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金沢駅のぶらり歩き

金沢駅の西側は、すっかり整備工事も終わっていてオフィス+ホテル街に変貌していた。駅前に大きな屋根がかかっているのは、やはり冬の雪対策なのだろう。東側の入口とは全く趣が異なる現代風なデザインで、ここは東京駅とか大阪駅と言われてもデザイン的な違和感はない。

その駅の中をぶらぶら歩いてみた。土産物屋の店先になにやら大男の写真が三人分。これはなんだと近づいてみたら、地元出身の力士の実物大(多分?)のパネルだった。この前に立ってみると力士のデカさがよくわかる。
地元の町にも相撲部屋が移転してきて、場所開幕中の昼下がりにはたまに力士を見かけるが、彼らも大きい。背が高いだけではなく肉体の厚みが一般人と違う。
しかし、石川県人は相撲好きなのだろうか。有名人ということであれば、元ベースボールプレイヤーの方が知名度は高そうだが。

駅ナカの飲食店が固まっているところに、おでんのカウンターがあった。金沢おでんは、知る人ぞ知る金沢名物だと思うが、すごいなと思ったのがおでんの1100円セットだった。おでん3品と酒付きのセットがランチタイム限定で販売中になっている。
金沢の人が特別な嗜好(おでんで昼酒)を持っているとも思えないから、これは観光旅行客向けなのだろうか。あるいはビジネス出張者を狙っているのか。全国あちこち行ったが、昼の酒付きセットは初めてみた。

その向かいにあった牛丼屋もなにやらシックなデザインで、これは金沢限定メニューがあるのではと期待して店頭を覗いてみた。おでんセットと同じように、金沢牛丼+金沢の日本酒みたいなものを期待したのだが、ごくごく普通のメニューのようだった。残念。こちらは地元のヘビーユーザー向けなのだろう。

駅ビルの上階に登り飲食店を探し回っていたら、これまたうまそうなラーメン屋を見つけて、近づいてみたら「あれあれ」となった。なぜ「札幌濃厚味噌」なのかな?金沢白味噌ラーメンとか金沢城金箔ラーメンとか加賀百万石もりもりラーメンとかを期待していたのだが。
金沢の人が異文化の札幌味噌ラーメン好きなのはかまわないが、地元の最強ラーメン店はこういう場所に出店しないのかとがっかりしていた。ところが、あちこちさまよっていたら、駅一階に北陸ラーメン界の王者「8番ラーメン」の店を発見した。当たり前のように、そこは満席で行列ができていた。地元客対応だろう。
その向かいも金沢カレーの名店があり、同じように空席待ちだった。なるほど、地元客対応の店は一階なのだなと納得した。次回からは一階をメインに歩き回るべきだなあ。

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富山城で歓声が響いていた

全国百名城を巡る旅、というか名城スタンプラリーは、本編、続編を合わせて200城が対象になっている。北は根室から南は沖縄本島まで、コンプリートすると認定証がもらえるというのが唯一のご褒美。(それだけ、と言えばそれだけなのだが)
その城巡り、東日本分も残すところ残りわずかになった。東日本の定義は、自分で勝手に京都より東と決めているので、北陸三県と滋賀、岐阜、三重が東西の境界になる。コロナのせいで2年半以上活動中止していたがようやく再開できた。(コロナ期間中はお城の閲覧自体が中止になっていることもあったせいだ)
今回の城巡り旅で最後に訪れた城は「富山城」。城址は公園になっている。都心部でこれだけ広々とした場所は貴重だ。あちこちで年代性別を問わず、散歩をしたり野遊びをしている。
だから、城址の前に立って写真を撮っていると、いきなり若い女性の歓声が聞こえてきた。なにごとだとあたりを見渡してみたら、チアガールズの大集団が練習中で、やたら元気が良い。周りの散歩客も立ち止まってみていた。よくよく観察してみると、チア集団以外にカメラクルーがいる。どうやらチアガールの「応援パフォーマンス」を撮影をしているらしい。ひょっとすると観光客向けPVでも撮っているのだろうか。どうも声が小さいというような注文がついているようだった。お城の前で若い女性の大歓声を聞いたのは初めてだった。すごいな富山。ふと疑問に思ったのが、富山にはチアダンがいるのだろうか……………

全国に残る城址の大部分は、公園になっていることが多い。都市部であれば貴重な開放スペースになっている。人里離れた山の上にある場合は、ひっそりと石碑が残るくらいだが、それでも展望台くらいは置かれている。
県庁所在にある場合は、入場料をとって観光名所になっていたりもするが、富山は誰もが使える普通の公園だった。北陸で比べると、石川県では金沢城が完全に観光施設になっている。福井県はお城の中が県庁と神社になっていた。同じ「越の国」でありながら、この三県の差が面白い)
現在の富山城は復元されたものだが、その下部にある城壁、石垣は昔のものが保存されている。全国にある復元されたお城もほとんど石垣は建設当時のままだ。よくもまあ、人力だけでこんな大きな石を積んだものだといつも感心する。
富山城石垣には人の背丈を超える巨石もいくつか使われていた。築城当時の城主が金持ちだったのだろうな、と別の部分にも感心した。端正に形を揃えた石が積まれている積み木細工のような城壁は建築美の極みと言って良いだろう。

ところが、富山城の石垣には、もう一つの面があり、こちらは大きさがまちまちの石をゴテゴテと盛り上げたように見える。素人目にも崩れやすいのではと思うのだが、当時の職人がそれなりの経験で作り上げたのだろうから、これはこれで大丈夫なのだと納得することにした。
しかし、大きな地震がくると崩れそうな気もする。あの熊本城でも石垣が崩れていたしなあ。

城郭を見る時、石垣の美しさは独特のものだ。そして、このお堀に面して立ち上がっている「角」の曲線こそが美の極み。なだらかなアーチ型の角、稜線はいつみても感動する。これも石垣の高さが関係するのだろうが、お城によって微妙にカーブが異なっている。それを見るのが、城めぐりの楽しみの一つだ。
江戸城(正しくは?千代田城というらしい)の石垣は、流石に天下統一した最高権力者が作ったものだけあって、巨大で荘厳なカーブだが、個人的には富山城くらいの石垣が好みなのだ。

石垣の上は歴史博物館のようになっていて、昔使われていた鬼瓦や屋根瓦が展示されていた。瓦を使うのは「火攻め」の防御策だったなあ、と美的感想とは全く異なることを思いだした。それもまた、城めぐりらしい……………

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越中 一ノ宮はいくつある? 

雄山神社の鳥居 

律令時代から続く日本の旧国名称がある。現在ある県の行政地域とほぼほぼ重なる。ただし、戊辰戦争の後、明治政府に停滞した勢力では懲罰的に地域を変えられたりもしているので、全く同じではない。
そして、それぞれの国にある神社にも朝廷によるランク付が行われていた。神社が国家統制機能を担っていたからだ。宗教と政治が不可分だった古代日本の政治の遺物とも言える。
当時の律令政府が公式認定して「一ノ宮」とされた由緒正しき神社(あるいは政治的に有力だった神社)が、それぞれの国には一つある。それぞれの地方のまとめ役だから、大任だっただろう。中央から派遣される国の行政長官とは別の、地方政治の要役だったのではないか。
ところが、なぜか一ノ宮が複数ある国もある。手近なところでは武蔵国で。一ノ宮は複数あり、それも対立しているようであちこちにある。よく聞く本家と宗家の争いみたいにも見える。
越中国(富山県)もその一ノ宮複数擁立地域の一つで、これは古代日本で日本海沿岸王国が建国されていた名残だろうと思う。今の福井県から新潟県にかけての領域で、統一「越の国」ができるまでは、対立していた地域の神様が、それぞれに「俺がこの国の一番」と言って生き残ったみたいな話ではないだろうか。

越中「雄山神社」は山岳信仰系の本山みたいなもので、本社は立山山頂にある。足の強い元気な人は夏にそこまで登っていくのだが、足弱なもの向けに平地に分社が立てられている。神社の中には、頓宮と呼ばれる分社(仮設支店?)を置く場合がある。冬など季節により本宮に詣ることが困難になるため便宜を図ってくれる。日本の神様は親切だ。残念ながら山登りをする元気はないので、こちらでお願いしてきた。

ナビの言う通りに走っていたら、着いたのはどうにも裏側の駐車場のようで、お参りが終わってから正門に気がついた。巫女さんに聞いてみたら、ナビの指定で表側につかない(つけない?)人は多いそうだ。地図会社はもう少し勉強してほしい。
今回はグーグル先生のお世話になったので、あわせてGoogle 日本地図スタッフにも注文したい。明らかに神社や寺の駐車場の設定は誤っていることが多い。正答率は、個人的な経験で言えば2−3割なのだ。

本殿は屋根が平らで寺院的な感じがする。唐招提寺を小降りにしたような簡素なデザインだ。やはり「越の国」には独特の神社様式があるのだろう。少し勉強が足りていないなと反省した。

高瀬神社の鳥居

越中でもう一つの一宮は富山県南部の山際にある。ここは周りが田んぼで囲まれている平野の神社だ。こちらは日本海沿岸に多い大国主命が主神で祀られている。どちらかと言うと「越の国」では、大国主命系神社がメジャー系ではないかと思う。
八百万も神様がいるが、日本の神社は主神の系統でいくつかに分かれていて、それが古代日本の勢力分布と重なっている。その辺りを一宮巡りで考えていくのが楽しい。統一大和王朝が成立するまで、諸国が統合、征伐された過程で、それぞれの国の神様がファミリー化したのが八百万の神様ということだろう。

この時期は七五三のお祝いで、どこの神社も賑やかしくなっていた。結婚式はキリスト教会で、葬式はお寺で、節句のお祝いは神社でと、あれこれ神様を使い分ける日本人はさすがというしかない。柔軟というか緩いというか宗教観に関してはユルユルの国だろう。八百万の日本神さま+1のキリストの神様+1のお釈迦さまくらいで考えているのだ。800万と800万2ではほぼ差はない。どちらもたくさんという意味で同じだ、的な日本人の宗教観はインド・ヒンドゥー的な感じもする。
一神教を信ずる人々からするととんでもない暴挙なのでは………

この太いしめ縄は出雲大社の系統と言うか、大国主命ファミリー神社のスタイルなのだろう。個人的には、これが一番モダンで力強い気がする。

古事記の原本は完全に漢字のみで書かれた本だ。これは大陸王朝正史に倣った書き方だから仕方ないだろう。時代ごとに超・文明大国、先進国の真似をして文化を吸収消化してきた日本文化の源流だ。この当時にカナ文字はまだ発明されていない。(現代で言えば英語で書かれた政府公文書といったものにあたる)だから、古事記を読み解くのは実に難しい。
今回は旅の途中でたまたま現代語訳、つまり漢字とひらがなとふりがな混じりのものを見る機会があった。ホテルの備え付けテーブルに置いてあった。よく見かけるのはキリスト教聖書だが、古事記が置いてあるのは初めてだった。これは一度読んでみなければなと思う。
一ノ宮巡りの基礎知識として、古代王国の歴史を反映した古事記は、ぜひ読んでおくべきだろうと改めて思った。旅をすると学ぶことは多い。

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新潟県で中華そば @中野

上信越道 中野PA 脇のハイウェイオアシスで見つけた

長い車旅の帰り道は新潟経由長野というコースで、その途中でラーメン屋に入った。ご当地ラーメンを食べようと思いながら、とうとうラーメンを食べる機会のないまま旅は最終日になり、頭の中では「ラーメン」がリフレインしていた。(蕎麦ばかり食べていた気がする)
新潟県は県内のあちこちに独自なローカルラーメン勢力圏があり、長岡や三条など本家争いをしている感じもある。ガイドブックなどでは五大ラーメンの競演などと書かれていたりする。
しかし、今回発見したのは昭和の中華そばと銘を売った店で、ラーメンではなく中華そば。まあ、よいかと中に入ってみたら煮干し蕎麦があるのを見つけ、すかさずそれにした。

海苔を追加すればよかったなと後から反省した

煮干し蕎麦は、だいたいどこで食べてもスープが透き通っている。豚骨+煮干しのWスープであれば、白く濁っている場合もあるが、透明感あふれるスープの方が一般的だろう。トッピングは、太めのめんまと長ネギという、これまた普通の組み合わせだが文句はない。チャーシューが厚切りと角切りの2種盛りだったようだ。ただ、角切りチャーシューはすっかり丼の底に沈んでいたが。
煮干しスープは、山形や青森のような「極濃い」ものではなく、比較的あっさりしている。うまいラーメンを食べたなという気がした。新潟系であれば、長ネギの代わりに玉ねぎというアレンジもあるのだろう。看板商品のあっさり中華そばも食べてみたい気がするが、この場所にまた来る機会があるかどうか。うまいラーメンも一期一会だからなあ。

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新潟の超B級グルメ

東北ぐるっと各駅停車の旅で、目的地はいくつかあった。一つ目は「恐山」で、ここはしっかりとお参り?ができた。二つ目は五能線の鉄道旅だったが、これは豪雨による通行止めのため失敗。おそらく復旧に数年は時間がかかるはずで、今後の達成見通しは立たない。
三つ目が、新潟名物カレーライスだった。新潟ではラーメンとソースカツ丼も有名だが、今回はパスした。

バスセンターの立ち食いコーナーで販売されているカレーが「B級グルメ」としての名を轟かす最強人気商品だという。その理解で、バスセンターに行った。ただ、バスセンターがビルの一階に隠れているので、なかなか見つけられず、あちこち彷徨ってしまった。
看板を見ると明らかに店名はない。屋号もない。立ち食いコーナーというのが、店名と言えば店名になるのか。そば・うどん・カレーの順番だから、やはりメインは蕎麦だろう。カレーは、あえて言えばおまけ商品にあたる気がする。

食券販売機で確かめると、カレーはご飯の量も選べる。そば+カレーを頼む人向けに、カレー小盛りが設定されている。そばにも興味は惹かれたが、ここはカレー一筋を貫くことにして、普通盛りを注文した。
見た目は「黄色い」。現代カレーの色はもう少し茶色がかっている気がする。昭和中期以前に大衆食堂で出ていたカレーが、このような黄色だったとぼんやり記憶している。
味は辛味が控えめで、どちらかというと甘口だ。ところが、半分ほど食べ進んだところで、額から汗が出る。見た目以上にスパイスが効いているということだ。おまけに普通盛りのはずが、ご飯がやたら多い。首都圏立ち食い蕎麦屋であれば、これは大盛りに該当する。小腹が減った時では多すぎる。ガツンと食いたい人向けだった。
それでも、隣にいた若い女性は普通盛りとそばのセットを食べていた。これは………新潟スタンダードだろうか。

その立ち食い蕎麦屋の隣に屋号がある店「ラーチャン家」もあった。ラーメンとチャーハンの専門店のようだ。新潟の有名ラーメン各店の影響を受けているようで、煮干し中華そばや平打ち麺や背脂や、あちこちにある新潟ラーメン有名店の特徴が入り乱れている。これも試してみたい店だったが、カレーの後ではラーメンだけでもきつい。炒飯は半量でも無理だ。

新潟市民は幸せだなあ、とつまらない感想しか出てこないが、蕎麦とラーメンとカレーと炒飯が1箇所で楽しめる。これでは、和風・洋風ファストフードの出る幕はない。素晴らしい食文化だ。

そのバスセンターの二階には、これまた新潟が誇るローカルファストフードの店がある。その名品の名前は「イタリアン」という。これは名前と商品のリンクが理解できない。長崎のトルコライスも、これがなぜトルコ?と言いたくなる不思議さだが、新潟のイタリアンもそれに近しい。
金沢のハントンライスとか、福井のボルガライスなど、全国あちこちに存在する謎メニューの中でも、新潟イタリアンは筆頭の怪しさだ。
その実態は、焼きそばの上にミートソースがかかっている。これも見た目からして怪しい。
ただm今回は満腹のため実食はパスしてしまった。腹ペコ絶好調であれば、一階でカレー、2階でイタリアンというハシゴ飯をしても良いのだが……………
やはり新潟市民は幸せな食文化をお持ちのようだ。うらやましい、と思いつつ各駅停車の旅、第三目標は見事達成できた。

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夜の新潟で思うこと

新潟駅は現在も改装工事中で、東側の改修をしていた記憶にあるのは10年以上前だから、どうやら20年計画で駅をいじくり回しているようだ。各駅停車の旅なので、新潟駅終着の列車から降りると、確かにホームが全面的に変わっていた。駅舎の工事もほぼ完了しているようで、あとは駅前の整備というところだろう。その後には駅ビル建設も行われるはずだ。駅東側は車のアクセス、西側は従来からの繁華街接続という使い分けになっていくと予測しているのだが……………

夕方になり駅の中の見物をしていたら、東西コンコースの中で「おっさん」が立っている。立ったまま、あまり動かないのでなんだろうと思って近寄ったら「おっさんの立像」だった。おまけに、ご丁寧にもマスクまでしている。リアルすぎるだろう。

どうやら英語湯沢の駅にあった「ほんしゅ館」が満を持して新潟駅に出動したらしい。駅構内からは外れた場所になるが、JR系ビジネスホテルの直下にあるので、日本酒愛好オヤジをゲットするには最適な場所かもしれない。店内には日本酒の試飲コーナーもあるし、山盛りの日本酒と酒の肴に特化した「日本酒天国」になっている。なんというか、オヤジ向け日本酒セレクトショップとでも言えば良いのか。若い女性には媚びていない(一部を除く)ところが潔い。ここは是非また来たい。たっぷり買い込みたい。買ったものは宅急便で送ってしまうのが良し。新潟からであれば翌日には自宅に着く。

さて、この日の夜は新潟駅東側にある地元民御用達の名店で夕食になった。新潟の秀逸な居酒屋として名前だけは聞いていたが、初見の店なので期待度は高い。入り口があまり居酒屋っぽくはない。料亭風と言ってもよさそうだ。

まずお通しが、ザルに守られたいろいろな海産物などから一品選び、それを蒸し焼きにするという。手の込んだ仕掛けだった。ビジュアルでインパクトを出す上手な仕組みだが、少なくともおじさんウケと女子ウケ、両方に効き目がありそうだ。
できれば、一品ではなく、追加料金を払っても良いから2−3品食べたかった。

イカの姿づくりもビジュアル系の料理だが、盛り付けの立体感が居酒屋レベルを超えている。接待向けに使える高級居酒屋ということだろう。完全個室とまでは行かないが、広めの空間でゆったりとして食事が楽しめる。やはり、空間はご馳走の一部だ。

あれこれ注文したが、締めはノドグロの炊き込み飯で、これを卓上で取り分ける。日本海沿岸都市では、すでにお約束になったノドグロ料理だが、脂の乗った旨味が炊き込みご飯には向いているようだ。鯛めしとはまた違った味わいだ。
新潟の駅前も再開発が終わりつつある。駅前再開発が終わり観光客向けのホテルも整備された。駅前がお手軽なグルメ地区に変わりつつある。チェーン居酒屋が衰退するこの時代に、ローカルな名店が駅前の新興勢力になっていくことは間違いない。全国的にワン・ブランドで展開する居酒屋チェーン自体が存続する意味合いを無くしている。
あえて言えば、東京や大阪のような巨大都市でのみ存在意義があった低価格チェーン店は、すでに全国で戦闘できる力を失っている。東京では安くても、ローカル市場では普通の値段にしかならない。それでありながら、大量生産で旨さを無くした料理をマニュアル通りに出すのでは、付加価値が低すぎる。
食事が終わることに、群馬の製菓メーヵーが新潟に冷凍大福の自動販売機を置いているという話を聞いた。それは面白そうだと思ったが、不安ないな夜の街を自販機探しに彷徨うのも辛い。翌日回しにした。

翌日、朝早くに冷凍大福の自動販売機を見に行った。なぜこんな場所にと言いたくなるようなビルの一階にある。ただ駅前なのでオフィスビルとして便利な場所だ。ビル内の人通りはあるのだろう。小さめの大福4個で600円程度。高いのか安いのか判断に悩むが、ビルの近くにあるコンビニでは売っていないクリーム大福だから戦闘力はありそうだ。コーヒー味が入ったものを一つ買って見た。リュックの中に入れて半日旅をしたら程よく解凍できていた。オフィスであれば昼休みに買うと、3時のおやつにはちょうど良い。これは便利かもしれない。

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各駅停車の旅 ラストラン

新潟から弥彦神社に参拝に行った。その後は、もはや帰るだけ。寄り道もせず延々と各駅停車の列車を乗り継ぐ。長岡を経由して新潟平野の南端というか、山の麓の駅で群馬県に向けて乗り換える。谷川岳をくぐり抜けるトンネルを過ぎれば、ついに関東平野に戻ってくる。これを逆に通れば、昭和の巨匠が書いた有名な小説のコースになる。が、季節は夏だし、そもそも旅をするときに「国の境」を今の日本人が意識するものか?飛行機や新幹線での旅では、日本全体がのっぺりとした地続き感しか感じられない。この各駅停車の旅でこそ、ようやく地域の差を確かめることができる。ただ、そんな酔狂な真似をするものがどれだけいるだろうか。
その「国の境」手前で山の中にあるこじんまりとした駅に止まった。なぜこんな場所に駅があるのだろう、と言いたくなるような場所だった。旅の最終日にはふさわしい光景だなと思った。

長岡で駅弁を買い込み、ラストランは鉄道旅らしく駅弁とワンカップと決めていたのだが、長岡駅でも駅弁は新幹線ホームで販売しているようだ。在来線のキオスクでは、普通のコンビニ弁当しか見当たらない。
駅弁は諦めるしかない。おにぎりを二つ買い込み、昼飯として食べることにした。最近は各駅停車の旅で注意が必要なのが、弁当を食べた時のゴミ捨て場所の確保だ。車中はゴミ箱なしも当然だが、乗り継ぎ駅によってはホームにゴミ箱が存在しないこともある。
駅の待合室で食べるればゴミ箱がある。が、関東平野から首都圏に向かう路線ではゴミ箱なし駅の方が当たり前になる。駅弁が買えないのであれば、ゴミは軽量化したい。おにぎりであれば、出てくるゴミはプラ包装紙なので対応も簡単だ。こういう「各駅停車あるある」な知恵が、確定旅では重要だ。(えへんえへん)
おにぎりを食べながらワンカップというのは、初めての経験だったが、米を食べながら米の酒というのは、案外日本人の基本かもしれない。普通に、うまい。
テレビの鉄道旅番組にならって、最後は「呑み鉄」で締めようと思ったのだが、ちょっと変形スタイルになってしまった。

乗り鉄を楽しむとは、各駅停車の旅をすると思うことだと思うのだが、だいたい全国のどこでも、朝と夕方は高校生に囲まれる。今回も同じようにどの路線でも高校生の大群に出会った。ただ、コロナの影響なのか、空いている席に座る学生が少ない。テレビのニュースで、都会の「密」を2年間も脅しまくったせいなのかどうか。余計な報道(偏向報道の一種だと思っているが)で、日本の社会を変えてしまったメディアの責任論をそろそろするべき頃だなと、旅をしながら思った。

次に各駅停車の旅に行くときは、絶対に座布団を持っていくぞと決意した。

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弥彦神社であれこれ

新潟県はJRが複雑に入り組んでいる。隣の山形、福島、富山、長野などに接続するローカル線の密集地帯であり、その乗り換え駅が健在に散財しているせいだ。全部のローカル線が新潟に集中していれば放射状に広がる路線網になるはずだが、当然のようにそんな都合の良いことにはなっていない。
おまけに県内完結の路線もある。それがこの弥彦線だ。弥彦神社に行くためだけにあるようなものだと思う。川崎大師に行く私鉄がこんな感じの「お参り専用線」になっているのを思い出した。

駅前の広場にはドーンと歓迎のサインがある。門前町という勢いがある。ただ、不思議なことに駅前には食堂もなければ、土産物屋もない。荷物を預けるコインローっカーはあったが、その数も少ない。どうやら、お参りするのに鉄道でくる客は多くないみたいだ。同じ列車で降りた客は十人程度、それもほぼ高齢者(男性比率高し)だった。若い女性が集まるところでなければ、「お店」は成立しないのだなと改めて思う。

駅は神社風デザインが施されたシックな感じで、これはJR東日本、良いセンスをお持ちだ。出来れば駅の改修時に、その駅の独自性を発揮するデザインに変えてもらいたいと常々思っている。
日本の駅の中で、最高の建築美を発揮しているのはJR金沢駅だと思う。東京駅丸の内川もなかなかシックだが、現代風デザインというのであれば京都駅が数段優れている。それを遥かに凌駕するのは金沢駅で、建築とは美の様式だと納得させるものがある。全国の新幹線駅を含め大きな駅はほとんど見たと思うが、金沢駅に勝る「秀麗」な駅を見たことはない。
この弥彦駅に似た、デザインに感銘する小体な駅として思い出すのが、出雲大社近くにある私鉄の駅だろう。昔そのままのレトロ感が対称的な美しさだ。

駅から神社まではかなり歩く。この日の気温は30度を超えていた。おまけに神社まではダラダラ続く登り道で、ほとんど苦行と言いたい。確かに神社に車で乗り付けるのが現代風というものだろう。ヒイヒイ言いながら坂道を登っていくと、神社の近くにはホテルや旅館が密集していた。なるほど、車で来てお参りをしたあと、ここに泊まれば良いのだと納得した。長野善光寺門前の宿坊みたいなものか。

神社と駅の中間くらいに複合観光施設というか道の駅的な設備があった。神社周りには土産物店も少ないし駐車場がないせいだろうか。名物のパンダ?の土産物の店があり、その向かいが複合施設だった。
どうやら交通道徳のかけらも持たない大人が、この界隈には大量出現するらしい。小学生が見たらトラウマになりそうな標語だ。大人とは、知性と徳性が劣化した「痴的存在、稚的生物」らしい………

全国にある一ノ宮だが、国によってはずいぶん寂れている神社もある。昔から続く信仰も、地域の盛衰や国の中心が変わることで参詣者が減ることもある。神様の世界も競争社会なのだろうか、などと不敬なことを考えてしまった。越後一ノ宮はなかなか不便なとことにあるが、それを跳ね除ける力があるようだ。

この日はたまたま「祭りで踊り」を舞う若者たちが、お参りに来ていた。奉納の踊り集団らしい。若い人たちが詣でる神社はこの先も長く栄えていきそうだ。

弥彦線は弥彦が終着駅で、終着駅ファンとしては嬉しい。ただ、どうも終着駅感がない。もっと先まで伸ばす予定でもあったのだろうか。おまけに、ホームの長さは普通ではない。来た時は2両編成だったが、どう見ても5−6両編成の列車が止まれそうだ。新潟から乗り継いだ吉田駅のホームも長かった。初詣の時の増設臨時列車向けなのか。
乗り鉄は想像力だけで、ホームの上でも妄想で楽しめる存在なのだなあ。

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秋田の街歩き

年末のニュースなどで見かける「〇〇市民の台所」と言われる市場が好きで、時間があれば立ち寄ることにしている。スーパーに取って代わられて久しい業態だが、地場の魚や野菜が並んでいるのをみて歩くのは楽しい。今回の秋田では、今まで行ったことがなかった市民市場をなんとしても見に行こうと思っていた。
ただ、行く前から恐れていたこと、あちこちの市場で起きていることが、やはりここでも起きていた。お店が歯抜け状態になっている。感覚的には1/3が空き家になっている。県庁がある町でこうなのだから、地方都市で市場がなくなってしまうのは時代の流れと諦めるしかないのだろう。(実際に弘前では小ぶりな市場が消滅していた)

秋田駅から歩いて15分くらいで、夜の繁華街「川反通り」に着く。ここはだいぶ昔に官官接待疑惑で大騒ぎになり、以降「官僚」接待が反社会的な行為扱いされ、全国の県庁所在地で飲み屋が大量に潰れていくきっかけとなったと記憶している。
秋田には何度も来ているのだが、不思議と夜の繁華街に来たことがなかった。新幹線が開通してから、北東北はちょっと無理すれば首都圏から日帰り可能になってしまったこともある。秋田で仕事をした後、青森や盛岡に移動して一泊するパターンが増えたせいもある。

街は名前の通り、川沿いに伸びていた。これはなかなかの風情がある。秋田のお城直下の場所なので、江戸時代から続く賑やかな場所だったのだろうことは簡単に推測できる。まさしく城下町の花形だったはずだ。盛岡はお城から駅が離れているが、秋田は駅が近い。同じ北東北でも西と東では街の作り方がちょっと違っているようだ。

その繁華街のメインストリートではないかと思う通りを歩いて気がついた。両脇に並ぶ店が少ない。廃業してしまったところも多いようだ。おまけに、コロナの後だけに、閉店に追い討ちがかかった感じもする。

通りの両脇を眺めながら一往復してみた。外観が賑やかな感じがしたのは、秋田名物が並ぶ居酒屋ではなく、どかーんと肉を食わせる店のようだった。秋田は日本酒と魚と勝手に思い込んでいたが、今や「肉の時代」だしな………
と改めて納得した。
接待というビジネスツールが過去の風習となる時代だから、夜の飲食店も「自分の金で自分の食いたいものを食う」という当たり前に戻ってきた。そんなことかもしれない。
秋田の老舗料亭というやつを探してみたのだが、事前に調べてもいなかったので全く見つけられなかった。まあ、料亭の時代でもないし。そういえば、東京赤坂あたりの料亭は、今はどうなっているのだろう。学習効果の足りない国会議員だから、またゾロゾロ集まっているのだろうか。

街を歩く, 旅をする

後遺症があちこちで 秋田

秋田で夜の繁華街「川反通り」をぶらついてみた。すずらん通りとゲートに書かれているあたりが、飲み屋街のランドマークだと思うのだが、確信があるわけではない。広い通りから横に入ってくる形なので、そうではないかなと思った。

そのすずらん通りの入り口にひときわ明るい看板の店があった。焼き鳥屋のようで、外から覗いてみると比較的若い客が多い。コンビニ的な明るさだなと感心した。周りの店が実にシックというか、外観が暗いので余計に目立つ。
夜の繁華街はこういう「店外看板」で道が明るくなるものだが、秋田の街は例外のようで道が暗い。秋田スタイルは店外を明るくしないのかと思ったが、街を歩き回ると単純に店が開いていない(休業、休み、閉店)だけのようだった。
県庁所在地の賑わいがない、という気がする。ただ、駅前にホテルが多くあり旅行者向けには駅前周辺の方が使い勝手が良い。おそらく飲食店は駅前周辺に引っ越しているのだ。

そんなことを考えながら薄暗い通りを駅前方向に歩いていくと、不思議な惣菜屋があった。どうやら、洋風居酒屋の端っこをテイクアウトコーナーに変えて、惣菜販売をしているらしい。中を覗いてみたら、店内はつながっていた。
なるほど、コロナでのテイクアウト対応をしっかりとやるとこうなるのかと気がついた。秋田では冬の雪を考えると、店頭にテーブルを置いて販売するなどの、なんちゃってテイクアウトでは無理だろうなと思う。しかし、この人通りの少なさで商売は大丈夫だろうかと、他人事ながら心配になる。腹に隙間があれば、何品かは買ってみても良いのだが………満腹だったので、ごめんなさい。

その近くにクレープのテイクアウトの店があった。夜にクレープなのか? ちょっと不思議に思い近づいてみたら、そこはなんと「ステーキ屋」というか「肉レストラン」だった。これも、なんとも不思議な対応だ。最初はテイクアウトで「ステーキ丼」とか「焼き肉弁当」とか売っていたのかな。それが売上の低迷か、店主の好みかはわからないが、全く違うカテゴリーで甘いもの、クレープをテイクアウト商品に選んだのかな。ステーキを焼く技術があればクレープも上手に焼けるのかな。などあれこれと勘ぐってしまった。
これは秋田だけの現象ではなく、おそらく日本全国の中小都市で起きていることだろう。廃業するにも廃業できない苦肉の策。経済学的には採算が合わない業種は潰れて、次の新業態に置き換わった方が良いのだろうが、現実的には潰してなるものかと踏ん張る人たちは多い。こういう光景を見て、行政は何を考えているのだろうか。何も見ていないし、考えてもいないような気がした「秋田の夜」でありますよ。