど野菜も美味しいよと宣伝するから、これで勘弁してください。

街を歩く

日露戦争と戦費増税の関係?

札幌の街を歩いていいたら、なんと「金神」様の展示会が近く催されるらしいとわかった、入場料もしっかり撮るし、チケットは前売り制だというから、かなりしっかりした展示会になるのではと思う。これはぜひ行きたいのだが、あいにくこのタイミングではすでに札幌にいない。無念だ。
東京開催にでもならないかと思うのだが、金神様のお話は北海道が以上に盛り上がっているだけのようで、東京開催は期待薄だ。
おそらく日本における少数民族問題を正面に取り上げた数少ないエンタテイメントコンテンツだけに、白老のアイヌ民族施設の建設にも少なからずの影響があったのではないかと思っている。日本の少数民族、非差別民族の話については、歴史的に見ると部落問題、近代においては大陸半島系民族の問題がさまざまな文学テーマとして描かれているが、アイヌ問題は明治政府成立以降に国家的差別事業として法制化されたわけだからなおさらタチが悪い。
エンタメ作品として完成度が高い「金神」様物語だが、アイヌ問題・北方先住民族問題への切り口としてはわかりやすい入門書だ。
アイヌのことはよく知らないという「内地人」には、物語を楽しみながら知見を深めて欲しいものだ。ちなみに、内地とはほとんど死語に近い「本州、四国、九州という日本国本土」を指す言葉で、対応する単語は外地になる。これは明治政府以降、戦争により獲得した植民地を含む日本列島外の領土を指し、北海道と樺太、朝鮮半島と大陸東北部を指す満州、台湾などが含まれる。だから、高齢の北海道人は東京周辺を含め「内地」と呼ぶ。
北海道に移民してきた内地人の大半は、故郷を追われ、あるいわ逃亡してきた「故郷喪失者」であったから、余計に内地という言葉には憧憬があったようだ。外地人の末裔として一言申し上げると、内地は内地で薔薇色の土地では無いのだし憧れる意味もないとは思うが。


ただ、外地を獲得するための領土戦争は多大な金が必要だった。「金神」様の隠し金も、それぞれの陣営がそれぞれの戦費として当てにした、戦争目的の資金獲得闘争だった。個人的には、土方たちの蝦夷独立運動には理念的に惹かれるものがあるが。先住民族であるアイヌを蔑ろにするという点では、帝国陸軍反乱分子達と変わりがない。
史実では、日露戦争後も止まらない領土戦争の戦費に当てられたのが「酒税」と「たばこ税」だった。その後、敗戦前の軍費の膨張は、単純な増税などでは賄いきれず、国家予算の数倍に及ぶ赤字国債の発行で賄われたが、戦争で負けで全て棒引きにされた。お国のためにと買った国債が全て紙くずになるという経験をした旧日本帝国臣民はすでに大半が亡くなっているから、この手の恨み話を聞くことは少ない。ただ、日本国政府が昔からどれだけ信用できないか、という点だけは語り継がれるべきだと思うのだが。

その戦費獲得の有力製品として活用されたタバコだが、実は当時日本の喫煙者はさほど多くなかったようだ。ところが、たばこ税を増強し、おまけにタバコを配給制にしたせいで、タバコを吸わない人間が配給品を手に入れて喫煙者になり、タバコ消費量が増加したという話を読んだことがある。なんと国家的に増税効率を上げるため、喫煙者の増加策を図ったということだ。
この辺りのマッチポンプ的手法は、日本人国家の専売事業というわけではなく、世界中どこでも行われている。アヘン戦争など、タバコではなくアヘンで行われた国家間の策略の結果だ。日本人政府が殊更悪逆というのは、歴史的に正しくない。日本人以外も、全ての国家が歴史的に、そして現在進行形で悪逆だというのが正しいようだ。

なぜこんなことを考えたのかというと、たまたまタバコが吸える飲み屋に入り、友人がタバコを吸い始めた時に、何やら見慣れないパッケージが目に止まったからだ。箱の上の赤い部分は、うっすら記憶があるタバコのブランドだと気がつき、その下に書かれた「薬品の効能書き」のような文章に度肝を抜かれてしまった。
確か、以前はパッケージの横にひっそりと書かれていた「タバコは体にあまり良くありませんよ」的なやんわりとした文言はとうの昔に廃止されたらしい。
商品名やブランドロゴよりも大きく書かれた警告文、それも読んでびっくりの健康被害協調型の警告文は、時代が変わったものだという気にさせられた。しかし、ここまで書いて購入者を脅しても。まだたばこ税を徴収したいかと呆れてしまう。やはり日本国政府は恥知らずの税金強盗だと改めて確信した。
そして、その恥知らずの代表者、世襲3世首相が、軍費のために増税すると言っていたが、その一部がたばこ税であることを思い出した。日露戦争の時代からクズ政治屋の頭の中は同じ構造らしい。そんな下衆どもは「金神」様の祟りに遭って滅してしまえ、とうっすら酔った頭で考えていた。この長い文章のきっかけは、「金神」様ではなく悪税への憤りだった。


極めて個人的な意見ですが、このタバコのパッケージは世のデザイナーの誇りを打ち砕いてしまう「祟り」みたいなものですねえ。