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2021年2月の写真 その2

まだ100円均一ニコがわりを残しているのは「はま寿司」

2021年2月の写真はとても少ない。というか、2020年から2021年は、やはり外出禁止令の影響があったので撮った写真の数が少ない。コロナ2年目はこんなところにも影響を及ぼしていたのだ。
そんな中で、休業廃業が続く飲食業で、例外的に売り上げを伸ばしていた業態がある。回転寿司と宅配ピザ屋だ。デリバリービジネスの盛況ぶりは理解できる。コロナ怖い怖い症候群に重症者は一斉にデリバリー利用を増加させた。ただし、これも一過性で2022年には一気に需要が縮む。宅配代行により息をついていた飲食業にとって一番の打撃は、この2022年の宅配需要激減だっただろう。
回転寿司はこの時期に一気にタッチパネルの導入が進んだ。カウンターに座り他人との会話をを拒んだようなシステムは会計の自動化も一気に加速した。店内に入ってから出るまで一言も口を開かずに帰ることができる。これは、確かにコロナという災厄がもたらした唯一の福音だったかもしれない。このコロナの落とし子のせいで、外食業における自動化・機械化が一気に進捗し、猫型ロボットによる自動配膳も定着した。コロナの時期には従業員を解雇しまくったせいで、商売が戻ってきても誰も働いてくれないという、実に情けない状況のちいった大手外食業では、この機械化こそ唯一残された生き残り案だった。
そして機械化の先陣を切った回転寿司業界はコロナの3年間を含め好調な業績を残す。

この時期、絶好調な業績と合わせて過剰な情報投資も続く中、回転寿司業界各社h食材原価の低減日道を挙げた。100円均一というプライスラインを死守すべく奮闘したと言って良い。そうした努力?は寿司屋でありえないようなメニューを次々と投入することになった。例えば、このフライドポテトだ。寿司一皿の原価は5割近いと言われる。ところが、このフライドポテトであれば原価率は二割程度まで引き下げられる。
高単価(300円台)を稼ぐラーメンなども、原価低減努力の賜物だ。300円のマグロザラは注文しない客がラーメンは頼んでくれるという、新たな発見も生まれた。ただ、その機械化となんちゃってメニューによる100円ライン攻防戦は、あっさりと放棄される。自分達の戦略的なポジション、100円均一を捨てて仕舞えば、あとは原価に応じた価格設定という、没落していった寿司店の戦術に後戻りするだけ。均一価格を放棄した回転寿司大手はその後業績悪化に苦しむことになり、今でもその低迷から抜け出せていない。

コロナの落とし子という意味では、回転寿司業態の躍進と没落は学ぶべき事例だろう。負け戦こそ次の勝利への真理があるのだなあ。

ちなみに回転寿司屋のポテトは揚げたて熱々が出てくるので、ちょろいファストフードのフライドポテトよりはるかに優れているのだよ。

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2021年2月の写真から

コロナの2年目、外出禁止は解かれていたが、お世の中には病的にコロナを恐れるものたちが増加して、これはもはや宗教的な心情を上回るのではないかというコロナ関連事案バッシングが行われていた。令和の狂気とでも記録しておくべき時期だろう。
三密などという上滑りの言葉を多用して、コロナ怖い怖い症候群の支持を集めた都知事が、ほぼ前回で暴走していた時期でもあった。そして、その暴走のために飲食業は壊滅的な打撃を受ける。
と二位知られる老舗、名店などが次々と閉店を余儀なくされた。

古い店では店主が高齢化していたことなどから、廃業する踏ん切りがついたという一面もあった。休業補助金を退職金がわりに店を占めるのだ、などという声が知り合いからも聞こえてきた。人が集まる業種全てを魔女狩りの如く弾圧した。やはり狂気の時代だったのだ。確か、コロナ2年目ともなるとそういう怖い怖い症候群にかからなかったものたちから、コロナ対策に対する反発もあり「昼飲み」なる習慣が生まれてきた。夜の営業は止められていたから、昼に酒を飲めば良いという、権威に対する反発でもあり、大衆の強かさであったように思う。

地宇治の為政者たちはすでに姿を消した、あるいは存在価値を著しく低下させているから、そいつらを糾弾しても仕方がない。当時、日本の民主主義はポピュリズムと嘲笑した「メディアバカ」の存在もすっかり薄れてしまった。そういえばコロナの女王なんて奇怪な女性もいたなあ。

そんなコロナ2年目に、この老舗珈琲店がひっそりと店を閉めた。悪貨は良貨を駆逐するというが、飲食業にもそれは当てはまる。長く続いた良心的な店が、何か社会変動が起こると最初につぶれていく。残念なことだ。
茜屋のコーヒーを飲むには軽井沢まで行かないいけないらしい。これも実に残念。

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2020年2月の写真 その3

カレーかハヤシのルーを選べる盛り盛り定食だあ なんとこれが1200円(多分)

新宿の老舗洋食屋というか大衆食堂で昭和の復活メニューというゴージャスなセットメニューを食べた時の写真だ。これでも確か1200円くらいだったはずで、コロナ前とコロナ後では価格が3割ほど違っている。今では同じものを注文すると税込2000円に近くなる。困ったものだ。

おそらく平成の30年間、ずっとお経にように唱えられていた「緩やかなインフレ」による経済回復みたいなものが、コロナの結果で木っ端微塵肉焚かれたのだが、当時の積極財政論hじゃの理屈は完璧に間違っていたことの証明にもなった。制御されたインフレなど机上の空論、御用経済学者の馬鹿げた暴論だった。瀬金者出てこいと言いたくなるが、当時の首相も今はいない。生きていたらかなり辛辣な追求を突きつけられたはずだ。

自分たちでコントロールできると思っていた円ドルの為替レートも、コロナを契機に暴落し結果的には日本の輸入に課題な負担をかけただけだ。輸出企業は円安で大儲けした格好になるが、それで国内インフレが進めば内需減少でまたデフレに突入する。貧乏人が限界を超えて貧乏になれが、その先に待つのは革命が独裁政治しかない。つまり、経済界にとっては破滅的事態を迎えるのだが、それを憂う経営者はいない。平成に育ったボンクラ経営者は実は頭が悪いのだと思う。
まあ、洋食屋のランチセットの写真を見て政治をかたるのもむなしいはなしだが、政治の階とはこうした庶民の食卓の上に現れるものではないか。こんなメニューがちょっとした贅沢だった時代と、こんなメニューは高くて手が出ないという時代は、明らかに後者が社会的に病んでいる時代と言えるだろう。

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昔の写真 2020年2月 続き

これはとあるラーメン屋の店内風景で、昭和30年代の茶の間(懐かしい響きだがもはや死語か?)を再現したもの。個人駅には瓶入りのファンタが、特にデザインが懐かしい。デンエアきが白くいえるが、これは黒電話に着ぐるみを着せているからだ。(多分)
昔は電話機にそれぞれの衣装を凝らした「外套」を着せるのが流行っていた。今の「かわいいー」につううじる感覚なのかもしれない。
テレビのチャンネルはリモコンで操作するのではなく、つまみを右左に回すものであり、ガチャガチャと音を立てて回す。どうもこれが例のガチャガチャの発端ではないかとも思う。人は子供の時の記憶を懐かしみ再現しタックなる生き物らしい。ガチャガチャ開発者はこのテレビのチャンネル回しに深い郷愁を感じていたのだろう。

手前にあるのは石炭ストーブで、この鋳物製のストーブは当時としては高級品だったはずだ。ヘナヘナの薄っぺらい鉄板で作られたルンペンストーブというものがより一般的だったような記憶がある。ルンペンという言葉も死語だろうが、今風に言えばホームレスに近いのだろうか。屋外で暮らすルンペンが使うような安物というニュアンスだったような気がする。
石炭ストーブの上には必ず蒸発皿、大きな鍋やボウルに水を入れて下垂機能を持たせたもの、つまり今で言うところの加湿器の先祖みたいなものだ。

個人的には昭和30年代40年代に郷愁は感じない。当時は思いおしなかったが、かなり経済的には低いレベルで暮らしていたはずだが、周りがみんな同レベルだったのでそれに気がついていなかっただけだ。昭和30ー40年台は日本人が全体的に貧しかったせいでの、平等社会が実現できていたのだろう。そこから昭和50年台のバブルが生まれていくのだが、貧乏人がみんな金持ち幻想を抱けた幸せな時代だった。そしてバブルが始まる頃には、この写真のような光景は日本中から姿を消していたのだな。ちゃぶ台はなくなりダイニングテーブルになった。石炭ストーブは灯油ストーブの温風ファンヒーターにかわり、テレビはカラーになりリモコンが当然になった。

良き昭和というのはやはりこう言う光景が消え去った昭和50年代後半だったと思うのだなあ。

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昔の写真 2020年2月

2020年の1月にマスクが売り切れる騒動が起きた。最初はインバウンドの大陸チャイニーズが大量に買っていたせいだったが、海の向こうのビュきだったcovidがインバウンド客と共に襲来してきた。札幌では雪まつりが感染の契機になっていたに違いないと思う。初発は雪まつり会場の運営事務所だったはずだ。そこから3年にわたる「コロナ怖い怖い病」が始まったわけだが、まだ当時はこんな感じで人気の食堂に人が表列していた。
これから2ヶ月もすると、まるで外出禁止令が出たかのように街から人は消えた。当時の首相が生きていれば、あの時期を振り返って話をしてもらいたいものだが。

思えば、この時期から日本企業が大陸から撤退する契機だったチヌ手にy言うビジャにしれない。コロナが引き金となり、大国が大義なき侵略戦争を始める時代となった、と後世の歴史家は書くのかもしれないなあ。

ヨーロッパの中世はペストの大流行と共に終焉を迎え、戦争と覇権争いと植民地争奪戦に突入していった。疫病はいつの世でも経済の弱体化と戦乱の引き金なのだ。日本でも応仁の乱と疫病の大流行はセットだった。
コロナの時期から始まったインフレと大国の暴力装置発動は、それを思い起こさせる。徳川の知恵、国を閉ざすと言うのはある意味内国治安維持のため有効な手段であるような気もする。コロナの落とし子として直接合わないネット商談というビジネスインフラを手に入れたのだから、人の交流を止める令和の鎖国というのは、案外と正しい選択ではないのか。

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どうした 初代

小樽の初代は味噌ラーメンの名店だと思っていた。ちょっと不便な場所にあるので最近入っていなかったが、閉鎖れた札幌駅ビルの中にあった店は度々訪れていた。個人的には小樽ラーメンの代表だと思っていた。札幌の純蓮や桑名と並ぶ豚骨系味噌ラーメンの店で、一度は訪れたほうが良いととお勧めできる店だった。
その初代が、千歳空港のラーメン道場内に新店を出していた。味噌ラーメンの店が置き換わったようだ。前の店はトッピング全乗せ2000円みたいな売り方をしていたので、ちょっと危ないかなと思っていたが。

さて、いそいそと店に入り込み注文して出てきたラーメンは、なかなかビジュアルが優れている。断熱ステンレスのどんぶりというの都会のスマートさが感じられる。ラーメンの進化を感じさせるビジュアルではないか。
では、実食。すかさず脳内にクエッションマークが浮かんできた。何か微妙な違和感がある。おそらく油だ。スープに足すであろう香味油系の何かが変質しているらしい。食べ進めるうちに疑惑は大きくなるばかり。ラーメンを完食しないという経験を久しぶりにした。
遺憾である。まさに如何ともし難い。度し難い。など、脳内にあれこれ浮かんでくる。
今回だけのことだと思いたいが……………大丈夫か?初代。ちなみに、この時は店内がほぼ満席だったから、人気はあると思うのだが。

うーん、もう一回だけ試して見るか。長いお付き合いのあるブランドだし。それとも小樽の本店に行って、自分の味覚がぶれていないことを確かめようか。
千歳空港に限らず空港の家賃は歩合制で、それもかなり高めなので、普通の路面店より10-20%ほど価格が上がるのは仕方がない。おまけに、千歳空港は人口の少ない千歳市から採用するアルバイト従業員の取り合いで、時給も札幌より高かったりする。だから、この店で価格のことは言っても意味がない。ただ、1日の注文数は路面店の比ではないのだから、品質管理はとても重要だと思うのですけどね。

客数の多さに負ける、ということは飲食業ではよくあることなのだけれど……………

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もう一つの五十番

新宿で老舗町中華の五十番に行ってすぐ、もう一つの五十番に行った。札幌では、これも老舗の東京五十番だ。なぜ東京が頭についているのか不思議だったが、なんとなくわかった気がする。きっと、札幌の東京五十番初代店主が東京にあるどこかの五十番で修行したのだろうな。
ちなみに、五十番と言う屋号は新宿だけではなくあちこちにあるらしい。この店の本店はもはやなくなってしまったが、学生時代からお世話になっていた札幌の格安中華代表選手だ。

店頭のサンプルケース前に置かれた「日替わり」メニューを見てあれこれ考え込んでしまった。記憶の中にある日替わりは、確か380円、おまけに消費税など払わなくて良い頃だから、払うのは額面通りだった。
この店は実に正直なお店なので、税込価格で行事しているから払うのはこの金額で良いのだが、消費税がなければあと100円ほど安い。何が言いたいかと言うと、およそ昭和後半から平成にかけての値段は変わりがなかったのだが、令和になってほぼ倍に値上がりしたと言うことだ。
食べ物の価格が上がると革命が起きる。革命は思想で起きるものではなく胃袋で起きるものだと言うのは過去の歴史が証明している。ところが、世界中のボンクラ政治屋はそれを理解しようとしない。そして、ボンクラ政治屋は最後に粛清され消滅するが、また性懲りも無く生えてくる。人類社会の害虫ナンバーワンだが、まだ自分の番ではないと思いたがる。
食品価格が二倍になったとすれば、革命の危機はその倍以上に跳ね上がると言うものだが、自分はマリーアントワネットではないと思いたがるのが、バカ政治屋の特徴だから、令和の日本は実に危ういタイミングになっているとおもうのだよねえ。中華料理屋の値段を真剣に検討する総理大臣なんていないだろうし。

本日のサービスメニューは美味しくいただいたが、この量を食べる切るのは二十代くらいまでではないかと思う。昔はこんな量、へっちゃらだったのだなと、また別の感慨を抱いてしまった。

ちなみに立地乗せかもしれないが、この店には女性の一人客が多い。およそ半分くらいがソロ女性だった。これもなんだか時代の変わり目のように見えてくる。結婚5文字働く女性がほとんどの時代だから、当然のように飲食店でも女性客が増えているはずだ。ただ、なぜオシャレなカフェ飯ではなく、ちょと賑やかで手狭な中華料理店にくるのか、と言うあたりは考察すると面白そうだなあ。隣の女性が天津飯とラーメン(フルサイズ)を食べていたので、あれこれ考えてしまった。

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速度半減の冬道

去年の夏は暑い暑い夏だった。温暖化と騒ぐから冬もアタたくなればいいのにと思うのだが、そうはいかないようでやはり雪は降り積もる。それでも12月中は路面も出ているほど雪が少なかった。北海道の冬、特に積雪に関しては1月と2月だけが昔と同じくらい厳しいが、3月には雪が無くなるほどだから、やはり気温は上がっているのだろうなあ。
これくらい雪が積もっていると北国の冬という感じがするが、これも前日までは感覚的に半分程度しか雪がなかった。
ちなみに、歩道にも小型除雪車が入るので、雪が降っても歩行者が困ることはない。

ただし、道路の幅は明らかに狭まる。夏場では三車線規模の広い道なのだが、雪が積もれば1.5車線程度になってしまう。これも雪道あるあるだ。そして、車の速度は夏の時期の半分程度まで下がる。別に法規制があるためではなく、冬未知の怖さはみんな知っているので、じそく30Km程度が事実上の制限速度になる。速度があると止まらないから追突する危険もあるが、実は冬道では自爆が一番怖い。道路脇の除雪された塊に突っ込む程度であれば、せいぜいバンパーやフェンダーが凹む程度だが、雪道では軽く横転する。こうなると自力脱出は非可能で、場所が悪ければ救助が来る前に凍死する。
ちょっとスピーを出しすぎると、普通は運転していては経験することはないであろう360度回転とか720度回転とかにしピン技を交差点内でやってしまう。素人ドライバーがスノボの世界選手権みたいな難度の技を体験することになる。当然、交差点内ではそのスピンに巻き込まれる可哀想な人と車も存在する。歩行者にとって交差点を渡るのも命懸けだ。ああ、怖い。

冬には市役所のお仕事として除雪が充当なのだが、市が担当するのは、いわゆる幹線だけなので、それに接続する支線(脇道)は住民が頑張るしかない。そんな私設脇道は、なぜか幹線に対して斜めに接続されることが多い。少しでもショートカットしたいと言う気持ちなのだろうか。いつも不思議に思う。直角に繋ぐほうが除雪の量は少ないはずなのに。雪国の不思議あるあるだ。

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老舗ラーメン店での文化考察

冬本番のススキノで何日か滞在することになり、ふと思い立ち晩飯に老舗のラーメン屋に行こうと思った。普段であればもう少し都心寄りのホテルに泊まっているので、ススキの南部にあるこの老舗ラーメン店に来ることは稀だ。というより20年ぶりくらいかもしれない。
学生時代には飲んだ帰りにたまに酔っていたので、味の記憶はある。いわゆる昔ながらの醤油ラーメンを中心とした、昨今のニューウェーブ・ラーメンとは一線を画するの武士的なラーメンであるという認識だった。
すすきのという立地特性上、夜の7時や8時はガラガラだと思い込んでいたのだが、なんと満席で店先には席待ちの客が溢れている。
その姿を見る限り、どうも南方イスラーム圏からの来日者らしいとわかる。あれれ、と思った。基本的にラーメンのベース食材は豚が多い。鳥や牛はほとんど使われない。イスラーム圏の方が歯大丈夫なのか。
少なくともこの手の老舗ラーメン店でハラルなメニューがあるとは思えないのだが。

店内に入ってみそラーメンをチュモンした。どうも記憶にあるより濃厚系になっている。おそらく豚骨ベースのブレンドスープに変わっているみたいだ。これはこれで美味い。文句はないが、昔のあの「札幌的なみそラーメン」はどこに行ってしまったのだろう。
半分懐かしがり、半分あれこれ考え込みながら食べていた。店内から日本語は聞こえてこない。どうも南方チャイニーズ・南方の諸島国、そして南方イスラーム圏の人たちらしい。ようやく聞こえてきた日本語の注文もよく聞くとなんだかちょっと発音が合う怪しい。注文が終わった後の会話は半島語になっていた。
要するに従業員以外は、自分しか日本人がいない。なんとなくニューヨークでラーメンを食べた時のことを思い出した。すすきのグローバルナイトだった。

メニューブックには昭和中期らしいすすきのの風景が写っている。まさにはるかに遠き時代の風景だ。この頃の店主は自分の店が国際社会の縮図になるなどとは思っていなかったに違いない。ましてやラーメンが日本を代表する和食になるとはね。

個人的には、「僕の時代を返せ」と言いたくなる気分だが、日本人だけが客で店の経営が成り立たなくなるのであれ、積極的に外国人客を迎え入れてお店を続けてほしいとは思うのだ。ただ味だけは、日本人仕様を残してほしいのだけれどね。

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新宿のパワーとは海から来るのだ

どう見ても海鮮居酒屋風なのだが

新年会を新宿歌舞伎町でやると誘いがかかり、週末の昼過ぎにのこのこと歌舞伎町のど真ん中にある店に出かけた。店名を見る限り海鮮居酒屋と思うではないか。目の前は新宿歌舞伎町名物のゴジラヘッドホテルだ。

友人曰く、焼き鳥の評判がいいのだと。ネットでの店舗評価らしい。なので焼き鳥盛り合わせを頼んだら、ゴロンと一皿で出てきた。なんとも単調なビジュアルで、まるでテイクアウトの焼き鳥をさらに盛った感じだ。
たいてに焼き鳥屋であればこの手の盛り合わせはもう少し大きめの皿に出して、体裁を整えるのではないかと思うのだが……………
びっしりと隙間なく詰まった焼き鳥はちょっと窮屈そうに見える。おまけに、店員が品物の説明をしない。何がないやらわからぬまま当てずっぽうで食べる。

天ぷらも評判だというので注文したら、なんと衣がたっぷりの海老天が来た。この系統の天ぷらは米国あたりに行くとよくお目にかかる。天ぷらという名のフリッターだ。魚のフライに関する認識、つまり衣のカリカリ感を好むというのは日本人特有のものらしく、海外に行って現地のフライ料理を食べても大概はこのフリッタータイプ、衣が厚いものしか出てこない。日本的なトンカツやその一族であるコロッケなどの食感は、実は洋食ではなく近代和食特有のものだ。それは持ち帰り弁当屋ですら守っている絶対のきてだと思うのだが、この店ではなんとも面妖な海外仕様だった。

ネットで予約するとサービスで出てくる唐揚げ。これもネットコメントでは評価が高いのだそうだが、よくいえば普通。厳しくいえば、油の匂いがきついか。まあ、タダで出てきたサービス品に文句をつけても仕方がないだろう。
しかし、本当に見栄えに気を使わない店なのだなと感心してしまった。

海外資本のなせる力 と読み替えるべきでした 
日本人にはこうした店作りはできないでしょう 多分ですけど

店内の様子を見ても、メニュー構成を見ても「海」の気配は全くない。どうやら外国人観光客向けに特化した店らしい。だから日本人客はおまけというか、空いている席を埋める要員的な八曽が感じられる。
おそらく大陸系の外獄人が経営しているのではないか、という疑いを持った。確かに新宿歌舞伎町でリピート客を期待せず、一過性のインバウンド客を相手にしようとしたら、日本風のものをそこそこの値段で出し高速回転させるという商売モデルは成立しそうだ。二階・三階は大人数客をセットメニューで一気に回すという仕掛けになっているのだろう。
歌舞伎町周辺は一気に外国人向けのホテルも増えているし、自分の記憶にある限り外国人客は長居をしない。おそらく二軒・三軒とあれこれ店を試したいからだと思う。だから回転率が良い。あまり注文もせず長居をする日本人よりよほど良質な客であり、ネット情報さえ完備しておけば(それも非日本語対応で)繁盛するのだろうなあ。

店名の「海」の力ではなく、「海外資本」の力ということなのだと、歌舞伎町で思い知らされました。ちなみにレモンサワー、一杯50円という低価格だが、何倍飲んでも酔わない低アルコーツ?(微アルコール)というのもインバウンド向け仕様みたいだ。五杯飲んだらほろ酔い気分になれるかも。