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各停の旅 羽越本線 秋田

秋田駅は新幹線駅として改築されてから随分時間が経ったので、耐震工事も含めたメンテナンス改装中だった。コンコースが防護壁に覆われて歩きにくい。木造の内装が使われた綺麗な駅なのだけれど、今は工事中で見栄えはよろしくない。

We are the ナマハゲ brothers, Red and Blue って感じですねえ

それでも広いコンコースのあちこちに、観光客を喜ばせる仕掛けがあり、JRもサービス精神旺盛なところを見せてくれる。個人的な感想として、八戸駅や青森駅より明らかにたのしい。盛岡駅もこのエンタメ性を見習ってほしい。ちなみに新青森駅は「ミニねぶた」の展示があり、それなりに賑やかだ。

最近は人気が出ている秋田犬の超巨大フィギュアというかぬいぐるみが、通行人に愛想を振りまいている。なかなか見どころがあるなと思うのだが、周りを通行している人たちは地元民らしく、全く関心がなさそうだった。

翌日の朝には、このヘナヘナな姿になっていてびっくりした。ぬいぐるみではなく犬型風船、空気人形だったのか。地元民であれば、このへなちょこになった姿を見ているから、関心が薄くなっているのかな。

今回の旅では、あちこちの駅でSLの展示がされていたが。日本の鉄道開業150年という節目のせいらしい。秋田駅では展示がD51だった。このSLの選択基準は何だったのだろう。

秋田駅は青森、盛岡、新潟を結ぶ結節点なので駅の規模は大きい。駅名表示も全て緑色でJR王国だ。各駅停車の旅では、乗り継ぎポイントとして重要な駅になる。

この後は各駅停車で羽越本線を南下していくのだが、新潟まで一気に繋がるわけではなく、最初の中継点は山形県酒田になる。事前に時刻表をよく点検しておかないと、ポッカリと待ち時間が生まれる。

酒田は日本海航路の中継港、ベニハナの積出港で海運で栄えた街だ。陸運でお江戸とつながるより海運で京都大阪と繋がっている歴史がある。だから鉄道の拠点というより中継点といった感じがする。それなりの規模の駅だが、思いのほか発着する便が少ない。

北前船のミニチュアが駅ホームに展示されていた。駅で船を見るというのもちょっと微妙な感覚になる。ここでの待ち時間はかなり長いので、駅前食堂で昼飯をと考えていたが、残念ながら駅前食堂は発見できず諦めた。
仕方がなく駅舎の中にあった山形屈指の高級食料品店であれこれ土産物を物色していた。嵩張らないものが良いなと思っていたのだが、結局選んだのは酒田の地酒のワンカップ。値段も重さもお手頃だ。

酒田で2時間以上の待ち時間があり、あれこれ旅程の再検討をしていたら特急を使い、いわゆる「ワープ」をすると早めに新潟につけることがわかったので、ここはズルをして特急「いなほ」で飛ばすことにした。着いたのは「村上」、これで秋田県から山形県を抜け新潟県に入った事になる。
酒田から余目経由で山形内陸部、そして福島県に向かうコースもあるので、次回は日が日本を今回と逆回りで旅をするのもあるかな。

村上には随分昔に鮭の干物を見にきた。新潟県北部から秋田県に至る日本海側は高速道路が全通していないこともあり、なかなか縁遠い場所だった。鉄道旅をするにしても、県庁所在地はピンポイントで新幹線がつながっているが、それ以外の都市は鉄道での乗り継ぎ、接続があまり便利ではない。

村上は鮭の町と思い込んでいたが、お城の街でもあったようだ。戦国時代には出羽の最上氏がブイブイと言っていた勢力圏だった。やはり駅には「鮭」キャラがいた。

駅舎は風情のある平屋建てで、地方都市の駅としては優れものだ。県都新潟まではJRで1時間程度、適度な規模の地方都市という気がする。駅からはタクシーで郷土資料館に行き、帰りは歩いて駅まで戻ろうとした。しかし、この日の気温は30度を超え、20分も歩くと汗がどれだけ出ることだろうと思い、帰りもタクシーに来てもらった。行きと帰りが同じ運転者さんだったので、村上の街のあれこれをうかがえた。これはラッキー。最近は降雪量もだいぶ減ったらしい。地球温暖化というのは思っている以上に身近なものだなと改めて感じる。

新潟に着いたのは午後で、予定よりだいぶ早い。宿題にしていた新潟名物視察に早めに出かけることにした。新潟駅は東西南北から鉄道路線が集結する巨大ターミナルで、各駅停車の旅をするときには路線の確認が重要だ。行き先の駅名もよく把握しておかないと、とんでもないところに行ってしまう。要注意駅というか罠が仕掛けられていると思った方が良い駅だ。

着いてみたら駅舎改造工事中で駅構内を含めダンジョン化していた。罠の危険度は一段上のレベルになっていた。危険危険危険、と頭の中で警報が鳴っていた。にもかかわらず、結局は罠にはハマってしまった。無念。

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広告の話 掲載場所と対象者

これもシンクロニシティーみたいなものだろうか。恐山に行った時、食堂の脇にベンチが置かれていた。その後に、弘前でも広告ベンチを見つけた。スポンサーが似通っていて驚いた。
さて、企業名の入った広告としてのベンチを久しぶりに見た気がする。昔は、駄菓子屋の店頭や商店街の中に、清涼飲料水や菓子の名前が入ったベンチがたくさん置いてあった。ブランド認知の手法として屋外広告は古典的だが、名入りのベンチはなかなか費用対効果が優れた広告だと思う。
最近ではベンチを置いてある場所がすっかり少なくなった。おまけにホームレス対策ということで、横になれないようによう改造したベンチが主流になりつつある。行政が公園に設置するベンチは、寝ることができないよう一人用区分けして手すりをつける。ベンチを3分割や4分割にしている。おまけにコロナ対策として真ん中には座れないようにしてしまう。余計なお世話だと言いたい。「官の迷惑行為」の典型だ。
だから、このローソクメーカーのベンチが強く印象に残った。
そもそもローソクの需要はもはや照明ではなく、燈明しかない。百歩譲ったとして、誕生日のケーキに使うくらいだろう。停電時の非常照明であれば、それ専用のキャンドルを買い置きする。だからこそ、恐山でローソクの広告なのだなと納得した。
蛇足だが、キャンプ用のランプは、このローソクメーカーも作っている。ランプ用油(パラフィンオイル)に関していうと、このローソクメーカーのものは高級品だ。つまりお参りやお経を上げる時の灯明ばかりではなく、時代に合わせた商品開発も怠ってはいない。
確かローソクのシェアでは日本一だったような記憶もある。オンリーワンでナンバーワンではなかったか。それが恐山で広告というかマーケティングとは………

弘前市役所近くのバス停にあったベンチ

そんなことを考えていた翌日、またベンチに企業名入りのベンチを見つけた。弘前市役所に程近いバス停(屋根付き)にあった。広告主の名前は見れば商売は思い浮かぶ。そうか、今は葬祭も宣伝する時代かと納得した。
そして、広告の鉄則である利用者の目につくところに広告を出す、をしっかり守っているなと感心した。地方都市でバスを利用するのは、典型的交通弱者しかいない。通学に使う中高生と車を運転しない高齢者だ。となると、バス停のベンチが広告媒体として活用される対象者も限定される。広告主が受験を控えた学生向けに学習塾か、お迎えが近い高齢者向けの葬儀会社になるのは当然だろう。
さすがに墓地というか霊園の広告はストレートすぎる気もするが、「あり」といえば「あり」だろうか。結局、散歩の休憩を兼ねて、このベンチにしばらく座っていた。朝早い時間なのでバスが来ることもなかったが。
2日続けて、葬祭関連の広告ベンチを見つけてしまい、何やら不思議な気分になった。これは何かのお告げだろうか。恐山関連のお仲間がご一緒に山から降りてきているのでは。とするとお導きというかお迎えが………
などなどと考え込んでしまった弘前の朝は、よく晴れていて気持ちがよく、シンクロニシティーに悩むには全く向いていない朝でもありました。

街を歩く, 旅をする

秋田駅前の朝散歩

何年か前に秋田に来た時は、駅前が大規模工事中だった。秋田駅で降りてみたら、ホテルに行く途中まで通路の上に屋根がかかっていた。駅ビルもできていた。冬にはこの屋根が役立つだろうなと思ってたら、なんと「大屋根通り」と名付けられていたので、これまたびっくりだった。
タウンマネージメントとしてネーミングのセンスは大事だ。昭和から平成にかけて、都市再開発のときにこういうアーケードや広場ができると、語源はどこだと言いたくなるようなカタカナ造語で「ナンチャラ・ストリート」とか「ペケペケ・スクエア」などと呼ばれていた。聞いた次の瞬間に忘れてしまいそうな「感動も何もない」軽薄ネームばかりだった。
しかし、この「大屋根通り」という力強さ、忘れようもないインパクト。好きだなあ。偉いぞ、秋田市民、と感動してしまった。

その大屋根通りを歩いていくとお菓子屋があった。昔からお殿様がいる街には老舗和菓子屋が多い気がする。今では洋菓子、ケーキ、パティシエのいる店に押され気味だが、和スイーツなどと呼んで人気が戻ってきている。
老舗の若旦那、若女将?が商品のリニューアルを含めて、新コンセプトに取り組んでいるからだ。こういう変化は大都市より地方中核都市の方が進んでいる気がする。特に、観光客相手、手土産需要から日常使いへ変化しようという動きが成功しているようだ。

確かに、和菓子の団子や饅頭のような固形分の高いものはテイクアウト向きだが、クリームをあしらったり、汁粉をソースに見立てたり、和洋菓子の合体モードは戦闘力が高そうだ。洋菓子から和へのアプローチより、和菓子から洋菓子にすり寄っていく方が、柔軟な対応になるだろう。
抹茶と団子は、実に巧妙な組み合わせのように思える。東京では赤坂の羊羹屋に行けば、こんな感じで和菓子を楽しめるのだろうか。銀座では無理そうな気がする。そういえば地元の百貨店(もどき)のお茶屋が、抹茶と和菓子でイートインをやっていたな。

今回、朝の散歩途中で見つけた「我が懐かしの」茜屋珈琲店。本店は軽井沢で、日本のあちこちにぽつんと支店があるようだ。地元の街にも一軒あって、たまに美味しいコーヒーを飲みに行っていたが、コロナに負けたらしく閉店していた。
この店のコーヒーが飲みたかったが、今回は日程の都合で行けなかった。着いた日に見つけていれば、夜の締めコーヒーにしたのに、残念。

この店も時間があれば行ってみたかった。秋田に着いた日は気温が30度近い暑い日だったので、きりたんぽ鍋を食べよういう発想が全く出てこなかった。アジイと言いながら、冷たいビールを一気に飲み干すような気分だったせいだ。
看板に書かれた商品ラインナップを見れば、オール秋田うまいものが勢揃いしている。駅前にあるし、向かいはホテルだし、観光客向けの店なのは間違いないが、こちらも「真正観光客」なので文句はない。これも次回の宿題かと思いながら、次に秋田へ来るのはいつなのかなあ。
そういえば、銀座に「生きたナマハゲ」の出る秋田料理の店があったが、まだ健在だろうか。そうであれば、もう少し寒くなったときに、ナマハゲに会いに行き「きりたんぽ鍋」を食すというのもありか…………
ちなみに、銀座のナマハゲは、一通り客を脅した後は、仲良く一緒に酒を飲んでくれるフレンドリーなナマハゲだ。

食べ物レポート, 旅をする

秋田で焼き鳥

秋田の官庁街近くにある「夜の繁華街」は、どうもすっかり寂れてしまっているようで、あちこちに空き家が目立った。週中の平日だったから、休業日という店もあるのだろうが、それにしても人通りも少ない。
そんな夕方の街をぶら歩きしていて見つけたのが焼き鳥屋だ。この店は秋田のローカルチェーン店として記憶にある。鶏皮が名物なのだが、博多の有名鶏皮とはちょっと違う感じがする。それでも、仙台の支店で食べたときは、なかなか乙な一品だと思った。その本店が秋田市中心部にあるのをすっかり忘れていた。最初に狙っていた秋田名物の居酒屋はやめて、鶏皮を食べることにした。

お通しが洒落ている。どうしてなのか理由はわからないが、高級焼き鳥屋ではよく大根おろしがお通しに出る。確かにさっぱりとした大根おろしは、焼き鳥の油と相性が良い。文句はないが不思議だ。

日本酒は秋田の名酒がごっそりとラインナップされていた。今回は余り冒険をせずによく飲んでいる酒を選んだ。二杯目は未体験の酒にしようと思ったが、この一杯で十分に仕上がってしまった。美味い酒は一杯だけでやめておくのが、上手に酒を飲むコツかもしれない。

名物鶏皮登場、濃いめの味付けと冷たい日本酒がよく合う。北の秋田、南の高地と酒呑の両雄の地で焼き鳥を楽しんだが、やはり北の方が肉料理はうまい気がする。高知はやはり魚だろうなあ。
皮の焼き鳥は博多のものよりもしっとり目な感じがした。秋田の鳥皮はソフト系、博多の鶏皮はドライ系といった感じだろうか。味付けはどちらも甘味が強い濃厚タレだ。熱々のうちに食べるべきだろうなあ、と感じたのだが、普通に一人前で5本10本と頼むのも頷ける。一本だけでは物足りず、おかわりをしたくなった。

その後はマイ定番のセセリ、肝、つくねを頼んでフィニッシュ。どれもうまい。焼き鳥は日本が産んだ肉料理の最高峰ではないかと、いつも思うのだが、秋田にもうまい焼き鳥屋があってよかった。
ちなみに全国に隈無く存在する焼き鳥屋だが、各地でそれなりのローカル串も存在するから、どの街に行っても焼き鳥屋に行きたくなる。焼き鳥屋の不思議なところは個人経営の店でもチェーン店でも、専門店であればそれなりに楽しめるところだ。(居酒屋でついでに出てくるようなメニューの焼き鳥には問題があることも多いが)
個人的な焼き鳥の旨い街ランキングでは、福岡と札幌が2トップなのだが、それに秋田を加えてもよさそうだ。
四国は焼き鳥よりもも肉の丸焼き(骨付鳥)が大本命だが、ついつい魚に手が出てしまうので、焼き鳥経験が少ない。大阪にも独特の焼き鳥文化があるが、記憶に残る店がない。不思議だ。次は名古屋あたりで、旨い焼き鳥を食べてみたいなあ。

街を歩く, 旅をする

弘前でモーニングコーヒー

珈琲の街と書かれてある。ちょっと意外感があったのだが、文明開化の時代に弘前は津軽の中心地として、ハイカラ文化が花開いたそうだ。太宰治を生み出した冬の雪で埋め尽くされた平野と思い込んでいたが、先進的な農業で経済を活性化させた、つまり金持ちの多い文化都市だったらしい。今でも市内に数多く喫茶店があるようだ。

8時になるとようやく喫茶店が開店し始める。そんなモーニング営業をしている喫茶店を見つけて、散歩の休憩をした。朝のコーヒーは、やはり伝統的な(笑)喫茶店が良い。現代風の立ち飲み珈琲屋は好かない。コンビニコーヒーも、朝向きではない気がする。ただ、弘前城前のスターバックスは建物が昔の官舎を改造したもので、あれは風情がある。数少ない例外だ。

外観は渋い煉瓦造りで、これは最近の壁だけレンガ貼りました的な模造品とは違っている。本物の煉瓦を積んだ外壁だろう。

歴史的建造物として認証されている由緒正しきビルだ。大正から昭和初期にかけて、こうした洋風ビルディンが全国津々浦々で建設されていた。昔懐かしのモノクロ映画でよく登場する。

同じビルの中に、これまたおしゃれなラーメン屋が同居している。ただ、ここにはコロナ前の時期によく通っていた洋風居酒屋があった。居酒屋だったのか食事ができるバーだったのかはちょっと微妙だ。ともかく、シェイカーを振って作るカクテルが飲める店だった。弘前のお気に入りだったのだが、今はラーメン屋になっている。コロナで廃業したのかどうかはわからない。おそらく全国のあちこちにある、馴染みの店も大半が閉店しているのだろう、と思わされる光景だった。
このラーメン屋も一度は行ってみるべきだろうとは思うのだ。ひょっとしたら居酒屋が変身してラーメン屋になってはいるが、相変わらずカクテルが飲める店なのかもしれない。(そんなはずはないか)

喫茶店の中はカウンター席とテーブルがふたつというこじんまりした作りだった。一度来たことがあるような気もするが、記憶には残っていない。タバコの匂いがする、昔懐かしの喫茶店だった。

ブレンドコーヒーを注文すると、砂糖壺とミルクピッチャーが出てきた。これも、今は消滅したような光景だ。喫茶店で砂糖は細長い紙包装ものに変わっている。たまに角砂糖がコーヒーソーサーに乗っている店もあるが、それもすでに発見困難な化石喫茶店だ。
シアトルコーヒーの店は、たいていが使い捨ての砂糖、クリームetcで、あれはやはり喫茶店ではなく別のコンセプト、カフェというものだろう。朝の散歩途中に、こういう魅力ある「喫茶店」に立ち寄れるのは、文化高き街の証明だ。
8時10分もすぎると何人かのお客が入ってきた。皆さん常連のようで、カウンター内の店主と親しげに話を始める。聞くと話に聞いていたら、当たり前だが弘前語(津軽弁の中でも上級らしい)で、聞き取り不能語がだいぶ混じっていた。気分は石川啄木だった。言葉の意味はわからないが、何やら懐かしく聞こえる。北海道の高齢者が使うイントネーションに似ているせいだろうか。

店を出たら目の前にカレーのポスターがあった。ラーメン屋だと思っていたが、テイクアウト用にカレーを作っているようだ。ラーメン屋のテイクアウトでは商売にならなかったのかと気がついた。コロナの時代は、飲み屋だけではなく飯屋も大変だったのだな。

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弘前の夜の恐怖体験

夜の弘前をほろよいかげんで歩いた。いっぱいやった後なのでホテルの周りをぐるっと一回り程度の軽い散歩だった。上土手町という町名に、なんと話に感動してしまった。確かに川のほとりの街だから、こんな地名があっても不思議ではないが。
冬になるとこの案内板の半分は雪で見えなくなるのだろうか。

弘前駅に続く道に、夜遅いのも関わらずベンチに座っている女性がいる。遠目から見て、不思議に思った。近づいていくと、何やら上から下まで黒っぽいモノトーンで、あれれこいつは………
やはり生き物ではなかった。石の置物で、どうやらデザイン的な街の風景をおしゃれにする代物だった。何年か前に福井の大通りでジャズプレイヤーの像が、こんな感じでベンチに置かれていた。あの時は日中だったので最初から人ではない石造だとわかったが。
その後、どこかの町で同じ像を見つけて、なんと量産型のベンチ石像があるのかと、笑ってしまった。弘前のこの女性像?は、量産型ではなく一品もののような気がする。
しかし、夜にこれと出会うと、うすきみ悪い。人によっては、冷や汗を掻くほど慌てるかもしれない。

そこからもう少し歩いたところに、小さな皮に足を突っ込んでいる女の子がいた。これは、もはや怪談的な不気味さがある。夜にはもっとしっかりライトアップしてほしい。市の観光課なのか地域活性課なのか、あるいは街の商工会議所なのか、シティコミッションなのか。どこが責任を持っているのかはわからないが、昼にはなごむ石像も夜には恐ろしげになることを理解してほしい。せめてライトアップだけはしっかりとしようよ。薄暗い中のリアルな石像は、想像を刺激しすぎる。
ほとんどウルトラQ「ケムール人の回」を思い出した。これで夜眠れなくなったらどうしてくれる。

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弘前 早朝散歩2

津軽、弘前は雪の町だ。生まれ育った札幌も大都市のわりに豪雪地帯だが、人口100万人を越える街なのに、あれほどの積雪量になる場所は世界中どこにもないと聞いたことがある。確かに札幌市は年間10億円単位で除雪費用がかかるそうだ。春になれば溶けてなくなる雪を排除するために、都市運営としては仕方がないとは言え、多大な金をかける。治山治水とは異なる全く無駄としか言いようのない金だろう。世界各国で雪の少ない場所(けして寒くない場所ではない)にしか都市を築かなかったのは、賢人の知恵というものだろう。
本来の北海道開拓、北方支配地域の防衛という観点からすると、旭川のような軍都、小樽のような商都を全道に分散させればよかったはずだ。それにも関わらず札幌一極集中にしたのは、昭和後半のおバカでビジョンなき政治屋たちのせいだ。
津軽の人たちはそんなおバカな都市作りはしていないようで、適度な人口集中都市が出来上がっている。弘前、青森、そして八戸と青森県下では分散化がうまくいっているようだ。

雪の多いところでは、オープンエア型の屋台村を作るのは無理だから、インドア形式になる。恵比寿で一躍有名になった都市型屋台村は、そもそも老朽化したビルの再利用が目的だった。地価の高いこともありオープンエア型は大都市では作るのが難しい。
ところが積雪地帯の屋台村は「屋外では通行客が危険」「除雪の費用負担がバカにならない」という冬対策で、最初から室内型しか検討しない。(はずだ)
弘前の屋台村は、ビル内部の照明を落としているせいもあり、疑似的に「外」にいるような感じがする。ちょっと不思議な空間だと思う。

本当は夜に一杯やりに来るべきなのだが、実は屋台村の場所は弘前駅前からかなり距離がある。夏なので、歩いてきても問題はないのだが、冬であればホワイトアウトという悪天候でなくても、路面のスリップなどを考えると絶望的な距離になる。
今回は、夜歩きをサボって手近な店で済ませたせいで、朝の散歩の時に足を伸ばしてみた。
横丁配置図を見ると半分くらい空きが出ているようだ。コロナの後遺症ということだろうか。ちょっと悲しい。

弘前の「ねぷた」はこんな形で、青森の「ねぶた」とは違いますよ、と聞かされた。このデザインを見ると「津軽飴(水飴)」を思い出してしまう。あの丸い缶に入った水飴は、子供の時の大好物だった。
青森に親戚がいたはずもないが、時々誰かにもらっていたのだろう。津軽飴は今でも自分への定番土産だ。水飴は重いので人様のお土産に買うことはない(笑)

その横丁の近くにあった居酒屋の看板がまさに不思議ちゃんで、つい写真に撮ってしまった。「石と肴」とは一体何を意味するのだろうか。まさか、石を見ながら酒を飲む「ストーン・カフェ」みたいなものだろうか。頭の中はクエスチョンマークで満杯になった。

隣のボードを見ると(読み解くと)石焼料理、要するに溶岩焼きとか石板プレートで焼くステーキみたいな料理のようだ。コンセプトはわかったが、やはり実食してみたくなる。鳥の白レバーをミディアムくらいで焼き上げるとうまそうな気がする。

そんなことを考えながら歩いていたら、100mも歩かないうちに「鮨と地酒」の店を見つけた。店名が同じだから、どちらかが本店で、どちらかがコンセプト変えの支店のはずだ。鮨屋ではないようだが、日本酒のラインナップが多いみたいで、こちらも一度行ってみたい店だ。
しかし、朝からこの看板を出していても、店が開くのは夜からなのだろうし。ちょっと困ってしまう。

食堂の窓を無理やり?テイクアウト窓口にしたみたいだ

百貨店のビルの壁にポカリと空いている窓があった。テイクアウトの専用窓口らしい。ドライブスルーならぬウォークスルーだ。コロナも2年を超えたので、冬期間も2シーズンあったはず。冬の間はどういう使い方をしていたのか、これもまた気になる。

メニューは、まさになつかしの大衆食堂的ラインナップ

メニューを見れば、デパート大食堂的なフルラインナップなので、使う方としてはありがたいのかなと思うが、冬の弘前でこの道を歩いて買い物する人がどれだけいるか、ちょっと不思議になる。東京の居酒屋で店頭にテーブルを出して弁当を売っているのとは、レベルが違うオペレーションだろう。
そんなことも含めて、日本中であれこれ怪しいことをやっていたのが、この2年間だったのだな、と改めて思い知らされた。

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弘前の早朝散歩

各駅停車の旅は、出発が朝早くになる。先々の接続を考えると、選択肢がほとんどない。始発駅を早朝に出発する便は、乗り継ぎ駅まで直行する数少ない便になる。そのため、朝の早い時間ですら街歩きをする時間がない。
たまたま弘前は、朝イチではなく午前中の出発列車を狙っていたので、少し時間に余裕があった。これまで弘前で街歩きをしたのは冬の時期だけだったので、ぶらぶら街を歩くのが楽しみだった。

街を歩くとあちこちで面白い看板にであう。とんかつ助六は住宅地の真ん中にあった。こんな場所でとんかつ屋かと思わせる。ただ、興味が湧いたのは「とんかつ」ではない。

この幻のカツ丼だった。特製カツ丼に問題があるわけではない。気になるのは美空ひばり推奨のひとことだ。この方は、あの有名な昭和の歌姫のことだろう。その方が推奨するということは、一体どんなストーリーがあるのだろう。
これを知るにはランチタイムに来て、おそらく店内に書いてあるに違いない美空ひばりストーリーを読んで確かめるしかない。もしそんなものがなければ、店員さんに尋ねることだ。などと朝からちょっと興奮してしまったが、どう考えてもランチタイムに弘前にはいない。次回にするか、と断念したのだが。日程をかえても食べるべきだったなと、今更ながらに反省している。次行く時までお店があいていますように。

この一言にもガツンとやられた感がある。強気の発言というか、相当に自分のうちのコーヒーに自信があるのだね。すごいぞ。飲んでみたいぞ。

と思ったら、お店は喫茶店ではなくピザ屋だった。なんとも不思議な、朝だけカフェらしい。これも残念ながら時間がないので次回回しだ。

そのあと、弘前のある私鉄の駅まで足を伸ばした。駅名がカッコ良いので、ずっと気になっていた。駅前ロータリーに着いて、駅舎はどこだと思わず探してしまったが、目の前に立っている平屋が駅だった。全然、駅には見えなかったのは何故だろう。「中央」と着いているから大型の駅舎があると思い込んでいたからだろうか。

駅の中は、昔の駅にありがちな広告が無造作に氾濫した整理整頓とは程遠い光景で、これはこれでなつかしさがある。いまのJRなどの洗練された駅舎や駅構内と比べると、明らかに昭和のカオスが感じられる。JRも末端駅に近づくと、こうしたカオス状態が楽しめるのだが。ローカル私鉄は、あえてその雰囲気を放置しているような気もする。

そのカオスに一層拍車をかけるのがピアノだった。駅にピアノというのは、なんとはなしにそこはかとした哀愁を感じる。駅ナカ・コンサートがあったりするのだろうか。小学生の発表会に使われたりするのだろうか。いきなりアメリカから来たジャズプレイヤーが即興で引いていたりしそうだ。などと、脳内妄想が展開する。いい光景だな。

この駅のホームだが、線路よりは切符を買った乗客が列車を待つ場所で、左側の壁際は公共の通り抜け通路になっていた。ホームの中を通り抜けるとは、これは初めてみた。すごいな、弘南鉄道。
そして、その通路を通り抜けると美術館に出る。

弘前の現代美術館はレンガ倉庫を改造したものだった。これも朝早すぎて開館時間に間に合わない。えーい、こいつも次回回しだ。ということで、朝の散歩で気になるものをたくさん見つけてしまい、今度は弘前に2・3日滞在して、積み残したあれこれをやっつけなくてはなあ。雪が降るとホワイトアウトするから、その前にするか、それとも来年の桜の咲く頃にしようか、ちょっとまよっている。

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恐山 おまけ

恐山に路線バスで行くのは、各駅停車で鉄道旅行をしているのだから当たり前だと思っていた。ただ、バスの便数が恐ろしく少ない。朝一番の便で恐山に行くと、帰りのバスが三時間後までない。バス会社の考えでは、恐山の滞在時間は普通に三時間くらいかかるものだということだろう。あの荒涼とした地で三時間もいるのかよ、とつっこみたくもなるが、実は案外その予想時間は正しい。

お寺の門をくぐると広々とした敷地の中に木造の建物がある。これがお風呂で、参詣した人は入ることができる。まわりの硫黄臭が強いので、間違い無く強酸性の硫黄泉だろう。入ればお肌すべすべは間違いないが、体に染み付いた硫黄臭がなかなか取れない。以前、福島の山間で硫黄泉温泉を体験している。硫黄泉に入った後は、すれ違うだけで匂いがわかるほどだ。帰りのバスの車内が心配になるので、温泉は諦めた。自分が運転する車で来れば、問題なく良いお湯が楽しめる。
また、自分は諦めた湖畔までの遠征をすれば往復一時間程度はかかりそうだ。きっちりと恐山の全てを散策し、湯を楽しめ三時間はすぐなのだろう。

その恐山堪能ツアーをショートカットしてしまったので時間を持て余してしまった。仕方がないから、入り口の隣にある食堂で軽くビールでも飲みながら食事にしよう、などと不埒なことを考えたのだが。やはりここは霊場だった。確か仏教だから精進ものしか出てくるはずがない。間違ってもトンカツなどメニューにあるはずがないし、酒などももってのほかだろう。
店内で出されるものは、蕎麦とうどんとカレーライスだった。おとなしく山菜蕎麦を注文した。5分で食べ終わってしまい、三時間の待ち時間を潰すのは無理だとわかった。やはり事前にもう少しお勉強してこなければいけないと反省する。

御朱印をいただいたので、それを見返していたらやはり霊場恐山と書かれている。これは、大事なものだな。

山から降りて下北駅まで戻る。この駅も駅前には店が少ない。駅前食堂みたいな定番旅のお供も見当たらない。ようこそ、ジオパークと言われても、鉄道旅ではハンディがある。基本的にジオパークとは海とか山にある「岩を中心とした風景」を楽しめる場所だ。穴であれば洞穴潜りとか、海岸線であれば船に乗って沖合から眺めるとか、アクションが伴う観光だ。徒歩とバスでは行けるところも少ないし、行けるところでも一度バスから降りると、次に来るバスが三時間後みたいな羽目になる。

案内板を見ると、レンタルの自転車で回れる距離でもなさそうだ。端っこ好きとしては大間崎がちょっと魅力的だった。ただ、このバス60分の距離は、おそらく日帰りできない。朝イチのバスで行ったら滞在時間10分で最終バスになりそうだ。これもよくよくバス時刻と運行パターンを調べておかないと、手を出してはいけない冒険旅行になってしまう。

首都圏という大都市圏での鉄道運行状況を前提に各駅停車の旅をすると、ほぼ致命的な被害を被る。それは間違いない。日本各地のローカル鉄道では、一度降りると次に列車が来るのは二時間後というのがほぼほぼ常識だ。また、鉄道路線図ではつながっていても、実際に頻繁に(一時間に一本程度)運行しているのは、その両端駅周辺のみ、みたいなケースが大半だ。
大きい荷物を抱えて観光地に行くのはしんどい。できれば駅でコインロッカーに荷物を預けたい。そう思っても、やはりコインロッカーの有無や場所は、ネットで探しておいた方が良いのも「各駅停車旅のあるある」だ。この下北では駅を出てすぐに観光案内所があるが、その脇に無料のコインロッカーがある。これを知らなければ、大きなリュックを背負って恐山に行くところだった。
最近の旅は自動車で好きな時間に好きな場所に移動できるから、こうした旅のノウハウもすっかり不要になったはずだが、鉄旅ではまだまだ昭和の知恵が生きているようだ。次回の下北ツアーは自動車でキャンプ旅行かな。

街を歩く, 旅をする

恐山2

入り口から中に入ると、お寺の正式ゲートが見えてくる。普通にお寺にお参りに行くと、門の上にかかっている額には〇〇山〇〇寺とかいてあるものだが、こちらは霊場恐山という、なにやらありがたげな、恐ろしげな額になっている。
この場所は普通と違うという雰囲気が大量に噴き出してくるような………

入るとすぐに気がつくのが硫黄の匂いだった。入って左側には荒地が広がる。あちこちから蒸気が漏れ出している。初めてここにきた方が、ここは尋常ではないと思ったそうだが、確かに誰でもそう思う。温泉地でたまに見かける地獄の湯みたいなあぶくぶつぶつな場所は、行ってみればお化け屋敷のアトラクション的な明るさがある。名前に地獄とつけても、「あー、なるどど。確かに地獄っぽいね。」と笑って話せる気楽さがある。
ところが、この場所では、声を出すのも控えた方が良いのではと思わせる重みがあった。中に入ったらいきなり日差しが陰って曇ってきたせいかもしれない。霊場でお天気の演出効果はいらないなあ。

その荒涼たる場所の入り口にお堂が建てられていて、ここでまずお参りをしてから荒地巡りをするようになっている。あれこれとお地蔵様にお願い事をしてしまったが、お寺は人を救済してくれる場所で、自己解決を迫ったりしない優しい仏様がいる場所だ。
他の宗教では「我を信じるなら契約をせよ。」と強面で迫る一神教の神とか、「功徳が欲しければ、貢物をせい。」などと手下であるはずの人間に脅しをかける多神教の神もいる。
解脱を目指したゴーダマ・シッタルダの知的子孫たちが作り上げてきた宗教体系では、救済の思想が他宗教と質的に違う。日本人的に言えば、下々に優しい仏様ということになる。恐山は、その優しい仏様の中でもおそらく最強に優しい地蔵尊が祀られているので、あれこれお願いしても聞き入れてくれるだろう。お願いだけでは失礼だろうと、般若心経を唱えてお参りを終えた。

確かに、この岩と小石でできた荒地は、見る人が見れば地獄の光景、賽の河原のように思えるかもしれない。全体に立ち込める硫黄の匂いが余計に荒涼感を強めている。

その白と黒で区切られたモノトーン世界に、赤い風車が置かれている。1箇所だけではなくあちこちに風車がある。この赤にはどんな意味が込められているのだろうか。全く不勉強なので、何もわからなかったのだが、おそらく宗教的な意味合いがあるはずだ。カラカラと回る風車は輪廻天性を表す、などといわれると「なるほど、そうだろうなあ」と思ってしまう。

この荒地を進み低い頂を越えると、その先には湖が見えてくる。湖のほとりにお堂が立っているのが見えた。信心深い人であれば、おそらく、そこまで降りてお参りしてくるのだろう。降りて行った後の帰り道、登りを考えると降りていく気にならなかった。不信心ものと言われても仕方がない。お地蔵様だから許してくれるよね、と心の中で言い訳した。
それでも、この荒地の中をあっちに行ったり、こっちに行ったりして30分以上うろうろしていた。5分もいれば、あたりの光景に慣れてしまう。それほど同じ景色なのだが、なぜか立ち去り難く………
周りにいた参拝客が誰もいなくなるほどだから、ずいぶん長くいたようだ。もっとここにいろ、というお告げだったのかもしれない。後になってそんなことを思った。恐山には何もない。