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街を歩く

西新宿の座れる立ち食い蕎麦

新宿駅西口北側に広がる飲み屋が連なる横丁は昭和30年代の雰囲気を残したまま、よくいえばレトロ感あふれる、悪くいうと狭くてゴミゴミした場所だ。平成中期にはたまに通っていたが、いつの間にか中国系の従業員が増え(店主が歳をとったのか代替わりしたのか)、小路を歩くと客引きがうるさいのに並行して足が遠のいた。それでも午後になればは梅に飲める場所としては重宝していた。
普通の食堂でも立派に昼飲みできる不思議な一角だった。有名な中華料理屋ではカウンター席だけなのにかかわらず昼からビールで酔っ払うのが当たり前で、おまけに全面開放店舗だから夏は調理の暑さも相まってサウナの中で酒を飲むような場所だった。当然、長居をするのは難しい。ビールを一本飲む間に汗でびっしょりになる修行の場だった。

その横丁の真ん中あたりに、知る人ぞ知る立ち食いそば(座席はあるが)の名店がある。立ち食いそば業界では伝説?の店らしい。実際には普通の立ち食い蕎麦屋だと思うが、何せ老舗らしいのだ。ここも全面開放というかそもそも壁がない。夏は暑く冬は寒い。正確にいうと夏は耐えられないほど暑く、冬はなんとか耐えられるほどに寒い。だから、この店に行くのは春秋限定みたいなものだ。
気温が上がってきてふと思い出し、いつものかき揚げそばを食べようとして急に気が変わった。きつねそばにしてみた。普通に美味いとは思う。問題ない。

ただ、気になるのは背中で英語の会話が聞こえてきて、どうやら席が開くのをまっているらしい。ちょっと待て、この店には日本語で書かれた品書き板しかないぞ。どうやって注文する気だ。唯一日本人の聖域として残っている「純和風立ち食い蕎麦屋」がついに文化的侵略を受けているようだ。
すでに、カンガ界隈の老舗と言われる蕎麦屋や洋食屋はかなりのダメージを受けている。鮨屋や天ぷら屋は異邦人(エイリアンの訳としてはこれが適切だと思うが)の侵略により壊滅状態だろう。銀座の立ち食い蕎麦屋で英語表記メニューを見た時に感じた嫌な予感が的中した。もはや日本人に和人だけの聖域は存在しないらしい。そのうち立ち食いそばにチーズが乗るようになるのは時間の問題だ。とほほ……………

そばを食い終わり後ろの席街客を見たらヨーロッパ系人種だった。アジア系だったら麺を啜る文化もあるだろうが。グローバル化とはこういうことなのだな。横丁を抜ける間、通りがかりの店をのぞいてみたが、客の半分は欧米系客だった。まるで香港かシンガポールのどこかにいるような気さえしてきた。本当の意味での国際化とはこういうことなのかもしれない。

立ち食いそばに行列ができる時代は、正直に言ってありがたくないぞ。

街を歩く

気温20度

連休前の1日は暖かい日になった。

50年以上前に造成された大規模団地も今はひっそりとした街に。

4校もあった小学校も少子化の為閉校となり跡地は高齢者向け施設に。

高規格の街並みは徒歩移動もしんどいが、バスは1時間おきにしか来ない。

こんな街がスタジアムのあるところです。不思議だ。

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ラノベの話

コロナの期間、外出もせず家に逼塞している時間が長くなり、その間にあれこれとラノベを読んでいた。
理由はいくつかあるが、一番の要因はあまり難しい話は読みたくないと思っていたことだ。時間があるのだからトルストイ作「戦争と平和」を一気読みするという選択肢もあったのだが、どうもそれは嫌だった。
二番目にWEBで掲載した作品、いってみれば無料の同人誌的な発表の場で、読者の人気投票で勝ち上がった作品を出版社が商業化するという新しい仕組みのビジネスが定着したことだ。ラノベの版元は大半が角川系列という現状で(社名は違っているが角川グループの出版シュアが半数以上を占める寡占業界)、商売上手の角川はWEBテキスト→書籍化→コミカライズ(漫画で出版)→アニメライズ(アニメとして商業動画化)→実写映画化という、一粒で何度も美味しいビジネスモデルを完成させた。
つまりテレビや映画などの商業エンタテイメントの源流がWEB小説をスタート地点にする時代になったということだ。そこに興味を持ったことがある。
三番目に書き手がアマチュアからスタートして、人気が続けばプロ化、専業化するため、一つのタイトルで延々と長い長いお話を続けていく「長編大作」が多いことだ。
当然、1-2冊書籍化して終わりとなる書き手もいるし、書籍化は販売不振のため2冊で終わるがWEB連載は延々と続くという場合もある。玉石混交のジャンル作品なのだが、少なくとも書籍化され10巻を超えるものが多くある。これが暇つぶし読書にはとても良い。
だから、コロナのために自宅にこもっている無聊を慰めるにはもってこいだった。おまけに大多数の人気ラノベ作品はネットで買えるWEB書籍だ。本屋に買いに行く必要がない便利さだ。
ちなみにコロナの外出禁止期間は書店すら営業していないこともあり、本を読むならネット通販かダウンロードしかなかったということもある。
ラノベ、あるいはコミックの人気作品は巻数が膨大となり実際に本屋で全巻を買おうとしても在庫していないことが多い。例えば100巻を超えたワンピースを1巻目から読もうとしても(買おうしても)、全巻を在庫している本屋を探すのは大変だろう。

コロナの閉塞期はネットで購入していたが、外出緩和期には中古本屋を探すことが多かった。ラノベは中古本で1巻から10巻までまとめて販売されることが多く、特に古い作品であれば新刊本屋では集めきれない、あるいは何軒か本屋巡りをしなければ全巻を揃えては手に入らないことが多いので、中古本屋のまとめ売りは便利だった。
中身の評価もせずに10巻パックであれば買ってしまうということも多かった。巻数が多いということは人気が高かった、人気が途切れなかったという、ある意味で書き手の実力があるという証明にもなっていると思ったからだ。(実際には好みに合わないハズレ作品も随分あったが)
今になって、どの本を最初に選んだのかは覚えていない。途中からはレンタルでラノベコミックも合わせ読みするようになったので、どうも記憶が曖昧になっている。それでも一番印象に残っているのは「転生したらスライムだった件」だろう。
これはストーリーの面白さもあるが、ラノベにおける小説作法というか人気要因の分析という点で、一番あれこれ考えたシリーズだった。

などと書いてきたが、どうやらこの本を最初に読んだのは2016年年でダウンロードの無料お試し版だった。コロナの頃は10巻を超えたあたりだったのだろうか。ダウンロードしたまま放置していたものを一気読みしたという意味では、コロナ期にかかっていたかもしれない。
とりあえずラノベのあれこれを考えていたのはコロナの期間だった。

転生ものがティーンズではなく30代サラリーマンに人気だという記事が出てから5年以上経っていた時期でもあった。

画像はアマゾン販売サイトからの引用

この「転スラ」は数あるラノベのベストセラーの中で最大級の累計売り上げ部数だと思う。コミック界でいえば「ワンピース」みたいな、ジャンルの代表作なのだ。これをネタにあれこれ考えてみた。

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桜のはなしなど

学校の前には桜がよく似合う

もう自宅近くの桜はすっかり葉だけになてしまったが、ちょっとだけ車を走らせるといきなりサクラ並木にぶち当たった。と思ったら、どうも桃色の別の花だったみたいだ。
確か桃の花は桜より後だったような、うっすらとした記憶がある。お江戸界隈で暮らして随分立つから、季節の移り変わりとお花の移り変わりみたいなものはなんとなくわかるようになった。
が、生まれた北の国では、雪が溶けたら一斉にありとあらゆるシュリの木々に花が咲く。梅も桜も桃もコブシも5月の連休あたりで一斉に咲き誇る。夏が短いせいもあり、木々も繁殖のために短期決戦になるのだ。
だから、花は春になると一気に咲くと思い込んでいた。2月は梅で、3月は桜で、4月……………という花暦は我が人生前半において存在しなかった。
夏も同じような感じで、初夏にさく菜の花(確か5月後半だったような)、その後一気にダリヤ、ひまわりなどなどが咲き誇り、お盆が過ぎる頃にはピンクのコスモスが咲いて花の季節はおしまい。北国の花はやたら忙しいのだ。

近場の公園でキャンプをしていたら、朝は鶯の声で目が覚めた。どうやら鳥の世界でも求愛の季節になったらしいのだが、そのあとはカラスの怒声ですっかり気分は台無しだ。どう考えてもカラスの低音ボイスの方が、鶯の甲高いソプラノより暴力的であり、鶯はどこかに行ってしまった。カラスも他鳥の恋路を邪魔する無作法なやつだなと朝から笑ってしまった。

どうやら春の長閑さは終わり、今年も暑い夏が始まるようだ。寒い間は早く夏よ来いと思っていたが、今年も40度越えの猛暑になるのは間違いないから、それはそれでまた厳しいか。でも、あの夏のクソ暑いのは嫌いではないのだよね。寒さで人は死ぬが、暑さで死ぬ奴はいないとずっと思ってきたからだ。ただ、歳をとってみると暑さで死ぬ奴とは自分のことかと思い直すようになった。それくらいの暑さだが、やはり寒いより暑い方が良いなあ。

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今年の桜

桜の季節になるたびにある歌を思い出す。竹内まりあの「人生の扉」だ。その中のにあと何年桜を見ることができるだろうというフレーズがある。
しみじみと、同感だなあと思うようになった。若い頃には理解できなかったことが、歳をとるとわかるようになるというのが実感できる。
確か去年は弁当を持って公園に花見見に出かけたが、今年はカメラを抱えてあちこち動き回った。面白いのは行く先々でカメラを持って写真を撮っている高齢者に出会ったことだ。
有名な桜の名所を回ったわけではないのだ。家の近くの公園などに植えられている桜をぶらりと見て回っただけなのだが、何人のカメラ小僧ならぬカメラジジイと出会ったことか。
まあ、はたから見れば自分もその一人に見えるわけで、自分だけは別格だと思うほど自惚れてもいない。
来年もまた桜を見るとしたら、誰と一緒に見ることになるのか。そんなことを考えていた。


桜は綺麗だなあ。しみじみと思う今日この頃であります。日本の国歌は「君が代」から「桜」に変わってもいいのではないかなと思おうほどに、桜は好みなのです。

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焼き鳥屋で乙なもの

定番 焼き鳥のタレ うまし

池袋の焼き鳥屋に集合していつもの飲み会が始まった。蕎麦と焼き鳥という珍しい組み合わせの店だ。蕎麦屋で出てくる串に刺さっていない焼き鳥はなかなかの好物だが、この店は焼き鳥屋がそばを出すという趣向なので、焼き鳥はしっかり串に刺さっている。
いつもの品質チェックで砂肝を頼むが、これは極めて良好な状態であり、他の駆使も安心して頼める。

マヨネーズたっぷりのチキン南蛮を頼むようになったのはなぜ?

最近は同行するメンバーの注文がちょっと変わってきて不思議だなと思うことがある。どうも若い頃の方が漬物盛り合わせとか豆腐とかシンプルなものを頼んでいた気がする。最近は揚げ物、それもチキンにポテトという組み合わせが多い。これが還暦ということなのか、嗜好が子供の時代に戻ってしまったような感んがある。

乙なもの その1 そばのサラダ キムチ味付け

自分の注文だけは年相応かなとも思っているが、とりあえず出されたものは遠慮なく食べることにしているので、メニューに文句があるわけではない。
今回の我が注文はそばサラダ キムチ和えといったもので、ラーメンサラダのそば版という感じだった。これはサラダというより夏に食べる冷たい蕎麦だなと思う。あるいは岩手の冷麺インスパイア系メニューなのかもしれない。精進料理にニオイのきついキムチは使わないとは思うが、現代的なアレンジの精進料理として認めても良いのではないかなあ。

乙なもの その2 にんにくの存在感が半端ない フライドポテト

と思っていた後に出てきたのがガーリックポテト。これが強烈だった。過去数年で食べたものの中で一番インパクトがある。フライドポテトにほぼ生のニンニクがガツンとくるソースで味付けされている。ガーリックポテトというと、フライドポテトにガーリクウパウダーがかかっている程度だと思っていたが、これはそんな生やさしいものではなかった。
家に帰っても口の中のニンニク味が消えないほどの強烈さだ。これはこれでアリなのかと思うが、「そば」とは合わないだろうなあ。

乙なもの その3 蕎麦屋と間違うほどの本格派田舎そばに感涙

などという強烈な体験をした後で、蕎麦で締めることになった。田舎そばのもりそばという、これまたシンプルな側にしたのは正解で口の中のニンニク味が多少は改善されたような気もした。

ここ数年、飲んだ後に何かを絞めに食べるということがなかったので、これはまた新鮮な感じがした。それにしても焼き鳥屋で食べる蕎麦が美味いのは驚きの組み合わせだったなあ。蕎麦屋で食べる焼き鳥よりも数段上の体験値(?)でありました。

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昔の写真から 松本の蕎麦屋

こちらもグーグル先生の自動保存写真から。自分ではすっかり忘れてしまっていた松本の名店を、この写真のおかげで思い出した。外食企業向け専門誌に連載されていたコラムで見つけた店だ。
すでに情報はネットで見つける時代になっていたが、実は隠れ名店は取材拒否することが多く、ネット空間でもあまり情報が出回ってはいない時代だった。
だから、評論家が(まだライターという言葉は一般的ではない時代)記事にしたものではなく、コラムの中で個人的な趣味で選んだ店のことを書いている、そんなところから情報を見つけ出していた。
この店は松本に数ある蕎麦名店の中でも屈指なレベルの高さだと思う。ただ、店の中が実に静かで隣の客が蕎麦を啜る音が聞こえてくるだけ。なんとも修行中のような気分にもなる。

随分と昔の記憶なので、今でもお店は健在だろうかと確かめてみた。無事営業しているようだ。


松本市内から車で1時間ほどのところ、山際のあたりには蕎麦の名店が数軒あるのだが、そこの写真は全く残っていないので店名が思い出せない。それがちょっと残念だ。
その中の一軒で、確か野菜販売所の隣にあった小体な蕎麦屋というか食堂が、実にうまい田舎蕎麦を出していた。そこにもう一度行きたいと思ったが名前が出てこないし場所もうろ覚えなのだ。野菜販売所の手前に大きな桜の木が3本あったような……………
写真という外部記憶保存装置を使わなければ、思い出せないことばかりになってしまったのだなと、ちょっと黄昏てしまうのでした。

ご参考まで 野麦のサイトはこちら→ http://nomugi.o.oo7.jp

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土曜、新宿でランチ

新宿 はやしや名物 オムライス うまし

昔の仕事仲間が会社を辞めたと連絡が来た。数年ぶりに会って食事でもどうかと誘われ、それは嬉しいことだと土曜の新宿に出かけた。時間は誰にでも一緒に流れるもので、こちらもヨボヨボになりつつあるが、お仲間も年相応の風格が出ている。ただ、声だけは記憶にある昔のままだった。
お互い一緒に過ごした仕事の時間を振り返り、家族の近況などを交えた楽しい時間だった。少しだけ大人になったので(笑)、ランチビールなどを注文してくれた。確かに、もはや夜に長々と酒を飲むような世代ではなくなっているのだが、それならそれで楽しいランチを志向すれば良いのだ。しっかりと断っておくが、決して昼呑みの推奨をしているわけではない。

ちなみにいつもは席待ちにもならず快適なレストランなのだが、どうやら週末ランチは予約が要るほどの人気らしい。そういえば週末の新宿など何年ぶりだろうか。人出はコロナ前を遥かに超える混雑だし、外国人観光客はやたらと多いし、なんだかバブル期を乗り越える勢いに見えるのだが。円高になるとまた沈んでしまう仮初の繁栄かな……………

オムライスとサバの塩焼きが一緒に食べられる素敵な老舗レストランは、まるで昔のデパート大食堂のようだった。

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昔の写真から 紅葉

元画像は500万画素で当時の一眼レフ級ハイスペックだった
今ではキッズスマホでもこれ以上の性能だ トホホ

これもグーグル先生保管の写真だが、おそらく諏訪近くの山道で撮ったもの。紅葉の綺麗な場所はあちこちにあるが、赤と黄色が絶妙に混じり合う場所はなかなか少ない。
春の桜と秋の紅葉、どちらも写真を撮るには良い季節だが、どうも秋の写真は苦手だった。単純にこれからどんどん寒くなるというのが嫌いだからだ。逆に、サクラの季節はちょっと肌寒いがそこ死すれば夏がくると思うと心が浮き立つ。実際に夏になって仕舞えば、この暑さなんとかしてくれとは思うのだが。

おまけに秋は写真に撮るときは光の加減が難しい。特にスマホのカメラはあれこれいろいろと自動的に細工?してくれるのだが、どうもあの機能は人の顔を撮るときは向いているが、遠景で風景を撮るときにはちょっとズレた感じがある。特に、この時期のAndroidはそうだったと思う。今はスマホも賢くなったからちょいと違うかもしれない。
だから当時は風景写真を撮るときに一眼レフカメラが必携だったが、最近ではスマホで良いかなと思う。iPhoneであれば画素数は800万だ。これはちょっと前の一眼レフ普及機と変わらない。ただレンズの焦点距離が問題でフレームぎわが歪む。これが嫌なのだだが、それを除けばスマホは良い写真機だと思う。
写真自体もそのまま見る・使うではなく、画像調整するのが前提なので画角だのフレーム位置だの全く気にしない。銀塩フィルム時代からのカメラ小僧としてはなんとも歯痒いというか、モヤモヤするものもあるのだが、便利さには敵わないなあという感じもある。

昔撮った写真のフィルムは全て電子化して廃棄した。紙焼きもアルバムに貼って残したもの以外は全て捨てた。残っているデジタルデータも、今ではマイクロSD一枚の中に全部収まっている。過去5ー6年の写真は全てクラウドでアーカイブだ。
10台以上あったカメラもほぼ処分し、今残っているのはお手軽一眼レフが2台、バカチョン(死語だなあ)デジカメ2台。それをたまに取り出して使ってみるのだが、最近ではスマホの写真のほうが上等な感じがする。そのせいで新型カメラにもすっかり関心がなくなってしまった。ミラーレス一眼レフなど手に取ったこともない。

カメラ愛好家としては実に困った時代になったものだ。

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フリー素材で見つけた

Japanese H-IIA rocket by NASA Goddard Photo and Video is licensed under CC-BY 2.0

ワードプレスの無料画像素材を見ていて見つけたH2の打ち上げシーンは、なかなか感動ものだ。この写真を自分で撮ろうとしたら、射場のある種子島に長期滞在する必要がある。H2あるいはH3の打ち上げはよく延期されるからだ。
重ための三脚に固定した大玉の望遠レンズ付きカメラも用意しなければならないし、かなり物入りな旅行になるのは間違いない。

The waxing gibbous Moon above the Indian Ocean by NASA Johnson is licensed under CC-BY-NC-ND 2.0

そして、この軌道上からの写真は自分で撮ることはほぼ不可能だろう。衛星軌道への観光旅行は始まるようだが、それに伴う費用は億円単位で、自分で工面できる額ではない。軌道旅行ご招待の懸賞にでも当たるか、宝くじの一等を引き当てるしかない。
ただ、宇宙飛行士だけがみることができた光景を、自分のデスクの前で見ることはできる時代になった。良きかな善きかなだ。

フリー素材といえばしょぼいイラストばかりだと思い込んでいたが、とんでもない数の写真アーカイブが開放されている。おまけにワードプレスではAI画像生成機能もついているので、もはや自分で写真を撮る時代ではないのだろうなあ、などと寂しく呟くしかない。