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ヒッグス粒子についてAIに相談してみた

ヒッグス粒子をご存知ですか。実は私、素粒子論?が大好きなのです。あれこれ本をとみ漁りまして、素人ながら素粒子のあれこれを楽しんでいます。

ヒッグス龍について、よい感じの説明をネットで見つけたのでご参考までに引用します。  https://higgstan.com/what-is-higgs/
この中の解説イラストがわかりやすいのでご覧ください。。

ヒッグス粒子とは、どうして物質に質量があるのかの説明をするために考えられたものです。宇宙全体に溢れているものらしいです。

ヒッグス粒子のわかりやすい説明を日本語でとAIに頼んだら、こんなのが出てきました。これでは日本語もどきで日本語ではない。これで何が何だかはわかりません。そこで「日本語で」という限定を外したらこんなのが。

なんだかよく話かわからないのでマイクロソフトのAIにお願いしたらこんなの出ました。

やはりよくわからんなあ。AIが進歩したのは確かみたいですが、まだまだ、こんなものですか。

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戦国時代について考えたこと 安土城跡で

織田信長が本能寺で倒れず、戦国時代の日本を統一して終わらせたというIFなお話は多い。織田・豊臣・徳川と続く統一過程で、成り上がり伝説を作った秀吉や忍耐と辛抱で天下を手に入れた家康などはビジネス界でも格好の経営書題材として人気がある。それだけに破天荒な性格で当時の常識をひっくり返して天下布武を行った創造型リーダーの信長に関しては、どうも評判が良くない。
ただ、ここでよく考えなければいけないのは、織田信長の言行を記録したものは少ないことだ。
多くの話のネタ本として使われる信長公記は、徳川時代になってから書かれているものだし、若き日の家康の同盟者である信長は、家康の引き立て役として描かれている。こんなすごい人だった信長さんも、結局は我らの家康公の徳には叶わなかったんだよね、というお話の仕立てだ。
当然、宿敵であった秀吉に対する記録はもっと酷い。歴史は勝者だけが書き記すことができる。だから正史よ言われているものでも、当然ながら攻め滅ぼしてライバルについては悪様に描く。歴史とは歪曲されたものであり、勝者に都合よく、敗者は性格が悪く悪政を敷いたから成敗されたのだという構図を取る。
これは人類が文字を発明して以来、どの地域でもどの時代でも必ず起こる、自己正当化と自我肥大症候群がもらラスものだ。人類普遍のありようなのだ。歴史を書き換える?のはどんな宗教よりも根が深い人の根源的な性だろう。まさに誰もがかかる「俺ってすごいでしょう」症候群なだ。

現代の歴史学者はそう言った正史とされるものの裏を取るため、当時の文字記録として第三者的だった(つまり権力基盤から遠ざかっていた)公家や坊主・神官などの書き残した記録や日記を漁り、つなぎ合わせる作業をしている。
当時の武士の識字率はどれほどであったかは推測しかできないが、成り上がりであればあるほど読み書きが不得手であったと考えられる。武家同士の書簡、手紙の類はお殿様が書記役に欠かせたものだから、多分に文章として装飾が多いようだ。つまり公式文書は、嘘が混じっている可能性が高い。
だが、直筆と思われるものもあり’例えば兄が弟宛に送った手紙など)、あれこれを組み合わせて炙り出しのように歴史事件を探るそうだ。

だから、織田信長が信長公記にあるように暴虐な君主であったかとなると、実は相当に疑わしい。実際にはどういう思考をしていて、どういう治世を敷こうとしていたのかを知る手段は極めて少ない。信長公記をネタ本にあれこれ戦国時代の歴史を語るのは、ある意味でフィクションの片棒を持つようなものだと思う。
これは戦国時代に限らず、古代ヤマト王権成立の時代を描いた古事記や日本書紀にも当てはまる。針小棒大、白髪三千丈の類で満ち溢れていると思った方が正解だ。

戦国時代に関しては、個人的に秀吉が嫌いだという性もあろ、どちらかというと信長贔屓になる。成り上がりの末に狂気に囚われ暴政を恣にした豊臣家が2代目で滅びたのは当たり前という気がする。人たらしでのし上がった秀吉が晩年は恐怖の対象になったのだから、盛者必衰を地で行っただけのことだ。
戦国時代の覇者徳川が善政をしいたかと言われるとそれもどうかなという感じだ。少なくとも、当時の農業先進地帯であった西国武士を抑え込み、京都の政治的影響力を排除するため東国江戸から統治を行うという先進性はあったのは認める。鎌倉時代よりさらに東遷したのは大正解だ。実質的な新首都建設は、その後の西国大名への統治性あっ区と合わせて、それなりに合理的だた。
苦労人だけあって、成り上がり秀吉より強かだ。が、もっと徹底的に西国と京都を弾圧するべきだったのだと思う。
おそらくは時間をかけながら徳川政権5代目あたりで西国を全て徳川直轄地にしてしまうくらいのことはできたはずだし、京都の朝廷と廃する程度の実力はついていたと思うのだがなあ。

もう一度行きたい安土城考古博物館 安土城 1/100の再現モデル

だから、織田信長が生きていたら、日本をどう統治したかはついて想いを馳せる。唐天竺まで攻め入ると言っていたようだが、日本統一が完了すると最大の問題は戦時から平時への経済転換だ。自分の兵隊も含め、戦国大名が抱える兵隊は英和な時代には過剰な負の遺産となる。
その処理は基本的に人員整理しかない経済的な大問題になる。戦国時代、兵隊の給料は、敵の兵隊を叩き潰してその領地を奪い取り、その分を味方に配分するという典型的な略奪経済だから、全国統一後は潰す相手がいなくなり人員の昇格・昇給どころか給与の欠配につながる。
かと言って、兵隊を解雇して野に放てば必ず盗賊化する。暴力しか能力がない集団が生きていくには暴力を資本にするしかない。終戦処理の最大の課題とは、この「兵隊」を穏便に引退させる社会に溶けこませることにある。
おそらく信長は国外進出して派手に戦争を起こし、適当に元の敵であり破れて従ってきた大名ごと処分する気だったのだろう。

その時代には、安土城を天皇家に譲り宗教的権威社に祭り上げる一方で、公家や寺社勢力の排除を進め、朝廷を解散して織田王国を作り、博多あたりに拠点を移していたのだと思うのだ。
戦国時代末期の日本にあった鉄砲総数は、全ヨーロッパにあった鉄砲数を遥かに上回っていたらしい。またスペインやポルトガルの常備軍など戦国大名の率いる兵数と比べても桁桁違いに少ない。大型船さえ作れれば織田日本はユーラシア大陸の半分くらいは制覇できるほどの軍事大国だった。明朝が女真族に滅ぼされるタイミングで大陸での傭兵団になっていた可能性すらある。そのミニチュア版こそ秀吉が起こした半島侵略戦だ。

戦国時代の荒々しい気分を残した織田日本が成立していれば、海外進出は当然のことだっただろう。徳川の統治により平和だが内側に縮んだ江戸期日本は生まれなかったはずだ。

そんな妄想を安土城の下で抱いておりましたのは、2022年の秋のこと。コロナがほぼほぼ終わり旅が解禁された時期のことでありました。

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ホットサンドメーカー ミニ

冷凍たこ焼きの加熱用に使ってみたい

ホットサンドを作る道具は食パンを上下に2枚挟んで役物が一般的だ。ただそれでは量が多いという人のために、パン一枚用のホットサンドメーカーが作られた。それを手に入れたのは3-4年前のことだった。これはキャンプで2度ほど使ったが、どうも使い勝手が良くない。不精をしてパンおをり曲げたまま焼いたがあまりに焼きむらができる。焦げがきついといいところなしだった。
そこで気がついたのは食パンを半分に切って上下に挟めば良いのだということだった。が、それが面倒くさい。どうせ上下にパンを葉様のであれば食パン2枚で良いか、などと怠け者はついつい考えてしまう。

が、この道具をホットサンドメーカーとして考えるのではなく、上下をひっくり返しながら使えるフライパンと考えれば、また違う用途が生まれそうだ。例えば卵焼きを作ってみるとか、ソーセージを焼いてみるとか。ししゃもなどの小魚を焼くにも便利そうな気がしてきた。今年のキャン王は、これをメインにあれこれやってみよかなどと考えている。3月も終われば待望の春キャンプシーズンなのだなあ。

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戦国城郭復活計画 和歌山へ行こう

夏の盛りに訪れた和歌山城 暑さと白までの水戸を登るしんどさが記憶に残る

某国営j放送の歴史大河ドラマが人気のようで様々な歴史考証番組が放映されている。それを見るのはなかなか楽しい。特に現地を訪れた場所が舞台になっていると、ああ、確かにそうだったなあなどと感心することが多い。

戦国時代の華といえば、やはり城郭に限ると思うが、実際に現在見る城のほとんどは消失、あるいは廃城となったものを再建したものだ。席の対戦で焼失した名古屋城などは管理詳細な資料があるので外見だけはかなり忠実に復元されているそうだが、ほとんどの城はかなり願望が入り込んだ復元になっているらしい。
観光資源としては城が「らしく」あれば復元モデルにあまり目くじらを立てる必要もないし、そもそも現代人は実物を見たこともないのだから、城の復元は恐竜の化石から恐竜を想像するようなものと変わりはない。要はモデルが超古代かちょっと前の過去かの違いしかないエンタテイメントでよいではないか。


だからどうせ復元するなら、近代城郭の最高峰の一つである安土城を再建してもらえないかなと思う。安土城博物館?には精緻な復元モデルもあるのだから、あれを実物大で再現してもらいたいものだ。再現の地は、旧安土城で跡地である山の上にしてほしい。
もう一つは徳川時代に建て替えられた大阪城を、旧モデル、つまり豊富時代の大阪城で再現するというものだ。場所は当然、大阪城公園内になる。現在の新・大阪城(徳川版)と豊臣秀吉版大阪城を見比べるようにする。とこれで織豊時代の名城が蘇るが、あと一つ復元してほしい城が残っている。徳川時代の江戸城(千代田城)の再現だ。ただし、これが一番難しそうで、現在の居住者に一時立ち退いてもらわなければならない。流石にこれは恐れ多いという国民も多いだろうし、あれこれ忖度する政治家が多すぎるとは思う。が、再建した江戸城に住んでもらえば良いので、これをなんとかしてくれるのは稀代の政治家となる首相の決断だおるなあ。

家康の最大傑作である江戸城を除いて、徳川時代で御三家の城を考えると、名古屋城は家康が最初に作った傑作城のお下がりだ。水戸藩はとうとう大きな城を持たなかった。紀州和歌山城が戦国時代終了後に完成した、いわば近代城郭の最終形だから、これの巨大版が江戸城みたいなものだろう。最初の江戸城を想像するには和歌山城を見るのが良いと思うのだ。

オリンピックや万博など開催するより、巨大3城復元はよほど社会貢献するビッグ・プロジェクトだと思うのだがなあ。そのためにも、ぜひ和歌山城を見に行ってほしいぞ。

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奈良の話をもう一つ 橿原神宮の周辺

乗り鉄の端くれとして、この駅は全国ベスト10に入れて良い造形美があると思います
全国一宮巡りをした神社オタク?とし、この槇原神宮と熱田神宮が神社世界の2Topsだと思います

奈良県南部は和歌山県まで峻烈な山峰が続く。奈良盆地の地形を考えると飛鳥宮のあったあたりは後背の山並みが自然の防壁となる守りに固い場所だっただろう。古代のヤマト王権としては防衛を重視した拠点い政宮をおいたと想像できる。
古代の建造物は礎石をおかず直接地面に柱を置いたので、20年ほどすると柱の根本が腐ってくる。その度に建て替えが必要となり、その度に政庁を移転した。同じ場所に政庁群を立てることをしなかったから、都があちこちに移っていったらしい。おまけに政庁の立替には夥しい大木が必要だから、大木が周りにある場所が引っ越し先になっていたのではないか。

王権が強くなり豪族連合から王に対する権力集中が進んだじ、つまり奈良時代後期になると防衛拠点という意味合いは薄れ平地の真ん中に都が作られた。平城京は軍事的ににみると全く防衛拠点にはむいていない。
平城京から平安京に移った時は、大陸国家との摩擦が強めり、防衛意識が高まったせいだと聞いたことがある。確かになら盆地の真ん中よりは、内陸部にある京都盆地の方が守りやすいだろう。あわせて、平城京には神社と寺が増えすぎ、反政府勢力が多すぎるということもせんとの理由であったらしい。今の現代日本でも宗教団体はなかなかの政治勢力を持つが、古代から中世にかけては、王権に対抗するほどの政治勢力であり利権集団であった。そのりゆは明らかで、政権中枢部、つまり宮家や有力豪族の後継になれない子供達が、寺や神社の押し込まれたからだ。
言ってみれば権力中枢にいるものたちの身内であり、同族の落ちこぼれ集団とでも言える権力者予備軍でもあった政だろう。

まあ、そんな古代史の裏側というか生臭い権力闘争を思い浮かべながら神社を見て回ると、ちょっと違う世界が見えてくる。そんな想像を広げるには、外国人で溢れきった平安京跡地より平城京ができる前の「なら」を見るのが良いのではないかなあ。 

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奈良のはずれで

この時は、気温が35度を超えていたが境内に入ると涼しく感じる

何年かに一度くる「奈良に行きたい病」が、今年はやってきそうだ。前回行った時はお盆前の日ドック暑い時期で歩くのにも苦労したから、今年は少し凌ぎやすい季節にしたいと思う。5月の連休後が良いかもしれない。

奈良といえば訪れるのが唐招提寺と決まっていた。高校の修学旅行で訪れた神社仏閣は多いが、一際記憶に残ろうのが唐招提寺の屋根のフォルムだった。あれぞ寺院建築の最高峰だと思っている。
ただ歳をとると共に好みも少し変化してきて、朱塗りの神社も良いものだと思うようになった。昔は派手すぎて嫌味だなと思っていたのだが。

ところが奈良にある高校生修学旅行向けの神社仏閣は、実は初心者モードであると気がついたのが40歳過ぎてのことだった。現在の奈良中心部は近代以降の中心地のようで、古代から中世にかけての建造物は奈良南部に多い。ただ、この辺りは地味なものが多いせいか、修学旅行のコースには入らないらしい。

最近のお気に入りは大神神社だが、ここは三輪素麺でも有名だ。一度、三輪素麺を食べてみたいと思いながらいつ行っても長蛇の待ち行列なので諦めている。次回はぜひチャレンジしたい。
それと、法隆寺と橿原神宮も外せない。初夏の奈良盆地南部ツアーが楽しみだなあ。

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散歩するなら神楽坂

お盆前の酷暑の時期が意外と空いているはず

そろそろ気温が上がってくると生きたところがある。神楽坂だ。メトロ東西線の神楽坂駅から飯田橋方向へ歩いていくのがよろしい。逆コースだと上り坂がきついと思うようになった。
とりあえずの目的地は毘沙門様だが、その途中で必ず立ち寄る場所がある。

老舗のまんじゅう屋だ。昔は毘沙門様の前に店を構えていたが今は少し離れたところに移転した。神楽坂で一杯やった帰りの土産といえば、この店の肉まんで決まりだった。

お江戸の街の良いところはあちこちにある古手の繁華街に、似たような名物店、老舗が存在することだ。赤坂や麻布、谷中、入谷、北千住などそうした名物目当てに、ついでに飲みにいくことが多い。

お江戸のお散歩コースはまだ外国人観光客の侵略を受けていないところもあるので、春のブル油歩きには向いていると思うのですよね。

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去年の桜

今週末は桜が満開になるらしい。(東京付近では) ふと思い出し去年撮った桜の写真を引っ張り出していた。近所を桜散歩と洒落込み歩いて回って撮ったものだと思うが、入学式の頃だった。他から今年は少し早く満開になるのだな。

今年も桜の季節が来ると、気分が上向きになる。桜の季節は花粉の季節でもありあまり外出はしたくないのだが、そこは気分の問題であり(しっかり花粉対策をした上で)、一眼レフを片手に散歩に出かける。公園の桜を眺めながら弁当鵜を食べる。

こうしたささやかな楽しみこそ、桜の季節ならではのもので、他の季節では見当たらないイベントだ。今年も酷暑が予想されているから、夏の間は屋外を彷徨き回るのにも注意が必要だしなあ。

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富士山の上空で 妄想したこと

羽田発、西行きの飛行機に乗ると富士山を眼下に見下ろすことができる。ただし、いつでも見えるわけではなく、目的地により富士山周辺での飛行経路が変わるらしく、どこ行きの便でも見えるわけでもない。同じ行く先であっても微妙に航路が違う気がする。

この写真は早朝の高知行きだった。晴れていて雲がかかることもない。絶景だと思う。特に、最近ではドローンによる空撮が当たり前になり、鳥の目で見た風景は当たり前になってきたが、この高度でのドローン写真は見た記憶がない。富士山を見下ろす高度なのだから、おそらく地上から7-8千メートルくらいではないか。それだけの高度になれば通常のドローンのリモコンでは誘導電話が届かないのかもしれない。

空中を起動するアニメでも、こうしたアングルでの映像を見た記憶がない。高高度からの風景はアニメーターの想像力を超えてしまうのかもしれない。ロボットもので宇宙空間での戦闘シーンは多いが、あれは上下共に漆黒の宇宙が広がるだけなので背景に関して想像力が必要ない。
富士山上空で戦闘を繰り広げる2体のロボットという絵を作ろうとすると、それを撮るアングルを含めて、完全な三次元軌道を思い描かないとできないはずだが、モデルになるものが存在しないので3DCGですら難しいだろう。あえてやろうとすればトップガンに代表される飛行機の戦闘シーンくらいだが、そもそも飛行機ではモビルスーツのような接触するほどのドッグファイトはできない。

などと、富士山上空で妄想に耽っておりました。そういえば平成ガメラでギャオスとの空中戦闘シーンは、それなりに3次元機動していたかなあ?

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15年ぶりに行った焼肉屋で

友人に誘われてチェーン焼肉屋に行った。記憶を辿るのが難しいほど昔に行ったきりだった。そもそも焼肉屋に行くことがあまりない。たまに行くとしても個人経営の小ぶりな店を探すことが多い。
おまけに今回は友人のこだわりで食べ放題を注文されてしまった。量は食べられないことはわかっているので、お高めのメニューを選んで食べれば良いのだと思ったが、注文タブレットを握った友人が凄まじい量のあれこれを頼んでしまい、こちらは出てきた皿を片っ端から焼く係になった。
どうやら一人前の肉は40-50g程度の小盛りなので、どれも二・三人前を注文したとのことだが、普通の焼肉屋の一人前よりも少ない気がする。食べ放題だから、小盛りでたくさん食べるという仕組みなのかもしれない。
卓上にある焼肉のたれは一種のみ。そして、この塩だれのようなものがある。中には液状のドロっとしたものが入っていた。少量を皿に取って味意味してみた。強烈な塩と化学調味料的な味がする。感覚的には液体の味塩という代物だった。
確かに世間的には塩ブームらしいが、個人的には塩でものを食べるのは文明的に後退する行為だと思っているので、単純な塩味の料理、例えば炙った牛肉に塩だけかけて食べるみたいなことはしない。
例外的に塩単独で食べるのは焼き鳥屋くらいのものだ。それには理由がある。焼き鳥屋の甘いタレは店によって千差万別だが、最近では自家製ではなく量産品を使う店が増えている。そのせいか、好みに合わないことが多いからだ。
とりあえずこの塩だれ?のようなものでカルビを食べてみたが、やはりタレで食べた方がうまい気がする。こちらの舌が保守的すぎるのかもしれない。15年前には、こんなものはなかったような気もするが、こちらの記憶違いだと思う。

最後になってデザートはスキップしたが冷麺を注文した。サイズはミニということなので安心したが、そのミニの程度がちょっと小さすぎで、できればもう5割程度は増量してほしい。最後まで残っていたキムチを全量投入したら、なかなかゴージャスな見栄えの冷麺になった。これくらいにはトッピングがないと、貧相に見える。見栄えは大事だなあ。
実際、最初に出てきた時はほとんど具なしの素冷麺だったので、その辺りもちょっと改善を願いたいと思いながら食べたが、予想外に素冷麺は美味かった。思い込みで判断してはいけない。味は見栄えだけで決まらないということでした。