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食べ物レポート

ちくわパンで夢想すること

他の店では、この倍以上のモリモリで陳列している人気商品

札幌発のローカルパンで最強なのは、この「ちくわパン」だと思う。初めて知ったときに感じた、パンにちくわ?という違和感は、もう一切感じない。生まれた時から売っていたような錯覚すら起こしてしまうが、実は発売されて30年くらいの新参名物パンだ。このパン専用に作られたちくわの中にツナマヨが入っている。いわゆる惣菜パンだが、見た目以上に食べた後の満腹感がすごい。小ぶりなパンだが腹に溜まるというか、「私、実はすごいんです」的なストロングテイストなパンなのだ。
この山盛りに積まれているちくわパンダが、この何倍もの量が1日に何度か補充されるくらいよく売れている。

イラストのように、パーティーのお供になるとはちょっと考えずらいのだが……………

おそらくちくわパンの原型は、ツナマヨおにぎりだったのではないかと勘繰っているのだが、熊本にある弁当チェーンで販売されている「サラダちくわ」なのかもしれない。そのちくわは熊本の名物であるのはまちがいない。ちくわの中にポテトサラダを入れて丸く膨らんだものを揚げている。ちくわ天の進化系みたいなものだ。おそらく、このちくわパンの会社の社長が熊本旅行に行ったときに、食べてびっくりして、それをパンにしてみた……………みたいな想像をしている。ありそうな話だ。
お江戸の立ち食いそばでは当たり前に売っているちくわの天ぷらが、アイデアの素になっていたかもしれない。北海道ではちくわの天ぷらをあまり見かけないので、お江戸の蕎麦屋か食堂でそれを見かけた可能性はある。
ただ、ちくわの天ぷらにツナマヨを入れるというのは、二重の発想転換が必要だし、個人的には熊本のちくわ料理インスパイア系ではないかと思っている。

食べるときにはツナマヨから出た油なのか、かなり手がベトベトしてしまうのが難点だが、今ではあちこちのパン屋でちくわパンのコピー品が出回っている。すでに、札幌名物に昇格したと思って良いだろう。
ちなみに北海道コンビニの王者、セコマでもオリジナルなちくわパンが販売されている。こちらは油少なめなので、食べ比べると面白い。

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クリスマスは雪の中

何年振りかでクリスマス時期に北の街にいた。例年と比べて雪が少ないようだ。コロナの流行る前の年には、大雪で空港が閉鎖されクリスマスに空港で外国人観光客が夜明かしするという騒動があった。LCC航空会社の対応が悪く暴動が起きたはずだ。そんなことが嘘のような雪の少ない冬だった。

クリスマスといえば、某米国鳥唐揚げ屋が猛威を振るう(笑)時期だが、こと北の街に関して言えば、地味な勢力ながら決して侮ることができない、小樽発の唐揚げ専門店が有力だ。この唐揚げは冷めてもうまいので、実はクリスマスのパーティー向け商品としては優れものだと思う。だが、クリスマスの日に鳥唐揚げを買うために行列するなどまっぴらごめんだ。チキンのための行列など我が人生最大級のトラウマなので、クリスマス前に半身を買い込んでさっさと食べてしまった。
ただ、半身揚げを買いに行ったときに見つけたクリスマスセットのポスターが妙に気になる。この大小スペシャルパックの売り方は、某米国唐揚げ屋のなんちゃらバーレルのデッドコピーっぽい気もするのだが、まさかバケツ型容器に入ってないだろうなあ。それを確かめてみたい気もするが……………

クリスマス前日、実家の近くの駅前はこの程度の雪しかなくて、気温も高めのせいか路面は全面凍結状態で、実はこれが一番危ない。おまけにこの時期は、外気温が零下に下がり室内気温は常夏環境の25度以上であることが多い。なんと室内外の温度差が30度を超えるので、なかなか体温維持には過酷な状況になる。だから、クリスマスの頃は、あまり外に出歩かないほうがいいのだ。
暖かい部屋の中でキンキンに冷えたビールを飲み、アイスクリームを食べるのが、冬の北海道では定番の過ごし方でありますよ。クリスマスパーティーではTシャツ・短パンの人も多いだろうなあ。

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酢豚を食べに行って残念だったこと

外気温がマイナスになることが多くなる、北の街札幌の12月だが、実はこの時期のビールが美味い。それも生ビールでぐいっという飲み方よりも、瓶ビールでクイっと飲むのが良い気がしている。
理由は簡単で外は寒いが中は暑いからだ。北海道での冬といえば明らかに室内気温は夏並みだから、外の気温に合わせて重ね着をしていると、レストランなどで食事をするときには時間経過とともに一枚二枚と服を脱いでいくことになる。最後はシャツを腕捲りしてしまうこともある。部屋の中は当然のように乾燥しているのでビールが美味い。

そんなときには、中華料理屋に行って酢豚を食べる。理由は、多分だが、甘辛いあんかけの料理が冬の体感温度に合うからだろう。夏の暑い時期には、あの熱々あんかけ料理に食指が動かないということかもしれない。まあ、いつでも酢豚はおいしいけれどね。
北の街で通い慣れた町中華に行った。地下街のハズレにあり、外の寒気にさらされることなく歩いていける。冬の便利スポットだ。
いつもの酢豚とビールを頼んだら、ちょい飲みセットにするとお得だと言われて、言われるままにそれを注文した。酢豚を食べているうちに、餃子が追加で出てきた。なんだこれは?と思ったが、お得なセットとはこのハーフ餃子がついているということだった。なるほど、と納得したが。この餃子3個というのが微妙な量で、ありがたいような有り難くないような……………

普通に美味しい餃子だったが、この後に注文しようとしていたハーフラーメンのスペースが胃袋から消えてしまった。やはりサービスセットについては、注文前によくよく内容を確かめておかないといけないなと反省した。
それにしても、この餃子はかなり大きめのサイズなので、普通に餃子を注文したらそれだけでお腹がいっぱいになりそうだ。次に行くときには、このサイズ感を忘れずにいなければねえ。若い頃であれば、こんなものへっちゃらだったと嘆いてみても仕方がない。

食べ物レポート

ヨーカンパン 南北対決?

小ぶりに見えるがずっしりと思いヘビー級

北海道のヨーカンパンと高知のヨーカンパンは、遠隔地で並行進化したものらしく、どちらが元であったという関係は全くないそうだ。高知で見かけたヨーカンパンはあんぱんに羊羹をコーティングしたものだったが、今回見つけたものはコーヒー味の羊羹?がかかっていた。
ただし、実食してみると中のあんこの味が強烈すぎて、コーヒー風味は吹き飛んでしまっている(笑)。まあ、気分は大切だからなあ、コーヒー味の気分を重視して……味変してみるのは勇気ある挑戦だったと思う。応援してあげるべきだろう。
ただ、コーヒー味に合わせて中身も少しいじくりまわすと良かったのかもしれない。

ご当地パンとしてはそれなりにユニークさが光る名品だが、発売場所が高知県でも西の果て、宿毛となると簡単に手に入るものではない。お江戸にある高知県アンテナショップで見かけることもあるが、その存在を知る人はどれだけいるだろう。まさに、そこが惜しい。都内各所にある各県のアンテナショップでは、たまにご当地パンというか県民にとってはソウルフード的なパンが売っていることがある。これを探すのが楽しみなのだが。また、アンテナショップ巡りでもしてみよかな、などと思いながら高知で朝飯に食べたヨーカんパンでありました。

その後、北海道でヨーカンパんを手に入れた。こちらは札幌周辺では有名ブランドなパン屋「ロバパン」と「ニチリョー」の製品だが、両者で微妙にデザインが異なる。ロバパン製品はちょっとお買い得な2個入りで、コッペパンにホイップクリームが入ったものに羊羹がかかっている。羊羹の味は控えめだ。

日りょー製品は一個入りで、ホイップクリーム入りなのは同じだが、ちぎって食べるタイプなのでスナック的というかおやつ的な感じだ。羊羹は甘めの味付けになっている。
両者とも味の優劣はつけ難いのだが、ロバパンは売っている場所が限られているのでにゅしゅが難しいのが難点だ。売っている店でも、入荷数が少ないのか売り切れるタイミングも早い。開店早々に行かないと入手できないこともあるのが困りものだ。

高知vs北海道のヨーカンパンは、高知産が高級品で北海道産が普及品という感じがする。これ以外に日本のどこかでヨーカンパンが売っているのであれば、ぜひ見つけ出してみたいものだなあ。

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あまいからい が店の名前

岡山駅から少し離れたところにこの店はある。繁華街を歩くついでという場所ではなく、この店にわざわざ行く、そんな立地にある店だった。看板を見ただけでは何の店なのかよくわからない店名「あまいからい」に夜飯を食べに行った。昼間は行列ができる人気店らしいのだが、流石に夜もふけるとそれなりに空いている。

店の入り口を見ればはっきりと分かるのだが、ラーメンの店だ。黄色と赤のコントラストはいかにも中華な雰囲気がする。味自慢の一言が力強い。

店名の由来は、この店独自な「追いダレ」からきたものだそうだ。ラーメンを食べていて追加の味変をするための醤油ダレが置いてあるということだ。確かに濃い味好きのひとには、これは嬉しいサービスだろう。せっかくなのでラーメンを半分食べたところで、追いダレを試みることにした。

どうやら季節メニューらしいのだが、おでんも頼めるらしい。ラーメンスープで作るおでんに興味が惹かれて注文してみたのだが、何だか普通におでんだった。やはりおでんの出汁は偉大なもので、ベースをラーメンスープにしようが、鰹出汁にしようが、やはり具材に染み込む味わいという点では、大きな差が出ないようだ。このおでん、普通に美味いがラーメン味というわけでもない。中華紋様の皿に入ったおでんというのはちょっと不思議な光景だった。

さて、ラーメンだがこれまた特異な味というわけではない。普通にうまい。何度食べても飽きのこない味だと思う。やはり長く続く名店は、飽きが来ない、また食べたいと思わせる「普通の」うまさが重要なのだなあ。
ラーメンのスープ、麺、トッピング、そのバランスというか調和というか、これを揃えるのが難しいのだが、名店はさりげなくそれを実現している。半分食べて追いダレ実施した結果として、あまいのもからいのも、どちらも美味しかったですねえ。
個人的には、追いダレたっぷり入れた極濃い味が好みのようでありました。

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三原 滞在時間2時間

広島県三原市は港町らしい。新幹線も止まる駅だが、駅前は意外と閑散としている。広島空港行きのバスを待つ時間待ち三原の街にしばらくいた。城を眺め昼飯を食べ、それでも時間が余ったので、荷物をコインロッカーに預けて散歩をして回った。
まず駅前で見つけた看板がすごい。クマ出某注意という看板は、北の国でよく見かける。動物注意と書かれた「猿の看板」もみたことがある。しかし、プリンが危険物だとは知らなかった。三原の街はプリンで世界征服を狙っているらしい。

駅前にはタコもいたが、そこには「タコの逆襲」などとは書かれていない。怪獣映画の宣伝文句みたいキャッチコピーがあっても良さそうだが。瀬戸内海を挟んで広島県川と愛媛県川でタコ推しの街があるというのはうなずける。どちらのタコがうまいか、比較してみたいものだ。

そして、もう一つの三原名物が「ダンス」のようだった。これは初見だが、西日本では有名なものなのかもしれない。

瀬戸内海の島を結ぶ港があるとのことなので、駅前から港まで行ってみた。西に行けば呉、東に行けば尾道だが、広島県の町としてはだいぶ東寄りにあるらしい。まあ、この辺りは広島(安芸国)というより備後国だから、古代中世を通して広島とは別の土地だったはずだ。村上水軍に代表される「海の民」の影響が大きかっただろうし。

港町らしく大きなスクリューのモニュメントがあった。戦中、戦後に活躍した旅客船のものだったようだ。船のスクリューは水面下に沈んでいるから目にする機会もない。なるほど、大きなものだと改めて感心した。

港の案内板を見ると、確かに三原周辺には小さな島が多い。橋を渡すほどの交通量も必要ないから、連絡船で繋がっているようだ。
よくよく地図を見ると、ウサギで有名な島があったり、レモンで有名な島があったりするが、どの島へも船で渡るしかない。レモンの島に入ってみたいものだが。
いつか、時間ができたら、小さな島をぐるっと巡るのも良さそうだ。瀬戸内海賊の気分になって見るのも乙な旅だろう。ウサギの島に行くときは人参を持って行かなければな。三原駅周辺、2時間の観光だった。

街を歩く

研究 味噌ラーメンの変化

札幌 味の三平 味噌ラーメン(これが元祖味噌ラーメンらしい) チャーシューあり

味噌ラーメンというと思い浮かぶレシピーがある。それは味噌ラーメンの元祖と言われる店のものだ。もともと醤油ラーメンを客の注文で味噌汁仕立てにしてみたのが始まりで、そこから改良を続け完成したものだそうだ。原型である醤油ラーメンとの違いは、醤油ダレの代わりに味噌を使ったことと、炒めたもやしをトッピングにしたことのはずで、そのバリエーションにチャーシューを抜いて、もやしと挽肉いためを載せた。
こんな感じに理解をしていた。ところが、その後も味噌ラーメンは全国に拡散し浸透する中で、変質というか進化というか、原型とは全く異なる異形に変わっていったらしい。
その異形への変化についてお江戸に出てきた我が身の感覚で申し上げると、初期のお江戸作り味噌ラーメンは間違い無く劣化コピーで食べる価値なしだった。それが、西国のとんこつラーメンの侵略と融合の時代に、なぜか豚骨スープが触媒となり、お江戸を中心にラーメンの大革命が起こった。それに合わせて、味噌ラーメンも百花繚乱の時代を迎える。

満州の味噌ラーメン チャーシューなし

関東系町中華チェーンである「満洲」は、お江戸の周辺部に拠点を置くだけあり、埼玉ラーメン的な要素もあるが、ひき肉もやし炒め、チャーシューなし属の中ボス的存在だ。
濃いめの味噌味は「元祖」とはずいぶん異なっている。どちらかというと麻婆ラーメンや焼肉ラーメン的な「濃いめ焦味噌」風な仕上がりになっている。もやし炒めにさまざまな野菜が加わり、野菜増し増しにもなっている。濃い味な味噌ラーメンでありながら野菜により健康的イメージを押し出し免罪符を得ようとする健気さがある。まさにお江戸風な、小洒落たアレンジかもしれない。

餃子の王将 高知駅前 チャーシューなし

その系譜に繋がるのが、最強町中華チェー(全国)である王将の味噌ラーメンだ。見た目は満洲系味噌ラーメンに酷似しているが、味付けはちょっと変わっていて辛味がきいている、野菜のアレンジも違うが、これはもやし炒めというよりは八宝菜系のアレンジのようだ。満洲と王将は、それぞれルーツの地が東西と別れているので、どちらかが早い時代にパクったか、それとも東西で並行進化したものかはわからない。ただ、味噌ラーメンの侵略経路を考えると、北から南へ進んでいったはずなので、満洲が早い時期に先行導入し、、王将が東国侵攻を進めるときに導入したと思うのが自然だろう。お江戸の味噌ラーメンは、元祖インスパイア系濃い味属とでもしておこう。
東西の中間点である静岡県で味噌ラーメン調査を進めるべきだとは思うが、東海の覇王「五味八珍」では餃子に気を取られてラーメンはなおざりにしていた。再調査が必要だ。

札幌 羅妃焚 特製味噌ラーメン チャーシューあり 生姜あり

味噌ラーメン発祥の地札幌では、元祖の跡をついで(暖簾分けではなく独立系のようだが)、次々と味噌ラーメンの名店が生まれている。一番大きな変化は、豚骨スープを導入したもので、濃厚を超えたトロミさえ感じられるものも多い。
面白いのが、豚骨スープ発祥の地である九州でも豚骨味噌ラーメンを見かけるようになったが、どうもその味は北海道豚骨スープ属には負ける。九州豚骨スープ属は更なる進化を遂げてほしいものだ。
付け加えておくと、札幌味噌ラーメン界に高く聳える孤峰「彩未」は自ら「すみれ」の継承者であるといっているが、味噌ラーメンにおろし生姜をトッピングするという進化をなしとげ、数々の追従者を生み出した。それは「彩未」派という新ジャンルに認定するべきだろう。
中京では「台湾ラーメン属」が最大勢力になるが、それと対抗した味噌ラーメンも存在しそうなので、後日の研究テーマとしたい。

ちなみに、東北諸県と新潟県で味噌ラーメンの勢力は極小だが新しい味噌ラーメンチェーンも生まれている。
新興ラーメン圏である長野は、長きにわたるそばとの戦いにようやく曙光を見出し、信州味噌ベースの名店が勢力拡大中だが、味噌ラーメンと並行進化したハルピンラーメンがエース的存在だろう。

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呼び込みに誘われて

岡山駅正面に立つ高島屋の裏手は、どうやら岡山の飲み屋街にあたるらしい。もう少し西側に行けば、ちょっと怪しいお店も存在しているようだが、岡山は立派な教育県なので風俗店は見当たらない。まあ、健全な飲み屋街で間違いないだろう。
その裏通りを彷徨き回っていると、タバコを吸いに表に出てきたらしい居酒屋のお兄ちゃんに声をかけられた。看板を見るとなかなか良さげではあるのだが、前日も焼き鳥を食べたのでどうしようかと迷ってしまった。
特にいくあてがあるわけでもなく、岡山名物〇〇がたべたいという欲求もない。行き当たりばったりで、どこかの店に飛び込もうとしていたから、通りをもう一回りしたのちにこの店に入ることにした。

岡山には銘酒が多いはずだが、不勉強で全く見知ったブランドが見当たらない

注文をするときに、先ほどのお兄ちゃんが「「戻って来てくれてありがとう」と一言かけて来た。こちらは曖昧に頷き、おすすめはと聞くと鍬焼きはどうかと言われた。いつものように、「じゃあそれで」と全く人任せな注文をしてしまった。その後で、メニューを真剣にみて追加を選ぶことにしたのだが、結局追加したのは鶏皮の酢の物だった。

当然ながら、こちらの方がすぐに出てくる。食べてから後悔した。この鶏皮はうますぎる。鶏料理はこれだけにしておいて、別の肉を頼めばよかった。まあ、旅先でよく起こる居酒屋あるあるだった。
しかし、旅先で居酒屋に入るたびに思うことだが、なぜお江戸の居酒屋と同じ名前のメニューがこんなにうまいのだろうか。お江戸を標準にすると、人生ちょっと不幸なのではないか。
まったく感覚的な話だが、お江戸より2割安く、お江戸より2割以上美味いのが地方都市の居酒屋レベルだ。初めてお江戸に出てきて入った居酒屋の法外と思える値段と、出されたものを食べての落胆を思い出す。まあ、それにもすっかり慣れたけれども。

続けて出て来た鍬焼きは、平たく言えばクワのような形の鉄板で焼いた鶏肉で柚子胡椒をつけて食べるものだ。宮崎名物、地鶏焼きインスパイアな料理だった。こちらもうまい。ただ、一人で食べるには量が多い。一人飲みの欠点は、時にこうした大ボリュームメニューに当たってしまうことだ。
鶏皮もかなりの量だったので、この日は鶏料理二皿で満腹になってしまった。うまいものを食べた報いだと諦めるしかない。できれば、もう一品か二品試しにたべてみたかったなあ。鳥肉に関しては素晴らしい店だったから、他の肉も試してみたかったのだが。

ほろ酔い気分で歩いていた帰り道、これまた声をかけれらたのだが、その声が随分と小さい。教育県岡山には存在しないと思っていたキャバクラの呼び込みで、確かに見上げてみれば、一見するとやたら明るいスポーツバーのようにものがある。それがキャバクラらしい。というか、こんな明るい健全ムードでキャバクラ営業できるのか、さすが教育県だなと変な感心をしてしまった。
こちらの客引きはあっさりとご遠慮してホテルに戻った。岡山の夜、二人の客引きに声をかけられたが、なんとも不思議な街なのだ。

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岡山で一番うまいもの賞

岡山初日で買えなかった「たくあんサラダ」なパンを翌日手に入れた。見た目は限りなくシンプルなコッペパンだ。横須賀で買ったコッペパンサンドに似ている。つまり中身が何にもわからない「謎」パンだ。

中身を開けてみたら、マヨネーズで和えたたくあんが具材になっていた。これまたシンプルの極みだ。
どころが、食べてみたら、感動の嵐だった。今まで食べたパンの中で一番美味いかもしれない。これまで食べたことがなかった、それが盛大に悔やまれる。人生にたまたま仕掛けられた罠にハマった気分だ。なぜ、このパンのことを知らなかったのだろう。人生の大事な時間を無駄にしたような気さえする。我が人生で、最良の師である「某ケンミンショー」でも、このパンのことはしらされていないのではないか?

岡山、すごいぞ!!であった。

「福神漬けサラダロール」は前日食べて感動していたのだが、改めてもう一度食べると、こちらも「たくあんサラダロール」とは甲乙つけ難い名品であるとわかる。龍虎決戦と言いたい。嗚呼、美味しい。

中身はカレー味のマヨネーズに福神漬けが入ったものだ。シンプルだが美味い。やはりこれを食べる時は、たくあんサラダと福神漬けサラダ、各一本づづを購入し交互に食べるのがよろしい。一度に2本食べると相当に満腹になるが、どちらか一本だけ選べと言われても選択に困る。
このサラダロールを食べるだけのために岡山に住むのはしんどいが、これを食べるために岡山に行くのは、アリだと思う。それほどの名品だ。
なんとか、東京に出店してくれませんか、岡山のキムラヤさん。お願いします。

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吉備津神社で古代国家を思う

備中国一宮、吉備津神社は一度来たことがある。桃太郎伝説の絡みで、この地にいた有力氏族である「うら伝説」を聞いたからだ。うらとは温羅と書く。おそらく古代ヤマト朝による侵攻と吉備支配の過程で残された物語だろう。
大和国に王朝首府をおいた古代ヤマト朝が中国(西部戦線)北陸(北東部線線)丹波(北西戦線)東海道(東部戦線)の4方面戦線を同時に構築した時の西国侵攻主導者が吉備津彦だったというのだ。
個人的には、この話は盛りすぎだと思う。日本書紀の話は、基本的に針小棒大な作り話が多い。大陸の大国に倣い正式な歴史書を作ろうとした勢いのまま、筆が滑るというか虚飾まみれのホラに膨れ上がっている気配が濃厚だ。今風に言えば、盛りすぎというやつだ。
古代において街道すら整備されていない小国分立状態の時期に、4方面作戦が同時に行えるほど国力があるわけもなく、また人口を考えても兵員数には限りがあるだろう。仮に各方面の諸国家と大和の国力対比が10倍あったとしても、予備兵力を考えれば4方面作戦は無理だ。軍事の常識に古代も現代もない。兵量(人の数)と武力(兵器を含めた質)の掛け算で勝負は決まる。
だから、吉備国で古代ヤマトとの戦争が起こりヤマトが勝った時に、吉備王国の王族をヤマトの一族扱いにして支配者とした。それがヤマトから派遣された将軍と称される吉備津彦のあり姿ではないかと思う。
本来、征服者であれば子孫が支配を受け継ぐ(ヤマトの代官として)はずだが、吉備津彦に子はいなかったようだ。ヤマト朝としては吉備王国の支配者の血筋を消したかったのだろう。

独自な建築様式なのだそうだ

そんなことを考えるきっかけになったのが、吉備津神社の特異な建築様式だ。この独特フォルムは吉備津神社だけのものらしい。ただし、その造形は古代に確立したものではなく、中世に生まれたようなのだが。中世になり古代から続く禁忌が外れた、みたいな妄想をしてみたい。その時期は南北朝の紛争で天皇系統の正当性があれこれ取り沙汰された時期でもあるし……
出雲も統一ヤマト朝による被征服国だが、出雲大社には独自の様式が残されている。ヤマト朝の支配様式というか、大国の王族、神族は根絶やしにせずヤマトに同化した形で存続させたのだろう。
おそらく完全撲滅させると反乱が起き、それに対応できるほどの超絶した国力があったわけではないからだ。古代ヤマト朝は豪族の連合政権で大王も持ち回りみたいなものだったようだから、同化政策が現実的かつ主導力だったと思う。
吉備国や出雲国のような海上貿易を行う大国との関係は、征服というより緩い連邦からの統合みたいなものだったのではないか。

どちらにしても、古代ヤマト朝が精一杯に背伸びをして中華大国に見栄を張った結果が、日本書紀の盛りすぎ伝説になっていると思う。現実的には、案外周りの国にペコペコと頭を下げながら同盟国を増やしていった、勤勉で臆病で腰が低い国づくり過程だったのではないかと思う。
そもそも文書記録を輸入文字である漢字に頼っているのだから、それだけで国の立場というものがわかる。現代日本の歴史をアメリカ英語で記述して、それを国家としての正史とするみたいなものだろう。
当時でも存在していたはずの国粋主義者であれば、自国の歴史を他国語で記録するというのは、なんだかなあと思っただろう。現代であれば、Right Wing方面から集中砲火を浴びそうな暴挙なのに、今ではそれを正統歴史書として扱っている。やはりこの国は古代から変な国なのだ。
大陸国家が、特に春秋戦国から漢代に至る時代を、宗教面に視点を置いて、古代日本にどのような影響を与えたかは考察してみたいものだ。大陸のスーパーステートが東の小国である島国に与えら宗教的影響は、日本神話にどのような衝撃を与えたのだろう。それが日本の文化の源流、特に神道形成への影響は大きかったはずだ。道教の成立や仏教の伝来以前だから、古代中華帝国の宗教体系はかなり呪術的なものだったように記憶しているが。
それと同じ時期に滅ぼされた国である吉備国の成立は調べようもないだろうが。歴史は妄想からだなあ。