街を歩く

串鳥 南2条通り散策

札幌で夜遊びをする人が激減しているような気がする。少なくともススキノを避けるというのはクラスター発生数を見ても理解できるが、offすすきのもすっかり客足が減っているようだ。いつも待ち行列ができている焼き鳥屋も、ノータイムで入れてしまった。

札幌に行ったら必ず立ち寄る名物チェーン いつもは混雑して入れないのだが

コロナ対策は入口から万全、客席も稼働率半分といったところなのに、ピーク時でも待ち客ゼロかあ。なんとなく申し訳ない気分だった。

鮮度良し、味よし。北海道の焼き鳥らしい。

好みの焼き鳥を数本頼み、日本酒を2杯飲んだところで退場することにした。普段であれば、待ち行列に遠慮して早めに退出を心がけていたが、今回は長居をしても迷惑はかけそうもないのだが、やはり微妙に居心地が悪い。店内に客が少なく、なんとなく会話も静かで、これが「新しい生活様式」というものの結果なのだなと思うと、いらっとしてきたのが原因だ。

なんだかなあ、テイクアウトでおうち居酒屋しかないのかなどと思ってしまった。

街を歩く

立ち飲み屋のコロナ対策

札幌には珍しい立ち飲み屋が、札幌駅前のビルの地下にある。なかなか目立たない場所で、それなりに「通」な飲み人に紹介でもされなければ、入るのも抵抗感がひっそりとした入り口であるのだが。地下通路を歩いていて、ふと気がつけば営業していたので、久しぶりに入ってみた。

もつ酢とおでん ちょい飲みジャストサイズだった

つまみ2品とドリンク1杯のちょい飲みセットを注文した。心なしが席と席の間の空間が広いような気がするが、立ち飲みだからそれもありえないはなしなので、てーぶるをとっぱらったのかもしれない。一人飲み向きに壁に向かった席もあるが、二人用テーブル出入り口方向を見ながら飲んでいたら、6人くらいの団体が登場して、どこで飲むのかと思ったら目の前の10人くらいが使える大テーブルで飲み始めた。

テーブル全部を使って間隔を開けるのかと思ったが、肩がつくほど密集していた。飲み好きの集団心理は、コロナを超えてしまうのか。店の思惑通りにはいかないものだなあと・・・。入り口で消毒と検温をさせられ、店側のコロナ対策は十分に理解できているはずなのに。どうしてそんなにくっつくよと思う。なんとも複雑な気持ちになりつつ、一杯飲んで退場した。一人で飲むには実に良い店なので、この先は集団客の同行者数の制限しなければならないのか。5名様以上はご遠慮くださいとか。

店を出たら、なんだかどっと疲れてしまった。

街を歩く

京都で看板めぐり

しばらく京都に入っていないが、一時期足繁く通っていた。ただ、観光地巡りをしていたのではなく、仕事のネタ探しだった。そのついでに看板の写真を大量に撮っていた。

ふり写真で撮影したのは2013年

京都三条の辺りを歩くと、いかにも老舗でございますという看板が大量に見かける。字が右から左に書かれているのだから、少なくとも戦前からかかっているものだと推測はつくが、その割に字がはっきり見えるのは修繕が施されているからか。それとも復元された現代製品なのか。

今時、足袋の専門店に出会うとも思わなかった。ガラスの引き戸もなかなかれとろではあるのだが、その入り口にかかる白いカーテンとなれば、金属製シャッターを見慣れたものには、これまた新鮮に感じる。

なんちゃらクリニック前世の時代に、この質実剛健ともいえる全文字漢字表記の歯医者さん。なんとなく髭を生やした強面の先生がいそうなきもするが、腕は確かだがずいぶん痛そうな感じ?

京都以外でこういう昔風の看板を見かけることはあるが、結構な割合でフェイク、模造品であることが多い。現役の看板を骨董品扱いするわけにはいかないので、風格のある歴史を感じる看板をリアルに見たければ、京都に行くしかないのだろう。ただ、これもき京都のひとが大事にまもってきたこともあるが、戦争の時に空襲を受けなかったことがいちばんの原因だろう。東京は空襲で建物ごと焼失したから、生き残った看板など数えるほどしかないだろう。

町歩きで色々と考えた。

街を歩く

東京を歩く 

街歩きと称してブラブラと2時間ほど歩くのには、東京という街は面白い。街中を2時間も散歩できる街はそれなりの大都会でなければならない。小さな町では1時間も歩かないうちに街の端からはじまで通り過ぎてしまう。

東京駅 丸の内駅舎

東京駅の改装が終わったのは随分前だが、観光客が途切れたくらいのタイミングで見物に行った。ニューヨークやロンドンで見たようなアンティックな駅舎がちょっと気取っていて、東京らしいなと思った。八重洲口のいかにも現代的な味気のない部分と比べてみればよくわかる。最先端と時代ものの融合は、やはり400年近く続くお江戸の力だろう。

その東京駅丸の内側から線路沿いに銀座まで歩く途中には、小洒落たレストランが立ち並ぶ。大東京のサラリーマンが立ち寄る店だから、どれもこれも「見栄」の塊みたいなものだが、それが東京のサラリーマン文化だろう。まるでゴミの回収日みたいな空き瓶の山だが、これが歴としたレストランのファサード(外装)なので、まあ、これも東京かあと唸ってしまう。

街を歩く

虎ノ門の蕎麦屋

たまに霞ヶ関から虎ノ門、新橋を歩くことがある。官庁周りに様々な企業が張り付いている典型的な官庁城下町で、余り好きな場所ではないのだが。JT本社あたりから新橋まで一気に再開発が進み高層ビルがニョキニョキ生えてきた感じがする。

そんな一角にこれまた古びた明治の頃から立っているような一軒の蕎麦屋がある。昼時にはいつも混み合っているのだが、交通が便利な場所にあるわけでもなく、蕎麦はうまいがわざわざこれだけの人が押し寄せるのかといつも不思議に思う。なんというか、そば信仰というか、蕎麦を食べる人間は人として一つ立場が上だ的な「食の階層制?」があるのではと疑っている。

蕎麦は好きだ、うどんよりも好みだ。ただ、高い蕎麦屋に行くとなぜかこの「俺って、そば通だからさ」的な隠れプライドみたいなものが気になる。そもそも不良と貧乏人の食べ物だったはずの蕎麦が、なぜこんなに精神性を持った食い物に成り上がったのだろう。お江戸では町内に蕎麦屋と銭湯と寄席が必ずあったそうだから、完全に大衆食堂だったはずだ。だから、蕎麦食いの作法みたいな本を見ると、妙に腹が立つ。

とは言いつつ旨い蕎麦を食べたいときは、昼ではなく午後も中盤になってランチ客がいなくなったあたりで、店の従業員も交代で昼休みを取る時間に行く。もりそばと酒を冷やで一杯。蕎麦を一本ずつつまみにして酒を飲むというのが、お江戸の不良の飲み方らしい。ちょっと気取ってこれを真似してみるが、空腹には勝てずどっぷりと蕎麦をつゆにつけてもぐもぐ食べる。まあ、蕎麦屋なんてこんなもんだよね。

そう言えば東京に出てきた頃は蕎麦屋信仰に毒されていたものだが。麻布十番までわざわざ食べに行ったりもしていた。お見返せば、やれやれご苦労さんであったなあ。

街を歩く

ロイホでランチはひさしぶりだったのだが・・・

新宿の西口高層ビル街でランチを食べようと思ったら、それなりの値段を覚悟するべきなのだ。ナショナルチェーンであれば、全国どこでも同じ値段というのが日本の常識だが、チェーン店でなければそれなりの街の相場というものがある。例えば、東京駅界隈でいえば丸の内は高い、駅の反対側の八重洲は意外と掘り出し物の店がある。ちょっと北側の日本橋あたりになると、安い店を見つけるのが難しい。

新宿西口高層ビル街のランチも似たようなもので、その中で比較的リーズナブルといえばロイヤルホストかもしれない。日替わりランチが900円程度で、コーヒーをつければ1200円ほどになる。これが高いか安いかと言われると本当に微妙なところで、ラーメンは900円台、専門レストランであれば1000円は軽く超える。

食材、料理の質は高い。まさにロイホ。

そこでロイホのランチのコスパを検討してみる。日替わりがチキン南蛮とトンカツのコンビで、なんだかどこかで見たような光景だ。ランチは圧倒的に時間帯が短い、提供速度重視の商売だから、どうしても食数の多い日替わりランチは焼き物よりも揚げ物中心になる。それはわかるのだが、鳥と豚の揚げ物では胸焼けがする。かと言ってこじゃれた風なパスタランチもなあ・・・などと思い、結局無難に日替わりランチで良いかということになる。

新宿の街中には存在しないが、ガストやサイゼリヤのランチは同じようなワンプレートで500円税込なのだから、この価格差はなんだと言いたくなるのも確かなのだ。席も広くのんびりできのはロイホだ。レストランが提供するものは食だけではなく、店内のくつろぎや上質の接客も価格に含まれていることは承知している。ましてや新宿西口界隈という日本で最も家賃の高いエリアの一つなのだから、これでも値段相応というか、お買い得なのだよという声がどこからか聞こえてくる。

確かにロイホは値段以上の価値を生み出そうと真面目にレストランに取り組んでいる企業であり素晴らしいブランドだ。ただ、同業種と比べて価格がダブルスコアというのも何だかなあ、と思ってしまう。おそらく日本人の食に対する要望が、この30年間の平成の不況の中ですっかり落ちぶれてしまったのだろう。低い水準でも安ければ良いのだという志向というか、諦めが今のランチの価格意識になっている。サイゼリヤやガストがランチビジネスで儲けているかと問われれば、間違いなく儲けていないと言える。せいぜい家賃の回収分くらいにしかならないはずだ。それでもランチをやるのはブランドの強化であり、ランチの客がディナーにもきてくれることへの期待でしかない。

コロナの影響で1/3ほどの店を閉めることになったロイヤルだが、このランチの品位の高さと値段の高さでは商売がうまく成り立たなくなったということだ。おそらく30年前と価格自体はほとんど変わりがなく、それなのに今の方が遥かに高く感じる、コスパが悪く感じるのは、ファミリーレストランというコンセプトの疲弊なのか。昔ほどの満足感がロイホに行っても感じられない「質的劣化」が進んでいるのか。

残念ながらロイホのランチはドキドキしない。サイゼリヤの様な割り切ったコスパの良さで客の満足感を押しきれない。
チキンを食べながらそんなことを考えてしままった。

ランチがうまくなくなるわけだ。

街を歩く, 旅をする

羽田空港の自販機 もう一つ・・・富山の名物とは

羽田空港自販機の話をもう一つだけしてみる。富山県の自販機だ。これが何やら突っ込みどころ満載で・・・。

富山といって思い浮かぶものといえば、富山ブラックラーメン、イカ墨を使った塩辛、白海老、ホタルイカくらいか。館山という日本酒は銘酒だ。観光としては立山ルートで黒四ダムは有名だと思う。

さて、この富山の自販機をよくみると【富冨冨】という謎の三文字がある。ふふふ、と読むようだ。怪しい、一体何なのか。最近はスマホを使えば、あっという間に謎解き完了するのがありがたいのだが、これは富山県の誇る「コメ」の品種のようだ。そうか米を売り出したいのかと中身を除くと・・・。

¥500で300gのお米が買えるらしい。しかし、なぜかその隣に¥130のコシヒカリにパックライスが売っている。なぜ、コシヒカリ?と素朴な疑問。コシヒカリの大産地は新潟だし、よく言われるお米あるある知識では、コシヒカリの原種というか発祥は福井県で、富山県はあまりコシヒカリと近しい関係ではないようなきがする。

それよりも気になるのがケロリンのタオル。確かに富山は薬で有名だったから「富山のケロリン」は分からなくもない。ケロリンストラップ、タオル、入浴剤と三点セットで欲しい奴もいるだろうが。しかし、なぜこれが入っているのか。自販機の上に書いてある「富山のいいもの・うまいもの」のキャッチフレーズからすると、ケロリングッズは「いいもの」なのだ。

うーん、と悩みかかったが、ここは素直にスルーしよう。兎にも角にも羽田空港のご当地自販機は不思議の塊。

街を歩く

羽田空港の自販機 福島名物とは?

羽田空港のご当地名物自販機の話の続きだが、福島から始まる東北のラインナップという不思議な選択なのだ。

まず価格帯を見ると、熊本くまもんほど高飛車な値付けにはなっていない。福島といえば、桃とかプラムといったフルーツが思い浮かぶ。日本酒も優秀な蔵元が揃っている。ご当地名物的には、猪苗代湖と野口英世のペアもあるし、会津若松城と白虎隊の物語もありか。あとは、原発群が、色々な意味で有名になってしまった。福島県の二大都市、県庁のある福島市と郡山市については、何か特別なものがあるのか思い出せない。などと考えながら商品を覗いてみると・・・。

ウルトラマンがあったのだね、と納得。ウルトラマンの生みの親、円谷監督が福島県の生まれで、須賀川死にはウルトラマンの立体像がたくさんあるらしい。境港のゲゲゲの鬼太郎ロードみたいなものなのか、一度行ってみたいものだ。

そして忘れていたが、ご当地ラーメンの走り、喜多方ラーメンがあった。会津若松から車でちょっと行ったところで、朝からラーメンを食べる街だと聞き、夏休みにを使い、わざわざ朝ラーを食べに行った記憶がある。個人的にはそのすぐ近くの山都のそばが好みなのだが、なぜか山里に忽然と現れる民家レストランならぬ民家蕎麦屋集団は圧巻だった。

このコロナの狂騒が落ち着いたあたりで一度福島に行って見たいものだ。

街を歩く

渋谷駅の風景

世間の話題はコロナ一色だが、自粛中によく引き合いに出されていた渋谷駅前。こちらは空いている光景の典型例としてだった。自粛中でも混雑している風景は品川駅の海側の出口。おそらく東京駅エス、大手町あたりはあまり混雑ぶりが目立っていなかったのだろう。マスコミの編集というべきか、フレームアップというべきか・・・。

20年6月

そのガラガラになった街の典型として扱われていた渋谷駅前のスクランブル交差点側の駅壁面を使った広告は、センター街方向から渋谷駅に向かってくるととても目立つ。自粛が終わりかかった頃のこの文句には随分と意味深なものを感じた。確かにライブができなくなると現代の音楽関係者は商売上がったりだろうし。ネットライブなどのあれやこれ屋の対応も進んで聞きたみたいだから。確かに気持ちはわかるなあ、という広告表現だった。

こちらは1月後半に撮った写真だが、いやあ、実にのんびりしていたのだな。オリンピックが延期になるとは誰も思っていなかったという懐かしい時代。たった半年前のことですが、不思議感がたっぷりの表現だ。これから開催が決まったとしても、誰も予習なんかしませんぜ、旦那。と言いたくらいだ。南半球での爆発的拡大、米国の収束はいつになるか見当もつかないまま、現在進行形で東京は第二波襲来しているというべきだろう。まだ来年になればオリンピックはやれると思っている人もいるようだが、世界中でオリンピック予選が実施できる状況にならなければ本戦がやれるはずないでしょうと思いませんか。アフリカ諸国だけ感染が治らないため参加できないとか、アメリカ合衆国だけオリンピック予選ができなかったので出場できないとか、地域格差が出るのはそれこそオリンピック憲章にもとる行為というべきではと思うが。

今年の年末にはどんな広告が、メッセージが出されるのだろうか。

街を歩く

麺屋 武蔵 高田馬場にて

自粛明けで久しぶりに街に出た日、昼飯の時間に何を食べようと思ってぶらついた時に、いつもは行列ができている店に行列がない。その時はラッキーと思ったが、事態は予想以上に深刻だったようだ。街の中の食堂、レストランをのぞいて歩いたが、どこも客席はまばらにしか埋まっていない。自粛明けでどこも大混雑を予想していたのだが、全く外れていた。

山手線の高架脇 いつもは大行列だが

並ぶこともなく店内に入り食券を買った。カウンター席に着くと、座って良い場所は一つおきと指定してある。客席半減では、こういう繁盛店はもっと長い行列ができるだろうと思ったが、事実は三密を避ける人が多いため行列ができることはないようだった。

およそ2ヶ月ぶり?に食べたラーメンは、確かにうまい。自分で麺を茹でて作った「おうちラーメン」とは明らかに違う。プロの味はやはりすごいねと、ただただ感心して、結果的にhスープを飲み干すまで堪能した。

ラーメンうまい と感謝した

ラーメンを食べ終わり店を出た後で感じたのは「久しぶりの満足感」と「このままでは世のラーメン屋は潰れてしまうのではないかという危機感」だった。

政府関係者に言いたいが、日本中のラーメン屋が潰れたら日米貿易摩擦勃発するぞ。ラーメン屋の小麦消費量をよーく食糧統計で検証することだ。零細企業だからと言ってバカにするなよ、業界規模での塊になれば大変な数値になることを思い出せよ。

と、義憤にかられた久しぶりのラーメンだった。今では行列が戻ってきているかなあ。