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街を歩く

The last night, PARCO

2月29日で閉店したパルコの最終を見届けにいった。店内にはほとんど商品がないのに、大量の客がゾロゾロと歩いている。もはや買い物をする気はないのがわかる。ただただ、なくなるものを惜しんで歩き回っているのだ。祭りの後の寂しさみたいなものだろう。

バブルな時代が始まる時期の開店だった。二つの建物をつなぐ空中回廊がおしゃれだった。その下の自由通路はトレンディードラマ(もはや死語だな)のロケにも使われていた。元気な昭和の最後の頃、パルコが文化の発信拠点を自負していた頃だ。

閉店直前には写真を撮るものが溢れていた。ちょっと異様な喧騒状態だった。所沢は西武鉄道、国土計画グループの本拠地であり、西武流通グループ(セゾン)がまだ元気だった頃、企業城下町として集中的に開発が進んだ。所沢駅前には西武百貨店、そして西武新宿線、池袋線の両方で所沢駅から二駅ほど離れたベッドタウンに日本一巨大な西友とパルコが配置された。パルコも最盛期には年商200億円近くあったようだ。
パルコ開店の年に生まれた子供が今では40歳の中高年になっているのだから、やはりこの地域のランドマークとして定着していたのは間違いない。

その閉店騒動があった翌日の朝、ごった返していた人影はあるはずもなく、朝イチで始まった撤去工事の最初はPARCOの文字看板を外すことだった。建物はそのまま健在だし、覆い壁も設置前だから今にも開店しそうな気がする。

ただ、自由通路は障壁で塞がれていた。店内では撤去作業をするテナント従業員の姿も見える。それをみて初めて、ああ、本当に閉まってしまったのだなと思った。諸行無常、万物流転。気分はすっかり琵琶法師になってしまった。

歩いて行けるパルコには本屋と電気屋とCDショップが入っていた。それがなくなってしまう。買い物がとても面倒くさくなる。いや、もう趣味の買い物は全部Amazonでいいかという気もする。これがパルコ閉店の理由だったのだと改めて気がついた。

旅をする

豊後国で味噌ラーメン?

随分前に大分駅に来た時は駅全体が工事中だった。今回来てびっくりしたのは、実に大きな駅に生まれ変わっていたことだ。個人的に思うことだが、JR東日本は駅を作るのが下手くそだ。正確にいえば、見栄えの良い駅が作れない。駅の風格というかデザインがダサダサすぎる。
評価できるのは東京駅、それも丸の内駅舎くらいだろう。明治時代の雰囲気で再現したのは素晴らしい。その目の前にある中央郵便局も立て直しの時に、時の総務大臣が元の雰囲気を残せと息巻いたおかげで、シックなものに仕上がった。同じ丸の内サイドで丸ビルを筆頭に高層ビルが立ち並ぶ光景は、皇居の周辺にあるから席のたいせの空襲を生き延びた、明治以降のビルを踏み潰して作られたものだ。そこをかろうじて踏みとどまった東京駅も、天皇行幸の際の乗り込み駅であるから原型を保たれたにすぎない。(勝手な推測です)
八重洲側の東京駅を見れば、そのセンスの無さははっきりとしている。東北新幹線の各駅は、まるで同じ設計図で作ったような見栄えの悪さだし、首都圏大都市駅も実にセンスが悪い。大宮駅、宇都宮駅、福島駅、仙台駅と新幹線主要駅を並べてみるとはっきりわかる。中央線で言えば八王子駅と立川駅、おまけに吉祥寺駅。みんな同じ顔ではないか。横浜駅に至っては、日本のサグラダファミリアだ。美しい建築という意味ではなく、いつまで経っても工事が終わらないということが共通点だ。この先100年は工事が続きそうだ。
それと比べてみればJR九州はなかなかセンスが良い。これまでいったことのある駅で、ナンバーワンは金沢駅、ナンバー2は高知駅だが、大分駅はナンバー3と認定しておこう。現代建築でありながら、鹿児島中央駅や長崎駅の終端感はなかなか良い。

ただ残念なことに、大分駅の駅名が小さい。デザイン重視なのだろうと推測はできるが、このサイズは小さすぎだろう。

その大分駅前にある繁華街で面白い看板を見つけた。九州味噌ラーメンなる言葉は聞いたことがない。九州のどこかで味噌ラーメンが名物だった地域があったかなと、九州の北から南まで県別に記憶サーチしてみた。結果は、「ない」だ。
いや、どこかに存在しているのかもしれないが、自分の記憶にないだけの不勉強モードかもしれない。
ただ、この字体、看板を見るとなんとなく千葉発祥の味噌ラーメン集団のものに似ている。おそらく、千葉の味噌ラーメン集団で修行して地元大分に帰ってきたというようなことではないか。

そこで味噌ラーメン(野菜増量)を注文してみた。なんとなくみたようなルックスだ。食べてみると安心の味噌味だ。つまり食べたことがある味なのだ。どうやら推測は当たっているらしい………
九州ラーメンは豚骨ベースが多いはずだが、今では日本のラーメン屋のほとんどが豚骨ベースを使用しているし、千葉発祥だろうが長野発祥だろうが、所詮、美味い味噌ラーメンはある一定の味に収束していく。
すぐれた味の味噌ラーメンが全国で多発的に並行進化したとも思えないので、いわゆるインスパイアー系としてコピー商品が広がるか、あるいは暖簾分けで本店の味が全国の地方都市へ伝播していく。それは決して悪いことではないし、味の良し悪しは客が決めることだ。
なんとなく入った「九州味噌ラーメン」の店で、あまり九州らしさは感じ取れなかったが、普通に美味しく食べられたのでなんの問題もない。それよりも、味の均一化、ナショナル化、グローバル化みたいなことに考えが広がって、ちょっとワクワクしてしまった。ニューヨークで売られている一杯3000円のラーメンも、やはり同じような味なのだろうか。などと、考えてしまった。
大分は学びの街だな。

旅をする

食の爆発 食べると消える美術品

3月上旬に訪れた高知市内の繁華街で、高知伝統である皿鉢のデモンストレーションが行われていた。展示会というより、もっと圧を感じるデモンストレーション、食のデモだった。

たまに目にする刺身の舟盛りなど軽く超越している皿鉢料理だが、特にこのイベントに合わせて気合いの入りまくったおっちゃんたち(多分)が、鼻息荒く?作り上げた大作がドーンと並んでいた。いったい何時間かけて、これだけのものを作ったのかと思う。

確か、高知の皿鉢料理の基本は、一皿の上に全部乗せて、食事の始まりから終わりまでを完結させる。要は男も女も一緒に飲むため、料理の支度は事前に完了させるということだったと記憶している。おせち料理がお重に入らず大皿に盛り付けられるといえば良いのだろう。
だから、皿の上は色彩の爆発になる。大皿の上にこれでもかと料理を乗せるから、懐石料理などで感じる「隙間の美」など発揮できるはずもない。ただ、そこが良いのだ。これでもかと押し寄せる色彩の乱舞は暴力的であり魅了満タンだ。

だから、皿鉢の上に乗っている料理を一つずつ見て、ああだこうだ言っても仕方がない。それに、食べ始めればあっという間にこの形式美は崩れてしまう。存在自体が儚い料理とも言えるか。
一口食べただけで崩れる「美」は、食べる前にその存在を証明し終わっている。

陳列台の上に並ぶ数十の皿鉢料理は、伝統的な和物だけではなく洋風や中華風、オードブル的であり、アフタヌーンティー風まで、煌びやかなバリエーションが生まれていた。なんだか、高知人的なハイテンションで賑やかな感覚が溢れている。まさに眼福と言いたい美しいものだったが、見終えるころにはお腹がなっていた。目には優しく、お腹には厳しいイベントでありました。

街を歩く

ザギンで天丼

銀座のど真ん中、和光の向かいにある小路に一軒の天ぷら屋がある。外見を見るとスタンドバーか小洒落たカフェっぽい。が、なんとこれが天ぷらの老舗が出している実験店?だった。実験店と書いてみたが、実際には業態拡大のパイロット店舗みたいなものではないか。
たとえば、鳥唐揚げの全国チェーンがとり天の店を出しましたというようなものだ。そういえば、昔マクドナルドも三角サンドイッチの店を出していた時、こんなふうな見栄えの店だったように記憶している。なぜ、マクドナルドがサンドイッチを売るのだという質問に、野菜を使ったヘルシー……………みたいなことを社長さんが答えていた。今はすでに消滅したブランドだ。
外食をやる連中は皆同じようなことを考えてしまうと笑ったものだ。この天ぷらの老舗も、おそらくは次世代のコンセプトを手探りで検証中ということなのか。しかし、天ぷら屋が天丼の店を作るのはわかるが、その中に豚骨ラーメンを加えるのは「???」でしかない。正直にいえば、開発者に尋ねてみたい。なぜ、らーめん? と………

店内に入ると天ぷらを揚げる独特の匂いはするが、とんこつラーメン店で感じる、あの特殊な匂いは全くしない。おそらくスープの仕込みは別のところで行なっているのだろう。
ラーメンと天丼のセットを注文した。天丼は間違い無くハイレベルで満足するべき品質だ。素直に美味いと思う。ボリュームという点では、ご飯が少なめかもしれない。が、ラーメンとセットであればこれで十分だ。たまに食べる天丼は、実に蠱惑的な食べ物だと再認識する。
ラーメンは、これが豚骨スープかと思わせるほど淡麗、スッキリ系のスープだった。塩味も控えめ、ラーメン単体として食べると物足りない感もするが、これが天丼と合わさると意味のある味付けになる。天丼の油を流し出すようなスープと言えば良いのだろうか。確かに天丼に赤だしの味噌汁は似合わない。丼とセットで販売されることが多い豚汁は、天丼とは調和し難いし論外だろう。だとすれば吸い物系かというと、これもまた天ぷらとの相性が良いとも思えない。
食べてみてよくわかるが、スープは天丼に合わせて設計されていると思う。メニューでは単品ラーメンも注文できるが、このラーメン単独ではやはり味が物足りないということになりそうだ。
カウンター席だけで十五人ほどが入る小ぶりな店だったが、土地柄のせいか外国人客が半分以上で、日本人はいささか肩身が狭い。銀座で日本人が邪魔者扱い(笑)される時代が戻ってくるとは。
ニューヨークで食べるラーメンは20ドルを超えているそうだから、銀座の天丼ラーメンセットは、その半分以下の値段になる。外国人観光客が押し寄せてくるわけだ。開発途上国レベルに落ちぶれた「日本の落日」を象徴するような銀座の光景であります。

旅をする

日曜市 in 高知

高知空港に降りて荷物を取りにターンテーブルの前に立っていたら、あれれと思うものが目の前を通り過ぎていった。丸のままの鰹が入った箱だが、いったい誰がこんなものを羽田空港で預けたのだ?
気になって、もう一周してくるのをまち注視してしまった。よくよく見るとフェイク鰹だった。なんとジョークな荷物サンプルということらしい。朝からちょっと和ませてもらった。

その後、高知市内に入り荷物をホテルに預けて日曜市を見にいった。午前中の日曜市は実に活気があって楽しい。狭い通りを挟んで両側に出店があるのだが、その商品のバラエティーがなんともにぎやかなのだ。
いつもの朝市で買う絶対定番、田舎寿司をまずは手に入れた後、地元産の柑橘類、それもハネものを物色して歩いた。朝市のあちこちでスーパーなどでは出回らない小ぶりな完熟ものが手に入る。店によって並んでいるものも値段もバラバラだから、一回りしてから買おうとすると、お目当てのものが売り切れていたりする。一期一会のことばをかみしめ、欲しいと思ったらすかさず買うのが日曜市の正しい楽しみ方だ。

その日曜市のはずれに骨董品店がある。市の日は路上にも商品を並べている。骨董品店によく立ち寄るには理由がある。骨董品好きということではなく、たまにとてつもなく珍しいものが売られているからだ。新品であれば数万円する皿鉢料理用の大皿が1000円で売られていたりする。以前は業務用に大皿をありったけ買い占めたりしたことがある。はすがに皿鉢の大皿は自宅で自分使いするには大きすぎるが、眺めるだけでも楽しい。
その骨董品店で、売り物ではなく「買い物」の広告が目が入った。「刀買います」と書いてあるではないか。足が止まってしまった。口が半開きになりそうだった。今の日本で刀を持っていれば、警察に登録しなければいけないのではなかったか。刀はすでに美術品扱いされているが、実際には実戦使用可能な携帯武器だ。たとえばご先祖さまの刀が蔵の奥に秘蔵されていたとして、それを売ろうとすると何やらとてつもなく面倒な手続きがいるのではないかと思う。

こんなの蔵から出てきましたけど、買ってもらえます?という具合にはいかないだろう。しかしだ、こうして刀買いますと書いてあるということは、実際に刀を売りにくる人がたまにいるのだろう。それを思えば、高知県はすごいところだと改めて感心した。ちなみに横に並んでいる鎧もレプリカではなく実品で、おそらく江戸期のものだろう。土佐は戦国時代終了後、掛川から来た占領軍、山内氏による支配を受けた。その家臣団のものではないか。戦国武具に詳しい方が見れば、そのあたりも楽しめるのだろうが、こちらは博物館のガラスケース内にある鎧兜しか見たことがないのでさっぱりだ。

日曜市を冷やかした後は、これまた定番のひろめ市場に出向いて何か食べようと思ったが、やはり日曜は朝から満員だった。無念に思いながら退散した。
この日、高知市内は春のイベント「土佐のおきゃく」で大賑わいだった。午前中から全開で酒を飲む高知県人で溢れるひろめ市場でも、入り口前に会場が設えられていた。やはり高知県人は基本的にハイテンションな民族なのだ。「おきゃく」の話はまた別稿で。

食べ物レポート

気分はファイアー

日高屋が面白いことを始めたとニュースで見つけて、久しぶりに行ってみた。夜のちょい飲み需要が戻ると業績が好転したようで、日高屋の元気が良い。今回はドラゴン系メニューとでも言いたい「辛い」ラインナップ投入だった。
ブロッコリーと辛いポテトサラダに辛い粉をかけたサラダが新作だった。時々日高屋で出現する「超びっくり」メニューだ。そもそも町中華でサラダを注文するという感覚は持っていないのだが、あえて頼んでみたら、これはサラダというものですか?と言いたい微妙なものが出てきた。
見た目はヘルシー?で味はスパイシー?みたいな変な連想しか出てこない。おそらく中華料理屋で見るブロッコリーが衝撃的だったということだろう。中華屋で見る緑といえば青梗菜の炒め物、ニラレバ炒めみたいなものしか思い浮かばない。
ちなみに、アメリカの中華料理屋、いやチャイニーズレストランでは、ブロッコリーが多用されている。やはり食材にも国民性の違いが現れるものだろうか。

ドラゴンな鳥唐揚げも、やはり辛いソースで食べるものだった。これは普通に美味いと思うが、どちらかというとご飯のお供というより酒の肴だ。
まず、ドラゴンは鳥類ではないと思う。どちらかというと爬虫類みたいな見た目だが、絶滅した恐竜の一族だとしたら、鳥類とは遠い親戚だから、鳥唐揚げでドラゴンと言っても……なんかちがうか。
これを丼にしたドラゴン丼が出てきたら、ちょっと面白そうだと思った。ただ、その時は骨付き肉にしてもらえないものだろうか。

そして極め付けがドラゴンハイボール。これもありそうでなかった、紹興酒のソーダ割りだ。ゲテモノかなと思いつつ注文してみたが、意外といける。個人的には好きな部類だ。どうやら定番化するらしいので、ちょくちょく頼むことになりそうだ。日本酒のソーダ割りは勘弁して欲しいと思うが、なぜか紹興酒だとOKというのも、勝手な思込みなのだけれど。

そして締めには辛い味噌ラーメンを注文した。最近、幸楽苑が売り出した辛い味噌玉が乗っているやつかなと期待したが、単純にスープが辛い味噌ラーメンだった。これは、肩透かしを食らったという感じだ。
あの味噌玉を溶かしながら食べる龍上海スタイルは是非導入してもらいたいものだ。しかし、日高屋が元気になってよかったなあ。

食べ物レポート

大衆酒場風大食堂

地元にある居酒屋が大改装していた。元々居酒屋的ファミレスみたいな店だったが、それが一段と強まったようで、大衆食堂で酒も飲めますよ的な進化をした。すでに、お江戸の大繁華街では、この転換が着々と進んでいる。しかし、自宅近くの住宅地にある店までこう変わるかとはびっくりだ。

アボカド天ぷら 塩味のわさびソースで食べる

そこで、昼飯を食べることにして、のこのこと出かけたのだが、コロナが終わってみんな夜飲みに戻っていたはずなのに、なんと昼飲みが大賑わいだった。おまけに、こういう店には必ず登場するはずの高齢者男性集団(騒がしいじい様達)は全く見当たらず、20-30代と思しき女性グループが主力客層だった。この改装は狙い通りの結果になったのだと思う。
年齢層の若返りと女性の取り込みは、この先の居酒屋業界では必須要件だ。団塊の世代を中心とした「旧居酒屋ユーザー」は、今後減少する一方だし、最近の「老害」報道を耳にするたびに思うことだが、すでに高齢者は「良い客」ではなく「迷惑な客」として認識されるようになっている。

普通の鳥からあげ キャベツの量が少なめなのが好ましい

その辺りがメニューにも現れている。アボカドの天ぷらは初見だが、メニューに載っていると「ああ、なるほどね」と思うほどにはアボカドは一般的だ。だが、これが高齢者向きに開発されたとも思えない。

大衆食堂で鳥唐揚げは鉄板メニューだと思うが、それも一皿いくらという売り方ではなく、個数単位で注文できる。人数に合わせて、あるいは自分の腹の好き具合に合わせて、欲しい数だけ注文する。これも平成後半以降に定着した注文方法だ。フードロス削減と食育とコスパの三点セットが生み出した、新しい注文様式というやつだろう。
(そういえば、3年前に大ブームだった新しい生活様式はどこに行ったのだろう。全く定着しなかったような気がする)

この店の主力商品は〇〇定食で種類は豊富だが、よく考えると、全ての定食は居酒屋的に酒の肴にもなる。生姜焼き単品はちょっと微妙だが、唐揚げ定食や焼き魚定食などはまさに酒の肴を流用したものだ。
それに加えて、単品めしのラインナップもかなりの豪速球ラインで、ラーメンとチャーハンが定番化されている。今回はチャーハンを頼んだが、普通に美味い。標準以上かもしれない。おそらくこれは完全調理した冷凍品を鍋で煽っただけだと思うが、今やチャーハンはその方が品質が安定する。
街の中華料理屋で下手な店に入ると、油ぎったチャーハンが出てきて閉口することがある。それほど手作りのチャーハンは個人技量に影響を受ける。すでにファミレスでは冷凍チャーハンが標準だし、客もその味に慣れている。となれば技術的障壁のないメニューとして、今後も冷凍チャーハンは定着していくだろう。
おそらく居酒屋は、この手の「メニュー新陳代謝」「コンセプト・チェンジ」が必要だったのだが、平成時代はなかなかできなかった。昔の常連客、高齢者に忖度していたとも言える。それが、コロナという強風で一気に吹き飛ばされた。
どうもこの国は「外圧」がなければ進化できない社会らしい。コロナの落とし子として、この大衆食堂は注視していきたいと思う。

街を歩く

バイバイ 埼玉な映画館で

自宅近くにあった(歩いて行ける)映画館が閉まった。最終日まで、このさいたまラブな映画は上映されていた。なんとなくこの映画を見てしまうと、映画館の閉館を認めてしまうような気がして、最終日まで見るのを我慢していた。
楽しく見終わった。いつもであれば空席が目立つ平日の午後だったが、満席だった。エンドロールが終わると、いきなり拍手の音が大きくなった。ちょっと涙が出そうになった。

元々のお話、コミック版原作は可愛げのないキャラたちのボーイズラブなお話だが、まあ原作を好き勝手にいじり回して、残っているのはさいたま自虐ギャグだけという感じなのだが、原作者も笑って許しているようで、実にお気楽に楽しめる。まあ、滋賀県と埼玉県の繋がりは、大都市周辺にありながら差別を受ける言われなき地方同士の共感ということらしい。それもまた納得できるが、今回は千葉が裏切り者扱いになっていて、そこにおかしみがある。千葉と同じ扱いを受けているのが和歌山だから、地域差別?が存在するという基本構造は東西で同じということだ。港区がなんじゃ、神戸や京都と威張るなやー、という映画だ。

おそらく最近の規制が厳しいテレビではできない作品だっただろう。ネット系独自制作作品でも、この手のディストピア型のお話は、良い子が見てはいけませんという扱いになるのでなかなか実現が難しい。差別の存在を認めた上で、差別している層を嘲笑うという高等技なのだがなあ。
最近はアニメなどでも暴力シーンで出血することがなくなってきた。悪キャラは斬られるとキラキラしながらチリになり消滅してしまう。性と暴力は、ハリウッドをはじめとした映画業界からすでに放逐されている。東映任侠映画のリアリズムはもはや遠い過去のものになってしまった。
最近のジェンダー関連の話題を考えると、男女の「性」をエンタメで扱うのはもはや不可能だろう。その捌け口がBLや百合になっているような気もする。だから、この作品は地域差別をネタに差別するものたちを晒しものにする喜劇として成立している。流石にさいたまネタをドキュメンタリーにすると重すぎるだろうし。
時代が経てば、非常に貴重な「The last movie」的作品として語られるようになる、そんな気がする。
BLを基本設定におき、笑いの粉を振りかけた地方と都市の格差を、さらに上位視点から俯瞰している。差別するものが一番バカだと、ニンマリ笑っている存在は、原作者なのか、映画製作者なのか。まあ、自虐ネタで笑い転げている埼玉県民の姿を見れば、諧謔こそ社会の潤滑油だと思い知らされる。「ああ、これはあるある。まさに俺達がやっていることだ。」というのが、埼玉県人の本音だろう。屈折したユーモアはいつも心の中の毒を気づかせるが、その解消にも役立つものだ。

最終日に出かけた見たら、そこにはご当地狭山丘陵の主人「巨大猫型ばけもの?」がお出迎えしてくれた。やはり、メイとさつきを見送ったように、この映画館の最後を見送ってくれるということなのか。

Last day in シネパーク お出迎えはかのキャラだった

この映画館で観た映画はいったい何本あっただろう。開店から40年間と言われると、100本くらいは見たような気もするが。館内に貼られていた旧作のポスターをゆっくり眺めていたら、名前は覚えていても見ていない芸画がずいぶんたくさんあった。今ではレンタルで手軽に見ることもできるが、やはり映画は映画館で観たいなあ。これが郷愁というものなのだろうか。40年間、お世話になりました。

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謎の生物が生息する空港

仮想の宇宙生物らしい。ゆるキャラとは思えない異形の姿だが、某万博のヘンテコキャラより造詣は整っている気がする。しかし、あのキャラ、クールジャパンが泣くぞといいたい。
それと比べれば、この謎の生物が造形美に優れていることは明らかだ。三つの目と三つの足、ということはこの生物の世界ではおそらく三進数なのだろう。多数決では引き分けがない世界かもしれない。
などなど想像が膨らむ「謎の生物」を発見してちょっとほっこりした。

さて、空港の話なのだが、人口が中規模の県では、当然遠距離交通の要は空港になる。新幹線網が全国に伸びている。が、それではせいぜい500km程度の移動にしか使われない。原理的には新幹線だけで、鹿児島から大阪で乗り継ぎ、東京を中継地として北海道函館まで移動することは可能だが。鹿児島大阪間が3時間、大阪東京が2時間半、東京函館が4時間として、半日あれば鹿児島函館の移動は可能だ。が、そんなことをするのはよほどの鉄道好きな「乗り鉄」くらいだろう。
500kmを超える移動では飛行機になる。その場合のハブ、乗り継ぎ拠点はほとんどが東京羽田空港になる。羽田経由であれば、概ね6時間程度で日本国中ほとんどの場所へ移動が可能だろう。

地方空港が存在する場所は、山の中か海沿いになる。ハブ空港である羽田は海沿いだが、成田は山の中だ。自衛隊基地(元の海軍、陸軍航空基地跡地が多い)と共用する場合は比較的街の近くにある便利場場所だ。代表的な基地併設空港は千歳、三沢、百里、小松、岩国、福岡などだ。
海沿いというか海の中にある関西空港は別格として、神戸、米子、高知、徳島などの空港は海岸沿いにある。着陸する時には海側から山に向けて飛んでいくので、なかなかスリリングなのだ。
面白いのは瀬戸内海に面する地域では山の中の空港が多い。岡山、広島などは中国山地の真ん中だ。高松も山の中になる。海沿い空港といえば、松山、山口宇部くらいだろうか。
九州を見ると鹿児島、熊本、佐賀は山の中。長崎、宮崎、そして大分が海に隣接する空港になる。
何が言いたいかというと、海沿いの空港は景色が良いということだ。晴れた日に展望台から見る滑走路と水平線のコントラストは、都市型人工美の最たるものだといつも思う。喧騒に満ちた東京羽田空港ですら、夜になればずいぶんとフォトジェニックな場所になる。

ニラとキャベツの炒め物

そんな空港の景色を眺めながら郷土料理を食べるというのは、これまた空港での隠れた楽しみだろう。新幹線駅に併設される駅ビルの食堂は大部分が全国チェーンの店で、実は旅情が味わいにくい。それと比べると空港のレストランはローカル食を一押しする地域の有名店が運営することが多いから、ちょっとお値段が高いことを我慢すればなかなか味わい深いレストランだ。


しかし、大分名物がキャベツとニラの炒め物とは知らなかった。ビジュアル的にはあまり優れてはいないが、食べてみるとご飯のお供という感じがする。町中華で丼飯を片手にモリモリと食べていくイメージがある。味付けが濃いめなので余計そんな感じがする。

酒の肴には「りゅうきゅう」と「とり天」の二点盛りが嬉しい。これはつまむ程度で十分なのだ。とり天で腹一杯というのはちょっと食べ過ぎな気がする。

昔は締切時間ギリギリに駆け込んでいた空港だが、最近は少し早めに行って空港見物をしている。これもまた、一風変わった旅の楽しみ方なのだと信じております。

食べ物レポート

フィッシュマーケット争奪戦

岡山の飲屋街はどこにあるのかよくわからないのだが、おそらく駅前の高島屋裏あたりがそうなっているようで、昼のうちにうろうろしてみた。そこで発見したのが、四国では瀬戸内の反対側にある高知の有名店だった。
瀬戸内海ではカツオは取れないだろうから、高知からわざわざ運んできているのだろう。ただ、高知から岡山までは高速道路を使えば3時間程度。魚市場で朝のセリで購入したカツオを上手に運べば昼までには到着する。高知市内で食べるカツオと同タイミングで岡山でも売ることができるのだから、鮮度は問題にならない。これが大阪以東や広島以西になれば配送時間が問題になるかもしれないが、岡山であれば高知県内と変わらないはずだ。
ただ、瀬戸内の海は魚種も豊富だし、個人的には日本で一番魚の旨い地域だと思っているので、そんな場所でわざわざ黒潮の魚が売れるのだろうかという気にもなる。

その後、岡山駅横にある大きなイオンに行ってレストラン街を視察していたら、なんとまたもやカツオの専門店を発見した。こちらは鰹のタタキ定食が中心のようだが、メニューを見る限りカツオ一色で、まさにカツオの一本釣りメニューだった。
どうも、この会社は本気で四国外のマーケットを狙っているようだ。個人的な経験でしかないが、やたら旨いカツオを高知の港町で食べてしまったことから、それ以来お江戸にある高知料理屋のカツオでも全く満足がいかない。人間、一度良いものを食べると、それより下のもので満足できなくなるというのは本当だった。
圧倒的に上質なカツオを食べてしまうと、それまではスーパーで買ってきたカツオでもうまい旨いと食べていたのだが、2度とそんな気分にならない。一度の上質な経験が残りの人生を不幸にするというのを、我が身を持って体験してしまった。


そのせいもあり、たまたま見つけたカツオ専門店に入る気にはならなかったのだが、岡山の客はどのように感じているのか気にはなる。瀬戸内海の魚と黒潮の魚の対決は、どっちが有利なのだろうか。瀬戸内フィッシュ・マーケットはかなり熱い戦いなのかもしれないなあ。