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街を歩く

赤い彗星 見参

千歳空港で国際線を利用したことはないので、国際線ターミナル周辺が面白いことになっているのを知らなかった。搭乗時間までずいぶんと余裕があったので空港散歩をしてみたら、なんと「大佐」の乗機を発見した。いや、これに乗っている時は少佐だったか?

この空港散歩のちょっと前、三月後半、春休みのタイミングで国際線ターミナル付近にオープンしたらしい。そのミュージアムみたいなプロショップを睨むように設置されているのが通称赤ザクの姿は、どうみてもガンダムより人気がありそうな気がする。

わかるにとにはわかるが、ザクは愛称であり正式には形式番号MS-06と呼ばれるべきで、この展示機体は赤色ペイントされているSバージョンだ。ガンダムもRX-78-2が制式番号になる。命名方式は、どうやらジオン軍が旧ドイツ軍的であり、連邦軍は旧帝国海軍系な雰囲気がある。
原作者である御大は命名方式から見てアメリカ軍が嫌いだった気配がある。などとあらぬ妄想を掻き立てられる。主人公である「大佐」ではなく、その乗機がフォーカスされているのもG  LOVEに溢れているぞ。(ちなみにアムロくんは主人公というより名脇役であり、UC 宇宙世紀サーガは大佐の物語だったのだなあ)

ちなみにガンダムショップの壁面には歴代Gシリーズの形式番号付きモデルが開示されているので、それを眺めに行くだけでもGファンには嬉しかったりするものだ。ちなみに極めて個人的な見解だが、UC以外のガンダムの名称がつくお話は、パラレルワールドものであり、もしかしたら存在したかもしれない並行世界のお話なので全く関心がないが、興行的にヒットしたのは「OO」とか「W」とか、「Seed」とか言われる別世界ものというのがちょいと悔しい。

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北広島 Now and Then

ファイターズのホームグラウンドがある街として有名になったのが実家のある田舎町だ。列島大改造などという掛け声と共に大規模団地が開発された。が、全国各地にある大規模団地と同様に高齢者が住み着く新ゴーストタウンになるのはギリギリで免れたようだ。
一つには札幌市と千歳空港をつなぐJR千歳線が北海道では大幹線であり、冬の猛吹雪の時にも最優先で地王を受けること、そして札幌中心部までJRで18分という至便の地に生まれ変わったせいだ。札幌市内でも南北の端の地域よりよほど便利なので若い世代が移り住み、団地の中も世代交代が続く「珍しい団地」なのだ。ただ最盛期には団地内に4校あった小学校は半減している。人口減少と主因は居住者の高齢化より少子化だろう。
そして、新型ボールパーク構想というやつらしいが、スタジアムの開業から1年以上経って駅前にホテルができた。
ただ、このホテルのお値段は田舎町とは思えないほどお高いらしく、そして田舎町にありがちなりぞー地型ホテルでもないようだ。外国人旅行者向けのシティーホテルというものらしい。ビジネスホテル級であれば泊まりたいものだと思ったが、当てが外れてしまった。
とはいえホテルができるほどの開発とはすごいことだ。この駅直結型のホテルの隣に、もう一棟建築中のビルがあり、そちらは商業施設になるらしい。

その現在進行形で開発中の駅前と比べて、団地開発当時の面影がそのまま残っているのは、駅からバスで10分ほどかかる団地内最遠の一角だ。この住宅地の真ん中には往復4車線の道路が通っている。歩道の幅は5m近くあり、どこかアメリカの住t口すら思い出させる風景だ。ちなみに、一戸の敷地は概ね100坪であり庭付き一軒家が当たり前という、バブルの前の列島大開発時代の凄さがわかる。開発当初は千歳線の運行がしょぼすぎて陸の僻地言われていた。札幌から千歳空港へのアクセスは自家用車かバスで済んでいた時代だが、その後の航空便拡大期に合わせて大量輸送の必要性が高まり、千歳札幌間を15分間隔で運行するエアポート快速が設定され、北海道屈指の繁盛路線になる。

学生がジジイになるくらいの時間が経ってしまったが、街の見かけはあまり河原ニノが不思議だなと思っていたが、ようやく駅前も変化するらしい。まあ、その恩恵を被ることはあまりなさそうだが、ホテル内にできたフードホールは外食砂漠だったこの街をちょいと助けてくれるようだ。

Now and Then 一世を風靡したカーペンターズの名アルバムだったなあ。

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朝蕎麦

朝飯に麺を食うのは、アリだと思う。朝ラーもよいし、朝うどんも文句はないが、やはり好みとしてはそばだ。最近はサッパリ系できつねそばを頼むことが多いのだが、やはり天そば、それも具の少ないかき揚げそば(つまり衣だけということだが)が良いと思う。

自宅近くの公園でソロキャンプをした朝は、撤収作業を早々と済ませて帰り道にある埼玉が誇るうどん屋で「そば」を食べる。朝早くから空いているので出勤前にの朝飯にするサラリーマンも多い。駐車場が広いのでトラックも止まっている。ガテン系の飯屋という感じもするが、味付けは意外と薄味だ。
テーブル席に座りゆっくりと蕎麦を食べる。そのあとは自宅に帰って風呂に入る。ソロキャンの変なルーティンだが、自分なりに気に入っている。遠いキャンプ場に出かけると帰ってくるまでは気が抜けないが、自宅近くであれば帰り道は通勤みたいなものだ。一晩焚き火をして遊んだあとに日常に戻るための儀式が朝の蕎麦なのかなと思う。

しかし、埼玉の誇るうどん屋は最近ずいぶんと腕前を上げた気がする。普通にうまいのは実にありがたいぞ。

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ソロキャンの楽しみ

ソロキャンでランチは遅めにする。あれこれとサイト設営?に時間がかかるが、それがひと段落したところでランチにする。そんな時は買ってきた惣菜で手軽に済ませる。この日はサバの押し寿司だった。普通にうまいが、屋外で食べると尚うまいと感じるのは気のせいか?
百円均一の店が閉店する時に半額で買った韓国製のアルミ容器も物入れから引っ張り出してきた。
ソロキャン用の道具軽量化作戦で最低限使うものだけしか持ち歩かないことにしようと、現在全力で道具減量実施中で、これまで使ってきた皿や鍋などの見直しをしている。韓国製アルミカップはその減量運動の例外だが、個人的にはシエラカップより良いかなあと思っている。

現在迷いどころな道具がこの一人用鉄鍋で、やはり鉄鍋は重いので大型メスティンに変えようと思うのだが、鉄鍋の風情は捨て難い。麻婆豆腐を作ってみたら尚更愛着が湧いてしまう。

皿は雑誌のおまけでついてきた区分けプレートを一枚だけ残すことにした。カリーブルスト風に焼きソーセージを乗せてみたが、一人飯であれば十分な大きさだろう。韓国カップにはさきイカをキムチの素であえて乗せてみた。食事前のつまみだ。この金属製の食器はどちらも使用後に紙ナプキンで拭き取るだけで良い。キャンプ向けなのだ。

こんなことをあれこれ試しながら残す道具を選定していくというのが、もう一つの「キャンプの楽しみ方」なのだと思っている。まあ、楽しみ方は人それぞれですけど。凝った料理を作るとか、珍しい道具を使ってみるとか、昔はそんなことが好きだったのだがなあ。今は断捨離が楽しみになるとは。なんだか楽しみがすっかり変わってしまった。今ではテントいらなくなった。

「解脱」という言葉が脳裏を掠めるのだが、終わりの日が近づいたとは思いたくないなあ。

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居酒屋のつまみ

さきイカが赤いのはキムチのせい、春雨は本当に微かな味がする程度の薄味

お江戸の居酒屋はつまみの種類が豊富だなと、初めて北の街から出てきた時に思ったものだ。それも多少の軽さを込めてだ。素材のうまさで食べさせるようなものは少なく、これで酒を飲むのかと疑問符がつくようなものが多かったせいだ。その典型がエイヒレだった。小皿に一切れの炙ったエイヒレが出てきたのには心底驚いた。
魚にしても鮮度が気になる。肉にしても薄さが気になる。などなど、北の街から出てきた田舎者(とお江戸の人種には思われていたらしい)に取っては食の文化、価値観の違いをしばらくの間、思い知らされるハメになった。それでも賢明なことに、お江戸の食に文句をつけたり馬鹿にすることはなかった。ただただ沈黙していた。

そんなお江戸界隈でも長いこと暮らしていると、食文化の違いは気にならなくなり、いつの間にやらお江戸スタイルが当たり前に感じ、たまに地方都市に行くと魚や肉のうまさに感動するようになった。東京ナイズされたというべきか、食に関して劣化したと感じるべきなのかはよくわからない。
そんな暮らしの中で、今でも時々お江戸の居酒屋では驚かされることがある。最近の例を挙げるとお通しが春雨だったこと。そして、さきいかのキムチ和えといいう「つまみ」が存在したことだ。
エイヒレを初めて見た時もびっくりしたが、これはそれを上回る驚きだった。料理は素材ではなく、知恵で作り上げるものだと改めて思い知らされた。

頭の中を「退廃」という言葉がよぎっていた。飲食業に関わってきたものとして、このさきいかキムチには負けた気がする。料理をなめんなよという心の声も聞こえてくるが、これこそが大都会の退廃した食文化がたどり着いた成果なのだ。

お江戸に負けた。

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伝統芸というべきか 大衆食堂の華

自宅近くのターミナル駅前に商店街がある。端から端までかなりの距離があり、入り口には交番、出口?は銀行という不思議な道なのだ。昔は色々な業種の店が立ちならび、それなりに賑やかな商店街だった。北の街から引っ越してきて初めてこの商店街に来た時は、なんともしょぼい田舎町だなと思ったものだが(それまで住んでいたのはパルコがある大都市だったから)、この街に長く暮らすことになるとは思っていなかったせいだ。
その頃は駅も木造平屋建てのしょぼさで、西武鉄道の拠点駅とは名ばかり。ホームに降りた瞬間眩に暈がしたほどだ。(くどいようだが地下鉄が三路線走る大都市の都心部に住んでいたのだ)
その田舎町が今ではタワマンが10棟以上、高層マンションを入れれば30棟近くがたちならぶ郊外都市として変身したのだからびっくりする。
そのタワマンの立ち並ぶ近く、商店街の路地裏というか脇道の奥に一軒の食堂がある。その存在は昔から気がついていた。ただ、なかなか入る気が起きない。昼なのに暗い路地というか怪しさを醸し出す裏通路なのだ。
それでも軽く昼食をと思った時、商店街のほとんどを占める全国チェーンの飲食店は嫌だなあとローカルな店を探そうとして思い出した。
行燈にラーメンとうどんと定食と書いてあること自体がお店の正体を明かしているようなもので、要は昔の大衆食堂、メニューは和洋中折衷のなんでもありなのは自明のことだ。

恐る恐る入ってみれば、先客が二人ほどいた。床が微妙にベタついているのは大衆食堂のあるあるだ。なんとも形容のし難い匂いがするが、これも長く営業している食堂ではよくあることで、天井と壁に染みついた油と調理の過程で出る油煙の混合だろう。最近の換気が良くなったレストランではあまり起きない現象だ。つまり、この店は昭和から続く  The 大衆食堂で間違いない。となれば注文するのはオムライスかラーメンの二択だろう。
品書きには懐かしの食堂メニューが並んでいて、オムライスもしっかり存在したが、それは次回のお楽しみに取っておくことにした。ランチのA定食も捨てがたいが、やはりここはラーメンだろう。
醤油ラーメンを注文した。味噌ラーメンもあるのだが、やはりまず第一投として期待するのは普通のラーメンだ。出てきたものを見て納得した。まさにこれは東京支那そば系統の醤油ラーメン 昭和40年代バージョン」だろう。具材はチャーシューとめんまというシンプルさ。全く平面的なルックス。ここから現在の複雑怪奇なラーメンに進化するまで50年かかっているのだなあ、としみじみ昭和を懐古してしまう代物だった。
味は普通に美味い。現代風の濃厚スープとは違い淡白なものだが、それはそれで味わいがある。
もっと前に来てみるべきだたと反省した。しばらくはこの店に通うことになりそうだ。一度、夕方に来てみたいものだとも思う。野球中継など見ながらビールを飲んでいるおっちゃんがいそうな気配だ。

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キャンプ飯はゴージャスに

白ネギとふた肉塩胡椒焼きでビールを飲もうと思った。ちなみ、これをつけて食べるソースはレトルトのカレーにガラムマサラをたっぷりかけたものだ。以前から居酒屋メニューとして気に入っているカツカレーのライス抜きの変形バージョンだ。
酒のつまみとしてカレーソース(レトルトカレーで代用)はほぼ万能だと思うが、唯一こだわるのが「安いレトルトカレーは不可」ということだ。個人的な見解だが、安いカレーで具材をケチっているのは仕方がないとして、ソースのベースというかコクを出す成分をサボっているので、レトルトカレーはお値段と味が比例する。食品としては数少ない価格と質のバランスが正しい大衆食品だ。
大衆食品とはまさにお値段なりの味しかしないものなので、安くて美味いは存在しない。美味ければその分値段は上がるものだ。50円のコロッケと100円のコロッケを食べ比べれば、値段の分だけ美味しくなる。

肉はトンコマを買ってきてたっぷり塩胡椒をしてかき混ぜておく。10分ほど放置して味を染み込ませる。

ソロキャンプでは道具を減量すべきだと最近思うようになり、調理器具はメスティン2個で賄うことにした。大きいメスティンを鍋・フライパンの代わりに使う。黒いメスティンはコーティング塗装なので油も引かずに炒め物ができる。

白ネギは太い部分だけを適当に切り、こちらは燻製塩をかけた。味付けはシンプルで良い。どうせカレーソースにつけて食べるのだし。

これはオリーブオイルで炒める感じ。焦げ目がついたら出来上がり。この後、ネギを取り出し、レトルトカレー(今回はディナーカレーにした)を入れで火にかける。ぐつぐつしたらメスティンごとテーブルに置き、豚肉とネギをつけて食べる。実に旨しだ。準備と調理で10分。ソロキャンのうまいものなんて、こんなものだよ。
ちなみにこの日の二品目は鉄鍋で作った麻婆豆腐で、レトルト麻婆ソースを使ったから調理時間5分。半分ほど食べたところで、小型メスティンで炊いた白飯を投入し麻婆飯に仕立てた。

なんとリッチな一人飯でありましょうか。

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レストランで居酒屋

新宿(元)アルタ裏の商業ビルにあるレストランは基本的に洋食屋だと思うが、メニューの幅が広く、昔のデパート大食堂の趣がある。一人でもよく行くが年配の友人と居酒屋使いすることも多い。ただ、コロナ前は高齢者(笑)が多い店だったが、最近は中心層が30-40代と若返ったのと、外国人観光客が押し寄せるようになった。従業員も外国人が中心になり、新宿もあれこれ変わっているのだなということがよくわかる。

洋食屋としてはオムライスが有名な店なのだが、ポークソテーが個人的には好みだ。チキンソテーもあるが、やはりポークが良い。肉肉しさがあるし、ハンバーグよりも塊肉感があるのが好みなのだ。これを肴に冷たい日本酒を飲むというのが個人的な贅沢だ。ただ、これは昭和の大文豪である池波正太郎氏の受け売りで、かの大家が浅草あたりの洋食屋でやっていたことを真似している。日本酒と洋食が合うというのは嬉しい発見だった。

洋食屋なのに刺身の盛り合わせも注文できる。ただし、これはあまりお勧めはしない。味が悪いということではない。同じ値段を出せば、もっと洋食を食べた方がお得だと思うからだ。ちなみに、この日はピザが売り切れていたので仕方なく刺身を注文したのだが、それもあくまで話のネタとしてだ。
この店で出てくるのはイタリア的にピッツァではなく、日本的な「ピザ」だ。ボテリと肉厚の生地だが、酒の肴にはそれが良い。ピッツァであればトッピングはシンプルな方が良いが、ピザとなると具沢山に限る。だからミックスピザが良い。

流石に刺身盛り合わせは雰囲気に馴染まないかと、追加で炙りマグロのタルタルというのを注文した。これだとだいぶ洋物感が漂ってくる。が、やはりマグロ刺身の変形だな。

そして締めには、漬物と卵焼き。いやー、ハイブリッドな居酒屋であります。しこたま洋食よ日本酒を楽しんだ夜でございました。

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ソロキャン 再開

久しぶりにソロキャンに行った。気温が上がると焚き火をしに行こうと思っていたが、今年は3月が寒い日が多く、のびのびになってしまっていた。桜も咲き木々は緑になっている。

自宅から20分ほど車で移動したところに大きな公園があり、そこは空いていれば当日でもふらっと行ってキャンプができる。朝起きて天気が良ければ出掛ける程度の気楽さだ。とはいえ間和英は住宅地と工場地帯なので、ヨレでもそこそこうるさいのだが、そこには目を瞑る(耳を閉じる)ことにする。
ずいぶん昔に買ったキャンプ道具を持つ混んでいるのだが、道具にあまりこだわりもなくなってしまい、最近ではただただ薪を燃やすだけのキャンプだ。

このガスランタンもアルペンが自社ブランドで販売していたものだが、とうの昔に廃番でガスボンベもマントルもすでに売っていない。手持ちの残りを使い切ったらおしまいだが、まあ、それで良いのだよね。新しい道具を買うつもりもないから、その時は蝋燭では流石に暗いから、ネット販売の充填式ライトにでも切り替えよう。
今年はソロキャン、飽きるほど行こうかなあと思っております。

旅をする

ON TIMEは快適な空の旅だ

所用があり北海道にある実家に戻ることにした。今回は航空会社を変えてみた。ON TIMEで出発した。実に快適だ。隣の搭乗口からの便は相変わらず定刻では飛べないそうで。お気の毒なことだ。
しかし登場締め切り時間に。もう入り口は閉めるけれど〇〇サン……………以下数名の方、今すぐきても乗れないよ、というアナウンスを毎度のように聞く。たまには、従業員の煽動で走ってっくる奴もいるが、あれが一体どういうことなのかといつも思う。時間ギリギリに来て身体検査で捕まっているということだろうか。乗り遅れ客の探索に費やす手間や時間、おまけにそのせいで出発時間が遅れることによる同乗客の迷惑を考えると、もっとバッサリ切り捨てても良いのではないかなと思う。
オンラインチェックインが始まってから増えた現象でもあると思うが、なんとか対策を立てる必要があるだろうなあ。以前は空港でチェックインする必要があったので、その時点で間に合う間に合わないは判断できていた(地上係員が判断して引導を渡した)せいだろう。いまではそのきのうがない。身体検査の手前にある搭乗券チェック時に「もう間に合わないよ」とか警告するシステムが必要なのではないか。
それ以外に乗り遅れる原因として考えられるのは、身体検査は済ませたがのんびり飯を食っているとか、土産物を買いすぎて歩けないとか、わがままな理由がるのだろうが、そういう奴らは放置で良いだろう。
などと座席で考えていたら、通路を走ってくる奴がいた。幸いにもドアが閉まる直前に駆け込んできたらしい。やれやれだ。時代に合わせてルールは変わるが、人の気性は変えられないらしい。

同じようなことだが、空港で搭乗前に気がついたことが一つある。ゴミ箱に雑誌・新聞という区分がなくなっていた。たまたま家から持ってきて新聞を読み終わったので捨てようと思ったのだが、いつの間にか専用ゴミ箱がなくなっていた。全然気が付かなかったが、なくなっても当然だろうと思う。すでに駅のホームでも雑誌のゴミ箱は消滅している。
そもそも新聞を読む人はもはやいないのだ。スマホでニュースを見る、関心のある記事は検索する時代だからなあ、と事情は理解できる。自分も使わなくなったから「新聞ポイ捨て箱」がなくなっていることに気が付かなかった。
時代の変化とはこういうところに現れるものなのだな。