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川越街歩きの気づき

所用で川越の町に来た。川越は江戸時代から続く武蔵国の要衝なので、古い街並みが観光名所となっている。ただ、街の中心部は東武東上線とJR川越線が接続する「川越」駅と西武新宿線「本川越」駅を結ぶ商店街が閉めている。ローカル百貨店も構えている、地方中核都市の賑わいだ。個人的な経験で言えば、東北や北陸中国の県庁所在地以上の賑わいはある。平日昼でもかなりの人出がある。その商店街もこのコロナの影響で店が閉まったり開いたりしているから、通りの左右をキョロキョロみながら歩くのはなかなか楽しい。そしてふと気がついたのが、街灯の下に垂れ下がる広告幕だった。「回転、しない、寿司」。気分は、あれれ・・・となった。

その先にある店頭看板で答えはわかった。確かに魚べいの寿司は開店していない。タッチパネルで注文すると目の前の配送レーンの上をビューっと寿司皿が走ってくる。他人の注文は目の前を通り過ぎていくので、他の回転寿司屋のように間違って皿を取ることもない。まさしく鮨屋の原点、ジャパニーズ・ファストフードだ。上手な広告だなと感心した。

商店街の中の一棟まるまる居酒屋だったビルは、全店退去済みでテナントゼロという惨状だったが、そのすぐそばに最近はやっている「昭和の大衆居酒屋風」な店が開いていた。この店が以前何であったかは思い出せないのだが、多分飲食店だったはずだ。それにしても新店のくせに、この2回の壁の古びた感じ、脇看板のオンボロ感など演出が上手い。入り口に下がる暖簾も含めて、こういう意匠をあえてやる時代なのだなと改めて知らされた。それにしても「肉汁巻き」というのは見慣れない言葉だ。「茹でタン」の意味はわかるが、そうそうお目にかかる料理ではない。レモンサワーが流行しているのは知っていたが、フルーツサワーとはこれまたちょっと流行の先っぽい言葉だ。神は細部に宿るというが、この店先を見ただけで、そんな気がしてきた。

苦戦している居酒屋も、アイデア出しだけは頑張っているなという、実に感心しながら笑ってしまったポスターだった。ようやく職場の集団接種が始まったくらいなので、居酒屋利用の中心世代は、まだまだワクチン接種が始まっていない。にも関わらず、2回接種完了で一円(おまけに税込)でドリンク提供というのは、該当者がほぼゼロという、何やら詐欺っぽい、ジョークっぽい話だ。

確かに医療関係者であれば、2回目接種完了しているはずだから、対象ゼロではない。高齢者も政府の言うことを信じれば、今月中には2回接種完了するらしいので、65歳以上であればこの一円ドリンクはありかもしれない。ただ、2回接種完了の証明書って一体何?と聞きたい。確か海外旅行にいく時には、たいへんめんどうな手続きをすればもらえることになる(・・・らしい)ので、それを使えということか。まあ、本気なのかジョークなのかは知らないが、日本政府を裏から馬鹿にする「GJ !!」と褒めてあげたい。商売が苦境の時こそ、これくらいのシャレを効かせて頑張って欲しい。自分も接種2回完了証明書がもらえたら、ぜひ一円ドリンクを堪能させてもらおうじゃないか。

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自粛明けの風景 ビュッフェの姿

西武所沢駅の改装が終わった後、増床された部分に開店したライオンズの応援レストランは、コロナに直撃されてしばらくお休みしていた。それでも去年の暮れ辺りにはぼちぼちと営業していたが、ビュッフェスタイルの提供なので苦戦していたようだ。スポーツバー形態だから、アルコールストップというのも厳しい条件になったのだろう。久しぶりに覗きに行ったら、新しい対応を始めたらしい。

要はビュッフェ料理の持ち帰りを始めたのだが、これは運営的には相当難度が高い。スーパーや惣菜店が軒並み自分で料理を取るビュッフェスタイルを放棄して、全面的に個包装に切り替えているこのご時世に、挑戦しようとする意気込みは素晴らしい。今度はその実態を覗きにいかなければとおもった。横に並んだ「アルコール解禁」のボードもほのぼの感があるが、レオくんがカット失敗した女の子のように見えるのが残念。このご時世なので奥さんも登場して夫婦二人の絵柄にしても良いのでは。まあ、ライオンズキャラはレオくんしかみたことないので、奥さんの使用許諾は取れていないのかもしれない。

たまにはライオンズ応援に球場にでも行ってみようかと思うが、ひょっとして20年ぶりくらいになるだろうか。西武ドーム改めメットライフメドームも改装したそうだし。

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西国の和菓子に思うこと

たびたびお世話になっている地元の元・西武百貨店、現西武所沢SCは、IYグループがずいぶん力を入れて改装して、結果として撤退することになった西武百貨店の成れの果てだ。なのだが、結果としてSCに代わったせいでテナントが変わったことが成功した。家電のビックカメラや無印良品などの人気専門店がそれぞれワンフロアーを占めるようになり、昔よりよほど活気がある。所沢駅から二階の歩行者デッキで繋がったことで、2階がいわゆる正面売り場で、女性用化粧品などが並ぶ。普通の百貨店であれば、1階に当たるところが2階になっている。となると、1階が地下食品売り場扱いで、ベーカリーや和洋菓子売り場になる。その一角に、全国の銘菓を集めて販売するコーナーがある。たまに見回りに行くとあれっというようなものが売っているのだが、今回はびっくり度が違った。浅草亀十のどら焼きは前にも見かけた。わざわざ浅草に買いに行っても買えない代物が地元の百貨店で山積みされている光景は、コロナのインパクトを見せつける衝撃だった。ところが、今回はその亀中のどら焼きよりも破壊力がある光景だった。京都の阿闍梨餅が本当にザルの上に山盛りになっていた。100個以上はあったと思う。京都の阿闍梨餅は本店でも行列ができるらしいが、京都駅のデパートで、朝から晩まで行列ができる有名おもたせ菓子だ。最近の京都土産といえば、阿闍梨餅か、そのすぐそばの売り場でこれまた行列のできている551の豚まんと決めている。その阿闍梨餅が山盛りで、おまけに周りにいる客が誰も気が付かないから取り放題だった。埼玉県西部の片隅では、古都の銘菓も浸透していないらしい。何やら悲しい。東京では月に一・二度、日本橋三越、高島屋あたりで販売されているような記憶がある。京都から武蔵国のそれもはてまで流されてきたのがなんとも不憫だ。

阿闍梨餅とどら焼き白餡を手に取り世の諸行無常を嘆いていたら、なんと隣の棚にこれまたびっくりな名家を発見した。鳥取県倉吉市の団子は、茶会などで使われる和菓子らしいのだが、知人が倉吉在住で、たまに土産にもらっていたもの。東京ではまずお目にかかれないレアものだ。そして、山口のういろうがその隣にあった。ういろうといえば名古屋名物という連想が働くが、山口のういろう亜はいくらになるか。それよりも柔らかい。どこかでういろう製造が名古屋と山口に枝分かれしたようなのだが、山口ういろうは東京で目にすることは稀だろう。そんな西国銘菓が武蔵国まで流れてくるというのは、IYグループの営業努力というより、コロナで壊滅状態に陥った和菓子業態の必死の努力、売り込みなのだろうと思う。本来は東日本まで物流を伸ばすつもりなどなかっただろうに・・・。甘いお菓子を食べながら、何やらほろ苦い気分になった。そういえば、北海道の菓子メーカーからも頻繁に通販注文のおすすめが来るようになった。甘いものを食べて切なくなるとは困った時代だ。

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緊急事態の傷跡 名店が逝く

恵比寿にある繁盛店だった居酒屋が閉店した。店頭の張り紙を見れば、政府の無策に翻弄される飲食店の混迷がはっきりする。この店は40年近く営業していた。うまい料理とうまい酒を出す、お気に入りの店だった。普通であれば店主もまだまだ頑張るつもりだっただろうが、この一年でやる気が削がれてしまったのだろう。全国にこんな店はゴロゴロあるはずだ。日経新聞の調査でもこの一年の外食業界大手で閉店率は3%近い。中小であれば、これよりはるかに多いのは間違いない。単純に考えても、10軒に1軒は潰れているだろう。そこらの街中の個人営業などひとたまりもない。それでも外食産業の規模は25兆円ほどあり、GDPの中で占める割合と関わる就業人口を考えれば、政府の無策ぶりは明らかだろう。コロナは疾病という名の天災みたいなものだが、それを救えなかった政府はまさに人災の塊だ。
大陸チャイナ王朝で国が滅びる、つまり革命が起きるのは、常に人災が原因だった。古代日本でも人災が政権交代を促した。徳川政権がたまたま長命だっただけで、日本の政治体制は歴史的に100年の治世に耐えられない。大戦後すでに75年経ち、コロナとデジタルが日本の政権を滅ぼすのかもしれない。まあ、滅んでくれてもなんの痛痒もないけどね。

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緊急事態明けの風景 老舗の居酒屋で

所沢の老舗居酒屋が、昨年の第一次緊急事態宣言の煽りを喰らい閉店した。その後、年末近くになり復活したのを喜んでいたが、今回の宣言明けでどうなったか気になっていた。久しぶりに出かけてみたら、ランチ定食を推して頑張っていた。店頭看板に小さく「昼飲みも出来ます」というのが可愛い。応援ついでにお気に入りのカツ玉定食を食べていこうと思ったのだが・・・。

やはり誘惑には勝てない。この店に来たら、まずは焼き鳥にもつ焼きでしょうということで、久しぶりの串焼き4本を注文。昼のみおすすめだから、昼からフルメニュー提供だとのことで、居酒屋メニューなんでもOKらしい。焼き鳥の後はカツ玉定食を注文してと思っていた。店内は昼時ではあるが、半分ほど客席が埋まっていて、昼のみの人とランチの人が半々くらい。大多数が一人客で二人ズレがちらほらだから、ここまでは埼玉県の規制通りだった。
ところが、隣の席にいるオヤジ4人組が相当タチが悪く、大声で会話する宴会状態。おまけになんだか臭い。酒飲みは二人までが埼玉ルールなので(どうみても4人のオヤジが家族には見えない)、こういう奴らがいるとまた酒禁止令になるだろうななどと思った。結局、そのツケは居酒屋に回るので、「己のしたことで酒飲む場所がなくなるぞ。文句言うなよ。」と、心の中で悪態をついて店をでた。若者の行動を咎めるオヤジやジジイの実態はこんなものだ。

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秩父のそば

2017年の記憶 #1 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

秩父で札所巡りをしていた頃、昼飯には蕎麦屋に入ることも多かった。西武秩父駅から三峯神社を目指す途中に、小ぶりな蕎麦屋がある。なんとなく郊外に立つそばチェーン店みたいな見かけだったが、なかなかの名店だった。店頭に書いてある「くるみ汁」が売り物らしい。秩父のローカル優良品というべきだろう「くるみ汁」だが、長野県でもあちこちで見かけるので、秩父+長野県北部野山愛の地域で広まっていると考えるべきか。発祥の地がどこかなどというルーツ探しをしても始まらない。

お店のおすすめの天ぷら付きのざるそばで、つゆはくるみ汁に変更した。そば自体は普通にうまい。やはり注目すべきはくるみ汁だった。ちょっと甘めで胡桃の味を強く感じる。普段食べているお江戸のそばとはちょっと違うが、これはこれでアリだ。できれば欲張って、普通の蕎麦つゆとくるみ汁と2種類を一緒に使いたい。その時は、天ぷらはやめて蕎麦を大盛りにするのが良いかもしれない。海沿いの街で美味い魚を堪能するのも好きだが、山里で蕎麦を食う方が楽しみになってきた。秩父の札所巡りは二周三周とする人もいるそうなので、次は蕎麦屋巡りを行程に取り込んだのんびり蕎麦屋巡礼でもしてみようか。札所巡りは一人で回れば、ほぼ人との接触のないアウトドア活動だしなあ。

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浅草 神谷バーまでふらりと

2017年の記憶 #14 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

神谷バーを目的に浅草に行くことはない。ただ、浅草に行ったら神谷バーには必ず寄りたいと思っている。帰り道の地下鉄入り口近くで、神谷バーの中を覗くと、十中八九は満席で空席待ちの長い行列ができている。たまに、本当にたまに、席が空いている時は宝くじに当たったような気がする。

最初に注文するのは生ビールではなく、名物「電気ブラン」に「追い水」と決めている。2杯目からは気まぐれに、黒ビールにしたり日本酒熱燗にしたり、その日の気分次第だ。電気ブランのいわれは有名だが、この飲み物が開発された頃は「電気」が時代の先端を意味する流行り言葉であったそうで、そこにブランデーベースのアルコール飲料ということで電気ブランになったようだ。
今で言えば、デジタルとかサイバーとかのカタカナ語やDXみたいなものだろう。サイバーハイボールとかDXソーダみたいなネーミングなので、時代は変わっても飲食店のメニュー名の付け方なんて、そんなちょっといい加減な感じで決まるものらしい。
酒の肴には和洋中なんでもあるのが東京下町風だが、平たく言えば居酒屋メニューに下町洋食が混じっている感じだ。だから、煮凝りと電気ブランの組み合わせができる。この組み合わせの酒と肴が合うかと言われると、頼んだ自分も首を傾げる奇妙なものだが、記憶の中では失敗した感覚がないので、多分美味しくいただいたのだろう。
我ながら不思議に思うのは失敗した食べ物、飲み物の組み合わせの記憶ほど強く残るもので、「あ、これまた食べたい」というような成功体験はすぐ忘れてしまう。確か、この後は締めナポリタンを注文したようなうっすらとした記憶もある。記憶がうっすらとしていると言うことは、旨いなあと思っていたはずだ。当時は、店内はタバコの煙がたっぷりだったが、今の神谷バーは全席禁煙になっているはずで、愛煙家の下町シルバーの方達はどう対応しているのかもちょっと気になる。そろそろ神谷バーを目的に浅草に行ってみようか。

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焼きそばではない焼きスパを銀座のはずれで

2017年の記憶 #8 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

銀座のはずれにある首都高速下の商店街?の端っこに当たる場所に、カウンターだけの小ぶりなスパゲッティの店がある。昼時は長い列ができるが、食べる客のスピードが速いこともあり、意外と待ち時間は短い。それでも、やはり昼のピークはずらして行ったほうが良いとは思う。世間的にはパスタと呼ばれる麺料理だが、その調理方法を見ていると明らかに焼きそばではないかと思ってしまう。カウンターから調理しているところが丸っと見えるからだ。茹で上げてある麺をガバッと大きなフライパンに放り込み、炒める、さらに炒める、ちょっと調味料が入り、また炒める。ソースと絡めてという感じではない。定番ナポリタンを頼めば、赤い焼きそばに見えてくる。

ナポリタンと並んで人気なのが、この見た目の黒い醤油味で、メニュー名は店名と同じだ。これは間違いなく箸を使って食べる食べ物だ。もぐもぐと噛みしめるべき麺料理で、腹を満たすために食べるという食事の原点を感じる。一見するとソース焼きそば風だが、これはスパゲッティ料理だ。食べている途中でナポリタンも食べたくなるが、2食を食べ切れるほどやわな麺料理ではない。剛直、という言葉が合うガツンな食べ物だ。目一杯腹を減らして、いや、もっともっと限界まで腹を減らして食べに行きたい。その時は2食食べられるかも。

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浅草 観音様の裏でアイス

2017年の記憶 #3 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

2017年といえばインバウンドなる業界用語が一般的な言葉として使われ始めた時期だったような記憶がある。町中に跋扈する(としか言いようがない)外国人観光客に、あれこれと言いたいことがあるんだがなあ、などと思っていた。(今は見る影もないが)
浅草寺界隈は、日本人観光客と外国人観光客がミックスされて一種異様なくらいのインターナショナル空間になっていた。お気に入りの洋食屋にできた行列の長さに辟易したものだ。その行列から溢れ出たように、浅草寺の北側も観光客に占拠された感じがしたものだが・・・。このあたりは老舗の和菓子屋や、古風な貫禄のある洋食屋、喫茶店なども多い。そのどこにも行列ができるという賑やかな時代だった。しかし、お茶屋の前に行列ができるとは想像できない。行列に並ぶお客のお目当てはお茶ではなく、お茶を使った甘いもの、アイスクリームだった、

お茶フレーバーのアイスクリームを作るとき、それなりの緑色に仕立てようとすれば、びっくりするほどの抹茶を使うことになる。また、緑茶の緑色はあっという間に退色するので、作り置きをすることが難しい。抹茶アイスが高級で高価なものになる理由だ。スーパーなどで売っている量産品のお茶アイスクリームは当然ながらお茶の含有量は少なく、何らかの対応をすることになる。
このお茶専門店のアイスは、その緑茶関連の問題点を豪速球でねじ伏せた商品を販売し人気があった。写真で見る緑色のアイスクリームは確か「お茶10倍」というものだった。肉眼で見るともっと深い緑に見えていた。味は、お茶の苦味をガツンと感じるほどの強さだった。何やら、「大人限定フレーバー」だなと思った記憶がある。価格も普通品の倍以上したハズだ。お茶屋のプライドを爆発的に発揮しました、という感じだった。

写真をひっくり返して見ていると色々なことが思い出すものだが、このアイスクリームの写真は「思い出す」より「また食べに行きたい」だった。東京に来るなと言われているのでいささか抵抗はあるが、少し落ち着いてきたら浅草寺にお参りに行って、蕎麦を食べて、帰り際にに七味唐辛子と芋羊羹を仕入れて、お茶アイス食べて帰ろうかなどと思う今日この頃。そうそう、地下鉄に乗る前に老舗バーで電気ブランをクイっと。

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新宿駅西口 メトロモールの惨劇

JR新宿駅西口から地下鉄東京メトロ丸の内線新宿駅に向かう地下通路は、上がったり下がったりしていて、その中に飲食店が多数あった。通勤経路に使っていた抜け道で、昔からやっているなかなか良い店がそろっていた。「そろっていた」と過去形なのは、理由はよく分からないがコロナの流行と合わせてどんどん閉店しているせいだ。その滅びゆくメトロ食堂街のほぼ最後の生き残りが「ポツンと営業中」のバイコー麺屋だ。

肉の万世が営業している中華麺専門店で、カウンターだけの店だが、たまに無性に食べたくなる。パーコーつけ麺が好物だが、この麺の良さは上に乗ったトンカツもどきにある、と断言したい。排骨と書いてパイコー、中華風のトンカツのようなものだが、衣がサクサクしている。丼飯の乗せて食べるのも良いが、やはり麺のトッピングとしての活用が最強だと思う。

コロナの前は行列の絶えない店だった。食べ終わったら10秒で店を出ていくのが客としてのマナーだなどと思っていたが、どうやらメトロ食堂街最後の砦も陥落寸前らしい。しかし、「ポツンと」の一言が、負けん気、やる気を物語っているなあ。しかし、何故メトロ食堂街は閉じてしまうのだろう。食堂街の中をあちこち探しているのだが、閉鎖の理由がどこにも書いていないんんだよね。

気になりネットで調べたら、新宿駅西口再開発でビルごと立て直し、将来的には凄まじい高層ビルになるようだ。その時には値段が倍くらいの高級レストランになってしまいそうだ。残念。