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30 年ぶりに入った焼き鳥屋

まさに The 焼き鳥屋 という雰囲気満々なのだけれど

恵比寿に古い焼き鳥屋がある。何十年も営業しているが、そして会社帰りに必ずこの店の横を通っていたのだが、不思議と入ることのなかった店だ。限りなく昔、一度入ったのだが、それきりだった。24時間営業の店なので、夜遅くに困った時には使う可能性もあったはずだが、なぜか入っていない。焼き鳥屋であることは間違いないが、売り物が何だったのかも思い出せない。
その店に30年ぶりくらいで入った。焼き鳥を食べた。普通に旨い焼き鳥だった。ホッピーを飲んだ。普通の焼き鳥屋だった。

30年前に一緒にこの店に入ったのは誰だっただろうか。それも思い出せないが、今回が我が人生最後の一回になるのではないかと危惧している。近いうちにもう一度だけ行っておきたいものだなあ。

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西武百貨店は復活するか

あまり気に留めてはいなかったのだが、改装中だった西武百貨店池袋本店が一部営業を再開したようだ。西武線に乗ろうと地下道を歩いていて、パン屋が開いているのを見つけてあれっと思ったのだが、なんと7回に追いやられていた食品売り場が地下に戻ってきたらしい。
日を改めてゆっくりと見に行こうと思うが、この物価高の中でのデパ地下再開だから、なんと目の玉が飛び出てしまいそうな価格になっているのではないか、などと勘ぐっている。
色々とニュースネタになっていた池袋西武百貨店だが、側から見ていると馬鹿馬鹿しい騒動だった。区長自らがあれこれ民間企業の店舗について口を出し、やれ文化だ、やれブランドだなどと小うるさい屁理屈を唱えているのを聞いて、下手な漫才より馬鹿馬鹿しいと思っていた。そんなことを言うなら池袋西口北側に広がる、無法図で無国籍なエリアをなんとかしろと言いたい。

まあ、だいたい日本の行政屋・地方自治体の首長など理念を語れるほどの見識を持つ者がどれだけいるのだろうか。一度、学生時代に戻って知能検査(今も存在するのかなあ)でも受けて欲しいが、その前にまず道徳検定(例えば法律は必ず守ります、列には並びます、わりこみはしません、庁舎内でタバコは吸いませんなどなど)や倫理試験、公務員適格評価試験(賄賂をもらいません、飲み会は割り勘です、とかいう最低限の規範とその理解と実践度チェック)などを受けてもらいたい者だなあ。

まあ、これ以外の階層フロアはヨドバシカメラになるのだから、さぞかし賑やかなビルになることだろう。

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二例目のトイレマーク

ちょっと前に小樽のコンビニで見つけた「座りション」指示版と同じものを池袋の居酒屋で見つけた。ひょっとして世の中では密かに、この座って使用運動が盛り上がっているのだろうか。
確かに和式のトイレが撲滅されるとともに、この座り使用は一般化してもおかしくないが、そうなると男子トイレの太刀使用を前提とした便器群はどうなるのだろうか。全て個室対応にすると、回転効率が落ちるので個室増という課題が生まれる。やはり、使用人数が大量な大型商業施設とか映画館やスタジアムのようなところは併用されると思うが、なかなか社会学的に面白いテーマなので、テレビでぶいぶい文句を言っているコメンテーターなる人種に、考察した上30字くらいで述べてもらいたいものだ。

その第一歩がオヤジ向け居酒屋から始まるというのも一興ではあるのだな。

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日本蕎麦屋の煮干しラーメン

街中の立ち食い蕎麦チェーンに行くと、たまに面白いメニューに出会うことがある。個人的な好みで言えば、よもだそばのカレーライスは捨て難い逸品だが、新潟バスセンターのカレーを肩を並べる競合だろう。
富士そばの中華そばも、蕎麦屋のラーメンとしては秀逸だと思うが、普通の醤油ラーメンのシンプルさと比べて遜色のないのが煮干しラーメンだ。どろりとして濃いめのスープに中太の麺がよく絡んでいる。トッピングを見ても、日本蕎麦の上に乗っているものの流用であるがバランスが良い。

天ぷら蕎麦を頼むか、煮干しラーメンを頼むかいつも悩ましい。一度これに、紅生姜天を追加した夢のコラボを食べてみたいものだ。

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どんくな夜

恵比寿の飲み屋街、その中に一軒の中華料理屋がある。かれこれ40年近く営業していると思うのだが、最初は内装も簡素な不思議な店だった。飲料メーカー名が入ったベンチが店内に並んでいる。まるでビーチハウス、海の家のような簡易店舗だった。おまけに看板には長崎ちゃんぽんと書いてある。中華料理屋と言うよりちゃんぽんの店だったらしい。
厨房で腕を振るうのはマレーシアの人だった。味付けが日本的な中華料理とはちょっと違うが、麺の腰が強いので気に入っている店だった。しばらくはいついってもひまそうだったが、ある時から急に混雑し始めた。
何度か店内を改装して、海の家からちょっとほの暗い山小屋風居酒屋的なイメージになったあたりからだ。どうやら夜の営業に力を入れるらしいとわかった。そこで、ふらりと夜に行ってみたら、なんと中華居酒屋になっていた。
今のように、町中華で酒を飲むなどと言うことが流行っていない時代だったが、個人的には中華居酒屋的メニューが気に入ってよく通うようになった。いつの間にか人気店になり予約をしないと夜は入れないこともあるほどで、それはそれで困ったものだなあ、などと思っていた。
その店で久しぶりに昔の仲間たちと一杯やることにした。ただただ懐かしい気分だったのだが。

うまいまずいを超越した つまみのめんま 味付けはいつ頼んでも違うけどね

この店で初めて食べたのが「めんまの炒め物」で、それ以来ずっと注文する第一定番だ。もう一つの名物は、長崎産すり身で、これは厚手のじゃこ天みたいなものだが、なぜ中華料理屋でこれが出てくるのかよくわからない。ちゃんぽんに乗っている揚げたすり身のようなものなのかもしれないなあ、などといつも不思議に思いながら食べている。独特の魚臭さがあるので、さつま揚げや蒲鉾とは系統の違う魚練製品なのだろう。
そして、なんといっても目立つのが鳥の唐揚げで、こちらは平く伸び切った唐揚げだ。あちこちで売っている、鳥のぶつ切りを揚げたものではなく、平に伸ばした鶏肉をそのまま厚め目の煎餅のように仕上げたものだ。一枚食べると満足するボリューム感がある。

サラダというにはちょっと小ぶりだが……………

今回初めて食べたかもしれないのが、このアゲ麺の乗ったカリカリサラダで、今までなぜ食べたことがなかったのだろうと頭をひねることになった。カリカリとした食感がうまい。中華料理屋でサラダという感覚がなかっただけなのだと思うが。それともここ最近できた新メニューなのかなあ。
さらに驚くべきことだが、壁に書かれたメニューに「パクチー料理」がデカデカと乗っていた。これも時代の変化だなと感心したが、パクチー大好き、デトックス大好きな若い女性はあまり来ない店なのだ。そんなおっさんたちの集まる店でもパクチーを食べるようになったのかと驚いてしまった。というより、呆れてしまったというのが正しいかもしれない。
そんなことを考えていたら、隣の席に制服を着た女子高生(多分)がやってきて、思わず狼狽えた。女子高生の来る店ではないのだがなあ、などと思っていたら、みるからにチャラい系男子が引率してきたようで、女子高生の前でビールを飲んでいるではないか。なんともシュールな光景だと思った。女子高生の目の前でビールを飲むヤンキーみたいな映画に出てきそうなシーンというかイメージえいぞうが浮かんできたが、本当にそんな奴がいるとはねえ。時代が映像に追いついたらしい。
いや、あれは女子高生のコスプレをした上級コスプレヤーだったのかもしれないと、後から思いついた。どんくの夜は、どんどんと令和的な変化を起こしているのだな。

相変わらずカオスな夜の恵比寿でありました。

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1111の日

11月11日はポッキーの日ということは覚えているが、それでもこんな巨大陳列をするほどのお祭りかなどと思ってしまった。ただただ驚いたのは、ポッキーってこんな色々な種類が作られていることだ。季節限定品もあるし、何より『超』のつくポッキーが存在することだった。つい、一つ二つ買ってしまったが、このポッキー売り場は10日でおしまい。11日にみに行ったらなんとポッキーの日当日にも関わらず半分になっていた。
うーん、なんとも現金な売り方だろうとバカにしかけたが、確かにイベント当日でもジャンジャン売ろうとしているのは売れ残りみたいなものかもしれない。バレンタインのチョコもそうだな。売り場が賑わっているのはせいぜい前日まで。
当日でも大騒ぎして売っているのは(スーパーなどで)クリスマスのチキンくらいだろうか。それでも翌日には同じ売り場がおせち料理コーナーも大転換するのだから、するどい商売とは売り場を時間単位で変化させるものなのなのだなあ。
ちなみに近所のセイユーは会社が売却された後、ゆっくりと売り場の変化が起きていて、このポッキー売り場もその一例らしい。なんだか、昔々、俺たちは文化を創造して販売しているといっていたセゾングループを思い出す。セイユーもその一員で、ちょっとおしゃれなスーパーを目指していた時期もあったのだが、米国スーパーに買収されたあとは、大型コンビニみたいなつまらない売り場になってしまった。時代が一回りして、売り場の提案力をあげていこうという試みは、一種の先祖帰りかもしれない。

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インスパイア系味噌ラーメン

ラーメン屋には系列というより、暖簾分けで広がるグループが存在するようだ。日本蕎麦の世界でも暖簾分けで広がる名店網が存在するのと同じだ。薮や砂場のような100年ものの暖簾もある世界だから、日本蕎麦の暖簾分け社会は随分と広いようだ。
ではラーメン業界ではどうなるのか。お江戸界隈で最大勢力は横浜家系と言われる、吉村家から巣立って行った一群ではないかと思うのだが、個人的にはサンマ節で有名になった武蔵系を推したいところだ。
札幌ラーメンの店で言うと、やはり裾野が広いのは味噌ラーメン、すみれの系統だろう。すみれと純連は兄弟ブランドのようだが、そのどちらからも卒業生たちが濃厚味噌ラーメンの世界を広げて行った。
そのすみれ・純連系統に彩未と言う、行列のできる店がある。ここからも修行後分派の店が生まれているそうなので、もはや第三世代どころか第四世代まで生まれる時代になったみたいだ。
それぞれお弟子達は修行を終えた後に、自分なりの趣向を凝らした進化系を目指すのだから、味噌ラーメン世界は拡散と浸透を進めている。九州系とんこつラーメンにもミソは押し寄せているし、ニューウェーブの豚骨魚介Wスープ・ラーメンでもミソはもはや絶対定番となった感がある。

かすかに生姜の味がする

さて、久しぶりに小樽の街外れにあるラーメン屋に行ってみた。市場の出口に店を構える小体なラーメン屋だが、店内に入るまで味噌ラーメンではなく醤油ラーメンを食べる気満々だった。ただ、メニューを眺めているうちに、あれ? この店は確か味噌ラーメンの店だったのではと、うっすらとした記憶が戻ってきて。
結局、味噌ラーメンを注文し食べながら、ああ、この味は……………と思い出した次第。食べ進むうちに、隣の客の会話が聞こえてきて、どうやらすみれ系のラーメン屋であるらしいことがわかっった。ただし、自分の味の感じからすると、すみれではなく第二世代の彩未のような感じもする。まあ、それほど繊細な舌を持っているわけでもないし、すみれには何年も行っていないから正確に味を覚えているともいえない。

ルックスだけ見ると、味噌ラーメン(特に札幌の純蓮・すみれ系は)は見分けがつきにくいので、やはり舌の記憶に頼るしかないのだが。
ラーメン屋としては珍しい店名だなとも思う。懐かしのラーメン映画に「たんぽぽ」というラー屋が登場した。それにあやかった名前だろうか。みかんの花だから柑橘系の果物「蜜柑」なのだと思っていたが、食べているうちに「未完」と言うことかなと気がついた。
あくまで進化を続けるつもりだ、と言う店主の心意気なのだろうか、と思った次第。ありそうな話だ。そういえば、小樽には「初代」と言う名店もあった。永遠に初代の心意気を忘れないというようなお話であった(ような気がする)。小樽のラーメン屋はすごいなあ。
あちらはどうなっているのか気になってしまった。次回は初代に行ってみるか。それとも「すみれ本店」に行って味の再確認をしてみるか。うーん。悩みどころだ。

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鮭ではなくブリなんです

最近の日本列島付近の海流は異常をきたしているようで、ここ数年北海道では鰤が大漁続きだとは聞いた。そもそも、ブリは日本海側を新潟あたりまで北上して回遊を終えるはずの魚だったが、今では対馬海流が強まったため新潟どころか青森を超えて、青函海峡すら突破する。大間のマグロも同じようなルートで北海道青森沖合が一大漁場になっているが、そこにブリも参戦しているのだという。ブリはマグロよりも元気が良いのか、青函海峡をつき抜けて東方面海域に進出し、襟裳岬沖あたりで北からくる千島海流にぶつかるまで頑張っているのだ。
ところが、襟裳沖合はもともと北からの寒流に乗って鮭が帰ってくる場所なのだが、ブリの大群に押されて鮭がいなくなってしまったそうだ。
何年もかけて自分のホームに帰ってきた鮭が、ぶりに邪魔されて母なる川を遡上できないという、なんとも哀れなお話になっている。鮭だけが困るわけではない。鮭を獲れないと漁師も困るだろうが、鮭漁の網の中には鮭ではなくブリだけが入っている。まあ、鰤が鮭より高く売れれば、これは外道ながらの豊漁と喜ばれるのだが。
しかし、基本的に北海道人は鰤を食べない。例えば、札幌の居酒屋で鰤ダイコン、つまり居酒屋における定番煮ものにお目にかかることは稀だ。カスベ(エリ)の煮物かカレイの煮物が北海道的な定番に魚だろう。そもそもブリの刺身もほとんど食さない。ぶりの豊漁では金にならないのだ。
ただ、鮭ではなくブリしか獲れない期間が何年にもなると、流石に北海道人も鰤を食べるようになったようだで、最近ではスーパーで北海道産ぶりを見かけるようになった。値段は、明らかに安い。重量単価でみると秋刀魚より安い気がする。
鮭漁で取れる外道な魚なので値段は安い。まさに猫またぎと言われそうだ。鮭の値段と比べれば1/10くらいではないか。

だからなのか、ついに北海道産のブリがその安値を武器に関東圏に進出してきた。半額セールの特売目玉商品なのだが、北海道生まれとしては、これを実食して良いものだろうかというためらいがある。本当は襟裳沖の美味しい鮭を食べたいのだ。なぜか鮭がブリに振り替わってしまうというのは、無念のような気がしてならない。
それにこの大ぶりなサクでは一人で食べきれそうもないし、悩ましいものを見てしまったなあ。

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画期的な提案

まあ、気持ちはわかる。掃除する人の身になってトイレは使いましょう。ただ、この方式を徹底するには幼稚園から教えなければいけない「社会努力」だなあ。人類の半分を担うものの自覚に頼るのではなく(ジェンダー的発言だが、男という生物はその手の認識能力がけっって意的にダメな生存不適合種だと思います)、小児期からの教育で変革するべしということか。
エスカレータの片方開けるという文化も数十年前には存在しなかったが、いつの間にか全国に広がった。ただ、大阪以外は右アケ、大阪だけが左アケというのは文化人類学的な検証課題だと思うが。その右開け習慣が、事故発生多発で問題となっている。その原因は旅行に持ち歩くキャリーバッグの普及という技術的な問題解決から派生したと思うと、これまた面白い社会学的研究テーマだなあ。

だから、この男も座って処理しな最低限は、時間をかけて啓蒙すれば15年くらいで定着するのではないだろうか。幼稚園児から教育して、その子が18歳、つまり成人になる頃には社会的に定着する。あとは、頑固に(愚かに)たったまま所用を済ますオヤジとジジイが死滅するのを待つだけ。この座り利用という習慣が完成するまでおよそ50年というところだろうか。


ただし、その前に、和式便器の追放・撲滅をしなければねえ。東京オリンピックのおかげで、東京から和式便所はほとんど消滅したと思うが、まだ地方の公共施設にはたっぷり残っている。空港や鉄道駅ですら「和式の暗い便所」が亡霊のように生き残っているのだから始末が悪い。JRグループ各社の経営者は、敵をキレイにする前に、まずトイレのカイカウを断行しましょう。特に西日本の各社、きばれや。

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醤油ラーメンだけの店

電話番号がすごいなあ

JR新札幌駅に併設されている商業ビル「サンピアザ」は開業以来50年以上続いているが、地下鉄東西線延伸に伴い、札幌では珍しい交通結節点として賑わいを極める。ほぼ完全な自動車社会の札幌で、都心部を除けば自動車なしでたどり着ける珍しい商業地区であり、当然ながら交通弱者、つまり高校生と高齢者の姿が圧倒的に多い。
その商業ビルの食堂街に、だいぶ前に開業したラーメン屋がある。我が情けない記憶に頼る限り10年か15年前の開店ではないか。

昭和中期、まだ石炭産業が賑わいを極めていた頃に最初の店が開店らしい。北海道の石炭産業は、敗戦後の外地引き揚げ者の受け皿となった。また、荒廃した国土と社会の再建のため使われる主力エネルギー源として、石炭採掘は国の基幹産業だった。
炭田と呼ばれる石炭産地は北海道各地と九州北部に集中していた。映画や小説の舞台としても使われた賑やかな場所であり、その炭鉱地帯の繁華街には飲み屋や食堂が大量にあったようだ。石炭採掘という重労働を担う炭鉱夫とその家族は、比較的潤沢な収入に支えられ文化的、享楽的な生活を送っていたらしい。当然、当時の人気ものであるラーメン屋も炭鉱町には何軒もあったに違いない。その一つが、この小鳩食堂ということだ。

初代のトッピング お麩とうずまきのなるとが当時の定番 煮卵は贅沢品だったと思う
お水はアルミカップでというのがなんとも懐かしい

当時は味噌ラーメンが生まれる前のことだから、ラーメンと言えば濃いめの醤油味限定で、現在の濃厚系豚骨ベースのスープではなく、野菜と鶏ガラが主体のあっさり系。それに醤油のタレを使った塩味の強いスープに仕立て上げたのが、いわゆる炭鉱系ラーメンだったようだ。
その後、昭和40年代に入り石炭産業は斜陽化していく。取り扱いの簡便な石油に置き換わっていくと同時に、産業用の石炭(製鉄や火力発電に使われる)も割安で高品質な輸入石炭に置き換わっていく。当然、国内の石炭産地では生産効率の悪い「山」から、順番に閉山が始まる。敗戦直後から繁栄を極めた石炭町がゆっくりと衰退を始める。人口が1/5 や1/10に激減するのだから、街が死んでいくのも無理はない。

そんな炭鉱町のラーメン屋が地元の衰退を見かぎり札幌に移転したとすれば、それは英断というものだろう。ただし、炭鉱町の、それも昭和中期のラーメンが、平成の都市在住者に受け入れられるのかというのは、これまた大冒険だったのではないか。

初めて食べた頃は600円くらいだっだかな

だから、この店には3種類の醤油ラーメンがある。が、味噌ラーメンはない。それが潔いと思う。醤油ラーメンだけで勝負するのは勇気がいっただろうなあ。
店内は昭和中期のイメージで内装されているが、一番すごいのがメニュー構成の作り方で、学校給食を模している。ラーメンとカレーのセットなど、もしも給食であったらいいなのナンバーワン・メニューだろう。

などとラーメンが出てくるまでビジネス的なあれこれを考えてしまうのが、この店のいいところだ。店内を観察していると分かることだが、結果的に昭和のラーメンを懐かしんで食べる高齢者より、経験のない昭和の食べ物を恐る恐る試しに来る若年層の方が多い店になった。
子供の頃に食べた懐かしい味、などというのがヒットするのは、その店の客層が30-40代であるときだけで、その主客層が歳をとり60代と高齢化すると(つまり店舗も20年程度は続いたことになるが)、一気に衰退する。昭和後期のファミレスや居酒屋チェーンが消滅したのは、そういった客層の高齢化に起因すると思う。時代に合わせた進化ができないだけなのだが。ただ稀に客層の若返りに成功する業態や店舗もある。

余談だが、団塊の世代の嗜好に合わせて変化し続けた業態は、そろそろ変化のしようがなくなる。団塊の世代が丸ごと、キセキ入りすからだ。もはや団塊の世代にはマス消費の主力とはなり得ない。最後に生まれる団塊世代需要は介護付き高齢者住宅と葬式ビジネスくらいだろうか。

この店はその団塊世代からの客層乗り換え事例として典型的な成功例で間違いない。少なくとも子供連れの客が多いことを考えると、この先20年や30年くらいは長続きしそうだ。昭和100年などと巷では言われるが、昭和30年をテーマにした食堂は、もはや江戸時代を扱った時代劇の舞台とあまり変わらないのではないか。などとマーケティング屋的には感心してしまうのだ。

おそらく明治期の人々が時代劇を見て、自分の親たちはこんな暮らしぶりだったのだなあと懐かしんでいたように、現代人は昭和中期を手近な過去体験として楽しむ。時代が変わっても、ちょっと前を振り返ってみるのは、楽しいエンタメであるということだろう。令和50年にでもなれば、平成文化も同じ扱いになるのかなあ。まあ、その時は生きているはずもないので、全くの他人事だけどね。