街を歩く

鮭ではなくブリなんです

最近の日本列島付近の海流は異常をきたしているようで、ここ数年北海道では鰤が大漁続きだとは聞いた。そもそも、ブリは日本海側を新潟あたりまで北上して回遊を終えるはずの魚だったが、今では対馬海流が強まったため新潟どころか青森を超えて、青函海峡すら突破する。大間のマグロも同じようなルートで北海道青森沖合が一大漁場になっているが、そこにブリも参戦しているのだという。ブリはマグロよりも元気が良いのか、青函海峡をつき抜けて東方面海域に進出し、襟裳岬沖あたりで北からくる千島海流にぶつかるまで頑張っているのだ。
ところが、襟裳沖合はもともと北からの寒流に乗って鮭が帰ってくる場所なのだが、ブリの大群に押されて鮭がいなくなってしまったそうだ。
何年もかけて自分のホームに帰ってきた鮭が、ぶりに邪魔されて母なる川を遡上できないという、なんとも哀れなお話になっている。鮭だけが困るわけではない。鮭を獲れないと漁師も困るだろうが、鮭漁の網の中には鮭ではなくブリだけが入っている。まあ、鰤が鮭より高く売れれば、これは外道ながらの豊漁と喜ばれるのだが。
しかし、基本的に北海道人は鰤を食べない。例えば、札幌の居酒屋で鰤ダイコン、つまり居酒屋における定番煮ものにお目にかかることは稀だ。カスベ(エリ)の煮物かカレイの煮物が北海道的な定番に魚だろう。そもそもブリの刺身もほとんど食さない。ぶりの豊漁では金にならないのだ。
ただ、鮭ではなくブリしか獲れない期間が何年にもなると、流石に北海道人も鰤を食べるようになったようだで、最近ではスーパーで北海道産ぶりを見かけるようになった。値段は、明らかに安い。重量単価でみると秋刀魚より安い気がする。
鮭漁で取れる外道な魚なので値段は安い。まさに猫またぎと言われそうだ。鮭の値段と比べれば1/10くらいではないか。

だからなのか、ついに北海道産のブリがその安値を武器に関東圏に進出してきた。半額セールの特売目玉商品なのだが、北海道生まれとしては、これを実食して良いものだろうかというためらいがある。本当は襟裳沖の美味しい鮭を食べたいのだ。なぜか鮭がブリに振り替わってしまうというのは、無念のような気がしてならない。
それにこの大ぶりなサクでは一人で食べきれそうもないし、悩ましいものを見てしまったなあ。

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画期的な提案

まあ、気持ちはわかる。掃除する人の身になってトイレは使いましょう。ただ、この方式を徹底するには幼稚園から教えなければいけない「社会努力」だなあ。人類の半分を担うものの自覚に頼るのではなく(ジェンダー的発言だが、男という生物はその手の認識能力がけっって意的にダメな生存不適合種だと思います)、小児期からの教育で変革するべしということか。
エスカレータの片方開けるという文化も数十年前には存在しなかったが、いつの間にか全国に広がった。ただ、大阪以外は右アケ、大阪だけが左アケというのは文化人類学的な検証課題だと思うが。その右開け習慣が、事故発生多発で問題となっている。その原因は旅行に持ち歩くキャリーバッグの普及という技術的な問題解決から派生したと思うと、これまた面白い社会学的研究テーマだなあ。

だから、この男も座って処理しな最低限は、時間をかけて啓蒙すれば15年くらいで定着するのではないだろうか。幼稚園児から教育して、その子が18歳、つまり成人になる頃には社会的に定着する。あとは、頑固に(愚かに)たったまま所用を済ますオヤジとジジイが死滅するのを待つだけ。この座り利用という習慣が完成するまでおよそ50年というところだろうか。


ただし、その前に、和式便器の追放・撲滅をしなければねえ。東京オリンピックのおかげで、東京から和式便所はほとんど消滅したと思うが、まだ地方の公共施設にはたっぷり残っている。空港や鉄道駅ですら「和式の暗い便所」が亡霊のように生き残っているのだから始末が悪い。JRグループ各社の経営者は、敵をキレイにする前に、まずトイレのカイカウを断行しましょう。特に西日本の各社、きばれや。

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醤油ラーメンだけの店

電話番号がすごいなあ

JR新札幌駅に併設されている商業ビル「サンピアザ」は開業以来50年以上続いているが、地下鉄東西線延伸に伴い、札幌では珍しい交通結節点として賑わいを極める。ほぼ完全な自動車社会の札幌で、都心部を除けば自動車なしでたどり着ける珍しい商業地区であり、当然ながら交通弱者、つまり高校生と高齢者の姿が圧倒的に多い。
その商業ビルの食堂街に、だいぶ前に開業したラーメン屋がある。我が情けない記憶に頼る限り10年か15年前の開店ではないか。

昭和中期、まだ石炭産業が賑わいを極めていた頃に最初の店が開店らしい。北海道の石炭産業は、敗戦後の外地引き揚げ者の受け皿となった。また、荒廃した国土と社会の再建のため使われる主力エネルギー源として、石炭採掘は国の基幹産業だった。
炭田と呼ばれる石炭産地は北海道各地と九州北部に集中していた。映画や小説の舞台としても使われた賑やかな場所であり、その炭鉱地帯の繁華街には飲み屋や食堂が大量にあったようだ。石炭採掘という重労働を担う炭鉱夫とその家族は、比較的潤沢な収入に支えられ文化的、享楽的な生活を送っていたらしい。当然、当時の人気ものであるラーメン屋も炭鉱町には何軒もあったに違いない。その一つが、この小鳩食堂ということだ。

初代のトッピング お麩とうずまきのなるとが当時の定番 煮卵は贅沢品だったと思う
お水はアルミカップでというのがなんとも懐かしい

当時は味噌ラーメンが生まれる前のことだから、ラーメンと言えば濃いめの醤油味限定で、現在の濃厚系豚骨ベースのスープではなく、野菜と鶏ガラが主体のあっさり系。それに醤油のタレを使った塩味の強いスープに仕立て上げたのが、いわゆる炭鉱系ラーメンだったようだ。
その後、昭和40年代に入り石炭産業は斜陽化していく。取り扱いの簡便な石油に置き換わっていくと同時に、産業用の石炭(製鉄や火力発電に使われる)も割安で高品質な輸入石炭に置き換わっていく。当然、国内の石炭産地では生産効率の悪い「山」から、順番に閉山が始まる。敗戦直後から繁栄を極めた石炭町がゆっくりと衰退を始める。人口が1/5 や1/10に激減するのだから、街が死んでいくのも無理はない。

そんな炭鉱町のラーメン屋が地元の衰退を見かぎり札幌に移転したとすれば、それは英断というものだろう。ただし、炭鉱町の、それも昭和中期のラーメンが、平成の都市在住者に受け入れられるのかというのは、これまた大冒険だったのではないか。

初めて食べた頃は600円くらいだっだかな

だから、この店には3種類の醤油ラーメンがある。が、味噌ラーメンはない。それが潔いと思う。醤油ラーメンだけで勝負するのは勇気がいっただろうなあ。
店内は昭和中期のイメージで内装されているが、一番すごいのがメニュー構成の作り方で、学校給食を模している。ラーメンとカレーのセットなど、もしも給食であったらいいなのナンバーワン・メニューだろう。

などとラーメンが出てくるまでビジネス的なあれこれを考えてしまうのが、この店のいいところだ。店内を観察していると分かることだが、結果的に昭和のラーメンを懐かしんで食べる高齢者より、経験のない昭和の食べ物を恐る恐る試しに来る若年層の方が多い店になった。
子供の頃に食べた懐かしい味、などというのがヒットするのは、その店の客層が30-40代であるときだけで、その主客層が歳をとり60代と高齢化すると(つまり店舗も20年程度は続いたことになるが)、一気に衰退する。昭和後期のファミレスや居酒屋チェーンが消滅したのは、そういった客層の高齢化に起因すると思う。時代に合わせた進化ができないだけなのだが。ただ稀に客層の若返りに成功する業態や店舗もある。

余談だが、団塊の世代の嗜好に合わせて変化し続けた業態は、そろそろ変化のしようがなくなる。団塊の世代が丸ごと、キセキ入りすからだ。もはや団塊の世代にはマス消費の主力とはなり得ない。最後に生まれる団塊世代需要は介護付き高齢者住宅と葬式ビジネスくらいだろうか。

この店はその団塊世代からの客層乗り換え事例として典型的な成功例で間違いない。少なくとも子供連れの客が多いことを考えると、この先20年や30年くらいは長続きしそうだ。昭和100年などと巷では言われるが、昭和30年をテーマにした食堂は、もはや江戸時代を扱った時代劇の舞台とあまり変わらないのではないか。などとマーケティング屋的には感心してしまうのだ。

おそらく明治期の人々が時代劇を見て、自分の親たちはこんな暮らしぶりだったのだなあと懐かしんでいたように、現代人は昭和中期を手近な過去体験として楽しむ。時代が変わっても、ちょっと前を振り返ってみるのは、楽しいエンタメであるということだろう。令和50年にでもなれば、平成文化も同じ扱いになるのかなあ。まあ、その時は生きているはずもないので、全くの他人事だけどね。

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羽田空港で籠城

第2ターミナル 5階の展望台 高級イタリアンレストランもあったのは驚き

羽田空港はもう何十年も通っているが、屋上の展望台には行ったことがなかった。今月に生まれて初めて展望台に登って、滑走をを飛び立つ飛行機を眺める羽目になった。その理由は、北海道周辺で発生した爆弾低気圧のせいで、その日に乗る便が欠航となったせいだ。
空港には2時間以上早くついたのだが、荷物を預けようとしたら機械に拒否され、何がどうしたと思ったら欠航と書かれていることに気がついた。
当然振り替え便の手配をしなければならないのだが、あいにくこの日は三連休の中日で、当然席に余裕はなく、他社便への手配を含めて大行列ができていた。並ぶこと1時間、いい加減足が痛くなってきた頃にようやくカウンターに辿り着き、手に入れた振替便はなんと7時間後に飛ぶもの、それしかないという。とりあえず昼飯を食べるにしたが、どのレストランも休日ということもあり入り口で待ち行列ができている。

そこで昼飯の時間を外してみようと、展望台に行ってみることにした。ものすごい数の人がいた。どうやらみんな考えることは同じで、振替便まで時間がある乗客が押し寄せているらしい。それでも、室内設備は満席だが屋外の休憩席は空いていたので、ひとまず1時間ほど暇つぶしをした。その後、のんびりと昼飯を食べた。
そこからはやることがないので、早々と搭乗ゲートまで行ったのだが、そこには自分が乗る前の前の便の乗客であふれている。座る席もない。仕方なく、しばらく空いているゲートの前の空席を求めて、空港内ジプシー生活をする羽目になった。

お詫びの昼飯代らしきものが提供されたアプリ画面

どうやら8時間近く待たされると、1000円分だけ食事の補助金が出るらしいのだが、渡された紙に書かれたQRコードから、補助金請求画面に飛んで手続きをする。これが、実に使い勝手の悪い代物で、最終画面に辿り着くまでに30分近くかかった。こんなことをさせるくらいなら、搭乗券を買ったのと同じ口座、クレジットカードで自動的に払い戻しをして欲しいものだ。
これでは全くお詫びの意味が逆に働いてしまう「ダメ」対応だろう。

Screenshot

結局、当日は時間だけはたっぷりあるからあれこれ失敗しながらも補助金ゲット(というかゲットするための認証番号を入手)したとことでギブアップした。

補助金獲得にはいくつかの電子マネーを選べるのだが、自分が選んだアマゾンは(アマゾンだけなのかもしれないが)、アマゾンサイトに移行してからは認証番号を入力する必要もなく、一気に簡単に手続き完了した。自分のアカウントにも自動的に接続されたのでストレスなしだった。
ここまでのモタモタした手順が嘘のようだった。おそらくアマゾンサイドのリンクを含めた設計が至極まともなのだろう。あれこれ勉強になったが、空港で8時間も待たされるのはもうごめんだ。ちなみに出発便は1時間遅れたので、羽田空港を飛び立った時はすでに晩飯の時間を過ぎていた。補助金は昼飯と晩飯、二食分提供して欲しかったぞ。

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地下鉄の停電とは

改札機をバラして入場できないようにするのだと初めて知った なんだかシュールな光景だ

札幌の地下鉄東西線が停電で運休となった。あとで確認したら6時間ほど止まっていたようだ。テレビのニュースによると、アルミ製バルーン(よくイベントなどで売られているぷかぷか浮かぶやつ)を、どこかの地下鉄駅ホームで手放したお馬鹿さん?がいて、それが架線に接触してショートしたことが原因とのことだった。このバルーン対策はこの先どうするのかはわからないが、想定外の事故だったらしい。
大水による浸水で地下鉄が止まったりすることはあるし、それはまだ納得できるのだが、停電で止まって復旧できない、原因が即時に発見できないというのはリスク管理上に大きな問題があるのではないか。地上を走る電車であれば電車が止まっても脱出はできる。それが畑の真ん中であっても、山の中であっても電車から退避することは可能だ。が、地下鉄ではそうもいかない。真っ暗な中を隣の駅まで歩くのかと思うと外に出るのは躊躇われる人も多いだろう。感電の危険もある。

そんなことを考えながら駅の改札前で30分ほど待っていたのだが、復旧の見通しは当分ありませんというわけのわからないアナウンスを三度ほど聞いて諦めた。この地下鉄を運営する人たちは、いや組織はお馬鹿さんなのだなと。
首都圏でもなんらかの原因で電車が止まることは度々ある。そのたびに思うことだが、いい加減なアナウンスをする私鉄各社(JRを含む)は多い。電車待ちを余儀なくさせられている乗客が知りたいことを伝えようとしない。自分たちの責任になるようなことは一切言おうとしないことだけが徹底されているらしい。
つまり、乗客の知りたいことはシンプルで、停車の原因はなんなのか、いつ電車が動くのか、それが判明できていない時はあとどれくらい待てば、その情報を伝えるられるのかに尽きる。あと10分で運転再開であれば待つという人もいるだろうし、あと1時間止まるというのなら代替の交通手段を探そうとする、あるいは所用を諦め自宅に帰るという選択肢もある。それを言わない。言おうとしない。
経験的にダメなアナウンスをするのはJRの一部駅、「武」のつく私鉄。逆にかなり的確なアナウンスをしてくれるのが、「京」のつく私鉄だ。
鉄道事業者が安全運行を目指すのは当然だが、運行停止に追い込まれた時の危機管理ができていない。営業組織として「客」に対する気遣いが足りなさすぎる。

まして、札幌の地下鉄は「官製」鉄道なので、関東圏私鉄以下の対応だと思う。昭和後半・平成に断行された官製事業の民営化のおかけで、普通化した事業体はかなりサービス業の基本を学んだようだが、今でも官製事業は公共交通に多く残るので、交通サービス業はダメダメ事業者が多い。
大規模な事業体といえば、東京都営地下鉄・バス事業や大阪の地下鉄、札幌や福岡、横浜、名古屋、仙台などの地下鉄事業だろうか。それでも首都圏などでは私鉄と地下鉄の乗り入れが進んでいることもあり(東京メトロは私鉄扱いしても良いと思う)、それなりのサービス水準にはある。それ以外の大都市圏公共交通事業は、民間に移譲した方が良いと思うくらいの低レベルサービス業だ。

それにしても一番不思議だったのは、停電しても駅構内の照明は消えないことだ。電源が運行と改札業務では別なのだな。それはそれでリスク管理ができているのかもしれない。
例の北海道大停電の時はどうなっていたのだろう。確か、東豊線は道路が陥没して地下鉄線路が埋まったのではなかったか。その時の経験値が生かされるということはなかったのだろうか。不思議な組織だ。

ただ、この運行停止事故は、ニュースでの扱いは実に小さく、あからさまに札幌における公共交通機関の地位が低いことに気づかされた。首都圏であれば夜の大ニュースだろうになあ。自動車社会に地下鉄は不要ということらしい。

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時計台よりフォトへニック

右側の銀杏がちょっとだけ中心部に向かって斜めになっているのが、よって撮ったときの歪み

札幌市中央区、北2条にある中通は、都心部一番の幹線である駅前通りから、旧北海道庁・赤煉瓦庁舎が見える観光スポットだ。明治期に建てられた建物が保存されていると、大概は観光名所になるのが世の習いだが、やはり東京駅の駅舎など赤煉瓦で建てられた建造物はよく目立つ。山形市にある洋風建築物や宮崎市にある宮崎県庁なども風格があるが、やはり「赤い建物」はよく目立つし人気があるようだ。
その中通りにある銀杏が、秋も深まるこの時期には黄色く色づく。赤と黄色のコントラストは実に素晴らしい。これに晴れきった青空がバックになれば、まさにフォトジェニックという風景が完成する。
残念ながらこの日は曇りで、青空が見えない日だった。それがちょっと残念だ。ただ、もう少し季節が進み、この場所が一面の雪に覆われると、それも降った直後の足跡などが見えない瞬間が、もう一つの撮影タイミングなのだが、こちらの方がはるかに難しい。足跡ないのは早朝だけだし、深夜に雪が降り朝はピーカンの青空というのは、一年位一度歩かないかの激レアだと思う。足跡有りでよければほぼいつでもOKだ。

引いて撮ると周辺部の歪みが少なくなる

この日も、この雲がなければ時間的には夕焼けが広がり始め、空の下は赤、空の上は青、赤煉瓦と銀杏という、これまた自然の瞬間芸が楽しめただろう。実に惜しい。
だから、写真とはそういう瞬間を切り取るアートなのだと思う。ちょっと昔であれば、大型の一眼レフカメラを抱えたアマチュア・フォトグラファーがたくさんいたものだが、最近はすっかり見かけなくなった。スマホのカメラの性能が爆上がりしたせいもあるが、なんといってもスマホは撮った画像を補正のしやすいアプリと連動しているので、SNSにアップする手間を考えると一眼レフカメラではスマホに勝てない。


ただし、スマホのレンズは小さいので画角によっては歪みが拡大されるのが弱点だが、それすらアプリで補正できるみたいだ。一番簡単なのは最大に引いた画面で撮影し(これだと歪みが出ない)自分の好みの部分だけを切り取るというテクニックを使うことで、歪みを回避できる。プロとアマの境目が小さくなるわけだ。

良い写真をお手軽に撮れる。ありがたい時代の進化だな。

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やはりこの店、居心地良い

学生時代からお世話になっていた老舗焼き鳥屋だが、その頃から風格があった。カウンターが10席程度、それにテーブル席が二卓という小ぶりな店なのだが、最盛期は支店が数店あったように記憶している。今では、この本店だけみたいだ。
熱燗のコップ酒を初めて飲んだのはこの店だったような記憶もある。それまではビール(札幌の赤星)しか飲んだことのないアルコール初心者だった。コップ酒は大人の階段を上がったような気がした。
まだサワーなどという気の利いた飲み物は存在していなかった時代でもあった。それでも酎ハイはあったのだろうか。確か、焼き鳥屋では梅酒を焼酎で割った梅割りというピンクの酒があったが、この店はビールと日本酒だけだったように記憶している。ハイボールが焼き鳥屋で飲めるようになったのは随分と後になってからだった。

焼き鳥屋のサイドメニューといえば漬物と決まっているが、この店には札幌らしく「にしん漬け」がある。白菜漬けよりちょっと高い高級品という設定たが、今では同じ値段だ。時代の流れなのか、にしん漬けの生臭さが嫌われてしまったのか。原因はよくわからない。
昭和中期には自宅で漬物をつける文化が健在だったので、飲み屋で漬物を注文することもなかったものだ。今では「外食」して食べるのが漬物という具合になっている。焼き鳥屋で学ぶ文化史の変遷例だ。

札幌の焼き鳥屋は、お江戸でいうところの串焼き屋ということになるのだろう。お江戸では焼き鳥屋は鳥肉しか出さない。内臓肉・モツを出すのはもつ焼き屋であり、両方合わせているのが串焼き屋と名乗っている。
札幌の焼き鳥屋では定番なのが、鳥のもも肉を焼いた鳥クシ(鳥精)、豚バラ肉を使った豚クシ(豚精)になる。それに加えてたん・ハツ・レバー・ガツといったモツ系の串がある。つくねは店によって形状が変わり、棒状のものと、丸い団子を三個程度串刺しにしたものが提供されている。当時は、どこの店でも、うちの店で出しているものがつくねだと力説され、他方を否定する「独断と偏見に塗れた」つくね論争があった。今ではそんなこと話は聞かない。個人的にはどちらも上手いと思う。
最近では、あれこれと変わったソースや具材を使った新串へ「拡散と変容」を繰り返し、焼き鳥というより串焼きへと変化している。

この店には簡便なスチール丸椅子に簡素なスチールテーブルという、昔のスタイルがそのまま残っていて、現代風の小洒落た串焼き屋とは一線を画す風格がある。そんな店こそ、居心地が良いと思うのは、やはり高齢化のせいなんだろうなあ。新しいものより古びたものが良いと言い始めるのは、人生の後退期に入りノスタルジーに浸ることが快感になるかららしいのだが。自分もその例外ではないと思い知る「マイ・ホットスポット」なのであります。

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ヤオコーで美味いもの

高知の知人が埼玉県のスーパー、ヤオコーと取引を始め、なかなか面白い「カツオのはらんぼ」を売り始めた。ハランボとはカツオの腹の下側の部分で、とても脂が乗っているが、鰹のタタキを作る工程で捨てられてしまう。高知では、たまに居酒屋で焼いたものが出るくらいで、関東圏ではあまり馴染みのないものだ。それを鰹のタタキのタレに漬け込んで冷凍にしたものを開発した。シーフードサラダや海鮮丼の具材として使うと良い具合だ。
歯触りに独特のコリコリ感があり、熱々の白飯の上に乗せて食えば、白飯を丼で一杯くらいはすぐに平らげてしまうほどだ。

冷凍食品売り場に酒の肴、つまみといった括りで全国のあれこれが並んでいた。たまたま目についた北海道産のホルモンにも食指が動くが、それはまた次回ということにしよう。カツオのわら焼きたたきも同じところで売られているので、カツオ対決?というところだろうか。
埼玉のスーパーが全国の美味いものを集めて売り出すというのは、なかなか高等な食文化提案だし、ゴージャスな食卓を作り出す。食の幸せ的こころみではないか。

その時に見つけた北海道フェアの中に、ヤオコーPBである釜飯の素があった。これはすごいことだと感心した。今年の夏、テレビ番組で取り上げられプチブレイクした「とうきびご飯の素」を再現したらしい。開発期間を考えると、とてつもない超スピードで商品発売にこぎつけたことがわかる。そうでなければ、テレビ番組でブレイク、品切れが起きる前から「先行商品」に目をつけて開発していたということになる。なのだとしたら、それはまた別の意味ですごい。ヤオコーバイヤー・商品開発チームの目利きが凄いということになるからだ。

安売りではなく、わざわざそこで買いたいものを売り出すのが、本当の売る力だよなあと、久しぶりに感服しました。

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ラーメン道場 最後の店へ

ルックスが平面的で立体感に欠けるとは思うが、普通に美味しい 煮卵は沈んで黄身が見えませんでした 残念

千歳空港のレストラン街にラーメン道場という、北海道の有名ラーメン店が集まったところがある。おおよそ10店ほどがひしめいているが、行列のでき方が店ごとに変わっているのが面白い。一番長い行列ができるのはエビそばの店だが、それ以外で言うとやはり味噌ラーメン系の店舗が人気のようだ。
そして、コロナの後に起こったことだが、インバウンド目当ての値付けが尾横行している。特にこの一・二年での値上げがひどい。コロナ前はだいたいシンプルなラーメンが800円前後だったが、今では推しメニューがその倍以上という店も多い。
やたらトッピングが乗っているだけのラーメンばかりで、ラーメンの味自体はトッピングなしのものと変わりはしない。個人的にはトッピングラーメンを頼むことがないので、あまり関係あるとは言えない些細なことだが。
そのラーメン道場で、唯一行ったことのなかった店に入ってみた。すすきのの人気店らしいが、記憶にはない。おそらく新興の人気店だと思うのだが、ここ10年以上、飲んだ後の締めラーメンをしなくなったので新しいラーメン店、それも夜営業の店は知らないのだ。


とりあえず味噌ラーメンを頼んでみた。普通に美味い。ちょっとどろりとしたスープは、現在のラーメンスープのスタンダードに近いものだ。チャーシュー、メンマというサブキャラもスキがない仕上がりだった。ススキノの夜には似合っている気がする。

一番感心したのは、トッピング全部乗せ高級ラーメンではなく、普通のラーメンがこのラーメン道場の中でも比較的低め(多分下から二番目)の値付けにしてあることだ。税込表記なので、本体価格は1000円となる。この千歳空港という高家賃・高人件費の場所で営業するには、このお値段で大丈夫かと心配になる。まあ、客の心配することでもないか。

ラーメン道場の全店舗制覇して思うことが、値付けの心配とは自分でも予想できない結果だった。が、全店試してみたので評価を個人的に考え、おすすめランキングなるものを作ってみた。
意外かもしれないが、札幌味噌ラーメン系の店はランク下位になる。味はまずまずだが、メニュー構成やオペレーションに難がある。どうも人気に負けて店作りが乱暴になっている気がする。札幌以外からのラーメン店は、やはり値付けに課題があり、超トッピングもりもりにしたり(ラーメンとして意味がわからないものまで乗っている)、高級食材使用してますなど言いはり、ビックルする価格で営業している。

実はすでに閉店して代替わりしてしまったが、フードコート内にあった千歳のローカルラーメン店が一番好みだったのだよね。特にカレーラーメン。あの店がなくなったのは実に残念だなあ、などと天邪鬼なことを考えております。

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80年代の英雄達

いつも気になるススキノ近くの立ち飲み屋で、これまた素晴らしいものに出会った。店頭にかかっているのれんのようなものは広告というよりアートだろう。
こののれんもどきアートは、どうやら季節に応じて出し物が変わるようで、初めて見た時は怪獣シリーズだった。前回はキン肉マン・レスラーで、今回は懐かしのお笑い番組キャラに変わっていた。というか、そのパロディーだ。
ただ、この「のれんのような物」に登場するキャラクター・元ネタを理解できるのは、もはやオヤジ族ではなくジジイ族だろうなと思う。リアルタイムでウルトラマン初代や仮面ラダー初代に夢中になった世代が、10代に成長した頃に流行っていたものだ。
土曜の夜といえば子供達はテレビに齧り付いていた。ドリフターズや欽ちゃんのバラエティー番組だった。その世代がハイティーンになる頃に、漫才が復活してブームになり、その勢いで新しいお笑いエンタメのスターが登場してきた。


昭和から平成にかけてのお笑い御三家?であり、今やお笑い業界の巨匠?レジェンドである、タモリ、さんま、タケシなどが毎日テレビに露出し始めた頃だった。その新興芸人が揃って出演していたのが「ひょ○きん族」であり「笑っていいとも」だった。
最近ではあれこれ話題になっているお台場のテレビ局が、視聴率競争でトップに躍り出るきっかけの一つが、新しいエンタメ番組だった。だから、このパロディーネタを笑えるのは、1970年以前に生まれたジイサン(バアサンもか)だけだ。なんとも理解難度の高いパロディーではないか。作成者には一度お会いしてみたものだ。

しかし、赤ちょうちん族といいながら、店頭に赤提灯はない。赤いコスチュームを決め込んでいるのは、Bたけしこと世界の映画巨匠なのだ。

ホタテマンとパーデンネン  ……………だったかなあ

ピンクの衣装で踊っているのは、アホちゃいまんねん。ぱーでん……………などと流行になったフレーズを繰り返す、あのおしゃべりマシーンの若かりし頃の姿で、トークではなくコスプレコントで人気を保っていたのだな。馬鹿馬鹿しさと笑いの間に教会まで紙一重で踏みとどまるセンスが売り物だった。

確かに、たけしとさんまが二枚看板で、それに若手芸人がそれぞれ独自の芸風(ユニークキャラを立てたもの)で人気を博していた番組だが、当時の演者で今でも現役で活躍するものは少ない。それどころか随分と他界してしまってもいる。

今でも忘れないフレーズやキャラ名が、この暖簾を見ていると思い出される。ブラックデ○ルだぞー、とか、あみだくじの歌が脳裏に蘇る。記憶力が低下し始める時期になりながら、どうして若い頃の馬鹿馬鹿しい記憶は鮮明に思い出されるのか、実に不思議だなあ。
やはり次はこの店で「立ち飲み」への挑戦を避けるわけにはいかないと思う。そして、この「のれんのようなアート」の制作者を聞き出さなくては。