街を歩く

街歩きで気がついた「メニューと看板」について

昔から、カメラ片手に街をふらついて写真を撮っていたが、最近はスマホのおかげで本当に便利になった。デジカメが売れなくなる理由がよくわかる。そんな街歩きで気がついたことのあれこれ。

最近見つけたお気に入りの喫茶店の店頭看板。個人的には色々と注文をつけてみたいところだが、喫茶店でランチという習慣はぜひ復活して欲しいので文句はつけない。
この魅惑のラインアップ。良いですね。オムライスとスパゲッティナポリタンは絶対定番だし、生姜焼きプレートは外せない。カレーとピラフも忘れずにという感じで、そもそもこの喫茶店でランチという看板に引っかかる年代といえば、決して若くないはずだ。少なくとも昭和生まれで、まだスタバが存在しなかった時代に喫茶店をヘビーローテションで使っていた年代だろう。

だから、こうした懐かしのラインアップを見せられると、1回では済まず、2回3回と吸い寄せられるようにきてしまう。そういう麻薬的効果を、ごく一部の客層に及ぼすという意味で、この看板は大変有効だと判断する。一番下にさりげなく載っているコカコーラ瓶入りの写真は、これまた「やられました」感が強いなあ。

茅野市のラーメン屋のメニューは実に力強かった。一押しは味噌ラーメンに棒状の角煮が乗った「ガツン系ラーメン」で、実にストロングスタイルな押し方だ。ただ、標準メニューは一番下のプレーンな「たれ味噌ラーメン」のはずで(普通のラーメン屋であれば)、この強弱の差がすごいと思う。標準品が廉価版というか劣化版というか、そういう見せ方になっているのだ。相当にトッピングの角煮に自信があるのだろう。ただ、注文したのは「タレ味噌ラーメン」で「一本角煮ラーメン」は次回のお愉しにになったけれど。普通のラーメン屋とは違うメニューの見せ方、価格の高い方を標準として見せるというのは参考になるなあ。

北海道地方特有のザンギという食べ物、鳥の唐揚げとは微妙に味付けが違うが、要はフライドチキンと言ってしまえばそれまでの鳥の唐揚げだ。ただ、北海道でも意外と「ザンギ専門店」は少ない。「うまみギュッと・・・」という表現は、どこかで見たような気もするが、ザンギの特徴はよく表せている。そもそも鳥の唐揚げは、全体に茶色で、色のバランスがわるい食べ物だから、広告としてコピー(swん伝文句)で補ってやらないとうまそうに思えない。そこを上手に処理しているので、店頭看板としては優秀作だ。ただし、広告として広域に使う場合は、これだけでは北海道人しかわからないということで補足は必要になるけれど、お店の場所がススキノの外れだから、北海道人限定で「ザンギ」と言い派なしでも良いかもしれない。

全国にあるローカルフードって、観光客に説明するような必要はないような気もするので。

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冠婚葬祭用レストラン 東山

久しぶりに新宿高層ビルにあるレストランに行った。個室和食「東山」という店で、冠婚葬祭の会合によく使われるのだという。
和食の店だからということで従業員も和装なのだが、やはりお祝い事で使われることが多いからなのだろう。

本日の献立、というのが普通にテーブルに出るようになったのは、テレビの「鉄人」シェフの影響だろうか。確かにいちいち料理の説明をされてもよく覚えていないことの方が多いので、これは便利だと思う。

和食は料理もさることながら、器で食べるもの(見るもの)だというのは正しいと思う。料理は愛でるものだ。こうした和食の手法がフランスに渡りヌーベルキュイジーヌになったといわれて、パリにいく機会があった時、伝統的フレンチとヌーベルキュイジーヌを食べ比べてみた。確かにソースの見せ方、皿の使い方、伝統的手法と随分違っているなと感じたし、懐石料理風と言われればそういう気がする美しさだった。それでも、この小鳥の器のような使い方ではない。懐石料理とはまさに箱庭的な見せ方だが、例えばアメリカで成功した日本食レストランは、こういった視覚的手法を積極的に取り入れているので、そのうち日本食という食べ物ではなく、懐石的演出技法の方がもっと日本的料理として広まるのかもしれない。

まだ、この鶴をあしらった器の調達あるいは使用にまでは到達していないような気がする。有名な陶器工房、ウエッジウッドも、ロイヤルコペンハーゲンも宋・明・清代の陶磁器の影響を大きく受けていると聞く。宋や明朝の影響を受け、あるいは技術を盗み、日本の陶芸は進歩した。その先にこの鶴の皿がある。日本のファミリーレストランでは決して使われることのない皿が、アメリカのレストランで使われることになるかもしれない。それを見て日本でまた違う器が生まれるのかもしれないと思うと、世界は互いに影響し合っているということだろう。そのうちフレンチにもツルやカメの皿が使われるようになるのかもしれない。そう言え馬、西海岸のヌーベルシノアもアメリカンチャイニーズがフレンチ的に進化したものだったなあ。

鶴翼の皿

デザートというかお茶菓子が、アイスクリームの最中というのも、また今の時代だななどと思いながら。ゴロンと一個を丸のまま出されても困るので、切り分けてあるのが現代和食だろう。伝統和食であれば、もっと小さいアイス最中を作ろうとするのだろうね。しかしそのためには専門職人が必要になるような気もする。直径2cmのアイスクリーム最中を作る職人って、どれだけ需要があるのか。(それでも食べてみたい気はするが)まあ、それが日本的なこだわりかもしれない。

窓の外は秋晴れで、東京都庁がよく見えた。東京西部を見渡す光景は、なかなかのものだ。確かに冠婚葬祭にはよく合うレストランだった。

向かいは都庁

たまには良い景色で良い日本料理を食べるのも素敵だ。

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秋深まると

11月後半から12月に入り一気に気温が下がってしまい、もはや秋とは言えない。

今年は随分遅くまで暖かったので、紅葉を見そこねそうになった。10月は台風と雨続きのせいで、高速道路が閉鎖されたりしたこともあり、随分と大人しくしていた。そうしたら、紅葉を味噌こねそうになり、ちょっと慌てて信州に行ってきた。

まあ、なんとか無事に紅葉を愛て、蕎麦を食べて、いつもの秋の信州という感じで。

そんなとき北海道に行ったら、ななかまど のみが真っ赤に色づいていた。子供の頃は「カラスの実」と言っていた。理由はわからない。真っ赤な身を食べるのが、カラスくらいしかいないと思われていたのか。こんなに綺麗な赤なのだが、全く食用にはならない(はずだ)

そして、それから一月もしないうちに「冬」到来して、こんな光景に変わってしまうのだよね。

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美鈴コーヒーと可否茶館

美鈴コーヒーとは長い付き合いだ。本店は函館にあるようだが、札幌でも長い歴史がある。40年以上も同じ場所で営業しているのだから立派なものだ。
かれこれ昭和50年代の昔、喫茶店文化というものが健在だった頃、あちこちにあった個性的な店はおおかた無くなってしまった。オーナーの代替わりに耐えられないということがいちばんの大きな原因だが、セルフサービスコーヒーがあまり目だたない札幌でも、喫茶店は退潮にあった。
いわゆる大箱の喫茶店も順番に消えていったような感がある。出会いの〇〇○、別れの△△△などとい肩書きを持った喫茶店もあったくらいだったが、いまは昔の話。

苦味と酸味の強いスタンダード

そんな喫茶店退潮の流れの中で、頑固に喫茶店文化を守っているチェーンが二つある。一つが、この美鈴コーヒーで、ススキの近くの地下街にある店は、多分地下街開業以来ずっとある。札幌駅地下の店は、地下鉄開業以来ずっとあるのではないか。つまり札幌オリンピックの頃からあるということだ。
コーヒーは、特に個性的な味ではない。だからこそ長続きしたのだろう。メニューも、コーヒー以外のソフトドリンクの他に、いわゆる軽食メニュが多い。ちょっとした待ち合わせにも使うし、昼食にも使えるというのが喫茶店だと思うが、その王道を行くような店で、学生からサラリーマン、最近では高齢者の友人同士といった集団まで客層は幅広い。

カウンターは喫煙席、テーブル席も喫煙席

店内は薄暗く、おまけにこのご時世に全席喫煙可能というかなりアナクロな店だ。テーブルの上にある灰皿は、もはや死んでしまった文化のような気がするが。それだから、モーニングの時間帯は女性の一人客が多い。札幌市内で喫煙可能な場所が激減しているのは確かで、屋外でも喫煙スペースを探すのが難しい。喫煙者にとっては、オアシスのような場所なのだろう。
だから、日中に客が多い時間は使いにくい。店内は燻煙状態だから、朝早く、まだ誰もいない時間にささっとコーヒーを飲むことにしている。昔は、タバコの煙とコーヒーの香りが当たり前だったのに・・・などと思うのは、歳を取った証拠だ。

ちょっと酸味があるスタンダード

もう一つの古手は、可否茶館。この店は市内のあちこちに増殖している。直焙煎のコーヒーを販売しているので、スーパーなどでも見かける。どの店も小ぶりなのでいつも混雑しているが、ちょっと混み合う時間を外せばそれなりに寛げる。昔はコーヒーの値段が高いと思っていたが、最近のスタバの〇〇スペシャルラッテの値段を考えれば、大した高さではないと思うようになった。本格派のコーヒーというイメージがあったので、高い値段も仕方がないと諦めていたが、今は普通の値段だと感じるようになった。

喫茶店が減ってしまったこともあり、比較対照する店舗がないということか。セルフサービスの安いコーヒーは、時間潰しの場所代を払っているという感覚があるが、喫茶店のコーヒーは。コーヒーそのものを味わいに来ているので、逆に納得しやすくなったということでもあるのだろう。

札幌の喫茶店話は、またいつか別稿で続きを。

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上野駅でぶらぶら 

下町の洋食屋とは

お江戸の下町には老舗と呼ばれる洋食屋がたくさんあるが、「じゅらく」はその筆頭と言いたい。洋食と言うよりも大衆食堂であり、ステーキと酢豚と日本酒が同居する店だからだ。浅草の神谷バーも、バーとは言いながら大衆食堂だと思っている。テレビによく出てくる下町洋食シェフの店とはちょっと違う。おそらくデパート大食堂の源流であり、たまの休みのハレの食事としての食堂だったはずだ。

進化型酢豚??

今では、外国人観光客の方が多いような気がするJR上野駅前の「じゅらく」にふらっと立ち寄った。たまたま待ち時間がなかったので入る気になったのだが、いつもは30分程度待たされることも多い人気店。カンターに一席だけ開いていたのはラッキーというもので、軽く食べるつもりがついついガツンと注文してしまった。

まずは酢豚でビールを1杯。スバ歌は本当にローカルルールが多くて、中の具材はいってみれば店任せ。ここのうちの酢豚はなぜか21隻的進化を遂げたらしく、赤・黄・緑の三色野菜は、なんとパプリカだ。人参は入っていない。あとは筍の代わりが蓮根。確かに根菜は栄養たっぷり、食物繊維多しで竹の子よりもヘルシーかもしれないが・・・。これは、イメージの中にある原型酢豚とは似て非なるものと認定するしかない。いやー、下町老舗も進化は激しいなあ。それも、違う方向のような気がする。

気を取り直して定番オムライス。そしてあえてソースはケチャップ味を注文。お皿もお洒落ですけど、このケチャップのバランスおかしくないですか?デミグラソースだとこれくらいの量はかかっていて欲しいが。ケチャップ好きですけど流石にこれは多いかと・・。中身のケチャップライスも、もう一息という感じで、
しみじみ現在進行形で下町の料理は変化していると気がつかされた。

その後目的地、国立科学博物館へ。お目当ては恐竜展。そして子供が少ない平日の午後を狙って行ったのだが、これは予想が間違っていた。世の中に、恐竜好きの大人は意外と多いのだな。そして、若いカップルがデートしていたり、なぜかおばあちゃん単独とか、びっくりする来場者像。そして、2割くらいは外国人観光客だった。さすが、上野の博物館はインターナショナル。

ようやく世間的に浸透してきた、恐竜には羽毛が生えていたという事実。要するにダチョウのような姿が恐竜なのだよということだ。恐竜はバランスを取るために長い尻尾があるので、ダチョウのように直立姿勢では走れないが、首肩尻尾まで地面に水平にして走るダチョウをイメージすれば、まさしくリアルな恐竜の姿ということだ。

そして鶏みたいな小さな恐竜が、あちこち群れていた。それが現在の恐竜像だ。あの有名なティラノサウルスレッスですら羽毛があったというし、色も鳥のように赤とか黄色とか鮮やかだったらしい。ピンクのティラノサウルスって、あまり怖そうではないが・・・。ひよこが大きくなったような恐竜は、見たくない気がする。

だから全身骨格像も、最近では直立していない前傾姿勢が標準的なりつつある。ジュラシックパークあたりから、だんだんと変化してきている。最近のNHKの恐竜解説番組は、その辺りの最新知識で補強されていたので、映像的には斬新だった。

今回は新種の展示もあったせいか、随分と混雑していたが、この辺りの真・恐竜像を理解しておかないと展示会で子供たちに笑われてしまうかもしれないので、中高年は事前に予習をしてから恐竜展にいきましょう。特に恐竜好きの子供のお父さん、要注意でありますね。

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所沢二題 ちょっとおまけ

所沢に本社がある山田うどん。本社工場には併設で大きなレストラン?もあり、その近く出住んでいた時期にはよく行った。そして行くたびに思っていた、安かろう悪かろうだなと。もう30年以上前のことで、埼玉うどん県だと知ったのもその時期で、埼玉産うどんに絶望したのもこの店だった。がっこく給食用の麺作っていると聞いて、ああmそれなら仕方がないなと思った。当時の学校給食は絶望的にまずかったからだ。学校給食のパンとはパンの形をした何かだというほど酷かった。だから、埼玉のうどんもその類のものかと思い込んだ。違ううどん屋に行って、腰の強いうまいうどんが出てきてびっくりしたぐらいだ。が、埼玉県人のソウルフード的な立ち位置にある山田うどんが、みるみる上手くなった行ったのはそれから10年くらい後だったのではないか。うどん自体がうまくなった、つゆの味がレベルアップした。なんでも社長が商品開発から手を引いたら美味くなったという笑い話のような新聞記事を読んだものだ。
そして去年からうどん屋ではなく食堂になるということで看板が変更され、ラーメンが定番となり定食の種類も増えた。ありがたいことだ。うどん280円からは、全校ブランドの丸亀製麺を意識した値付けだと思うが、地元の埼玉人は山田うどんの方を愛しているので心配はないと思う。個人的要望として武蔵野うどんを進化させて欲しい。

うちの近くにある士道館道場は、今やキックボクシングジムなのだそうだ。もう思い出す人も少ないだろう「空手バカ一代」という漫画で、極真空手の代表選手として描かれていた添野さんだが、なんだか暴力団騒ぎに巻き込まれてからは全く噂を聞かなくなっていた。散歩がてら見つけた石碑でふと思い出した。そういえばあの頃は格闘技ブームだったなのだ。それから20年以上経ってからのK1ブームやグレーシー柔術などの異種格闘技の流行も、元はと言えば故梶原一騎原作の諸作が始まりだった。みーんな、故人になってしまったけどね。

所沢駅前に一軒ある高級な中華料理屋の視点だそうだ。本店はコースでいただくレストランだが、視点はお気楽に単品で注文する坦々麺のお店だ。原宿にも似たような名前の店があったが、どちらも英語で言えばDragon Childだから、きっといつかは龍になりたいみたいな意味が込められているのかなあ・・。ここでもひねくれ者の身として注文したのは汁なし坦々麺だったので、次回はきちんと汁あり坦々麺食べに行かなければ。所沢駅前プロペ通りからちょっと脇道に入ったところ。ちなみに所沢は残留孤児の日本語教育施設があったせいか、中華料理屋がものすごく多い。どこも、日本的変化、チューニングが終わっていない豪速球的中華なのでなかなか面白いのだよ。

所沢航空公園

所沢は旧帝国陸軍の最初の航空基地だった。その跡地は敗戦後米軍に接収されて、いまでも防諜用無線基地が残っている。一部返還されたところには、東京航空管制所が置かれ、首都圏の航空管制を引き受けている。ここがテロにあうと飛行機が飛べなくなる。
そして、それ以外にも色々な役所が入っていて、警察も法務局も市役所も税務署も郵便局もみんなこの陸軍飛行基地の跡地に集まっている。防衛医大もあり、なんだか「官」の街っぽいのだが、多分1/10くらいの敷地が航空公園として残されていて、春にはこんな光景が見られる。人口減少が続き若い人には逃げ出される街になってしまった所沢だが、西武鉄道本社もある。西武鉄道グループの城下町なので、西武デパート、パルコなど人口の割には色々と取り揃っていおります。飲み屋もやたら多いし、東京都民には「えー、所沢なの・・・。」と揶揄されるが、埼玉西部の拠点なのであります。

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ザギンでビール 伝統のビヤホール

サッポロ黒ラベル 生ビール

銀座7丁目にあるビア・ホールに初めて入ったのは、もうかれこれ30年前だ。東京の街を歩くのにようやく案内図がいらなくなった頃で外国人の知人を銀座に案内した時だった。天國で天ぷらを食べぶらぶらと銀座を歩きまわり、軽くビールでもと入ったのだが、とても喜んでもらえた。ドイツ系アメリカ人の知人はビールが大好物だった。昼間っからシコたま飲んだビールは、とても気に入ってもらえたらしい。会うたびに、また銀座にビールを飲みに行こうと言われた。

夕方の早い時間に銀座に来る機会があると、よく立ち寄るようになった。小ジョッキを一気に飲みささっと出るのがいつものスタイルなのだが、今回はいつもと違い中ジョッキにした。最近はビールのサーバーも進化したので、きめ細かい泡のビールがどこでも飲める。しかし、この店は熟練の注ぎ手がこの細かい泡を生み出している。一気に飲むと口の周りに泡のヒゲができる。至福の瞬間だ。

オニオンリングというよりかき揚げだな

つまみに頼むのは、オニオンリングが多い。ソーセージやサラミも良いのだが、ケチャップをたっぷりつけて食べるオニオンリングは、やはり大好物だ。オニオンリングの下にしてあるのは、新聞紙の切れ端かともったら、新聞紙に見せかけた「紙」だった。芸がこまかいなあ。フォッシュ・アンド・チップスもビールには合うと思うけれど、どうにもロンドンで本物を食べて以来、あの臭くてたまらないモルトビネガーとちょっと古くなったような魚の匂いがないと、Fish and Chipsとは言えないなと思ってしまう。日本で食べるフィッシュ・アンド・チップスは、言って見れば日本風刺身スタイル的清潔さなので・・・。

店内には、場所柄のせいか、この店の雰囲気のせいか若い客が少ない。30−40年前に若者だった人たちが目立つ。あとは、外国人も多いなあ。店の前には免税店帰りの外国人観光客が歩道を占拠している。店内で注文を取っってくれたのは、外国人対応の(日本語のまあまあ上手な)チャイナ系従業員だった。なんというか、国際化ということは街の中で自分の知らない国の言葉を話す人が1/3くらいになった状態のことだろうとおもう。例えば、ロンドンやニューヨークみたいな街がそうだ。東京の明治に開店した「ビヤホール」は間違いなく、平成時代に国際化したのだ。

街を歩く, 食べ物レポート

仙台の街中華2店

仙台の町中華を食べ歩いている。土地勘はほとんどないので、もっぱらネットで情報収拾をする。キーワードは餃子だったり、酢豚だったり。ラーメンでは中華料理屋がヒットしい辛いのは、それだけラーメン専門店が多いからだから仕方がない。その数ある町中華で、うまいまずいを超越して人気があるのが、この「北京餃子」らしい。名物は餃子であるのだと思うが、味は「餃子の王将」に近いニンニクが効いた肉少なめ餃子。値段を考えると立派なものだと思う。個人的な感想を言えば、価格品質比、コスパが良いのは埼玉地盤の満洲餃子が一番だと思っているが、北京餃子はそこに限りなく近い。

フォーラスというファッションビルの地下二階

この北京餃子の隣にはカラオケがある。反対側の隣はライブハウスらしい。ファッションビルの地下二階だが、地下一階からは通路がない。階段も一般人には閉ざされている。エレベーターで降りるか、地上一階からの直通エスカレータしか通用口がない。ほとんどダンジョンだ。そんな場所にも関わらず、学生を中心に男客でいっぱいなのは、圧倒的なコスパの良さだろう。特に餃子以外の名物が広東風あんかけ焼きそばで、隣の客が食べているのを見ると麺が3玉くらい入っているようだ。見ただけで腹一杯になる。その割にラーメンは普通の量で、味は・・・普通よりちょっと下だなあ。

肉野菜炒めのようなキクラゲ炒め

ちょっと変わったメニューとして、キクラゲ炒めとかエビ玉チリソース炒めとかがあるが、男二人とか三人とかでやってきて、ワイワイしゃべくりながら食い散らかすイメージ。だから、女性二人などという組み合わせは異常に目立つ。ところが、その目立つ二人がガツンと大盛りあんかけ焼きそばを食べていたりするから、油断できない。何度か足を運び全メニュー制覇してみたいものだが、どうにもダンジョンふうな通路が入りにくいのだよなあ。

ここの餃子は好みの味だ

餃子は見た目通り、ごくごく普通。最近聞きかじった酢と胡椒で食べてみるつもりだったが、焼き上がりのルックスであっさり方向転換し、酢と醤油とラー油でいただくことにした。普通にうまい。町中華では、普通にうまいが一番大事だから、看板商品が普通でよかった。ちなみに、この店では餃子単品のみという注文は不可。餃子定食にするか、他のメニューと合わせて頼むしかない。(安すぎるからだろう)ビールと餃子と行きたいところだが、申し訳ないので一皿ふた皿は他のものを頼もう。

さて、ダンジョンの奥深くから地上に出てくる。仙台駅から繁華街の一番町に通じるアーケードからちょっと折れたところ。コレまた古い造りのビルに、もっと古そうな店がある。「末広本店」であるが、ネット上では秋田に本店があるラーメン屋「末廣」とよく間違えられている。秋田の方の店は、ご主人が京都の有名ラーメン屋で修行して、秋田で開いた店だとのことで、いわゆる京都風豚骨コテコテラーメンだ。個人的には好きな部類だが、東北の各地、青森や岩手でたべてきて、いつも不思議だなと思っていた。

隣はおそらく本店の本店、蕎麦末広

さて、宮城の末広本店だが、コレは町中華の定番的定番店であり、自分が小学校の頃はこうした店でラーメンを食べるのが普通であった。デパートの大食堂のラーメンは、あまりうまくなかったような記憶がある。けっこう全国的に有名である札幌ラーメンも、昭和の中期には鳥がらスープに山ほどの人工調味料が入った、野蛮な味だったのだ。そんな時代に育ったので、今風の豚骨やら魚ダシやらWスープやらよりも、普通の醤油ラーメンが食べたいと思うことが多くなってきた。まあ、昔のラーメンはご馳走といにはあまりに野卑だったな。北の国からで純と蛍が食べていたラーメンもそんな感じだった。

メニュー表

このメニュー表を見てもらうとわかるが、潔いくらいシンプルだ。裏面にはご飯もののメニューもあるが、それも決してデミグラソースのかかったオムライスなんて乗っていない。心底、正当な町中華とはこういう店だ。店の入り口におばちゃんが座っていて、まず食券を買う。自動販売機ではない、おばちゃんに注文して食券を買うのだ。すばらしい。おばちゃんも昭和中期には、さぞ看板娘として人気があったろうと思う。おまけに従業員の女性は、某 泉ピン子さん出演テレビ番組のラーメン屋のような制服だ。

注文したのは迷うことなく醤油ラーメン。今風のラーメンはトッピングを含め実に立体的なのだが、昭和のラーメンはこのように平面的なビジュアルだ。メンマではなくシナチク、チャーシューは限りなく薄めがよい。札幌版なら、コレにお麩となるとが乗っているが、仙台版はだいぶ簡素なようだった。
黒板五郎さんが「まだ子供たちが食べてるでしょう」とクレームをつけたラーメン屋もこんな感じのラーメンだったような記憶がある。

シンプルな醤油味はありがたい。間違ってもごく太メンマとか炙りチャーシュウとかは乗っていて欲しくない、(どちらも好きですけどね)できれば、コレに追加でケチャップのかかったオムライスを注文したい。餃子ではなく酢豚が注文できるともっと良い。エビチリではなくかに玉が好みだ。目玉焼きの乗ったソース焼きそばも良いな。町中華でレトロなメニューを注文するのは、それも金に糸目をつけず、食べたいものを食べたいだけというのは、貧乏学生の頃の夢を叶える魔法の時間だが、残念ながら胃袋がもうそれについていけなくなっている。やるとしたら、半分以上食べ残し食い散らかすことになるので、あまりにも申し訳ない。誰か、胃袋の元気な連れを見つけて繰り出すしかないなあ。

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江戸城を歩く 100名城探索

東京界隈で住み始めて30年近くも経つのに、江戸城に入ったことがなかった。案外そういう場所が多いもので、東京タワーに登ったのは関東在住10年以上経ってからだったし、スカイツリーも登ったことはない。秋に紅葉を見るために解放されるというので、のこのこといってみた。

江戸開府からすると400年以上経っているのだから、それなりに老朽化しているものだろうなどと持っていたが、石垣は立派に現役だし、そもそも端正な顔を残しているではないか。徳川15代の将軍居住地というのは、確かに立派なものだし、何より広い。歩くと疲れる広さだ、江戸城周辺の大名屋敷から出勤したであろう大名、幕閣、あるいは下働きの武士官僚のみなさん。この広さはちょっとやっかいだっただろう。

石垣の中には、こんなふうに修理しましたよという跡が見えるところもある。40年のうちに、何度も大地震に襲われているのだから、それは壊れても当たり前だと思うが。もうちょっと石の色使いとか、なんとかならんものだろうか。

なんてことを考えながら、江戸城、皇居の中をのんびり散歩した。昔々は皇居にゴルフコースが(6ホール)あったという話を読んだことがあるが、それくらいの余裕は十分ありそうだった。お堀を埋めれば18ホールも出来そう。世界中のプロゴルファーがプレイしたくなるような、首都東京のセンターコースなどと夢想しながら、気持ちの良い散歩だった。そう言えばお台場の船の博物館も行ったことなかったなとか、しながわ水族館も未だいっていない、あれあれ、けっこう東京の観光名所見逃していないか?などと反省することになる、良いきっかけでありました。

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ボールパークという代物

JR北広島駅のバナー

日本ハムファイターズの「根拠地」が、札幌ドームから移動することが決まった。札幌市の隣町、北広島市にお引越しするという。ファイターズ自体が、札幌ではなく北海道ファイターズと名乗っているので、札幌市外に出ても問題はない。ジャイアンツが八王子に引っ越すようなものだ。ジャイアンツが川崎に引っ越すとこれはまずい。神奈川か川崎か、どちらにしても東京ジャイアンツではなくなる。Jリーグですっかり定着した「都市」フランチャイズ制は、チームのファン作りに重要な要素だ。

ボールパークとは・・・

あまり聞きなれた言葉ではない「ボールパーク」だが、身も蓋もなくぶっちゃけといういい切り方をすれば、USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)のようなテーマパーク入り口前に、門前市のように店舗や施設を並べ立て、球場に入る前にごっそりと客からふんだくる総合集金システムというものだろう。その運営者の言い分は色々あるだろうが、入場料1万円ではなく飲食、お土産、飲んで歌って10万円使わせる仕組みだ。
浅草寺の仲見世とか、善光寺前の門前町などとなんら変わることがない。浦安にある「東京」ディズニーリゾートも、JR舞浜駅ができてから急速に大型施設化した人工門前街だ。大阪のUSJも駅から入り口まで、1円も使わずに歩くのは難しいほどだと思う。

テーマパークの元祖である米国では、入り口までの門前市を何ちゃらウォークなどと言って、標準設備化している。日本でもそれを忠実に再現しているということだ。テーマパーク、つまりエンタテイメント世界に入る前の高揚感、出た後もその余韻に浸れる満喫感。そんなことを正しく設計し商売にするという、まあ、まっとうな考え方であるだろう。野球場なら野球に特化した、そのチームのファンとして世界観が完結していてほしい。その辺りがニーズであり、ビジネスの肝ということになる。

Jリーグの展開により、地方にスポーツチームが広がり、「おらが町にもチームあり」ということになった。プロスポーツを経営的に支えるには、興行を成立させる基盤として最低100万人くらいの人口が必要だろう。プロ野球でいえば、仙台辺りが最低の人口であり、仙台イーグルスや宮城イーグルスではなく東北イーグルスになったのも、ファン層を支える人口が宮城県では足りない(260万人)ので、東北全域に広げた(550万人)というのが本音だろう。ファイターズも札幌(200万人)では足りず、北海道全体(550万人)に広げた例に倣ったものだと思われる。それに比べJリーグはフランチャイズ都市の人口50万人程度でもチーム設営がなっている。当然、観客動員数も少なく興行的には成り立ちにくい。だから企業スポンサーを強く求めることになる。日本の大手企業がJリーグを支えているのは間違いないことだ。

プレイヤーではない頑張る人たちがチームを作る

しかし、長崎や秋田のような地方都市では、それを支える大企業が足りずチームの運営に苦労することになる。だからチームの経営者は、様々な知恵を使いファンづくりや応援団を形成する必要があるのだが、そこがうまくいかないことも多い。長崎ではあの有名なジャパネット創業者がチームの経営を担い、面白い試みをしている。駅から球場までの沿道を、ゲーム開催日にはボールパーク化、縁日化しているのだ。地域振興という小難しい理屈ではなくエンタメで縁日という方向が、ブルスボーツを支えるのではないか。

同じエンタメビジネスでも、音楽の世界はライブに比重が移っている。例えば、ネット社会の進展により、音楽という娯楽がCDを買って聞くものではなく、オンラインで聴くものになると、音楽ビジネスはどうなるかという議論が10年ほど前にあった。結局、こまったのはCDの製造メーカーだけであり、音楽というエンタテイメントビジネスは、リアルな体験、ライブ感に金を払うという客層、風潮を生み出し生き続けた。やはりライブ感が優先のエンタテイメントがつよいということなのだろう。映像ビジネスも、映画本編で稼ぐ仕組みから、ネット配信も含めた映像使用権の売買に主軸が移った、(だから中国の映像コンテンツ・違法コピーが重要な米中貿易課題になる) スポーツも同じで、プロ野球のテレビ中継はほとんどなくなってしまったが、地方都市でフランチャイズ化し熱狂的ファン層を作り出したチームは、ライブ(試合)とその周辺ビジネスで経営を行なっている。

スポーツの世界でも同じようにライブ化、臨場感だけが売り物になるのではなく、ゲームのビフォー、アフター時間が一体となったビジネスモデルになる。野球場のボールパーク化はこの先も進むだろう。先行していたのは、後楽園であるが、残念ながらコンテンツとして古い。仙台の楽天がドーム化したり、福岡ドームがさらに拡張したりという動きはあるのだろうが、日本ハムファイターズのボールパークは最新モデルとしてエンタメビジネスの先頭を切っていくことになるか楽しみではある。