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街を歩く

官業による民間圧迫といいたい

ちょっと怒っています。

公営競馬(地方自治体が運営)と中央競馬(国の下部組織が運営)という二つの団体が日本における競馬・ギャンブル業界を仕切っている。馬を使った賭けレースだから、所管は農林水産省になる。競馬以外では人が自転車で競争する競輪(経済産業省)、オートバイを使うオート(経済産業省)、そしてボートによる競艇(国土交通省)がある。

貧乏人からギャンブルという名目で第3の税金をぶんどる悪どい仕組みだ。おまけに運営するのは外郭団体という名の天下り組織なので、公務員の退職後の人生をギャンブルで召し上げた「テラセン」で賄うという、なんとも極悪非道な商売とも言えぬ商売だ。
ちなみにギャンブルのテラセン(胴元の手数料)は10%程度が普通だそうだが、公営ギャンブルは25%とぼっらくる。なんとも強欲な集団だ。
同じような公営ギャンブルである「宝くじ」のテラセンは5割近い。これは宝くじ裏面にある当選金と売り上げを計算してみた結果だ。おまけに管轄は総務省だという。役所の元締めが率先して賭博の胴元になっているとは、まさに日本政府とは仁義にかける没義道の極みだ。

文部科学省という教育関連の機関ですらスポーツくじなどという高額配当を煽る「賭け事」に熱心に取り組んでいる。この国がダメになるわけだ。役人が倫理を失えば、国は滅びる。過去の歴史が物語っているのだが、自分たち丈は例外と思っているらしい。「非道」は必ず正されるものだ。と、桃太郎侍?は仰っておりますぞ。

Jリーグに合わせて作られたスポーツくじなどという、ぼったくりの二乗とも言えるギャンブルを始めたのだから、この国の教育行政はお先真っ暗だ。教育が腐れば国は滅ぶ。日本国政府の腐り具合がはっきりと証明されている。

官僚主導の「誇り高き腐敗政治」の代表格だろう。

だからこのギャンブル業界に民業圧迫という言葉は成立しない。ギャンブル事業は「官」が独占し、民業自体が存在しない。
などというと、パチンコは民間事業だという輩がいるかもしれない。頭の悪い自称公務員が言いそうな話だが、パチンコは勝っても景品しかもらえない。景品を換金するためには怪しい「交換所」で景品を売るという、実に怪しい仕組みのギャンブルだが、あれは遊戯の景品であり、賭け事ではないというのが建前だろう。

パチンコは競馬などのように馬券を当てて金をもらうストレートなギャンブルではない。そして、パチンコは所轄が警察だからできる、合法と非合法の隙間にある歴史的にヌエ的な存在であり、あぶない形態のギャンブルの一種だろう。


ギャンブルとは自分の技量で勝ち負けを左右できないものだ。囲碁や将棋などの競技、あるいはプロスポーツは基本的に優れた技量のものが勝つ。サイコロ賭博や花札などのカードゲームは技量よりも運や天賦任せだし、競馬も推理ゲーム的とは言いながら、所詮は馬の運任せだ。
パチンコは建前上技量のあるものが勝てる「遊戯」らしいので、ギャンブルには当たらない。といってよいのだろうかなあ。「遊戯」の腕前に応じて景品がもらえる。その景品を買い取りたいという民間業者がいる。景品はなかなか買取価格が良いらしい。という回りくどい定義の「賭け事」ではない「お遊び」となる。

となると、純粋な民間ギャンブル事業は非合法とされる「のみや」だけだろう。そのため、警察の「のみや」追求は熾烈を極める。民営ギャンブルは絶対に許さないということだ。

そのぼったくりギャンブルの最大胴元である日本中央競馬会が、なんと池袋の地下通路で大規模なイ集客イベントを行なっていた。無料ガチャを引いたら、競走馬のシールがもらえるというもので、通行するファミリー、特に女性や子供を強力に勧誘している。
どうやらギャンブルに対する忌避感を子供のうちから取り除いておくという長期戦略らしい。15歳未満は競馬場に単独では入場できないはずだから、小学生を引き込んでいるのは、そうとしか考えられない。
競馬は昔でいうところの成人映画と同じ未成年者お断りの危ない場所なのに、そこに子供を呼び込もうとする。極悪非道、悪辣の極みというしかない。

国鉄(日本国有鉄道)、日本専売公社(塩とタバコ)、日本郵政、日本電信電話(NTT)と次々に国営事業を身売りしてきた日本政府が、ガンとして手放さないのがギャンブル事業だ。こういう悪どい商売こそ民営化して、合理化によりテラセンを下げファン獲得に邁進するように民間活力を導入すべきだろうに。

今から小学生をたらし込み10年20年後に「推し」馬応援という名目で、第三の税金を巻き上げるという、言語道断な戦略を立てたらしい。

そもそも軍馬の育成という名目で始まったはずの競馬事業が、今でも存続する理由はどこにもないだろう。いまでは軍馬など特殊なパレードで登場するくらいのものだ。

最低でも競馬事業は民営化する。そして、最終的には国営ギャンブルはすべて解体する。それくらいのことを公約にして立候補する政治家(政治屋ではない)が出てこないものだろうか。国を守ると叫ぶのも結構だが、まずは身内の悪行を整理するところから始めろよと言いたい。隗より始めよだ。

そう言えば、大阪の湾岸ギャンブルシティーもそろそろ開業するのだったな。日本国政府をあれこれと論じる大阪地方政党だが、ことギャンブル好きという点では似たもの同士だろうか。どちらも酷い連中であることは間違いないな。

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始まりと終わり

全国一宮参りを始めたのは、御朱印帳を見ると平成29年11月だ。鹿島神宮と香取神宮を回ったのがわかる。それから、東日本を中心にのんびりと旅をしながら回っていた。自宅から車で行ける範囲を終わった後は、東北を何度かに分けて周り、その後は東海地方から伊勢にかけ小旅行を繰り返した。東日本完了するまで、コロナの3年間の中断期があり6年近く経っていた。
西日本は仕事に行く機会を利用して、一気に回るスケジュールを立てた。近畿圏、四国、中国圏、九州は南北に分けて回った。最後に残っていたのは離島で、これは日数がかかった。

2024年には完了する予定だったが、あと一つを残したところで止まってしまった。2025年は個人的な都合でほとんど時間が取れず、のびのびになっていたが、ついに今年5月に無事完了した。
2017年開始から2026年完了。9年かかったことになる。実質的にはコロナによる中断期を除くと5年ほどだから、やはり日本全国一周するのは時間がかかる。

一宮の所在地は旧・国府にあるので、現在の県庁所在地とは異なる場所が多い。対馬、壱岐、隠岐、佐渡などの離島ではなぜこんな場所と言いたくなるほどの山の中だったりする。当時は国府ではなく神聖な場所を選んでいたのたのだろう。
一宮の近くに国分寺が置かれていたところもある。越中(富山県高岡)や飛騨(岐阜県高山)などだ。当時の国府は政庁・宗教権威が一体化していた街だったことがわかる。・

西国では古代ヤマト王権と地方王国との権力争いも垣間見える。旧・国府と一宮所在地が一致しない。例えば吉備国や出雲国は明らかに地方王国の旧首都と征服政権の出先事務所、国府が別の場所にある。まさに新旧勢力の対比が見て取れる。併合した国の神を時刻に都合の良いようにアレンジしながら、自国の神体系に取り込むというのがヤマト王権のやり方だった。その結果、神様が八百万もいるゆるい宗教になった。
九州の一宮はまさに旧国の国都だったのだろうという場所が多いが、ヤマト王権はそこを嫌って新国府を置いたのだろうなとわかる。

日本神道のユニークさはそこにある。
絶対神が唯一の存在という砂漠の民の宗教とは、思想的に根底から違う。砂漠の民の神は、我を讃えよ、さもなくば滅びよという峻烈さがある。
インド亜大陸生まれの仏教は、東に伝播する途中であれこれ変化し体系化されたが、基本はヒンドゥー教の輪廻転生思想にあり、神様の数も多いが、流石に八百万はいない。
神様が職能により多様化するとiうのは、砂漠の民の思想にはない。絶対神は万能であり、唯一の存在である。苦手なものなどないというのが教義だろう。
仏教の影響を受ける前から古代ヤマト神道は、多数の神があれこれ職能に分かれて共存するが、神の国である高天原に集合しているわけでもなく、各地にある神社に分離・独立して居住?していた。中央集権とは程遠い地方分散型の神々だ。
そんなことを考えながらの一宮巡りは、古代日本史を振り返る旅でもあった。

人生で最大・最後のスタンプラリーだったなと、振り返ると感慨深いものがあるが、若い方にはお勧めしない「渋いアクティビティー」だ。特に、公共交通機関では辿り着けないところも多く、自動車移動、それもレンタカー利用は必須だし、離島となれば弾丸ツアーもう難しい。

スケジュール的に最悪なのは離島で、場所にもよるが一泊二日でも一ヶ所だけお参りするのが可難しい。フェリーのでる街で前泊し、朝イチの船で島にわたり、レンタカーを借りて参拝する。その後、午後のフェリーで戻ってきても、その日のうちに東京行きの交通連絡はつかない可能性が高い。からだ。
中国山地山の中や福島の山中にある神社は、最寄りの特急駅から車で行っても往復で半日は潰れる。最低前泊が必要だ。九州の各地も空港からレンタカーを借りて、日帰りが可能なところもあるが、ちょっと外れになると一泊必須となる。

一月に一ヶ所ずつお参りしても9年かかる計算だから、ご利用は計画的にだなあ。やはり若い方向けの趣味ではないなあ。

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キャンプ飯

久しぶりにポークスペアリブが食べたくなり、近場のスーパーに買いにいったら、なんとスペアリブが置いていない。仕方なく肉屋発祥の大手スーパーに行ったら、たっぷりと並んでいた。その近くにある埼玉ローカルスーパーでもしっかりとリブ肉は置いていた。
どうやら近場のスーパーは会社買収された後、品揃えを極端に絞っているので売り上げの見込めない特殊なパーツ肉は取り扱いをやめたように思える。
ちなみに、そのスーパーの魚売り場は壊滅的で切った刺身と干物以外は冷凍切り身パックだ。感覚的にはアメリカのスーパーを思い出す。要はおまけ扱いの売り場になっている。魚の需要が減っているのは確からしいが、まさに売り場縮小が招く負の螺旋という気がする。海なし県の埼玉で、郊外型魚専門店に行列ができるほど混み合うわけだ。負け組が負けるのには確かな理由があるということだろう。

さて、スペアリブを甘い九州醤油と蜂蜜を合わせた自家製タレに漬け込む。これまた自家製ニンニク醤油と生姜を合わせて密封容器で一晩放置する。それを焚き火の熾火で焼いてやろうと思った。が、この日は気温30度を超える暑さで、昼から焚き火は厳しい。諦めて鉄板でじっくり焼くことにした。

カセットコンロの弱火で厚めの鉄板を使いじっくりと時間をかけて焼き上げた。ビールを飲み飲みの手間仕事だったが、仕上がりは上々で思い通りの甘辛味になった。うまし。
次回はアメリカンなスパイス系で仕上げてみようか。その時は、もっと大ぶりの両手で持つような骨付き肉が良さそうだ。

スペアリブを焼き上げた後、もう一品に挑戦した。スペアリブを買いに行った時に見つけた、サラミソーセージの切り落とし、つまり工場でスライスする時に、機械の不具合で厚過ぎたり、薄すぎたりしたものを安く売っているのだ。まさに訳あって安いの典型だが、味に問題はない。感覚的には通常品の1/4程度のお値段だから、惜しげもなくたっぷりと使える。

食料品特化型のスーパーがその専門性を発揮して成長している一方、従来型のなんでもありそうで、実は買いたいものが何もないスーパーが消滅していく。旧ダイエーグループや旧セゾン、そしてIYといった名門スーパーチェーンの失墜は、やはり時代のニーズにそぐっていないことだろうなあ。外食でも同じ流れで、なんでもある店ほど苦戦している。

このサラミだが、厚さ1mmくらいのペラペラなものや、1cm以上の分厚いものが入り混じっている。その中に長さ7-8cmもあるごろちとした長いものまでで入っていた。そのバラバラなサラミから厚さの似通ったものを選びだしキャベツと炒める。

それに太麺焼きそばを投入して仕上げた、サラミ焼きそば。具沢山なのでめしというより「酒のつまみ」として最高だ。サラミは炒めて食うと美味い。学生時代に夜食でサラミ入りのお好み焼きをよく作った。洋風な仕上がり? になり、ウイスキーなどによくあうので重宝した。

今回はそれを思い出しての焼きそば版だが、酒は新潟の銘酒「吉乃川辛口」アルミ缶入り。このチープ感あふれる取り合わせが、まさにキャンプ飯だな。

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朝ラーメンであれこれ考えた

近場のキャンプ場に出かけると、朝はさっさと撤収作業に取り掛かり、はやければ7時すぎには帰り支度が完了する。まあ、そうできるように道具を減らしたりあれこれ工夫はしているが、最短30分、長くても1時間くらいで撤収は完了する。
荷物のパッケージ化とコンテナ化を追求した結果だ。たとえ遊びでもシステム化を忘れないのであります。えへんえへんと、ちょっと威張ってみました。

だからキャンプ場のサイトで朝飯を食べることはほぼない。どこか遠いところにあるキャンプ場へ遠征して、のんびりと帰るような時であれば、また事情は別だろう。優雅にホットサンドなど作ってアウトドア・ブレックファストを洒落込むのもありだ。が、近場であれば早く家に帰ってしまう方が手っ取り早い。

早めの撤収のあと、朝飯は蕎麦とすることが多くなった。自宅のある埼玉県はローカルの星、山田うどん食堂が実に密度濃く店舗展開をしているので、車でちょっと移動すれば早朝営業の店は簡単に見つかる。大体キャンプ場から5-10分で辿り着ける。
ただし、最近は山田うどんではなくゆで太郎に転向している。ちょっとハマっている感がある。ゆで太郎の社長がSNSで自社商品の使い方を宣伝しているのだが、それが面白い。あれこれ真似したくなるのだ。ゆで太郎で酒を飲むなど想像の斜め上をいく状況だが、どうもそれが面白いようで、これはまた別に機会に真似をしてみたいと思う。

その社長が自社の蕎麦をあれこれアレンジして食べている。自分もそれを朝ラーメンで自己流に挑戦してみることにした。

ちなみに、ゆで太郎の朝飯は蕎麦・中華麺・定食のモーニングセットとなっているが、早朝時間帯でも通常メニューを注文できる。某ハンバーガー店のように朝飯限定提供というような厳しいことはない。朝からなんでも注文できる。
多分、酒も注文できるとは思うが。さすがに郊外型店舗だから朝飲みという光景は見当たらない。都内にある店舗であれば、昔の吉野家のように夜勤明けの朝飲み客がいても不思議ではない。

朝中華そばは極めてシンプルなもので、スープはいわゆる蕎麦屋の中華そばらしくあっさりとした醤油味だ。トッピングは海苔とほうれん草とネギ。これまたシンプルだが、この焼き海苔がポイント高い。朝ラーなので中華そば定番のチャーシューとメンマが乗っていないのは、朝蕎麦と同じだろう。
そしてゆで太郎は調味料も含めあれこれと無料の漬物やトッピングが置いてあるので、それを使い味変にチャレンジだ。まずは好物の紅生姜を乗せ、たぬきそば風に揚げ玉を追加する。そして、ゆで太郎の独自調味料であるらしい、赤い唐辛子のねり辛子?をスプーンでひと匙落とし込む。ただしこれは後でスープに溶かして辛味味にするので、最初は食べるときに触らないように注意する。

サッパリ系の朝ラーメンが、ひと口食べるたびに濃厚味に変化していく。最後はヒーハー言いたくなる辛さになるから、味変というより連続的にグラデーションのかかった変化になる。

この辺りのセルフ味変用食材を揃えるシステムは山田うどんでも導入してほしいなあ。ちなみに、博多ラーメンのチェーン店であった「長浜ラーメン」がこのトッピング文化を世にもちこんだ時は衝撃的だったが、その後の麺チェーンで同じシステムを導入したところはないので、何かオペレーション的に難しいことがあるのかもしれない。

そういえば福岡の麺文化には学ぶことが多いのだけどなあ。ちゃんぽん麺とか肉々うどんとか、なぜお江戸にやってこないのだろうか。

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渋谷の朝

いつもの渋谷駅ハチ公前の巨大広告を見て、あれっと思った。この2枚の大看板は上下合わせてセットで訴求するものだとばかり思っていた。大体は上の看板にイメージキャラの写真や画像があり、下の看板にはグッとくるコピー文が書かれているというスタイルだと思っていたのだが……………

今回は上と下が違う広告になっている。上はメジャーリーグの話らしく、下は「お茶」の宣伝だ。どちらも販売促進というよりイメージ醸成が目的のようだが、上下ともなんとも地味な見た目で、広告代理店のセンスが疑われるなあ、などと朝から興醒めしてしまった。
この看板は日本を代表する「露出量過多」であり、ハチ公前交差点の通行人ほとんどの目に入る代物だ。露出量換算するのも難しい。その看板をこんな使い方するのかあ、と思いました。

その後は所用を済ませ朝飯というのがルーティンなのだが、最近すっかり蕎麦はお休みにして、カフェ??のモーニングセットでカイザーサンドにハマっている。お気に入りになったのは、このカイザーサンドが改良されてバジルがたっぷりと入るようになってからだ。某ハンバーガー大手もソース替えで中途半端な新商品を出すのをやめて、カイザーサンドをよく研究したら良いのになあと思う。まあ、バジルやパクチーなどの香草は好き嫌いが多いので、お子様向けの味付けには向かないのだが。

とても気に入っているので、自作カイザーサンドを作ってみようと最近思い出した。そのためには、まずはカイザーロールを入手しなければいけない。カイザーロールは街のパン屋で気軽に買えるほど一般的では何ので、まずはパン屋探しだな。

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池袋で昼飲み

昔の仕事仲間と池袋で土曜の昼飲みをすることになった。池袋は土曜ともなると相当な人出があるので、居酒屋も昼営業のところは多い。まあ、平日でも昼営業の飲み屋が多い街だが。土曜はそれが最高に盛り上がるという感じだろうか。
特に女性グループの飲み会が多いらしい。ランチという名目でしこたま酒を飲んでいるのだなと、恐れ多い推測をしている。たまたま同じ店で女性グループ二組に挟まれた時は、相当に疲労した。声はいささか甲高いが会話の内容は「ガハハ」「超すげー」が入り乱れるおっさん会話ではないか。いや、昨今のオヤジ族はすっかり勢力を減らし、昔のように大声で下ネタを連呼するような連中はほぼ完璧に排除されている。パワハラ・セクハラの恐怖がオヤジ族を萎縮させ、小声でボソボソ喋る飲み屋での劣等種に変貌させている。

そして社会的にというか、生物学的にというか、落ちぶれていくオヤジ族に成り代わり。進化の頂点上り詰めてきたのがママ友ランチ族なのではないかと思っている。恐竜が滅びた後に地球世界の覇者となった哺乳類みたいなものだ。
などと池袋の昼飲みは進化論的考察を推し進める場となっている。居酒屋は学問研究の場でもあるらしい。

さて、その落魄れたオヤジ族の一員として、一軒目で軽く飲み二軒目は喫茶店にしようと思ったが、土曜の池袋はどこの喫茶店も空席待ちの大混雑で、仕方なくセルフ式居酒屋という、これぞまさオヤジ族の独壇場であるところに避難した。
が、進化の波はこのダメオヤジの聖地にも押し寄せていて、客の大半はカップルか女性グループになっている。そもそもこの店は今では珍しい喫煙可能店であり、女子供(比喩的な言い方として)はいづらい店なのでありますが、どうやら進化の波はそんなオヤジのラプソディーを押し流すかのようにありとあらゆるオヤジ業態を押し流していくようだ。
この日に注文したメニューだが、一人一品注文するのがルールなので、ろくに確かめもせず食券販売機のボタンを二つ押したらこれが出てきた。

結果的にほとんど手をつけず、隣の席に女性二人組がきたので退散することになった。土曜の昼はオヤジだけで池袋に近づいてはいけない。

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器で食べる 器を愛でる

新潟旅の最終で、駅中にあるへぎそば屋に行った。昼飯時だったこともありかなりの席待ちだったが、独り身なのであまり待たずに入れた。そばを待つ間に一杯やろうと地元の酒を注文して出てきた片口と猪口を見て思わず唸った。この組み合わせの紋様はなんだ。そして、さりげなく置かれたと思っていたが、どうやらかなり計算して並べた気配がある。猪口の内側と片口外側に描かれた曲さんが片口とシンクロしているのだ。

思わずアングルを変えてみてみた。なんだこれは、と驚くばかりだった。食における器の威力をまざまざと見せつけられた思いがする。この器の作り手もすごいが、実はもっとすごいのが蕎麦屋の従業員の気配りだろうと気がつく。置き方をちょっとでも間違えば、この感動は生まれない。気が付かないはずだ。もし気がつく人がいたとしたら、それはパズルを解く名人だけだろう。

そんなことを考えるうちに注文したへぎそばが出てきた。そして、また驚かされた。そば猪口とつゆの入った徳利が、また模様のシンクロを起こしている。感服いたしました。なんだかそばを食べる前にして、お腹がいっぱいになってしまった気分だ。
食事を食べると言う物理的な行動に、目で器を愛でるという一段上のテクニックを教えられたのだから、腹が膨れるのも仕方がない。
まあ、そうは言いながら美味しくへぎそばは完食しましたけどね。

昼ピークは12時30分頃までで、13時になれば空席もできていたから、ちょっと時間をずらして来店するのが良さそうだ。おそらく13時台の新幹線で帰る客が押し寄せてくるのだろう。
良いお店だった。

東京駅は16時半に到着、オフィスに戻ればちょうど退社時間  と言う人が多いのだろうな

そばをたべ、そのあとは新潟駅ナカの探検をして、今回の新潟旅は終了した。2時台の新幹線は満席の混雑ぶりで、半分はスーツ姿のビジネスマン・ビジネスウーマンだった。東京新潟は2時間程度で日帰り出張も可能なところなのだが、駅前にはそれなりにビジネスホテルも多い。

やはり日帰りするにはちょっと惜しいと思わせる魅力があるのだろうなあ。

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フェリーの旅で発見したことは

新潟ツアーは実は佐渡島に行く途中のアクティビティーというやつで、今回の旅の本命は「佐渡島」だった。佐渡に行くのは二度目だが前回はもう20年以上前のことで、なぜか夏休みに訪れた。日本海の島なのにやたら暑いという記憶だけが残っている。その時は車で島を一周したが、どこまでも海と山という景色を堪能したというより明らかに飽きてしまった。
調べてみると、佐渡島の人口は5万人弱らしい。最盛期の半分以下に減ったそうだ。フェリー港のある両津は賑やかな街だったと思っていたが、今回見るとほぼほぼシャッター街になっていた。日本の地方都市の縮図みたいなものだろう。

トキは人工孵化により生息数が増え、現在は100羽以上いるらしく、冬になれば街の近場で田んぼや畑にも出現するらしい。あと10年くらい頑張って貰えば、空をトキの大群?が飛ぶ姿も見られるのかもしれないが、その頃には人の数が減りすぎてしまい「朱鷺」に島を占領されてしまうかもしれない。まあ、それも良いかなと思う。

佐渡には圧倒的に宿泊施設が少なく、例の世界遺産認定の成果だろうが、どこも満室であり値段も高止まりしている。端的に言って、現在の佐渡は京都と同じくらい観光には向かないところになっている。それでも週末には高速連絡艇 ジェットフォイルが満席なるのだから、明らかに需要と供給のバランスが崩れている。
料理はうまいと思うが、もう少し低価格帯の宿泊施設を増強しなければ、そのうち飽きられてしまうと思うのだがなあ。ただ、これは佐渡だけに限らず地方の中小都市が観光立国を目指すと必ず突き当たる問題で、どこも同じように「飽きられて見捨てられる。人気が出ると宿泊施設が高止まりして、宿泊の余裕がなくなる。その結果、ボリュームゾーンの客層が他へ流出してしまう。結果的に、客数減→価格低下の過当競争→品質低下→宿の減少 という負の螺旋にハマる。全国各地にある衰退した温泉街の例を学ぼうとしないのだから、自業自得というものだとは思うが。
その典型が清里高原だろう。鬼怒川温泉もほぼ同様だが。今の清里はほぼ観光廃墟だ。近いうちに旧軽も似たような姿になる気がする。

帰りのフェリーに乗る前に売店で佐渡土産を探していたら、地元のパン屋のパンを見つけた。どこかで見たことのあるような名前とルックスだが、お江戸の小洒落たブーランジェリーなどでは見つからない「レアもの」だったので買ってみた。
ちなみに、右側の丸いカレーパンのようなものは、「あんかつ」という。何じゃそれは、と思ったが、文字通りの食べ物。つまり、あんこをパン生地で包んであげたもの、「餡」の「カツ」だった。あんドーナツとは何かが違うのだろうなあ。

佐渡名物は金山と朱鷺だけではないのだよね。

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おまけの旅が大変だった

久しぶりにダム巡りをした。ダムといえば山奥の谷間にあるものというのが常識だが、実は離島にもダムのあるところは多い。佐渡島にも国土交通省公認(笑)の公式ダムカード配布ダムが三箇所もある。島の中にダムを作るほどの川があるのかとも思うが、佐渡島のダムはどれも立派なものだった。
他の離島では小ぶりの治水ダム、つまり洪水対策向けのものが多いのだが、こちらはAクラスの大型ダムだ。

ダム湖はいわゆる静水面なので、大型ダムでは水上スキーができるところもあるが、さすがに佐渡島ではそこまでのレジャー施設化したものはない。

最近公式ダムでは写真を撮るためのフレームを設置するところが増えたようで、佐渡島は三箇所ともフレーム付きだダムだった。まあ、それだけ観光地として認知されているのだと思うと、なかなか感慨深い。

こちらのダムは二つとも管理人不在の無人だった。こういう無人ダムでは近くの有人管理所があるダムにカードをもらいにいく。ズルをしたりできないように、ダムに行った証拠写真を求められる。まあ、その確認はそれほど厳重ではない感じもするが。

ダムカードをもらうにはダム脇にある管理事務所に行き「ダムカード、くださいな」とお願いする。テロ対策のため管理事務所はドアロックしているのでインターホン越しに会話をする。その時に、どこから来たかを尋ねられたり、ノートに記入したりする。
どこのダムでも、その来訪者記録を見ると、だいたい1日に一人来るか来ないかという感じだ。佐渡島ともなればわざわざフェりーに乗ってくるしかないので、訪れるダムマニアは週に一人くらいではないかと思っていたが、なんとここしばらくは毎日誰かが来ているらしい。
恐るべし、ダムカードマニアと自分のことを棚に上げて驚いてしまった。まあ、長野県鬼無里のようなところでもダムカードマニアは来ていたしな。マニアの執念はすごいぞ。「推しダム」話をしたら止まらないんだろうな。

もしそんなファン活動があるのなら、佐渡島、対馬、隠岐島とレアな三離島のガムカードを持っているので、ちょっと自慢してみても良いでしょうか。

ダムの住所は大雑把な表記なので、カーナビにはヒットしないことが多く、ヒットしたとして目的地がダムの真下の空き地になっていたりするから、油断できない。ダム付近に来たら目視で道を探すことになるのもしばしば。
ただし、建設時ダンプカーが通れる道を作るので、ダムに続く道は意外と整備されているから、ナビ通り走っていて獣道っぽくなってきたらナビが間違っている要可能性が高。その点は注意が必要だ。今回も二度ほど、カーナビを信じていたらUターンも難しいとんでもないところに連れて行かれた。ダムに行く時はご注意ください。

佐渡島、おまけの旅はダム巡りでした。

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最終目的地

佐渡国一宮 度津神社(わたつじんじゃ)

古い話なのだが、律令政治が行われた頃、古代日本で制定されていた分国には、国家認定の神社が配置され、その格付けが決められていた。分国で位の高いお社が一宮で、地域によっては二宮、三宮も認定されていた。
大和政権による統一支配前には、それぞれの地域が独立国であり、その国の神を奉じていた。それが大和政権による征服、併合の過程で国津神とされた。大和政権の神が天津神、地方政権の神が国津神と二階層に分類され、上下関係が持ち込まれた。
ただ、国津神が大和「神」系に組み込まれたこともあり、日本神話体系は実にごった煮状態の矛盾だらけ現象が混在している。その混乱は一宮の祭神によく現れる。
大和神族の頂点、天照とその弟、素戔嗚の関係が典型的だろう。荒ぶる神スサノオと超越神アマテラスは、古代で最大勢力が激突した結果として両方の最高神が姉弟関係と定められ(上下関係の確立と合わせて)調和されたと思っている。
その統合が完了したのちに、日本海沿岸の先進文明国家であった「出雲」が飲み込まれた時に、大国主が国を失ったのではなく譲ったのだという体裁をとった。ソフトランディングを狙った占領政策だろう。戦争に負けての従属ではなく、善意による政権譲渡という形を記録に残したものだ。当然ながら、当時の世界帝国である漢以降の中華思想にある「禅定」を真似て作られたと推測する。正史を他国語で記載するしかない時代のことだ。文字も思想も丸呑みするしかない。

などなど、一宮のお参りの時には、古代日本の神様たちの親族関係などをよく読み込みながらお参りするのが楽しみだ。そもそも大和政権の神々は、統合戦争の折々で勝利した偉大なご先祖様を神に昇格させたものだろうから、神様というより爺様、ひい爺様、ヒイヒイ爺様を尊敬するみたいな感覚だったのではないかと思う。


この大和神族形成の物語には、他にも日本武尊とか吉備津の神様など、政権側の征服者・戦争指揮者などが、どこでどう神様になっていくかという見所もあり、実に興味深い。
征服王朝が他方の神々を飲み込んでいく過程が窺われ、大事にされ親族になる国津神もいれば、配下として従属させられる国津神もいる。


八幡様を崇める一族や出雲系の神社は、政権と対立を解いた後も、したたかに勢力を保っていた気配がある。だから、大和神族とは一線を画した存在で、また別の神族であったころの痕跡を残している。

その混乱したまま受け入れらた神道を一本にまとめ上げようとしたのが、明治政府期の国家神道なのだが、そもそも神の体系を合理的に整理しようなどという発想に無理がある。例えて言えば浄土宗も日蓮宗も華厳宗も臨済宗も、みんな仏教だから仲良くしようみたいなもので、そもそも仲良くできないから宗派が割れたことを忘れてしいる、典型的な歴史のお馬鹿さんみたいなものだ。

そんな古代日本の歴史に思いを馳せながら、全国にある一宮を訪ねて歩いた。最後に残ったのが、佐渡国一宮で、そこをようやく完了した。御朱印集めはスタンプラリーではない、と神社・寺院の関係者はよくいうようだが、そもそも信仰と観光は密接な関係がある。ありすぎるほどだ。
古くは西国、東国の札所詣があり、これは平安・鎌倉時代から続く。札所参りは典型的な観光と信仰の融合形態だ。四国八十八ケ所はもう少し宗教的色彩が強いが、現代ではこれまた典型的な信仰と観光の融合形態だろう。
江戸期に大流行したお伊勢参りは、信仰色がだいぶ薄れ観光的側面が強まったもので、その流れは現代に続く。
そのおかげで門前町が栄え、寺や神社も栄え、ひいては信仰者も増えるのだから、神社仏閣の関係者が文句を言うと神罰・仏罰が当たるというものだ。

一宮参りは神道界全体をあげてのイベントではないようだ。一宮のなかにも、今ではその地域の一番著名な神社ではなくなっているところもある。新興の勢力に負けてしまっていたり、そもそも地域で神社を守る体制が消滅しかかっていたりするからだ。
もちろん一宮の中でスーパースター級の存在も多い。例えば武蔵国氷川神社、尾張国熱田神宮、摂津国住吉大社などなど神社界ではトップクラスなラインナップになる。有名どころでは意外なことに出雲大社は一宮ではない。被征服国家の神だからだろう。
また、仏教主導で建てられた神社もある。仏様を守護する神様という意味合いらしいが、比叡山と日吉神社は密接な関係がある。ただ、近江国一宮は別なところにある。
お江戸で一番の大きな神社は神田明神か日枝神社だと思うが、(明治神宮は一番新しい新人だから)どちらも由緒正しい歴史のある神社だが一宮ではない

最後の一宮にお参りしたらおしまいになると思っていたが、東国・西国札所巡り、つまり観音様のお参りをしたら善光寺・北向観音に報告に行くのだそうだ。これをお礼参りという。
一宮参りの発祥は埼玉県氷川女体神社なので(お参りした時にそのように聞かされた)、そちらへお礼参りに行くべきかなと思っている。

最初の一宮参拝は、平成29年11月、鹿島神宮だった。コロナを間に挟んで9年かかった。人生最後で最大の長旅だったなあ。


ご興味がある方は、下記サイトに詳しく説明がありますのでご参考まで

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