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旅をする

新発田城 あれこれ

大手門は実に立派だった

日本100名城巡りも半分近くを終えた。東日本で残る城はあと一つ。これだけ城巡りをすると城の見どころもわかってきた。最近ではお城のあれこれを解説してくれるテレビ番組もあり、ひょっとすると城巡りはブームなのではと思うが、経験的には時期によって視察者ゼロということもよくある。
天守閣が現存するかどうかで、城の人気は違うような気もするが、全国各地にある天守閣のほとんどは近年に再建されたもので、いわばフェイクなのだ。鉄筋コンクリート製の見た目だけ昔風な建造物になっているものも多い。特に東国の城は戊辰戦争後にひどいことになったので、建築当時からの建造物が残る新発田城は東国の城として貴重なものだ。

ただ、新発田城も天守閣というか本丸は残っていない。昔の広大な敷地の半分以上が、帝国陸軍の敷地になったせいだ。大手門をくぐるとそのすぐ先には塀があり、塀の向こうが自衛隊の駐屯地になっている。帝国陸軍時代は第2師団隷下、第16連隊が拠点としていた。現在は栃木県に本拠地を置く陸上自衛隊第12旅団第30普通科連隊の拠点になっている。
ただ、大手門から手前の広い堀は現存しているし、堀の隅に置かれた櫓は当時のままだそうだ。

大手門から堀に沿って石垣の上を歩くと櫓まではすぐの距離だ。昔は、この石垣の上を守備兵が走り回ったのかと思うと、ちょっとワクワクする。櫓の中は入ることができる。木造建築の内部は、戦闘のための空間だったと感じさせる簡素さだった。

新発田城は、全くの平坦な場所に築かれている。広い堀を城の周りに巡らせた典型的な平城だ。よくもこんな防衛のしにくい場所に城を建てたものだと感心する。戦国期が終わった直後に建てられたので、戦略地防衛拠点というより、支配者の威風を見せつける示威効果を狙ったものだったのか。
今ではすっかり周りを住宅地(と自衛隊)に囲まれ平和そのものな場所だ。この城を建てたお殿様も、今の平和には満足してくれることだろう。
しかし、この日、新発田市は日本で一番暑い場所の一つだった。城巡りにとっては最悪の状況で(城の中を歩き回ると暑さのために眩暈がするほどだ)、運が悪いと思うしかない。夏の城巡りはハードすぎるなあ。

食べ物レポート

会津で和菓子を楽しむ 

会津若松市七日町通りにある和菓子の店で、手土産にしようとあれこれ探してみた。なんとも美しいフォルムの和菓子が並んでいたのだが、福島といえばゆべしだと思い(郡山の名産に有名なくるみゆべしがあるので)、2種詰め合わせのセットを買った。

サンプルを見ていたら自分でも食べたくなり、2種類のゆべしを買ってしまった。一つずつバラ売りしているのがありがたい。くるみゆべしは、表面に雪が降ったようにみえる。甘さは控えめで、実に心地よい。このグニュッとした歯応えが、幸福感を呼ぶのだなあ。

もうひとつのゆべしは、ごまがまぶしたものだった。ゆべしとしては珍しいと思う。そもそも、ゆべし自体は全国であれこれバリエーションというか、拡散した広がりがあるようで、また菓子店により様々な中身、外見の変化もあるようだ。あくまで記憶モードだが。

ごまが表面にまぶしてあるので、食べると食感がなかなか変わっている。ゴマを噛むプチプチした感じと、ゆべしの持つ弾力と歯応えが合わさると、なんとも絶妙な「かみ心地を楽しむ」菓子になっている。こちらも甘さは控えめだが、今の時代はそれが良いのだと思う。

シアトルコーヒーのチェーン店で出される、強烈な甘さの飲み物が一般的になって以来、その反動なのかはよくわからないが、甘さ控えめの菓子、特に和菓子が増えているような気がする。「甘味」にも時代による流行りがあるのだろう。
伝統的な和菓子も、もともと甘さは控えめなものが多いとは思うが、最近の創作系和菓子は特に甘さと香りと食感のバランスに気を配っているものが多い感じを受ける。食の世界は、流行り物に影響を受け玉突きのような変化と進化が連続して起こっていくものだ。日本人の甘味感覚が変容する引き金になったと思う米国発のドリンクと、和菓子の関係は誰か研究してくれないだろうか。面白いテーマだと思うのだがなあ。

旅をする

青春18きっぷ 改定のお願い

各駅停車の旅は新幹線の車窓から見えないものをみつける楽しみがある

新潟駅で発見した、今年の青春18きっぷのポスターだ。高知県の駅だった。青春18きっぷのポスターは、珠玉の名作と言いたいものが数多くある。このポスターに惹かれて旅に出る若者も多いだろう。
ただ、この各駅停車の旅を何度か経験するとわかることだが、すでに「青春」とは限りなく遠い方達が、大量に発生している。(自分も含めてだが)
各駅停車の列車で、できるだけ長距離を移動しようとすると、実は使用可能な列車が実に限定される。1日のうちに、ワンチャンスしかないという路線も多い。そのワンチャンスを探すため全国時刻表をめくるのが、これまた各駅停車の旅を楽しむ方法だとも思うのだが。
東京や大阪のような大都市から、どこまで遠くに行けるかなどは、毎年の旅雑誌恒例の企画だ。だからなのか、その長距離移動を実践しようとする「乗り鉄」も多い。そして、今や「乗り鉄」の高齢化が著しく進んでいる気がする。
今回の福島・新潟回遊ルートでも、18きっぷ利用者と思われる同乗者(大きいリュックに一眼レフカメラを持っているのが特徴)をざっと確認してみたが、高齢者8に対して若者2くらいの割合だった。
JR各社もこの状況は理解しているだろう。ローカル線の中でも車両編成が1両という超ローカル路線では、この18きっぷ旅行者が地域の常連客(通学に使う高校生など)の座席を奪う形になる。これはなんとも心苦しいものがある。
そこで、青春18きっぷの代わりに、「老齢65切符」を発売し、青春18きっぷの有効期間以外で販売すれば良いと思うのだが。時間帯も限定すると良いかもしれない。
JR大人の休日のような、高齢者向け割引サービスはあるのだが、やはり各駅停車乗り放題という魅力はなかなかのものだ。「老齢切符」は複数人数の使用は認めないとか、買う時に年齢確認をするとか、あれこれ条件整備は必要だと思う。ただでさえモラルの低い高齢者が不正利用する可能性は高い。当然、18きっぷのような簡便さにはならないだろう。
ただ、利用期間も春、秋の行楽期間を避けて、かつ学生の長期休暇も除外期間にすることで、閑散期の需要拡大につながるのではないだろうか。
こんなことを考えたのも、18きっぷ利用の高齢者が、あまりに乗車マナーが悪いことに気がついたからだ。このまま放置すると、高齢者によるマナー汚染が進むか、あるいは若年層からの高齢者排斥運動が起こりそうな気がする。歳を取っても人は賢くならないという現実を見せつけられる。

JR各社の企画担当者は、ぜひ現場のヒアリングをした上で「老齢切符」導入を検討してほしいものだ。

食べ物レポート, 旅をする

青島食堂の生姜ラーメン

10年以上前にテレビの旅番組で知った長岡の有名ラーメン屋にようやく行くことができた。新潟にはたびたび行っていたが、長岡に立ち寄ることは極めて稀で、たまたま長岡に行っても所要を済ませると新幹線に乗って戻ってしまう旅程ばかりだった。JR長岡駅から一駅の場所にあるこのラーメン屋は、長い間の憧れの地だった。
小出から長岡に移動する途中で下車して、ついに憧れのラーメン店に出会った。昼前に着いたが、すでに行列ができていた。
ちなみに、この日の長岡は日本一暑い場所だった。行列に並ぶのも命懸けの気温なので…………

カウンターだけの店内は、熱気がこもっていた。おまけにたまたま座った場所がカウンターの端で、なんとエアコンの冷気が当たらないという運の悪さだった。とりあえず注文した生ビールで一気に体を冷やす作戦だったが、これはあまり効果がなかった。残念。
お通しはチャーシューの切れ端で、これはなかなか有難い。これだけで何杯かビールが楽しめる気がする。実にうまいものだったが、ビールを飲んで涼んでいるうちにラーメンが到着した。

今回は珍しくチャーシューメンを注文した。丼の上に薄切りの自家製チャーシューがたっぷり乗っている。普段は最後に食べることにしているチャーシューを最初に食べてしまった。お通しに出てきた端切チャーシューのせいだ。あらためて、うましだった。
長岡の名物ラーメンは、魚介だしの生姜醤油ラーメンだった。思っていたより生姜は控えめな感じだった。スープもおとなしめなので、さらっといける。バランスの良いラーメンだ。海苔とめんまが良いアクセントになっている。
コンビニも見当たらないローカル駅前で、このラーメン店を目指してきた人の行列ができるというのも納得の味だった。次回訪れる機会があるかどうかは無妙なところだが、できればもう少し涼しい時期の方が、このうまさを楽しめそうな気がする。
その時は好物のめんまと海苔を追加しよう。

旅をする

只見線の旅 只見から小出

会津若松駅を早朝に出発して、只見駅に着いたのは9時近く。ワンマンカーはここで終了となり、車掌が登場した。この駅に至るまでには、いくつかのダム湖を見ながら山間を潜り抜けてきた。ここまでが、奥会津、福島県側の駅になる。この先の駅は、新潟県に所在するので、只見駅は県境の駅で会津の果てということになる。
只見駅に到着するまで、最初のダム湖周辺では、車窓から写真を撮る乗客が多かったが、ダム湖の光景が何回か続くと、次第に写真を撮る人は減り、ついには座席で寝たままになっていた。人の世の哀れ、みたいな感じの寝方だったのがおかしかった。やはり早朝から乗りっぱなしで3時間近い鉄旅だと、若くても老いていても疲れてしまうらしい。

停車時間を利用して駅の周りを歩いてみた。すると、そこに一枚の看板があり、越後長岡藩の人、河井継之助に関わりがある場所だと分かった。
戊辰戦争は京都伏見から戦闘が始まり、政府所在地である江戸の制圧を目的として西軍が東進した。幕府の大将である「征夷大将軍」が逃げ出したせいで、幕府軍は統制を失っていた。有名な勝・西郷会談で江戸の無血開放と江戸城(千代田城)の引き渡しが決まっていたのだから、この会合の時点で戦争は終了のはずだ。ところが、西軍は越後と奥州へ軍を進める。
その目的は、戦闘による資金強奪、つまり軍資金の足りな西軍が追い剥ぎ・強盗・恐喝を企んだのだ。後に新政府などと偉そうなことを言うが、革命軍の実態はテロ組織であり、ごろつきな反社会的集団と規定されるべきだろう。
ただし、歴史的には、どの時代のどの世界でも革命軍は常にテロ集団から始まり、強盗集団と化し、その後に自己を正当化する。これは一つの例外もないといって良いくらい、人類という種が持つ欠陥というか習性だ。だから、戊辰戦争が特異な形態であったとは言えない。あくまで普遍的で堕落的な行動を、忠実に実行しただけだ。
戊辰戦争で戦闘が激化したのは、越後長岡戦争と会津攻略戦を含む奥州戦線だった。強盗にやる金はないと突っぱねたから、ゴロつきに絡まれた形だ。戊辰戦争終了後の自己正当化により、名目上は尊皇攘夷から始まった革命思想の実現と言い張るようになる。だが、実際は倒幕に血道を上げたテロ活動と集団強盗であったが、勝てば官軍の通りに、明治政府成立後に事態は捏造された。この明治政府の主張が覆されるのは、70年後の敗戦で皇国史観が粉砕されてからだった。
ビジネスマンが大好きなし歴史小説の大河、司馬遼太郎氏も明治政府までは小説を書いた。この河井継之助を主人公とした北越戦争も題材にしている。が、その後の昭和軍政、明治政府の産んだ鬼子については沈黙している。流石に昭和初期の日本については、自己正当化の歴史観で語ることができなかったのだろう。

話を戻すと、西軍の強盗集団に果敢に挑んだのが長岡藩だが、その戦争の悲惨さに戦闘を主導した家老、河井継之助には批判も多いと、司馬遼太郎は語っていた様に記憶している。
ただ、東国における戦地で、司馬氏と同じ感想を持つ人はどれくらいいるのだろうか。この看板を見る限り、河井継之助を支持する人も多いような気がするのだが。越後と会津の境目で倒れた武人には、やはり敬意を表すべきだろうと思った。
余談だが、その西軍に侵略された長岡から出現したのが後の海軍元帥「山本五十六」であり、奥州討伐で散々にやられた東北諸県出身の陸軍要職者も多い。

只見駅から先は新潟県になる。小一時間で上越線と合流する小出駅についた。思っていた以上に小さい駅だった。長岡と水上を結ぶ上越線も、運行本数の少ないローカル線なので、複数路線が乗り入れる交通の要衝という感じがしない。小出駅での乗り換えには待ち時間があり、駅前を眺めてみたが極めてさっぱりとしていた。コンビニも見つからない。

只見線から降りた乗客は40-50人ほどだった。小出駅から長岡・新潟方面に向かうものが半数、水上方面に向かうものが半数といった感じだろうか。このタイミングで乗り継げば、各駅停車で首都圏に戻れば夕方には着く。この一本を逃すと、次の水上で乗り継ぎは3時間後になり、お江戸まで戻るれば夜になる。
首都圏方向へ向かう乗客は、いわゆる「撮り鉄」らしき若者が多い。カメラや三脚を抱えている。それに加えて、「乗り鉄」の高齢者カップルが数組いた。平日の昼下がり茹だるような暑さの中、列車を待っている。
この日、長岡地方は日本一暑い場所になっていた。前日は会津が日本一暑い場所だったから、暑い場所を連続して移動する羽目になった。しみじみ夏らしい旅なのだが、もう暑いのは勘弁してほしいというのが正直なところだった。

旅をする

只見線の旅 会津若松から会津川口

只見線走破の旅、その出発時刻は早朝だった。定刻の20分以上前に行ったのに、すでに座席の半分以上が埋まっていた。お江戸の通勤電車ですら、この時間はガラガラだというのに、びっくりしてしまった。
乗客の大半が、「只見線の旅」を狙う観光客のようで、地元民である通学高校生が座れないというなんとも申し訳ない状態だった。
まあ、乗客の大半が高齢者であり、その隣に座るのが嫌だったのかもしれない。が、高齢者の大半は空いた席に荷物を置いたままで、席を独占しているのだから、マナーの悪すぎるジジババという構図だ。大都市の通勤電車でこれをやったら、最近では暴力沙汰になるほどのマナー違反だろう。

この早朝の電車の次に小出に向かう電車は、午後にならないと運行しない。高校生の通学列車としてはあまりに厳しい環境ではないだろうか。朝寝坊したら、その日は1日休校しなければならないとは。

ワンマン電車で長時間走る只見線には、当然ながら車両にトイレがついている。発車までの時間は、ずっとトイレが使用中だった。会津若松から小出までは所要時間が4時間以上かかる。途中で喉が渇いても、腹が減っても、トイレに行きたくなっても、全て車内で済ませなければならない。
この日はドリンクと軽食持参、ティッシュペーパーも多量に持ち込んだ。結局、使用したのは飲み物だけだったが、万が一に対応して準備をするのは、ローカル線の旅で必須条件だ。

山間の木々に囲まれた中をひたすら走ると、会津川口についた。ここで、通学する高校生全員が降りた。途中の駅から乗り込んできた、若い「乗り鉄」軍団も一斉に降りてしまった。おそらく、この駅から会津若松方向に戻っていくのだろう。車内の平均年齢が一気に上がった気がする。

只見線は単線なので、この駅から会津若松方向へ発車する列車がホームに止まっていた。発車時間まではずいぶんあることと、おそらく会津に向かう乗客が少ないことも併せて車内には誰も見当たらない。ここまで来る列車の混雑ぶりと比べると嘘のようだ。

この会津川口から只見までが不通区間だった。それが再開したのが去年の10月で、日本に数あるローカル線の中で、廃線になることもなく復旧した奇跡の路線だ。同じように災害で運休していた区間が、そのまま廃線になった日高本線のような例もある。
只見線という赤字路線を復旧させるための努力はどれほどのものだったのだろうか。

只見駅でしばらく待ち時間があった。トイレ休憩なのか、上客のほぼ全員が降りて行った。すでに気温が上がり始めていたが、それでも少しはしのぎやすい気温だった。駅前に行けばコンビニでもあるかと思ったが、それは予想が甘すぎた。

とりあえずは只見駅まで来れば、只見線の旅は半分以上終わっている。来る途中で、只見線恒例の列車に向かって手を振ってくれる人たちにもあった。ダム湖の上を渡る鉄橋も堪能した。
今では、只見線が日本一人気のあるローカル線ではないかと思う。もう少し本数を増やせば、途中下車してそれぞれの街を楽しむこともできそうだと思うのだが、JRを含めて関係者の検討をお願いしたい。

街を歩く, 旅をする

会津若松市街 中心部で思う

会津若松市では市役所が改修工事中だった。工事の囲いの中に見える市役所はなんとも古風な味わいがある。あちこちで見かける高層ビル型市役所と比べると、実に風情がある。ただ、工事の案内板を見ていると、現在の市役所は複数のビルに点在しているようで、それはそれで市民にも職員にも不便なことだろう。それでも、大型ビルを建てて一元化しないのは、やはり歴史的建造物に対する思いなのだろうか。きっと会津若松は良い街なのだ。

市役所の周りは、これもお定まりの飲み屋街が出来上がっているが、その外れになんとも華麗なデザインのビルがあった。ギャラリーといわれれば「なるほどな」と思う端正なものだった。おまけに、絵画と茶道具の看板など、お江戸でも見かけることは少ない。それが、市内のメインストリートにある。文化の香りがする。

大きな市民会館やホールがあるのが文化都市かというと、ちょっと微妙な気がする。確かに、施設がなければ市内で上演・公演される機会もないだろう。ただ、一年のうちに何回、芝居やコンサートなどの公演が行われるか。稼働率と投資回収みたいな考えを入れれば、都市人口に見合った施設を建造する、所有するというのはなかなか難しいものだろう。おまけに建築後に運営費用を捻出するのも大変だ。
それと比べて、工芸品が製造販売され、それを地域が支えるような活動は、もう少し地に足がついた文化活動のような気がする。

市役所近くの繁華街だったであろう商店街は、雪除けであると思われる屋根付きアーケードになっていた。ただし、残念ながら午後6時の時点でほぼ全店が営業終了している。あるいは、すでに閉店した後のようだった。見る限りではシャッター通りになっているようだった。

地方都市であれば、商店街の歩道には所狭しと自転車が停めてあるものだが、この場では自転車の数も少ない。核になる商業施設が足りないのか、夜には人が集まる文化施設が足りないのか。いや、おそらくそういう施設は自動車で郊外に行けばたくさんあるのだろう。市内中心部が人の集まる適地ではなくなっているだけだ。
特に冬の降雪が多い時期は、市内の狭い道、駐車場が少ない場所は、やはり不便なのだ。当然ながら、郊外に逃げた客が、夏になると街中に人が戻ってくるはずもない。会津若松は規模の大きい街だけに、中心部のさびれ具合が目立つ。が、人の活気がなくなったはずはないので、どこか街外れのショッピングモール辺りで映画を見たり、ご飯を食べたり、ダンススクールにかよったりしているのだと思うのだが。

そんなことを思いながら、少し気温が下がった会津若松の街中を歩いていた。この後に食べるつもりだった、会津ソースカツ丼の店は6時半に閉店していた。街をぶらぶら歩き回らずにさっさとその「食堂」に行っていればよかった、と後悔する羽目になった。夕方にしたお散歩の残念な結末だった。
教訓、旅先の街ではお目当ての店が閉まる時間を確認しておこう。閉店時間が早すぎることを念頭に活動しましょう。

食べ物レポート, 旅をする

会津名物を啖う

口福 とはこういう体験なのだなあ

会津の郷土料理は色々と有名なものがあるが、これまで会津に何度か来ているが、一度も予約が取れなかった店で馬刺しを食べた。ようやく念願が叶って一安心した。なんと、会津で馬刺しを食べようと思ってから、10年以上が経ってしまった。
馬刺しが有名な場所は日本のあちこちにある。熊本の馬刺しはニンニク醤油で食べた。九州醤油の甘さと相まって、実に濃厚な味わいがした。長野も馬刺しが名物だが、長野市の有名な和食店で食べたものは、生姜を薬味にして比較的あっさりとした味がした。熊本の馬刺しが中トロだとしたら、長野はあっさり系の赤身という感じだ。
そして、今回の会津の馬刺しだが、これは濃厚な赤身という感じがする。それを辛子みそで食べるのが会津流だそうだ。
お値段は当然ながらそれなりのものだが、ファミレスでステーキを食べるよりはよほどうまいものを食べた感がある。

この店のお通しが、漆の器に入った五品だった。野菜料理の一口サイズは、注文した料理が届くまでのつなぎとして実に良い加減だった。お通しは、あくまでメイン料理への繋ぎなので、味付けは薄い方が良いと思う。これを肴に、会津の酒を冷やで飲んでいた。

一合の日本酒を頼むと、卓上に漆の片口が置かれて、そこに一升瓶から冷たい日本酒が注がれる。いつもであればぬる燗を注文するのだが、この日は流石に気温が高すぎて、冷たい酒が欲しくなった。
大きめなガラスのぐい呑みにたっぷりを酒を入れ、一息に飲み干した。冷たい酒がカラッぽな胃袋に衝撃をもたらす。舌から喉にかけて冷たい酒が流れていくのがわかる。ビールは喉ゴシ、みたいなことを言う人もいるが、冷酒も喉ゴシに幸せを感じる。

鰊のうまさに開眼した

馬刺しを平らげつつ、追加で身欠き鰊の山椒漬けを注文した。他の店でも何度か同じものを注文したことはある。お店によって多少味の違いがあるのだろうとは思っていた。が、この店の鰊は浸かり具合が絶妙だった。思わずテイクアウトの注文をしたくなった。
馬刺しもうまかったが、このニシンの漬物があれば、日本酒を飲みに鰊をかじる、追加で日本酒を飲み、また鰊をかじるという、無限の連鎖ができそうだ。身欠きニシンは甘く煮付けたもの(炊いたもの)を蕎麦に乗せて食べるくらいかと思っていたが、この山椒漬けは別世界の食べ物だった。発酵食品は旨味を作り出すと言う意味で、やはり絶品が多い。その中でも、これはマイベストランキングでトップクラスと認定しよう。

馬刺しもニシン山椒漬けも、一人前というには量が多いもので、それを独り占めして食べきったから満足度は極めて高い。ただ、これ以上料理を頼めるほどの余裕は無くなってしまった。
美味しいものをたっぷり楽しみ、さっさと引き上げる。これが人気店での客の嗜みだろう。この日は、1時間ほどの滞在だったが、その間にも5組以上の客が満席のため断られていた。
やはり旅先で旨いものを堪能するには、予約しておいた方が良いのだ。予約なしで飛び込みで店に入り、感性任せにあれこれ注文してみると言うのは、やはり若い時だからできることだ。満席で断られても、また来る機会はあるさと諦めがつく。だが、歳をとれば胃袋の許容度も下がるし、ハズレを引いた時のダメージも大きい。そもそも次回があるかどうかも疑わしくなってくる。
そんなことを思いながら、次回は冬に来て桜鍋というのもよさそうだ、などと考えていた。当然、熱燗でいただく。その時も予約必須だな。

今回の旅の学びでありました。

街を歩く, 旅をする

会津の街並みに感動した

会津の街で中心部は「お城」と言いたくなるが、お城周りは住宅地が広がる場所で、商業集積地としては市役所の周りになるはずだ。ただ、全国の地方中核都市共通の課題で、市役所の周りはすでに空洞化し商店街は虫食い状態になり、潰れた店の跡地が駐車場になるという、かなり無惨な光景が広がる。
これは、日本全国の県庁所在地で起こっている事態なので、福島県会津若松市だけの問題ではない。街中に繁華街が生き残っているのは、人口が50万人を超える大都市、あるいは政令都市くらいだろう。
北海道では札幌以外すでに全滅。東北でも仙台を除けばやはり全滅。北関東三県はギリギリ生き残り。中部では新潟と静岡、金沢以外の街はやはり厳しい。中国四国では広島、松山、高松はまだ繁華街が残っているが、それ以外の街では似たような寂しさだ。九州では福岡、熊本が別格として、鹿児島がちょっと元気なくらいだろう。
旧城下町は、どこも同じように街の空洞化、郊外化が進みきっている。アメリカでは1950年代に起こったことだが、日本では30年遅れで一気に進んだ。
ところが、そんな寂れた街の中でも元気な店や場所はあるものだ。このビルの名前は、まさに元気の塊みたいな感じがする。どうやら、会津若松市の市役所近くでは、まだまだ威勢の良い人・企業が頑張っているらしいのだ。

街頭にある看板も、なかなか威勢が良いではないか。酒蔵の多い会津地方だけに、まだまだ日本酒製造元の気合いが入っている。ただし、この名文句は間違って記憶していた。「東北に名酒あり」と思っていた。確かにうまい酒なので、脳内での誤変換が起きていたのだろう。思い込みとは怖いものだ。

交差点にある案内板だが、これはずいぶん低い位置にあるのが珍しい。普通に見かけるのは、頭の上の高い位置、道路標識などと同じような高さだから、この低い場所にあるのは、小学生向けかなと思ったが、ふりがななしの漢字だらけだから、そうでもないようだ。雪が多い地域だけに、こんな低い場所で雪に埋もれてしまわないか心配になる。冬の時期にも管理が行き届いているのだろうか。

戊辰戦争の後、会津が生んだ偉人としては、やはりこの方になるのだろうか。お札にもなったし、お医者さんだし、苦労して大成した「偉人」伝の主人公だから、こういう扱いも当然だろう。
しかし、「青春通り」という呼び名はちょっと気恥ずかしくないか。などと、意地悪な感想を持ちはしたが、この青春通りの周りには小体で粋な店が多いようだ。中でも感心したのが、生姜焼き専門店だった。
そもそも生姜焼きの専門店というのがすごい。大都会であるお江戸でも、生姜焼きは町中華屋や大衆食堂の人気メニューではあるが、専門店はほとんど見かけない。うっすらとした記憶で、銀座か神田のハズレのどこかでみたような気がする。生姜焼きが名物という店は多いが、専門店を名乗る店は希少だろう。
その生姜焼き専門店を会津で見つけて喜んでしまったのだが、暖簾の横にある案内に心が持って行かれた。「本日のBGM」とわざわざ書いてある。ジャズ喫茶であれば、こんな書き方もありそうだが、生姜焼きの店なのだ。音楽が主体のサービスではないだろう。
そして、それ以上にすごいのは、フューチャーされているアーティストが「あがた森魚」だということだ。このシンガーソングライターの名前を覚えている人は、もはや限りなく少ないだろう。昭和中期のかなり個性的なアーティストだ。おまけに、全作品がCD化されているのか気になる。自分の所有物をひっくり返してみたら、一枚だけベスト盤があった。おそらく一日中同じCDをかけっぱなしにすることはないだろうから、往年のレコード(LPアルバム)をかけるのだろう。
この店も、いつか必ず行ってみたい。その時の特集アーティストは、誰になるのだろうか。あがた森魚に匹敵するとしたら、下田逸郎や中山ラビ、及川恒平あたりか。元気な音楽であれば、甲斐バンドや世良公則、シャネルズといったバンドが聴けそうだが。
しかし、実に実に会津はすごいなあ。

旅をする

会津七日町通り 歩いてみた

JR只見線で会津若松駅から一駅目、七日町駅はなかなか風情のある駅舎だった。この駅の前で、市内循環の観光定期バスがおり返す。只見線は会津若松駅を出ると、会津盆地の南部を東から西へぐるりと時計回りに周り、会津盆地の西の端から奥会津に進んでいく。だから、会津盆地の交通を担う主要路線だと思うのだが、運行本数が異常に少ない。この駅から隣の駅に行こうとすると、歩いたほうが早いという時間帯がほとんどだ。
ただ、会津の観光地である七日町通りの起点でもあり、駅を訪れる人は多いようだ。駅舎の中はアンテナショップと喫茶店になっている。

そこから街の中心部に向けて越後街道(七日町通り)沿いにしばらく歩くと、昔は問屋だったらしい渋い建物がある。周りに数多くある木造家屋も、どれも見た目に風情があるのだが、この店は食堂になっているらしい。
昼時を外してしまっていたので店の前を通り過ぎるだけだったが、郷土料理をアレンジして出してくれるようだ。次はのんびりとランチを食べにくるのが良さそうな店だった。

駄菓子屋が和菓子の名店になってしまった

ずいぶん昔、友人と会津に蕎麦を食べにきた。その時に紹介された会津駄菓子の製造販売店で、土産に昔懐かしい駄菓子を大量に買って帰った。いわゆる、小学校近くによくあった駄菓子屋ではない。10円20円といったチープな菓子(それはそれでうまいのだが)ではなく、昔ながらの「駄菓子」が並ぶ店だった。
その売り場にでんと座っていたおばちゃんが、これまた会話の上手い人で、そのおばちゃんと話がしたくて、会津に来た時には必ず立ち寄るようになった。
その店、「本店」は街の中心部から外れたところにあり、ちょっと不便な場所なので、駅から行くときはタクシーを使ったりした。
その不便さを解消するためなのか、七日町に支店を出した。それがこの店だ。ただ、本店のおばちゃんに会いたくて会津に来ているので、支店に立ち寄ることはなかった。
残念ながらコロナのせいなのか、時代のせいなのか、駄菓子の製造販売はやめてしまったそうだ。今では、すっかり高級和菓子ブティックという風情の店になっている。売っている和菓子は、デザインも優れたハイセンスなもので、実に美味しい。お土産にするには最適な隠れ名物だと思う。
ただ、やはり会津駄菓子を食べたい気持ちは無くなっていないので、いつか製造再開してくれないものだろうか。

お茶屋とも喫茶店とも言える店が、七日町通り沿いには数軒ある。どの店もファサードの作りが上手だ。こんな気温の日でなければ(摂氏37度だった)、外に並べられた縁台に座ってお茶を飲む、ソフトクリームを食べるなど楽しい経験ができそうだ。

土産物店兼喫茶店のテラス席には、会津名物「あかべこ」くんが暑そうにしていた。ちょっと表面を触れてみたら、これまた火傷をしそうなほど熱かった。やはり真夏に観光地歩きをしてはいけない、と強く思った「全国一気温の高い日」の会津でありました。
会津は漆器に焼き物が有名で、ぜひ骨董品屋に行ってみたいと思う。